「生きていくのに大切なこと」こころの日記
DiaryINDEXpastwill


2005年07月31日(日) 取り組み

 持ち歩いていたカセットテープレコーダーが壊れてしまったのでICレコーダーを買いました。説明書を開けてみると、なにやらいろんな事が書かれていました。これまで 「説明書」 という類のものを見ることが苦手でしたが、 「欲しくて買ったもの」 ですから、小さく心を躍らせながら1つずつ丁寧に読み砕いていきました。

 夕方からベトナムの女性達のところへ遊びに行き、覚えている最中の 「ベトナム語」 を少しだけ使ってみました。すると彼女達は 「じょうずね〜」 と言った後、「私の知らない言葉」 を教えてくれたり 「ベトナム語で質問」 をしてくれたりしました。 私は家でテープを聞くときに 「音の強さ」 や 「早さ」 やを意識して聞いてみて、口や舌や喉を 「どのように使っていけば同じ音が出るのか」 を考えながら練習していました。そして今日は、「勉強を始めて間もない私」でも 「ゆっくり」 を意識して発音していると通用する事がわかりました。実際には 「自分のベトナム語がすんなり受け入れられている事」 に驚いてしまったのですが、 「こんな感じでいいのかな?」 と迷いながらやっていた方法は 「継続」 しても良さそうなので、もうしばらくは今までと同じ方法で練習してみる事にします。

 今日は「彼女達との時間」 の中で、違う国の言葉を 「現地に住む人々から学んでいること」 を嬉しいと思いました。 「国境」 や 「言葉の違い」 を超えた 「心のある空間」 に居て、 「心を大切にした触れ合い」 の延長で 「言葉を学ぶ」 ことが出来ている自分。「出来る・出来ない」とは違う世界で、ごく自然に学ぶことが出来ている自分。・・・これからも同じような機会が増えればいいなと思います。そして私がいつもすることは、 「自分を大切に」して、「彼女達の純粋な心」 をも 「大切に出来る私」 としてそこに居ることなのです。
 
 もしもベトナム語をたくさん話せるようになってきたら・・・。
「ベトナム語」 で 「自分の心」 を 「語る」 ことが出来れば嬉しいなぁと思います。「ベトナムの言葉」 だけでなく、「いろんな国の言葉を使って話が出来る」と楽しいですよね。 私が 「語ることが出来たベトナム語」 は 「私が練習してきた分だけのもの」 でした。「癒やした分だけ楽になった」というのと同じことだと考えると、「当然である」と言えるとも思うのです。毎日毎日少しずつ、「昨日よりもちょっとだけ成長している自分で居るよう、「自分を見つめていけばいい」のです。

  
 私は今日、これまで「積極的には語らない事」をしてきた「私の将来」を、「ベトナムの女性達」 の前で語りました。私がこれまで 「まだ語らない」 としてきたのは、「今はまだ語る時期ではない」 と思っていたからでした。 その根拠は 「もっと自分に自信が付いてから」 とか、 「それをやれるという確信を持ててから」というような事のように思います。 そして今日、初めて「積極的に語った自分の未来」。  「確信」 は昨日や一昨日と同じくらいにあるだけです。 「他者に語ること」 が出来たのは、又少し、 「完璧主義」 から離れられ、「出来ても出来なくてもどちらでもいいね」 と思える自分が居たからかもしれません。そして、それでも私はこれからも 「自分の将来」 を「思い描いていられる私」 として生きていくのです。


「自分の将来」 を 「現実のもの」 に出来るよう、「毎日を生きていこう」。23:40


2005年07月28日(木) 「可能性」

 デジカメの調子が悪いので電気屋さんへ修理に出しました。「デジカメの保証期限」 は既に切れていたので、「有料」 を意識して行きました。ところが売り場に居たお兄さんは 「保証期限内ということで出しておきますね」と言ってくれたので、私は嬉しくなりました。手続きが済んだ後 「ありがとうね」 と言うと、お兄さんはニコニコ笑って 「こちらこそありがとうございました」 と言いました。次に、エアコンの事で分からないことがあったので別の人に尋ねてみました。そこに居たお兄さんも紙に絵を書いて丁寧に教えてくれたので、私は又また嬉しくなりました。私は 「いろいろと嬉しいことが続くものだなぁ」 と思いながら 「ホクホクした心」 で電気屋さんを後にしました。
 帰り道公園で壁投げの練習をしました。今日は 「でこぼこの壁」 にボールを投げてみました。これが・・・。壁に当たったボールが何処へ飛んでいくかが予測不可能なのです。ボールは石垣の平らなところに当たるとまっすぐに飛んできますが、尖った部分に当たると速さを増して予想もしなかった方向へ飛んでいくのです。右に左に飛んでいくボールを追いかけるのが面白くて面白くてたまりませんでした。帰りの車の中の私は自分でも分かるくらいニコニコしていて、頭は 「24時間後に公園で遊んでいる自分」 を想像してワクワクしていました。

 夜、「モントりオールで行われた水泳競技」 を見ました。選手達の泳ぎは水の抵抗が少なくて無駄がないように見えました。一緒に見ていた男の子は「僕も泳げるようになれるかなー」と言いました。私は「練習すれば出来ると思うよ」と言いました。私の 「言葉」 には 「小さな確信」 がありました。実際に、今 「野球を楽しんでいる自分」 を思えば、たいていの事は 「誰にも可能なことなのだ」 とさえ思えるのです。私は自分に何かが出来るたびに「へー、私にも出来るんだ・・・」 とか 「あらら・出来ちゃった」 とか思います。面白いですね。そして誰にもある 「可能性」 なのです。


2005年07月27日(水) 「痛み」を楽しもう

 休日。又また負傷してしまいました。それは夕方の公園でキャッチボールをしている最中の事。負傷した場所は 「左眼」 です。私は向こうから飛んできたボールをとろうとしていたのですが、一度地面に落ちてイレギュラーしたボールが左眼に直撃したのです。 「とっても痛かった・・・」。 私はコンタクトを入れていましたので、すぐに家へ戻り目を洗って冷やしましたが、痛みが治まる様子はありませんでした。「薬があったほうがいいだろう」と思い、眼科を受診しました。眼科の扉を開けると院内は患者さんがたくさん居ましたが、「野球のボールが眼に当たって痛くて痛くて」と言うと、受付の方は順番を早めてくれました。診察の結果の病名は 「外傷後角膜損傷」というものでした。簡単に言うと「眼球に傷が付いた」のですよね。傷が治るまでの間、コンタクトを止めて傷んだ部分を大切にしていればいいですね。
 私の「心」は負傷してからしばらくは戸惑ったままでした。硬いボールが突然眼に当たり驚いたうえに痛みが治まっていかないから、「驚き」は 「不安」 へと変わっていったのだと思います。そして、順番を待っている時 「自分の血液の流れ」が 「左眼」 に集中している様子が浮かびました。私の体は 「負傷した瞬間」 から 「傷を治していく為」 に 「特別な動き」 を取り、「傷を治そうとしているのだ」 のだと感じたのです。その後からは、 「痛みが引いていく」 のを 「楽しみにしていたい」 と思うようになりました。 痛みは変わらずありますが、「傷んだ部分を大切にしてあげればいい」、と思えたのです。
 病院の門を出た時、時間は19時を過ぎていました。私は夕飯を作っていませんでしたから、スーパーでお弁当を買い、夜の散歩を楽しみながら、ゆっくりと家に帰りました。

