「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2004年05月31日(月) 「現実を知ってる私」 「現実を生きている私」

 一時帰国するルームメイトを見送りに飛行場へ行き、飛行機を見ました。目の前で滑走路を走り始める飛行機を見ながら、私は一年前の自分を思い出していました。一年前のこの場所には、離婚すると同時に他国へ飛び立つ私が居ました。

あの頃は自分について何の確信も持ち合わせていない、自分の存在すら信じていられない私でした。考えてみると、そんな私が他国で一人で生活出来たことはその後の現実の中でかなり大きな能力になっていたのですね。

どこで何が起きようと命がある限りは得意の適材適所で生きていけるとも言えるのです。

 
 空港にはいろんな国の人が歩いていました。他国で生きている人を知ることは、自分の知っていることだけが全てではない事を実感させられ、今居る世界にしがみつきそうになる自分を見つめなおすきっかけとなります。私のお気に入りの場所に「滝の水公園」がありますが、その公園の高台からずっと向こうを眺めていると、世界は広くて宇宙は偉大で人間は偉大な宇宙の中のごく小さな一部である事を実感させられます。宇宙の一部である私は、他の生物と同じようにただ自然に生きる事を考えていれば良いのかもしれません。それが一番楽なのです。

日々の小さな出来事に翻弄されているなんて、本当にもったいない話で無駄なエネルギーなのですね。私は今は他国に足を運ぶことは出来ませんが、機会があればもう一度、自分とは違う世界の人々と接してみたいと思っています。

 

 昼間、他者との会話の中で自分の記憶がぽっかりと欠けている部分を見ました。現実で半年の間連続して行われていた行事は、一部の私の中ではまったく知らない出来事だったのです。そしてそれは「忘れてた」と一言でくくるにはあまりにも長い期間だと感じます。いったいどうなっているのでしょう。あの頃も私は生きていて、実際の生活の多くを知っているはずなのに。

「 現実を知っている私 」 と 「 現実を知らない私 」 が微妙に入り混じり、 “ 私 ”として存在します。それは 「 生きている私 」 と 「 生かされている私 」 です。
自分を取り戻して現実を知っている私になったとき、私は今も自分の身に起きている “ 自分の現実 ” を実感させられます。どうしてこうなるのだろうとも思うし、そんな自分を一瞬責めることもしてしまいます。でも、仕方が無いですね。癒されている部分しか優合できないのだから。

 
 自分を意識するとはどういうことでしょうか。私は自分を意識できているときの感覚を知っています。「こういうことだ」と一言で語れないところが残念なのですが、確かに自分が生きていて今はこの事をしているのだと確信できている時には、私は眼に映る全てのものをはっきりと自分の感覚の中に取り入れられ、それは私の中でとても大きな自信へと変わります。

こんな自分を持続させられれば良いのですよね。小さな事に巻き込まれてすぐに自分を見失ってしまう私ではなく・・。

いつも自分がしている事を意識していれば良いですか。自分を意識することは、このような小さな日常を生きる実感から始まるでしょう。

そうか、生きている感覚を感じることかな。そうだ。私は生きているんですね。生きているということはいろいろな感情を感じていると言うことだから、その感情を感じる事を意識して居れば良いかな。感情を感じるのですね。「小さな戸惑いを見逃さないこと」ですね。

 こうして日記を書きながらでも、気が付けば自分を見失っています。書いている自分を意識する事を忘れるのですね。

そっか。そういうことなんだ・・。ではやはり、いつもいつも “ 何かをしている自分 ” を意識すれば良いですね。練習練習・・。

私は生きているんです。ルン♪23:30


2004年05月30日(日) 「やれること」「やっていけば良いこと」  「過去の生き方」と「これからの生き方」

  やりたいことがたくさんあるような気がして、やれることもたくさんあるような気がしていました。今の私にはいったい何が出来るのだろう・・・。この延長で考えたことの中に「子どもの育ちを手伝えるか?」と言うのがありました。結論としては無理でした。出来てる部分があり、出来ていない部分があることが分かったから。

他には何が出来るのかを考えているうちに、実はそんなに大きなものではなく、日常の中の本当に小さなものから始まるのかもしれないと感じました。その中には、職場で楽しめる時間が増えていることや自分を意識できてる時間が延びていることや、そして私が過去に気付きだけで終わっているものをこれから少しずつ進めていくことも。こうして日常の中で小さな事を丁寧にしていくことが、自己実現に繋がるのかもしれません。

そう思いながら私は今夜、ある試みをしました。それは一人の時間を使ってやりたいと思っていることを、時間に区切りをつけてやってみるということでした。

といっても私は過去、常に時間に追われる感覚を持ちステレオタイプそのもので生きていたので、 ( まるで日課表を作り上げているかのように時間で区切られた四角い生き方をしていたのです ) 過去と同じに見えるやり方をするのに少しだけ抵抗がありましたが、実際にやってみると・・・国語だの算数だの読書だのと、4種類ほどの“学習していきたいこと”を、楽しむ事が出来たのです。

過去に、数字とつくものは全て自分の中から除外するほのど苦手意識を持っていた私が今は算数を楽しめる人になっています。面白いものですね。そして、自分の中の得手不得手が過去のかかわりの持ち方で決められていた事を実感しています。私達は間違いなく過去に親や教師から可能性の目を潰されてきたのですね。苦手なものをまるで生まれつきや、血液型の中で苦手であるかのように錯覚して生かされて来たのですね。

私は今改めて、自分が人生の初期に触れたものの全ては、マイナスとして私の中に植え込まれていた事を実感しています。


 私の頭には常にいろんな声が聞こえています。

この声は過去の虐待により私の中から途切れて独立させられた思考の部分でした。普通の人は自分の欲求が多数あっても優先順位で動くらしいのですが、私の場合は自分が生き延びる為に必要な順位で生きてきてきました。そしてその順位は私の意志とは反することもあり、私は過去には、“Aの事をしようとしていたのにBの事をしていて、Aは手も付けられていないまま、Bをしている自分”の状況を見て驚くことが度々ありました。

 そんな私は今日からは私の頭の声の全てを私自身の思考として動く事を意識することをしています。

どちらをしていけば良いのか決められない自分と、どちらもやりたくて「これでは体が半分に割れてしまう」と感じる自分と、実際の気持ちではない事をしている自分を感じながら、今はまだ小さな混乱の元になっています。

こうしてやってみると、マイナスの人格は必要が無いのですね。何故なら私は前に向かって進んでいるのですから、後ろを向いて過去を嘆いているだけの人では、新しい現実を生きていくことは出来ないからです。

でも・・・。
ようやく一時の混乱から脱しようとしているのかな。


 この頃、自分の思考の中に深くはまり込まずに、次の動きが出来る自分が居ます。私は過去には考えることで現実から逃げていた人です。私が考えた事は実際には別の誰かがやっていて私は考えるだけで良いのですから、ある意味楽なのです。

適材適所とはこういうことなのですね。動ける人が動いていく。そして今は私Mamoが、空想の世界ではなく現実というリアリティーの中で自分を意識して動いていく練習を重ねているのです。

私が少し前から感じている 「 何かが出来るかもしれない 」 と言う感覚は 「 現実で生き続けられる自分で居られる 」 感覚なのかもしれません。
社会の中で何か新しい事を探す前に私は一人の自分を意識して生きることが大切なのですね。そうすると、これまで手が付けられていなかったAもBもCも、少しずつ実現させていけるのでしょう。


 私はもう今は、自分から逃げてはいけないのです。他の誰かの思考だとか、自分の事ではないとかそのような考えで自分を切り離そうとする限り、偽りの自分を作り続け過去の傷を見ることも癒すことも出来ないのです。
そしてうわべで見つけた方法論だけで自分の傷を隠す生き方を続けてしまうのです。たとえそのつもりは無くても、そういうことになるのです。何故なら過去にはいつもそうやって生きてきたし、知りつつあった頃さえも無意識にその生き方を選んでしまう「呪縛の世界」に居たからです。私達は過去という悪魔に囚われていたのです。

私が自分の中にある事実を見ないでいる為には、事実ではない自分をどこかで作りあげる必要があり、その中で生きていこうとすることになります。
自分を偽る苦しさを知っている私が、現実に起こっていた自分の過去から目を逸らすことは、過去にある傷の上に更に傷を重ねることになり、それらは何時までも私の中で見えない重たさとなって自分を傷つけ続けるのです。

何よりも今の生き方のほうがうんと楽なのですから、楽な方へ楽な方へと動いていけば良いのですね。

そっか。自分が楽な状態を知っている私なのだから、そんな状態を意識して自分の事をしていけば良いのですね。考えてばかりでは過去と同じなのでした。考えないで、自分を感じて生きていくのですね。



 「今のままでも生きていける」

 流行のスタイルで決めていれば、良い男はすぐに見つかる。物分りの良い人をやっていればお金持ちの男も見つけられる。働く事を生きがいにすれば男に負けない女にもなれる。優しい人になっていれば女友達もすぐに出来る。今のままでも生きていける。過去と同じ方法で、今までどおりに生きていける。

私は何がしたいのかな。

良いだけの男は退屈する。お金に依存するのは虚しい。競争の社会の中で地位も名誉も必要ない。友達は心友だけが良い。

私は私をやっていく。自分を意識して、自分のペースを守って生きていく。私は孤独を楽しんで、自分を信じて生きていく。自分の信念を持ち続けて他の何にも動じない新しい自分を作っていく。


私は自分に必要な材料を持ち、そんな自分を確信し、そして私はただ黙って生きている。

アリスミラーは「沈黙の壁」と言う本の中で「ずっと昔から過去を見ないようにすることが繰り返され悲劇が繰り返されてきた」という内容を書いています。そうですね。私も過去には、自分の傷を見つめることが辛くて、子どもを傷つけてきました。それも仕方が無かったですね。その方法しか知らなかったのだから。 23:00




