「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2005年09月29日(木)

 木曜ナイターの野球へ行ってきました。今日は他の皆さんが球を投げている様子に感心してばかりでした。まっすぐに切れ味良く、そしてなんと遠くまで飛ぶことか。空中を飛ぶ球を見て居る私の心は、「私もあんなふうにきれいな球を投げれるようになりたい!」という言葉で埋め尽くされていました。試合を見ながら少しだけ壁投げをしました。球を投げる時、右利きの私は左足へ体重を乗せてから投げるのだそうです。そして壁投げの時には、球は下のほうに向けて投げ、投げたらすぐに受ける体制を作るのだそうです。
今夜又、私の中に眠っていた「新しい芽」がフツフツと湧いてきましたよ。
 本日ゲームに参加することはできませんでしたが、観戦しているだけでも楽しくてたまりませんでした。そして、日曜日の野球が楽しみですよ。

会社近くの公園に咲いている「きょうちくとう」


2005年09月28日(水)

 今日は小雨が降っていて、肌寒い朝でした。寒さに敏感な私はいつもより一枚余分に上着を持って歩きました。
 偶然にもこの数日間は「健康に生きること」に付いて考えているのです。40年後の私は80歳。80歳の私も今と同じように「自分の事を自分で出来る私」でいるつもりです。そしてその為に、39歳の今、運動を楽しむ時間を意識して作っているのです。
 午前中は水曜日恒例の女性宅へ訪問させていただきました。親戚の結婚式に出席されたという女性、今日はいつもよりもお疲れのようでした。けれど女性は私にコーヒーを勧めて下さいました。私は少し迷い考えましたが「今私とコーヒーを飲もうとしている女性の心を断る理由」が見つかりませんでしたので、女性の入れてくださったコーヒーを頂くことにしました。私は女性と向き合う形でテーブルに座らせて頂き、女性はご自分の事を語って下さいました。
 途中、私は女性に「Mamoちゃんは昔、田舎道で虫取り網を持って虫を追いかけている雰囲気がよく似合う。子どもの頃はそうだったんでしょ?」と尋ねられ「子どもの頃は」という女性の言葉を聞いて(面白い)と思いました。何故なら、私は39歳の今も網を片手に虫を追いかけているからです。私がその事をお伝えすると「ほんとにMamoちゃんって不思議な人」と呟いておられました。

 昼休みには素振りをしました。この頃は自分でも「バットを振り下ろす音」が分かるようになりました。そして更に、「あーでもないこーでもない」と独り言を言いながら、自分を研究しています。一年前はひょろひょろと生きていた私は、今は職場の中で「スポーツウーマン」と呼んで頂けるようなり、私自身はもっと力をつけようとしているのですから、「自分の変わっていく様子」を面白いなと思います。
人って、何処までも「変わっていける」ものなのですね。そして私の体の成長は私の「心の成長」に伴っているのですよね。だから、いつも「心」を意識していくのですよね。

 夜には再び多重人格のビデオを見ました。今夜で3回目ですが、見るたびに違う事を思います。画面の中にある「自分と同じ経験をしている女性」。女性の動きの殆どは「私の過去」と重なります。「随分苦しんでいたなぁ」と思ったり、「まだ苦しい部分があるよ」と思ったり、そして「先」を思える私です。

 何かをしようとする私に、「いつも心を持って」。私の心はいつも「変化してもいいもの」なら、私は変化し続ける自分の心を見つめていけばいいのです。いつもいつも、自分を一番大切に。


 「いつかひとりになれたなら」、私は「どんな私」なのでしょう

夜の公園で輝いていた「黄色い花」。名前が、分かりません・・・。


2005年09月26日(月)

 「複数である自分」を見つめる時、何度でも「自分の奥底」を見ている気がします。そして時に心が迷います。迷ったときには、まるで振り出しに戻った気分になるのです。そしてでも、「小さな確信」を持ち合わせていることも感じます。

 私は「人」だから、心はいつも変化します。私は「人」だから、「感情」もいつも変化します。そして感情に伴って「思考」もいつも変化します。これでいい。何があっても「同じように振舞える自分」をはずして、感じたままを認めていけば、「本当の私」が見えるはず。 今は何ができていて、何が「これから」なのかをはっきりと見る事が出来るはず。どんな場所で何をしていても、どこで何を語っていても、私の心が感じたものは私自身の問題なのだと捉えられ、私が私の中に起きたことを自分で整理していこうと思えた時、私は真に自分を見つめる事が出来るようになるはず。
 2004年11月6日の日記には、「自分育て」と書きました。自分で自分を癒やしていく事を「楽しい」と感じた日の日記でした。「人体実験」はまだ日が浅い。時間はいつも同じように流れていて、現実は私がどんな心でいてもやってきます。ゆっくりでいい。私の周囲がどのように変化しても、昨日よりも確かな「私」が居ることだけは予想できるからです。そしていつか私は「自分」をやさしく語れる日がやってくる。だから、これでいいのです。

