「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2004年12月30日(木) 「心」で書く

 今日は1時間ほど散歩に行きました。
天気は良いけれど風は冷たく感じました。もう、真冬なのですね。
 途中で立ち寄ったお店の中には、入り口のすぐ傍からお正月用の商品が並べられ、人々は小さなメモ書きを片手に、品物を次々とかごに入れていました。私は今は一人、そしておせち料理も作りません。一束のほうれん草と卵を入れた小さな袋を持ってのんびりと歩く私の横を、世間の人は皆、小走りに追い越していきました。 
 夜、久しぶりに、二年前の日記を読んでみました。文法に不都合はあるとしても、当時の私の「生活」と「心」の「ありのまま」が、当時の鼓動のそのままに書き綴られていました。あの頃のほうが、今よりも“文章が生きている”。今の私は、過去よりもうんと楽に生きているのだから、楽になった分だけ「心」のある文章を書く事が出来ても良いはずなのに、何時から硬い文を書くようになったのかな。「何か」を求めすぎたのかな。「もっともっと」と・「うまく書こう」と力を入れすぎたのかな。
 けれどよく考えてみると、過去に書いていることは「傷を抱えて生きている辛さ」であるのだから、今書こうとしている「プラスで生きること」と比較すること自体に意味は見出せないのかもしれません。ではどうしようかな。「プラスを書く事」を意識していきますね。何時だって・何度だって迷います。でも、それも良いですよね。今は、迷いながらでも「自分自身」で前に進んでいるのだから。

 この頃の私は、ふと「ワクワクしている自分」に気が付く事があります。少し前に、「自分育て」をしていこうと思った事がありましたが・・・そうそう、おそらく「自分が育っている様子」が見えているからかもしれません。そして、「自分で自分のしていることにワクワクしていられる。今考えていることが何かの発見に繋がっている事に確信を持っている」という、こんな小さな気付きが、さらに私自身を“ワクワク感”が持続している自分へと導いているのかもしれません。20:00


2004年12月29日(水) 書けない・書けてる

 こういうのを「スランプ」って言うのかな。書けない。何も。
私はいつからこんなふうに、自分の気持ちを書いて表わすようになったんだろう。いつから?わからない。
いつから字が書けなくなった?分からない。
 過去、辛さを書いていたのは「私」であったとしても、あの頃書いていたのは私じゃない。でも今は私。だから、過去に書いていたのも実は私。それでいい。
私が「過去を思い出そうとすることにエネルギーを使うこと」はどう?今は分からないことも時期が来れば自然に思い出すの?でも、私は自分にあることの原因を知りたいから思い出したい。だけどそう考えれば考えるほど、「私」は“自分に何があったのかが、何一つ分からない私”になっていく。だから、そうなってしまうから、昨日私が一般の人と遊びたい」と感じたのは事実から眼を逸らそうとしている「私の思考」かもしれない。
 でも私、分かる。私はいつもこうして「その時、生きやすい思考」を前に出して生きてきた。そういうことでしょ? だから今私が「遊びに行くこと」をしたら、きっと簡単に「過去と同じ事」をする。自分で分かる。そんなの嫌。あの苦しみだけは嫌。
心のある人間関係が欲しい。だから、一人で家に居る。

 書けてる。こんなに。これでいい?


2004年12月24日(金) 「5・7・5」の思考

 私の頭にはいつもある一定のリズムで考える思考がある。そのリズムは「5・7・5」。感じたことがすぐに「5.7.5」の形で文章になってしまう。
一人でいるときには動きも「5.7.5」になっているときもある。

 私は自分の頭の構造を知るとき、まず「戸惑い」を感じ、そのあと「事実」を受け入れていくことを意識する「思考」へと切り替えられている。
でも、無意識に「事実を否定する私」の思考へと変わっていることもある。
 受け入れられないときのほうが多いかもしれない空、受け入れられない理由を考えてみた。

 私は自分の気持ちを頭に「5.7.5」で書いて現すということをするとき「そのことは“私の問題”から切り離されている」。
というころは、私が頭に浮かんだ“自分の事”をすぐに文章にせずに、すぐに「私の問題」に変えるためには、「5.7.5」を受け入れておくといいのだろう。それよりも先に「自分を意識しておくこと」があるね。


