日英双語育児日記
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2006年09月30日(土) |
おばけのてんぷら、カブト虫図鑑 |
朝、保育園の運動会。
昼食後、本屋に連れて行って本を買ってやる。Sは、「おばけのてんぷら」。保育園で読んでもらったことがあるもの。
Tには、小学館のNEOシリーズの図鑑カブトムシ・クワガタムシを買う。
このシリーズは、7月に『恐竜』を買ってやったのだが、あまり熱心に見ているふうでもなかった。が、今回は、自分で選ばせたところ、これを選んだ。
前回は、同じ店内にあるレンタルビデオをチェックしたがったのだが、今回はそんなことも言わずに、すぐ帰宅。
帰宅後すぐ、いっしょに読もう、と私に言うのだが、私は、かなり疲れていたので、子供にビデオを見せて、自分は昼寝。
夕食後、片づけが終わってから、カブトの本読んであげるね、というと、Tはうれしそうに待っていて、待つ間に、Sに『おばけのてんぷら』を読んでやっていた。
最後に、ようやく、『カブトムシ・クワガタムシ』をTと一緒に見ながら、あれこれ読んだり話したりする。
「このほん、かって、よかったなー、いちばんたのしいなあ」としじみじ言うところを見ると、よほどおもしろいのだろう。よかった、よかった。
------ 英語読み
(私がさぼりぎみで、もう、きょうはいいわ、といいそうになるところ、Tが、あ、まだ英語よんでへん、と言うので。なんとか細々と継続)
9/30 The Three Billy Goats Gruff 9/29 Frog and Toadのなかから一話。ただし、私が疲れていて最初の4ページのみ。 9/28 Frog and Toad "Down the Hill" 後半 9/27 Frog and Toad "Down the Hill" 前半
夫出張に自分の仕事の締め切り前が重なって、気持ちの余裕がなく(幸い時間の余裕は、わりとある、この時期)、Tの本読み相手をするのに、「簡単なのでいいよ」といって、これまでに何度も読んだことのあるThe Three Littel Pigsを読ませる。
なんというか、こういうところで、こっちが手を抜いてしまうのだよなー、きっと。
ずるずる続かないようにしなければ。
9/23 Frog and Toad "The Story"
読み始めたのが遅く、とても眠そうにしていたので、6ページでやめる。
9/24 Frog and Toad "The Story" 続き。
今度は、スムーズに。
WhereをWhatとよんだり、pourをput読んだりするのを聞くと、やはり、子供の読みはlook-and-sayに近いのだと思う。
らくらく読めたので、Tも機嫌がよく、もうひとつ簡単なものを読むという。Golddilocks and the three bears.を読む。今まで何度も読んだもの。
それから、Spot's First Christmas
Big Pig on a DIgも読む。
つるつると四冊。
2006年09月22日(金) |
ひきつづき読んだもの |
9/20 Frog and ToadのChristmas Eve. 6,7分で読めてT自身もびっくり。
9/21 Frog and ToadのSurprise.
寝る前に読んだので結構お疲れのT。簡単な短いのでいいよ、といったのだが、これを選んだ。
Frog and Toad were both happy. のところを
Frog and Toad went to bed happily.
と読む。
挿絵に、ベッドで寝ているところが描かれているのと、 それから、 were both happyの最初の字面we. . . b. . . happ. . .をぱっとイメージとして目に入れて、読んでいるのだな、とわかる。
S@3歳9ヶ月が、「かごめ、かごめ」の歌を歌っていた。保育園で教えてもらったのだろう。
「かごのなかのとりは いーつーいーつージェイアール」
JRじゃなくて、「いついつ でやる」だってば!
Tと二人で爆笑。
Tと読んだもの。
9月19日 The Little Red Hen. Three Bears and Goldilocks.
どちらもレディバードのレベル1。 夜外食して8時過ぎに帰ったので、難しいものではなくて、簡単なものを二つにしようということで。
9月18日 The Kite (Frog and Toad)
昼間Tは、Dの、ラベルプリンター(っていうのだろうか、小さなキーボードがついていて、入力してラベルをプリントアウトするの)を使わせてもらって、Thomas the tankengineだのなんだの、ビデオのラベルを作っていた。
まだアルファベットを書くことはほとんどしていないのだけれど(それは、ひらがなかたかなもなんだけど)、こういうふうに、キーボードで親しむ、というのはありなのだなぁ。
9月17日 Sly Fox and Little Red Hen. これはLady Bird のレベル2。このごろFrog and Toadに悪戦苦闘しているせいか、かなり簡単に感じる。
9月16日 久しぶりにフラッシュカード。may, wayのayパターン確認ほか。sight wordsとaction words.