 そして私は、もっと「自分を知りたい」のです。22:45


2005年09月24日(土) 美しさ

 午前中1人の男性のお宅へ伺い、ひげ剃りのお手伝いをさせていただきました。実は男性がご自分でひげをそられるのは約一年ぶりの事でした。男性はベッドに腰掛けて、やっとの思いで手鏡をお持ちになり、ゆっくりと丁寧にかみそりを当てていらっしゃいました。やがて男性のあごからひげが無くなり白い肌が見え始めると、男性はニコニコと笑い始め、瞳はパッと輝いたように見受けられました。私の頭に「生きる力」という言葉が浮かび、心があたたかくなるのを感じました。
 男性は髭剃りが終わると、私に「ありがとう」といって下さいましたが、私は男性に「私のほうこそ、私の提案を受け入れてくださってありがとうございました」と深くお礼を延べさせていただきました。本当に、仕事として関わっている中にも「私の人生を考える為の材料がたくさんある」のですね。人が自分として生きていく姿は「美しいなぁ」と思います。そして私は自分では分かりませんけれど、私が「私自身として生きている姿」も、きっと同じなのですよね。
 昼休みにはバッティングセンターへ行きました。練習の成果があってのことか、少しずつではありますが、自分の中で手ごたえを感じられるようになりました。嬉しいですね。

 「複数の人格」があって。 
 例えば「別の私」として生きていても、私がやってきたことは全て「私自身の能力」になりますね。とするのなら、私には実にたくさんの能力がある事になりますね。ですから私は、自分にある能力を元に「プラスの私」を成長させて生きていけばいいのです。


2005年09月23日(金) ふんわり

 朝、いつものように公園で素振りをしました。どうやらバットを振る時に、体の力の抜け具合に沿って「鞭をしならせるようにフル事が出来る」ようですね。「嬉しい発見」ができましたね。昼、職場の事務所にいても利用者様のお宅へ伺っていても、プラスの材料に囲まれて楽しく仕事をさせていただきました。今は多くは語らない私ですが「丁寧に取り組むこと」を意識をしてお手伝いをさせていただきました。夕方、もう一度素振りをしてみました。今度はバットを振り終わった後に重心が右のかかとにあるように意識してみました。かかとに重心を保てるのなら、体に無駄な動きを省く事が出来るように思えました。
 誰もいない公園で一振りしては首をひねり、二振りしては又ひねり、毎日毎日「小さな発見」の中で成長している自分を嬉しいなぁと思います。

私は「私」を育てていけばいい。ふんわり生きていけばいい。


2005年09月22日(木) 新たに。

休日
 昼間、心友の録画された「多重人格の録画テレビ」を拝見させて頂きました。内容は実にひどいものでしたが、映像の全ては「現在の私を見つめ考えるきっかけ」となりました。
 私は複数の人格を持っていても、「自分にある可能性を引き出そうとし続ける」のなら、何処までも「楽に生きる自分を作り上げていける」のだろうと思います。そしてこの思いは、2年間の積み重ねの結果として私の中にあるのです。これからは「複数である事をしっかりと見つめた私」として更に「私を成長させていく」のです。

 又1つ階段を登った気がしている私。もっともっと・過去を全て捨て去って。「なりたい自分になるために」
 どんな私になれるかな?


「素振り日記」
 今日私は、バットを振る時「鞭をしならせるように振りおろせる」というお話を聞きました。以前にも聞いたとは思うのですが、「しなやかさをイメージ」できていれば、より楽にバットを振ることが出来るように感じられました。そして今夜は素振りをした後、1人でバッティングセンターへ行きました。結果としては「できたなぁ」と思えたものは数えるほどでしたが、「出来た感覚」を体で感じて次の機会に生かします。
 昨日の素振りで思いついたのですが、かかとに重心をかけていられたら、体は楽に安定するのですね。一回の練習で「安定した時の感覚を感じらる回数が増えました」から、これから更に「安定していられるように」練習していく事がいいですね。


2005年09月21日(水) 複数の自分を語る意味

 私は「複数である自分」をもっと語っていこう。
自分が経験してきた事・自分の感じてきたさまざまな思いを社会へ伝えていこう。
私が、どなたにも分かっていただけるやさしい言葉で「複数の人格を持たされた自分」を語れるようになったとき、私は真に自分の心を癒やし「楽な自分」でいるという事になるのだろう。7:40


 仕事では、利用者Mちゃんのお宅へ伺いました。
Mちゃんは先週よりも少し明るい表情をしていらっしゃいました。「今週末には義理兄弟夫婦が来る」ということで、今日はリビングのお片づけを手伝わせていただきました。Mちゃんの言葉の中には、世間のマイナスにより傷付けられた心がたくさん詰まっていて、殆どは私の過去の思いと重なっているであろうと思えました。けれども今日の私は、辛さを感じることもなく、Mちゃんの事はMちゃんご自身の問題なのだと思えました。
 そして私自身は、この2日間「私って何だろう?」と考えていました。
過去には辛さの中で生き伸びてきました。名古屋へ着てからも「楽になる事だけを考えて」生きてきました。そしてこれからは「少しよく生きようとしている私」です。その「私」は今、「本当はどうなっているのか」を知りたかったのです。そして見えた自分・・。「私は今も複数の人格を持って生きている。プラスでいる事は出来るけれども “作った自分” はどこかで剥がれる」
 それならば、「私はこれからどんな風に生きればいいのかな」
私はこれからも「自分を見つめ心の傷を癒やして」いきます。そして自分の経験を語ることで多くの方々の基準になっている社会が “マイナス” なのだという事をはっきりと伝えていこうと思いました。22:00


