「生きていくのに大切なこと」こころの日記
DiaryINDEX|past|will
昨日「ベトナム」から帰国しました。最初の予定から延泊して過ごした8日間の中で、実に多くの事を学ばせて頂きました。「嬉しかった」・「楽しかった」・その一つ一つの出来事を、そしてもっと深い部分で考えた 『生きるということ』 を、いずれここに書き残しておきたいと思っているのですが、今は 「育成会の中で自分を語る準備」 を優先しています。「自分の過去の傷」を知り、「今を生き」、そして「自分の未来を想定できる私」として、次の「新しい世界」に飛び込んでいる・・ということでいいのでしょうか。
昨日夜にはバッテイングセンターへ行きました。10日以上素振りをお休みしていて、そして 「ベトナムの楽しさ」 と 「また行きたいなぁ」 を持ったままの自分でした。さて、どうなったでしょうか。結果は 「ノータッチ」 です。3ゲームの中でバットにボールを当てられたのは10本程度だったと思います。「原点」 を忘れると元にもどってしまうのですね。「心の事」 と同じですね。早速今日は公園で 「素振り」 をしてきました。もちろん、「基本のポイント」を意識して・・・。
明日から初仕事です。何があるかな?楽しみですね。自分を大切にしてやさしく生きよう。私はこんな風に思える自分が「好き」です。
2005年08月21日(日) |
Hẹn gâp lại ! |
明日から 「ベトナム」 へ行ってきます。帰国予定は8月30日です。旅の目的は2つ。1つは 「自分の未来」 の為。そしてもう1つは 「お友達になって頂いたベトナム人の心友達」の住んでいる国を見たいから。今回はベトナム語をたくさん勉強しました。そしてベトナムの気候や詳細をたくさん調べました。毎日 「旅先に居る自分」 を思い浮かべて心を躍らせて、 「毎日が修学旅行の前日」 のような気分でした。実は・・・「旅行の準備」 をこんなに楽しんだのは今回が初めての事なのです。過去の旅行は2回とも、嬉しいけれど 「緊張」 が付いていたのです。 だから、一番嬉しいのは 「近い未来を楽しんでいる自分で居られること」 なのです。 さて、旅の準備も整って、私はこれから布団に入ります。あちらではホテル内にインターネットが出来るという話ですが・・・いってきまーす。Hẹn gâp lại! 22:40
「海」へ 今日もまた干潮の時間を見計らって海へ出向き、早速向こうに見える 「テトラポット」 まで泳ぎました。驚いたことにテトラポットの周辺はこれまでに無いほどたくさんの魚が居て、2年間通った海で始めてみる 「お魚の世界」 でした。 水面近くではテトラポットのあちこちをいろんな魚が自由に出入りし、熱帯魚のようにきれいな色をした魚が群れを成して泳いでいました。一方海底の方では、私の足よりも大きな魚がすいすい泳いでいました。それはまるで 「魚の中に私がいる」 という感じがしました。 今日は 「カキ」 と 「カニ」 を採って帰りました。採れたてのカニさん・・美味ですね。 「自分で捕まえた」 というところにさらに 「おいしさが増す」 のです。
夜には、私の 「野球心」 のきっかけのひとつとなった 「木曜ナイター」 へ行ってみました。対戦相手のチームの中に女の子がいました。女の子はファーストを守り、攻撃では左のバッターボックスに立っていました。そしてファーストへ飛んできたボールをしっかりとグローブに収め、バットを持ち構えた時には 他の男性の方と同じように 「自分の体でタイミングを整えている」 ように見えました。そして私も、 「代打」 としてバッターボックスに立たせて頂きました。2球目で打ったボールは 「ファーストゴロ」 となりました。私自身はアウトになりましたが、セカンドランナーはサードへ進みました。j実は試合の流れは読めていなかったのですが、結果的には私も 「代打」 としての 「役割」 を果たすことが出来たのですよね。そして何より 「打てたこと」 が嬉しいです・・・。22:00
「フリーの一日」 。 今は大半を「ベトナムへ出かける準備」に利用しています。銀行へ行ったり買い物をしたり、それからベトナム語を少しでもたくさんマスターしていこうとしています。私はベトナム人のお友達に単語を録音いただいて時間のある限り聞き続けています。外国の言葉を学ぶ時、その国の方に手伝ってもらえることはとても嬉しいことですね。因みに今日は夕方から 「ベトナム人のお友達・Hさん」 とお会いして、私の 「ほやほやベトナム語」 を聞いていただきました。 Hさんは日本語通訳のお仕事をされています。彼女が使っていらっしゃる日本語には 「やさしさ」 と 「丁寧さ」 を感じています。 さて私のベトナム語は、いくつかの言葉は 「もう一度丁寧に発音して」頂き、別のいくつかは 「きれいですね」 と言って下さいました。「きれいですね」の言葉が並んだ時には、小さな子どものように 「ほんと?!」 と喜ぶ私でした。 「出来ている事を認められる」 と嬉しいものですね。大人として生きる私も、 「認められること」 から次に発展するのです。
