「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2005年01月30日(日) |
「心」 で 「社会」 を見直そう |
休日。 数日前、庭に一切れのミカンを置いてみたら・・・ミカンは丸ごと無くなっていたので、今日は庭の木のてっぺんに「輪切りのミカン」を載せてみました。どの鳥が食べに来るかな?昼前には「うぐいす色のメジロ」を見かけましたが・・・ミカンの場所に「黄色いセキレイ」が来ると良いなぁと思います。「セキレイ」ってまん丸の可愛らしいお目目をして、体のわりには細くて長い足をしているのですよ・・・。 午後からはベトナム人のお友達の家を尋ね、彼女達との会話の中から「ベトナムの言葉」を学習してきました。私達は何かを学ぼうとする時に、「心のある空間」と「優しい会話」があれば、より「楽」にそして自然に「知識」を取り入れることが出来るのですね。私は「学び」も「仕事」も、そして「遊び」も、「心」を大切にしながらやっていくことにします。そして出来ることならば将来、「心のある空間」と「優しい会話」を元にした「遊び・楽しみ」の延長が、「仕事」の一部になり、今日のように私が何かを「学ぶ」きっかけの1つになればいいなとも思っています。
私の心は、一昨日から大きな「安堵感」を感じています。その理由は、「社会がマイナス」なのだと「心」で理解できたから。これまでの私は、何時もいつも社会で否定されるたびに「間違っているのは・悪いのは私」だと思っていましたから、小さな否定がとても辛いものとして私にのしかかっていたのです。でも・・・本当は違ってた。「ありのままの私」 を否定してきたのは、何時の時も周囲の大人たちと、彼らが作り上げている 「社会」 だったのです。そして今もそんな現実は続いているのです。だから私は、「マイナスの社会」を堂々と否定しても良いのです。そして 「私」 を認めていきながら、マイナスの中にある 「プラス」 を見つけていくのです。それが私の大きな能力になるのだと思います。22:00
今朝は30分早く家を出て、近くの公園で運動してから仕事に出かけました。僅かな時間であっても、身体を動かすことは気持ちがよいですね。実は1月23日の日曜日、私は一人のお母さんと青年に 「子どもの頃の私は、いつも身体をこわばらせて、そこに居るだけで精一杯の私だった」 という話をしました。青年は 「僕も同じ気持ちだった」 と自分を語り、傍に居たお母さんも、青年と同じような表情をして 「私も何となく、その気持ち、分かる」 と言いました。実際に過去、運動が出来なかった私にとっては 「身体を動かしている人」 のほうが不思議に思えていたのです。あの頃の私は 「運動する事を止められた過去」 に巻き込まれて怯えたまま生かされていたのですね。そして今では毎日のように、 「身体を動かす心地よさ」を楽しんでいる「私」です。 午後、買い物帰りに、迷い道をして止まったコンビニの駐車場では、「セキレイ」が地面を突付いて何かを食べていました。「セキレイ」は私が車を30センチ程までに近づけても飛んでいこうとせず、私はその位置でほんの少しの間、可愛らしい「セキレイ」の姿を眺めていましたが、私がカメラのシャッターを切った途端に空へ飛び立っていきました。車の多い場所に居て、 「大きな音」 に慣れている 「セキレイ」 も、カメラの 「シャッター音」 には驚いたのかもしれませんね。それでも・・なかなか近寄るチャンスに恵まれない 「セキレイ」 を、今日はこんなに間近で眺めることが出来たから、「迷い道」 も良いものですね。そして「今日」という日に、「穏やかな心」 で自然を眺め、カメラを手にする気持ちになれている 「自分がいる」 事も 「嬉しいなぁ」 と思いました。 昨晩チャイルドを癒やしていたら、あることに気が付きました。「社会」は千年以上も前から 「マイナスの世界」 が蔓延していたのですね。そして、「プラスの世界」 は 「私」 から始まり、広がっていくのですね。私は何時もいつも、「自分」 を持って 「社会」 に「プラスを見つけていく生き方」をしていきます。「好奇心」を持って 「社会」 を見つめるのです。私は 「今の社会」 が 「マイナスである」 事をしっかりと意識していれば、きっと、「プラスの見方」 を続けていく事が出来るはず。 「昨日」 出来たから・ 「今日」 出来たから・「明日」 もきっと、出来るはず。21:00 見え辛いのですが、「セキレイ」です。
2005年01月28日(金) |
職場に「プラス」を探そう |
仕事。じっくりと周囲を眺めてみると、私と一緒に働く人々は少し時間が空くと、自分のやりたい事をやり始めていて、それが後に何かの役に立つことは私にも容易に想像出来ました。私は今はまだ「新人さん」なので、診察をする医師の傍に立ち、診察の様子を学習していましたが、患者さんが途切れた時には、私よりも2週間後に入職されたHさんと一緒に「覚えたばかりの技術」を確認しあう事をしました。私は入職して指導を受けた時たくさんのメモ書きをしましたが、彼女も同じように走り書きをしたメモを持っていたので、私達は「書いておくと後で確認が出来るから、書いておく事も大切だよね」と語りながら、時にたわいのない事を言っては小さな声でクスクスと笑いあいました。 社会に出て「仕事」をしていく・「仕事」をしながら、多くの事を考え、時に語り合い微笑み合い・・・。「仕事をする私」は「仕事をする場所」に「プラス」を見出せるなら、いつも優しく動くことが出来るのですね。私は明日も、肩に力を入れず、柔らかい私で「仕事」を楽しんでいきます。21:30