2005年09月20日(火) 学ぶ心

 今私は「しっかりとした体」を作ろうとしています。「1人で生きていく」為には、「体が出来ている必要がある」のです。夜F君と空手の練習をして遊びました。F君は私よりも背が高くて力がありますから、振り下ろした腕からはビュンという音が聞こえてきました。凄いですね。私も練習していけば彼と同じように力が付いてくるのでしょう。

「素振り日記」
 「左手をまっすぐに出しグリップエンドをぶつける事」を意識して素振りをしました。毎日やっていてもなお、意識を忘れるとすぐに元の形に戻ってしまうようです。「新しい事を学ぶ時」には過去のやり方を全て降ろすことが前提となるのですね。そして「新しい方法を何度も練習していく事」が大切なのですよね。さらに「毎日ていねい」に取り組んでいれば「私の体にプラスがしっかりとしみこんでいくはずなのですよね。「過去のやり方がうまく行かなかったのだから、変えていくということ」は心の問題と同じなのですよね。


2005年09月19日(月) 新しい自分

 今日は職場にお願い事をしました。それは「一部の性的興味の強い方への訪問をお断りすること」でした。私は、現在介護ステーションの一職員です。介護を利用される方の中にはいろいろな方がいらっしゃいます。時には、私の心に受け付けられない方もいらっしゃるのです。もちろん「私を利用してくださる方がいる」から今の職場で働いていけるのですから、どなたのところに伺ってもたのしくそのために自分を抑制したり切り替えたり、楽しく働けるよう工夫が必要です。そして、私は心に無理をして働いていたらいつも自分を大切にしたいですし「辛いと感じた自分」を守りたいのです。
 というわけで私は職場の女性に「私は性的虐待のトラウマを抱えています。あの方のところに行くのは辛いのです。申し訳ないのですが、あの方をはずして頂きたいのです」と伝えました。女性は私の言葉を理解して下さり「いいですよ。じゃ入れかえておくね」とその場で伝えて下さいました。よかった…。私は一般の社会でも「辛さを持っている自分を伝える事ができた」のです。そして今日の語りをきっかけに、これからもっと「自分を守っていける」のです。
午前の訪問へ出かける前に「新しいこと」を学びました。それは「数字の計算」なのです。一枚の用紙に並べられた数字を「介護保険の決まり」に従って計算していくのです。私は始めちんぷんかんぷんでしたけれど、少し分かり始めるとあっという間に面白くなり、最後には横に並んだたくさんの数字に愛着が湧きました。


「素振り日記」
 今日は腰を入れて半回転させた後に、左手をまっすぐに出す事を意識してみました。ところが、「左手をまっすぐに出す」ということに関しては「できているかどうか」が分からないのです。けれどもまっすぐに出ている時には「ビュンという音が聞こえるよう」ですし、音が鳴ったときには「バットと体の一体感」を感じるような気がしますので、今のところは私の見方は当たっているかもしれません。ところで今は「手首用のウエイト」を探しています。770グラムのバットを楽に持てるようになりたいのです。今はまだ手ごろなものが見つかっていませんが、毎日素振りをしているうちに自然に付いてくるような気もしています。


2005年09月18日(日) Baseball 16 「私として」

 野球16試合目。
 今日私は「一週間の練習の成果を持って野球を楽しむため」にグランドへ向かいました。そして私にはもう1つ「確認したい事」がありました。私が確認したかったこととは、「私は私として野球を楽しんでいるのだろうか」という自分自身への問いでした。何故今、野球をしている私が「私自身である事」を確かめてみたいのでしょうか・・・。付け焼刃やメッキではない「確かな自分」を全身で感じておきたかったのです。そして今日、私は「私自身として」ゲームに参加してボールを当てることはできました。この一週間の自分の行動の結果でもありますから、自分でやってきたことの手ごたえを全身で感じる事ができました。今日の成績は1打席目は「ショートゴロ」、しかし一塁に到達するまでにアウトになりました。2打席目はとっても小さなサードゴロでした。そして打ってからの走り出しが遅れたので、一塁ベースに手首から突っ込んでしまいました。「打ったら走る」・「取ったら投げる」は野球の基本になるのですね。 あとで知ったのですが、サードゴロの時には「勉強不足の私の走り」が相手チームのエラーを誘ってしまい、おかげで私は塁に残る事ができたのだそうです。真相を知らずに喜んでいた私ですが、相手チームの方にはごめんなさいという気持ちがします。

 今日は野球用のかばんの中に「手首用の可愛いベージュ色のサポーター」が入っていました。買い物をしたのは昨日です。お店のレジでお金を払いながら、「明日の試合で私自身としてヒットを打つ。そしてヒットを打った自分へのプレゼントとして次の試合から使い始める」と考えていました。あくまでも「ヒットを打つこと」が前提となっていたのです。ところが今日の成績は「ヒット」ではありません。でも、いいのです。「私は“私”を確認できた」から、次の試合にはベージュのサポーターを巻きバッターボックスに立つのです。
 