「言葉」 私は 「やさしい言葉が好き」 です。今は 「やさしく語っていける自分」 を意識しています。 けれども私は、うっかりすると 「あなたメッセージ」 や 「不適切な表現」 で他者を傷つけてしまう事があるだろうと思います。そして逆に 「他者の言葉に傷つくこと」 もあるものだと思います。大切なことは 「私が自分の語る事を大切にしていくこと」 なのですよね。 女性として 「やさしい心」 を持ち 「やさしい言葉」 が自然に出てくるように成長していくのです。 見本は 「自分の心」 でいいですね。22:12
2005年08月14日(日) |
「心」 12歳の女の子のこと |
昨日まで働いていた職場の患者さんの中に女の子という12歳の女の子が居ました。女の子はいつもお母さんに連れられていて、私たちスタッフの前で口を開くことは殆どありませんでした。女の子の足の裏には無数のイボがありました。イボは普通「液体窒素」で焼くのですが、 女の子のイボは大きかったので、足全体に麻酔をして電気を流して焼きました。女の子は注射針で麻酔を打たれるときも電気でイボを焼かれる時も、タオルを口に当てたまま声を上げることはありませんでした。私は他の患者さんに問いかけるのと同じように、「女の子痛かったら言ってね。休憩できるからね」と尋ねていました。女の子はいつも黙っていましたが私は変わらず女の子に語りかけました。 お母さんの女性は時々私に、女の子が通う学校の話や女性ご自身の体のことを語って下さいました。女性は、ご自身も慢性の皮膚病を持たされていて、私の目にも辛そうに映りました。女性は「自分がしんどいと子どもにまで手が行かない」と言いました。私は彼女の言葉を「親の役割を持たされていることの辛さ」そのものだと受け取りました。それから過去の自分を思い出してフラッシュバックもしました。しかしそれらは、自分が今も抱えている問題を知り解決することにつながりましたから、女性との語り合いを大切にしていました。 昨日仕事の最終日、私は女性に「今日が最後なのです」とお伝えすると、女性は少し驚いたような表情をして「Mamoさんのこと好きだったのに、残念だなぁ」と仰いました。続けて「どうして辞めるの?」と尋ねて下さいました。私は「忙しさに巻き込まれて心を忘れてしまうのが嫌なのです。私は自分を大切にして心を持って患者さんや治療に来られる子どもさん達と関わっていたいと思うのです」と語りました。女性は「ここはいつも忙しいもんね」と仰いました。私は女性の言葉に、忙しさの中で自分を律していた頃の苦しみを思い出しました。それからすぐに「今は自分を大切にして生きようとしている自分」なのだと今の自分を大切にすることを意識しなおしました。 女性は女の子の治療を終えた後「Mamoさん、いろいろとありがとう」と言って下さり、私も「私のほうこそ治療を手伝わせてくれてありがとうございました」とお伝えしました。そして女の子に「いつも楽しんでね」と言うと、女の子はいつもと同じように黙って私を見て、そしてカーテンの向こうへ去って行きました。 しばらくすると受付さんが私を呼びました。行ってみると女性が待っていて「この子が、Mamoさんが今日で辞めるということを、今理解して思い切り動揺してる」と言いました。見ると女の子は待合室の椅子に座ってうつむいていました。私は女の子の傍へ行ってみましたが、女の子は相変わらず黙ったまま私を見ているだけでした。私は最初、自分は何をすればいいのか何と声をかければいいのかわかりませんでした。すこしあと、女の子の名前を読んでみました。それから(触れてもいいかな?)と思いながら女の子の両方の頬に触れました。女の子はまだ黙っていましたが、しばらくすると立ち上がって、今度は女の子の方から私の傍へ近寄ってきました。私はもう一度(触れてもいいかな・・)と思いながら、Yちゃんの背中を軽く撫でました。女の子のお母さんは黙って私たちの様子を見つめていらっしゃいました。 私たちは並んで病院の外に出ました。女性は何度も「ありがとう」と伝えて下さいましたから、私も何度も「ありがとう」を伝えました。