「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2005年06月30日(木) 境界線

 「いい人」 には自分と他者との「境界線」が無いのだと思う。何故なら自分を殺して「他者の感情を引き受けてしまう」から。社会にはこの状況が溢れていると思う。他者の仕事を引き受ける人たち。自分を殺して医師に従う看護婦。病院の「人間関係の仕組み」 は 「家庭の仕組み」 と同じだと思う。私にとっては 「ましに過ぎない世界」。過去にはこの世界で生き延びていた私。だから私は、今はより強く自分を意識する。自分に 「いいよ」 の言葉を向けられれば、私の一番楽な思考が沸いてくる。これでいい。真実を見ていこう。

「一人」で静かに生きていこう。6:35


 「看護婦と患者さん」。
薬を塗られる小さな足。薬を塗ってる大きな手。 「人」と「人」。 頭の片隅に 「境界線」。 何故か私は  「ホッ」 としてる。 私たちの居る処置室から突然子どもの笑い声。 私たちは慌てて口に指を当て、「しーっ」と小さく囁いた。 思わず漏れる「クスクス」の笑い声。 もう一度 心に感じる 「懐かしいような安堵感」。 「楽な私」。 「心が、楽」 「これでいい」。 気のせいかな。 「自分の動き」 が静かに思えた。 「女性として生まれた私・やさしく生きよう」

「私」 って何だろう。「自分」 って何だろう。 どうして此処に生きているのだろう。 生きているから生きているのだろう。 私は私でいいのだろう。 考え始めたら何処までも広がり続ける。 無限に広がる可能性を持った私。23:00


2005年06月29日(水) 「視線」

「いい人」 をやり続けようとすると、心が疲れる。何故なら 「自分を殺して生きる人」だから。 けれど 「いい人」 として生きてきた自分の傷は見えずらい。何故なら 「いい人」 として生きることが 「受け容れられる条件」 だったから。そして過去に持っていた「優しさ」は、 「生き延びる為の術」 だったから。「自分にある真実から眼を逸らす」 と 「心」 を失う。気が付いたら又始めればいい。
 
 夕方「上昇気流」というのを見た。「雲」が出来ているのだと聞いた。生まれてはじめて見たもの。「凄い」と思った。世の中には私の知らないことがたくさんある。いつも「新しい私」を見続けよう。

 日が暮れた後、部屋で洗濯物をたたんだ。昨日着た私の服。丁寧に一つ一つを片付けていく。頭の片隅で 「今を大切にしよう」 という言葉が浮かんだ。そうだね。いつも「今」を大切にしよう。自分の動きを大切にしよう。ゆっくりとした自分の動き。これが 本来の 「私」 のリズム。いささかゆっくりペースだろう。でも、これでいい。これが 「私のペース」 だから。仕事の時はどうすれば? 「自分のために働いている自分」を大切にして「働くこと」 を楽しんでいこう。いつも 「心」 を持った私として、社会で生きていくために能力を120%意識しよう。

[視線」をいつも自分に。

 「上昇気流」に乗った雲です。凄いね。


2005年06月28日(火) 触れ合い

 午前中、2ヶ月前の4月12日の診察に来られた「知的障害施設に入所されている女性が再診に来られました。今日の彼女の状態は以前よりも悪化していて「特別な処置」が必要でした。女性は処置の間は静かにしていましたが、診察を終えた後から前回と同じように叫び始め床に寝転んでしまいました。私には、女性はいつもとは違う出来事に戸惑ったように見えました。付き添われていた男性はご自身の力で女性を起こしあげようとしましたが、女性は少しも動こうとはしませんでした。そして治りかけた傷口に爪を立てて傷口を引っ掻き始めました。私は女性の傍に居たくなったので、彼女と一緒に床に座らせてもらいました。女性の傷だらけの手は遠めに見るよりも柔らかくて5本の指はすらりと細長く伸びていました。私は傷が治ったら女性の手は美しくあるだろうと思いました。女性は時々独り言を話し、私は彼女の言葉に答えていました。
 何度目の言葉だったでしょうか。女性は、大きな声で「びっくり!」と言いました。私は、これまでの関わりの中では限られた単語を単調に繰り返すのみであった彼女から、初めて聞いた新しい言葉に驚きました。そしてすぐに「そうだよね。びっくりしたんだよね」と答えました。女性は途中で私の胸元に顔を擦り付けてきました。私は何だか心がくすぐったい気がしました。そして、女性自身の心に、ほんの少し触れさせていただいた気がしました。女性はしばらくすると落ち着きを取り戻しました。そしていつもと同じように診察室を後にしました。この僅かな時間も私には貴重な時間でした。


2005年06月26日(日) “ぷりん” と “つるン”