2005年09月17日(土) 育成会・・「お礼」にかえて

 育成会。本日は前回に引き続いて、「複数の人格を持つ私が取り組んできたこと」に付いて語らせていただきました。
実は自宅で内容を纏めている段階で、「ほんとうにこの2年間、思いつく限りの事をやってきた自分だったのだなぁ」と実感していました。そして、これまでの私の行動の全ては「自分が辛かった」から・「楽になりたかった」からなのですが、今は「辛さを感じていた自分」を「過去の事」として語っていけるという事を嬉しく思っていました。
 会の中で「買い物が出来るようになった自分の嬉しさ」や「始めて電車に乗れたときの感激」を語らせていただいた時には、それほど遠くは無いけれど「懐かしい過去」のように思え、自分の心に「あたたかい気持ち」が溢れてくるのがわかりました。全ての語りを終えた直後には「私は今日の語りをきっかけにして更に、見えていない自分を発見できるのだろう」と想像できました。そして今日のように、「ご自分の心を見つめることをなさっている皆様」の前で「私」を語らせていただいたことは、私自身の「次のステップ」へと繋がったという事も実感させていただきました。ですから、私の語りに興味を持っていただいていた事にお礼を延べたい気持ちなのです。

「私の語りに心を傾けていただいて、ありがとうございました。私は皆様からの問いかけをきっかけに、より深みのある自分へと成長できる事を心から嬉しく思います。本当にありがとうございました。」

 会の中で頂いた御質問の中に、「私たちの回りに複数の人格を持った方は居るのでしょうか?」 という内容のものがありました。私は質問の答えとして「多くの人が複数の人格を持たされていると思います」とお伝えしましたが、例えば「私の事」は決して例外ではなくて「日常にある出来事」なのだと思っています。そして複数の人格を持たされていても、傷を癒やしていく事で「楽な自分」として「自分を楽しみながら生きていける」ことも確信しています。

 一日を終えて考えたのは「これからの私」に付いてなのです。今日という日、これまでよりも更に深い自分をお伝えする事が出来た私は、これからどうやって生きていくのでしょうか。私は今夜から再び「新たな発見」を「次のステップ」へと繋げていきます。これまでと同じようにチャイルドを癒やして、「楽な自分」として生き、「昨日よりも今日よりも、少しよく生きる明日」を意識していくのです。私が楽に生きていくために方法は「自分を見つめていくこと」なのだと、全身で感じている私です。

「素振り日記」
 今日は育成会の前に名城公園で素振りをしました。今日のテーマは「グリップエンド」と「腰の回転を意識する」ことでした。私はまずイシガキの一箇所にグリップエンドを当てるポイントを決めました。そしてバットを振る前に、イメージした位置にグリップエンドが当たる事を意識して、腰をうまく入れて回転させるようにしました。「グリップエンドを当てる為のポイントを決めること」は「自分の打ちたい球を決めること」に繋がるように思えました。そして腰を入れて半回転させられれば、左足が自然に前に出るのだと実感しました。やはり「腰の回転」が基本なのですね。
 次に「壁投げ」をしました。こちらも「球を当てるポイント」を決めて、右足に重心をかけたまま左足を出してとることを意識しました。こちらは自分では出来ているのかどうかが分かりません。けれどもおそらく、「やっていると見えてくる」のだろうと思います。さて、夕方になり「自分で取り組んだものを持って」バッティングセンターへ行きました。結果はどうだったでしょうか。腕が下がってしまったり右手で振ってしまったりと問題点はありましたが、「今朝取り組んできたこと」の確認を得る事が出来ました。今日からの目標は「思い切り振り切ること」・「バットが下がらないように意識する」・「左手だけで打つ事を意識する」です。「待ち」が出来るとなおいいのですね。毎日毎日こつこつと取り組みながら、そしてこの取り組みの成果を「試合の中で楽しんでいける」よう、「傷を癒やしていく私」なのです。


2005年09月15日(木) ベビーサイン

  私は今日、職場の同僚女性に「複数として生かされていた私のこと」を少しだけ語りました。女性は昨日昼休みにご自分の辛さを語って下さった同僚の女の子です。女性は私が持っていた複数の自分についての資料を見て「大変だったんだね」と言いました。
 「大変だった」…女性の言葉のとおりです。私は大変過ぎました。けれども今は楽な部分がうんと増えていて「自分を育てる楽しさ」も感じられる私です。
 女性はご自分の経験を交えて「自分を大切にしようとして生きて、社会に適応していけるのかな」と語りました。私は「ニートや引きこもりと呼ばれている方たちは“社会に適応できない”として、社会から傷つけられてきたように見えるよ」と語りました。語っている自分を眺めながら「私も親や社会から傷つけられてきたうちの1人なのだ」と痛感していました。そして「自分を一番大切に出来る私として生きていくことがいいと思っている」と付け加えました。
女性は私に何度か「でもMamoさんは凄く楽しそうなんだよねー」と言いました。私は「へへへ」と笑いながら「プラスの自分を伸ばしていけばいいのだなぁ」と改めて思いました。

