「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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今日私は会社を辞めました。
職場に「退職」を伝えたのは夕方の退社前、同僚Nさんがいつものように翌日の予定を書き出し始めた時でした。 「私は明日から来ませんから、私の予定は書かないで下さい」。私の突然の言葉に空気が止まり、皆さんの驚いた表情が視界の片隅に入りました。そして私と視線が合ったNさんから「何があったの?」と尋ねられ、3日前の11月28日からの様子が一気に頭を通りました。
11月28日。 「介護の仕事も面白い。もっと自分の動きを広げてみたいけれど、情報が足りず書類に追われるやり方では私は楽に働けない。もっと楽に動けるように自分の道を作ってみよう」。 私は上司に同じ内容の事をお話し、新しい事をする自分として動き始めました。ところが私が動き出すと同時に上司の私への対応は変わりました。変化を繰り返す利用者さんの情報はこれまでより更に私の元まで届かなくなり、私の側からお尋ねすると「知らなかったの?ちゃんと聞いといて」と言われるようになりました。 そして3日目の本日午前中を過ごした後の昼休み、「これ以上は無理なんだな」と自分で確認したのです。 自分の動きをしようと決めてからわずか3日間の事でした。
私は尋ねられたNさんと上司の方を向いて、「情報が届かないから動きが取れませんでした。会社に新しい事を取り入れて変えていこうとする動きを反対されるのでは、私は働いていけません」と伝えました。偶然そばに居た社長はいつの間にか居なくなっていて、上司は「でも私もいつもギリギリで、いっぱいいっぱいで大変なのよ」と仰りながら机に広げられた書類を両手で抱えるジェスチャーをしました。私は心でため息を付いて「・・・そうですよね。だから私には無理なんです。」と伝えました。
荷物を纏めて外に出るとNさんが走ってきて、「考え直せない?せっかくMamoさんが来てからいろいろと変わってきたのに。これから皆で変えていけると思って楽しみにしてたのに。もう無理なの?」と言いました。私が「そう。もう限界です。エネルギーが切れました」と伝えると、Nさんは「でもどこの会社に行っても同じだよ。皆いろいろあるけど割り切ってやってるんだよ」と。 ・・・私は心が悲しかった。そしてNさんに「割り切って出来る方は、割り切ってやっていかれたらいいと思いますよ。私は出来ないから辞めるんです」とお伝えし、さらに「ごめんなさい。もう行くね」と告げてから会社を後にしました。
円満退社とは反対の辞め方をして次の職場も決まっていない。今回のような辞め方は初めてです。でも、「自分を生かして働こう」と考えて動いた結果の1つです。そしてこんなに「自分を大切にして働こう」としたのは初めての事だと思います。
社会に順応する人ではなく、社会を変えていく人として動けていた。変えていければと思っていた。変わる気配も感じてた。
でも、もういいね。よくやれた。又、次に進めばいい。次は何やさんになろうかなぁ・・・。
今日も一日、たくさんの出来事の中で「自分」を生きようとしていました。 どうやら私は「自分を主体にしていれば」、「いつも同じ自分」として生きていかれるようなのです。 もしかすると「いつも同じ自分」は、ずっと心の底で願っていた「安定した自分」とつながるのかもしれません。
「つながり」を感じられる事が心から嬉しい。これからは、「繋がった自分」を続けていければいいのです。
2005年11月27日(日) |
Baseball シーズンの終わりに |
