「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2005年12月30日(金) |
野球の練習に参加しよう |
戸笠グランドへ行ったら中学生の野球チームが練習をしていて、公園で一緒になったAちゃんと2人で見ていたら「一緒にどうぞ」と言って下さったので、参加させていただきました。
まずは柔軟体操。2人1組で腹筋背筋をしていきます。私は昨日は背筋が出来なかったのに今日は30回も続けて出来ましたよ。それから2本指で拳たてをやってみたら、休まず10回出来ました。思ったよりも楽だったので自分でも驚きましたが、周りのチームメイトさんが「すげぇ」と言っているのが聞こえてきたので、一人で照れてしまいました。それから輪になって肩回しなどをそれぞれ100回。最初は勢いよくやっていたのですが、100回って長いです。私の場合は続けてやっていると本番の前に疲れてしまうと思ったので、途中で少し休憩したりして皆さんが終わるのを待っていました。
柔軟が終わったらいよいよバットとボールとグローブを持って練習開始。 コーチがグランドの端から「集合!」と叫ぶと、皆が「うっす!」と言いながら走って行きました。皆さんが体を低くしてみなで走った後、スパイクで蹴られた茶色い土が勢いよく地面に上がっていて、かっこいいではありませんか。早速私も「うっす!」と言って走ってみました。
まもなく、グランドの中で三箇所に分かれて、筋肉強化のメニューに取り組む人・100本ノックを受ける人・100球ノックをする人(名前が分かりません・・・)に分かれました。私は今日は球を受けるフォームの練習をしたかったので、100本ノックを受けている方のところへ参加させていただきました。これが、凄いですよ。右と左に飛んでくる球を100本キャッチできるまでやるのですが、皆さん途中からふらふらになるのですが、それでも球を追いかけ100球取れるまでやるのです。 ホントに凄い世界だと思いました。そして驚いたことに、皆さんは体がふらふらになってもフォームが崩れていないのです。これは、今の私としては感動です。「凄いなぁ。うまいなぁ」の連続でした。 私は一番後ろで球ひろい、私のところにも15球くらいは流れてきたので、皆さんと同じようになる事を意識して投げました。「野球をやっている」という感じがして嬉しかったですよ。 それに実際の練習に参加させていただくことは、テレビで野球を見るよりも何倍も楽しく学習できるものだと思いました。実は何処かのチームに飛び入り参加させていただくのは私の夢だったのです。 「今、自分がそこにいる」事が嬉しくてたまりませんでした。
「飛んでくる球は、球がバウンドするタイミングを良く見ていて、球の動きに合わせて体を動かしじょうずにキャッチしていました。そして球を取ったら胸に抱きかかえてそのまま投げ返す」を、忘れないようにしましょう。
ところでGobamcanにはHちゃんが遊びに来ていたので、午後はGobamcanの皆さんとHちゃんとスポーツの話をして過ごしました。こちらも運動を兼ねた話題が盛りだくさんの中でお腹を抱えて笑いました。午前中には運動をしてきたのに、午後には腹筋をたっぷり使って更に運動。心を大切にしながら自分を遊ばせてあげながら、さらに筋肉を作る事が出来ていくなんて、一石三鳥ではありませんか。 今日はホントに愉しかったなぁ・・・。ホントにホントに愉快な一日。 今日は早く布団に入って運動と笑いで使った筋肉を休ませて上げますよ。
おやすみマッチョマンMamo♪
2005年12月23日 公園にて
力強く動けている自分。 こんなに強くなってもいいのかな。 そういえば過去には優しいだけの人として生かされていたな。自分を持たされなかったんだな。