私は私にある「自然治癒力」を最大限生かし、傷んだ部分を自分で治していくのです。


2005年07月26日(火) 「遊び」

 仕事。「台風が来る」 というので、仕事に出かける前にトマトの木が倒れないように固定しました。病院は・・こちらも台風のせいでしょうか。訪れた患者さんはいつもの3分の1ほどの人数でした。私は暇な時間を使って 「シールカー」 を作りました。私の職場では 病院の苦手なお子さんが病院に来るきっかけを作れるよう」 に、「シールを渡す」 ことがあるのですが、「シールカー」 の中にシールを何種類か入れて、お子さんの元へ運んでいくのです。 「シールを渡すことがいいかどうか」 は別にして、工作って面白いですよね。作っているうちに 「面白そうなアイデア」 がたくさん浮かんできて、いつまでも遊んでいられました。 もちろん、院内の様子を見ながら、です。
 夜、近くの公園で素振りをしました。それから壁投げのつもりで、遊具にボールを投げて練習しました。ちなみに今は「ゴロのボールがとれるようになろう」としています。ところが「自分の構え」がおかしいことは分かるのですが、どうすればいいのかが分かりません。家に戻ってルームメイトに尋ねると、ルームメイトは「ボールを早くとろうとして欲が出ているのだから、構えてボールを待つことをしてみたらどう?」と丁寧にレクチャーしてくれました。変えていく方法を知ることが出来たことを嬉しいなぁと思いました。
「シールカー」。 ばいばい・またね。


2005年07月24日(日) Baseball 13 「ピッチャの足を直撃した強襲ヒット」

 野球13試合目。「9番打者・ライト」
 今日の目標は 「打つ事」 でした。今日は少し早めについた球場で、前の試合を見学しながら少しずつストレッチをし、「試合の時間」 を待ちました。ストレッチをしているうちに 「体」 が 「走りたいよ」 と言ったので一人でグランド周囲を走ってみました。「自分一人でグランドを走っている私」・ 「心地が良くて」 たまらなくて、「開放感と安心感」 が 「心の底」 から湧いて来るのが分かりました。私は私自身に 「これでいいんだね」 と声をかけ、そして 「これから自分がすればいい事」 を確認したようでもありました。 
 その後丁寧に 「素振り」 をしました。素振りは脇を締めて 「おっつけ」 を意識しました。何しろ今日の私の 「気持ち」 は  「打つよ」 でしたから、バットを握ると自然に 「心」 も引き締まりました。そしていよいよ 「試合開始」 です。 私は球を待っている間、いつものように 「ボール来い来い」 と思っていました。ところが相手のチームが打つヒットは私のいる位置よりもうんと後ろまで飛んでいき、私は足がボールに追いつかなくて、球をとることは出来ませんでした。  私は 「ボールを打たれた瞬間」 に 「どこまで飛ぶか」 を見極められたら、自分の手でキャッチすることが出来るのですね。 「生きたボール」をいつでもとれるようになろうと思います。 
 球が来るのを待っている間に 「ダッシュの体勢」 を意識してみました。腰をかがめた体勢でお尻をつんと突き出して背中をスッと伸ばすと重心は自然につま先へ集まりました。この体勢でいればいつでも走り出せることが出来るのですね。そして何でも 「自分でやってみる」 とわかるのですね。 
 攻撃では 「2回目のヒット」 を打ちました。ヒットの名前は 「ピッチャーの足を直撃した強襲ヒット」 だそうです。 凄い名前ですよね。しかし本当に名前の通り 「ピシッ」 とバットに当たったボールは 「低飛行」 のままピッチャーの足元まで飛んでいき、ピッチャーは足で私のボールを止めました。 私は打った瞬間に 「ダッシュだ」 と思い一塁ベースまで走りました。すると一塁側でコーチをしていたメイトはまず 「ナイスバッティング!」 と声をかけてくれてから、次に 「フライが出たら止まる。ヒットになったら走って」 と教えてくれました。私は2塁まで行きたいですから、メンバーの言った事を意識して、さらにライトで練習した 「ダッシュの体勢」 を意識して「走り出す瞬間」を待っていました。待っているうちに「盗塁してみよう」 と思いつき、ピッチャーがボールを投げた瞬間に走りだしてみました。 私が2塁に着く前に 「3アウト」 となりましたが、 「今のはダッシュが出来たのかなぁ」 と、一人でニンマリしていた私です。
 ヒットを打った後、私はいつもレクチャーして頂いている心友に駆け寄りHugをして大喜びしました。そしてすれ違った別のチームメイトも 「ナイスバッティング!」 と声をかけてくれました。 私は球場では 「心友」 以外と話をすることは少ないですし、メイトのほうから声をかけられることも殆どありませんから、 「打った自分を認められたこと」 を 「嬉しいなぁ」 と思いました。 私の後で打ったメイトは 「ホームラン」 を打ちました。私の後で打ったメイトは 「ホームラン」 を打ちました。私はホームベースの近くまで行って、戻ってきた選手に手の平を出しました。もちろん 「いつかホームランを打てる自分」 を思い描きながら・・・。    

 夕方にはバッティングセンターへ行き、「低めのインコース」 を打つ事を意識してみました。自分の苦手なコースを打てるようになったら面白いですよね。そしてどんな球も 「自分の打ち方」 で打っていけるようになったら、もっともっと楽しいですよね。少しずつでも 「先」 へ進んでいる私は 「可能性がいっぱい」 なのだと改めて思いました。
 バッテイングの後には公園へ行って 「壁投げ」 をしてみました。今の自分では 「変えていくところ」ばかりだということは分かりましたが、「何処にポイントを置いて練習すればいいのか」 が分からなかったので、「ゴロのボール」 を 「お相撲さんがシコを踏む体勢で体の真ん中で取ってみる」 事をしてみました。自分の形が 「出来ているかどうか」 や 「どれくらいの時間すればいいのか」 は分かりませんでしたので、「体の疲れ具合」 を意識しながら練習し、 「自分に納得出来る取り方」  が出来たら止めようと決めました。途中に何度か 「もういいかな」 という気持ちを感じる事がありましたが 「心の何処か」 で 「満たされていない自分」 を感じました。こういう感覚って面白いですね。結局私が公園を後にしたのは 「きれいに取れた!」 と心の底から思えた後でした。

