「生きていくのに大切なこと」こころの日記 DiaryINDEX|past|will
私は昨晩、新たに加わった私の能力を、全身にしみこませて布団に入りました。そして今朝、仕事に出かける前に再度、能力を意識しました。仕事中、私は自分を大切にして動く事だけを意識していました。仕事の途中には小さな出来事の中で巻き込まれる私も居ましたが、短い時間で前向きに切り替えることの出来る私でした。
台風21号の為に外は豪雨と強風で、建物全体が軋んでいるように感じます。台風はこれまでに何度でも経験しているはずなのですが、今夜の私は、雨の音がごく間近に聞こえ、風の勢いを全身で感じ、まるで生まれて始めての体験をしているように思えます。
私は今日になって、この何日かの自分の行動がおかしかったことに気が付きました。それは職場で 「一人で生きる私」 を否定された日から始まっていたようでした。否定されてしまった私は過去の生き方のように 「私を評価してくれる誰か」 を探していたのだと思います。今夜、部屋にある能力のリストを見回して、又初めから、今はたくさんの能力を持ち生きている私が、社会のマイナスに巻き込まれていた事を実感し、今夜から又、丁寧に傷を癒やしていくのです。21:00
雨降りの休日です。
私はいつも新しい私で生きています。過去の傷を抱えて人生を嘆くのではつまらないから何時も何かの始まりである自分の現実をしっかりと見つめて、丁寧に進んでいます。時に大きな出来事に出会うことがありますが、そのように生きている自分をしっかりと見据えていくことが大切なのですね。
子どもの頃の私は、自分の家族の問題は全て「自分が生きているせい」で起こっていると考えていました。大人になった私は他者との境界線・子どもとの境界線を越え、人の問題も抱える生き方を続けていました。
休日。今日私は朝早く自転車に乗り、介護のチラシを配ってみました。よそ様の家の玄関口に立ち、お手製のチラシをポストにそっと入れる私は、これからの自分にどんな素敵な出会いが待っているだろうと考え、心の底からワクワクしていました。
先日、職場で半年毎の決まりとなっている配置転換が行われました。
ファシリテイター育成会。 | ||||||||||||||||||
2004年09月17日(金) | 輝き |
今日は痴呆フロアで仕事をしました。
私が気になっている女性の一人・Yさんのベッドを訪れてみると、彼女はいつもと同じように自分に付いて語った後、 「こんな身体で生きてたって・・」 と言いました。
「生きていたって・・・」
半身麻痺を抱える彼女・痴呆ではない彼女が日常で見る、自分と同じ年代であり痴呆を抱える人々の姿。 「痴呆」 と言う病名を付けられ区別されている方々のお世話をする私たちの動き。毎日同じ光景の繰り返しと思われる施設の中で彼女が 「生きていたって・・」 と言い放つ気持ちが私には理解できました。そして心が 「死にたい」 と願っても体が生きる選択をする以上、私たちは生きていく必要がある事も感じました。
幸い今日は天気が良かったので、私は彼女にベランダへ出てみる事を提案しました。施設のベランダには花や野菜が植えられていますし、私には彼女が太陽の光りや土の香りを感じる事も必要だろうと思えたのです。
私がプランターの土を彼女の手の平に載せると彼女は 「土は柔らかいんですね」 と言い、赤ピーマンを手の平に載せると 「赤いピーマンの料理を作ったことが無い」 と言いました。
