「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2005年10月31日(月) 私・空間

 「音の無い世界」をイメージしてみた事はありますか?

 中日ドラゴンズの石井投手は耳が聞こえないために補聴器を付けていらっしゃるそうですが、プレッシャーを抱え苦しんでいたある日、試合中に補聴器のスイッチを切り音の無い世界で球を投げ勝ち投手になられたのだそうです。 ところで「音の無い世界」 とはどのような感じでしょうか。私は今日仕事中に 「音の無い世界」 を作ろうとしてみましたが、残念ながら車を運転していては 「音を聞き分けること」 さえ出来ませんでした。けれどもそこで考えた。私は耳は聞こえるけれど 「私に必要な音だけを取り入れる・私の世界」 を作ることは出来るかな。早速会社へ帰ってからたくさんの職員が居る中で 「私の世界」 を意識してみました。すると・・・私はいつもよりも私を意識して、私の仕事により集中することが出来たのです。そして「私を意識する」という事は体感できたような気がしました。

 石井投手はインタビューの中で 「一番大切なのは自分を大切にすること。自分の心を持って生きることです」 と語っていらっしゃいました。素敵な言葉ですね。私は石井投手はご自分を見つめてこられたから自分を語る事が出来ているのだと思います。

 私の世界は 「自分の心を大切にする空間」 。もしかすると、私の世界は既に広がり始めているのかな。もっともっと広がっていくといいな。なんと名前を付けようかな。


2005年10月30日(日) 生きるということ

 今日はGobamcanの食事会。育成会にいらっしゃる方4人とお子様3人が遊びにいらしてくださいました。

 いろんなテーマの中で“自殺をどう捉えるか”というものがあり、私も自分の過去を思いました。
私は自分が自殺したいと思っていた頃、「死にたい自分を引き止めて欲しい」 とは思っていませんでした。今思えば「死にたい」 のは 「消えてしまいたいくらい苦しいから」 でしたし、「死にたいと思っている自分を誰かに伝えること」 すら出来ませんでした。
 けれども、私は今生きています。「生きるという選択」が出来た自分を大切にしています。何があっても「生きたいと思えた自分」を大切にしていれば「大丈夫」なのです。

死ななくてよかった。そっとでも小さくでもいい、自分で息をし続ける事が出来れば、きっと自分を生きられる。

「私は私を生きるね」


2005年10月29日(土) あたたかさ・ね。

 就職してから2ヶ月が過ぎました。ここで1つの “あたたかい決意” を書いておこうと思います。
 
 私はこれからも社会の固定観念や価値観から離れた視点に立ち、全ての利用者様に対して “私の心を大切にしながら” お手伝いをさせていただきます。

私はいつもどこにいても心に関することを語ります。いつもいつも私を基準に考えよう。ね。


2005年10月27日(木) ホームラ〜ン

 突然ですが、私はボールが大好きになりました。そして今は布団の中でボールを握って寝ています。こんなにボールと仲良くなれるとは思っていなかったので、まるで自分の事のように嬉しいのです。(笑)
 それから、今日は木曜ナイターの日だったのですが、ナイター前にバッティングセンターへ行きました。そしてなんと今日はホームランを打ちました。バッティングセンターでのホームランは2回目ですが、気持ちよかった〜。 こつこつの効力を実感した瞬間した。そして木曜ナイターは・・・おもしろかったぁ〜です。今日は試合に参加はしませんでしたが、グランドの隅で壁投げの練習が面白くてたまらなかったのです。頭の中でイメージして一球ずつ丁寧に取り組んでいると、いつの間にか体が覚えてくれるのです。ホントに嬉しくて楽しいですよ。