2004年05月28日(金) 適材適所 

 これで良いわけではないのに、今の自分に満足してしまう自分が居る。
自分の中にあるいろんな考えを、他の人格として切り離しちゃ駄目だと思う。自分のことだとして意識を持っていく。二年前、私には別の人格が居る事を知ったとき、私はこれまでの自分の人生のあり方を理解した。
そして今、別の自分も私である事を受け入れられない自分が居る。

 別の誰かは「何かあってもMamoちゃんが生きていくから良いよ」と言う。私は耳を疑う。

 そうか、よくわからない不安の元が少しだけ見えてきた。
私達は誰かがどこかで苦しんでいても、そこで生きられる人が現実で生きていく。私達が生き延びることが出来るように。だから今も、私達の実際に何が起きていても、目の前の現実で楽に生きられる人格が生きていく。そして他の人格は楽に生きてる事を感じている。
苦しい人格は減っただろうか。減ったんだよね。それでもその現実で生き延びられる人が表に出ては生きていく。


 こんな生き方はやめる。一人の人間として生きていく。私の頭をこんな風にさせられたことを心底悔しいと思う。一人の人間として生きられるように傷を癒している。出来てる部分は一人の自分で居られる。出来てない部分は分かれる。そうか、では出来てない部分がたくさんあるって事だね。仮説や希望はたくさん立てた。後は自分の能力を持ってやっていくだけなのだ。 7:37


2004年05月27日(木) 今の私に考えられること  

 今の私の行動は少しだけずれていると思う。どこがおかしいのだろう。
認めよう。複数である事を。いろんな人格が居て今でも振り回されている事を。複数の始まりの大きな傷を見つめられない自分である事を。

 私は自分が複数であることが分かった頃、それぞれの人格が傷を癒していけば、お互いが楽になり優しく優合できると捉えたていた。その考えは1年以上続いた。ある時から、私以外のほかの人格にはチャイルドを癒す能力が殆ど無いことが分かった。理由はおそらく、現実で生活していない分現在の能力を感じられないから。それなら、彼らの傷を癒していくのは私だと言うことになった。そう思ったのはもう半年ほど前のことだったように思うが、私は他の人格の傷を殆ど癒していない。

 私が安定している間は彼らは私の頭で取り乱すことは無いのだろう。



「今の私が考え付くこと」

 プラスな私に相反して、時々思い切り混乱してします。
この混乱は過去最高に酷い状態に思える。まるで、心の作業を始めた頃の感覚に戻ったようにさえ思える。
何が間違っていますか?分かることは、自分を意識できていれば、混乱は起きないということ。


 相対的なMamoとして、出来ている部分も出来ていない部分もどんな私も認めていこう。
逃げないで、自分の事として見つめていこう。
混乱から逃げたくなったら、 “ 混乱してる自分 ” として見つめていこう。
プラスを語った自分にマイナスをかぶせる自分が居たら “ 自分を否定する自分 ” として見つめていこう。
口をパクパク言わせて動けない自分が居たら、 “ 弱い自分 ” として見つめていこう。
あんな自分もそんな自分も、どんな自分も認めていこう。

悲しくて泣きたい。成長できていない部分を見つめられない自分が居る。そんな自分も見つめていこう。
しっかりと自分で生きたい。もう忘れないで。別の誰かじゃない、他の人格じゃない、全部全部私のこと、私の語り、私の行動。 “ 私達 ” ではない “ 私 ” のこと。
これでいいかな。分からない。今の私に考えられることはこれだけ。

世間の情報の殆どは無責任だと感じます。
「 複数人格は治療法が無い?! 」 「 うつ状態をコントロールしていくのが望ましい?! 」 止めて下さい。コントロールって何ですか?自分自身でコントロールできないものを、薬や何かでコントロールしきれるとでも?一生を?私達は、適材適所で生きてきたんです。それは無意識の世界で生まれたんです。それを、薬や何かでコントロールするんですか?それがその人のためだとでも?

これからの時間は何をしますか?新しい事をします。切り替えてね。誰に言ってますか?私が私自身に確認しています。うん。これで良いかな・・。21:17 2004/05/27


2004年05月26日(水) 鬱な生き方 鬱ではない生き方 


“うつ病”と言う病気を知ら無い方は少ないと思いますが、私はうつ病は病気では無いと断言します。「心の病気」とか「メンタルヘルス」とか言われていますが、本当は「病気」ではなく「心の問題」なのです。何が問題かというと、欝な気持ちになる生き方をしていることが問題なのです。鬱は「憂鬱」の鬱です。」広辞苑によると、憂鬱とは「心配し思い煩うこと」で、「うつ病」とは悲哀、絶望感、焦燥、苦悶感、などの精神の病気で原因不明」と書かれています。

原因不明ですって?そんなはずはありません。

私のカルテに「産後うつ病」という診断名を書いた医者は、私の心の底に何が潜んでいるのかを聞いてみると良かったのです。そうすると今頃その医師は、私の変わりに “ うつ病や他の心の病は、全てが過去の傷によるものなのだ ” と断言することが出来たのです。ま、それはどうでも良いですね。


私は過去、「鬱な気持ち」に入り込むような生活をしていました。済んでしまった事を思い嘆き先の事をマイナスに捉える事を繰り返していたのです。そして今は「鬱ではない生き方」をしています。季節が変われば衣替えをする。朝眼が覚めたら起きる。今日のご飯は何にするかと考える。明日の休みは何をしようかと考える。その次の休みはあれをしようと考える。来年の今頃はこんなことが出来ればと考える。私の人生に対して、1時間後、半日後、1年後、5年後、10年後・・こんな風にして私は何時もいつも先の事を考える。寝る前に歯を磨くことも、のどが乾いたら水を飲むことも、全てのことは過去のことではなくて、未来の事を想定して考えられている。

そうですよね。私は本当はこうして自分の未来のことだけを考えて生きていけるはずだったのです。

では何故「鬱な生き方」そして来たのでしょう。私の親は自分の人生の過去を嘆き将来に不安をかぶせて、私達の存在までも疎ましがりました。そして私達はそれが人の生き方だと学んでしまったから。だから私達は何処までいっても自分を疎ましく思う事を止められなかったのです。

最も、こんなことは今や何処にでもある情報のひとつです。くよくよしないで前を向いて生きていけばよいと。

私達は長い間、それが出来なかったから鬱になっていたのです。呪縛の世界です。

ではどうすればいいのかな。傷を癒していくんだよね。ひとつずつ丁寧にネ。


2004年05月25日(火) 風 時間の流れ 二面の私 真実の私を求めて 

  夜勤明けです。昼間の仮眠から起きてみたら・・私は今日始めて夜通しで働いた後の自分の身体はとても疲れている事を実感しました。当然ですよね。本当は日中使ったエネルギーの分だけ休ませる必要がある身体を夜通し起こしておいて、仕事をしているのですから。

 昨日から、私の中で時間はとてもゆっくりと流れています。社会はずっと前からいつも同じ調子で動いているのだろうけれど、今の私の周りの時間はまるで水道水が蛇口からちょろちょろと流れるようにゆっくりと流れています。そしてこれからの私の人生は、器の汚れがほんの少しの水でもきれいに流されていくように私の傷もただゆっくりと確実に剥がれ落ちていくのですね。

過去には、外を吹く風は鋭く私の肌に突き刺さりました。そして今は、過去と同じように私の周りで吹く風は、私の生身の肌をただ優しくなでるのです。



 お掃除をしました。それがですね・・突然靴を洗いたくなり、靴を洗っていてとても気持ちが良いものだから、掃除機をかけたくなり、部屋がきれいになることもとても気持ちが良いものだから、今度はトイレ掃除もしたくなり、それもまたとても気持ちが良いものだから、お風呂のカビまで取りたくなり・・・・と、こんな具合に気持ちよさの延長で動いていたら、いつの間にか自分のいる空間が気持ち良いくらい綺麗になっていたのです。洗剤のアブクの中で綺麗になっていく靴を見ながら、過去にもこんな風に靴を洗っていた自分を思い出しました。 「 あの頃こんなに楽しく靴を洗う自分はいなかったのは何故だろう 」 自分自身に投げかけた問いの答えを今は無理に探し出す必要もなくなり、私は傷を癒す作業をしていくだけで良いのだと、自分を確認する私でした。




 私は今日、「癒されて居ない部分の自分」を見ました。
子どもの人格の気配を感じて交代を防ごうとした瞬間に、私は底に落ちていました。それはまったく防ぎようが無い状態でただ苦しくてたまらない、体のおき場所が無い感覚を感じるのみでした。
私は過去にはいつもあんなふうにして、突然闇に吸い込まれていたのですね。まるで自分の力が現実の何処にも届いていないような感覚で。
そして私は・・・ “ その時 ” の自分の姿にとても驚きました。とてもとても・・・。

 楽に生きている私と、癒されていない部分で苦しんでいる私。どちらも真実の私なのですね。


 そして今は、悔し涙を流すだけでは.癒された部分で現実に適応している私を見ているだけでは、本当の私にはなりえない事を知りました。

今の状態の私では、社会に適応する事が出来るのみで、癒されていない私は永遠に同じ事を言い続けるのですね。

そして癒されていない私を嘆いているだけの自分では、私の楽な部分は今以上に広がっていかないのですね。

私の中の人格の共存がありえないように、社会に適応するだけの自分も、私の中ではありえません。それは “ 真実の私 ” ではないから。


 それならば・・・私はこれからも自分を見据えて、本当の私を探して生きます。21:50 


2004年05月24日(月) 生き方 全体としての私  複数人格であること

 意識していなければ、すぐに乱暴な生き方をしています。私は今のように生きたいのではありません。丁寧に生きようではありませんか。私はバラバラで苦しんでいた頭の中をひとつとして捉え、考えを纏めていく方法に切り替えられ、今はこの生き方が少しでも自分の物になるように癒しの作業をしている途中なのです。

私は今、楽に生きる方法を知っているのに、わざわざ後ろを向き乱暴に生きていることがあります。

 生きるために社会の人と関わりを持ち仕事をしています。マイナスの社会にいて、自分がほんの少し楽に生きられていることで、私はあたかもずっと前からここにいて、今のような考えを持ち楽に生きてるように感じています。時には私自身が何ひとつの過去も持たない自分のように錯覚しています。