私は今日、いつもよりも強く「自分として動いていこう」 と意識していました。私が 「他の誰か」 ではなく 「自分の本当の気持ちに気が付ける自分」 で居られるなら、「今を生きる私」 の中には 「次々と新しい欲求が湧いてくる」。 こんなに大切な事を 「今までにない私」 として体感し、 「今日」 という日を 「お祝いしたい」 ような 「今日を楽しめた自分を認めてあげたい」 ような、「何とも言えない気持ち」 になりました。

 球場で 「ピッチャーの足直撃強襲ヒット」 を打てた私・・・静かにそして力強く、「やったね!」です。

ネムの花・・可愛いね 初生りミニトマト初生りオクラ


2005年07月22日(金) バトンタッチを楽しもう

 朝、公園で赤いチェックのシャツの男性が通りかかりました。私は男性の着ている服を見て、20代の頃の自分を思い出しました。20代・「傷ついたままの私」が最も乱暴に生かされていた時代です。けれど私はあの頃も生きていたのです。そして今もまだ、見えている部分は小さいものだと感じています。今日は20代の自分に「ごめんね」。それから「又、楽になろうよね」と声をかけました。日常の小さな一こまが心を探すきっかけになることを実感します。
 職場へ新しい看護婦さん・Sさんがやってきました。パートさんですけれど、辞めていく私の代わりに入られた方のようでもあります。そして私は 「次の方へ仕事を伝えていく事」を楽しんでいます。 「辞めていく私」 から、「これから働くSさん」 へ 「業務のバトンタッチ」 です。 私は狭い院内をSさんと共に移動します。 「こんな働き方も楽しいなぁ」 と感じます。私よりも以前に入られた看護婦さんは 「自分の時にはこんなに丁寧に教えてもらっていない。ずるい」 と言います。でも、私には周囲の言葉は余り関係ありません。そして院長は 「Sさんどう?何処まで伝わったのか」 と尋ねてます。こちらも、Sさんの事は私には分かりません。私は私の出来ることとして 「自分の知っている事を伝えている」 だけなのです。そして私は・・・。自分の優先順位として 「次の職場探し」 をしています。いつも 「先」 を・・・。

職場へ新しい看護師の女性がやってきました。パートさんですが、辞めていく私の代わりに入られた方のようでもあります。そして私は次の方へ仕事を伝えていくこと」を楽しんでいます。辞めていく私から、これから働く女性に業務のバトンタッチです。私は狭い院内を女性と共に移動します。「こんな働き方も楽しいなぁ」と感じます。私よりも以前に入られた看護師の女性は「自分の時にはこんなに丁寧に教えてもらっていない。ずるい」と言います。でも、私には周囲の言葉は余り関係ありません。 
院長に「彼女どう?何処まで伝わった?」と尋ねられます。でも、私には女性のことは分からないのです。私は私の出来ることとして自分の知っていることを伝えているのです。そして私は、自分の優先順位として「次の職場探し」をしています。いつも「先」を見て生きるのです。


2005年07月21日(木) 面接に行こう

 お昼休みに新しい職場へ面接に行きました。今日尋ねたところは 「デイケアサービス」 です。ところが、担当の方と話をしている途中で、私の持って行った履歴書に現在の職場を書き忘れていた事に気が付きました。私は慌てて「ごめんなさい」と謝りました。頭の隅には 「信頼度が落ちたなぁ」 という言葉が浮かびました。そして 「今書き足してもいいですか?」と尋ねると、事務長さんは 「書きたければ書いてもらってもいいですが、別にどちらでもいいんです」 と言ったのです。その言葉が余りにもさらりとしていたので、私は驚いて「どちらでもいいの?」と聞き返しました。すると事務長さんは 「はっきり言ってみるとこの履歴書に書いてある内容や紙切れ一枚とか、例えば1・2回話しをして分かることって少ないと思うんです。ゆっくりと付き合っているうちに、本当のその人が分かってくるんじゃないかと思うんです」と答えました。更に「此処に来られる方は皆自発的に動かれているんです。目の前に食べ物を差し出すだけや、自分なりの人生を生きてきた人に「自分で何もできなくなったっからと言って全てをしてあげるのはどうかと思うんです」と言いました。私は自分のミスを補おうとしていたところだったこともあり、事務長さんの言葉に心が温まる思いがしました。そして、世の中は私が思うより広くて大きい物のように見えました。私はいつも意識して 「新しいこと」 を探していこうと強く思いました。

 そして、この職場に就職するかどうかは、別の問題なのです。


2005年07月20日(水) 海は 「おかあさん」

 本日も海へ。今日の目的は「サザエ採り」。目的地は岸から100メートルくらい先に見えるテトラポットです。シュノーケルとフィンをつけていざ海へ。泳ぎ始めは少し緊張しましたが、私の体は海水に体が浸かった途端、海水に溶け、そしてフィンの力であっという間に目的のテトラポットへ到着しました。「海」は凄いですね。大きくて広くて、何処までも果てしなく続くその先に 「違う国・違う世界」 があるのですよね。 私は心の底から湧いてくる 「ワクワク」 に 「やった!」 と声を上げました。  
 「サザエ」を採りました。と言っても私の場合は、体を横たえていた岩の横に偶然サザエを見つけたのですが、一度も食べたこともないものを自分で掴まえようと考えていたのですから、これも私の 「新しいこと」 なのです。「モリ」も使ってみました。こちらはちょっとコツがいりますね。モリを使いこなして魚を掴まえるまでには少し練習が必要なようです。
テトラポットから引き上げた後、引き潮で出来た 「塩味の水溜り」 にいる生き物を見つけました。小さな世界で生きている「小指の先ほどのカニや魚」、そして名前を知らない生きもの達も、可愛くてたまりません。私の目に見えない生き物の生きる 「ミクロの世界」をもっと覗いてみたい、いつまでも見て居たい心境になりました。 
 ところで、海水の味を知っていますか? 顔に付いた塩水を舌でぺろっとしてみると・・・適度な塩加減がたまりません。唇に付いた塩水をぺろぺろとなめて、「心がほくほく」してしまいました。喉が少し荒れ気味なのでついでに海水でうがいをしておきました。いろんな生物が生きているのだから、私の体にもいいことは間違いないですよね。