 又また海へ行ってきました。今日も波はやや高め。そして風も前回と同じくらい吹いていました。前回は波の飲まれて怪我をしましたから、今日は自然に「安全に遊べるよう」に意識しました。
 シュノーケルをつけて海の底を覗くといろいろな魚が泳いでいるのが見えました。サイパンで見たのと同じようなクロなまこやウニがたくさん居ました。全長5センチほどのウニの上に大きなアサリ貝がのっていました。「やった!」と思ってアサリをつまんでみると、貝の中身は空っぽで、あたりを見渡すと、殆どのウニの上に貝殻が乗っかっていましたから、ウニは貝を食べて生きるのですね。知識としては知っていましたが・・・本当だったのですね。まるで始めて知ったような気がしました。

 海で遊んだ時間は3時間くらいだったと思います。それでも帰路に向かう私の心は120パーセントの満足感を味わっていました。少ない時間でこんなに楽しめたのはなぜかなと考えてみると・・・「怪我をせずに楽しむ事が出来た」事が私の満足度の理由」だったのです。

 家に帰って早速つぶ貝をゆでました。ところで私は過去、「魚介類」は大の苦手だったのです。子どもの頃のマイナスの経験が 「魚介類嫌いの理由」 でした。ところが就職して間もない頃、友人に勧められて 「採れたてのカキ」 を 「レンジでチン」 して食べてみたら・・・その「カキのおいしさ」 は格別でした。 これは私が魚介類を食べるようになった 「きっかけ」 なのです。 「食べられなかったものが楽しく食べられるようになる」 ことも、1つの能力ですよね。 面白いですね。 今日はつぶ貝をいくつかお皿に入れて 「レンジでチン!」 に挑戦してみました。 こちらは、加熱の時間が多すぎて 「貝の干物」 のようになりました。「チンする時間の調整」 に 「コツ」 が分かれば、ゆでるよりも早くおいしく食べることが出来ますね。けれど今日は数がたくさんありますし、電気代もかかりますから、大きなお鍋に貝を入れて、時間をかけてゆっくりと茹で上げました。茹でたてのつぶ貝、おいしいですよ。何よりつぶ貝から実を出す時の感触がたまりません。貝の中のくるくる迷路を通って出てくる間に尻尾が切れてしまわないように、手首を上手に使うのです。小っちゃく細くなった尻尾がプリンと出てくる・その瞬間を想像して下さい。 最後の最後はきゅんと丸まったまま少しだけ反動をつけて見事に 「ぷりん!」 と出てくるのですよ。  又またしばらく嵌りそうです。

水色のヒトデ 本日も大漁 一番大物 “ぷりん”と“つるン”


2005年06月25日(土) Gobamcanと愉快な仲間達

 昨日、手続きを先延ばしにして半年間滞納していた税金と国民年金の支払いをしました。ところで 「年金」 は私が年をとって働く力が弱まった時の 「生活保障」 のためにあるのですよね? そして 「税金」 は私たちの暮らしのあちこちで役立っているはずなのですよね。とすると、私は 「税金を納める」 という形で 「社会に参加している」 という事になるのですよね。 そして 「社会」 とは私たち一人一人の 「力」 が集まって出来ているということですよね。 さらに 「社会」 は私たち一人一人の意識から成り立っているということにもなりますね。凄いですね。

 夕方から 「心の勉強をしている人々」 がたくさん遊びに来ました。私たちはそれぞれに持ち寄った食べ物を口に運びながら、楽しい時間を過ごしました。話の中に 「野球チーム」 を作るという内容がありました。私にとっては 「嬉しい話題」 の1つです。 「チーム名」 は何でしょうか? 因みに 「心を持った人たちの集まり」 に仮ネームをつけるとすれば 「ゴバンカンと愉快な仲間達」 と浮かびました。とすると、「チーム名」 は何になるのでしょうか?! 考えるだけでワクワクします。

 私は毎日の素振りは空手の中で実にたくさんの気付きを得ましたから、「スポーツをすること」 も自分を大切にする動きの1つなのだと思えます。早く 「野球チーム」 が出来ればいいなぁと思います。 「心待ち心待ち」。


2005年06月24日(金) 私の「感情」と「思考」

 「私」 はいつも 「何かを感じている」 のですね。そして 「私」 が 「自分の感じたこと」 を打ち消してしまったら、 「心」 は 「違うところ」 へいくのですね。 いつも 「自分に耳を傾けている」 と、より早く「自分の感情」 に気が付くことが出来るのですね。 私は今は 「真の感情を感じる私」 を大切にします。  「真の自分」 を大切にする私は、ゆったりと 「ゆりかごに揺られて」 生きているみたい。 これまでの 「やっていこう・進めていこう」 と力を入れて踏ん張っていた自分を脱ぎ捨てて、今は自分の 「真の感情」 を 「安心して感じていよう」と思います。 「理想」 に思い描く私としてではなくて 「真実の私」 として、感じるままでいいのです。