2005年10月26日(水) 客観視

 今日はMさんのお宅への訪問日。私は「Mさんの家に居る自分を見る事」と決めていました。Mさんは今日、これまでよりも更に日常の事に疲れていらっしゃるご様子で、いろいろな事を語って下さりながら涙をたくさん流しておられました。お話を聞く私はたいていは黙っていて、そして時々「そうですね」とお返事をさせていただきながらMさんの傍に居る私の“心を感じじる事”を意識していました。Mさんのお話の殆どは辛さを持っているのですが、私はお話に興味を持たせていただいたり「どのようにお答えすればいいのだろうか」と戸惑っていたり、時には「お聞きするのが辛い」と感じる事もありました。私の動きがMさんにとってどうであったのかは分かりませんが、私自身は「語らないこと・自分を見ること」を意識しようと出来る私でいた事をよかったなぁと思います。
 Mさんは今日も私にコーヒーを勧めて下さいました。私は訪問を始めた当初コーヒーをお勧め頂く度に「利用者様からの頂き物をしてはならない」という会社の規約を考えて躊躇していましたけれども、この頃は「一緒に飲も・・・」というMさんのお気持ちを断らせて頂く理由はどこにも無いのではないかと思うようになり、片付けの途中の小休止を楽しませていただくようにしています。そしていつもはMさんと向かい合って座らせて頂くのですが、今日は「語らないこと」をしているせいなのか、Mさんのお隣に座らせていただきたくなりましたので、いつもよりも“近い距離”でコーヒーを頂きました。
 2時間はあっという間に過ぎ、帰りの時間がやってきました。私たちはいつものように玄関を出ましたが、私は「最後まで私を見ること」を意識して自分の車に乗ろうとしました。そして車のノブに手をかけた時、Mさんは私の腕や背中をさすられて「Mamoちゃ〜ん又来てね」と伝えて下さいました。私は自分の腕に触れてニコニコしていらっしゃるMさんの姿が可愛らしくて、一緒になってニコニコしてしまいました。さらに車のミラーの中でこちらに向かって手を振っていらっしゃるMさんのお顔はこれまでで一番穏やかでやさしいように見受けられ、私も車の窓を開けて右手を振ってお別れしました。

 Mさんのお宅を出た後、私は「戸惑いを感じた自分はどうすればよかったのか」を考えていました。今はまだ「どうすればよかったのか」は分からないのですが、一週間前に訪問していた私が「私自身の事よりもMさんの動きを気にしていた私」であった事は確かだろうと思いました。そして今日の私はこれまでとは少し違う形でMさんのお宅に居たのではないかとも思えました。

会社の前の天白川にて青サギと白サギです。大きかった。

 ピンクのランタナ


2005年10月25日(火)

「風を感じた一日」

 つま先を地面にくっつけて勢いよく蹴ってみる。土を蹴った反動で体はビュンと前に出る。同時に感じるのは私を通り抜ける風。ちょうど船の先端が海水を割いて進むように、私の体は風を割いて進んでいく。ひゅーんと流れてくる風は私の胸に押されて分かれていく。私の体は風を切った分だけ前に進んでる。足は勝手に進んでいく。
まるで、風を切って走るカモシカみたい。最高に気持ちいい。

誰かが言った。「実はね、地球が体を押し上げてくれているんだよ」・・・そうかもね。だって、体が浮くんだもん。

私、地球となかよし。


2005年10月24日(月) Meeting・・・お礼に変えて

「お礼に変えて」

 昨日の Gobamcan の第一回目 Meeting から一日を経過した今、私にとって昨日の出来事は何にも変えられない大切な空間となりましたので、私はこれからも私を大切にしていくために、私の得た“二つの気付き”をここで語らせて頂くことにしました。

 始まりは Meeting 終了直後のことでした。私は心友Mちゃんから 「Mamoちゃんが近くなった」 と伝えられ、私もMちゃんに返事をしていましたが、私の心の中には 「私が近くなった」 とはどういうことなのだろう・「ある人が自分に近くなる」 とはどういうことなのだろうかという疑問が残りました。その後も私にはMちゃんの語った言葉の意味は分からないのですが、「ある人が自分に近くなる」 という言葉を持って私を見つめているうちに、私の中のどこかが緩やかに開くような気持ちがしてきたのです。その感覚は 「えっ?! これは何?!」 というようなもので、後から考えてみると 「これまで見えなかった自分を感じた瞬間」 のようにも思えます。そしてこれまで見えなかった私とはどんな私かと申しますと、「人を怖がり遠ざけている私」 なのです。私は 「今日まで人と関わる事を恐れていた私である」 という事実を今知ったのです。ちなみに、名古屋へ来てからの私は社会から離れ口を閉ざしていたのでもなく一人を好んでいたのでもありません。けれどもこの気付きは私の中に“事実”としてあるのです。そして考えれば考えるほど 「あー本当に私は自分を殺し生きていたのだ」 と思え、けれどもこの気付きは決して苦しい体験ではなく、「とても大切なことに気が付けた」という小さくて深い安堵感の中にあるのです。