 岸での遊びに飽きた後、海水にふんわり浮かんでみました。手足をゆったり伸ばして、ただゆらゆらと浮かんでいるのです。延ばした肌と海水と触れている感触。海水が皮膚に当たる部分は「プールの水」 と同じようにほんの少し盛り上がっていました。適度に暖められた 「海の布団」 に寝転んで、私は 「海水のお布団」 を包まれているような 「やさしい気持ち」 になりました。 

海の水は 「わたし」 の 「やさしいお母さん」 。そして水溜りに生きている小さな生き物は、私と共に生きる 「きょうだい」 です。「やさしいお母さん」 も 「きょうだい」 たちも、 「そのままでいいからね。あわてなくてもいいからね」と・ 「じぶんをたいせつにしていてね」と言っているようでした。私はまるで小さな子どもになったみたい。これでいいのです。そして私は私自身に 「同じ言葉」 を語りかけ、楽な私を増やしていくのです。だから、これでいいの。ほんとうに。

「小さな世界 ツバメの赤ちゃん達 えさをあげていますよ 本日の収穫 網で捕まえた「ゼイゴ」 サザエの網焼き 本日の海鮮定食我が家の「キンちゃん」


2005年07月17日(日) Baseball 12 「個人」の集まり

野球 12試合目
 9番バッター・ライト。 今日は朝から蒸し暑かったですね。でも、実はこの 「暑さの中でやる野球」 を楽しみにしていましたから、 「湿気の強いグランド」 もなんのその・・。 私はグランドに付いてすぐに 「今日も思い切り楽しもう」と決めました。 
 「今日の目標」 は  「走ること」 。 ライトで守りの体制をとりながら、ピッチャーがボールを投げたと同時に走りだし、ライトに戻るときにも走り、ライトとベンチを行き来する時にも走りました。つまり、今日の私は試合の間殆ど走っていたのです。頭の隅には 「胸を張って足を高く上げて走る」 という言葉。そして時には足を高く上げて飛んでみたりもしました。 途中で 「体から熱が噴出してくる」 ような「熱さ」 を感じたので、少しずつ 「水分を補給」 して 「水道で冷やしたタオル」 を顔に当て、ていねいに体を冷やしてあげました。長く楽しむ為には 「自分の心・体」 に意識を向けてあげることが大切なのですよね。攻撃の方で 「塁に出ること」 は出来ませんでしたが、試合が終わった後の私は「思い切り走っていられた」ことで、 「心も体も満足」 していました。

 今日は試合の中で3つの事を勉強しました。1つ目は 「全部のボールをとろうとしてもいい」 という事。これまでは 自分のところにきたボールをとることで精一杯で「何処か遠慮がち」になっていたのですが、「どんなボール」 も 「追いかけていい」 のだから、 「面白さ倍増」 ですよね。そして 「球を追いかけグローブに収め投げる回数」 が増えるほど 「私の技術」 は増すのですから 「上手になるコツ」 のようにも思えます。2つ目は 「ボールを追いかける時に声を出す」 という事。私のチームメイトさんは 「ボールを追いかける時」 の 「掛け声」 はありませんが、 時々 「1アウトねー」 という掛け声をかけています。 他にも、 「チームメイト」 で 「円陣」 を組んで 「掛け声」 を掛け合ったりする光景を見かけることがあります。 どちらも今の私の中にとって 「小さな憧れ」 となっています。 皆で 「心」 を引き締めたら、「パワーが増しそう」 な気がするのです。 そして 「広いグランド」 で 「大きな声を出して」 遊んでみたいのです。 「お腹の底から声を出す」 のって気持ちがいいだろうなぁと思います。 3つ目は 「左打ちの選手の球はライト方面に飛んで来やすい」 という事です。 「新米の私」 が初めて自分で掴んだ 「コツ」 なのです。  「自分で何かに気が付く」 という事は 「嬉しい」 ものですね。

 夜、テレビで 「バレーボール・キューバ対日本」 の試合を観戦しました。選手達が一球一球に 「自分」 をかけ  「自分」 と向き合っている姿には 「人としての美しさ」 が溢れていました。 「力強さ」 とか 「存在」 とか、なにか 「神秘的なもの」 が伝わってくるのを感じました。 いつも 「自分と向き合う」・・これでいいのですよね。 野球もバレーボールも 「団体競技」 ではあるけれど 「個人の動き」 が集まって 「団体」 となっているに過ぎません。 視線を返れば 「仕事」 も 「社会」 も同じです。私はいつも 「自分と向き合っていればいい」。何をするときも 「自分の心を見ていればいい」 のです。 


2005年07月16日(土) 自然

 「ねむの木」を知っていますか? 現在「私の知っている花」の中で 「一番のお気に入り」です。 「全体にやさしい色合い」 と 「甘い香り」 が大好きです。そんなわけで今朝はいつもより30分早く家を出て、天白区に咲いている 「ねむの木」 を探しに行きました。ところが昨年の記憶をたどって出かけた場所を見渡しても 「ねむの木」 を見つけることは出来ませんでした。そしてその代わりに湖を囲む木々のあちこちから美しい鳥の鳴き声が聞こえてきました。鳥はいつも 「きれいに澄んだ声」 をしていて、まるで 「私は此処にいるよ」 と言っているようですね。そして木の陰や葉っぱの後ろにいる声の主を見つけたときには 「たまらない気持ち」 になりますね。 私は鳥達の 「小さくて可愛くてクリクリとしたお目目」 を見ていると、「心がくすぐったい気持ち」 がしてきます。
 夕方、朝とは別の場所へ 「ねむの木」 を探しにいきました。再開した 「ねむの木」 は 「開花の時期」 を過ぎていて大半のお花が枯れていましたが、 「自分の捜していたものを見つけられたこと」 に私の心は満足しました。 しばらくあたりを散策していたら、去年初めて 「ねむの木」 と出会ったときの 「小さな感動」 を思い出しました。 「毎日を生きるのに精一杯だった自分」が懐かしいとも思いました。そして今年もまた素敵なものを見ることが出来たことに 「心」 が 「ホッ」 としました。

 もしかすると、「季節の変化を楽しめる」 という事は 「今」 を生きていることに繋がっているのかもしれません。 「自然」 はいつも変化するから、自然の中で生きている私は 「その流れに沿って生きる」 事がいいのかもしれません。今年は 「ねむの木」 の「開花の時期」と 「咲いている場所」を確認することが出来ましたから、「来年」 を楽しみにしておくことにして、「ねむの木」 とお別れしました。