 「私の思考」 は次々と浮かんでくるものなのですね。そして、私は浮かんでくる思考の中で 「今の自分」 がやりたいことを選んで動いているのですね。という事は 「浮かんだ思考」 の殆どは瞬時に消えていくのですよね。とすると、私は 「今を生きるために必要なもの」 を 「意図的」 に選んでいるとも言えるかもしれませんよね。すると、もしも私が 「私にあった過去」 に付いて考えているときには、その出来事が数年前のものであれ数時間前のものであれ、私は私自身の 「思考」 をストップさせていることになりますね。 「思考を止めている私」 は意図的に 「その場に止まろうとしている」 とも言えますよね。そして仮に 「過去の出来事」を「考え続けている私」 であるなら、 「今を生きている」 事にはなりませんよね。ということは、私が 「今を生き続けよう」 とするのなら、いつも 「今の事」 を進めていられるといいのですよね。 仮に 「小さな戸惑い」 を持っていたとしても  「プラスに生きる中」 で 「答え」 は自然に見つかるのですね。

 私にとっての 「一番大きな能力」 は 「社会に巻き込まれたときにも、自分の心を切り替えて現実と対峙できること」 なのですね。そして 「次」 の事を続けていられると、 「過去に止まっていた自分」 に気が付くことが出来るのですね。  さらに 「私の基盤・能力」 は 「現実と対峙していく経験」 を重ねることで より大きくなっていくのですね。そして 「何があってもそこからスタートできるのだ」 という事の確信を得ていくのですよね。
 
 私は 「自分の成長」 が楽しみです。22:40


2005年06月23日(木) 「知る・知らない・知る」

 何もかもを知っていることが 「大人として生きる自分の条件」 だと思っていました。でも、ホントは違うのですね。私は 「自分の事」 でさえ知らないことがたくさんあるのです。 世の中にも 「私の知らないこと」 はたくさんあるのです。いえ、「知っていることはごく僅か」 なのですね。 そして自分で成長していくたびに 「何かが1つ」 だけ分かる自分になるのですね。 何かを知るきっかけは 「小さな戸惑い」 なのですね。 今は 「小さな戸惑い」 をしっかり見つめる自分でいます。私は 「自分の欲求を満たすために生きている」 のです。だから、「自分の事をしていく」だけですね。 自分の事を丁寧に見ていくと、又1つ 「成長」 に繋がるのですよね。7:50


2005年06月22日(水) 波の力・私の心

 今日は 「内海海岸」へ行きました。 私は海も大好きです。 海水に触れて遊びながら 「汗負けし始めた肌を海水に付けたり」、「つぶ貝採り」をしたり、何よりも 「潮の香り」 がたまりません。 向こうに広がる海岸を見渡すと、今日は波が少々高い様子。そして海に入るには水温が少し低めです。波に足元を取られないよう気を付けながら 岩に張り付いている貝を採っていました。そして一時間経った頃でしょうか。アクシデントの発生です。私は自分の後ろから突然「大波」に襲われて、あっという間にひっくり返ってしまったのです。後で考えると私は波の中に2度引っ張られましたから、 「波」 は2回やってきて、私は波にさらわれまいとして岩にしがみついたものの、「波の力」 に勝てず、そのまま引きずられたのですね。ようやく体を起こしたときには両手・右肘、そして左のお尻を傷つけたようでした。海水から上がってみると自分の体から血液が流れていました。足を伝う自分の血液を見た途端に体が震えてしまいました。普段 「病院」 という場所で仕事をしているはずなのに、思いがけない痛みに「心」 が戸惑ったのですね。 早速水道水で傷口を洗ってみると、傷は浅いけれど広範囲でした。私は 「遊びたい気持ち」 が残っていましたが、 「怪我をした自分の体」 を大切にすることにして海岸を後にしました。 「傷」 をすると 「痛い」 ですし、「心」 は驚きますね。 そして 「戸惑い」 があっても 「怪我の処置」 を優先する事が出来ましたから、これでいいのですよね。手や腕の傷は小さいけれど、「野球」 に支障をきたします。お尻の傷は比較的広範囲で、座ると痛みが走ります。どちらも2週間後の試合までに完治できるよう、今は 「傷のある自分」 を大切といいのですよね。
 
 2005年4月21日には車同士の 「衝突事故」 に会いました。5月8日には消防署の前で宙返りをして転倒して 「左半身を打撲」 しました。そして今日は海で波にさらわれました。生きていると何があるか分からないですね。遊んでいても笑っていても・・・どんなに気をつけていても 「思わぬ出来事」 があるのですね。それならば私は 「いつ・どこで・何が起きても、そこから考えていける」 よう・ 「何があっても自分の人生を大切に出来る」よう、いつもいつも 「自分を見ている」 といいですよね。少しの時間で採ったつぶ貝は家に帰ってゆでました。潮の香りが家中に広がって、嬉しくなりました。今年は何回海に行けるかな・・・。楽しみですね。夏には夏を満喫しよう。