 夜、ある方から「ベビーサイン」という言葉を聞きました。「小さくて言葉を話せない赤ちゃんとのコミニュケーションの方法」なのだそうです。お子様が指でサインを出し、お母様はお子様の要求や心を汲み取る事が出来、そしてお子様は要求にすぐに気が付いてもらえるので、「安心して待っていられる」のだそうです。凄いですね。さらにベビーサインは「言葉とは違うコミニュケーションの方法」のようですから、小さいお子様だけではなく、言葉を話す事が出来ない方とのコミニュケーション方法として活用することも出来るのではないかなと思いました。「手話」とは違うコミニュケーションのとりかた」という事になりますか? 私は実際にベビーサインを汲み取っていらっしゃる様子を拝見させていただきたいとも思いました。社会には興味深い話題がたくさんありますね。


2005年09月14日(水) 心の叫び

 今日は先週初めてお会いした女性の家へ伺いました。玄関を入ると女性はすぐに「今泣いてた。今日は妹の誕生日パーティーがあって、行きたくないのに・・。行かないのは変だと親戚が言うから・・」と語って下さいました。私は女性のお話を聞きながら「ひどい社会だなぁ」と思いました。
 家の中は前回と同じようにゴミが散乱していて、女性は「片付けられなくて…」と仰いました。私には「生き延びることで精一杯の女性の心」は十分理解できました。私は今日は、女性のことを苗字ではなく名前で呼ばせていただきました。すると女性は躊躇されることなく、私のこともMamoちゃんと呼んでくださるようになりました。呼び名の部分は小さなことなのですが、私は女性との距離の近さを感じて嬉しくなりました。
ところで、私は今日「女性との関わりの中でもっと小さく私を語ること」を練習しようと考えていました。その理由は、女性は私が話しかけるとご自分の全てを止めて振り向いて下さるのです。本当に必要なことは尋ねる必要があります。けれど私も過去、あってもなくてもいいことを話していた大人です。私は女性の動きを止めていると思うのです。それで、私は女性の「空気のような存在」になれればいいと思っているのです。自然に「私自身の判断で動けることを探して仕事をしました
女性ははじめ、私にピアノを弾いて下さったりCDをかけてくださったりしていましたが、ふと気が付くと、女性も、私と少し離れた場所でご自分のことをされていました。しばらく静かな空気が流れた後、女性は私に突然「あなたは消えてしまいそうだ」と仰いました。さらに「Mamoちゃんは、本当は私よりも傷ついているように見える。本当はどうなの?」と尋ねられました。私は一瞬ハッとしました。心の傷が刺激されたのです。
「消えてしまいそうな私・傷ついていた私」。過去のことを思うのなら、女性の見た「私」は正しいのです。そして今は、私は自分を大切にしようとして生きています。私は女性に「そんなふうに見えるのですねぇ」と返事をしました。それから「世の中の人は皆傷ついていると思います」と言いました。けれど、最後の言葉は目の前の女性に傷ついていた自分を知られまいとする私の心から出た言葉です。
 女性は「こんな私だから・病気の私だから」という言葉を何度もお使いになりました。私はその言葉を聞いている事が出来ませんでしたので「ごめんなさい。私にはあなたが病気だとは思えないのです」と言いました。すると女性は「もう慣れてるし、ひがんだりしないから大丈夫よ」と仰いました。それでも私は、私の中で女性を「病気」にしてしまうことが出来ませんでした。私はもう一度女性に「ほんとうにごめんなさい。そうではないのです。私の心が辛いのです」と言いました。女性はしばらく黙ってから「何か・・・Mamoちゃんって本当に不思議」と独り言のように呟いておられました。帰り際、私が玄関まで来ると、女性もいましていることを急いで終わらせようとするように動き始めました。誰も皆自分のことをしていいのですから、見送りはなくても大丈夫なのです。私はお約束の時間に来た。そして帰る。それだけのことなのです。私は、今度は女性に「私はここで女性とお別れしたいのです。次の機会を楽しみにしていても宜しいですか?」と伝えさせて頂きました。女性は「分かりました」と言って、私たちは部屋の中でお別れしました。車に乗った後、女性のお宅の方を見ると、女性は部屋のカーテンを開けて手を振っていました。その表情がニコニコ笑顔。私は嬉しくなったので、車の中から両手を挙げて手を振りました。次にお会いするのは一週間後の予定です。女性はどんな一週間をお過ごしになるのか想像すると、私はちょっぴり楽しみです。

 昼休みは同僚の女性と一緒にお弁当を食べました。ところが、女性は「ひどくしかられて、これからやっていけるのか分からない」と混乱していました。社会はいつも、私たちに出来るだけ早くできることを望みます。本当にひどい世の中だと改めて知らされました。女性に「自分を大切にしてもいいよ」と言うと「自分を大切にしていいなんて言ってもらったのは生まれて2回目。凄く嬉しかった。実はさっきから泣きそうになってた」と言いました。「泣きたいときには泣いてもいいからね。怒ってもいいからね」。女性は「そっか。そうだね。私は悲しいんだよね」と呟いておられました。ほんとうに、私も女性も誰も皆、自分を一番大切にすることがいいのです。

 素振り日記
 今日は左手だけでバットを触れるように意識してみました。3回に1回くらいは出来たと思えるのですが、残りの2回は不明です。それでも、以前よりはうんと楽にバットを握っていられます。そしてバットを振った時に重心が左に移ってしまいますからこの点を改善できると、ボールの伸びが違うのだろうなぁと思います。バットを振り切ったときに右手をかぶせるといいらしいのですが、その時には重心はかかとに来ますね。こちらはこれで良いのだと思います。まだまだ上半身に力が入っているのを感じます。腰が安定するように持っていけると良いのですが。