2004年12月23日(木) 映画 『ハードネス』

 映画「ハードネス」を見た。映画は始まりから、「人がピストルで撃たれるシーン」が多くて、見ているうちに怖くなった。「怖い」と感じていたのは素朴な「心を持つ私」だった。その私は「命は大切にしなければ・・」と考えていたら思考が変わり、同じようなシーンを「怖い」と思わず冷静に見ている私になった。「私」はまるで、「子どもの私の思考」と「大人の私の思考」を見たようだった。「子どもの私の思考」はチャイルドに巻き込まれた私だよね。

 女の人が「空手」を使って犯人をやっつけた。かっこよかった。私も空手を習っているからチャイルドを癒やす時に使える。それにいざという時には自分の身体を守るために使える。自分を守る方法を知っていることは大切。 
 映画の話に戻るけど、議員の娘さんは、初めは「パパにNoは言えない」と言っていたけれど、自分を守ることが出来たから最後に「No」が言えるようになった。私も今は自分を守る方法を知っているから、社会に対して私メッセージで「No」を言えることが増えてきた。  この映画を見てよかった。何故なら、「空手」「父親」「No」「命」に付いて考えることが出来たから。


2004年12月22日(水) 好奇心

 昨日午後、私は自転車に乗って介護のチラシを配布しました。空から降り注ぐ太陽の下で心まで温まる気がしたせいか、あちこちの民家に植えられている花たちが普段よりも鮮明に見えました。私は「私のチラシが“ゴミ”になったら“ゴミンナサイ”。そして小さな出会いのきっかけになるのなら、“ありがとう”・・・」と、一人思い浮べて楽しんでしまいました。
 そして今日は、お友達の保育園で「サンタクロース」になってきました。子ども達の反応は、遠くからじっと見ている子・眼が合うと泣き出す子・そして親しげに傍によってくる子などさまざまでしたが、その「表情」は可愛らしくて面白くて、私には子ども達の動きから、それぞれの「心」が見えるようにも思えました。一人の女の子は初め、少しずつ少しずつ私の傍に寄ってきて、下を向いたまま自分の小さな指を吸い、そして片方の手で私の指先を触りました。又別の男の子は、私に向かって「サンタさん!」と呼び続け、私はその度に「はあい」と優しく返事をしましたが、私が彼の顔に「サンタのひげ」を近づけると、慌てて逃げていきました。そしてそれでも彼は、その後も同じように私を呼びましたから、私は彼の「心の領域」を大切にしながら、「はい」と返事をし続けました。
 催しの最後、私は子ども達の名前を一人ずつ呼びながら「プレゼント」を「小さな手」の上に乗せました。その度に「小さな口元」から「ありがとう」と聞こえたり、「小さな目」がにっこりと笑って垂れ目になったりと、その嬉しそうな表情が可愛らしくて、何とも言えない気持ちになりました。そして私が保育園から帰るとき、子ども達や園の先生方は皆で私に「ありがとう・又来てね」と言いました。私は「こちらこそありがとう!」と言いながら、このような機会を頂いた事を嬉しいと思いました。

 この季節、暖かいお風呂に浸かると心がほくほくしてきます。私は過去には、首元にお湯がかかることに恐怖を感じていましたが、いつの間にか湯船に首まで浸かる事が出来る「私」になっていました。癒やせたところから楽になっていくのですよね。

 私は今、「プラスの文章を書くこと」を勉強しています。私がこの事を意識して生きると、書いた文章のそのままが、私の「能力のリスト」に加わっていくのですね。

一応・サンタ  風船唐綿(ふうせんとうわた)の実
ユリオプスデージー


2004年12月21日(火) 思考について

 今思うこと。
 私の、「思考」に関しての多くの気付きは、今はまだ「仮説」としてあるのみだけど、「癒やせた部分・私が自分の思考を受け入れられた部分、「私」として感じることが出来ているのだから・それが優合できた部分として、実際にあるのだから・・これまでと同じようにやって行けばいい。


2004年12月13日(月) 疲れた自分へのやさしさと流れ星

 凄く疲れてる。何もしたくない。頑張りすぎた。
休みたい。
でも助けてほしいわけではない。救ってほしいわけでもない。だけど体が鉛のように重たくて旅行に行く力がない。それでも私はきっと行く。「行くこと」を前提にして朝から動いているのだから。「行かない選択」はしない。 