2005年06月21日(火) ホームラン・イメージ

 朝の公園で素振りをした。イメージは野球グランド。私はバッターボックスに立ち、ピッチャーの球を待ち受ける。バットを高めに担ぎ、両腕を合わせてグリップを軽く握る。バットの持ち方を意識する時、いつも一瞬ルームメイトのフォームが頭に浮かぶ。彼のような持ち方もいいなと思う。前からボールが飛んできた。かがめた腰を少しだけ右にひねる。左腕を意識してバットを前に出す。グリップエンドをぶつける先はボールではなく、木に開けられた「虫食いの穴」。打った。ボールはライト方向へ。その時後ろで声がした。「ホームラン!野球おばさんがホームランを打ちました!」。 振り向くといつもの集団登校の少年達。私は思わず手を振った。少年達は「ホームランおばさんが手を振ってくれた」と言って通り過ぎた。小さい少年。ランドセルが大きく見える。私もきっと彼らと同じ頃にはランドセルに担がれていた。空は曇り。私の心は晴れマーク。野球は楽しい。もっと上手になりたいな。私はいつも変化する。もっともっと生まれ変わろう。


2005年06月20日(月) いいよ・いいよ。

 今朝、いつもの公園で素振りをしている自分を見ていました。伸びてきた髪の毛を後ろに上げて、昨日とは違うスタイルで立っている自分。何だか・・・ 「心」 がホッとしました。 ホッとした私は自分自身に対して自然に 「いいよ・いいよ」  と声をかけました。今までに無い安堵感。そしてこんなにも「自分に優しくなれている自分」 に感じる 「何とも言えない優しさ」。 私が 「ありのままの私」 を受け入れたなら、私は心の底から楽になっていくのですね。

 本当に 「もういいよね」。 「心の底から柔らかい私」。「これでいいね」。 だから又、本を読もう。 そして 「私の好きなもの」 を大切にしよう。 私の好きな場所・好きなもの・好きなこと・いつもいつも大切にしよう。うんうん。それがいいに決まってる。22:10


2005年06月19日(日) Baseball 10 「盗塁のコツ」

 野球10試合目。
 今日は8番・バッター。守りはライトです。打席は一回。そして今日はボールを見送って三振となってしまいました。私はバッターボックスを離れた途端に 「振ればよかったぁ〜」と小さな後悔をしました。あとで考えてみると 「バッターボックスに立ったときだけ」 が、ボールを打って塁に出るチャンスなのですよね。仕方がありませんね。「次のチャンス」を楽しみにしておきます。ところで今日は 「盗塁する時のコツ」を練習しました。「盗塁を成功させる」為に大切な事は 「いつでも走り出せる体勢でいること」 と 「ピッチャーの動きを見ていること」 なのだそうです。 塁に出ている間はいつでも走り出せる体勢を整えておき、ピッチャーが左足を上げた瞬間に走り始めるのです。今日は「シュミレーション」のような形で取り組んでみたのですが、それはそれは・・・ 「瞬間技」 のように思えました。きっと何度もやっているうちに、コツがつかめてくるのですよね。
 試合終了後、「より早く走る練習」をしました。「胸を先に出して、胸から走り始め、次に膝を出して走る」・ 「胸で足を引っ張りあげるようにする」 のだと聞きました。なるほど走ってみると、それまでの私の走りよりも 「軽く走れている」 ように思えました。それにしても体全体で風を切って走ると気持ちがいいですね。一往復した後の私の体は 「まだまだ走りたい」 と言っているように思えました。
 試合の帰りにはバッティングセンターへ行きました。試合では「見送り」をした私、前からやってくるボールを打ちながら 「バッターボックスに立ったらバットを振る」 と 深く「心」 に決めました。もちろん一振り一振りを大切にしながら・・・。

 野球は楽しいですね。それ以前に「体を動かすこと」 が心底 「心地よい」 のですよね。 そして自分のやりたい事を楽しんだ後には又、「心」を落ち着けて、「自分を見つめ、傷を癒やしていく」 のです。今日もまた心身ともに 「楽しい楽しい休日」でした。

 「自分を一番大切にしている」と、いつも楽しい。これからもっと 「自分の心に耳を傾けて生きよう」。これまで出来なかった事をたくさん経験してみよう。 やってみよう。 

 グランドに居たスズメはフェンスの穴からチョンと飛んで2本の足でチョンと着地してグランドの外に出て行きました。スズメは地面を移動する時、2本の足でチョンチョン飛んで歩きます。かわいいね・・・。22:00