そして今も、強さと弱さの両面を持つ自分が居る。 人は一面ではないから、いろんな色の私が居ても極自然なことだろう。 でも時々、自分が、ある時は極端に強くてある時は極端に弱いように見えて、怖い。
よく考えてみると、どちらの私も過去に押し付けられた役割のひとつに過ぎないのだな。
私はどちらの私も取り入れたいよ。 そうだ。これからの自分に向けて、「積極的に繊細に」という言葉を作ろう。 自分の人生を積極的に繊細に・「より丁寧に」進んでいくのだ。 そうだ。そうしよう。
2005年12月24日(土) |
「短期集中型冬季キャンプ」 |
「短期集中冬季キャンプ」
夕方新しいバッティングセンターへ行きました。球の速度は最低レベルで100キロでしたが、思ったよりも楽に打つ事が出来ました。それでも、私の目指しているフォームからは少し外れてしまうので、まだまだ練習していきましょう。 バッティングセンターから帰った後、F君と公園へ行き筋トレをしました。雪で二日間休んだ為に太ももが重くて思うように走る事が出来ませんでした。やはり、毎日少しずつでも続けることが大切なのですね。 ところで今日は“歩幅”を研究してみたのですが、私の歩幅は一メートルよりも小さいようなのです。走った時に少しでも先に進めるよう意識できると、その分早く走る事が出来るようなので、明日にも試してみようと思います。 実は私の目線は既に「来年3月のシーズン開幕」へ向かっています。ですから今日の筋トレは「短期集中冬季キャンプ」。毎日毎日一人でキャンプをして、3月の第一線に備えるのです。
筋トレの途中、F君は「一人で公園に来ているといろいろと考える事がある」と語りました。本当にその通り・私達は過去、一人で自分と向き合う時間を用意してもらえなかったのだと実感します。そして今は、自分で自分に時間を作ってあげながら、自分の可能性を引き出しているのです。
自分で自分を育てていく。いつも自分を一番大切にしてあげる。このところのお気に入りの言葉を全身に感じて、疲れた体を布団に休ませてあげますよ。
自分を大切にしようとする人々が集まれば、心友の世界は広がる。 心友の世界の中に、確かな私の世界がある。 そしてこれから、私は自分をどうするだろう。 私はこれまでと同じように、私を大切にして自分を育ててあげればいい。 今は此処に人が人として育っていく事の出来る環境があり、自分を見つめ自ら育っていこうとされる方々が居て、共に育ちあうことが出来る。
私は安定した環境の中でいつも新しい事をしていく。これからも楽の大小の中で、自分育てを楽しもう。 ずっと昔、心の傷を癒やす作業を「人体実験」だと語った事がありますが、私が生きていくときには心が一番大切なのだから、「人心」という言葉を使うほうがいいかなと考えています。さらに「実験」という言葉をはずして更にやわらかくして・・・。やはり自分育てになるのかな。
「“自分育て”はエンドレス」 今のところは、これでいいかな。
雪だるまの赤ちゃん 入り口はこちら〜
突然ですが、一年前の絵です。雪だるまと似ていたので、載せたくなりました
2005年12月19日(月) |
タイヤチェーンを取り付けてみよう |
58年ぶりの大雪で、自宅天白の庭も20センチくらいの積雪です。 そして、雪道といえば、「テェーン走行」! 私は今日、39年間の人生で初めての試み、「タイヤにチェーンを巻きました」。以下は作業の様子兼チェーンの取り付け方講座です。