 二つ目。Meeting の中で私は 「私はまだ人格が残っていて自分には判らない部分がある」 と語ったのですが、私が語った後F君は「僕はいつも Mamo ちゃんだと思ってみていますから・・・」というお返事を下さいました。「いつも Mamo ちゃんだと思って見ています」という言葉については、私という一人の人間に対してはおそらくどなた様も皆同じ考えをお持ちなのだと思いますし実際に別の心友からは何度もお聞きしていた言葉なのです。けれども昨日の私にとって、心友F君の言葉はもう一度お聞きしたいくらいの言葉となって私の心に届き、今日一日を通して反復する結果となったのです。

 そして私は、「私はいつも私なのだ」と。「私は今まで自分のどこを見てきたのだろうか」と。そして「あー私はこんなに自分から逃げていたのだ」と改めて気が付かされたのです。

 私は今、私を 「私という型に嵌めていた」 のは 「私」 だったのだと知りました。もう本当に、「私」 を解放してあげられる。又1つ楽になれる。これからもっと自分を開いていけばいい。
やっと・もっと 「等身大の私」 に・ 「心のままに生きる私」 になれるのです。

 今日まで自分を見つめてきて良かった。そしてこれからも・・・。


2005年10月23日(日) 新しいこと

 今日 Gobamcan で Meeting が開かれました。内容は “現在の私について” と Gobamcan の中の小さな戸惑いについてでした。その中で私は “私は自分の事に責任を取ります” と語らせていただきました。他者の前で自分が持っている思いを伝えられた事は、私の中で新たなプラスへと変わりました。私は今夜から又新しい階段を上ります。

 一人の私としてしっかりと自分を見て生きていこう。自分の人生に責任を取れるよう生きていこう。22:00


2005年10月20日(木) 興味

 今日は私メッセージを心掛けてみました。それが・・・意識している時には私メッセージを使おうとすることは出来るのですが、ついつい意識する事を忘れている私です。ところで私メッセージを使うときには自分の心を知っていると使いやすいのですね。子どもの語りと同じであるような気もしています。とするのなら「私はこれがこうなの。こっちはこうなの」と素直に自分の気持ちを語れたら、どんな自分も楽に“私メッセージ”として伝えていけるということになりますよね。明日は今日とは違う形で意識して行く事が出来そうです。

 ところで今日は面白いものを2つ見つけました。1つは今朝見たゴミ収集車の作業風景なのです。出勤途中にゴミ収集車の後ろを走っていたのですが、ごみが車の機械の中で潰されていく様子が面白いのです。大きくて平たい機械が車の中からニューッと飛び出てきて、そして私の上半身くらいの大きさのゴミがスローモーション映像となってプシャンと潰されていくのです。見ていて飽きないものでした。そして二つ目。午前中利用者さんのお手伝いで生まれて初めて床屋さんへ行ったのですが、床屋さんのかみそりさばきの凄いこと・・。人差し指と親指で軽く握ったかみそりでスーッとほほを撫でると、撫でた部分だけはつるつる滑らかに光っていくのです。余りにもきれいなのでついつい利用者さんの座る椅子に近寄って、床屋さんに「どうしたらそんな風にきれいになるの?!」と尋ねてしまいました。世の中には面白いものがたくさんありますね。


2005年10月17日(月) 安定

 本・『IC』のP277には安全な場面という言葉がありますが、私は安全な場面という言葉から“安全な場所”に付いて考えてみました。

 子どもの頃の私には安全な場所がありませんでしたから、心は引き裂かれてしまいました。では今は・たとえば職場はどうかな? 残念ながら職場の中はいつも公私混同されていますから、お弁当を食べている間にも仕事の話を持ち込まれてしまうのが現状です。そして、私は一時間の休憩の時間はいつも会社の外に出て、仕事から離れ自然の中で自分を見つめることをします。仕事から離れ自然の中で遊んだ後、心を新しくして午後の仕事を始めるのです。私はこの“1人の時間”が気に入っています。そして私は自分を大切にして動いている自分を見つめる時、もう一度、心の底からホッとする自分を感じるのです。とすると、私は今は安全な場所を自分で見つける事が出来ている、ということになるのです。

