「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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社会にある 「日陰」 の部分にこそ学ぶべきものが多いのであれば、私はより多くの日陰を見ていこう。 人の一生に日向と日陰があるのなら、快活に生きる若者は日向で老人は日陰になるのだろう。人の人生に日向と日陰があるのなら、社会的に認められた人は日向で、離婚した私や心の病を持つといわれる人々や引きこもりといわれる人々は日陰になるのだろう。
私は何をおごっていたのだろう。他者や社会に評価され、日向に居たいと思っていた。 今は新しい就職先を探しながらいろんな事を考えているけれど、老人介護はつまらない・日陰はつまらないと思っていた。“病院” という場所で消毒液の匂いの中で仕事をしたい・日向に居たいと思っていた。
・・もう一度、老人介護をやってみよう。これまでとは違う 「新しい発見」 があるだろう。 私が世間に映し出された日向を追いかけるのではなく、見えない部分を見つめられるように。 私がおごりの中で生きるのではなく、より 「柔らかい私」 として生きていかれるように。
日陰とは・・・本当はとても柔らかい世界なのかもしれない。22:00
2004年10月30日(土) |
「日陰」 と 「日向」 |
2日前の仕事帰り、夕日に照らされて黄色く輝いている景色を見て、ふと思いました。 私たちの現実は、実際には日向よりも日陰のほうがはるかに多いのではないだろうか。私たちは過去に日向ばかりを見せられて来たのではないだろうか。更に人生の多くは日陰の中にこそ学ぶものが多いのだと、そのように表現する事が出来るのではないだろうか。子どもであった私たちに日向だけを見せてきたのは、親であり周囲の大人であり、そして時の英雄を追いかてきたマスコミや社会ではないだろうか。更に日陰は偶然隠れたのではなくて、大人の意識の中で常に隠されてきたのではないだろうか。 仮にそうだとするのなら、私たちが物事を考える時には、その一方向からではなく、あらゆる角度からそのものを直視していく事が大切であると言えるのだろう。 私が過去、日向だけを見せられ生かされてきた為に、大人として非現実的な理想の世界を思い描いてきたのなら、私はこれから自分の人生をより良く生きる為に、現実にある材料に付いてのみ吟味し、自分の心に丁寧に耳を傾けていく必要があるのだろう。 数ヶ月前、鏡に映る自分の姿を見て 「姉」 を思い浮かべた事がありました。 長い間、私が理想とするものは 「姉」 でした。幼かった私が、姉と同じ容姿・職業を持つことは、私が親の子どもとして肯定される為に必要なものなのだと思えていたのです。そして幼かった私の目に、「姉」の存在は 「日向」 として映っていたのかもしれません。 今夜、鏡の前に立って居るのは今を生きる 「真の私」 過去とはそれ程変わらぬ容姿を持ち、けれど過去とは全く違う心を意識できる 「私」 私は「私」 で良いのだから・「私」で居ること・「私」が此処に居ることが大切なのだから、他の誰でもない私自身を大切にして生き続けようと更に意識した夜でした。
私は今、社会で孤独を楽しみながら、私自身が大切にしているものは何だろうと考えています。 私が 「柔らかい私」 として生き、自分自身を語っていく事を意識しています。22:30
お豆腐を、出来れば湯豆腐にしてみたい。じんわりと温まったお豆腐の、その柔らかさと温かさの中にゆっくりと沈んで寝てみたい。
頭に浮かぶお豆腐は、ほんのり淡いピンク色。ふんわりと柔らかく、じんわりと温かい。人の肌と同じ。私の肌と同じ。私の心と同じ。
生きている人の肌は柔らかい。私の肌は柔らかい。私の心も柔らかい。私はこの柔らかさが保てるように、自分を見つめて生きていく。
私は常に私のペースで動くことが大切なのですね。過去には社会と同じ歩調で生きる事のみを要求されていた為に、自分自身の心の欲求に気が付くことが出来ませんでした。私達人間は、子どもの頃は 「家庭・学校」 という社会で、大人になってからは 「職場」 という社会で、常に周囲と同じ歩調で生きる事を強制されてきたのです。そして今でさえ、 「日本」 という社会で、日本人としての歩調を守るべく強制されている事を感じます。 そしてそれでも私が心を持った 「私」 で生きるとき、過去のように時間に追われることもなく現実と向き合っている事を実感します。私は私以外の誰とも違う位置に立ち、自分の心を大切にし自分を感じて生きていけばよいのだと、改めて思います。 そして今日確信した事実を明日には新しい能力に変えて新たな自分と向き合い、今日という一日を確実に自分で生きている事も実感するのです。