少し時期を過ぎた 「ねむの花」
「私の顔よりも大きなハイビスカス」・・びっくりでした。


2005年07月15日(金) やさしく息を。

 昨晩「体を冷やした」ことで、「背中の痛み」 はうんと小さくなっていました。そして私は今夜も 「昨日と同じ体験をしてみたい」 と思ったので、昨日と同じように水をはり、昨日と同じように体を付けてみました。 けれど今日は昨日のように 「冷たさが心地よい」 とは感じません。 「それなら出ようか」 と思う私ですが、どこかで 「満たされていない自分」 を感じたので、 じっと自分に心を傾けていました。 しばらくすると 「両方の肩」 が 「熱を持っている」 と感じたので、左右の肩が水に浸かるように体勢を整えてみました。 冷たい水が肩にかかり、ひんやりとした感に  何故か 「心」 が 「ホッ」 としました。 頭には 「細胞」 とか 「緻密さ」 とか、「繊細さ」 という言葉が浮かびました。  私の体は 「ロボット」 ではないから、「冷やしすぎた部分」 は 「温まりたくて」、 「熱を持った部分」 は  「冷えたい」 のだと、自分の肩に教えられたようでした。そして、子どもの頃の私も 「冷やしたりない部分」 を 「冷やしてほしい」 と望んでいたのだと知りました。 ふと、足元の傷跡に視線が行きました。  これまで 「外見上の傷」 を気にした事はありませんでしたが、 あの頃もう少し冷やしておけば 「傷跡は今よりも小さく済んだのだろうか」 と考えました。 けれどすぐに 「少し違う」 と思いました。 私にとっては 「皮膚の状態」 は小さな問題で、 大切な事は、火傷を負ったことの 「心の傷」 は  「私が自覚するよりもうんと深かった」 ということなのです。 そして今は、自分の体の細部に心を照らし、温めたり冷やしたりしながら、自分を守っているのですから、 「これはとても大きな能力」 と思えました。  さらに、私が本当に 「火傷をした自分の苦しさ」 を 「直視」 できたのは 今回が始めてではないかとさえ思えました。
 私は今、生きているから、 「怪我」 も 「火傷」 も、「自分の治癒力」 で治していく事が出来ますね。 「息がかかることさえ痛かった傷」 は今はうんと小さくなりましたね。

 もしも子どもの頃の私に出会ったら・・・。私はこれからも 「傷んだ部分」 を 「私のぬくもり」 で 「やさしく包みこんでいく」 事でしょう。 それはきっとこんな感じ。「触れたことさえ気付かない」 ほどのそっとやさしい 「ぬくもり」 で、「自分をあたためて」 いく 「感覚」。

 


2005年07月14日(木) 原体験

 昨晩は背中の日焼がひどくてゆっくり寝ることが出来なかったから、今夜は背中を冷やす事を優先した。シャワーの水は体全体にかかるから、すぐに体が冷えて続かない。私はバスタブに底から10センチくらいの水をはり、体を横たえてみた。焼けて熱い背中がひんやりとして気持ちいい。四角いバスタブは狭いけれど出来るだけゆっくり冷やせるように体制を整えた。
 火傷を冷やしている自分。自然に過去の記憶と重なった。幼稚園くらいの私、今と同じように火傷の体、浸けられているのは 「赤ちゃんの沐浴用」 のバスタブに満タンに張られた氷水。 浸かっているのは小さい体をした「子どもの私」 ・・・そっか。 小さな体の私の 「痛み」 はすぐに 「寒さ」 へと変わっていたんだね。 「寒くて痛くて辛かった」 んだね。 あの頃の傷なんて、とっくの昔に癒やせたものだと思っていたよ。  じゃ、今は? 痛いかな? 寒いかな? そういえば少し体が冷えてきた気がするね。 けれどまだもう少し冷やす必要があるよね。 私は少し考えて、バスタブの水をもう5センチ程少なくしてみた。 焼けているのは背中と肩、背中に水が当たればいい。 水からはみ出た左右の肩に、片方の手で水をチョロチョロとかけてみた。水は冷たいけれど 「あたたかい」。 そして 「柔らかくてやさしい」 ね。 そっか子どもの頃の私はこうやって、「傷んだ部分をやさしくいたわって欲しかった」 んだね。そして今は 「自分で自分にやさしくすることが出来る」 んだね。
 全身に広がったよ、何とも言えない 「あたたかさ」。  これでいい。いつもいつも、こうやって、自分で自分をあたためていこう。気のせいかな。 背中の痛みがずいぶんと軽くなったような気がしたよ。 

 今夜は何も手をつけず、「火傷と冷やすこと」 だけをした私。 「現実と対峙する」 とはこういうことなんだな・・・。
いつも、 「今」 と向き合い、 「今」 を生きていこう。


2005年07月13日(水) 「塩味アブク」 の感触

 本日も海へ。今日はルームメイトのMちゃんも一緒に行きました。Mちゃんは随分久しぶりの海だそうで、彼女の瞳は前日の夜からキラキラと輝いていました。そして私もついに、買ったばかりのウエットスーツを来て 「初泳ぎ」が出来ました。 スーツは 「保温力」 がありますね。そして岩や貝で体を傷つける度合いも少なくて安心して泳ぐことが出来ますから、海を楽しみたい方には是非お勧めですね。今日のお天気はまずまずでしたが、海水は前回同様に冷たく感じましたので時々陸に上がっては体を温めながら遊びました。
海には 「はぜ」 という小さな魚がたくさんいました。そして前回よりも大きな 「ウニ」 を見つけました。Mちゃんは 「ツブガイ採り」 を楽しんでいました。 私は今日は、海の中で手足をばたつかせて遊んでみました。私が勢いよく飛び込んでみると、周囲の海水が 「塩味シブキ」 をあげました。そして次の瞬間に、 大小の 「塩味アブク」 が出来上がり、出来上がると同時に 「私の全身の肌」 を撫でました。 「海はやさしくてあたたかい」 のですね。 私はまるで 「海水に包まれている」 ようでした。 今度は 「人魚になってみたい」 ですね・・・。
 午後を過ぎた頃から風が強くなり始め、岩に打ち付ける波も強さを増したように思えたので、私たちは浜辺を後にしました。 まだまだ遊びたい気持ちは残っていましたが、「怪我をせずに楽しく遊べること」 が大切ですから、お楽しみは次回にとっておきました。
 帰り道、立ち寄った蓮池で大きな 「ザリガニ」 を見つけました。ザリガニって食べられるのだそうですね・・・。 知らなかった事を知るのは面白いですね。蓮池の横の田んぼには 「青サギ」 が居ました。 遠めに見ても、 「大きい!」 と叫んでしまう程の大きさでした。 私が歩み寄ろうとする前に田んぼの向こうへ行ってしまったので、 「実際の大きさ」 をお伝えすることが出来ません。 残念です。 けれども、 「自然」 の中で遊んでいると、突然予想もしなかったものに出会うことがあるのです。 ほんとに面白いですね。