私が「うちに遊びに来てね」と伝えると、女性は「行ってもいいの?この子も行くと思う」と仰いました。私は「私の住んでいる場所のこと」、「心の勉強をしている自分のこと」を伝え、そしてもう一度「いつでも遊びに来てね」と言いました。女性は私にも「近くに来たら寄っていってね」と言って下さいました。私は「それもいいですよね」と返事をしながら、心の中で「私の家で・女性の家で、私も女性も自分の心を語っていく。そんなことがあったら素敵だな」と考えていました。女の子は・・・私と女性の関わりを見ていました。私と目が合うと笑いました。 二人とお別れして院内の戻ると、いつもと同じ空気 が流れていました。時間は11時。診察室の前には数人の患者さんが座っていて、ご自分の順番を待っていらっしゃいました。 診察室の中には、問診している医師と医師の問いかけに答える患者さん・そして医師の傍に立ち指示を待っている看護師さんがいました。私はその光景を見ながら数分前の出来事を思い出していました。 今日で辞めていく私が、他の事を置いて優先した大切な空間。もしかしたら私は8ヶ月の間、心を大切にする自分を意識してきたから、訪れる患者さんの心を大切にし、丁寧に処置していける自分だったのではないかと思えました。だとしたら過去に傷の中で動かされてきた私は、今は心のある私として動ける部分が増えている・ 優しさを持たされ、いい人として生かされ、自分を殺していた自分は今、“やさしさ”の意味を語れる私」へ成長しているのではないかと思えました。そして、私はこれからも看護師という職業を続けていくだろうから、8ヶ月見つめ癒やしてきた自分を基礎にして、さらに心のある自分として社会と関わっていこうと心に決めたのでした。 最後の患者さんが門を出て一通りの片付けを終えた私はもう一度周囲を見渡して残し物がないかを確認し、残っているスタッフの皆さんに「お疲れ様でした」と声をかけて玄関へ向かいました。玄関を出る時、院長は私の元へきて「Mamoさんは自分のやりたい事を頑張って下さい」と言いました。私は「ありがとうございます。先生も自分のやりたい事を続けて言って下さい」とお伝えし、続けて「お世話になりました」と挨拶をして玄関を出ました。帰りは一人の看護師の女性と昼食をとりました。 女性は「AC」という言葉を知っていますから、私たちは 「心の事」を前提とした語り合いが出来ました。女性は 「職場のおかしさ」も語り、その言葉は「8ヶ月間の私の思い」と類似していました。私は彼女の話を聞きながら 「私が8ヶ月間、疑問を持ち小さく訴えてきたことは真実だったのだ」と実感しました。 驚いたことに私が退職願を出した10日後に女性も退職願を出していました。ということは彼女も「残りの2ヶ月を働いていくのみ」の人なのですよね。女性は「他の看護師さんが“その年で、今から止めると大変だよ”と言われる。困る」と言いました。 私は自分がこの2ヶ月見てきたものを少し語ってみました。そして「語っている自分を見ながら、この職場で感じたことを次につなげようと決めました。別れ際、女性はが「又連絡するね。でもMamoちゃんはいつも忙しいんでしょ?」と言いました。私は「ウン、心の勉強をしているから。今日みたいにネ」と伝えました。 夕方、職場の横を車で通り過ぎました。目になれた青い看板を見ると何故か心が嬉しくなりました。8ヶ月間に、「心を大切にする出会い」がたくさんありました。特に診察に来られる子どもさん達との関わりは私にとって自分を知るきっかけになりました。この職場で働いてきてよかった。何よりも患者さんと関わる自分を楽しんでいた自分を思い出しました。 私が今このように思えるのは「以前よりも楽に人と関われる自分」へ成長して言えるからだと思います。私がここで経験したすべてのことは、その時の自分を知り、考え、より成長するために必要なことだったと感じました。 私はいつもどこに居ても、自分の心を大切にして「心のある世界」をみていくといいのですね。そして今は、これから違う場所を探しています。私の行く先にはいつも「新しい出会い」があるのだと思います。