私が丁寧に生きることは、私が私自身の感覚を取り戻す事へと繋がるのですね。
休日の朝、私は日の出を見る為に滝の水公園へ行き、うっすらと紫色の空に太陽の強いオレンジ色が広がるのを眺めながら、過去とは違う世界に生きている事を実感しました。21:00
今朝、私は 「一つ一つ丁寧にやっていく自分を持続させる事」 を意識して職場に出かけました。私が 「丁寧に取り組む自分を意識する私」 として生きることは、その過程を楽しみ、結果を 「結果」 として肯定出来る私へと繋がり、更に成長できる私へ結びつくのだと感じました。
お風呂上り、ほんのりと温まった自分の身体にそっとタオルを当て優しく丁寧に拭いてみる。ポタポタとしずくが落ちる髪の毛をタオルで包みこみ、私自身の指の腹で優しくそっと拭いてみる。お風呂を出て、床を歩くと温まった足の裏に床の冷たさがつんと響く。じんわりと温まった私の足先が冷えてしまわないように靴下を履く。 過去、私は自分の体をいたわる方法を知らない私のまま、小さな子ども達を育てていました。 そして今、私はより確かな自分を意識して 「私」 の感覚を取り戻そうとしています。私は 「私」 を意識する時、より確かな自分の感覚を感じられ、そしてそんな自分を傍でそっと眺めています。
昨日夜、私は滝の水公園へ三日月を眺めに行ってきました。三日月の中に大小のクレーターを覗きながら、 「あの場所に私達とは違う人類が住んでいたらどんなものだろう」 と想像し、一人でワクワクしていました。
2004年10月16日(土) |
“私” の基盤つくり |
今日は午後から、去年の夏に Los で知り合った女の子と再開しました。 私達は特に目的も無くデパートの中を歩き、私は彼女から尋ねられる私自身の過去を、ごく小さく語っていました。彼女は私に 「Mamoちゃんは職場で人間関係とか派閥とかに悩んではいないの?」 と尋ね、私は 「周りでそのような噂を聞くことはあるけれど、私は仕事を楽しむ事をするようにしているの」 と語りながら、時に巻き込まれる私がいるのだから、より自分を意識していこうとも考えていました。 街には 「癒やし系」 といわれるグッズが積まれ、名物料理のお店の前には長い行列が出来ていました。夜道を寄り添って歩くカップルの囁きあうような会話と夜空に光るネオンの色。路地に広げられた屋台から流れてくるクレープの甘い匂い。 過去、今夜見たのと変わらない光景の中で社会に流されて生きていた私、今は自分を意識し見つめていく生き方を知っています。 2004年6月19日、私は 「何年かかるか分からないけれど、これから “私” の基盤作りをしていこう」 と決めました。 (6月19日付け日記をご覧になりたい方は、お手数ですが日記の表紙下の 「2004年6月」 をクリックして戻っていって下さると助かります) そしてその2週間後、エーリッヒフロムの 『愛するということ』 という本の中にある 「何かの技術を習得する為には自分の生活の中でその事に最大の関心を持ち、その事の為に十分な時間を取り、常にその事を考えておく (Mamo要約) 」 という言葉をその方法として活用しようと決めました。 更に4ヶ月たった今、私はこれまでの取り組みと同じ方法で自分を見つめていく事が、より持続した 「私」 を感じていくことに繋がるのだと、更に確信しています。21:28
以下の画像は、私が心を癒やす作業する上で大切にしているものの一部です。
夜勤明け。 今日の私は、「私」の感覚をこれまでよりも長く持続させる事を意識して、生きました。 昼間、私は就職活動の為に職安へ出かける為のルートに、かねてから一人で通ってみたいと考えていた「東山公園通り」を選び、まだ色付いてはいない緑の木々のトンネルを楽しみました。 夜、私は自分の肌に心地よい微温湯の湯船の中で、ゆったりと自分の身体を心を温め、人肌の温度の心地よさと、私の体・心が芯から温まる感覚を実感しました。
過去に幼い私であった頃、熱湯を・氷水を浴びせられた私の皮膚は、今は自分の身体に優しいお湯の温度を「私」の感覚として感じている。私は過去の事実も、そして現在の、この事実もしっかりと自分の目で見つめる事をしています。
私とは何だろう。
「私は私」
今は此処に存在するけれど次の瞬間には違う私が違う場所で私として生きている。私が「私」として生きるとき、この一瞬とはまったく違う一瞬が次から次へと訪れる。