何故でしょう。私は複数人格だからです。

その時その場所に適した人格で生きてしまうのです。私達は過去にいつでもそれでも生きてくることが出来ましたし、これからも同じ方法で生きていける事を無意識の中で知っているから。



 丁寧にやっていこうではありませんか。プラスをたくさん取り入れて、一つ一つ丁寧にやっていこうではありませんか。 

 本来はひとつの頭であり、私達は何があっても常に “ 生きていく事 ” を選んでいるのだから・・。8:00


2004年05月23日(日) 優劣の壁 社会の基準に居る辛さ

  今朝布団の中で目覚めたもう一人の私は、眼を開けて一言「起きるのは私ではない」と言って中に入っていきました。私は部屋をぐるりと見渡して、過去の物になった昨日までの混乱を思い返していました。何がおかしかったんだろう。

考える材料を持っていて、それを使って楽に生きられる自分も居る。楽な自分を持続できる自分も知ってる。だから私はもう一人の私を手伝おうと思えたし、彼女が私と生きる現実を望んだはず。どこかで何かがずれていたのです。そうでなければあれほど多くの人格が混乱して飛び出てくることも無いのではないかと、そんな風にも思えました。何しろ私達は過去には人格を作り出すことで生き延びてきたのですから。

「又原点に戻ってやり始めよう」 そう思いながら昨日私がここで語った全ての言葉を思い起こしていました。その時ふと、昨日の私の言葉の中に優越感が含まれていた事を発見したのです。

「 私は他者からの評価を持っていて他者の視線を気にしていた 」 原因はこれだったのか・・・それなら私はもう一人の私に申し訳ない事をした。彼女は直接の原因ではなかったのかもしれない。

昨日までの彼女の頭に浮かんでいた職場でのいくつかのシーン。何度も何度も同じ場面が浮かんでいたのは何故だろう。その時ふと、私の頭にじわじわと浮かんできたのは“劣等感”と言う言葉でした。そうか。私達は職場で劣等感を感じそれを抱えて、その辛さと引き換えに優越感を持ち出したのだ。ようやく原因が分かった。マイナスから抜けると、マイナスにいた事がわかるとは本当だったんだね。

 私は癒されていない部分はいつでもすぐに、過去の基準に引き戻されると言うことと、私達の頭の中も本当に癒されていなければ優合にはならないのだと言う事を改めて感じさせられました。 7:30 


2004年05月22日(土) 混乱 計画の変更 もう一人の私の言葉 

 うまく行くと思っていた。もう一人の私と共に成長していけると思ってた。でも実際の私は、彼女の中に多数の人格がいる事を知ってから、そんな自分に対してどうやっていけば良いのかという試行錯誤の中にいて、少しずつ足を引きづられ3日前からは完全に調子が狂っていた。どうしてもほんの少ししか表に出られない。崖から滑り落とされたところを小さな岩に捕まりでもするかのように、小さく小さく生き延びていた。岩に捕まったのは私の意志。現実から意識がなくなるのは耐えられなかったから。耳元はいつもやかましすぎて、私はまるで交通整理を必要とするかのような混雑や混乱の声と対峙する事が出来なくなっていた。

限界を感じたのは今朝だった。明け方3時に眼が覚めた時、私達の頭はまったくの混乱状態だった。寝ている布団は岩のように感じ、何かを考える力は無い。別の誰かが仕事の事を考えている。それも済んでしまったことばかりが何度も何度も回転している。この思考を止めたいのにやめられないまま、又別の誰かは「仕事は止める」と叫んでる。私の頭はいったいどうなってるのか。

 ただし今日は大切な行事が入っていたので、その場所に辿り着ければ、私は自分を意識していられるようにも感じられ、その判断は当たっていた。


 夕方になり私はついにダウンした。悔しかった。負けないつもりでいたし、負けてないつもりでいたのに、マイナスはじわじわと私の中に入り込んでいたから。そしてその人格を否定できない自分が悔しかった。私は何時までこんな風に自分の中の人格と戦って生きていくのだろう。私の優合の作業にゴールはあるのだろうか。毎日何をして生きてるのだろう。昼間プラスを語っていたのは誰?夕方自分がマイナス因子だと自覚していたのは誰?今此処で書いているのは誰?私は何故自分の中で戦わなくてはならないのだろう。

 混乱の中でもう一人の私は自分が現実から離れる事を決め、後になって 「 Mamoさんのせいではないから気にしないで 」 と言った。

彼女は確実に成長し自分を見つめようとしている。私も成長しようとしている。同じ事を思ってる二人がうまくいかないのは何故だろう。彼女が抱えきれないことは私が受け持つ必要があったのだろうか。分からない。分かる。私に彼女の部屋の人格を纏めることが出来ていれば、もう少し早い時期に纏まってるはずだろう。今の私にその力が無かったのだろう。彼女の成長を手伝う力が足りなかったのだろう。私はまだまだ自分の事だけで精一杯だったのだろう。出来る部分がたくさんあっても、マイナスに巻き込まれる部分も持っているから。

 この1ヶ月の間に彼女が語ったことで、分かった事実がたくさんある。彼女が現実の生活をする中で、彼女自身が自分を見つめ切り開いてきた過去の記憶だから “ 彼女が生きる現実 ” の中でしかわからないことだった。。彼女の気づきのおかげで、それなりに発見と成長を感じて生きている部分も感じていた。

 私はこれからどうすれば・・・。苦しいのは耐えられない。自分を否定することも耐えられない。私は何が大切かを知ってる。プラスの事をしていこう。もう一人の私は、私Mamoに謝罪した。私は・・・力が足りなくて御免なさい。多くの私を吸収して下さい。私は必ずプラスの事をしていきます。またいつか、一緒に生きられる日があると思える。


2004年05月21日(金) 弱さ 混乱中 自分でない自分 

 結局こういうことだと思う。私は殆どたいていの場合、Sofyとして生きている。それは過去から長い間生き抜いてきた方法だったのだろう。だから、これが “ 傷を背負ったまま生きている本当の私の姿 ” なのだ。そして適材適所でさまざまな人格と入れ替わり、更に自分たちが楽に生きられるように動いてきた。

 ではなぜ今までSofyとして生きている自分に気が付かなかったのかと言うと、そんな自分を見る能力がなかったからだということになる。つまり、弱くて人の視線ばかりを気にして生きている自分なんて、自分自身で認められないわけだ。自分の弱さをまるで負け犬のような感覚に捉えていた私は、過去の傷に巻き込まれたままで生きている惨めな自分を見る事も認めることも出来なかったのだ。と書いていると後ろで「惨めと言わないで」と言う声が聞こえるけれど・・。  


 Sofyは傷を負わされ傷ついたままの私です。だからマイナスの人格をたくさん抱える。そして今でも些細なことに怯え動揺し、その混乱から抜け出す為に他の人格と入れ替わる。でも、そんな彼女がいつも私のすぐ後ろにいるのは何故だろう。まるで裏表だ。私は彼女ですか?どうすればいい?!昨日から頭が混乱しています。こうやって書いているところに、後ろでいろんな声がして私はその度にここを書き直さなくてはならない。私に怒らないで欲しい。悪いのは私じゃない。私は他の誰かにこの作業をして欲しいとは言ってない。私がやろうしてるだけなのだから私の邪魔をしないで欲しい。出てこないでもらいたい。


 ・・こういうのは方法が違いますよね。私はプラスの事をしていくんですよね。 深みに嵌ってる。7:50



  本当の私とはどういうのでしょう。本当の私は、“ 自分の真の感情を知っていて、そしてその自分はどうするかを考えられる自分 ”です。自分でない自分とは “ 元気な振りをする自分であったり、歌を歌って自分の感情を無視する自分 ”であったりします。他にもいろんな偽りの自分がいます。私の場合それらの殆どは人格化しています。

 私は過去に、子どもとして大切にされる術をどのようにして学んだでしょうか。残念ながら、“ 子どもとして大切にされた記憶 ”は無いので、子どもとして認められるために学習した事を考えてみます。私の場合は親の表情を見て、伝えたい事を小出しにして、傷ついても傷ついていない振りをして、自分がどうすれば良いのかを瞬時に掴んで動いていました。過去に会議の議長なるものをしてきた人はkyokoですが、たいていの場合彼女が次の動きを決めていたのだと思います。


 傷ついてない振りをするのはもう止めましょう。FBしてるのに、それを無視するのも止めましょう。感じないように歌を歌うのもやめにしたいです。 私達はもう今は、自分が傷ついている事を認めても良いのです。私達が本当の自分になったとしても誰も私達を責める人はいないのですから。例えば私のそばに誰がいても、私は自分の事を感じたい事を感じ、好きな事を考え行動しても良いのです。

 
 今朝の空を見ましたか?台風一過で晴天の中を面白い形をした雲がふわふわと浮いていたんです。私はカメラを持参していなかったので、なんとも悔しい思いをしましたが、それでも朝からワクワク気分を味わいました。そして職場に行きその事を話すと、私と同じように空を眺めてワクワクした人がいたんです。何だか嬉しくなってしまいました。

 
 今日の仕事は・・昨日よりは自分を意識できただろうと思えます。他者の表情の中にいろんな想像をする私がいるんです。

 疲れて当たり前ですね。職場にお産で退職されて、この度6ヶ月になる赤ちゃんを連れた方が来ました。赤ちゃんとはお肌もお顔も可愛いものだから、大人達の腕と腕の間を行ったり来たりでした。赤ちゃんは丁寧に優しく扱われなくてはなりません。私達が当然と思って触れている肌も赤ちゃんにとっては初めての感触なのですから。そっと優しく丁寧に扱われる必要があるのです。

 夕方になり私は家からデジカメを持ち出して、サンセットを撮ろうと車を走らせましたが、こちらも時間切れ。今度飛行機が撮れると良いなぁと思っています。22:26




2004年05月20日(木)

こういうのをなんと表現すればいいだろう。

 私は自分の眼を通して世の中を見ている。でもその私よりも先に、同じものを見ている誰かがいる。ほんの数秒の違い。私は自分が先に見たいと思う。別の誰かが自分達の部屋をぐるりと見渡しているその後ろで、私は自分が前になるきっかけを探そうとする。 「 あーそうだ、この字は私が書いた字だ 」 
私は目を閉じ別の誰かを押しのけて前に出ようとする。すると私の意思とは関係ないところで、私達のまぶたが降ろされる。「頭が痛い」頭全体が痛い。目を開けたいけれど開けられない。「そうか、私は出られないんだ。何故こうなっている?どうすれば?」

 昨日の朝も同じことが起こった。何故?