2005年06月18日(土) プラスを持続させよう

 午前中は仕事をしました。今日は血管がもろくて血管が破れやすい患者さんが採血の為に来院されました。私は以前から、患者さんに注射をさせていただく時 「より小さな痛みで済むためには」を考えるのが好きです。皮膚を四方八方に引っ張ってみたり盛り上げてみたりしながら、刺せばいい場所を探していきます。少し時間はかかりますが 「事前の情報を丁寧に取っている」のですから、大切なことだと思えます。そしてたいていの場合針を刺す直前に、心の中で 「痛くありませんように」 という言葉を呟きます。もちろん失敗してしまうこともあります。そんな時には、私の技術不足で失敗したのですから 「ごめんなさい」 と謝ります。
 午後は育成会に参加しました。育成会のファシリテイター体験2回目です。私は今 「より小さく語ること」 を練習していますから、頭に浮かんだ事を 「吟味」 して 「丁寧に語っていく事」 を意識すると又一歩成長することが出来ますね。他にも反省点はありますから、2週間後の 「3回目」 が楽しみです。
 夜、望遠鏡で月を眺めてみました。実は4度目の挑戦です。いつも焦点が合わなくて、操作がおかしいのか私の視力の無さが原因なのか・・と考えていたところ、自分の操作で見えたことが嬉しくてたまりませんでした。今日は薄い雲がかかっていたので 「クレーター」 はぼんやりと見えただけですが、次回は 「晴れた夜空に浮かぶ月」 をじっくり眺めてみたいと思います。
 月を眺めた後バスタブにお湯を張り、体をゆっくりと温めました。湯船に浸かるのは久しぶりのことですし、このところの冷房で冷えた体の細胞の一つ一つが喜んでいるように感じました。ゆったりついでにお風呂の掃除をしたくなったので、ごしごしとあちこち擦ってみました。お掃除をすると、きれいなところと汚れたところに鮮明な差が出て面白いですね。前後の変化を見るのが楽しくて、随分長い間掃除をして遊んでいたように思います。私は体をきれいにするのと同じように住む場所もきれいにしておくと 「心地よさ」 が膨らむのだと思いました。

 この 「ゆったり感」のまま 「ありのままの私」 として生きよう。そして今はまだ 「小さく自分を語ること」 を意識していこうと強く心に思いました。新しい人生を歩いている私は 「プラスを持続させること」 を意識することが大切なのですよね。23:30


2005年06月17日(金) 「退職届け」

 今日職場の院長へ退職の意思を伝えました。院長はその場で 「退職願の用紙に記入して」 と言いながら 「2ヵ月後に退職できるから」 と付け加えました。更に続けて 「理由は何?」と訪ねましたので、私は少し戸惑いながら 「勉強したいことがあって、勤務の時間と調整が取れないからです」 と伝えました。院長は「あーそう」 と言ってさらに 「他に理由はある?この際だから他に理由があったら全部言っといたほうがいいよ」と言いました。でも、もういいのです。 私は半年間 「その時の私に出来ること」をしてきた・そして今、「職場を変えること」を選んだのです。私は 「次」 へ目を向け、「次」の動きをしていけば良いのだと思うのです。
 
 退職するまでの2ヶ月間、どんな風に働いていこうかな。私は今までと同じように  「自分を一番大切」 にし、「自分を守り」ながら  「仕事」 を楽しんでいくのです。これでいいですよね。 いつも、「次」の事。


2005年06月16日(木) “そっか”

 朝から雨で、「素振り」 はお休みとなりました。私は雨も好きです。確か一年前の今頃は 「隣の家のトタン屋根の上に落ちる雨の音」を楽しんでいたように思います。
 ところで今朝、また1つ背中の重みが降りました。 「完璧な自分」 ・ 「自分の失敗を許せない自分」 に 「さようなら」です。 全ての事は 「私が基準」 でいいのだなと改めて思います。これからの 「私」 はこれまで以上に 「ゆったり」 と生きていくのです。

職場は今 「新婚旅行に出かけている同僚の話題」 でにぎわっています。そして私は 世の中の話題の全ては 「真実」 を 「覆い隠すもの」 である事を確信しているから、「話題の輪」 には入りません。 集団の中に居て 「静かに孤独を楽しむ私」の頭には 「仕事を円滑にする為」 の 「発想」 が次々と頭に浮かびます。・・・これでいいのです。そして時には病院の裏庭から迷い込むダンゴ虫と遊んだり蚊を追いかけて奮闘したり、仕事をしながら一人で遊んでいるのです。



“そっか”  ・・・「完璧な私」。私のチャイルドは こんなに 「近くに居た」 んだね。 ずいぶん自分を傷つけてきた。 何度でも言う。大切な自分に、心から 「ごめんね」。 そして 「もう、いいよね」。 
 背中の重荷が又1つ、ストンと落ちた。 雨上がりの午後。 さあ本を読もう。20:50