ベランダの奥へ進むとそこには、私が子どもの頃に甘い蜜を吸って楽しんだ花がたくさん咲いていました。私がその花を手に取り蜜を吸って 「甘いよ」 と言うと彼女は私と同じように花の蜜を吸いました。いつもうつむいて涙を流す事の多い彼女が 「ホントだ、Mamoさんの言うように甘いねぇ」 と言って笑いました。Yさんが入所してきて1ヶ月と2週間目、私は彼女の笑った顔を今日始めて見たのです。そうしている間にその花に大きなチョウが飛んできたので、私は私自身の声がチョウを刺激しないように気をつけながら 「Yさん!大きなチョウチョが来てるよ!見える?」 と彼女に伝えてみました。目の悪い彼女は最初、全長7センチほどのアゲハチョウを視界に入れる事が出来ませんでしたが、チョウが何度か飛び立っては私たちと同じように花の蜜を吸いに来るうち、ついにその姿を彼女自身の視界に入れることが出来たのです。 すると彼女は 「本当だ大きいねぇ」 と言った後 「チョウチョにおすそ分けをしてもらった」 と言いながらもう一度花の蜜を吸い、私たちの周囲を飛んで回る蝶の後を追うように首を傾ける事をし始めました。
私は・・彼女の心がほんの少し輝いたような気がしました。
「生きる」とは。生きるとはこういうことではないかと思います。現実にあるものに意識を傾け、プラスの好奇心でそれを眺めていくのです。
二人で外に出ていた時間はわずかに15分。彼女には彼女のプランがあり、私には私の業務が残っていました。「もう少し自由な時間があれば・・」そう思いつつベランダの戸を閉めた時、彼女は「Mamoさんと又此処へ来たいゎ」と語りました。21:15
2004年09月14日(火) | 無所属の “私” |
夜勤明け。
一緒に夜勤をした女の子が私に 「この職場には誰も信じられる人が居ない」「男の人は怖いのにすぐに男の人と噂を立てられる」 と言いました。・・そうだったの?! いつも笑顔で話をしていたのに・・。
今日で職場を辞めていく男の子も言いました。 「俺は此処で信用できるやつ居ないっすよ」 ・・あなたも?! いつも一緒に遊んでいるあの子は?
あるテレビの中でインタビューを受けていた中学生が言っていました。 「学校には信用できる人はいない、楽しく話してたって、陰でアイツはうざいみたいなこと言ってる」
・・今の社会に生きる人は、本当の自分は何処かへ隠し上辺を装う生き方をしているのでしょうか。私は始め職場の二人の言葉に少し驚きましたが、テレビの女の子を含めた3人の語りは根底に同じものを抱えていて今の社会を写す言葉なのかもしれないと感じました。
職場の彼女は話の中で私に 「Mamoさんはどのグループにも所属しない人なんだね」 と言いました。私自身はいつも自分の事で精一杯で、職場の中にグループが存在することすら知らなかったのですが、何処にも属さない私だから、集団に染まる事のおかしさ・社会のおかしさが見えているように思え、私が今集団に染まらず 「私として生きること」 は大切な事だと確信します。
夜勤が終わった帰り際、彼女は私に 「Mamoさんって何か、良い感じだよね・・」 と言いました。私はその言葉を聞きながら、いつもいつも 「自分を大切にしていこう」 と思いました。
夕方、自転車で天白公園に行ってきました。今朝仕事の合間に見た空は透き通る青さをしていて、その中を面白い形の雲がフワフワと浮いていました。夕方になって見た雲は今朝ほどの面白さはありませんでしたが、私の上を通る飛行機に私の心はワクワクしました。視線を下に落とすと名前も知らない花が咲いていてその小ささや鮮やかさを見て時を過ごしました。いつもプラスの好奇心があればこんな小さな自然の中でも思い切り楽しむ事が出来るのですね。
18時半頃には西の空一面に夕焼けが広がり、鮮やかな朱色を眺めながら 「今日も一日楽しかったなぁ」 と思える私が生きている事を実感しました。18:56
2004年09月12日(日) | 生きること |
夜勤明け。