今年最後の試合。今日は新しい事を二つしました。 一つ目はゲームの中でバントをしたこと。実は試合前には「ホームランを打ちたい」と考えていたのですが、相手チームのピッチャーの球が速かったので「バントなら当てられるかもしれない」と切り替えてみたのです。ボールが見えればバットに当てる事は出来るはずですから塁に出れる確率は高いですし、以前からやってみたい事のひとつでもあったのです。そして私の予想どおりバットにボールを当てる事は出来ました。残念ながら塁に出ることはできませんでしたが、「ゲームの中でバントが出来た」。 だからこれでいいのです。 二つ目は「セカンド」を守ったこと。セカンドは一塁と二塁の間の位置で、ボールの飛んでくる頻度が高そうな場所ですが、守りに行く直前に「Mamoさんセカンドね」と告げられてびっくりしつつ楽しめそうな予感もしつつ、セカンドの位置まで走りました。そしてピッチャー・キャッチャー・バッターボックスに居る選手とそれから、塁に出ている選手を見て、自分が立っている位置を確認して、球が飛んだら球を追いかけて、何とも忙しい場所でした。 試合の間、球は私の場所まで飛んできませんでしたが、チョロチョロと動いている自分もセカンドという場所も面白いものでした。ピッチャーはもちろんやりたいけれど、セカンドという場所もいいですね。どちらもやってみたいなぁ。ううん、全部やってみたいなぁ。
「シーズンを終えて」 ふと後ろを振り向けば一年間続いた自分が居ました。意気込んでいたのではなく頑張っていたのでもありません。バットを振るのが面白くてグランドを走るのが楽しくて、何よりも「やれていく自分」が好きでした。例えば出来ない自分でも傷を癒やせば出来るようになっていましたから、「できなかった事が出来るようになっていく自分」も嬉しくて、野球をやってみてよかったなあと、心の底から思います。
私たちは「やれば出来る」という事を知らされずにいたのです。 「やれない事がある」という事は「これからやれていく」ということなのです。いつもいつも成長できる自分を嬉しく思います。
がん末期の方のカンファレンスに出席しました。 病院の医師は「病院では出来る事が無い。これ以上良くならないから家に戻るのであって、医療行為で延命を図る話し合いではない」と語りました。話し合いの内容は必要な処置の情報を受け取るという簡単なものでした。 ご家族の女性が話し合いが終わったあと「点滴をどうするとか、この薬がいいとかじゃなくて、本人が楽になれるように話を聞いてもらえればいいだけなんですけど…。娘には“在宅で見ているのはお母さんなんだから、もっと意見を言えばいいじゃない”と言われるけれどそういうわけにも行かないから」と。私は女性の言葉に女性自身と病院側のこれまでの背景を想像し、「今の話し合いも心の部分には触れられなかったな」と思いながら、「実際に関わっていらっしゃる方の言葉が一番大切だと思いますよ」と伝えさせて頂きました。 私自身は「自然な死」を望んでいます。延命処置も臓器を提供できる分だけでいいと思っています。自分が死んだ後には地球の一部に戻り、人に目には見えないくらい小さな一部になるそうですが、面白いなぁとも思います。 そして死を迎えようとしている方に対しては、より苦痛なく人生を終えられるように手伝っていく事ができればいいのです。手伝わせていただく私に出来ることは「自分の心を大切にする」こと。いつも、自分に丁寧に関わっていられる私を意識していくのです。
この頃の私は、本当に大切なものは何かを考えています。 大切だと思っているものは、事実大切だけれど捉え方を間違えているのではないかとか、もう一歩を踏み出す為には、 “今” 持っているものを見つめなおす必要があるのではないかとか。
ある場所で、現実の輪の中に居たら輪の中に居る自分は見えません。もっともっと輪の外に出られたらいいな。私はこれからはいつも自分が居た場所を見れる自分を意識しよう。生まれたばかりのゼロの状態で、自分が居た場所を眺めてみよう。多くの事実が見えるでしょう。
いつも「ニュートラルな生き方」を。
今日はベトナム人女性と「自分を大切にするという事」について語り合いました。 女性は「ベトナムでは自分を大切にするという表現は利己主義に見られやすいですよ」と仰いました。女性の仰る言葉は日本の中でも言われている言葉です。そして私には「自分を大切にすることと利己主義は正反対の意味がある」と思えましたから、いくつかの事例を使って私の考えを伝えました。語り合った時間は短かったのですが、外国の方と心の話が出来た事を嬉しく思いました。 私は2年後ベトナムへ行ってからも、今と同じように心を語っていきたいです。その為には、いつもやさしい言葉を使う事を意識していればいいですね。 やさしい日本語で心を語れるようになってから、やさしいベトナム語で心を語れるようになるのです。
「自分をどうするか」