 この思いに達した時、私の心に小さな女の子が待っているのを見つけました。私は自分の心を見つめる事が出来る安定した私として生きる事が出来ていて、更には安定した私の能力を利用してチャイルドを癒やし続けていく事が出来ますね。

 いつもいつも、自分にやさしい私でね。


2005年10月16日(日) 私・世界へ

 今日は戸田川緑地公園で行われているベトナムの方達の誕生日パーティーに参加させていただきました。ベトナムの方達のパーティーなので、私の周りを飛び交う会話は全てベトナム語なのです。何を語っていらっしゃるのかが分かることは少ないのですが、皆さんの表情やジェスチャーを見ていると楽しくてたまりませんでした。途中皆さんでゲームをしていらしたので、私も参加させていただきました。15人ほどが輪になっている真ん中で一人の方が何やら長い説明をしているのですが、私には語っている内容がわかりません。私は何が始まるのだろうかとワクワクしながら皆さんの動きに合わせてみたり私の予想の世界で動いてみたり。私の予想が違っていた時には1人でこっそり笑えました。そして笑っている私を見て一緒に笑い出す方もいらっしゃいました。私達は言葉の分からないことがあっても共に楽しむ心を持っているならどこででもいつまででも遊んでいられるのですね。そしてベトナム人の方に囲まれている中で、私の頭は2年後ベトナムに居るであろう自分へと膨らみました。此処に居るどなたかと、ベトナムで出会う事があるのかな? 私は今よりどれだけのベトナム語を語る事ができているかな? そして何よりも2年後の私は“どんな私”であるのかな?・・今日という日、私はこの方達の中に居て自分を大切にしようとしているのだから、2年後の私は今よりも更に“私を大切にする私”としてそこに居るに違いない。そんな思いを持ちながら楽しんで過ごした一日でした。

 さて、明日は月曜日ですね。何故かな、随分久しぶりに仕事へ出かけるような気がしています。もしかすると、私は曜日の感覚を忘れるくらいに二日間の休日を楽しんでいたということなのかもしれません。とするのならおそらくそれは“私が私として生きた”ということなのではないでしょうか。そして私は明日からも“私として”仕事へ出かけていくのです。


2005年10月13日(木) 人生ボール

 今日はお客様がありました。遊びに来てくださったのは以前勤めていた職場の患者さんでいらした12歳の女の子とお母さんの親子さんです。女性はお弁当を持っていらして皆で食事をしながらお話しました。女の子は、今は学校に行っていません。女性は社会の固定観念の中で苦しんでいらっしゃいました。私は私が見てきたマイナスの社会に付いて語らせていただきました。女性は私の言葉に納得されたり不思議そうな表情をされたり。隣に座る女の子は私とお母さんの女性と見て頷いたり笑ったり…。食事の後私達は部屋でウォーキングの練習をして遊びました。途中からはお相撲になったりストレッチになったり、三人で転げて遊んだ後女性は「本当はこれでいいんだよね」と呟いていらっしゃいました。ほんとうに、“これがいい”のです。ね。



 夜は木曜ナイター。今日はピッチャー前ゴロ。
本日は私自身がボールになった気分です。チームが守りに入るときにはグローブを選手へ手渡します。ファールボールは走って取りにいきます。それからそれから、攻守交代の際のボールバックのボールをベンチで待っていてキャッチすることの面白いこと・・・・。そして、試合の最中には試合を横目に見ながら壁投げの練習なのですよ。さて、私のボールを受け取る格好は上達したか・・・。まだまだへっぴり腰なのですョ。
そして、“これから”なのですョ。