この頃の私は自分のペースを守りただ黙々と仕事をしています。私が他者の話に参加せず、自分が必要な時にのみ意見を伝えることをしていても、私を否定する人は居ません。過去、集団に染まる生き方をしてきた私が今は孤独を楽しむ事が出来ているのだと思います。私が孤独を楽しみながら生きることは「生きるための原点」ではないでしょうか。私は誰が居ても居なくても自分のことを考えつづけていて良いのだし、この環境の中で何かを吸収し自分について考え、常に自己実現へと繋げていく。これが「生きるということ」のように思えます。
今読んでいる本の中に 「体制順応主義者」 という言葉があるのですが、過去に男性は社会の中で、女性は家庭の中でそれぞれの価値観の中に入ることが大切なのだと学んでしまったのですね。私は過去、一人の男性が持っていた価値観に染まる事をし続けその中で評価を求めていましたから、私も家庭という社会の中で、「体制に順応するべく生かされ・生きてきた」 ということなのですね。因みに私は今、離婚し更に職場の中でも “私” として生きていますが、社会の人は私に対して 「独り者の気楽さ」 とか 「強さ」 という評価をしているようです。私自身は今の自分に 「強さ」 ではなく 「確かさ」 を持って生きている事を感じていますから、これからも自分のペースを心で感じながら 「生きること」 をしていくのです19:40
2004年09月11日(土) | マウンテンバイク |
先日赤いマウンテンバイクを買いました。今日は夜勤入りなので静かに過ごすつもりだったのですが、家の周囲を走ってみました。あちこちの不具合を少しずつ調整し、ようやく動きが取れるようになった時、周りの景色が私の足の速度に合わせて動いていくという当たり前のことを面白いと感じました。さらに坂道にあわせてギアをチェンジする事を、頭で考えながら行なっている自分が不思議に思えました。そういえば以前富士山に登った時にも同じ事を考えたと記憶しています。今は私の人生も、日々の出来事の中で小さな成長を繰り返しながらゆっくりと進んでいます。16:00
2004年09月10日(金) | 自己実現 |
私は今、又一つ新しい事を始めてみたいと考え、その為に必要な情報を掴みたいと思いながら動いています。私が頭の片隅に自分の将来を思い描いている事は社会に出て巻き込まれない為の一つの方法かも知れません。そして、このように生き続けることが、自己実現へ繋がるように思います。私は今、ただ「生き延びるだけ」に止まっていた過去から、「自分を生かす生き方」を始めたように思えます。そして何かを達成しようとする時に、過去に振り回されない自分が居れば、自分を大切にしながらその事を実現させていけるのだろうと思います。
私が何かを得ようとするときには、その為に必要な時間と情報を自分で確保し、丁寧に取り組んでいく必要があるのですね。8:30
2004年09月08日(水) | 本質 |
ある女性はいつも食事を拒否されます。私たちはその方の食事を介助しますが、口が小さくて食事を運び辛い。食事の介助を待っている方がたくさん居る中で、一人の食事が進まない事に焦りを感じるのが現状です。
今日もその方は、口をおちょぼ口にさせて食事を口に入れさせない。食事を介助していた若い介護さんが言いました。
「むかつく。Mamoさん、この人を殴っても良い?」
私は「良いよ」と言いました。彼女はその場で女性の後ろ頭を軽く殴り、殴られた女性は一瞬空中を見つめ、それから黙ってうつむきました。
私はその一瞬の光景に驚き、いたたまれない気持ちになりました。彼女は休み時間に見せる笑顔と同じ顔で私に尋ね、尋ねられた私は、彼女が本当に人を殴るとは思いもしなかったのです。理由は何にせよ、私が彼女に “人を殴っても良い” と許可を与えてしまったのです。
あの時何と答えれば良かったのかな?