例えばひとつの出来事の中で戸惑っている自分が居たら、私は戸惑いの理由が分かるまで、自分を待ってあげればいいですね。私は自分を待って守ってあげられるたびに、大きな能力となりますね。 いつもどんな場所でも、「私を生きられる」よう、過去をどんどん脱ぎ捨てていけばいいですね。 いつもどんな時も、「自分をどうするか」を考えられたらいいですね。
「私が生きている」という感覚は、「自分のために動いている」 時に実感できるものでしょう。 私は私を大切に出来た分だけ、より早く 「一人の私」 に近づいていくのでしょう。23:30
「小さな記念日」
今日又、明るい太陽の下で 「あたらしい私」 が生まれました。私という一人の人間は、社会にある一定の基準に入らなくても少しも構わない。私が自分を生かすための最短の方法は、私の人としての感覚を使い切って生きることなのです。私達は自分の心と感覚があれば、全ての細胞を生かしつつ楽に生きていけるのです。
私が私に近づいていく。まるで脱皮したみたい・・・。もっともっと、「あたらしい私」の世界に進んでみよう。
2005年11月20日(日) |
2006年の冬のこと |
今日はグランドでダッシュと壁投げの練習をしました。 ダッシュの方は、どうやら以前に比べて少し速く走れるようになっているようです。ちなみに毎晩公園のグランドを走り始めたのは3週間ほど前ですので、こんなに早く効果が出ていることに驚いてしまいましたが、どんなことも続けていれば必ず成長していけるのですねぇ・・。
ところで壁投げの方ですが、“未来のピッチャー” は今から 「ピッチャーとして動けるよう」 練習しています。でも、まだまだ下半身に力が在りませんので、これから 「体つくり」 をして、自分をピッチャーに育ててあげるのです。
一年後・2006年の冬、私はどんな投手になっているでしょう。 楽しみですよ。
育成会。今日は「肯定・受容」ということに付いて語り合いました。
「自分を肯定された経験はありますか?」
残念ながら私には 「ありのままの私」 を受け入れられた記憶は皆無に近いので、自分の過去を語るときには「否定される辛さの中を生き延びてきた」という表現を使っています。
でも、今は否定された否定された心の傷を癒やしつつ、自分自身を 「認められるよう」 生きています。 否定されてきた過去を癒やしていくと、どんな自分も受け入れられるようになります。時には間違えてしまう事があっても、楽に切り替える事が出来るようになります。さらに心が安定している時にはプラスのアイデアがたくさん浮かんでくるのです。私はこれからも変わらず 「今の自分」 を大切にしていけばいいのだと思います。
楽に生きていくためには、 「肯定される環境があること」・「毎日の生活が安定していること」 が大切です。私はより楽になれるよう自分の環境を整えてあげるのです。
水曜日恒例のMさん宅へ訪問。2005年9月7日から数えてみると11回目のお手伝い。
今日の舞台は2階の小さな衣装部屋。数え切れない洋服は私の手からMさんの手へ。Mさんの手から私の手へ。片付いて出来た小さな隙間にお尻を並べて座り込む。「寒いね」・「ちょっとねっ」、「お腹すいたぁ・・・」・「そっか・・」。
いつまでも続く笑い声。 理屈なしにして、 “楽しい”。 私、仕事中なのにな。仕事がこんなに楽しいなんて、今まで知らなかったかもしれない。
Mさんは仰いました。 「お金って不思議。私が契約のお金を払ってるからMamoちゃんと出会って、今は並んで話をしてる。でもたくさんあると、、困る」 ・・・「そうですね。生きる分だけでいい」
「私、Mamoちゃんのこと、知りたい。Mamoちゃんがどんな風に生まれてどんな風に育って今に至るのかにすごく興味がある!」。 ・・・「へぇ〜、そうなんですか?!」 くすぐったいよ。いいのかな。
今夜、私の中で、一度目の結婚をした自分が繋がりました。 小さなアパートで包丁を振り回し人を脅していたのは20歳の私。自分を表現するのに、“やさしく語る” という事を学んではいませんでした。そして子どもの頃に自分を語れなかったという事はこんなにも苦しい事だったのだと心から思いました。 どなたも同じだと思いますが、結婚はお互いの意見の一致の結果です。私は傷を持った私として過去の男性を選んだのだと実感しています。そしてこれから私は、20代の自分を癒やしていく・傷を見据えられるだけの能力を持って。