作業を楽に進めるために、防寒具で体を包み軍手を嵌めておきましょう。 車のトランクにあるスペアタイヤをはずして、下からジャッキを取り出します。スペアタイヤを止めているネジがさびていて回らない時はクレ555をスプレーしてみます。しばらくするとネジは外れてくれるので、タイヤをはずしてシートをはがすと、ジャッキとご対面できます。 いよいよ、車体と一緒に作業開始です。 車体の前輪付近にジャッキを嵌めて付属の棒をくるくる廻します。廻すのには小さなコツがいりますが、何度か練習するとコツを説明できるようになります。うまく廻す事が出来ると大きくて重たい車がみるみる浮いて上がっていきます。重たい車が上がっていく様子は面白いのでゆっくり観察していましょう。 車体が上がったらジャッキをつけたままにしておきます。次にチェーンを地面に広げて、ねじれが無い事を確認します。チェーンがねじれなく繋がっている事を確認したらタイヤの上側からかぶせます。説明書には下から包むのと書かれていますが、チェーンは重たいので、女性は体を痛めないように注意しましょう。下から巻き上げる事が出来ない時は上からかぶせて下の方で止めてもいいです。 取り付けたチェーンの先端同士を留める時、タイヤの内側は見えませんから少し技がいります。ちなみにチェーンを止める時には内側から止めるといいのだそうですが、良案を作業の後で聞いたときには次回のお楽しみにしましょう。 チェーンの先端どうしを止められたら、余った鎖の端がうるさくないように針金で留めます。こちらも腕を内側に突っ込んで手探りになりますが、最初に内側を留めておくと外側は楽に留められるようです。 針金を留め終わった後にタイヤと軍手がくっついている時は、チェーンと自分の軍手を一緒に留めてしまったせいなので、慌てずにゆっくりと軍手をはずしてから、もう一度留めなおしましょう。一人で遊んでいる時にも楽しいアクシデントはつき物ですから、心行くまで笑いましょう。 余りのチェーンを針金で留められたら、今度はチェーンの外側にチェーン止めというのを付けます。チェーン止めは走行途中にチェーンが緩まないようにするものなので緩みが無いようにバランスよく留めましょう。 これで作業は終わりですが、作業時間はだいたい一時間半くらいです。 相棒となったジャッキは大切なのですぐにトランクにしまい、服や靴下が濡れていたら風邪を引くので取り替えましょう。 そしていよいよ車を車庫から出します。嬉しいドキドキは付き物ですが、人が通っていない事を確かめて、ブレーキを踏まずに済むようにゆっくりと車庫から車を出しましょう。 道路に出たら目的地を決めますが、まずはゆっくり試運転です。 でも・・・もしも雪が解けて道路が乾いていたら、チェーンのまま走るとタイヤが傷つくので、非常に残念には思いますが、雪道運転は次回のお楽しみにしましょう。
感想を一言。 道路でアクセルを踏んで、前に進んでみると車全体が耕運機で山道を登っているよりも激しく壊れて車が壊れてしまいそうでした。よくみると、一時間半の作業の間に太陽が照っていて、道路の雪はすっかり溶け道は乾いていた状態でした。ということで、何とか巻いたチェーンは、お試しに終わりましたが、これで私も雪が降っても慌てなくても良くなりました。 一人でチェーンを取り付けられるようになったので、ひし形のジャッキに愛着が湧いています。
「町で見かけた面白いもの特集」 これは何でしょう?雪の重みでネットが地面にくっついていますよ。 ラーメン屋さんの前にあった直径70センチくらいの大鍋です。 しずく突然ですが、五井山の近くに居たヤギです。
今日は自分の年表を書いてみました。私は親元を離れたのは高校の寮に入った15才の時ですが、高校3年間は金銭的な援助を受けていたので、両親と一緒に居たのは18年間となります。そして今は39才ですから、既に親と共に居た月日を越えています。さらに今は私を虐待する人はいませんから、これから先の人生はのんびりゆっくり自分を育てていくだけなのです。
いつも「のんびりゆっくり生きる事」が「私が自分に出来ること」。
追伸・・・明日から新しい場所へ仕事に行きますョ。明日の朝は今日の間に降り積もった雪で道路が凍っているはずだから、テクテク歩いて行くつもりでいます。いったい何が起こるかな?