 ある本に、『書くことで真実が明らかになることはない』と書かれてありました。そうかな。そうですね。私は生き延びてきただけだから。私はどうすれば?今は何かがずれている。7:07


2004年05月19日(水) 自分をあきらめる辛さ 繋がった過去 

 時々私を突然覆う異様なけだるさと無力感にふと疑問を感じた瞬間、現在の私と過去の真実の一部が繋がり、私は仕事中だったにもかかわらず、思わず声を上げました。
その人は遠い過去に、自分の “ 生 ” に対する執着も小さな希望も完全に捨てきった人格でした。「痛み」とか「辛さ」とか、その逆に例えば別人格 “ Reina ” のように「無感覚」であるとか、そんな問題とは明らかに違う次元に生きていた人格。訴えることも泣くことも、自分が試みる全ての事が、自分には全く無意味だと感じたときの無力感。力の無い自分とそんな自分の命に対する諦めは、無気力と無表情という形をして現実の中に現れていました。それは言葉で表すのなら、目の前で麻酔もなく生爪を剥がされる痛みと、そんな自分を見せられる苦痛と同じです。その時私はどうしたでしょう。そうです。自分が感じる全てのモノ、痛いと感じる自分自身さえも、「もうあきらめた」と完全に投げ捨ててしまったのです。

少し前の朝日新聞に、「虐待された子どもの顔は鬼面だ」と言う説が載っていました。「鬼面?!怒りを表していると?!」
子どもの頃の私にはそんな力は残っていませんでした。ただ自分をあきらめて、ただ自分を痛みと辛さの中に葬って、ただただ本当に生き延びていくだけでした。そのまま二十年も時を経て、私は今日始めて、自分が感じるけだるさはその人格が現実に顔を出しているからだと知ったのです。更によく考えるとそんな “ 無気力な人 ” は20歳の頃から現実にちょくちょく顔を出し、私たち自身を混乱させていたのです。

私の頭にも、小さく記憶にある現実の彼女。

そして彼女の事を文章に出来ている私は、もしかするとそんな彼女の後ろで度々自分自身を見ていたのかもしれません。
さらに、私がこの事を知ることが出来たのは、そんな彼女との壁が薄くなったからかも知れません。

実はひとつ感じていることがあります。
今日知った事実は、これまで見えていた過去の傷が彼女を知るためのパフォーマンスであったかのように、あまりにも重たく私の心底を刺激しました。そんな事を考えるとき、私達は真の痛みの部分に近づいてきたのかも知れないと、そんな風にも思えるのです。

岸和田の少年虐待事件は記憶にありますか?虐待と飢えの中を弟は逃げ出し兄は衰弱したまま逃げ出す事が出来なかったのですが、彼は私と同じ選択、つまり無力な自分を痛みの中に放置したのだとは、事件を知ったときの私の中の直感でした。自分の考えを知っている年齢の子どもが虐待され続けているのであれば、彼らの多くは私と同じ選択をするでしょう。それが唯一自分達が生き延びる方法だからです。

私は・・・自分の一部分であるそんな彼女に、ただ 「 もういいよ 」 と、 「 辛かったよね 」 と言い続けます。ただ 「 限界があって当然だったんだよ 」 と自分自身に言い続けるのです。小さな安堵を感じながら 。 


2004年05月18日(火) 魂の殺人 プール

 ある本を読んでいて、魂と言う言葉が浮かびました。 “ 魂 ” というと宗教的な意味合いが強くてあまり好きではないのですが、私は “ 精神や心 ” の見解の基に思い浮かべました。私達は過去に魂を殺されていたのです。親が子どもを自分の理想に当てはめようとするのは、まさに “ 子どもの心を殺している ” のと同じことなのです。では子どもは何時から心を持っているのかというと、これは言うまでもなく親が受精卵として子どもの命を宿らせたときからだと思います。その時に望んだ妊娠でなければ既にそこで子どもの心は大きく傷ついているのです。ですから、本当に命の初めの部分とでも言うか、まさに、目に見えないほどの形でしかない受精卵に宿っている心の事を“ 魂 ”と言えるでしょう。そしてその状態で始まった命は初めから、命としては控えめなのです。「私は生きても良いの?」と常に確認しているのです。それが、少し飛躍しますが小さな赤ちゃんの夜鳴きであったり、他のいろんな事に起因するのではないかと思います。

 私の親は、前述のとおりに私の魂を殺していました。加えて繰り返し虐待を受けていましたので、大人になっても、どれが自分で何が真実なのかが分からずにただ日々生き延びているだけでした。

 そして残念でかつ本当に申し訳ないことですが、私は自分の子ども達の命を心の底から純粋に望んでいたわけではありませんでした。一言付け加えておきますと、此処で伝えたいことは 「 生まれた命の価値 」 についてではないのです。 私は過去に母親と言う役割が欲しかったのであり、自立した人間として 「 子どもを生み育てたいと心の底から思ってはいなかった 」  という事のみです。


 私は過去に不安定なまま母親になってしまったことで、さまざまな問題が生じてしまったのです。長くなりそうですので、今日はここら辺で・・・。

 私はもうすぐ離婚から1年を迎えます。そしてこの頃の私は、実は1ヶ月以上もかけて、自分はこれからどんな風に生きようかと毎日のように考えています。私の離婚はただの離婚ではありませんでした。ただの離婚ではない理由は・・・こちらも中途半端なのですが後日ということで。


 今日は久しぶりにプールへ行きました。今日の私は水中で水と戯れる人魚ではなく、水を使って遊び、運動をする人でした。クロールで泳げるようになりました。(笑) 


2004年05月17日(月) 「 不登校すること 」 と 「心の叫び 」

 今日、不登校をしている子ども達の機関紙『こみゆんと』に書かれた心の叫びを読みました。私の娘は不登校をしていました。今はそばにいないので、彼女たちの様子に付いては何も分かりませんが、当時、子ども達は身体を張って不登校する事で、自分たちが抱える辛さを表現していたのでした。 “ 身体を張って ”と言う言葉は過大表現ではないのでしょう。何故なら彼女達は、自分たちが私と言う母親から否定されてしまっては生きていけない事を知っていながら、それでも自分の辛さを訴えようとし続けたのですから。私は過去にはそんな子ども達の辛さを真に理解することは出来ませんでした。そして学校に行かない娘と自分のと間に流れる空気の重さにただ苦しむのみでした。もちろん、空気を重たくしていたのが私であることに間違いはないでしょう。

 初めその中に書かれた文章は、今の社会に生きる子ども達の心の姿に見えました。もう少し読み進めているうちに、一つ一つの言葉が過去に不登校していた娘の心の底の苦しみと重なり、私は 「 子ども達に酷い事をしてしまった 」 と、自分を悔やまずには居られませんでした。そして更に読み勧めているうちに、自分自身の子どもの頃の辛さが浮かび上がってきました。




 そうだった。私は過去に学校でさまざまな規制を受け、レッテルを貼られ傷つきながらも、その辛さを誰に言うことも出来ずに、大人に強制させられるままに通い続けていたのだった。そしてその私は自分の子ども達と同様に学校に行かない事をしようとした時期があるのだった。さらに私がいつも自殺しようとしていたのは、幸運にも欠席することが出来て一人家に残された日中のことだったのだ。

 あの時の辛さを抱えたままの私が、どうして自分の子ども達に「休んで良いよ」と.「不登校してくれてありがとう」と言えただろう。どうして自分が抱える辛さに巻き込まれずに子ども達の心を見つめて上げられただろう。




 私はどんなに「不登校する理由」を理解していても、そうしなくてはならない子ども達の辛さを心の底から認めることは出来ていなかったのですね。



 私は此処で何をしているのでしょう。

 私は過去にあれほど生きづらかったのは何故でしょう。地獄のように感じていたあの家から離れても辛かったのは何故でしょう。大人になり安定した収入を得ても、結婚して子どもを生んでも辛かったのは何故でしょう。

 妻になっても母親になっても、何をしてもいても拭いきれなかった不安と辛さの原因を、私はまだまだしっかりと見つめて生きたいと思います。

 これから何をしていけば良いでしょう。

 私は自分が過去には傷付けられた子供であった事を知っていたいです。

 今も時々、マイナスの視線で社会を見てしまうことも知っていたいです。

 そしてこれらを知る私は、過去に巻き込まれない、真の強さを身につけたいと思います。
  
「自分を大切にして生きたい」と何処の誰にでも語れるように。



2004年05月15日(土) ピエロ役 秘密の重たさ 共依存 私

 私達は、過去には自分自身を笑いのネタにすることがありました。こういう事も自分を傷つけていたことになるのですね。それは子どもの頃に学んだピエロと言う役割でした。過去の家の中には、談笑するとか語り合うと言った雰囲気は一つもなく今にも切れそうな糸がただ張り詰めているだけで、私は何時の頃からか、家族が集まったときに流れる空気の重さに耐えられなくなっていたのでしょう。私が笑いを取ることで少しでも空気の流れが変われば、その場を通り過ぎることは出来るわけですから、私は率先してピエロ役を引き受けたのでしょう。けれど・・・私の中の “ 元ピエロ役 ”の人格は私と出会った頃からずっと「本当はこんな風にしたいわけじゃない」と言い続けていました。当然ですよね。そして彼女もまたそんな自分がいつも疲れている事を昨日になって知ったようでした。