今日は利用者 O さんに同行して病院を受診しました。行き先は整形外科、3つの診察室の隣には救急外来があり、診察を待っている間には救急患者さんが運ばれてきて、私も過去5年間整形外科と救急外来で働いていたので、ギプスの粉やレントゲン室の匂いを懐かしく思いました。 診察を待つ間に、 O さんは私にひとつの質問をして下さいました。 「看護婦さんだったらもっといい仕事があるでしょうに。どうして介護をしているの?」。私は「看護婦の仕事しか知らなかったから看護婦しか出来ないと思っていたんです。でも、心のどこかで違う事もしてみたいと思っていたし、自分のいる世界を輪の外から眺めてみたかったんです」 と語りました。すると O さんは 「でも、免許があるからいざとなったら元にもどれるし魅力的な仕事よね」 と仰ったので、私は少し考えてから 「そうですね。・・・・自分を大切に出来るように成長して、もう一度戻るのもいいと思っています」 と言葉を付け加えました。私の言葉を聞いた O さんはにっこり笑って 「そうだよね。どんな仕事にも言える事よね」 と。
そうですよね。自分を大切にすることは私にとって 「一番大切な事」 なのです。
診察を終えたあと、O さんは私にご自分の経験を語って下さいました。「大病院はけっこう酷いのよ。患者さんを診察するのでもコネを持っている人は先に廻されるもの。それにお金もすぐに受け取るのよ。だから私も手術の時に一人につき2万円ずつ渡したもの。そうしたらなんでも丁寧だし何でも早くにやってくれるようになったのよ」 と。私はお聞きしているうちに申し訳ないような気持ちになりました。 「Oさん私はいつも今のようなお話をお聞きした時には謝罪する事にしてるんです。・・・ごめんなさいね」 とお伝えしました。Oさんはくすっと笑いながら 「でもね、出す人も優遇して欲しいからお金を払うの。私もそうだったもの」 と。Oさんの言葉に私もくすっと笑い、心の中で「不正なお金を貰う人がいるから払わなくてはならなくなるんですよね」と思いました。
私はもしも看護婦に戻ったら、どんな私として働いていけるかな。いつも自分を見ている私なら、これまでよりも更に多くの事を学んでいけるのです。
矢作ダムを通って串原村へ紅葉を見に行きました。今日はベトナム研修生の方達も一緒です。昨年11月30日の写真では矢作ダムにネッシーが住んでいたのですよ。でも、今日は見当たりませんでした。そして今年の紅葉は昨年に比べしっとり落ち着いた“おとな色”に見えました。季節の色はいいものです。ベトナムの女性たちは記念写真を好まれるようですが、今日もきれいな色の葉を見つけるたびに可愛らしいポーズをとって写真に収めていました。私もお気に入りの場所を見つけては「ジー・カシャッ」。教えていただいたのですが、大きな木の全体と小さな人間を一緒に撮ろうとする時には人間はカメラのすぐ近くに立つと良いようです。アングルを考えて撮影するのもおもしろいなと思いました。
串原村という場所には小さなダムがあって、上のほうから滝水が流れていました。小さなダムなので流れてくる水もそれほど激しくはありませんし、滝の下には池が出来ていて水は澄んでいましたので 「来年は此処で泳いで遊びたいな」 と思いました。
今日もいくつかのベトナム語を覚えられました。片言の外国語でも会話が成立すると嬉しくて、「もうちょっとやってみようかな」と思えます。いつも、過去ではなく今を見て「新しい事を学んでいく」のです。
ネッシーはお留守 紅しだれ 段々・・紅葉 来年はここで遊びます ゆき虫 飛ぶよ なんと書いているでしょう。
2005年11月12日(土) |
ニュートラルな生き方 |
バッティングセンターへ行きました。今日はいいフォームで打てた時の感触を何度か感じられましたが、どちらかというとマイナスの癖を持ったままバットを振っていることのほうが多かったと思います。 どうすれば修正できるかな。これまでコツコツとやってきて 「やってきた分だけ出来るようになった」 のだから、これからも “コツコツ” を楽しんでいればいいでしょう。 大切なのはいつも「原点にあること」です。原点を意識して丁寧にプラスを楽しんでいくのです。