育成会14回目 「死にたい」と言われる方が二人いると知らされました。 「死なない方がいい。生きたほうがいい」 死にたいという人に「生きたほうがいい」と言いたくなるのは、私自身のエゴかもしれません。 でも、人は何があっても死なないほうがいい。死ぬ事をほんの少し待てたら、待てた分だけ考えていけるから。
生きることの意味 私が生きている間は、私が生きているという事が、人がその人として生きるのを手伝う事に繋がるように、ごく自然に生きられればいい。 そして私に出来るのは、「自分を生きること」なのです。
午前中、戸笠公園へ行き壁投げをしたのですが、私の投げる球の殆どが目標とする場所に飛んで行きましたから、自分で驚いてしまいました。 一度投げては驚いて、もう一度投げて驚いて、7回くらい投げた頃ようやく、「そっか。思うところに投げられるんだ」と実感して。するともう少し遠くから投げてみたくなって、少しずつ少しずつ距離を延ばしていきましたが、自分の力以上に遠いと、球を壁まで届かせることにエネルギーを使うようなので、無理の無い位置まで戻って再開しました。 今日はポカポカ陽気で暖かい日。運動に飽きた後も、しばらくグランドで遊んでいました。仲間と遊ぶのも楽しいけれど、一人で遊ぶのも楽しいものです。
午後からは考え事をして私の時間を止めてしまいました。 でも、この時間は自分の「心のあり方」に付いて深く考える機会となりました。問題が生じた時も自分を丁寧に見ていれば自分の成長に繋がり、全てを成長のきっかけに出来るのですね。いつも現実の中で成長続けて、自分を楽しませていくのです。
夜になってから、自分を伝えるときに言葉を間違えて他者を責める形になってしまった出来事がありました。「人と語るときには語れる自分を持っている必要がある」事を実感します。やはり、小さく語る事を練習しますよ。
私は人との関わりを通して自分を見つめ、又1つ大きな自分になります。
2005/12/15の「新しい私の発見」 新しい私の発見場所は、戸笠公園のグランド。 壁の前で何回かフォームをシュミレーションしてみて、5回に1つ位の割合で実際に投げてみると、イメージしたところに球は飛んでいくのです。 何気なくやってみたことだったので、出来ている自分に小さな驚きを感じました。 ちなみに前回までは投げることより球拾いが多かったのに、「私の可能性」ってこんなところに隠れていたのです。 壁投げ以来、「可能性」という言葉が大好きになりました。野球ももっとじょうずになるのでしょう。歌も仕事もベトナム語も、生きるための仕事でさえも、私は私の行動しだいで、さらにいろんな自分を作っていけるのでしょう。
午後からベトナム人女性Hさんと会い、心の話をしました。 私はHさんに「今私は自分を伝える事を練習しています」と伝えようとしましたが、頭の中で整理が出来ていなかったので、Hさんには分かり辛かったようでした。 自分を伝える為には、自分を伝えられる確かな材料を持っていく必要があるのですね。 Hさんは「私は日本へ来てから“日本語で私を伝える方法”を学んだの」と仰いました。 私はずっと日本人ですが、これから「心で私を伝える方法」を練習していきます。こちらも「新しい私」の発掘です。面白そうです。
生きるって面白いな。
夕方、一人の女性がGobamcanを訪ねて来て下さいました。女性は30歳。私と同じく看護師さんの免許をお持ちです。心の傷を抱えているご自分を知っていらして、これまでのご自分の人生を語って下さいました。女性の話のいくつかは私の過去と深く重なって、私は自分の過去を思い出しました。今では懐かしさを通り越し未来がある自分を実感しました。いつも今の自分を見つめ、ありのままに心で生きていると、今の自分を見つめている仲間と語り合うことが出来ます。心のことを語り合うと、自然に心がやさしくなります。私はいつも自分を見つめて、自分を生かせるように生きていきます。私は今ここに生きていられることを嬉しく思っています。