 
 秘密は『秘密』だと思う事から傷が深く辛くなるのかもしれません。「誰にも言えない」と思うから、「秘密」を守ることにエネルギーを使ってしまうのかもしれません。「誰にも言えない」と言うことは、「 知ってる 」 事を 「 知らない 」 と言う必要があるからです。嘘を付く為のエネルギーが要るのです。

私は、自分たちが過去に受けた虐待に関する傷を、これから少しずつ社会に何かを訴える時の材料の一つにして生きたいと思っています。



 今日も世間はマイナスの嵐でした。私は、能力を意識して社会に出たつもりだったのですが、“ つもり ”なだけだったのかもしれません。もっともっと楽に生きたいなぁと思います。明日から社会に出るときに何を意識して行けば良いのかな。私は “ 私 ” を意識するのでした。私は自分のすることに意識していくのでした。



 私は過去、自分のパートナーに、子どもに、家やお金、目に見えているだけの物的なものの全てに依存し続けていました。そして心を見つめ傷を癒し続けようとする今も、まだまだいろいろものに依存しようとする私がいます。それは食べ物であったりファッションであったり、時に社会の人であったり。

でもね、私は依存する自分を知っています。そして依存しない自分・・何にも依存しないで自己を確立して生きていこうとする自分が居ることも知っているんです。私は少し前に『権利条約の本』を読みましたが、その時に初めて、私達は国の経済を成り立たせる為に国と言う組織に利用されている事を知りました。私が過去に価値を置いていた「自分の家やマンション、銀行に貯金すること。何かを買う。雑誌の中のファッション。高い化粧品。テーマパークや、ラーメン屋もファミレスも、父の日も母の日もこどもの日」さえも、何もかもが国を栄えさせる為に利用されていたのです。お金とは世間とは、社会とは国とは、私が自分の心を殺して目の前の集団や話題に溶け込もうとすることは、私が生きる為には何の価値もないのだと知ったのです。そしてその背景には、過去の大量生産の中で皆が足並みそろえて同じ色に染まると言う事を要求されていたのだと。その事を知った後の私は “ もう何処の集団に属する必要も感じない。私はただ自分を楽しむ事だけを意識して生きていこう。 これが自己の確立に繋がるのだ”と言う気持ちが私の心に自然に浮かび上がっていました。そうです。私はそんな一面も持ち合わせています。


 これからどうやって生きますか?私はこの一年間と同じように、ひたすら自分の心を見つめ続けて生きていこうと思います。今日も職場では、私には関係のない話を囲む人々の姿が見られました。それはそれで構わないのです。私は・・・。ただ一人で座ってた。良いんです。私はその話題を必要とはしていないのだから。

 巻き込まれさえしなければ、私は “ 私 ” を意識して自分の大切なものに付いて、いつも考えていられるのです。23:55


2004年05月14日(金) Sofyを手伝う 上下関係 不必要な順位

  もう一人の私が確実に前を向いていこうと決めたことで、私は2日間ほど自分の方向性を決められずにいました。間違いなく私の一部である彼女を手伝っていくに対して、私の中で小さな違和感が抜けなかったのです。その違和感は昨日の朝の時点で「私が彼女を肯定していない」事なのだとわかり、さらにそんな私の気持ちは簡単に彼女の部屋に居る他の人格にも伝わってしまい、私は昨日一日巻き込まれないように意識することに大きなエネルギーを使いました。そして夜になり、私は自分の中に違和感を抱えたまま彼女のスペースに無断で入っていきました。彼女は激怒し、私Mamoに対して「私はあなたの領域に無断で入る事を許されなかったのに、あなたは勝手に私の場所に入り込んでくるなんて!」と言い、その言葉は私の心の底にある気持ちを明らかにさせてくれました。私は心の底では彼女を肯定していないまま「教えてあげる人」として彼女の中に入ろうとしていたのです。こんなことって本当にあるんですね。自分の中に住む別の自分、私と同じ体と頭を使っている人。けれども許可無くしてその人のスペースには入れない。あれ?そっか・・私も過去にはそうして他の人を拒否していたことがあったのでした。

 さて、気が付けたことで私は彼女に謝罪をする事が出来、私は彼女を手伝わせてもらうことにしました。自分で自分の成長を「手伝わせてもらう」と言ってる事だけでも面白いと思えますが、実際に一つの頭の中でこれから変わろうとする人を手伝わせてもらうことで私自身の成長の確認が出来る上に、更に多くの気付きを得ていくのですから、どんなテレビドラマよりも面白いのではないかと思います。

 そんなわけで今日は彼女(ちなみに彼女の名前は“ Sofy ”と言います)を手伝う為に外に出かけ、約一年前の、一人で買い物が出来なかった自分を思い出しました。

 車に乗ったらシートベルトをする。信号だけは必ず見る。銀行に行き窓口で税金を払う・・銀行に入って整理券を取り順番を待つ。名前を呼ばれたら窓口に行く。窓口に言ったら、用件を話す。こんな事を私は彼女の後ろで言い続け、彼女は私の言うとおりに行動するのです。デモ。。実は私も銀行の窓口などは慣れていない、買い物が一人で出来て、公共機関に混乱せずに乗れるようになった、という程度なのですが、私の場合、これだけでも外出するには十分に大きな能力になり得るのです。そして今はただ言われるままに動いている彼女も、いずれは今日の私のように、誰かに教えている姿があるのだろうかと思うと、本当に不思議な世界だなぁと思います。

 一年前には別の誰かに教えてもらいながら、何度も混乱しながら社会で生きていく方法を学んできた私ですが、今日は始めて自分が他の誰かに伝えていくと言う事をしてみて、私はあることに気が付きました。

 私は生活に必要な技術を教えることは出来るけれど、心の問題に付いては何も教えることができないのだと言うことです。私達が抱える心の問題のすべては、私達の中の一人一人が自分自身で考え汲み取っていく必要があるのです。私は何をして居ればよいでしょう。私はただ自分の事をし続ける。そして彼女が私を必要としたときにのみ私は彼女を手伝うことが出来るのでしょう。私が「手伝いたい」と思うことが、彼女を手伝える一番目の理由にはならないのです。20:00 



 
私は今日まで自分の中に、そして自分と他者の間に上下関係を作っていました。自分の中で勝手に誰かと比較しては一喜一憂していたのです。

人と人の間に上下関係はありえないのですね。例えば学校の中で、会社の中で付けられる順位も本当はまったく必要のないものなのですね。何かを成す時に、そこに順番や順位が生じるのは自然なことでしたね。問題は順位や順番で私たちの人格、命そのものを評価されてきたことなのですよね。私達がその傷を抱えたまま社会に出る事で時間にせかされ更に完璧さが加わって、大切な事を忘れたまま「早く早く」と自分を終わりのないゴールに追い込み続けてきたのですね。


 そして今の社会の多くの人は過去の私と同じように、時間に追われて生きている自分に気が付かないまま生きています。


 私は・・私はどんな風に生きましょうか。私は私を見失わないように、毎日自分を意識して生きます。ずっとずっと。


 実はこのことは、私とSofyさんとの間に上下関係を作っている自分を発見して考えられたことでした。どんなことも考える為の材料になるのですね。


 今日から新しい本を読み始めました。私は、今までのものとは違う良質の本を読み、考える為の材料にしたいと考えています。本を読んだり、新聞を見たりすることは、私の知らない事を知るチャンスなのです。そして自分が知らなかった事を知った瞬間の私は、とてもワクワクするのです。21:49  


2004年05月12日(水) 私がやっていくこと。 自由に生きてる。大きな変化の予感   ?さんへ


 ただ自分を意識して、でも時々この私のすぐ後ろにもう一人の私の気配を感じて、それがしばらくすると、もう一人の私の中の又別の一人なのだと気が付かされる。それは大人であったり子どもであったりする。いったい何人いるのか分からない。もう一人の私は「100人」とか「とても数え切れない」という言い方をする。私は始めこの人数に驚いた。でもこれが現実だから仕方がない。変えられない事実なのだ。そして私は私を意識する。朝起きた瞬間からそう思う。足を前に出す、自分のつま先が床に付く瞬間を感じようとしてみる。今日の私は何と出会い、何を考えるだろう。楽しみだ。

 もう一人の私は、多分私に名前を付けて欲しいと感じているのだろう。それは十分分かるのだけど、何も思いつかない。思いつかない理由がほんの少しだけ分かる。そしてそこを見ていても進まないので、とりあえずいつもと同じように生きてみる。

 もういいよね。影のように空気のように生きる事はしなくても良いよね。私はあなたが生きている事を知ってる。一緒に生きる事が出来る・・・かもしれない。7:20AM






部屋の模様替えをしました。何を模様替えしたのかというと・・・。私のこれまでの能力を整理したのです。中には今の考え方として「ちょっと違うなぁ・・」と思えるものもありました。でもそれはそれで良いのです。あの頃はそれらを考えられる私を信じることで生き延び、成長してきたのだから。何個かの能力のリストを剥がした後、現在の私Mamoが全身で感じられる能力を書き足していきました。


過去に感じた能力の中に「過去を捨てられる」と言うものがありました。過去を捨てられる・・・。そうですよね。過去は捨てても構わない。そして今は、過去は過去で存在しても構わない。この過去を持つ私が今此処で生きているのかなぁと感じていますが、どうでしょう・・・。



実は、この先の何日かの間に、私の中でとても大きな変化が起きる予感がしています。それはまるで、私の中に隔たっている分厚くて固い壁が音を立てて崩れようとしているかのようです。壁の向こうに居るのはもう一人の私ですか?私はこれまで、自分と彼女の間にこんなにも分厚い壁がある事を知りませんでした。・・・と書いてみましたが、実際には壁の向こう側には誰もいないのかも知れません。此処のところは分かりません。

でもね。ホントウはですね。私は何かを見る方向を逸らしているのかもしれません。何かが大きく音を立てていて、それはもうすぐそこでトグロを巻いていて、でも私はそれらを簡単に押しつぶせるように思えるのです。