素振りに関わらず仕事だって何だって、いつも心を真っ白にしてニュートラルな状態で入っていけるといいのですね。何もかも原点を知る私として丁寧に生きていけば良いのです。
夕方上司の女性から声をかけられました。内容は自宅で夫を介護されている妻 ○さんの事でした。「自宅で夫を介護している ○さんは頑張ってしまって周囲を巻き込んでいるんだと思う。昨日自宅を訪問して “家での介護はもう限界だと思いますよ。他の手段を考えられたらどうですか?”と提案したの。だって ○さんは見る見るやつれてるし。…Mamoさんはどう思う?」というものでした。 私はいつもは黙って傾聴しています。でも今日は「Mamoさんはどう思う?」と尋ねて下さったので少しだけ語ってみました。 「私は…待っているのがいいと思います。周りから見て大変そうに見えるものでも、本人は「やりたい」があるから、なんとしてもやろうとしますよネ。もし○さんが「自分でやりたい」と思っていて、周りの人がその人の考えで動いてしまったら、○さん自身は後でご自分を責めることになると思います。だから…周囲の人は「待ち」がいいと思います。それに今まであんなに大きな夫をあの小さな○さんが1人で介護していたのだから、気力でやっているところがあるし、いつまでも続けることは大変です。ですから本人さんが心から「もう限界だな。本当に無理なんだな」とご自分で納得されたら、周りが何も言わなくてもお1人で動き始めると思います。私達はひたすら「待ち」がいいと思うんです」。 私が話し終えると上司はニコニコして 「そっかー。なるほどぉ。あー良かった。Mamoさんに相談してよかったぁ」 と仰り、少し間をおいてから「私はいろいろと資料を持っていって提案したんだけど、それはどう?」と再度尋ねて下さいました。私は「私たちが持っている情報を提供する事は必要だと思います」と答え、女性はもう一度「アーよかった。何かこう、ここら辺がもやもやしてたから。ありがとう」と。私は「心の事は分かりつらいですよね。心が見えたらいいのにね」と答えました。 私はこのあと、改めて「職場で心の話が出来たこと」に驚きました。でも、きっとこれは「私は心を持って生きればいい」ということ・なのです。私はいつも私のスタンスでいいということだと思います。
今日も又、うれしいことがありました。それは、ある男性利用者さんのお宅で「手浴」をさせていただいていたときのことです。男性はご自分の手を洗面器に付けて手を洗っていらしたのですが、お湯の中で逃げていく石鹸を追いかけながら「石鹸が逃げていく」と言って笑っていました。男性の様子が面白そうだったので私も一緒に手を入れて石鹸を追いかけて遊んでいました。しばらくすると男性が私の手を握り、少し止まってから顔を上げ私を見て「人の手はあったかいんだなぁ…」と仰ったのです。私は、その日までの男性との関わりの中で感じていた何か大切なものを改めて確認したような、そして昨日 ヘルパーの女性と話したのと同じことを確信したような気がしました。 予定の時間が終わると、男性はいつものように「ありがとう気ぃ付けてな」と言い、私も「私のほうこそありがとうございました。またお邪魔します」と伝えてました。 そして今日の私の心はいつもとは違うあたたかさを感じていました。会社へ戻る私は自分の感じたものを確認するように数分前の光景を何度も思い起こしていました。「会社へ戻れば個々の動きを一括りにしようとする息苦しさがある。私は利益を求める社会から離れ心を大切にして働いていこう」と心から思いました。
今日は同僚ヘルパーのMi さんが1人の利用者さんとの関わり方について話しかけて下さいました。Mi さんの仰る利用者さんは今は寝たきりなのですが、いずれは歩きたいとお考えで、Mi さんはその方のお手伝いがをしたいのだそうです。ところが会社から “会社や介護保険の規則に反することはしてはならない” と止められているから、どうしたら良いかな、というものでした。 私は規則や法律はたいていの場合現状とは離れたところで作られていると思っていますし、決まりごとがあるために動き辛いと思うことがあります。でも、大切なのは心ですから、Mi さんには 「私は利用者さんが本当に希望する事を手伝っていくのが大切だと思ってるの。心を大切にして関わってきた利用者さんとの関係は会社の規則や法律を変える事だって出来るんじゃないかとも思うのよ」 とお伝えしました。Mi さんは少し考えてから 「そうかもしれないよね。私ももっと考えてみよう。伝えてみよう」 と仰いました。 私がiさんとの会話で得たものは自分自身への新しい確信。「私はいつも自分のスタンスを保って働いていこう」 と改めて思いました。いつも 「心を大切にする私」 です。