午後から保育園の面接試験に出す小論文を書き始めてみました。 私は小論文を書くのは初めてなのですが、論文は私が書いているエッセイのようなものとは違って、決められた書き方があり、内容を的確に伝える為には自分の持っているカテゴリーの引き出しを広げてみることが大切だと聞きました。そしてインターネットにあるHPには「論文やレポートは、ひとつのテーマに対して説得力があること。書いたものが誰の目にも分かりやすく伝わりやすくあること」と書かれていました。 私はもともと文章を書くのが好きで、今は「どなたにも分かるやさしい言葉」を使おうとしていますから、私の原点とも重なりました。
いつもいつも、考える材料がたくさんある中で生きていられる事を嬉しく思います。本当に、自分を育てているみたいです。 今の私にどんなものが書けるかな?楽しみですよ。
今日はベトナム研修生達のお宅へ伺い、遊びながら日本語の勉強を手伝わせていただきました。 研修生さん達の日本語を学ぶ姿はとてもかわいいのです。単語を話す私の口元をじっと見つめて、同じようにまねて話し、口で言えたらノートに書いて、1つずつ覚えていくのです。そしてよく見ていると皆さんは1つの言葉をそれぞれのペースで考え理解しようとなさり、ご自分で理解できてから次の言葉を尋ねられるので、私は彼女達のそれぞれのペースを邪魔しないように待てる自分を楽しんでいました。少し上向き加減で考えている表情が、少しにっこりし、しばらくすると次の質問をして下さるので、考えている表情もにっこり笑う表情もかわいくてたまりませんでした。 時には私の順番が回ってきました。私はベトナム語の生徒です。私も皆さんの口元を見て同じように話してみます。今回は会話に出来る単語を勉強していたので、ベトナム人の皆さんに「Mamoさん、いいですねぇ」と言われて、子どもみたいに嬉しくなりました。伝えることも待つこともそしてベトナム語で話してみることも楽しくて、小さなワクワクの連続で、時間はあっという間に経ちました。
帰りは地下鉄で野並まで戻り野並からはバスに乗りました。私の乗ったバスの路線は最寄のバス停から遠いものだったので、一番近いところで降りてテクテク歩いて帰りました。夜道は風が冷たくて寒かった。でも、楽しい一日を思い出し、“ホクホクの心”で家に辿り着きました。
今日は午後からM夫妻とH君のお宅へ向かい、H君Mさん父子さんと一緒にバッティングセンターへ行きました。H君の大きな体で打った球は軽々と遠くへ飛んでいきました。私のバッティングはいつもと同じよう。腰を回転させられるといいのですが、毎日コツコツ練習します。 バッティングが終わってからM夫妻のお宅へお邪魔しました。Mさんと話をしている時、H君は家の中を歩いていて、私はH君の動きの邪魔にならないよう座ったままでしたが、私もH君の後ろを付いて歩いてみたくなりました。 いつか、Mさん家族と一緒に野球が出ればいいなと思います。 夕方ベトナム人Hさんとお会いしました。Hさんは研修生さん達に対する日本の企業の待遇の無さを語られ、「何でいつもこうなの?ベトナムの研修生達はかわいそうです」と仰いました。私はHさんのベトナム研修生と日本の企業とのやり取りをお聞きする度に、日本人として恥ずかしい気持ちになります。そして日本人の私は、他の国から日本へ働きに来られ心を痛めているHさんに語れる言葉は、今はほんの少しです。 でも、もしも私が会社を設立するとしたら、国や環境に関係なく心を大切にし皆で手伝いあい育ちあい、皆が心から安心して働いていけるようなやさしい環境を作ります。
夕方バッティングセンターへ行きました。今日は上半身を使わずに腰の回転だけで打つ練習をしてみました。こちらも初めての事ですから、「こんな感じでいい?!」という程度ですが、新しい事をするときにはいつでも心が躍ります。 バッティングの帰りに公園で、下半身の筋力UPを兼ねて相撲をしました。ピッチャーをやっていくのに必要な下半身を鍛えるためなのですが、わずか10分程度の時間で全身の疲労を感じました。 相撲って、全身を使って動くスポーツなのですね。
夜、自分の過去を振り返りました。「私は看護婦になったのは何故だろう」と考えると、そこに過去の傷付いた自分がたくさん居ましたが、20年前の私に「自分は何になりたいか」なんて考える状況も余裕もありませんでした。受け入れられるなら・あの場所から逃げられるなら何でもよかった。そして偶然目の前に姉と同じ仕事がぶら下がっていただけなのです。受け入れられるために自分を殺し、「役割を持たされてきた私」なのだなぁと心から思いました。