今日私は、8ヶ月間働いた職場を退職しました。 入職したのは2005年1月4日のことでした。1ヶ月の間は「始めてみる皮膚科の世界」小さなメスで皮膚の表面を丁寧に剥がしていく様子や立ち合ったOPで見る人の体の中は、私にとって不思議がいっぱいの世界。毎日ワクワクしました。 3ヶ月目を迎えた頃、「働く場所には決められたルールがあること」を知りました。「ひとつの区切られた世界」の中で揺れ動く心と対峙しながら、私がここで働き続ける為にはマイナスに思えるルールであっても受け入れざるを得ない場合があることを実感し続けました。しばらくすると、一つ一つのルールに反論したり、私の価値観を並べたりすることは、私自身が感情の中で流されているということだと気付かされました。そして逆に、社会のルールの中に居ても、私が自分を意識していられたら、マイナス社会の根底にあるものを見つけて、どうすればいいかを考えられる自分へと成長できると知りました。 このことは「社会のルールに従わされていた自分」を癒やしていくきっかけになりました。 半年を過ぎた頃、「看護師としての私」にある「機敏さ」と「優しさ」は、そのどちらも「過去の傷の中で持たされたもの」だということを感じ取れるようになりました。 このことは、過去に「ひたすら動いてきた私」にとって自分を見直すきっかけになりました。 「私は何の為にここまでしてきたのだろう」。「こんなにがむしゃらに動いてきたのは何故だろう。」そして、このように気付いている今もなお、時には追い立てられるように動いているのはなぜだろう」。それらの答えを探しているうちに「私は今まで、社会のルールの中で生き延びるために、頑張ることをすることを余儀なくされていた」ということを知りました。そして、頑張る自分は子どもの頃の環境の中で作らされたということも。 退職を決めた後の2ヶ月は、働いている自分を自分の背中から見ようとしました。そのようにすることは、自分がいた世界をその輪の外から眺めることにもなりました。そして最終日の今日、出勤する車の中で、今日は今まで一番自分を大切にした働きをしようと思いました。今日という日が「8ヶ月の私の動きが濃縮された一日」であるかのように思えました。診察が始まる時、どの患者さんともこれまでで一番丁寧に関わろうと気持ちを新たにしました。 最終日の診察時間は予定よりも早く終了し、私は私服に着替え白衣に付けていた名札をはずしました。診察に来た子どもさん達に分かりやすいようにと工夫した名札。それを数々のエピソードを思い出しました。処置をする間の僅かな時間は、私にとっては楽しく穏やかな空間でした。それから私が自分の心を知る為にも大切な時間だったと改めて思いました。 名札を置いた後、改良したものや工作を元の状態に戻しました。私が「より楽に作業を」テーマに作ったもの。実際に楽になりましたが、殆どは私の一人遊びで作ったものでしたから、自分が去っていく時には元の状態に戻しておくのがいいと思ったのです。全てのことが終わった後、私は院内を一周し最後にもう一度周辺を見渡して、8ヶ月勤めた職場を後にしました。
「看護師として生きた自分」 例えば私にあるものが過去の傷の中で得たものであっても、そのものを持っていることの根底を見つめていくと、それは新しい私の能力へとつながり、私は成長していくのですね。 「出来た・学んだ・成長した」。そして又、「次」なのです。今日の続きで明日がある。今日よりも新しい明日がある。私は新しい自分を育てます。
午後の休憩の時間を使って「面接」へ行ってきました。今日尋ねた場所は「介護業」ですが、その中の1つとして「末期の方の訪問介護を請け負っている」ということでした。私はすぐに興味を持ち、具体的な仕事の内容を尋ねてみました。すると担当の方は「ターミナルの方の傍に居て、排泄のケアをしたり、食事の介助をしたりする」と教えて下さいました。更に「ターミナルの利用者さんに必要なのは、お世話よりもどちらかと言うと心の方だから、出来るだけ精神的なことに興味のある人に訪問してもらいたと思っているんです」と語りました。私は話を聞いているうちに嬉しくなりました。私は自分のために働く・ その仕事の中で、死を向かえる方との関わらせて頂き、心を大切している私をより生かしていくことが出来るということなのかもしれないのです。一通り話を聞き終えたあと、担当の方に「もしも私がここで働かせていただく時にはターミナルの方の訪問に関わらせていただければ嬉しいです」と伝えました。担当の方は「そんなに興味がある人に関わってもらえればこちらもとても嬉しいです」と言って下さいました。そして今回もまた、自分が得た情報を持って自宅に帰り、自分はどうしたいかを自分と吟味するのです。 仕事はあと一日となりました。この数日は思わぬところでお礼を延べられたり惜しまれたり、そんな自分に驚くことが重なりました。 過去に、自分を持たされず、周囲の人に受け入れられることだけを渇望していた頃には、どんな自分であっても私の心が満たされることはなかったのに、そう考えるとこの現実を不思議だなぁと思います。そして違う視点で見るならば自分にやさしい生き方をしていたら、ごく自然に人にもやさしくなれると心の底から思います。私は心のある自分が楽だから、楽な自分を増やしていけばいいのです。ひとつ出来た。そして「次」を見るのです。