今日私は同じ職場で働く一人の女性に「自由に生きているように見える」と言われました。「この私が自由に見える?!」私は何だかくすぐったくなりました。・・今の私は社会の中でそんな風に移ることがあるのですね。過去には何とか楽に生きたいと、そして何とか自由になりたいと、それだけを考える私でした。4ヶ月前には「優しく生きたいよりよく生きたい」と思う私でした。そして今は、社会の中で自分を遊ばせてあげる楽しさを知り、そんな私はいつの間にか、ごく当たり前に自由を感じて生きられる時間を持てていました。もちろん傷が癒えた部分だけですので、何時もいつもではないことは感じています。だから私はこれからも自分を見つめていくのです。心を見つめることは、何をするよりも楽しいことだと感じます。私のする事の一つ一つが、自分の心の問題の成長と繋がっていくのです。

私を自由だと言ったその人は「自分もそうしていたいけれど、ついつい自分を造ってしまう」と言いました。そうですよね。過去の私もそうでした。そして現在でも過去の傷に巻き込まれて偽者の私を演じる瞬間があるのです。そんな私がその方に語れたことは「みんな楽に生きれると良いですよね」の、一言のみでした。本当に私はまだまだ楽に生きたいと思います。


あっ!書いてみて分かる。私は私の事のみを語れば良いのに、“皆”の事として語ってしまいました。まっいいか。・・・これから先同じような事を言われる事があったらなんと言えるかな。


「私は楽に生きたいのです。・・・自分を大切にしたいのです・・・自由に生きたいのです」うーん。どんな風に自分を伝える事が出来るでしょうか。今のところは「私はもっともっと楽に生きたいのです」かな。こんな事を考えてみる事もまた、とっても楽しいのです。22:43



M ゆっくりで良い。慌てなくても良い。私はあなたを知りたいと思う。私はあなたを知るというよりは、私という別の私を知るのだと思う。知る必要があるのだと思う。ACの本は自分と照らし合わせながら、読めるときに読んでいけば良いと思います。23:00


2004年05月11日(火) もう一人の私が決めたこと。手伝う私に出来ること

 部屋の中に大小の紙が散らばっています。この1年間で考えて綴り、あるときには書きなぐってきた物を広げて、私は今ある事を考えています。もう一人の私は今日、「前を向いて生きたいから手伝ってほしい」と言いました。私は・・・そんな彼女がこれから取り組んでいく癒やしの作業を手伝ってみようと思っています。私Mamoが自分の心の問題の大きさに気付いてから3年。離婚と共に一人になってからの私は、自分の苦しさから逃れる為に無心に自分の心のことだけを考えてきました。そして今・・・。
 
 実は3日間くらい混乱していました。もう一人の私が、現実を信じられるようになったことで、突然彼女の部屋にいた子どもの人格が何人か現れ始めたからです。実際には安全な場所にのみ出てくるのですが、出てきた人格を眺めることは出来ても、入れ変わることが出来ずにいました。そして何よりも今になって新しい人格の登場ということが私を混乱させました。けれどこの頃の私は自分の中の混乱を引きずることよりも、今の自分に何が出来るかを考えたくなっているのです。

 そんな中で、少し前から「これからどう生きれば良いのか?」を考えていた彼女と、ちょうど同じような時期から「私はこれから何が出来るかな?」と考えていた私。これはただの偶然でしょうか。私は少し前に、自分の持っている風呂敷を広げてみれば、自分が何を掴んで生きているのかが明確に分かると感じていましたが、実際に広げてみることはなく、ごく自然に自分を楽しませる事を楽しんでいました。今考えると風呂敷を広げる役目は私ではないのかもしれません。


 もう一人の私の部屋の中の作業を私が手伝う。実際に私が出来ることは何でしょう。それは多分強制でも押し付けでもない。ただ私Mamoが私自身を楽しませて生きることのみなのでしょう。彼女は自分の中のもう一人の私です。今は別の人格。そして彼女は私の一部であり私も彼女の一部。そんな彼女を手伝おうとする私に出来ることは、きっと私Mamo自身を見つめて行くことだけですね。

 何かが大きく変わる予感がしています。それはもしかすると私の心次第かもしれません。今の私に何が言えるのかな・・。丁寧に、一つずつ、事実だけを受け入れて、やっていくことが良いですね。それから、小さな気付きや心の中に沸いてきた思いを出来るだけ書きとめて生きましょう。書き表すことで心の整理が出来るますから。

名前を考えています。私と同じでは混乱の元になるので、何か素敵な名前がないかと・・。でも本当は名前を考えることの出来ない私が居て、その理由を私は自分で知っています。私は自分の事を整理する必要がありますね。彼女は前を向いて生きたいと痛感しているのだから・・・。Mamo  22:30



2004年05月10日(月) 心を通過した風。自分に何かをさせること。役割 ミナミの傷さん

2004年5月10日(月) 心を通過した風
なんとも言えない夜勤だった。仕事が始まってすぐに、一晩のペアになる方があなたメッセージで言うけれど、私の話を聞いてはくれないと分かった。それでも私は分からないことは聞いていこうと思った。
私は夜勤の始まりから利用者の食事を間違えて配るというミスをした。私は傍にいた職員に謝罪してどうすればいいか尋ねるときつい言葉が飛んできた。私は自分が間違えたから仕方がないと切り替えて次の行動に移った。
 深夜になり、ステーションで翌朝の薬の準備をしているとナースコールが鳴った。私はコールを取ってちょうど薬をつめていた。「ちょっとお待ちくださいね」と言って、薬をつめる手を急がせた。そこにペアの職員さんがやってきて 「あなたはそこで待機してるんじゃないんですか?ナースコールがなるってことはこの部屋の人は寝てないんだってことがわからないんですか?待機ってコールを取ればいいってわけじゃないでしょ」
私はその人の言葉の意味をすぐに理解できず、何かを尋ねる事も出来ず混乱した気持ちを切り替えようとすることで精一杯だった。それに、ペアになる人によってはすぐに行かなくても大乗という人もいるのに。
自分は今、自分を無視したのか切り替えたのかも分からない。ただ長引かせないで楽しく仕事をしようと思う私が居た。「怒りを引き伸ばすのは自分だ」という言葉を思い出した。怒りを持続させているとつまらないし辛くなるのは分かっている。切り替えてみたかった。私がこれまで学んで来た事を確認するチャンスのようにも思えた。同時に“楽しく仕事をしたい気持ち”と“戸惑っている自分に何かを言わせてあげることが出来るのかな?”という小さな好奇心も持っていた。私は楽しみたい。そして楽しんでいる自分の動きを見たい。“楽しく仕事をしたい”は、自分に優しく接することである。
私はペアさんに、少し警戒しながら「ペアになる方によって方法が少しずつ違うので、こんな風にして欲しいというのがあれば伝えて下さい」と言った。ペアさんは始め怪訝な顔に見えた。私が「出来るだけスムーズにお互いの仕事が流れると良いなぁと思って」と伝えるとペアさんは「その日によっていろいろと違うからね」と言い、私にはそんなペアさんの顔には少しだけ笑顔があるように見えた。私は安堵した。人の笑顔はそれを見た私にも心地よい。
さて、夜勤のクライマックス。朝のおむつ交換の時間がやってきた。この時間も“ 介護さんに聞いていきながらやっていく ”という基本形がある。介護保険施設では介護士さんがプランを立てて動いている場所なので、私達は身体の観察以外の殆どをケアさんに確認しながら動くものだと捉えられているからかもしれない。けれど、ここでも又また否定の言葉が飛んでくる。いいと思ってしていることがそのペアさんにとっては間違いになることがある。「えーっ。もう何回もやってるんでしょ?まだ覚えていないんですか?いちいち教えながらやっていかなきゃならないの?ちょっと待って下さいよ。本当なの?」エトセトラエトセトラ・・・。 「 またか・・・。ドウシテ?? いつもと同じ事をやっているのに・・ 」 本当は思い切り反論したい気分なのだ。 「 二度と夜勤はやらない 」 とさえ思う。でも、ここで原因を考えていると私は朝の忙しい時間に混乱してしまう。それではいけないと又切り替えて・・・。分からないことを尋ねると否定されるので、聞かずにおぼろげな記憶を頼りに動いてみる。それでも少しでもずれると否定される。聞いてからするほうが確実だと思って再び聞きながらやってみると、それも否定される。私も限界になってきた。尋ねる自分の声が怒りを含んで投げやりになっているのがわかる。それでも構わない。 目の前の人には私の怒りも通じないかもしれないから。
怒りに巻き込まれて大切な自分の業務が遅れ気味。おまけに今朝は採血する人の血管が細くてなかなかうまくいかない。焦る気持ちを切り替えるよう意識しながら何とか業務を進めていく。この後には食事の為の離床作業が待っている。臥床している利用者さんを車椅子に乗せて食堂まで連れて行くのだ。看護の仕事を終えてようやくケアさんを手伝いに行く。ここでも人によっての進め方があるようだから 「どんなふうにしますか?」と聞いていく。ところが又もや否定の嵐が待っていた。「 えーっ。まだ覚えてないの?ちょっと大変だヮ・・」その人は困ったようにため息をついた。心に貯まった言葉が浮き出てくる。「あなたは150人の情報を全部一度に思い出せますか?」(ちなみにその人は固定した場所で40人だけど)私はその言葉を飲み込んで、「 それでも教えてもらえると楽しく仕事が出来るし・・ 」 と返した。するとペアさんは「冗談じゃないですよ。楽しければ良いなんて、私達は必死なんですよ。皆必死で夜勤をこなしているのに、楽しく夜勤するなんて勝手なことを」
私の限界がやってきた。どうにも虚しさがこみ上げて抑えられない。怒りではない。怒りという感情を通り越して虚しさとか寂しさとかそんなものがこみ上げてくる 「どうしてこんなにも否定ばかり。これ以上私を責めないで下さい」 。私はそう言って部屋を出ようとしたけれど、踵を返してその人の前に立った。
「私は入職したときに“ペアになる介護さんで方法が違うから確認しながら動くように”と指導されているんです。私も介護さんも動きやすく出来ればと思うから、私のわからないことを聞いているだけです」と言った。そして 「楽しければそれで良いとか、ただそれだけで良いということは少しも思っていない。そう捉えられるともう何も聞けないし出来ない。聞かなければ方法がずれて二度手間になる。聞けばまだ覚えていないのと言われる。私は介護さんの手を煩わせる目的で聞いてるわけじゃないんです 」 介護さんは私に何か言った。途中の言葉は私の耳を素通りし、最後の部分だけが心に届いた。「 でも私達も聞かれてわからないこともあるし、看護婦さんによっても違うから・・」
そうだったんだ。介護士さんも戸惑っていたんだ・・。私は「お互いにわからない中でやろうとしていたのですね」と言った。私の中に、この一晩で否定の嵐を受ける原因があったかどうかわからない。介護さん自身の戸惑いが私を否定しても良い理由になるとも思えない。今分かるのはお互いに相手に自分を合わせなくてはならないと感じる重荷の為に苦痛を抱えて仕事をしていたという事。私は(それなら残りわずかの仕事時間を私は目の前の人と話し合うことでやっていってみよう」と思った。
 勤務時間が終わった。「お疲れ様でした」と伝える私。ペアさんは「お疲れ様、又よろしくお願いします」と笑って言った。
 少し前に、「自己を確立させる事を意識できていれば、自分と違う他者も受け入れられることを知った。受け入れる? そのイメージには追いつかない。そしてこの出来事は、マイナスの社会でどう生きるのかと言う今の私のテーマの大きなヒントになった気がしている。後は考察していく事なのかな。分からない。私は今回のような経験を何度もしていく中で何かを確信するのだろう。