2005年06月13日(月) 育ち

 「心の作業」 の2年目が始まりました。私は私のペースでゆっくりと進んでいけばいいのだろうと思います。社会の波に流されて 「心」 を忘れると、意識が他者へ行ってしまいます。今はゆっくりと自分だけを見つめて生きていくのです。ある人は 「300人のチャイルドを癒やす必要がある」 と言います。 「複数の人格として生きていた私」 に置き換えると、約15,000人のチャイルドとなります。 私は2年間 「心の作業」 にたくさんの時間を作り、随分楽になりました。そしてまだまだ 「多くの傷」 を抱えている事も実感します。大切なのは、「時間」 や 「回数」 ではなくて、「私がその事をどれだけ意識していたか」 なのだと、今改めて思います。 これから私は 「心の作業」 を 「より濃いもの」 にしていきます。
昼休みに 「IC」 を読んでいて、「何も無くすまい」 として今あるものに「しがみつけば」、 私はいつも苦しいのだと心の底で感じました。 「あーそうか。無理に作ろうとすればするほど私は自分を傷つける。だから、このままでいいんだよね」。 そう思うと自然に、自分の中に 「御免ね」 という言葉が浮かびました。自分に 「御免ね」・・・そうなのです。 「私を守ってあげられる」 のは、 「私だけ」 なのですよね。 優しい時間を過ごした後は、「ゆったりとお風呂に入っている」 ような気持ちで仕事をしました。 仕事を終えての帰り道、小さくなったハンドルを握りながら、「女性としてやさしく生きたい」 と心の底から思いました。上辺のものではなくて、 「心」 に 「優しさをかもし出す女性に育っていく自分」 が楽しみです。


2005年06月12日(日) もぞもぞ

 昨日は久しぶりに自然の中を散策しました。小さな花の匂いや鳥の鳴き声に耳を澄ませていると全身の感覚が研ぎ澄まされるようです。そして心はゆったりです。私がいつも見ていればいいのは、「楽に生きる自分の心」なのですね。 もう、これからは 「完璧を求める自分」 を止めて、「よりゆったり」 と生きていきます。 「自分の問題に自分で責任を取っていける」 よう、取り組んでいくのです。

 ところで 「松葉菊」 というお花を知っていますか? その葉っぱの柔らかいことと言ったら・・・。見た目はまるでイソギンチャク。そしてその感触の不思議さ。 ほんのちょっとつまんだだけで 「体中がモゾモゾする」 する・全く不思議な感触です。何時までも触っていたいような、モゾモゾしてたまらないような・・・。私のお気に入り花。
松葉菊 葉っぱがイソギンチャクみたい多分「マダラ蝶」


2005年06月09日(木) 薬の副作用

「2年」

 「自分として生きる事」 を 「決意」 してからまる2年が経ちました。ところが今日は一日中 「自分の事を考えられない私」 となっていました。原因は 「薬」 です。服用したのは耳鼻科で処方された副鼻腔炎の薬でした。服用した期間は昨日昼間と夜そして今朝の3回です。昨日は一日中、「いつもより力がない気がするなぁ」 と感じてはいましたが、休日で楽しい事をしていたせいか、それほど気にはなりませんでした。ところが今朝薬を飲んで仕事に出かけて・・ちょうど薬を服用してから2時間ほどした頃からでしょうか。どうにも頭がだるくて 「考える力」 が沸いてきません。「現実」 に興味も沸かず、「無気力な状態」 の自分をどうすることも出来ないのです。午前中の仕事を何とか終えて家に戻ると食事も取れないほどの脱力感を感じてソファーに転がりました。頭の片隅には 「午後の仕事」 があり、「先」 に備えた動きをしたいのですが、どうしても動くことが出来ません。バックに入った携帯電話が鳴っているのは聞こえるのですが、電話を取る気力がありません。そして一時間位眠り、ようやく重たい体を起こして 「気持ちを切り替えよう」 とはするけれど、どうにも 「思考が動かない」 のです。 「考える力」 が無いのです。そしてこの 「無気力感」 が 「過去に感じた無力感」 によく似ていたから、私は大きく戸惑いました。
 「2年経った今頃、何故こんなに無気力な私になっているのだろう」。 心の中で 「うーん・うーん」 と唸りながら 「何故?」 を考えていて思いついたのは 「耳鼻科の薬」 でした。 私は昨日から服用していた薬の副作用のせいで 「考える力」 をなくしていたのです。 「原因が分かった時には心の底から安心しました。そして 「小さな錠剤の一粒」 が 「心底恐ろしい」 と思いました。 ちなみに 「頭がすっきりしてきた」 と実感できたのは夜7時頃の事でしたから、私の頭は 「たった一粒の錠剤」 により 「12時間」 もの間、 「考える力を奪われていた」 ということになるのです。
 私が過去、あれほども考える力をなくし苦しんでいたのは、精神科から処方された10種類の薬のせいでもあった事を強く確信しました。あの頃は、「薬の副作用」 の恐ろしさを知ってはいても実感できなかった私でした。気が付いてよかったなと心の底から思います。
名古屋へ来て2年。また1つ大きな事に気が付いたよね。

 今日は、 「新しい私」 のHappy Bierthday. Congratulation Mamo.