「私」という存在はいつもどんな時も、常に新しい「私」として生まれ続けているのです。 この瞬間もそして次の瞬間も・・・。これまでも、そしてこれからも・・・。
クモ 東山公園通り アベリア通り 日向
2004年10月10日(日) |
「生」 そして 「性」 |
今日、私に対して明るい顔で 「性」 を話題にする女の子に出会いました。私は始め彼女の話題に動揺し、後に思春期の頃 「性」 に付いて十分考える機会を持つことが出来なかった自分が居るのだと気付きました。 過去、私は小学校低学年の時には性的虐待を受けていましたので、「性」 を話題にすること自体が忌まわしく、苦しいもののように思えていましたし、思春期を迎えた私が例えば親しい級友との会話の中でごく自然に「性」に関する知識を得るということもありませんでした。 そして今は、私が 「性」 を考える為には 「生とは何か」 「自分とは何か」 を知っている私でいる事が大切なのだと実感しています。 余談ですが 「性」 という字は “忄=心” 偏に “生きる” と書くのですね。私は心を持ち、自分の 「生」 そして 「性」 を見つめていくことをしていきます。
この頃の私は、空模様・近くの公園のススキ・そしてある日突然庭に出てきたキノコを見ながら、秋の訪れを楽しんでいます。因みにこのキノコの名前を御存知の方は教えていただけると嬉しいです。21:00 雲 ススキ キノコ 大きくなりました
お年寄りの、しわしわの皮膚の下に見える赤紫色の一本の血管。 持ち主の手の動きに合わせ、右へ左へ移動する血管。 絹糸のように細くて小さな血管さえも、この人が生きるために必要なもの。
人間の身体にある全てのものは、その人が生きられるように出来ている。 私の身体にあるもの全ては、「私」が生きる為に備わっている。
私が自分を見つめることで、全ての細胞を生かせるのだから、私はいつも柔らかく優しく自分自身を見ていこう。
過去の・・体に受けた傷の痛み・心に受けた傷の痛み。数え切れないほどの痛みを乗り越えて、今、感じることの出来る柔らかさ・優しさ。 私はこの新しい感触をいつもいつも感じている。
この頃の私の脳裏に浮かぶのは、2年8ヶ月の間に辿り着いてきたさまざまな仮説。 私は今、自身の仮説と経験を照らし合わせ、さらにじっくり練り上げて、小さな確信をより大きな確信へと繋げていく。 小さな自己を、より確かな自己へ広げていく。21:50
夜勤明け。 自分をしっかりと意識して仕事をしている時の私は、確かな裏づけの元に行動することが出来ていて、そして自分のした事に確信と責任を持って次のメンバーに伝えることが出来るようです。
過去には簡単に他者に巻き込まれ、仕事に必要な思考力すら無くしてしまう私でした。そして今は、私が必要だと思えることのみを語り、必要なことだけをしていく、これが良いのだと心から思える私です。 私がいつも自分の行動に責任を持って生きるために、大切なことなのですね。
休日。 私は今日自転車に乗り買い物に行きました。買い物を終えて家に戻ると、そこには家を出る前と変わらない景色が、本当にいつもと変わらない形で存在していました。 子どもの頃の私は、 「いつかきっと、私はここに一人で取り残されるのだ」 と信じたまま生き、そして38歳の今日まで、買い物に出た先で品物を触る頭の片隅に 「急いで家に帰らなければ、家がなくなってしまう」 という不安を抱えていたのです。 けれど今は何も起こりえない。何故なら、今私は自分の行動の全てを選択する事が出来ているのだから。
今日私は、いつもより早めに家を出て自転車で仕事に出かけました。私の家から職場までの間に大きな山を二つ越えますが、自分の足と相談しながらゆっくりと走っていきました。閑静な住宅街を通り過ぎて職場の近くまで来た時に、小さな公園を見つけたので、その場所で一休みして青い空を眺め、それから仕事へと向かいました。 今日もまた仕事中に小さな戸惑いはありましたが、一日を終えた私は今日の行動の中でプラスの自分を見つけ、それを能力に変えていく作業をしました。
過去、私の親は私がそこに居ないかのように、私を否定し続けました。 大人になった私は、傍に居る人に自分を忘れて話しかける事を続けていました。 そして今、私は自分に必要な事をし、私が本当に語りたいことだけを語ろうとしています。私の横を通り過ぎる人は、過去の親達のように私の存在を否定しているのではなく、ただ私の傍を通り過ぎているだけなのだと、心でそう思える私が居るのです。21:00
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