 自分に何かをさせてあげるというのは、どんなときにもそう考えていて良いのかな?マイナスの状況ではなくても、いつでもそのように捉えていれば、“壁を背にして自分を眺める”という言葉が使えるのかな?


 

 PCに残した子ども達の絵を消せずにいます。私の手元に残っている、子ども達に関するものはこの絵のみ。これを消してしまったら後には何も残らないと思っているのです。それにしても、消してしまうことで何も残らなくなるとして、では消していない今の私が持っている“何か”とはいったい何でしょう。よく考えてみると、私が大事に持っておきたいと思っているのは、“母親”という役割を持つ自分でした。ただの役割、今は子ども達を傍で見ていることが出来ないと知っている私が、それでも持ち続けようとしている役割。この役割を行き着くところまでたどっていくと、美奈子という人格の存在に辿り着くのです。そんな事をしていたら、ミナミの傷さんという、“ 美奈子の傷ついた感情を持つ人格 ” が現れて、「 私も傷を癒やしたいのでチャイルドを引き出す方法を教えて欲しい 」 と言いました。 でもね、分かるんです。ミナミの傷さんにチャイルドは癒やせない。自分自身が傷なのだから、誰かと一緒になる必要があるのです。そしてその誰かは、もともと同じところにいた美奈子が最善なのです。更にその美奈子は今は何処へ? もしかすると私が美奈子かもしれませんね。実は私は美奈子でありMamoだと思えるのです。それなら私がミナミの傷さんを受け入れて、一緒になれば良いのですよね。やってみようかな。どうやって?美奈子から切り離されてしまうくらいだから、とても大きな傷なのでしょうか?それとも美奈子はもともと小さな傷にも耐えられるようには出来ていなかったのかもしれません。本当はどうか・・わかりません。そして方法は考え付いたけれど、今はまだ過去のことが何も見えてきません。けれど何時の日かきっと分かりますね。そしてその傷が癒やせたなら、私は本当の意味でこの役割を降ろせるのでしょう。ん?役割を降ろして生きている私も居るわけだから、そのままをやってみれば良いのかもしれません。ん?ではミナミの傷さんのことはどうするの?いろいろと考えると、自分の将来がとても楽しみで何だかワクワクします。21:00


2004年05月09日(日) 成長する自分の傍に。

  周囲の誰かと一緒に成長するとはどういうことだろう。私は心の勉強をしている。少しでも楽に生きていきたいから。よりよく生き、自分の人生を全うして死んで生きたいから。私の細胞の一つ一つを使い切って生きたいから。

 私が自分の心を見つめ自分を大切にし続けて生きるときに、偶然にも自分の傍に同じような志を持ち実践している人がいれば良いだろう。たまたまそこに居る他者と心に付いての何かを語り合うことで、お互いが成長出来ればそれも良いだろう。そんな誰かが居ないとしても、私は私でやっていけば良いのだろう。共に成長するというのは、結果論として現れる偶然みたいなものだろう。何故ならいつも人生の主役は自分で、たまたまそこに居る人と語り合うだけなのだから。

おそらく私は一人でもこのまま自分の心を見つめる事を止めないで居るだろう。心の問題以外に私の心を魅了するものは、当分の間は現れないだろう。

 それから仮に少し道がそれたとしても、プラスの世界はとても楽な事を私は忘れないだろう。16:15


2004年05月08日(土) 感覚の存在 

 純粋さや素直さはもしかすると感覚の問題なのではないでしょうか。過去の傷によってガジガジに閉じ込められていた心を、社会の中でも無防備に解放しておくことが出来れば良いのかもしれません。

 過去の私たちの心に土足で入り込んできたのは、当時の大人達の私利私欲と私達には全く無意味な責任感でした。自分の能力以上に何かを成し遂げようとするとき、自分が感じている限界を信じていては、そのものを成し遂げることが出来ないのです。成し遂げなければならないものは過去に持たされた役割です。永遠にゴールも合格もない役割。私達はその事を無意識の世界でちゃんと知っていて、ただ役割を遂行するべく、そして自分達が生き延びていけるべく、ひたすら感覚を閉ざし無防備とはかけ離れたところで走り続けていたのだと思います。

そして今は・・。

 昨晩、もう一人の私はこれからの私達の生き方に付いて考えていました。(このテーマは彼女の中では少し前から考え続けられていたようなのですが。)

 私は・・。私は大切なものを持って生きるために何をしていこうかな。。7:29A.M.


2004年05月07日(金) 純粋さと素直さをもって もう一人の私 肯定

不思議なことが起こりました。今朝の私達は、「純粋さと素朴さを持って生きたい」と考えていました。そしてそのままの人格で仕事へ出かけた為に把握できた仕事の中身はごくわずかで、作業が手付かずになっていることに対して私達の混乱が増しました。私達の人生に社会との関わりは不可欠なのですから、そんな仕事の合間に考えていたことは「純粋に生きようとするだけでは私達は社会と関わって生きていくことが出来ない」ということでした。度々入れ替わりそうな気配を抱えて混乱した中で自分を取り戻そうとする自分の行動だけはしっかりと見えていましたが、もう一人の私が現実に居ることはわかっていましたので、別の人格に入れ変わらないようにすることに全エネルギーを使っているのみでした。もう一人の私以外の別の人格の気配を無視することが出来ないまま何とか午前中の仕事を終え、私は一人の時間を作りました。肩の力を抜きたかった・・。私が今日改めて見た別の人格は子ども人格です。実は少し前からその気配を感じていました。でも私は現在知っている以上の新しい人格が出てくることに対して「NO」と言いたかった。正確には「No!」と叫びたい心境だったのです。
私は自分が成長していると言う証として、“優合”や“別人格との壁の度合い”を見ています。ですから、今になって新しい人格の出現があると言うことが、自分の成長が逆もどりしているように思えてならない、さらにその度に「私はいったい幾つの人格に切り離されているのか」と、傷の深さに身体が千切れる痛みを感じるのも耐え難い苦痛でした。ということで今日もまた私は遠くで見えている子ども人格の行動に混乱したまま中に入る事をして、現実に出ているもう一人の私はトイレでしゃがみこんだり一人の場所を作っては、何とか生きた一日でした。そして夕方、もう一人の私が、私Mamoの書いた日記を見て自分(もう一人の私)を責める瞬間に出会いました。少し分かりずらいのですが、Mamoが日記を見ている後ろから、自分を責める事を書いている部分をもう一人の私が見て、もう一人の私が「自分を責めているのはいつも私だ!」と叫んだのです。それを聞いた私の体から急に何かがストンと落ちました。そして「こんなに自分を責めなくても良いのではないだろうか」とか「自分たちが自分自身を責めてしまうのは、あなたのせいではない」という思いと同時にとても心地よい感触を味わっていました。それは過去に性の虐待を受けたAkariや優越感を持っていたkyokoの存在を受け入れたときの感触と同じでした。瞬間に私ともう一人の私は深く交わっているように思えました。

ここからがとても不思議な出来事なのですが・・・。(ふぅ〜。説明が難しいのですが少しでも明確に書き表しておきたいのです)シャワーを浴びていたもう一人の私が、Mamoに向かってこう言いました。実際には少し違った言葉なのですが、纏めるとこういうことです。
 
?「現実では私よりもMamoちゃんが生きるのが良いよ」

M「えっ?」

?「FBするのは私だから、その時にはどうするか知ってる?」

M「うん一応・・」

?「アンカーしてね。私を引っ込ましても良いから。MamoちゃんがFBすると私が出てしまうから」

M「・・・」

?「Mamoちゃんが生きてね」

M「・・・あなたは?」

?「私はあなたをバックアップするから。Mamoちゃんは自分を意識して。そうすれば私が出なくても済む」

M「・・・」

?「あなたはプラスの好奇心を持っているでしょ。それを使ってたくさんの事をして」

M「子どもの人格が・・・」

?「知ってる。私の部屋にたくさん居る」

M「どうして?」

?「分からない。でも癒やしていけば良いでしょ。私には出来ないけど、あなたには出来る」

私は最後まで狐に包まれたような気分でした。一日の流れの中で偶然こんなことが起きて、私は今でも不思議で仕方がないのですが、ただひとつ、この風景を一言で纏めるのならば「肯定」と言う言葉がふさわしいのかもしれません。この後も実際に何となく小さな戸惑いを感じてFBしてしまったとき、もう一人の私は、Mamoに向かって「Mamoちゃん自分を意識して」と囁いたのです。そしてそこで私は何かを「怖い」と感じるもう一人の私に対して「怖いときには私を呼んで」と語ったのです。
私は又少し自分自身に対して違う見方が出来るように思っています。 
  