私は自分の人生のボールを自分で握っているのです。


2005年10月12日(水) 真実

 今日は水曜日恒例の女性のお宅へ伺いました。女性は今日、私にご自分が飲んでいらっしゃる薬の処方箋を見せて下さいました。白い紙に書かれた文字を見た私・すぐには語れる言葉が見つかりませんでした。女性は紙を見つめたまま黙っている私を見て「どうしたの?」と尋ねて下さいました。私は、私の大きな戸惑いに女性を巻き込まずに済む方法を探しつつ「今私の頭を整理しているからもう少しだけ待っていて下さいね」と伝えさせて頂きました。しばらく後、私は女性に「本当は言葉が無いのです。私に1つ謝らせてください。私は看護士をしていたのはご存知だと思います。医療の世界を知っている私としてあなたにこんなにたくさんの薬を飲ませてしまった事を・ほんとうにごめんなさいね」と伝えさせていただきました。私には、私が謝罪することに意味があるのかどうかは分からないのです。けれども私は膨大な量の薬を18年間も飲まされてきた女性に対して、医療の社会を知っている者として本当に謝罪しなくては申し訳ないような気持ちがしたのです。
帰りの車を運転する私「間違った社会」と「固定観念」という言葉が浮かんでいました。社会には間違いがたくさんあるのです。そして私は間違いを間違いだと語れる「心」を持って生きていくのです。


2005年10月11日(火) 取り組むと癒える

 今日の私には「ある取り組み」が待っていました。それは何か・・。実は数日前私と職場の1人の先輩との間で1つのミスをテーマに語り合ったのですが、私はその会話の中で大きな戸惑いを持ちました。そして今日の取り組みとは、上司との会話の中で自分に残った戸惑いを手紙にして上司に伝えさせていただくというものでした。 
上司は手紙を読んだ後にご自分にあるいくつかの事情を語りながら私には謝罪の言葉を下さいました。私にもいくつかの思いはありましたが、私に出来るのは私をお伝えすることのみなのでした。私は上司のお話を聞き終えたあと、私の戸惑いに耳を傾けてくださった事に「ありがとうございました」と言いました。
 「自分の事を伝えていく」という取り組みを職場で手紙として練習することも出来るのですね。そして私自身はまだまだ社会に巻き込まれていた私に気付くことができたのですよね。
午後、ヘルパーの女性と行動をともにしました。女性は私に「Mamoさんは自分を持っているから羨ましい」と仰いました。私は心の中で「私はそんなふうに見えるんだなぁ」と思い、女性には「言えると癒えるというギャグがありますよ」とお伝えしました。女性は笑って「でも何かを言ってしまう自分が嫌になることって無い?」と仰ったので私は「私はやっと、何かを言える自分が好きになりました」と答えました。ほんとうに「私は自分を伝えられるようになった分だけ軽い心で仕事が出来ている私」なのですよね。

 
 夕食前、バッティングセンターへ行きました。今日は久しぶりに快調でしたよ。理由は2つ考えられます。1つ目は「空腹状態」にあった事。2つ目は「自分を意識できていた」。どっちかな?おそらくどちらもありですよ。
 今日のバッティングの中で確信したことは「重心を右足のかかとに保っていられれば確実にボールを当てる事が出来る」ということでした。家に戻るとルームメイトが「どうだった?」と尋ねてくれましたので「重心を右足のかかとにおいておくと確実に打てる事が分かった」と伝えました。するとルームメイトは「…Mamoちゃん・・確か前にも同じ事を言っていたような気がするんだけど…」と。私は「んん?そういえばそうだったなぁ」と呟いて「ま、こんなものですよ」と答えました。仕方が無いですねぇ。何かが出来る自分も何かを忘れる自分も、全部私なのです。これからやれるよね。“言えると癒える”“癒えるとやれる”。これもありかなぁ??