夜いつものように公園へ行きました。今は壁投げに重点を置いているのですが、肩を痛めないように大切に動いています。実は私、ピッチャーをやってみたいと思っているのです。出来るか出来ないかわかりませんが、こちらも新しいことの1つ、少しずつ投げられるようになっている自分が嬉しいです。
休日。海も野球もシーズンオフになり、今度は空です。ということで今日はパラグライダーに挑戦してみました。 キャノピーを背中に背負って山の一番高いところまで上ります。大切なのは風向きらしく、向かい風に乗れるように風の流れを観察し、ちょうどいい具合を見計らって走り始め斜面を降りていくのだそうです。うまく風の流れに乗りセールがきれいに開いていくと足がちょっとだけ浮き始め・・・もっと上手になると浮いていけるのだそうですが・・・。私は2回ほど試させていただいて、今日のところは “ちょっと浮く感じ” を実感したところで終了しました。でも、面白かった。体がほんの少しだけ浮いて今にも上に上がっていきそうな感触がたまりませんでした。この冬は空を飛んで今まで感じたことのない空気を感じてみたいと思っています。
途中で雨が降り出したので大きな木の下で雨宿りをしました。雨がザーザー降っているのに木の下だけは濡れませんでした。それから久しぶりに木登りをしてみました。上のほうまで登っていって体で枝を揺らしてみると、木全体がゆっくり揺れて、揺れた分だけ風が流れて何とも不思議な感じがしました。揺れ具合がやさしいのです。木と風と私・自然と一体化しているようでした。
今日は育成会。議題の中に 「個性とは」 という議題がありました。考えているうちに 「私は私なんだなぁ」 いう思いが沸いて嬉しくなりました。考える私も喜んでいる私も、そして仮に答えを出せない私も「私」なのです。頭の先から足の先、髪の毛一本までも全部私。こんなに私がいっぱいだなんて嬉しいな。・・・と思っているのも私です。こんな事を考えている私って面白い・・・。
今日はファイルに 「潔癖症」 と記録されている女性のお宅へ初訪問。上司は私に「大変だからね。気をつけてね」 と伝えて下さいましたが、私はファイルの情報を見ただけで楽しみになっていて 「はい。ちょっと楽しんできます」 と返事をして女性のお宅へ出かけました。 呼び鈴を鳴らしてしばらくするとドアが十センチ程開きました。大きな目がこちらを見て 「誰?」 と尋ねられましたので 「Mamoちゃんです (こちらは本名です・・) と答えました。すると女性はゆっくりドアをお開けになって私に 「入り口に上がる前に靴下を履き替えて此処で手を洗って」 と仰いました。私は静かに「はい」と返事をして20センチ程の隙間から部屋の中に入らせて頂きました。洗面所で手を洗いながら思い出した先ほどの大きな目、何だかミステリアスな世界に入り込んだ気がしました。そしてもう一枚の扉の向こうは本当に面白い世界でした。バケツに組み入れる水は、バケツの中に引かれた線より一ミリも越さないように汲みました。掃除した部分とこれからの部分の境目を忘れないように移動しました。ベッドの下にもぐったときには最初に拭いた床が汚れないように右の足からはいずり出ました。あっという間の1時間、「頑張り」は必要ありませんでした。
別のお宅へ伺うとそちらはお家全体がゴミの山となっていて、大きくて広い庭はテレビの中で見かけたような粗大ゴミの山でした。私は早速マスクをしてゴミの収集にかかりました。本当は何だったのかが分からないくらいに変形している汚いものも 「Mamoちゃん手袋」 には勝てません。異臭が放たれているだろうと思えるものも 「Mamoちゃんの特性マスク」 には勝てません。時々 「匂いが服に付いちゃうなぁ」と思いつつ、どんどん片付けていきました。ようやくひとところが片付いた時、自宅の女性が様子を見にこられました。女性は認知症をお持ちです。そして 「きれいになったねぇ。でもあら?これは使えるから元に戻して」 と仰いました。私は始め驚きましたが、「そうですか。わかりました。じゃ、全部戻しておきますね」 とお伝えしてから元のとおりに戻しました。