 夕方、Mちゃんの 「ツブガイの佃煮つくり」 をお手伝いさせてもらいました。途中で 「面白い感触」 を味わう出来事がありました。 それは 「説明している私」 の中で 「分からないこと」 が発生した時の事です。私はMちゃんに 「これでよかったっけ?」  と尋ねました。 Mちゃんは尋ねた私に 「ウンいいと思うよ」 と言い、私は 「あー良かった」 と言って軽く胸を撫でるジェスチャーをしました。とその時、私の中で 「これまでに感じた事が無い何か」 感じたのです。 それが、なんと言いますか・・・・ 「分からない→訪ねた→分かった」 と実に 「シンプル」 な感触・「心地よさ」 だったのです。 少し時間が経つと 「心地よさ」 は 「いつも、こうやって生きていけばいいんだね」 という 「小さな楽さ」 に変わっていました。 もちろんこの考えは私の個人的な感触ですし、 「想像のひとつ」 に過ぎません。 けれども今日の感触を大切にして、「分からない事を分かろうとする私でいよう」 と決めました。私たちは年齢とか経験とかに関わらず、知らない事を尋ねあい、知っている人が手伝っていく関係を作っていくといいのかもしれませんね。 

  飛んでいるサギ。


2005年07月12日(火) 「感覚」 を研ぎ澄まそう

 この頃の私は、 「社会に居る人」 は皆 「四角い箱の中」 で生きる事を強いられて、「自分ではない形」 にはめられて、苦しくてたまらないのだ」 と思うようになりました。病院で働く看護婦さんも、治療に訪れる患者さんも、そして 「病気を持つ患者さんを診察する医師」 さえも、本当は皆苦しくてたまらないのだろうと思うのです。私たちは常に、「男性」 は男性としての固定観念を・「女性」 は女性としての固定観念を、さらに  「子ども」  でさえ、「子ども」 としての固定観念を押し付けられているように見えるのです。 本当は皆 「自分を持って」 生きていいはずなのに、残念なことですね。そしてあってはならないことですよね。 

 私も時々 「社会の基準」 を強制させられる時があります。そんな時には出来るだけその場所から離れるようにしています。 そして 「自分の心」 を意識して、 離れた場所から 「社会」 を見つめる事を続けます。いろんな事をきっかけにして、自分を見つめていけるのなら、全ての事は自分の心を見つめるきっかけになるのだとも思えます。


「感覚」
 夜、ルームメイトのMちゃんとICの本を読みながら、「感覚」 に付いての話をしました。私たちは子どもの頃、自分の感覚を使って遊ぶ事を止められてきたのですから、今、やってみればいいですよね。 そして実際に 「やわらかいもの」 や 「かたいもの」 に 「触れた時の感触・心地よさ」は何とも言えません。 「人が持つ感覚」というものを考える時、「子ども」 や「大人」 そして性別などは関係ないと思うのです。 今日偶然捕まえたコクワガタは2本の触覚で、「自分の行く先」 を確かめて歩いていました。私たち人間も、虫達と同じように 「自分にある感覚・自分が感じるもの」 を一番大切にして生きていけばいいのだと思います。

 コクワガタ・・長ーい触覚ですね


2005年07月11日(月) いつも自分・まず自分

 「赤ちゃん」 が育っていく様子を 「一般化した基準」 に合わせることは、赤ちゃんに対して 「大変失礼なこと」 ですね。 そういう私も過去には 「育児書」 を片手にして、自分の子どもを 「社会の基準」 に当てはめていた母親です。今では、「随分ひどい事をしたな」と思います。そして私がそうしてしまったのは、「基準から外れた自分を否定されてきた過去」の傷のせいだと分かります。

 私の場合は、「未熟児」で生まれましたから、赤ちゃんの頃の成長もゆっくりだったのだろうと思います。そして幼児期には頭から火傷を負いましたから、「私が育つ為のエネルギー」 は 一時的に 「やけどの傷を治すこと」 に注がれたのだろうと思います。 さらに私は 「子どもの心が安定していない場合」 は 「肉体的な成長は遅くなる」 とも思っています。 ですから余計に 「ゆっくり育ち」 になっていたとも思えます。  その私を 「困った子ども」 として見ていたのは、過去の 「社会の基準に私を沿わせようとした親達」 です。それ以前に 「丙午に生まれた私」 を一番先に 「困った人」 として見たのは 「私の父親」 だという事は明確です。

 私や「赤ちゃん」の事だけでなく現代の社会でも、「マイナスの常識や評価の中」 で 「困った人」 を作ることが多いですね。特に集団の中に居る時には、「社会の基準」 に沿わない人は 「困った人」 としてみなされますね。こちらも、 「基準から離れ自分として生きている人」 に対して 「大変失礼なこと」 ですね。 例えば 「不登校すること」 や 「ニート」 と言われている人々は、その方法で 「自分を伝えている」 はずなのに、社会の常識の中で評価され 「困った人」 だとされがちです。 でも、本当は違いますよね。私たちは、「ロボット」 ではありません。例えば常に浮かんでくる自分の感情には 「行きたい」 も 「行きたくない」 もどちらもあっていいはずです。もっと言うなら 「後で行く」や「何時間後に行く」 があってもいいのです。  皆それぞれ、「自分の気持ち・思い」 があっていいのです。 そして仮に 「行きたくない」 とするのなら、「行きたくない理由」 があることを、社会の大人は特に 「知ろうとする必要」 があるのです。 こうして考えると、「困った人」 を 「作っている社会」 と 「困った人とされている人々」と、「本当に困っているのはどちらだろう」 と、深い疑問が沸いてきます。

 仕事の帰り道、一人の看護師の女性が「Mamoちゃん辞めるの?私はMamoちゃんは心のある人だなぁと思って、いろんな話が出来ると思っていたのに寂しいなぁ」と言いました。私は少し黙ってから、「みんないつも自分を大切にすると良いよね。でも私はまずは自分から」 と小さく呟きました。彼女は 「そうだね、私もこれからは自分を一番大切にするんだっ」と言いました。  私も、「自分の気持ち」 があっていい。 「私」 はいつも 「自分の気持ちを大切」 にします。 