2005年06月06日(月) 茎わかめ 「ムーヴ」

 昨日午後、車の入れ替えをしました。名古屋に来て2年間愛用した 「紺色のヴィッツ」 は車やさんにハンドルを握られて私とは違う世界へ行きました。そして約一時間後、私は茎わかめ色の 「ムーヴ」 を迎えに行き我が家へ招き入れました。中古で買ったものですからボディに傷はありますが、大きな問題ではありません。何しろ私がこれまで持っていたものの殆どはどんなにきれいなものであっても 「古い価値観」 の中で得たものですから、不必要だと判断したものは 「捨てる方がいい」 のです。そして名古屋へ来てから新しく手に入れたものの全ては、「心のある私」 が自ら吟味し選択したものばかり。そう思うと今私の周りにあるもの全てに 「自然に愛着が沸く」 のです。 今日は早速 「可愛いムーヴ」 に乗り仕事先までドライブをしました。 自分で気に入って買ったものは嬉しいですね。残念ながら 「ビヨンドちゃん」 を買った時のように 「車と一緒に寝る事」 は出来ませんが、「小さな喜び」 を感じています。
「私」が乗って走る車は 「私の足より早い」 のです。 嬉しいなぁ。この頃は 「嬉しいこと続き」 なのです。23:00


2005年06月05日(日) Baseball 9  「ホームイン!」

 野球9試合目。 「本日の目標」 は 「3塁ベースまで出る」 ということでした。 
 ついにヒットを打ちました! あいぼうはもちろん 「可愛いビヨンドちゃん」。 後でビデオを見てみると私の打ったボールが 「セカンドの頭を超えて右中間方面」 へ飛んでいった途端、ベンチからいろんな声が上がっていました。本人である私の方は喜びを実感する前にまずは 「一塁ベース」 までひと走り。そして此処から先の頼みの綱はコーチさん。私は 「コーチの言葉」 と 「自分の感覚」 を比較しながら2塁まで行く事を目標にしていました。すると次にもヒットが飛び、私は無事に2塁まで到着しました。2塁ベースといえば、8回目の試合では「知っているルールの少なさ」 から、 「2塁でタッチアウト」になった私です。今日は 「ベースから足を離さない」 よう意識しつつ、目の前に見える3塁ベースを目指しました。  ちょうどバッターボックスには 「心友」 が立っていました。 「大丈夫だね! 彼は打つ。私は3塁まで行ける!」。 私の確信したとおり、彼は 「フェンス直撃のレフトオーバーシングルヒット」 を飛ばし、私は難なく3塁ベースまで走ることができました。「やった! 来ちゃった! えっ?! もしかしたらホームイン出来るかも?! それならば・・・」。心情的には 「私の為にヒットを打って欲しい〜」 という感じです。 そして次の打者もヒットを飛ばし私はいきなりの「ホームイン!」。  ベースを踏んだ途端、心に 「小さな感動」 がこみ上げました。嬉しいですね。 野球を始めて11ヶ月目。チームに入ってから4ヶ月と2日の9試合目。そしてビヨンドちゃんを買ってから1ゲーム目。いいですねぇ。本当にいいですねぇ。
 そしてさらに、今日は守りで 「セカンド」 を経験しました。これがまた凄いのです。「ライト」 と違ってバッターボックスが 「近い」 から、打った球の全てが飛んでくるような気がします。 頭は「急速フル回転」。 「嬉しいけど、テレビで見てたのはいつもライト。 “セカンドの動き”ってどんなのだったっけ?? 確か投げる時は肘を小さく前に出して・・・正確に・・相手の胸に・・ま、いいか。此処で球が取れればいい!楽しもう!どうにかなるに違いない」 気持ちは小さく揺れながら、それでもワクワクしている私だから、マイナスの想像はあっという間に何処かへ消えていきました。私の体はピッチャーがボールを投げるたびに右や左に揺れました。小さく瞬間的に揺れている自分は 「トカゲ」 のようにも思えました。結果私の元に球は飛んできませんでした。それでも「始めての経験その2」・「セカンド」です。いいですねぇ。本当に楽しいですね。
 私が3塁ベースで次のヒットを待っている間、対戦相手の選手は、私に 「良かったねぇ」 と言いました。そしてホームインする為の 「小さな情報」 を私に教えてくれました。私は自分が3塁に居る事も相手チームの彼が私に伝えてくれていることも、そのどちらも嬉しかったので、いつもの倍ほどニコニコしていたように思います。「遊び心たっぷりの野球」 では 「相手チームのメンバー」 とも 「やさしい会話」 が出来るのですね。