休日。今日は 「スポーツデイ」 でした。夕方公園に行くと、少年が二人でドッヂボールをしていたので、仲間に入れてもらいました。遊んだ時間はわずか数分だったのですが、子ども達はたまたま近寄った 「私」 を抵抗もなく遊びの仲間に入れてくれたのですから、子どもの心って 「柔らかい」 ですね。私も彼らのように 「素直な心」 を持って生きると「楽しみを共有する仲間」がたくさん出来ますね。 夜には空手を習いに行きました。私は時々、お子様をそばで見守っているお母さんとお話しする事があるのですが、今日はそのお母さんから 「かっこ良くなりましたねぇ」 と言われて、何だか・・嬉しかったので、「一緒に楽しみましょうよ」と声をかけさせてもらいました。きっと、お母さんの空手を楽しむ姿はお子様が見ても嬉しいものですよね。そして私も私以外の女性と一緒に練習出来ると嬉しいなぁと思います。1時間半の練習を終えて外に出ると、冷たい空気が運動をして温まった身体に 「心地よく」 感じました。今夜も星がきれいでしたね。22:00
仕事に慣れ人間関係にも慣れはじめ、「心のリズム」も整い始めた。けれど・・・これでいいのかなと思う。私は無意識に「上辺の世界」に馴染もうとしているのかもしれない。 どうしようか。 ・・・「自分」を見失わないようにしよう。私は世間にある「無意味な言葉」に同調せず、大切なことだけを語り、「仕事の時間」を楽しめば良い。私は「仕事」をするの為にそこに居るだけなのだから。いわゆる「すっぴん=素顔」で仕事に出られるようになって久しいような気がする。「飾らない私」・「ありのまま」の私を大切にしよう。「素顔で笑っていられる私」で居よう。そして私は「日向」よりも、「日陰」にあるものを探して歩こう。
どんな 「私」 も、理由があって 「私として生きている」 のだから、「私」 はその時の 「私」 を認めていけば良いのですね。そして 「私」は私のやりたい事を手伝いながら、自由にのびのびと遊んでみれば良いのですね。 心の一番奥に居た 「私」 の育ちを手伝う時、私はより自由になり、より成長します。 「完全な私」を探す事をやめたら、長い間止まっていた 「私の時間」 は、柔らかく動き出しました。22:00
2005年01月18日(火) |
これで・・良いよね。 心の変化 |
誰かと比較したり、誰かを追いかけたりすると、心が疲れる。 私は 「自分の育ち」 を手伝っている。だから、「運動したいと思う私」 を手伝う・「仕事をしようとする私」 を手伝う。それで・・いいのかな。私は弱い。弱くて傷つきやすい。だから、「弱い私」 の成長も手伝う。それで・・良いのかな。 もしかすると、私は 「一番弱い私」を手伝っていけばいいのかな。それが 「弱い私」 を肯定することにもなるのかな。 私は何時だって迷う。迷うからいろんな事を考える。それで・・良いよね。今はもう、私を追いかけて来る人は誰も居ない。だから 「ゆったりと生きようとする私」 も手伝う。これで・・良いよね。 私は今日から、「仕事の時間」 と 「私の時間」 を意識的に切り替えるようにしてみよう。「仕事を持って生きる私」を手伝う。 これで・・良いよね。7:40
職場の病院に、7歳の女の子が来ました。半年前に取ったイボが再発したので、もう一度「痛い治療」をする必要がありました。女の子は診察台の上で一度は裸になりましたが、途中で「嫌だ嫌だ」と激しく泣いて抵抗し始めたので、先生は治療を断念し、「本人が落ち着くまで、違う部屋で待ってみて」と言いました。大きな声で泣き続ける女の子は「このまま帰るのは嫌だ。でも治療も怖くて嫌だ」と言いました。仕事を持っているお母さんは困っていました。私はお母さんに「お仕事があるのでは通院が大変ですよね」と言い、そして女の子には「怖いよね。泣いてもいいよ。今日はお母さんと病院に来れたのだから凄いよね。だから今日はシールを貰って帰れるんだよ。お家であなたの体のイボさんと相談してからでもいいよ。イボさんとお別れしたくなってから来てもいいんだよ」と言いました。女の子はもう一度現実を受け入れ診察台に上がりましたが、治療を始める直前に尖ったメスが見えてしまい、今日の治療は先延ばしになりました。私には女の子の心が理解できました。女の子自身が「怖さ」を伝えられたら、治療を受け入れる気持ちになれる事も予想出来ました。だから、「今日出来たことだけに目を向けるだけでいいのだ」と思えました。 2年半前までの私はこのお子さんのように泣き叫ぶ我が子の声に、いつも必ず現実を失っていました。今日の私は「仕事」だから現実を見つめていられたのかな。 仕事帰りの車の中、「あのお子さんが私の子どもだったら・・」と想像してみました。すると、過去のような辛さはなく心は穏やかなままの私を感じました。そして今感じている気持ちは確かなもののように思えましたから、私は少しずつ成長を続けているのですね。