 日本円をドルに換えることが出来た。銀行での小さな手続きを面白く眺めていた。行動できた自分を嬉しいと思う。旅行に行けば「楽しむ自分」にもなれる。でも体がおかしい。
 心がおかしいんだと思う。過去のメールを読んでみた。ある日のこと、「死ぬには別の力が要る」と書いてある。「別の力?どんな力?私は今死にたいと思わないから、これはいいか・・」と切り替った。
休みたいとか心が疲れたとか感じても、「明日も仕事」があるから頑張った。私は今、社会で生きる為の「役割」がなくなったの?いつも元気な振りをしすぎたの?
けれど楽しく仕事をしたし、たくさんの事を考えられた「プラス」がたくさんあったよ。
 
 一年前の日記を読んでみた。今とは全く違う「混乱」の中で生きていた。私が「ばらばら」であった頃の記事を「今」読んでいる間、体は少しざわつくけれど、それでも「自分」を意識していられた。私は成長している。 
1週間くらい前から過去の事を考えると「左の片頭痛」が起きる。「辛さをかかえている自分が分かる」し、これを見逃していたら将来「出血」を起こす事になるのかもしれないから無理をしたくない。頭が痛くなるのも自分を見るきっかけだと思えている。問題なし。では何が?  
 「自然が見たい」と感じて滝の水公園に行ってみようかも考えた。けれど、私は「絵を書いて自分をなぐさめること」は止めた。「自然を見て現実から自分を引き離すことも止めた」。そういえば、純粋に自然を楽しむ私も居た。

 昨日の晩に気が付いたこと。「又、私の世界が“Haydoが基準”になっていた」気付いたから安心した。
「私が基準」の私の生きやすさを思い出したらどうすればいいか分かる。切り替えられる。だからこれもいい。

 疲れている自分だけが見える。でも一人を楽しむ私も居たはずなのに。確かにいたのに。それなら何故疲れているの?
「私は自分に湧き起こるものを否定しているのかな」。
これでいいかな?過去にがむしゃらに生きてきた私は、日常の生活の中でも、「がむしゃらに生きること」をしてしまいがちなのだね。

 旅行から帰ってきたらしたいことがある。それはHPの住所を移しかえること。新しくしたい。
身体も動かしたいからプールにも行く。

 忘れてた。自分へのやさしさ。 思い出した。丁寧に生きるという感覚。
私が昨日見ていた「ベトナムの子達の笑い顔」は、「ありのまま」のように見えた。化粧したときとは違う「素肌に笑顔」はやさしく見えた。

 夜、「夜空」を見上げていると、大きな流れ星が視界に入りました。今夜私が目にした星の輝きは、実際には何億年も前のものなのですね。そして私は、無数にある星の何億年も前の輝きを目にする事が出来たのですね。
 さらに私の人生も、目の前に広がる宇宙と同じように「無限に広がり続ける」可能性を持っているのですね。 
 
 2004年12月10日、私は一年近く働いた職場を後にしましたので、今は「新しい環境を作り上げていく」事をしているのですが、私は何時も何処に居ても、今夜見た星のように優しく柔らかく輝きながら、「生きる事をしていく」のです。

 明日からサイパンへ行く予定をしています。21:44


2004年12月11日(土) 「書くということ」

 過去には、私は 「書くこと」 で 「辛い現実から逃げる事」 をしていましたので、今も時に、現実から離れる為に 「過去と同じ事をしている自分」 に気が付きます。そして私は今もそんな自分がいることに気が付くことが出来たのだから、これから更に 「今を生きる私」 として、優しい文章を書いていく事を意識します。

 2日前、庭のガーベラは小さくて真っ赤な花びらを咲かせていました。そしてその隣には、私が9月に植えた 「芽キャベツ」 が、小さくて可愛い葉っぱをたくさん広げていました。21:50

ガーベラ 芽キャベツ・・の「葉」



2004年12月10日(金) 退職の理由を見たいとき

 2004年12月10日、介護保険施設での最後の仕事の日。
 約一年前に就職し今日まで、多くの経験と共に多くの学習をしました。しかし自分を大切にして働こうとする時、「タバコの煙」が常に弊害になりました。
 私は毎日自主的にタバコの煙から離れるということをしました。それは自分の現実を意識することにつながりました。
 分煙のお願いもしましたが叶いませんでした。 