2005年08月11日(木) |
「なりたい自分」になる為に |
「ベトナム」 から頭を切り替えて 「就職活動」 を優先する事にしました。 「先を見て動いていること」 は、その時 「その事が出来たかどうか」 に関わらず、 「動いているという事」 それ自体が 「次の自分」 へと繋がるのですね。 私は 「自分の人生を積極的に作り上げていく」 為に、もっともっと ・ いつもいつも 「先」 をみていればいいのですね。何かがあっても 「先を見ている私」 なら自分の状況を 「ありのままに」 受け入れて、「新しい発想」 を思いつく事ができますよね。 そして私はこれからも 「新しい・素直な自分」 を大切にすればいいですよね。 さらに 「自分の人生を積極的に作り上げていく自分」 を 「積み重ねて」 いけばいいですよね。 「積み重ねる」という意味では、このところの私は 「丁寧に文章を作り上げていく」という事を忘れていたような気もします。 「やりたい事がたくさんあるから・・・」 という理由を付けて、「優先順位」から外れていたようにも思えます。 そして今もう一度気が付いたのだから、これから又 「なりたい自分」 になる為に、 「大切なこと」 を続けていけばいいのだと思えます。
私は、 「本を出したい」 のです。 私が 「書いていく本」 は、 「私の心を語った本」 なのです。
「なりたい自分」 になる為に 「自分に取り組んでいこう」
休日。又また海へ。今日は浅瀬で 「タコ採り」 に挑戦してきました。私がシュノーケルを使って海底を覗いていたら、岩の中に二つの玉が動いていました。二つの玉は真ん中が黒くてその周囲が黄色い輪で囲まれていました。「なんだろう」 と思ってよく見てみると、二つに光ったその物体は 「タコの目玉」 ではありませんか。私は水の中で驚き、そして驚いた声がタコに聞こえないように静かに「へぇ〜っ」と叫びました。そしてすぐにモリを近づけて突いてみましたが、タコはあっという間に岩の中へ入っていきました。 タコが見えなくなった後も 「岩から飛び出ていた二つの目玉」 が頭に浮かんで 「面白くてたまりません」 でした。 別の場所でもタコを見かけましたが、今日は捕まえることは出来ませんでした。 次に浜へ上がって 「カキ採り」 に挑戦してみました。カキ採りの道具は百円ショップで買った 「パテ用のヘラ」 です。岩に張り付いた大きなカキを力を込めてはがしていくのです。カキは魚やタコと違って岩に張り付いたまま動かないから、簡単に採る事が出来ました。
堤防に上がって休憩をしていたら、外人グループさんが海の中で遊んでいました。その様子を見ていたら私も一緒に遊びたくなったので、彼らの傍まで泳いでいって話しかけてみました。私のつたない英語を理解してくれた一人の女の子・私の聞き取りが正しければ、名前は「ブローズン」 。 私は彼女の名前を聞いた後 「Nice to meet you」 と答えようとしました。 しかし頭に浮かんだのは英語でも日本語でもなく、 最近勉強し始めた 「ベトナム語の “始めまして” 」 でした。 「あれれれ・・・」 と思いつつ、やっとの思いで英語を引っ張り出し、 出てきた言葉は 「See you」 でした。 もっと楽に英語が出てくるといいですね。そして外国の方と遊ぶ時にはその方の国の言葉を知っているとコミニュケーションが広がるのですね。それでも私たちは、始めは 「全く知らない人」 なのですが言葉を交わした途端に、お友達になれますよね。最近は海だけでなく、スーパーでも病院でも、傍に居る人と楽しく話をしたい私です。 「自分」 を語れば語るほど、「人のつながり」 は広がっていくのです。そして 「心の輪」 も広がっていくのです。もっともっと 「やさしい関係」 が広がればいいなぁと思います。
ところで今日はシュノーケルをはずして海の底へ潜ってみました。実は・・・「海でやってみたかったこと」 の1つです。 潜る前には、「海水が目にしみるだろう」 と思っていましたが、実際には全く感じませんでした。そして何が見えたかというと・・・水のせいか私の目のせいか曇った海水の中で、ワカメと昆布がユサユサと揺れていました。ユサユサ揺れている海草を見ていたらウエットスーツを一枚脱ぎたくなりました。 「広くて大きな海」 で、より身軽に楽に 「泳いで揺られて」 みたかったのです。たまらなく心地よくて、その開放感は 「120パーセント」 でした。