一晩かけて見えてきたのは、人手不足を見ようとせずに無理な働きを要求する施設の流れに沿い、社会の本質が見えなくなっていた自分。そしてその思考の中で誤った答えを提示してしまった自分・・。
今日私は彼女に電話をかけ、自分が間違いを伝えた事を語り謝罪しました。彼女は「殴ったのは私だし、私が殴らなければ良かったことなので、私の責任です。すみません」と語りました。私は私が伝えた事の責任を取り、彼女も自分の行動の責任を取ったのです。
では、無理な労働を強いている施設が自分たちの行動の責任を取るのは何時なのだろうと、小さな安堵感を覚えた私の頭をよぎりましたが、私が自分の行動に責任を取っていくことが大切なのだと感じました。16:24
2004年09月05日(日) | 自分を生きること |
今日は午後から一人の女性と会いました。
彼女と心に付いて語りながら、私たちは家の周りを散歩しました。通りの畑の地面には秋を思わせる根菜が植えられていて、私たちはその葉を食べる振りをして道端で声を上げて笑いました。そして時にはお互いに別の方向へと視線を向いけたまま歩きました。流行の話題も何も無い中で、目の前の空間を共有したり手放したり・・。これが 「自分を生きている」 ということなのですね。他者を気にする事を強いられている社会の中で私にはとても心地よい空間でした。
彼女は語りの中で私に 「寂しくないですか?」 と聞きました。私が 「寂しくないんですよ」 と言うと、彼女は驚いたような視線を向けました。
彼女と別れた後、私は 「寂しくない」と言った自分の言葉からふと、離婚前の事を考えました。
「離婚前の私は寂しいと思っていたのだろうか・・。」
過去の私が家族や友人に囲まれていながら常に大きな空虚感を抱えて苦しんでいたことは確かです。そして一人で居られないから友人と時を過ごし、一人で居られないから結婚した。私はいつも一人で生きる事など想像も出来ないまま生きていて、心の奥底にあるマイナスの感情から逃げたくて他者に依存していたのですね。そして今は孤独を楽しめる私がいて他者と楽しめる私も居る。私はこれからも孤独を楽しみつつ自己を実現できるべく生きていくのです。21:00
2004年09月04日(土) | 違う形で。 |
育成会の日。
ある本の中に「生まれたように生きる」という言葉がありました。私は過去、生まれたように生きてきました。そしてもう良いのです・・。今私は、生まれたときの形とは違う形で生きていくことをしています。
そして更に考えました。
「私は何の為に生きているのだろう」 ・・答えは 「自己実現」 です。
私は人として生まれ生きている。生きている私はいずれ死ぬ。死ぬまで「生きる事をやり続ける」上で、自分の生を全うしていく。生を全うするといっても、そこに頑張りは必要なく私はただ、 「ありのままの私」 を大切にしながら生きているのです。このような事を考えている時、生を続けていくことがとても楽で興味深いことのように思えます。私が周囲の人ではなく、 「自分」 を見つめていられるからかもしれません。
介護されている老人達は施設の色に染まる事を要求されて生きています。
自分だけの力ではそこから動くことが出来ないから、せめて優しく動かしてもらえるように、自分の心を抑圧しながら生き延びているのだろうと思います。
私はその方たちから 「すみません」 と言われると、いつも返事に困ってしまいます。日本の中では悪い事をしていなくても 「すみません」 という言葉を使います。「すみません」 は謝罪の言葉なのです。おかしなおかしな風習です。私は過去から続いているさまざまな風習を、変えていく必要があると思います。22:00
2004年09月03日(金) | ファシリテイト |
仕事の日。
ナースコールで呼ばれ利用者の元へ行った私に「優しい人だね」と言う人が居る。私の名前を尋ねて覚え、そして 「今度は何時来るの?」と確認してくる人が居る。就職して半年間に、そんな人がいつの間にか何人かに増えていて、私も自然に時間があればその人の元へ足を運ぼうと意識するようになっていた。今日も又その人のベッドサイドに立ち、話をしている中でふと思う。「私はこの人の部屋を訪れる時、優越感を持っていないだろうか」
過去にも私の中にあった「優しさ」、過去には傷を隠し生き延びる為のひとつの方法であった「優しさ」
今はどうかな。
「私はどんな風に考えている?」と自問しながら考える。