2004年05月06日(木) 死生学 人格の壁 無防備さ 

人生の折り返し地点は何処なのでしょう。人生80年どころか私の身近には100歳近くになられるお方も何人かお見かけします。生まれた人は必ず死にます。私は今、自分がこれからどんな生き方をしていくのかをじっくりと考えている段階です。うーん、過去の私達の生き方をどのように説明すれば良いのかがわかりません。とにかく私達は“私”として自分の感覚をもって生きてはいなかったのです。

ある本に、『人生を行き当たりばったりで生きている人は、ある日突然人生の折り返し地点に来ていることを知り狼狽する。じっくりと自分の人生を考えて生きている人は、人がいずれは必ず老いて死んでいく事を知っている』と書かれていました。私はどうかな・・。確かに20歳代の頃には時間もエネルギーもたっぷりあると思えていたのではないでしょうか。そしてもっと自分の人生を自由に使っているとさえ思えていたのでしょう。実際には生まれてから1年前まで私は、常に自分の人生がまるで別の誰かのものでもあるかのように、翻弄されながら生きていました。過去の私は自分以外の何かがすべてだったのかもしれません。仕事がすべて、子どもがすべて、家庭がすべて。自分自身の中にうずくまっている存在欲求を満たす為に、自分以外の何かを掴もうとしていたのでしょう。

本当はまだまだ私達は別々の行動をしています。けれど以前よりはずっと近いところで生きているのだろうと思います。別人格との距離の問題は、 “ 壁 ”と言う言葉で表わされるようですが、私達の壁はある人格との間ではとても薄く、又別のある人格との間ではもう少し厚く・・と、こんな風になっているのかもしれません。そして、距離的にもっと近くなる為に、優合する為に必要なことが何なのか、今は頭のずっと奥のほうで見えています。私がそれを心まで持ってきて受け入れていけば、もしかするとすぐにでも優合できるのではないかと思えます。

私は今日、無防備な女性たちを見ました。彼女達は目の前の人をほんの少しも疑っていないかのようでした。もちろん私は彼女達の人生のごく小さな一部分を見たに過ぎませんが、そんな彼女達と関わる自分の姿を私はいつもと見つめていたいと思います。23:30PM


2004年05月05日(水) 私の風呂敷の中身

FBすることや、マイナスの事をする自分を責めています。

持っている大きな風呂敷をさっと広げてみると、そこに何かがたくさん入っていて、私はそれらを更に広げるだけでよいのでしょう。

 職場の人が何かに対して怒りを抱えているのも、自分の人生を乱暴に生きているのも、他者の事はすべて私のせいではありませんでした。部屋中の能力のリストを見渡して、私が抱えている風呂敷の中に入っているものはこの部屋に張り巡らされているすべての能力ではないかと感じました。

 こんな事を考えていて、ふと、ではもう一人の私はどうするかと言う事を考えました。ちょうど6日前、私を手伝う人は「彼女の能力は何だろう?」と私に問いかけました。

彼女の能力・・・。続きを考える私の横で、自分自身に能力があると思うことすらいけないと感じる彼女が居ます。私はこの両極端な2面性をどうすれば良いのだろうと、更に更に考えます。

 今朝は彼女が起きてきて、私はまたまた「何故私が起きていないのだろう」と考えていました。私達の場所が反対になるとき私は思考力を奪われます。ただマイナスの現実が見えているだけ・・。そしてそれでも、そのままの彼女のままで社会に出る事は自分自身の辛さを引き出すことになるのだと言うことを彼女は知っているのです。いいえ、もしかすると、彼女が社会に出ることの結果を知っているのは、実はこの私自身かもしれません。

 まるで推理小説のようだなぁ・・。


「名前を変えたい」と言い続ける彼女。名前は変えたほうが良いと思いますが、なんと言う名前に??彼女が何と名乗りたいのかを私は知っています。そして私はその気持ちを無視しているのです。


2004年05月04日(火) 自然 準備  “確かさ 模索すること”

 先日デジカメを買いました。自然の景色を撮ったり編集したりして出来た画像を自分のHPに使う事を覚えた私は小さなワクワクを感じながら、どこかで「私にはやることがあるのに、良いのかな?!」とも考えていました。でも、よく考えると良いのですよね。決心は変えても良いし、やりたい事を飽きるまですることが「大切なのかもしれません。だって途中でやめて自分を矯正させたとしても、頭の片隅に中途半端に残された欲求が残り、時々私の心をくすぶることに変わりはないのだから。

自然は素敵です。空にのんびり流れてる雲の切れ端も花がかもし出す心地よい香りも、人間の手でまったく同じものを作ることは出来ないでしょう。人も同じですね。変えられるのは自分だけなのですね。過去の人が弱者を集団として同じ色に染めようとしたのは何故ですか?更にそのまま染まる事を選んだ人は何故その生き方を選んだ本当の理由は何でしょう。

 私はどんな生き方をしていくのでしょう。この何日か、目の前に大きな穴がぽっかりと開いていて、その中にこれまで学んできたものをシャッフルして入れれば良いだけなのだと感じています。これは私だけの思考で生きていくための準備が出来たのかもしれません。私のこれからの生き方のようなものをそこに入れたくなっているのだろうと考えています。ただしその為に、もう一人の私の頭がまとまる必要があるのですが・・。

 ちがうなぁ・・。もう一人の人がまとまらなくても私一人でやっていれば良いのかな。そして実際に私は毎日生きているのだから、既に動いているのですよね。



今日私は自分の中に、言葉には出来ない“確かさ”を見ました。それは今は本当になんとも表現できないのですが、過去に「体がばらばらになりそうだ」とか「壊れてしまいそうだ」という言葉で表現していた感覚は、実はこの“確かさ”を少しずつ作り上げていたのかもしれません。生きるために必要な術のかけらが少しずつ寄り集まっているかのようにも思えます。おそらく自分でより集めているのですね。
 
自分の生き方を模索することはとても大切であろうと思います。人生は旅だと表現する人が居ますが、私達は旅の道具に何を使うかよりも、何を目的にするかを考える必要があるのです。マイホームとか車や仕事とか、物質的なものよりもはるかに価値があり永遠に持ち続けることが出来るものを私はもっと大切にしたいと思います。

 私達はどんな風に生きていくのかな・・。よりよく生きるためにもう少し考えて生きたいと思います。

 今日も仕事は忙しく、それでも周りの雰囲気から少し離れたところでワクワクしながら仕事をしている自分が居て、こんな自分を持続できると良いなあとつくづく思いました。「忙しくて目が回る」と言ってる人の話を聞きながら「私は眼が回ってないけど良いのかなぁ・・」とか。楽しいと感じているときにはどんな状況もマイナスには映らないのですね。

 こんな風にして一昨日より昨日、昨日より今日、そして今日より明日と、私の目の前にある“確かさ”は少しづつ大きく膨らんでくるのだろうと思います。もちろん傷が癒やせた分だけですね。


2004年05月03日(月) 生き方 纏綿状態 複数であること 彗星 ルコウソウ

 私はもう少し自分の感情のままに動いてみても良いのではないだろうと思います。何かの行動に付いて自分で評価してみたり規制をかけてみたり、まだまだおかしな事をしている事を感じます。

 小さな戸惑いは本当に針の先ほどの小さな戸惑いなのですね。今日もまたいつの間にか違う自分になっていて、後になって別の誰かになっていた事を知るのですが、どうしてだろうと考えてみると、ほんの小さな戸惑いを無視している自分が居たのです。

 いまさらですが、一昨日仕事中に「本当に複数だったんだ・・」と言う思いが私の心の奥底に飛び込んできました。その感情は正確にはもう一人の私の心から出てきたものなのですが、何故か私の所にまでとても強い勢いで入り込んできて、私はしばらく立ち止まったまま動くことが出来ませんでした。もう一人の私はこの何日間か自分の生活を観察していたようで、その中で感じる時間のずれに付いて考えていくうちに複数であると言う現実に辿り着いたようでした。そうですね。複数なんです。
本当は違うかもしれないとか、本当は世の中の人は皆そうではないかとか、何かと理由を付けて事実を否定していたのは、もう一人の私ではなくて、実はこの私“Mamo”なのかもしれません。

 複数であるとは大変なことですか?
大変だったのかどうかはわかりません。私は私ひとりとしてしか生きてきたことがなかったから。一人で生きるということがどういうことなのかも今ははっきりとわからない。(時間と記憶が繋がるのだろうとは思えます)ただし楽に生きてきていないことだけは語る事が出来るかもしれません。自分の苦しかった過去を知っているから。

「纏綿状態」と言う言葉を知っていますか?
AC関連の本には書かれているかもしれません。私が癒やしの作業に使っている本にも書かれてありますが、今少しだけ境界線のある人間関係を知り、過去のその状態の恐ろしさを感じています。とても口では言い表せない、弱いものの人格を一飲みにしてしまうような、そんな恐ろしさを感じます。

 私はどんな風に生きたいのでしょう。私は何がしたいのでしょう。・・・自分に対してこのような問いかけをし始めて、そろそろ1年が経とうとしています。過去の私は、何かを発見してさえもそれ以前の自分を眺めては悲観していました。今日改めて過去の自分はそんな風に生きていたことに気が付き、呪縛の強さを感じました。過去の私は自分に新しい能力を見つけてさえ、生き辛さを抱えた自分を探しに行こうとしていたのです。時間は前にだけ進み、木は空に向かって伸びていくのです。人が歩くときも前向きで、鳥もトカゲも前を向いて生きていく、前だけ向いて生きていくのです。私もわざわざ後ろを向かずに、ただ前だけを向いて歩いていこうと思います。それが良いに決まってる・・・。


1週間ほど前、庭にルコウソウの種を植えました。2日前にようやく双葉が出てきて・・・夏にはきれいなお花が咲くようですが、どんな風に成長するのか私はとても楽しみにしています。

そうそう・・ご存知ですか?6月中旬まで、彗星が二つ見えるそうです。


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