2005年09月13日(火) やってみてごらん。きっと、だいじょうぶ。

 夕方「バッティングセンター」へ行きました。
一番はしのボックスの緑色の網をくぐったら、いつもと同じように機械にコインを入れ、いつもと同じようにバッターボックスに立ちました。けれども、「私の心」は違ってた。「心のある、自分を見ている私」としてそこに立ち、そして球を打つたびに「小さな確信」を持ちました。私が「自分をしっかりと見つめ考えながらやってきた素振り」は、時間と回数に関わらず「体に染み込んでいた」のかもしれません。ということは、私は野球に関しても、これまでと同じように取り組んでけば、ますます「私育てが楽しくなる」ということになりますよね。
「私は自分のために野球をやっている」のです。うれしいですね。

 「一人で生きようとしている私」を「面白い」と思います。「安定した環境の中で自分を育てていくこと」は、実際には「子どもの頃」に自然に出来ていたことのはず。けれども今私は「私を育てている」のです。それがとても楽しくて、ふわふわととろける様に心地よいのです。体の力がすっと抜け、そこにふんわりと浮いているようでもあるのです。こんな時には、心の底から「嬉しい」と思います。もっともっと「私育て」を楽しんでみましょうね。

「何でもやってみてごらん。きっと大丈夫」・「きっと、だいじょうぶ」


2005年09月12日(月) 変化

仕事。
 今日、あるお宅で介護をされている奥様は、「歩行訓練の時に立ち止まって動かない時には、主人はおしっこをしているのです。よく考えると歩きながらおしっこをする人は居ないのですよね。こちらが無理に何かをやらせようとすると駄目なんです」と話してくださいました。私は奥様のお話に「なるほど」と思いながら「小さな赤ちゃん」の事を連想していました。
 私は過去、子どもたちの欲求に気が付くことが出来ませんでしたが、赤ちゃんや小さなお子様にも同じ事が言えるのですよね。そして今は小さなお子様と関わる機会はありませんが、いつも「心を持った私」として利用者様と関わらせて頂いています。楽しみの延長にはいつも何かの発見があるのです。

 夕方、郵便局へ行き「ベトナムでお友達になっていただいた方々」へ手紙を出しました。合計3つの郵便物は全部で460円でした。海を越えた遠い場所へ運んでいただくのに、随分安いものですね。私は外国へ手紙を出すのは初めての事なので、「今日出した手紙」がいつごろどのような形で彼女たちの元へ届くのかと思うと、心が躍りました。
郵便局の帰りには素振りをしました。この頃はテーマを決めて取り組んでいる私です。まだまだ「ベトナム前よりもバットが重い」と感じます。そしてバットを水平に持ってみると、その位置のまま長く保ち続ける事が出来ませんし、バットの先は私の手よりも下がっているように見えるのです。という事は、バットの重さに負けているということになるのでしょうか。そして今は「筋力を付けること」をやっているところでもありますから、「基本を思い浮かべながらていねいに素振りをしていくこと」がいいのではないかと思います。そして、「腰を回転させられるようになれば腕は自然に付いてくる」はずなのですから、「いくつかのテーマ」を持って取り組んでいればいいですよね。こんな思いが当たっているのかどうか、はっきりとは分かりませんが、「続けている事」から「いろんな発見がある」事だけは確かですよね。
 私はもっともっと「野球を楽しむ私」になれますよ。私はもっと「変わっていく」のです。楽しみ楽しみ・・・。


2005年09月10日(土) 声・心・声

 仕事。今日は施設の女性利用者さんと病院受診に行きました。行き先は精神科。女性は数十年前に「統合失調症(精神分裂病)」の病名を持たされて、今日まで「幻聴」があるとしてお薬を服用されているのです。病院へ到着すると、女性は私よりも先に歩かれて通いなれた院内を案内して下さいました。大きな建物の一番奥に作られた「精神科外来」のスペースは、現在の私にとっても特別な場所として映りました。奥の扉から順番に診察医師の名前のカードがさげられ、掲示板コーナーには「うつ」や「幻覚幻聴」に関するセミナーの案内が貼られ、廊下に並んだ椅子は診察待ちの患者さんが座っていました。
 「過去にはこの場所に自分も居た」。そう思うと何か不思議な気持ちになりました。苦しかったあの頃を思い浮かべても「苦しいとは感じていない自分」。そして今日の私は「現実の光景」を輪の外から眺めているような感覚さえしています。今はもう、苦しい固定観念の社会とは違うところで生きている私。これからもきっと「心を持って生きる自分を意識して、社会にあるものとは違うもので、自分を伝えていく」のだと思えました。
 一時間以上の待ち時間の中、女性はご自身の声のことを語ってくださいました。私は「あなたは聞こえてくる声さんとお話をされるのですか?」とお尋ねすると、女性は「ううん。私は知らん振りしてる。でもよく聞こえてくるよ」と答えて下さいました。私が「そうですか…。それもいいですね」と言うと、女性は「いいの?へぇー」と仰いました。私がもう一度「いいと思いますよ」とお伝えすると、女性は「喧嘩はしないけれど知らん振り。そう仲良くもなれんけど、いいの?」と仰いました。話の最後、女性は「声は男。太いよ」と言われ、私の中に何か大きな衝動が走りました。小さい体で背中を丸めて歩く女性の耳に聞こえる男性の声。私の回りの、こんなに近くに、私と同じ経験をしている人が居る。これが今の社会のあり方ではないか。そう思わずには居られませんでした。
帰り際「彼氏と仲良くするね!」と仰った女性。初めてお手伝いさせていただいた私の、半ばぶしつけな質問に躊躇せずに答えてくださった事を心から嬉しいと思いました。私は自分を大切にして、さらに自分にあるものを大切にして、いつも自分として生きていこうと強く思った出来事でした。