 私はいつも、 「自分」 から。


2005年07月10日(日) 「新しいこと」 をしよう

 私は今ベトナム語を勉強しています。移動時には 「テープレコーダー」を持ち歩き、部屋ではBGM代わりにベトナム語が流れています。発音も声調も聞きなれないものなので、「聞き慣れる」 ことから始めています。 新しい事を取り入れていくのは楽しいですね。 そして実際に一単語でも使うことが出来た時には嬉しいですね。この「小さな喜び」 が 「次の一単語」 へと繋がっているのだと思います。 ところで今日は外出先でラベンダーがたくさん植えられている場所があり、ラベンダーの花に 「ミツバチ」 がたくさん蜜を吸いに来ているのを発見しました。「ミツバチ」 は 「クマバチ」 と同じように黒いお尻をしていますが、クマバチよりも小さくて体の毛並みがフサフサしているように見えました。私はちょうどソフトクリームを食べていたので自分の手にクリームを乗せて近づけてきましたが、ミツバチは見向きもしませんでしたから、彼らは 「ラベンダーの蜜」 の方がお好みだったのですね。 何とか写真に収めようとしましたが、蜜を求めて飛び回っているので難しいですね。
 夕方バッティングセンターへ行きました。小学生くらいの男の子が何人か居ました。彼らは私よりも小さな体をしているのに、私よりも高い技術を持っていました。「小さな野球少年」 も 「かっこいいなぁ」 と思いました。 そして私自身も久しぶりに 「まずまず・な気分」 でした。いつも 「腰を意識して」、何度も練習するといいですね。実は今一人で練習していることもあるのですが、それは今はまだ・・・です。家に戻ってから 「自転車のタイヤの修理」 をしました。少し前に 「パンク修理」 をしてみましたが、まだ空気が抜けるようなので、今日は 「虫」 という 「黒いゴム」 を変えてみました。明日の朝どうなっているかな? 以前はタイヤ修理なんて 「自転車やさん」 にお任せしていた私です。そして今は、「自分でやってみること」 を楽しんでいる私です。

たくさんのミツバチの中から2匹・・。アジサイの花。「まっ白」 です。


2005年07月08日(金) 生命の循環

 今朝水槽を覗くと 「玄関の方にある水槽」 の金魚が2匹死んでいました。よく見ると水槽の水に油のようなものや黒くて小さい 「タール」 のようなものが浮いていていました。きっと昨日の大雨で何かが入り込んだのですよね。私は 「金魚の死」 は悲しかったけれど、「生き残った金魚の命」を大切にして動きました。 目の前にある状況の中で 「次の動き」 をする・ 「先を見る」 ってこういうことなのですよね。
 昼休み、「死んでしまった金魚」 を土に返してあげました。彼らは自分の命を張って 「他の金魚が生きる事を手伝った」 とも言えるでしょう。そしてこれからは土に帰る事で 「自分とは違う命」 の為に活用されていくのでしょう。  「何ともいえない世界」 だなと思います。 「生命は循環している」 のですね。

 「生き残った金魚」 は今、部屋の中にある 「大きなお鍋」 の中でかわいい尾ひれを振って泳いでいます。 実は・・・「獲付け」をしてみたくなったのです。


2005年07月07日(木) 「やってみる楽しみ」

 この頃は 「朝のひととき」 をゆっくりした心で過ごせるようになり、「僅かな時間」 の中で 「出来る事」 を楽しんでいます。 ちなみに今朝は朝起きてすぐに 「金魚ちゃん」 を見に行きました。金魚は水槽の下の方で 「静かに水に漂って」 いました。 金魚にも 「獲つけ」 が出来ると聞きましたので、明日にでもやってみようと思います。 朝ごはんを食べた後少し早めに家を出ていつもよりたくさん素振りをしてから仕事に出かけました。 先日の試合では 「自分」 を発揮することが出来ませんでしたので、今は自分自身に 「テーマ」 をつけて練習しているところです。
 仕事時間は相変わらず 「業務の渦」 でした。けれども少し考えてみると、この頃は終了の時間が近づいても 「そわそわしている私」 ではありません。過去 「逃げるように職場を離れていた私」 はずいぶん小さくなり、今は 「少しくらい遅くなったっていいかな・・・」 という心境で仕事をしているように思えます。  もしかするとこれが 「楽な自分のスタイル」 なのかもしれませんね。 「楽な自分」 をどんどん広げていきましょう。
 昼間、「運動をしているので良質のたんぱく質をたくさん摂った方がいい」 という情報を聞きました。 夕飯には魚が食べたくなったので 「さんま」 を買ってきて食べました。 今は 「秋」 ではないけれど 「さんま」 もおいしいですね。 あちこちから入ってくる情報を、自分にあわせてやってみると新しい発見がありますね。

いろんな事をやってみよう。やってみることが楽しいのです。22:30


2005年07月06日(水) 「金魚ちゃん」

 休日。今日は 「ウエットスーツ」 と 「モリ」 と 「フィン」 を積んで、海へ向かって車を走らせました。今日の目的は 「サザエを採ろう」 です。ところが今日はお昼になっても気温が上がらなかったので、「潜りは先送り」 にして、岩の上で 「つぶ貝採り」 を楽しんで帰ってきました。 「初潜り」 を先延ばしにした分、 「次回」 が楽しみなのです。・・・面白いですね。 そして もっと 「興味深い」 事は、「先送りに出来た私の気持ち」 なのです。 「今日は無理だなぁ」 と分かってからそれほど時間を要さずに、自然に 「次の動きに変えよう」 と思えていた私だったのです。こちらは 「心」 の問題ですね。こちらの方も 「面白い」 ですね。 私はいつもどんな時も 「ある状況」 から 「次の事」 をしていけると楽なのですね。 家に戻ってからの後半も 「楽しい楽しい一日」 でした。

 ところで今日、「金魚ちゃん」 を買いました。種類は 「小赤」。夜店で売っているおなじみの金魚です。「金魚ちゃん」 のお家は 「雨水を溜めている水槽」 なのです。 水槽の雨水に 「ボウフラが湧く」 ので 「金魚」 が飼えるというわけです。 ちなみに水槽の大きさは 「2.4キロの洗濯機を2回り小さくしたくらい」 ですから、「小さな金魚ちゃん」 には広々快適な住まいということになりますか? お部屋は 「天然の明かり」 が僅かに差し込む程度です。 「お目目にやさしい」ということにしてもいいですか? それとも 「太陽の光り」 がもっと欲しいのかな?  けれど金魚ちゃんの体に 「直射日光」 は強そうですね。 体といえば色はもちろん 「朱色」 です。 改めて眺めてみると 「きれいな色」 ですね。そして金魚のおめめも 「かわいい」 ですね。今は 「かわいいもの」 を眺めて楽しめる私なのです。

「今日も一日楽しかったね」

 きれいな色のイソギンチャク 海の近くにある「大ハス」 
7月4日の夕食(アジ塩焼き大根サラダ・庭に咲いたシソ付き)
7月5日の夕食(鳥ごぼう唐揚げ・こぼれ落ちそうなサニーレタス付き)
7月6日の夕食(つぶ貝の炊き込みご飯・サンビレッジの棚卸で安かったイチジク付き)