帰りには浜辺の近くで 「キリギリス」 を見つけました。「キリギリス」 は 「ウマオイ」 とよく似ていますが、 「ウマオイ」 よりも少し小さくて体の色は深いみどりをしています。さてその鳴き声は、「キュッ・・・キュルキュルキュル」 でしょうか。それとも 「チッ・・・チロチロチロ」でしょうか。「鈴虫の鳴き声をもっと太く長くした」 感じで、文字に現すよりもうんと速いスピードに聞こえます。虫の鳴き声を文字にするのって難しいですね・・・。キリギリスさんは今夜は 「私の部屋」 で一晩を明かします。明日の朝になったら、Gobamcanの庭へ離してあげる予定なのです。Gobamcanの庭には、一週間前に内海から引っ越してきた 「ウマオイ」 が居て、「仲間が来る」 のを待っているはずなのです。
「素直がいい」 私は 「自分の感じた事」 を 「そのまま表現」 していこう。 「うれしい」 とか 「かなしい」 とか、どんな 「小さな戸惑い」 も 「全て表現」 していこう。過去の言葉をかぶせずに 「自分の気持ちを表現しよう」。いつも自分に正直に生き、何処に居ても、誰の前でも 「同じことが語れる私」 で居よう。
2005年08月07日(日) |
Baseball 14 「こつこつ」 |
野球 14試合目 今日はメンバーがたくさん居たので私はベンチに居ました。ベンチから野球の試合を見ていていろんな事を発見できました。今日一番の「発見」は、他のメンバーは 「ボールを取りにいく時に「ボールの勢い」 や 「バウンドンタイミング」 を見ながら 「自分の動きを決めている」 ということです。私の場合 「バウンドしたボール」 は顔に当たったり 「グローブの中から外れたりしていました」 が、どうやら 「原因」 は 「急いでボールを迎えに行っていた」 事だったようですね。こんな大きなポイントが分かって・・今日は大きな収穫を得た気持ちです。 最終回 「ライト」 を守りましたが、球は 「レフト方面」 へ飛んでいきました。そして打席は一度回ってきましたが、三振空振りとなりました。実は昨日育成会の帰り際、Yちゃんに 「明日はヒットを2本打つ予定だよ」 と話していたので、今日は 「有言先送り」 の私です。でもいいですよね。次のチャンスを待つことにします。
最近は夜一人で 「壁投げと素振り」 をしているのですが、一人でやっていく時には、これまでに聞いた情報を手繰り寄せながら、「こういうことかな?! それともこうかな?!」 と想像しながら、「自分の納得のいく形」 に持っていこうと試行錯誤しています。 練習の最後に 「出来た自分」を残しておくと、 「次」 のステップへ繋がるようにも思えます。何よりも 「続けていく事」 がプラスなのですよね。
そして今日の試合前の練習でキャッチボールをしてみると・・・ 「壁投げを練習する前よりも」上達しているように思えました。 「丁寧にコツコツと」 やってきたことが 「形になっている」 ような気がして、 「嬉しいな」 と思いました。 「一人の練習」 は楽しくて 「奥深い」 ですね。一人でやっている時も、皆でやっている時も、私は 「いろいろな事」 に気が付きます。そして自分の気付きに 「考えた分だけ」 に「新しい自分へ成長する」 のですよね。今は 「心を見つめること」 の延長に 「野球」 や その他のいろんな事」 があるのだと実感しています。 ところで少し前から左の膝に「痛み」があったのですが、「野球をやりたい気持ち」が先行してついつい「膝を守ること」を忘れていました。今日は試合中にも「軽い痛み」で十分走ることができませんでしたから、これから少しの間、 「膝に負担がかかる練習」 はお休みです。
野球が終わってからは、又また「海へ」。 今日は日曜日とあってビーチにはたくさんの人が居ました。今日は網で 「魚を採ろう」 としてみました。 シュノーケルで海底を覗き、魚に気付かれないようにそっと歩いて、「あっちから追いやればいいのだろう」 とか 「石を投げてみれば驚いて網の方へ向かってくるだろう」 とか、考え付く事をすべてやってみたのですが、魚は一瞬にして私の傍から遠のいていきました。中には体長30センチくらいの魚も居て、ゆっくり泳いでいるように見えたのですが、どんなに大きくても、命の危険を感じた時には 「彼ら」は一瞬にして姿を隠していくのですね。「魚」 も 「自分で自分を守っている」 のです。
2005年08月04日(木) |