2005年09月09日(金) 先の事

 仕事。今日は一人で利用者様のお宅へ出かけました。就職して一週間、ようやく「仕事の流れ」がつかめてきたような気がしています。いつも慌てずゆっくりとやって行くことが大切ですから、時間に余裕を持って取り組むよう意識しています。明日は病院受診のお手伝いをする予定です。これまで病院で働いてきた私が今度は病院へ受診される方のお手伝いをしようとしているのですから、何だか面白いですね。
 仕事を終えた後、「選挙」へ行ってきました。二日早めの投票です。区役所にはたくさんの方が私と同じ目的で訪れていました。他の方も私も「政治に参加している」のだと思うと嬉しくて、自然に微笑がこぼれました。ワクワクしながら記入を終えて、最後は昨年と同じように「投票済証」を頂いて会場を後にしました。長四角の「投票済証」は2枚目ですよ。こんなことも嬉しいですね。
 選挙の帰りには素振りをしました。どうやらベトナム旅行で運動を止めていた間に筋力が落ちてしまったようなので、元の状態に近づけるよう取り組んでいるところです。次の日曜日には2試合連続で行われる予定です。何が起きるでしょうか。楽しみですね。


2005年09月08日(木) ナイター 

 仕事。同僚の女性と2人で利用者様のお宅へあいさつ回りに出かけました。女性は私と同じ日に就職した女の子です。一軒のお宅の玄関先に「ベトナムで見たものと同じ花」が咲いているのを見つけました。一緒に居た女性が「私この花大好きなんです。かわいい!」と言いました。私は嬉しくなって、「ベトナムにも同じ花が咲いていたよ」とお伝えしました。日本では「七変化」や「ランタナ」の名前で知られていて、ベトナムでも「ランタナ」という呼び名が一般的なようです。写真のものは「ベトナムのもの」で、色は黄色と赤・オレンジ色のみでしたが、今日見かけたものは薄い桃色をしていました。又1つ、私のお気に入りの花が増えました。
 夜「ナイターゲーム」へ行ってきました。今日はオーストラリアから帰ってきたばかりの男の子も一緒でした。私は今日、今夜のナイターの為に朝とお昼休みの二回「グリップエンドを意識して」素振りをしたのです。結果はどうだったか…。しっかりウォーミングアップをして「試合開始前の挨拶」にも参加しました。今日は打席を2回頂き2度目のバッターボックスでは「押し出しファーボール」で「打点1」となりました。私は打席が二回回ってきたことも、塁に出られて事も心の底から「うれしいなぁ」と思いました。やはり野球は面白いですね。こちらの球場でもヒットを打ってみたいです。その為にどうするか・・。もちろん「練習していく」のです。明日は今日よりも早起きして、今日よりも10分早めに家を出て、しっかりと素振りをしてから仕事へ出かけましょう。新しい職場の近くを散策して、素振りがしやすい公園を見つけましょう。楽しみ楽しみ…。
ホーチミン市 グエンフェ通りで見つけた「ランタム」と「ちょうちょ」。時間を忘れて「ちょうちょ」と遊んでいました。ちょうちょの模様がきれいです。