 今思うのは、どんなに事もこつこつと続けていくと 「自分のもの」 になるのだということ。ずっと昔に 「なりたいと思う」 事だけで生きていて  「なりたいものになれなかった私」。 今は 「なりたい自分になるべく動いている私」。 「これでいいね。 この生き方をしていこうね」 と心の底から思います。そして今夜は 「小さな感激」 を思い出して口元が緩みっぱなしの私なのです。 小さく小さくやさしい声で・・・「やったね!」 22:00


2005年06月04日(土) なんまる星人

 新しい何かの1つ・今日始めて経験した 「育成会」 の 「ファシリテイター」。私は 「人々の語り」 を聞きながら、 「あーやはり、社会の人は皆 “自分を知らず” に悲しんでいるのだ」 と思いました。そして社会を見据えようとする私さえも、 「自分の一部を知っているに過ぎない私」 なのだとも。 私の人生にはこれからも 「小さな変化」 が続くでしょう。そして「小さな変化」の全てが 「次のステップ」 の為にあるのでしょう。

 「育成会一期生」 の中では、 「なんまる星人」 の事が語られていたので、何だか嬉しくなりました。37年間頑張らされて頑張って・「疲れる疲れる」 と 「叫び続けていた私」 の頭に 「なんまる」 という言葉が浮かんだのはちょうど一年前の夏の事でした。私はMamoだから 「Manまる星人」 でもいいのかな。私はこれからも「なんまって・・・楽しんでもっともっとふわふわに柔らかくなろう」。


2005年06月03日(金) 新しいことをしよう

 今 「自分を大切にしている私」 は 「心を持って仕事をしている」 と言ってもいいのでしょう。それならば私は一昨日よりも昨日よりも自分に付いて考えている分だけ、「優しさの積み重なった私」 として、仕事が出来ているのでしょう。  「仕事」 であれ 「他の事」 であれ、私は 「自分の選んだ現実」 を 「楽しむこと」 が 出来ていれば、 「心のあるわたし」 として 「動き続けること」 が出来るのでしょう。 そして 「現実を楽しむ私」 は、 「自分の意思」 で 「次の事」 を 「選択する楽しみ」 を知るでしょう。
そして別の見方をするのなら、これから先、私の意識がほんの少しでも 「他者に向かう」 事になるのなら、私は 「私の出来ている部分」 に 「すがる私」 になるでしょう。 そして私が、 「今出来ている部分だけ」 に着眼している私なら、 「過去よりもましなだけ」 に終わるのでしょう。 
 
 私は今、「今までとは違う新しい事」をしてみたいと考えています。 「新しい何か」 はもちろん ・ 「心の事」。22:00
  


2005年06月02日(木) 「やさしさ」 を自分へ

 これまで 「動いてきた自分」 に 「心」 が無かったとするのなら、「生きてきた」 というよりも「何も分からないまま生かされてきた」 という方が正しいのではないかと思います。そして実際にこれまでの人生の中で 「就職」 も 「進学」、そして 「結婚」 や 「出産」 も、「私の人生の事」として取り組むことができたものはひとつも無かったのかもしれません。
 今は毎日、「自分の人生を自分で作り上げている私」 。ニコニコと微笑みの中で 「自分の未来」 を思い描く私。もっともっと 「優しく動ける自分になりたい」。 その為に 「やさしい心」 を自分に向けて純粋に 「自分を見て」 いくのです。

 もう、6月。私は何をしているかな。 
「過去」 は 「過去」・「今」 は「今」 としてある事を知っている。私は過去と現実をきっちりとわけ、現実を生きながら少しづつ 「過去のもの」 を整理していこう。22:00


2005年06月01日(水) 吟味

 「生前契約」 の説明を聞くために 「葬儀屋さん」 に来ていただきました。葬儀屋さんは私を見ると不思議な顔をして、 「ずいぶん先の話なのに何故今から?」 と訪ねました。私は 「いずれは死んでいきますから」 と一言だけ答えました。 葬儀屋さんからの話の内容は 「事務的なもの」 でした。私はその中で 「自分にとって大切なもの」を聞き漏らすことが無いように、そして内容を吟味しながら抜粋しメモを取っていきました。私の 「希望」 は受け容れられる事になり、話は30分程度で終わりました。私はその間 「心のある自分」 を意識していました。 
 過去にも 「何かの契約を交わしたり・買い物をすること」はありました。そしてこれまではその殆どを 「与えられた情報を鵜呑みにすること」 で進んできた 「私」・ 「自分への優しさと丁寧さ」 を意識することは出来ずにいたのだと痛感しました。 

 いつもいつも目の前にある事を 「自分を基準にして吟味してみること」 が大切なのですね。 今日もまた1つ 「大きな気付き」 を経て 「成長していく私」です。


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