私たちのサービスのどこをどのように使われるかは利用者様の問題なのです。私たちは利用者様が納得される形で動いて行けば良いのです。そして何より、ゴミ集めも掃除も楽しく動けた事が良かったなぁと思います。だから、これでいいのです。
今日は水曜日の女性のお宅への訪問日でした。そのお宅で不思議な事が起こりました。 私はお宅の玄関を上がってからいつものように台所で洗い物を、心の中では(ひとところをきれいにしてから帰りたい)と思っていました。一方、女性はリビングで雑誌を読み始め、時々私の傍へ来て「Mamoちゃんこれ好き?」と尋ねました。私が「ごめんなさいね。興味が無いの」とお伝えすると、女性は「そっか」と仰ってから元の位置に戻っていかれました。途中でいつものようにコーヒーを入れて下さいましたが、女性は今日、「疲れたら飲んでね」と声をかけてくださるのみでした。私は最後まであちこち片付けをしていて、時々2人で小さな冗談を言い合うことはありましたが、笑いがおさまると再びお互いの事を再開しました。女性のお宅を出てから気が付いたのですが、今日の私たちは同じ空間に居て「それぞれの事をしていた」のですね。 夜8時頃、街頭の明かりの下で素振りをした後グランドを軽く走ってみました。顔を上げて腕を振って胸が前へ前へと進みました。もっと続けて走りたい気持ちを少し待って、ベンチに座って一息付いていたら、ある風景が浮かびました。 私は小学生の頃に校内マラソンで2位になった経験を持っています。前年まではいつも必ずビリだったのにいきなり2位になったのには親からの暴力の中でいつの間にか走れるようになっていたものです。そして2番目に走っているのが私であることには周囲からの歓声が沸いていて、私はその歓声の中で「早く走れていること」を知ったのです。残念ながら次の年には又ビリだったのですが、今夜思い出したのは、子どもの私が確かに感じた「心地よさ」のようでした。 「私は多分走れるんだな」。そう思うともう一度、今度は思い切り走ってみたくなりました。暗いグランドの端に立って用意ドンで全力疾走。冷たい風が顔に当たって気持ちよくてたまりませんでした。
私は今は一人で生きていて、マイナスの中で得たものさえもプラスに変えていけるのですね。 今はじっくり自分を見つめて“今あるもの”を大切にしていこう。
今日は利用者さんのお宅から車椅子を押して散歩へ行きました。もう11月なのにお日様が出ると暖かくて、きれいなお花がたくさん咲いています。今日は紫色のお花をたくさん見つけました。仕事中ですので写真を撮ることは出来ませんでしたが、花は見ているだけでもやさしい気持ちになれます。 午後には書類を1つ作りました。今回は始めて作る書類ですが楽しいものでした。新しい事を覚えていくときにはいつも心が躍ります。ところでシュレッターというものをご存知ですか?書類などを細かく刻んで捨てる機械なのですが、今日は疲れた目を休めつつシュレッターにたまった紙くずを捨ててみました。ちぎれてフワフワになった紙切れが空中に舞って面白かったのです。ごみ捨てしながら遊んだ後で事務員の女性に「終わりました」とお伝えすると、女性は「ありがとう」と言って下さいました。私のほうが楽しませて頂いたのにお礼を言われて心がくすぐったくなりました。私が女性に「ありがとうだなんて、どうしましょ」とお伝えすると女性は「だって、溜まっていてもいつも捨ててもらえないから」と仰いました。それならば私にやらせていただきたいものです。 私は女性に「私、予約しとこ」と言って二人で笑いあいました。楽しいことは何度でもやってみたいのです。
夕方にはバッティングセンターへ行きました。今日は納得の行く素振りが出来ませんでした。おかしいですねぇ。先日はホームランを打ったのに・毎日素振りをしているのに・・・。と言っても私は今はもう、出来ない自分を責めません。いつもいつもそこから考えていけばいいのです。何があっても大丈夫。明日から新しい事を意識して自分を生きていくのです。
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