2005年09月07日(水) 間違った観念

 今日はある女性利用者さんのお宅へ行きました。「精神的ケアと家事の手伝い」をテーマに2時間お手伝いをさせていただく予定でした。女性は42歳、主婦業をお持ちです。それから「躁うつ病」の病名を持たされています。 
今はご主人様と二人暮しをされていますが家の中は足の踏み場も無いほどゴミで溢れていて、何処から手をつければいいのかが分からないような状況でした。女性は最初、私と目をあわせようとなさらず、切れることなくお話をされ、少しお座りになっても落ち着かない様子でした。私は女性が一呼吸置かれれるのを待ってから「これから女性のお手伝いをさせて下さい。でも私に何か不都合があったら伝えて下さると嬉しいです」とお伝えしました。そして女性にお断りして台所の片付けに取り掛かりました。女性は途中何度か私の傍へ来られ一緒に洗い物をしながらお話をして下さいました。
「躁うつ病」という診断を付けられたのは14歳の年。以降42歳の今日までお薬を飲み続け、途中で2度自殺しようとなさった」と仰いました。台所の角に並べられた30センチくらいの缶箱4つの中には精神科のお薬が隙間無く詰められていました。会話の間に何度もお茶を飲まれ「喉が乾いて仕方が無い」と仰いました。私は自分にもあった過去を思い出しながら「そうですよね」とお返事させていただきました。
 女性が繰り返し語られた言葉は女性自身の母親とパートナーに対する思いでした。「母は妹を大事にして私を嫌っている。私が怒ると親戚は私におかしいと言う。主人とは離婚したいのに…」。私は、もしも女性に、心が理解される環境があれば、女性は今違った形で人生を歩んでいるだろうと思いました。それから私に出来ることは何だろうと考えました。私は何をしたらいいのか分からないので、まず、その女性と関わる自分を見ようと思いました。
 女性は私に趣味と血液型を尋ねて下さいました。私は「趣味の一番は本読みです。親から否定されて心が傷ついていて辛いから、その傷を癒やす勉強をしています」と返事をしました。血液型に関しては「A型ですが、私は血液型を一切信じていないのです」とお答えしました。女性が「なぜ?」と尋ねて下さったので「私という人間をたった4つの型にはめ込んでしまったら、私がかわいそうだもの」と言いました。女性は「何か・・Mamoさんは面白い人ね」と言いました。私は私を肯定されたことをうれしく思いました。
 掃除をしていると女性が何度も「丁寧ね。私の母は掃除をしない人だったから」と言いました。私は「教わっていないことは分からないままですよね」と言いました。
私は女性と話をしている間、何度か(このことを伝えてもいいことなの?)と自分に問いました。
2時間が過ぎて外に出たとき、いくつかの疑問が湧いてきました。心を持って人と接するとは? 心を持って仕事をしていくとは? 決して楽には見えなかった彼女の様子に自分の過去が重なってフラッシュバックしていたと思います。今、「今を生きている」と思っている私は本当に今を生きているだろうかと自分を見直さずには居られませんでした。今日の会話が良かったのかどうか、今も分かりません。でも、出来た分が出来た分だと思います。
 一日を終えた今、私は「いつもそこにある“心”を感じられるよう「自分に一番やさしい自分」を意識していこうと気持ちを新たにしました。これからも女性と関わらせていただく事になるであろう「私」・いつも「私を一番大切にする自分」を意識することにします。


2005年09月06日(火) 美しく・やさしい生き方

 今日は休日。昼間はベトナムの女性と一緒に日本語の勉強をさせていただきました。私は日本人として「やさしい日本語を丁寧にお伝えすること」を勉強させていただきました。女性たちが始めて聞く言葉に対して「何だろう」と耳を傾けている姿はとても「やさしく」見受けられました。そして机の上のテキストを見ながら「考えている表情」を「美しい」とも思いました。
 私もいつも「よく考える人」でありたい。その為に「心を持って生きる人」として「自分に一番やさしい人」として「よりよく生きていく」のです。 これからは「思ったこと」を「吟味」して「語っていこう」と思います。その為に、「自分の思い」に気付ける自分」を意識していくのです。

 夕方ベトナム女性のHさんと車に乗りました。Hさんは私にベトナム語をレクチャーしてくださった女性です。私はHさんのやさしい声が大好きなのですが、話の中でその事をお伝えしました。するとHさんは「Mamoさんの声もやさしいですよ」といって下さいました。嬉しいなと思いつつ、これから更に「やさしく丁寧に語っていける」よう、「傷を癒やしていこう」と強く思いました。
 家に着くまでの1時間、私は助手席に座っているHさんとの「距離の近さ」を感じながら、「日本という国で外国の方とこんなに近くでゆったりと話していること」を嬉しいと思いました。「国境を越えた心友」は「生まれた場所が違う」、ただそれだけのことではないかと心から感じます。

美しく・やさしい心で自分を見つめよう。


2005年09月04日(日) 軽くやさしく生きよう

 今日はベトナム女性の方々のバーベキューパーティーに参加させていただきました。ベトナムの女性が16人、日本人女性は私一人です。まるでベトナムに居るみたい・・・。皆さんは「私がベトナムへ行ってきた事」を知っていますから、口々に「ベトナムはどうでしたか?」と尋ねて下さいました。私は現地での出来事を語りながら、その時の気持ちを思い出して再び心が温かくなりました。
 皆でお肉を食べた後、川へ入って魚取りに挑戦しました。魚の大きさは手の指サイズ。足元は海とは違ってすべりがあります。慎重に足を運びながら網で救っていくのです。収穫は全部で30匹くらいでしょうか。川で遊べたことも魚が取れたことも、嬉しいなと思いました。そして今日も一日、自分にやさしく生きられたことを嬉しいなと思います。私はこれからもっともっと「軽くやさしく」なるのです。


2005年09月03日(土) ありのままの私

 育成会。
午後、資料「複数人格の私」 を元に、「私自身の心」を語らせて頂きました。今回は、これまでまとまりを持たなかった部分に取り組み纏めていく中で「いろんな自分に気が付かされました。例えば、「こんな自分だったんだ」「私ってこんな風になっていたんだ」・そして、「私自身が知らない部分はたくさんあるんだね」と。これらの気付きの全てが「次のステップ」になるのですよね。「自分を語ること」って面白いですね。

 今夜、私の心がいつもよりも軽いと感じられるのは 「ありのままの私」 を語る事が出来たから、かもしれません。
「“人格の事”を語る事が出来た自分」・・・よかったね。
「性の傷を持った私を語ることが出来た自分」・・・よかったね。
又1つ、私の中から重たいものがストンと落ちていきました。


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