「あなたがナースコールを押したから私は今此処に居る。あなたが自分の気持ちを語るから、私はそれを聞こうと出来る。あなたが心を語るから、私は心で考えられる。そしてあなたが自分を何とかしようとしているから、私はあなたを手伝える。そして、心で語ろうとする私は、自分を意識するべく生きている」
「あなたが居る事が素敵であり、私が居ることが素敵なのだ」
私はこの事を忘れないでいこう。例えば素敵な事をしていても、そこに優越感が入っていたら、自分を傷つけてしまうから。
今日は仕事帰りに自転車屋さんに寄ってみた。自転車とは意外に高いものなのだね。欲を出せばきりがないが、出来れば軽くて丈夫で長持ちするのがいいかなと思う。遠出をして見たい気持ちもあるからシティーサイクルでは間に合わないと思う。自転車やのおじさんは私にいろいろな事を教えてくれたけれど、おじさんは全身からタバコのにおいを発していて、私は話を聞き続けることが出来なくなり、パンフレットをもらうことだけをして店を離れる事となった。
最近の私は「嬉しい」と思う事がよくある。嬉しいとか楽しいとか言う感情はプラスの感情ではあるけれど、例えばその気持ちの中で有頂天になったままの私が居るのなら、私は巻き込まれていることになる。そしてこんな場合、目立ったマイナスではないけれど、ほんの少しずれた事をしている自分を感じる。どうすればいいのかな。感情と思考を切り離していこう。巻き込まれないように、自分を見つめていられるように腹を据え、そしてゆったりと生きていこう。
2004年9月1日付けの新聞に、 米国のブラウン大学で 『頚椎損傷で首から下が麻痺した男女が「思うだけ」でパソコンを操作する臨床実験を始めた』 という記事が載っていた。脳内に埋め込まれた専用のコネクターを介してパソコンを操作することが出来るように訓練するらしく、これから2年程かけて効果や副作用を調べるそうだ。この場合は脳内に物質を埋め込む事になるのだが、実際に 「思うこと」 で信号を発する 「脳内電気信号」 は既に確認されているらしい。この実験の場合には頭にコネクターを埋め込むことでこれを行えるらしいのだが、 「思うこと」 が先の行動の動機付けになるというのだから、将来的にはコネクター無しでパソコン操作できる人が出来る事も考えられる。もちろんそれは、過去にマスコミで騒がれた超能力のようなものとは違うのだ。
私は 「生きる事」 をし続ける為に、自分の能力を最大限に生かそうと意識して生きている。そして多くの可能性を持っている。私自身が、そう思い続けて生きていくことこそが、更に多くの可能性を引き出すのだろう。
私は自分自身のファシリテイター・・。22:00
2004年09月02日(木) | 自分の事 |
今日はお昼ごはんを職場の食堂で食べてみました。(因みにセルフサービスです)
私が食堂へ行くと私より先に来ていた同僚達が既に自分たちで食事の準備をしていました。私が彼女達の後ろに並んで自分のお皿を並べ始めたところ、同僚の一人から 「あなたの食事は此処にあるよ」 と声をかけられ、見ると私の為の食事が既に準備されていました。私はそれを見て少し驚きそして困惑してしまいました。何故なら私は 「自分の事は自分でする」 と言う事を基本に動いているから、そして私の為に盛られた食事は私が食べきれる量ではなかったから。
私は自分の事だけをしていこう。いつもいつも、そうしよう。
ポカポカの朝日の中、向かいの家の屋根の上からネコがこっちを見つめてる。
ネコは私を見つめたまま「私はネコだ」と言っている。
私も猫を見つめたまま「私は人間だよ」と言ってみる。
「よろしくね」とも言ってみる。
猫は返事をしないまま、下を向いて頭をうずめた。
ネコは何を考えているのかな。お日様の気持ちよさを感じてるのかな。20:00
2004年09月01日(水) | 生 |
私が自分の手首に初めて包丁を当てたのは、小学校3年生の時でした。その22年後、私はその時と同じ包丁を持ち両親の眠る寝室の前を行ったり来たりしていました。私はいつも死にたいほど苦んでいて、そして私を苦しめている両親の事を殺してこの世から消してしまいたいほど憎んでいたのです。
けれど私には両親を殺害することが出来ませんでした。あの時親を殺すことが出来なくて、出来ない私が居てよかった。
私は、自分を殺してしまう事が出来ない私だったから、両親を殺すことも出来なかったのだろうと、今そんなふうに思います。
そして今、私の身体を作る細胞の一つ一つが 「生きたい」と感じている事を実感しています。8:00