でもそれでも看護士という仕事は私が生きる為の大きな能力となっていました。そしてこれからもしも看護士に戻ったら、これまでとは違う視点で働いていけるでしょう。
今日はパラグライダーが出来る場所を下見する為に五井山という山へ行きました。五井山は愛知県蒲郡市にあり、蒲郡では一番高い山で標高は454.2mです。 狭い道を車で登って山頂に到着するとパラグライダーが飛び立てるようにスタンドが設置されていました。冬はパラの季節では無いそうで、飛んでいる人はいらっしゃいませんでしたが、見下ろした三河湾や五井の町は太陽の光を受けてダイアモンドのように輝いていました。景色の素晴らしさを写真に収めたのに誤作動で全て消してしまいました。ダイアモンドを消してしまったのは残念ですが、いつの日かきっと五井山を訪れる事があるでしょう。 「独り言」私も早く空を飛んでみたいなぁー。
就職活動2日目。 マチコミチラシとインターネットの中から見つけた先へ、明後日面接に行く事にしました。
午後から自転車に乗って小さな一人旅。耳にベトナム語のテープを聞きながらのんびり走って一時間で昭和区にある吹上球場まで行き着きました。球場ではどこかの野球部の学生さん方が練習をしていて、「グローブを積んでいれば仲間に入れていただくことが出来たかもしれない」と思うと、ちょっぴり残念でした。 ゆっくりのんびり走ってきたせいか体の疲れはありませんでしたが、何事も少しずつ・それに帰りの体力も必要ですから、次回を楽しみにして天白区へ引き上げてきました。家の近くの島田橋付近からは力を込めてペダルをこいで、短い距離で休憩を入れながら帰ってきました。最後まで慎重にそして自分の体と相談しながら走ると続けられるようです。 道中ベトナム語のテープを聞いていたので、人ごみの中でも思わずベトナム語が飛び出していました。でも、公共の場所で「人に見られてる」と怯えていた私はうんと小さくなりました。日本の道路でベトナム語を口ずさんでいる自分、「心を見つめてきてよかったなぁ」と改めて思いました。 ちなみに天白の家から吹上球場までは15・4キロでしたから、「私は1時間で15キロ」走ることができ、今日は「往復で30キロ走った」ということになります。
夕方にはくるみ割をしました。インターネットの情報からですが、くるみを割る前に電子レンジやオーブンで温めると殻が割りやすくなりました。簡単に割れる上に大きな塊のまま取り出すことが出来るので面白くて、あっという間にお茶碗がいっぱいになりました。明日はバナナとくるみのホットケーキを作る予定なのです。
夜、暖かいお風呂に浸かりながら今日の動きを思い返しました。 小さな事でも自分のやりたい事が出来ると心は満たされていくのですね。満たされた心で次の事をすると更に心は満ち足りていくのですね。私は仕事や評価の世界ではなくても自分を楽しませることが出来るのですね。今日はこんな素敵な事を発見できたから、もう一度看護婦に戻ったら、これまでよりも更に自分を楽しんで働けるかもしれません。明後日の面接は楽しみです。
午前中、派遣会社から紹介して頂いた施設へ面接に行ってきました。場所は民家を借り切って経営しているデイサービス。大きな施設と違って落ち着いた雰囲気があり、通所されている利用者さんはどなたものんびりとご自分の事をされていて「自分を持って働いていけそうだ」と感じました。ところが、一通り話を聞かせていただいた後に派遣会社の方に正社員としての条件を尋ねてみると、給料や雇用体系をはっきりと提示して頂けませんでした。よく考えてみると派遣会社というのは「人材を派遣する会社」ですから、「ある場所に安定していたい私」の意図とはズレているのかもしれません。 でも、就職先を探している私の知りたい事が分からないのでは「此処に決めよう」と思う事が出来ませんから、明日は更に新しいところを探して選択肢を増やしていくつもりです。
午後はバッティングセンターへ行きましたが、なんと1ゲーム目で前回よりも手ごたえを感じたので、いいイメージを持ってそのまま帰ってきました。明日も練習して更にステップアップしますよ。