39歳・生きて見つめて行動して |
1966年8月4日生まれ・39才になりました。 最近の私は、いつも 「自分の心」 を 「見て」、「自分のやりたい事」 を知り、その事を 「心のある自分」 として 「取り組んでいく」 ように意識しています。 「自分の気持ち」 や 「思い」 を 「素直に表現し動いていく事」 をいつもいつも意識していくのです。 2005年6月の終わりごろ、「マイナスの中で動かされていた自分」を知った私は、「今の自分が、何年か先に、過去と同じように自分の中から消えてしまう事はあるのだろうか」 と考えていた事がありました。 何故なら 「今、やりたい事をしている自分」は、過去例えば20代の頃にも 「やりたい事をしている自分である」 と思って生きていたはずなのです。そして当時の私は、「動けている部分に関して」は、 「自分の好きな事が出来ていて、自分は何が好きで何が嫌いかを知っていて、自分は自分を生きているのだ」 と思っていたのではないかと思うのです。けれど実際には、「私は狭い固定観念の中で生かされていて、苦しさを抱え生き延びていた」 のですし、私は 「自分の事実」 を 「ずっと後になって知った」 のですから、それならば 「今を生きている」 と思っている 「今の自分」 は 「どうなのだろう」 という疑問が沸いていたのです。ところがこの 「疑問」 はすぐに消え去っていきました。私は、今は毎日 「自分の心を大切に」し、「自分に一番やさしい生き方」 を意識しているのだから、「過去の生き方」 とは全く違うものですし、 「今を大切に生きている・この感覚」 が、私の中から消えていく事はありえないと感じたのです。そして仮に 「再び記憶が途切れてしまった」 としても、私は又気が付いたところから 「自分を探していけばいいのだ」 と思えるようになったのです。 さらに少し視点を変えてみると、私の心の 「変化」 は 「体の変化」 となって現れているのではないかとも思えるのです。 離婚してから2年間持ったままでいた「いくつかの体の不調」 はいつの間にか 「私の心からうんと遠くへ」 と消え去って、今は転んで痛くても 「痛みが引いていく感覚」 を 「楽しめる自分」 へ切り替えることが出来ているのです。こうしていろんな事を思い返してみる時、 「心を見つめる事を続けてきてよかった」 と心の底から実感します。
1つ年を重ねた 「自分」 ・ 「来年の今頃は何をしているかな」。 「再来年の今頃は何をしているかな」。私は自分が何歳まで生きるのか分からないけれど、いつも 「心を持った自分」 として「生き」、 「見つめ考え」、「行動」 してきたことが 「自分の心の財産」 になるように 「自分の心」 に耳を傾けて生きています。 そして私はこうして考えていてさえも、「知らないうち」 に 「心」 を忘れてしまいがちなのですから、ほんとうにいつもいつも 「傷を癒やすこと」 に取り組み続きます。
私が 「自分の人生」 を 「少しよく生きる」 ため。
休日。本日も海へ。到着するとすぐにテントを貼りました。それから「サザエ採り」の為にテトラポットまで「遠泳」しました。前回は少し緊張していましたが、今回はこちらの岸を離れた瞬間から記憶に新しいテトラポットの周りの様子を想像していました。前回しがみつくように持っていた浮き輪も、今日は「ないほうが楽かな」と思え、最後には浮き輪を離して2メートルほど下まで潜ってみたいと思えました。そして実際に目的の場所まで潜ってみると、すぐに「もっと下まで行ってみたい」という思いに駆られました。私は「遊びの中」でも「自分の好奇心を延ばして」成長しているのですね。 海の中ではいつもよりも深い呼吸をしているように思いました。何度も潜っているうちに肺活量が増えてくるかもしれません。肺活量が増えると「一度の呼吸でたくさんの酸素を体に送ることが出来る」のだから、「体にやさしいことの1つではないかな」と思いました。 お昼を食べたあとは浜の近くで遊びました。二人の少年が海へ向かって石を投げて遊んでいました。彼らが投げた石は水面で何度かジャンプしてから沈んでいきました。私は少年達の傍まで行って見ていました。しばらく見ているうちに私も石を投げてみたくなったので、少年に「どうやったらそんなふうになるの?もう一度見せてほしい」と言ってみました。少年はちらりと私を見て、そして少し照れたような顔をして「うん」と言い石を投げて見せてくれました。次に私が「私にも教えてくれる?」と言うと、少年は「平らな石を見つけてきて水平に投げる」と教えてくれました。