2005年10月10日(月) ゆったり

 今日は祭日ですね。世間はお休みの方が多いようですが私は仕事をしてきましたよ。ところで今日の私は心のどこかで「昨日とはちょっと違う」ように思えていました。何が違っていたのかな・・。“心が静か”だったのかもしれません。どこにいてもいろんな事を思う私、そして「あれもよしこれもよし」の私なのです。

「静かな一日」。こんな感じもいいんじゃないかな。・・ゆったりのんびりいろんな事を静かに考えている今夜は時間の流れもゆったりです。

寒くなりましたね。私はいつも一番先に自分にお布団をかけてあげるのです。


2005年10月08日(土)

 今日は統合失調症の病名を付けられているSさんの精神科受診のお手伝いをしました。診察室の前には前回と変わらず多くの患者さんが待っていらして、私達の腰掛けている椅子の前のボードには「精神的疾患を抱える人々」へ向けられたセミナー勧誘のポスターがきれいに貼られてありました。私達が椅子に腰掛けるとお隣の席からお1人の女性の「私、働き始めたの」という言葉が聞こえ、続いて女性と同席されているらしい方の「よかったね」というお返事が私の耳に届きました。少し離れた場所には「今日から入院する」という青年が腰掛けていて、現在入院中らしい女性は「又あの部屋だよ。皆に言っとく」と冗談交じりに語りかけ、青年の返事を待たずにロビーを離れていきました。私にはぐるりと見回したその空間の全てが「間違っている」ように思えて仕方がありませんでした。頭には診察室の中に居るであろう医師の顔と先日鑑賞したヴィデオの中のセラピスト、そして過去に私に薬を処方し続けた医師の顔が順番に浮かび、医師・患者という世界に生じる力関係を思わずには居られませんでした。ほんとうに、私を含めた誰も皆、「自分で生きる力」を持っているはずなのに、そして此処に居て診察を待っていらっしゃる全ての方もSさんも、“生きる力”に変わりは無いなはずなのに。「私は今感じている世の中の間違いをもう少し大きな形で訴えていってもいいのではないのかな」・・・。

 私自身に付いては、過去に診察して頂いた医師の中に私の心を見ようとした医師は一人も居ませんでした。今思えば、医師が私に薬を処方し続けた事は当時の私が抱えていた混乱を長引かせる事に繋がっていたのではないかと思うのです。そして今、私の感じている「社会に対する違和感」は10年前に感じた事実が10年経った今もなお医療の世界で変わりなく続けられていることの結果ではないかと思えるのです。医師やセラピストが心を見る事のできない理由は私利私欲の為であるのなら、私は私達から“生きる力”を奪う事を止めて欲しいという事を強く訴える必要があるのではないかと思うのです。

そして今、私に何が出来るでしょうか。私はいつも自分を見つめて生きることが大切なのです。
心に湧いた思いを新たにして、自分の生き方を確認したような気持ちの夜でした。


2005年10月07日(金) 木曜ナイター

 昨晩木曜ナイターの野球へ行き、打席を2回頂く事ができました。一打席目はデッドボールです。「ボールが当たる!」と思った途端に体が固まってしまった私の左脇に当たりました。それでも当たる瞬間に体に力を入れたためか、打ち身にならずにすみました。そして二打席目はファーボールで塁に出る事ができました。私のホームインは野球を始めて2回目・そして木曜ナイターでは初めての事ですから、これも嬉しいですね。そして次にはボールを打ってから、ホームインしたいものですね。
 一方守りのほうでは、今夜は「野球ショー」を見ているようでした。相手チームに打たれたボールの殆どはサードに向かって飛んでいき、サードの選手は飛んできたボールをバシッと捕ってすばやく一塁へ投げるのです。一塁に投げられる球は一直線に飛んでいき、一塁の選手も逃さずボールをキャッチします。「切れがいい」といはこのような事を言うのではないかと思いました。ほんとにほんとに「すっごいなぁ」と思いましたよ。
 そして今日は昨日のゲームを思い出しながら素振りをしました。今日は「右足のかかとに重心を置くこと」を意識して素振りをしました。上半身は下段払いを意識しました。私はいつも原点を忘れずに丁寧にやっていけば良いのです。

 夜、アメリカ旅行から帰国する心友を迎えに行きました。私は一ヶ月前にベトナムへ行きましたが、今夜再開した心友は今アメリカから戻ってきたばかりなのですから、かつて「遠い」と感じていた「外国」は、実際には私が思っているよりもうんと近いものだなぁと思えます。帰りには車の中で「心の話」をしました。私は自分に付いて語りながら、いつもいつもチャイルドを癒やし先を見て生きていこうと改めて決心しました。

 私自身はベトナム語を定期的に勉強してみることにしました。私はいつもいつも先を見て、自分を高めていくのです。
「切れよく生きよう」 Hẹn gâp lại!