 最終日の朝、申し送りのあと、他の方々が私に可愛らしい花束を差し出してくれました。過去に何度も経験した光景で、私自身が贈呈する側に居たこともあった。けれど今は、この「花束」の存在が「私が退職する理由をうやむやにしている」と感じています。私は、私自身がこの職場を辞めることになった理由と向き合えるよう、一度胸に抱いた「花束」のリボンを施設で利用して頂けるようお願いし、花は職員の方々が自由に持ち帰ることが出来るよう、小さな花瓶に挿しかえ、て、私の「心」を小さなメモに書き残しました。
 最後の日をこのように過ごしたことで、長く働けない理由があって退職する自分を大切にすることも出来ました。このことが「私の新しい明日」へと続くこともイメージしています。

 私は今日から、これまでとは違う「新しい環境」で「生きていくこと」を始めます。昨日と違う「今日」、私に何が起こるのか、今日も楽しみにしています。どこにいて何をしていても、私は「私」を意識しています。


2004年12月08日(水) 意識

 私は過去、日常の生活に流されて、自分を見つめる事を忘れていたのではないだろうか。そして 「忙しさ」 を理由にして、自分の事をおろそかにしてきたのではないだろうか。それならば、私は日常の生活の中で意図的に自分を見つめる時間を作ることが大切なのではないだろうか。
 仮にそうだとするならば、私はこれから、毎日の生活の中に 「私の心を見つめる」 時間を作っていこう。 「私は自分の日常から意図的に離れ、静かな空間を確保し “私の心” に耳を傾ける時間」 を作っていこう。 「私の心を見つめる時間」 は、例え5分という短い時間であるとしても、それで良いのだろう。その時間を作る「私」でいることが大切なのだから。9:35


2004年12月06日(月) 「生きるということ」

 朝起きる。身体を冷やさないように服を着替える。一日を活動するための・健康に生きるために少しばかりバランスを整えた朝食を摂る。私は、仕事へ行くまでのわずかな時間を、 「私」 の優先順位に沿って動いていく。
「生きる」 ということは、このような日常の中で、 「自分を育てていく事」 ではないだろうか。そして、「自分を育てる」 時には、「より丁寧に自分を見つめていく」 ことが大切なのではないだろうか。さらに、より丁寧に自分を見つめて生きるためには、 「より確かな能力を意識できる自分」 と「安定した心を持つ私」 で居ることが大切なのではないだろうか。 「安定した心で生きる “私” 」 は 「安定した日常」 の中で 「今を生きる」 ということをしながら 「自分にある未来や可能性」を・ 「遠い将来に居る自分」 を思い描きながら、生きていくのではないだろうか。

 私は今、「生きるということ」 について、自分にある現実と照らし合わせて見つめる事をしています。そしてこれから、私は 「自主的に動く事」 を意識して、私の人生を 「私の意志」 に基づいて 「私の為」 に歩いていくのです。

 職場では、ときに巻き込まれたまま生きる私が居ました。私は今も 「過去の思考で生きる私」 が居る事を意識し、この事も踏まえて今夜も又、自分育てに自主的に取り組む 「私」 なのです。
 
「過去はポイ捨て部屋」 一年前に作った私の部屋の表札を、今日はしっかりと見つめる私なのです。21:50


2004年12月05日(日) 「今を生きること」

 2004年12月4日、私は自身の「生死感」を語る機会を得ました。そして今日もまた、「過去の事実を見据えられる自分」を意識し「今」を生きる事をしています。

 仕事は退職日を5日後に向かえました。私は今、「働く」ということは、私の能力とお金を交換するものなのだと知りましたので、残す5日間を、これまでよりも更に責任を持って取り組むよう意識しています。もちろん、自分を大切にしながら・・・。

 晴れた日の、午後4時半。私のお気に入りの時間。空は夕焼けの光りに照らされ、うっすらと円を描いたように薄紫に染まります。空と地面の境界線から始まる「紫色」は、より高い空に近づくにつれ、「柔らかいピンク色」へと変化します。私はいつもその柔らかい美しさを見ることが出来る瞬間を楽しみにしているのです。20:51
庭の「セージ」  4:30P.M. 私のお気に入りの時間 通りがかりの公園で・・。


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