私が少年に教わったようにやってみると、私の石も少年が投げた時と同じようにジャンプしてうんと向こうまで飛んでいきました。私が「出来た出来た!」と喜ぶと、少年は、今度はニコニコしていました。少年の笑顔と共に帰ってきた「ウン」という言葉は、私の心にストロークとして残りました。そして「教えて」と自然に言えた自分も嬉しいと思いました。人との触れ合いはこんな小さなことから始まるのですよね。 ところで今日は「ゴンズイ」という魚を見ました。私が見たのは「稚魚」でしたが、数え切れないほどの群れをなして、まるでイソギンチャクのようにゆらゆらと泳いでいました。背中のとげは毒を持っていると聞きましたので、手に触れないように観察してから海へ返してあげました。浜の近くにあった大きな岩には、茶色い大きなワカメがくっついていました。ワカメのゆれ具合が、まるで「台風の風の中で揺れている大木」のようでした。私はそのワカメを両手で握って強く引っ張ってみましたが、どうしても取ることが出来ませんでした。きっと「強い波の中で生きていくための知恵」なのですよね。 夕方には「眼科」へ行きました。ちょうど一週間前に負傷した目・痛みは取れていましたが、安心してコンタクトを入れるために「完治しましたよ」という判定が欲しかったのです。眼科では前回と同じようにたくさんの検査をしました。前回は痛みを持っていましたが、今日は目も心も元気ですから、自分の目の前にあるたくさんの器械や検査が何のためにあるのかを知りたくて、いくつかのことを尋ねてみました。すると看護師の女性は丁寧に教えてくれました。目は完治しました。これで明日から安心してもとの生活に戻れるのです。 家に帰ってから、「サザエ」を料理しました。今日はルームメイトも一緒にクッキングでした。私たちとルームメイトは「どうせならサザエのおさしみを食べたいよね」と言い、ゆっくりと時間をかけてサザエが殻から顔を出すのを待ちました。硬い殻の中から「サザエ」を出すには、口のあいてきた貝の隙間に目打ちを入れて実を引っ張り出すのです。ところが・・・5匹あったサザエの全ては「不成功」に終わりました。なかなかコツがいりますね。 ちぎれた先っちょを食べてみて「こんなにおいしかったなんて・・・」と言い合いました。そして私は、おいしさも良いのですが「どうせなら、生のサザエを最後まで引っ張り出してみたいなあ」と思いました。 世の中は「不思議」がいっぱいです。私が感じる「不思議」はきっと「プラスの好奇心」なのでしょ。そして「知らないこと」を「知る」のは楽しいのです。何を見ても楽しいです。「知らないことがある」ということは「知ることが出来る」ということなのです。「何かを知らない」ということは、「知らないことを知っていく自分」を「楽しんでいられる」とも言えます。何もかも面白いです。
2005年08月02日(火) |
次の自分へのつながり |
2日後にやってくる私の誕生日。「ひとつ年を重ねる自分に、今年は何をしようかな」 。何かをしてもいい。 何もしなくてもいい。 もしも 「何かをする」 のなら、 「より柔らかい自分」 へ繋がるものでありたいと思います。 そして 「心のある自分」 を意識していくことだけは確かですよね。
今日も夜の公園へ行き、壁投げの練習をしました。今は「右足を軸にしてボールを投げる」ということを練習しています。それが・・・自分でも分かるくらいの「へたっぷり」です。どうしても「体に力が入っちゃうのですねぇ・・・。それでも私は 「出来た自分」 を持って家に帰りたかったので、「投げる時のポイント」 を意識して何度も何度も投げました。毎日すこしづつやっていれば、そのうちに出来るようになるでしょう。
もう8月。今の仕事はあと2週間で終わり。きっと、2週間はあっという間です。そして辞めるその日までは、いつも「私の働く職場」です。私は自分が楽しく仕事が出来るよう自分を大切にしていればいいのですよ。 診察を終えて家に帰ろうとすると、会計を待っている女性と目が合いました。私たちはお互いににっこりしました。彼女はアトピースキンで荒れてしまったご自分の腕を掻いていました。私が「痒いよね。やさしくやさしくね」と言いました。彼女は「ついつい痒さに負けちゃうの」と言いました。それから私に「お疲れ様でした」と言って下さいました。私は「ありがとう」と言いました。そして「あなたもゆっくり休んでね。腕さんもお休みなさい・・」と言いました。女性はニコニコしていました。私にはその笑顔がやさしく見えました。誰も皆、心も体もゆっくり休めるといいですね。そして私は、「自分にやさしく出来る自分が好き」です。
|