2005年10月06日(木) アオイトトンボ

 今日は職場の責任者となっている人がお休みでしたので、入職一ヶ月目の私が先輩の代行をしました。私にも分からない事がたくさんあるのですが、
ポイントを絞って取り組んでいくと丁寧に解決していけるのですね。そして私は今日の動きの中で掴んだものを元にして成長していくのです。
 昼休み、カマキリのえさを探していつもの河川敷へ行きました。今日はバッタを二匹見つけましたよ。それからなんと「アオイトトンボ」が飛んできました。アオイトトンボを御存知ですか?顔をしっぽの部分が蛍光色のように光っています。きれいですねぇ。そしてこんなに小さくて細い体をしていますが、自然の中で生きているのですよねぇ。


アオイトトンボ彼岸花 やさしい色ですね。


2005年10月04日(火)

 昼休み、会社近くを流れる天白川の河川敷を散歩しました。目的は「家に居るカマキリのえさ・バッタを探す為」でした。残念ながらバッタは見つける事ができませんでしたが、ついに「私のお気に入りの場所」を見つけました。目の前には「登って欲しそうに立っている大きな木。そして木の下には小さくて可愛い花がたくさん咲いていて、どれも皆「芸術作品」に見えました。

 カマキリには私が捕まえたてんとう虫と、心友が捕まえて下さったバッタを与えてみました。カマキリはえさを見つけると一瞬のうちに長い足を延ばして捕まえててんとう虫もバッタもむしゃむしゃと食べてしまったのです。大きくて怖い顔をしてるように見えるカマキリも一つ屋根の下で過ごしてみると愛着が湧くものですよ。どうやら餌があれば飼う事もできそうなので、しばらくカマキリと同居してみようかと思っています。さて・・どうなるでしょう。

何とも言えません・・。 お見合いしています。 木のブランコでした。


2005年10月02日(日)

 昨日育成会で「多重人格のヴィデオ」を鑑賞し皆様のご意見を聞かせていただき、後に「私の思い」を伝えさせていただきました。私は放映内容に関して感じた事を語らせていただいたことで、更に深い部分で自分を考え、自分の「取り組み」を見つめなおす事が出来ました。本当に、何が足りている事よりも何が整っていることよりも、「心」を感じていられる事が一番大切」なのです。


 「今思うこと」
私にはいろいろな「心」があります。
きれいな花を見たら「美しいな」と思い、面白い話には笑いがこぼれます。楽しい場所には「いつまでも居たい」と思い、嫌な気持ちがした時には「その場所を離れたい」と思います。そしていつも何かを感じて「動いている」・「生きている」のが「私」ではないかと思います。

 私にはいろいろな「動き」があります。
楽しみの延長でプラスが浮かぶ事があり、過去の悲しみに巻き込まれて気持ちが沈むこともあります。私に分かることは「確信」を持って動き、わからない事は「無知なまま」動いている。「確信していること」と「わからないこと」とどちらの面も持ち合わせているのが「私」ではないかと思います。

 「私」とは、「いろいろな心と動きを持ち」、そして「いつも成長途中である」のだろうと思います。そして私は、「私はいつも同じではないのだ」という事を今知ったのではないかと思います。

 「私」はたくさんの「好奇心」を使って自分自身を育ててつつ、「私が安定するよう」に生きていくのです。



 野球に出かけた公園で「蜂の子採り」を楽しんでいるおじさんに出会いました。写真の蜂は「地面に巣を作る」ので「地蜂」と言われているそうです。鶏肉に綿をつけて、綿つきの餌を蜂に持たせ、巣まで追いかけていくそうです。実に面白そう。自然と一体化したように遊んでいらっしゃるおじさんは優しい表情をされていました。
お肉のところへやってきました。悪い事をしなければ刺さないそうです。
綿が邪魔にならないよう、後ろに廻そうとしています。

庭へやってきたクロアゲハチョウ。


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