2005年07月05日(火) 「神聖な場所」

 よく考えてみると、「病院」 という場所そのものが 「ビジネス」 の世界なのですね。というよりは 「人が生きること」 の 「目的」 が 「外貨を蓄えること」 となっているのだと思えます。因みに私の父親は、祖父の法事に集まった親戚一堂の前で 「神も仏もクソ食らえ!」 と叫んだ人でした。自分の中に「大きな怒り」 を抱えていた父が家を出なかった本当の理由は、「祖父が残していた財産」だったのではないかと思うのです。私はこの事に気が付いた時 「軽いショック」 を覚えました。けれど次の瞬間に「なーんだ。そういうことか」 と 「胸の “つかえ” が取れた」 ような気持ちになりました。 全ては私の推測に過ぎません。そしてバスも通らない田舎にある土地なのです。それでも家の周囲にあった土地を思い浮かべると、自然に浮かぶ発想なのです。そして“父親が見ていたもの 「私ではなくお金」 だったのだ”と言い切ることができた途端に、長い間持ち続けてきた 「父への疑問」 が、私の中で丸く収まってしまったのです。さらに 「職場を離れようとしている自分」 の行動の 「原点」 を垣間見た気もするのです。

 看護婦になって18年。誰もが一度は思い描くように、心のどこかで 「病院」 というものに 「神聖な雰囲気」 を思い描いていた私。そんな 「私の気持ち」 はあってもいい・持ち続ける必要があるのだとも思います。けれどその全てが 「自分の為」 にあるように 「純粋な私」として働いていこうと思います。私が 「純粋に生きること」 で 「傷を抱える私」 はうんと小さくなっていくはずだから。


2005年07月04日(月) 「いらないもの」

  雨の一日。朝から強い風が吹いていたので、 「トマト」 の支柱を補強しなおしてから仕事に出かけました。月初めの職場はいつも 「医療費のレセプト業務」 が入るので、院内の「慌ただしさ」が増します。私は 「私」 を大切にしています。 心を無視した「職場の要求」 に 「怒りを感じる」 人は多いです。たいていの人は自分にある 「怒り」 を 「笑いや冗談」 の中で表現します。 「素直に伝えられないこと」 は当然だろうとも思えます。「自分を伝える」と否定されてしまうから、「その人自身を表現すること」を止めてしまうのです。 私も時に否定されます。そして私の場合は 「否定されると辛い」 から 「黙っている」 ということをしながら仕事をしています。

 社会の大半の人々の視線は 「お金」 なのですね。人は 「物質的な裕福さ」 を求める余り、「心」 を忘れているのですね。そして私も過去には同じ場所に居て、「頭に描く理想の世界」の中で生きていました。私が知っていたのは、「頭で生きる方法」 だけだったのですから、仕方の無い事ですよね。

 ほんとうに、不必要なものを「不必要だ」と見極められる自分として生きよう。23:30


2005年07月03日(日) Baseball 11 「次」

 野球11試合目。9番バッター・ライト。今日は試合前から雨が降っていましたが、私は「雨の状況」よりも「野球をする体制」を作る事を意識しました。試合が始まってみると「雨粒」など少しも気になりませんでした。ところが今日は、私の体が目を覚まさずに、守りの中で始めの一歩が出遅れてばかりでした。最近は守備の練習をしていないせいもあると思うのですが、少々 「情けなさ」 を味わいました。それでも過去は「切り替えることを意識する私」でしたが、今日は自然に「次を楽しめる私」でいましたから、 「変わっていく自分」 を見ていて 「楽しいなぁ」 と思います。
 打席は一度回ってきました。こちらはようやく、「飛んでくる球」 が見えるようになってきたという実感があります。バッターボックスに立ッた私の頭は前回習った「おっつけ」と「腰」でした。2球目までは球の様子を見ました。どうやら今日はゆるめの球。私がストライクとボールを見極められれば「2回目のヒットが打てる」のだと思いました。3球目、タイミングを見計らって振ったバットにボールが当たりました。しかし残念ながら 「ショートフライ」 となりました。今回の場合は「上からバットを振ること」を意識していればよかったのですね。それでも「バットを振った結果」に分かったことですから、「次」につなげていくと良いのですよね。
 試合が終わった後、「以前よりも楽な心」でバッターボックスに立っていた自分」に気が付きました。 「野球」は遊びの1つのはずなのですが、回数を重ねる度に「楽さが増している自分」を面白いと思います。私は今日自分で感じた「楽さ」を、単に「場所慣れ」したものではなく「心の成長」 を元にして出来上がったものだということにして、これからは 「プラスの自分を持続していく事」を意識して生きようと強く思いました。
 夕方6時ごろから、久しぶりにのんびりとキッチンに立ちました。魚を焼きながら 「ベトナム語のビデオ」 を見ました。「ビデオの言葉」はベトナム語、そしてそのテンポの速いこと。理解できた単語はたった一つです。全く「言葉の分からないビデオ」を見ている自分がおかしくもありましたが、今はベトナム語を勉強していますから、近い将来「分かる単語が増えてくること」も想像できました。そして言葉が分からない分だけ画像の中で想像が膨らむのですね。ついに一時間ほど、ビデオに見入っていた私です。夕方7時・ウィークデイならいつも仕事をしている時間です。こんな時間にのんびりと食事が出来ていることが嬉しいと思いました。

 私は「新しいこと」を「楽しんでいる私」として生き、「プラスを持続」 できればいいのですね。 その為に 「自分にある能力」 を意識して、「先」を見ていくのです。 


2005年07月02日(土) 「心の境界線」

 これまでの私は、 『表面的』 なことに捕らわれていて、『心の境界線』 が欠けていたのだと思います。 「そうだったのか・・」と思ったとき、子ども達の事が浮かびました。 過去は常に、「自分よりも子どもを見ていた私」 。 いつもいつも 「自分として生きる事」 を知らないまま 「私」 を押し付けてきたのですね。 けれど今となっては仕方がありません。だから私は 「先」 を見ていこうと決めています。

 社会には 「境界線の無さ」 が溢れています。私は今でも 「自分を忘れる」 と途端に飲み込まれてしまいます。 けれど社会の中には 「自分を見つめる材料」 がたくさんあるのだと思います。集団の中に居ることで多くの事を勉強することが出来るのだとも思えます。 私は 「積極的に社会を見ていく」 とより成長できるのだろうとも思っています。 今日も又、「自分の心」 を 「一番大切に」 して、さあ出かけよう。7:00


Mamo |MAILHomePage

My追加