夕方ベトナム語教室へ行きました。今回は練習する時間が少なかったので前回の復習をしたのですが、ベトナム語は声調を使った言葉がたくさんあるので言葉に抑揚を付けて話す事を意識するといいようです。ところでベトナム人女性Hさんは今では私の大切な心友のお一人です。私はベトナム語と日本語を混ぜて、私の心を語ります。この頃は行く先々に出会いがあり、私の心を語る空間が増えていくので嬉しいです。今日も一日楽しくて嬉しかったなぁ。
平日の休日。 今の優先順位は「就職活動」です。私は訪問看護をやりたいのですが、法律上、准看護士では出来ません。「やりたい気持ち」があっても出来ないものは仕方が無いので、私の出来る範囲で動くことにして、明日は面接へ出かけてみる事にしました。 お昼前、筋トレを兼ねて自転車で散歩してみたのですが、驚いたことに一年ぶりに乗る自転車で以前よりも楽に坂道を登っていけるのです。今私がしている事は「毎日少しの運動」なのに、本当に知らない間に筋力が付いてきているようなのです。 しばらく走ってから戸笠公園へ行き壁投げの練習をしました。ピッチャーマウンドからバッターボックスまでは18・44メートル。私の足で普通に歩いてみると26歩です。形つくりを大切にするために、歩いた分の3分の1の距離まで長さを縮めて、フォームを意識して投げました。 バットを振る時には腰を使いますが、球を投げる時も下半身を使えるようになればきれいな形を作れるようです。今は思うところへ投げられませんが、でも大丈夫。ゆっくり丁寧に動いていればいつかきっと出来ると思います。 午後はパソコンを広げて「ブログ」のページを作ってみました。ブログとは、自分で書いた文章や写真などを簡単な操作で掲載できるウェブサイトのことです。私はブログの知識を持っていませんが、急ぐ必要は無いですからのんびり遊びながら自分にあったページを作れるといいなと思っています。 夕方にはF君と一緒に天白公園へ行き、私は素振りをしました。素振りも新しいステップを始めたばかりですが、やれない自分に笑えたり腕を組んで「こうすればいいかな」と考えたり・・・。面白い時間でした。
仕事探しも楽しくて運動するのも楽しくて。 何があっても楽しい環境を自分に作り続けよう。
2005年12月03日(土) |
死ぬこと・生きること |
育成会13回目のテーマは「死」。 私は2004年12月4日私は今日と同じ場所で「自分にあった死」を語らせて頂いたのですが、一年を経過した今、私は「自分を主体にして生きること」を意識し、毎日たくさんの気付きの中で「現実を生きている自分」を実感しています。
「死は始まり」 生きることは楽しい。この楽しみの延長が私の人生で、やがて私は死んでいきます。私の死は「別の命の始まり」です。私という一人の命はなくなるけれど、灰となった私は宇宙の一部として新しく始まるのです。灰となった状態がどんなものかは地球上の誰にもわからないのですが、重複しますが「いずれ死んでいく事」だけは約束されています。私はどのように生きてもいつかは死んでいくのだから自分を大切にし、より楽に長く生きられるように生きていこう。
虐待・結婚・子どもの事・離婚の事。たくさんの事がありましたが全て私の人生にあったこと。そして私はこれからも、過去の続きで今を生きる私として「自分の人生」を歩き続けるのです。
午前中に3ヶ月間働いた職場へ退職願を出してきました。 すっかり通い慣れた道を通っていると、まるで今出勤しているような気持ちになりました。車を降りて事務所へ入ると、今利用者さんのお宅から帰ってきたと言えるような気持ちにもなりました。仕事を通して関わらせていただいた利用者さんの顔が浮かび、もう一度この場所で働く事があるとしたら利用者さんとの数々のあたたかさを再び感じる事が出来るのだとも思いました。さらに私は書類に負われた事務所の中でもこれまでにないほどにたくさんの事を学ぶ事が出来ていたのだと実感しました。 そして私は退職届を提出し自分の居た場所を後にして、今日から又新しい私へ向かうのです。
午後からは、就職先を探してみたり、胡桃を割って遊んでみたり・・・訪問介護は面白いと分かったから今度は訪問看護をしてみようかなとか、それとも病院に戻ろうかなとか、大切なものは何かを吟味しながら、次の動きを考えています。
予定の無いのもいいですねぇ。
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