私の心の傷は、「私」が「癒やそうと意識した分」だけ、癒やしていけるのですね。そして「私」は癒やした分だけ「私」として安定して、さらに深い心の傷を癒やしていくことが出来るのですね。22:22
私が、今 「生きていること」 や 「仕事が出来ていること」 、そして「一人で生きていること」 も 「心を見つめて生きていること」 も、これらは皆今の私が持つ 「大きな能力」 なのですね。私はこれからも、自分の 「プラス」 を見て、社会のマイナスに屈する事なく、「今」 を生きていきます。柔らかく穏やかに。21:00
私は昨日、「早さ」 を基準にして仕事をする私に気が付いたので、今日は 「丁寧にすること」 「いろんな人の意見を取り入れてみる事」を意識して、仕事をしてみました。新しい何かを始める時には、ほんの少し時間がかかっても良いですね。「丁寧さ」 は、結果的に 「必要な部分を見極めること」 へ繋がっていくように思えますから。
「仕事はどこへ行っても同じ」 過去、私はこの言葉の意味を 「どこへ行ってもマイナス」 なのだと受け取っていましたが、今は「そこに居ることのプラスは何だろう」「どこへ行ってもプラスがある」 という見方をして生きていく事が大切だろうと思えます。だから私はいつも 「プラス」 を探しています。 人生に・・・マイナスはないのかもしれませんね。 夕方6時頃、 「マックホルム彗星」 を見たくて星空を眺めてみました。いつも空を見上げた時、一番先に探し出すオリオン座。そしてその周囲に無数に輝く小さな星たち。瞬きを止めて星空を眺めていると、その一つ一つがきらきらと輝いているのがよく分かります。美しいですね。もしも仮に、あの小さな星から地球を見る誰かが居るとしたら、そして 「私」 の存在が 「小さな点」 程にでも映る事があれば・・・。薄紫色の空の下で時間を忘れていた 「ひととき」 でした。21:30
2005年01月07日(金) |
「プラスの心」に沿って |
今朝、いつもと同じように仕事前の時間を過ごしていた私は、何となく集中力のない自分に気が付いて、もう一度布団に入ってみました。実際に眠りはしませんでしたが、布団の中で疲れを感じている自分を見つめ、過去には「自分の状態」が分からないまま、無理をしていたのだと気が付きました。 新しい事をするときには、普段よりもしっかりと自分の心に耳を傾けることが良いのですね。その為に少し遠回りしても、時間がかかっても、後にはこの時間が大きなプラスになるように思えています。自分の「プラスの心」に沿って生きることが良いのですね。いつもいつも。 私の中に、まだ別の思考があるのなら、「思考を切り替える練習」をしてみようと思い立ちました。自主的に計画を立て、次の行動に移るときに「自主的に思考を切り替える事」を意識してみるのです。世間の人は「頭を切り替えて・・・」と言いますが、私が今意識していることは、この言葉の持つ意味と同じことなのでしょうか。どうなるのかな・・・。やってみるとわかるのかもしれませんね。8:00
今日一日、「穏やかな私」として仕事が出来たら、「私」にとって、素敵な「能力」になることだろう。 一日中、「穏やかな私」で生きてみたい。7:50
2005年01月04日(火) |
「好奇心」を持って働く |
初仕事。一日はあっという間に終わりました。夕方の業務終了後、院長先生は私に「初めての仕事はどうでしたか?」と尋ね、私は少し考えてから「私・・・楽しかったのです」と答えました。後から聞いてみると、どうやら「初日は見学だけする事になっていた」らしいのですが、私は現場を見ていて、やってみたくなったからやってみて…これで良いですよね。それに自分でやってみると要領を掴むことが出来ますし、仕事を早く覚えられたら、それだけ楽に仕事が出来ますよね。そして楽に仕事ができていけば、仕事以外の時間はたっぷりと心の事を勉強していられるから・・・これで良いのですよね。20:00
長かった冬休みが今日で終わります。昨年末には見たかった映画を見てパソコンの中を整理してと、先延ばしになっていた事を片付けることも出来ました。因みに私は一人で居ると「独り言」が出てくる自分に気が付いたのですが、きっと「自分自身」と語り合っているのですね。自分で自分と語り合うことが出来るのだから、「私」って面白いなあと思います。 さて、2005年です。今年はどんな一年になるのかな。私に何が出来るかな。私は何がしたいのかな。こんな事を考えていると自然に心がワクワクしてきます。私は今年も「自分育て」を楽しみます。「私」にある「可能性」を発見していく事が楽しいから。
明日からは新しい職場・始めて関わる「皮膚科」です。何があるかな・・。
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