9月15日 Frog and Toadから。(眠くて、数ページでやめる)
9月14日 Frog and Toad から。Spring二回目。昨日よりだいぶ楽によめる。
2006年09月13日(水) |
オルルだのウォルクだの |
昨日は、その前の日に大変だったThe Hatをもう一度読んだ。
一昨日の夜読んだものを、夜が明けて翌朝読ませた、という時間の短さのせいか、今度はほとんど止まらずに読めた。一、二箇所か。
で、気をとりなおして、今日はまたFrog and Toadのなかから、新しいもの。Springを読む。
やはり、なかなかてこずる。私が最初に読んでやったときに、五分くらいかかっていたのだが、Tが読むと30分。それでも、投げずに、いやがらずにやるのは、えらい。でも、ふざけたり、だらけたりしなければ、もうちょっと速く進むのでは、とも思う。
以下、どういう語が今のTに読めないのか備忘録として、書いておこう。
And it means that we can begin a whole new year together, Toad.
とあると、means, begin, whole, year, togetherでひっかかる。
次の文で、
We will skip through the meadows and run through the woods and swim in the river.
とあると、through, meadowsでひっかかる。
beginはそのまま読めばいいようなものだけれど、やはり二音節、というだけで難しいよう。それから、ghを読まない語が多いので、beginもgを読まないのじゃないか、と思ったよう。そういえば、The Hatのbeganでも「g読む?」なんて言っていた。
togetherなんかも、そのまま読めば読めそうなもんだけれど、三音節語、はそれだけで大変なんでしょう。
eaは厄介。mean, clear, meadow(これもこの話のなかで出てくる)がみな音が違う。headは読めるんだけど。
evenings, Listen, inside, bright, April, December, well, half, nightとか。
それぞれ、読めない理由があるべくして読めない、というかんじだ。多音節とか、黙字とか。子音重複とか。「わからへん」だなあ。ああ、こうやって書いていると、読めなくて当たり前だよ、という気もしてくるなぁ。
moreが読めないのにtoreが読めるのは、文脈の違いからか。
"Frog tore off the November page."のtoreはわかるけど、"a little more sleep will not hurt me."はそもそも、文として難しい。hurtもわからなかったし。
そんななかで、walkが読めないので、「alでオー。ウォルクとちゃうで、ウォーク。allもオルルとちがって、オール」というと、妙にうける。こういうのがおもしろいと思えるくらいの、言語感覚が見についているということでもある。
knockをクノック、listenはリストゥン、halfをハルフとわざと読みしてやると、これもおもしろがる。親としては、これで、本当の読みが印象に残ればいい、という思惑があるのだ。が、Tのほうは、同じようにおもしろい読み方をしてやろう、とrightを見てリッジうんぬん、とやろうとするものだから、そのあたりも停滞して時間がかかる。
逆に、今の段階で、どういう一節ならノンストップでいけるかというと、たとえば、こういう数行。
"Toad! Toad!" cried Frog. "The sun is shining! The snow is melting. Wake up!" "I am not here," said the voice.
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ところで。
できないところばかり書き連ねていますが、これくらいちゃんと読めるべきだとか、早くどんどん読めるようになってほしい、とか、そういう苛立ちからではありません。また、大事なのは英語の早期教育だ、と思っているわけでもありません。
私としては、最低限のフォニックスだけやって、あとはごりごり読ませているだけだし、これは水にどぼんと放り込んで、さあ泳げ(swim or sink)と言わんばかりのやりかただし、、短期的に見れば、効率のよい教え方ではないと思います。
ただ、ちいさいうちからできるだけ多くの語、表現に浅く広く触れてほしい、という思いはあります。過剰に語彙コントロールされたものだけではなくて。
本当は、子供たちが話し言葉を習得して言ったのを、書き留めていったときのように、書き言葉も、できるだけ傍観者風に、記録したいのですが。残念ながら、書き言葉は、ある程度意識的に学習しないと身につかないものなので、親もあまり傍観者風にはふるえません。。
そして、こうやって書いていくことで、Tにとっての難しさの内容が、私にとって改めて確認できるメリットはあります。
あと、それから、そもそもなぜ今のうちから、というところについてですが。これは、まあ、他に何も習い事もさせていないし、ひとつくらい、子供に付き合って、積み上げることで上達することをやらせてみるのもいいかな、という気がしているからです。そんななかで、毎日、英語の短い話を音読させることなら、付き合えるので。
このところ、Tは、Frog and Toadシリーズを一話ずつ、夕食後、寝る前に音読している。まず私が読んでやって、それからTが読む。
読めない語は、「わからへん」というので、少しヒントを出す。フォニックス的なヒント(wとhでゥワとか)、だったり、日本語で意味を言ったり(「飛んでいったんやで」と私が言って、Tがflewをフルーと読めたり。)
そんなこんなで、
The List. Ice Cream. Cookies.
と毎日一話ずつここまで結構順調に来たのだけれど。
今日のThe Hat.
これは私が読んでやりながら、ああ、難しいわ、の感触あり。出てくる単語が難しいのが多い。話の筋も、妙にいりくんでいる。
案の定、thought, thoughts, oak, pour, tonight,quietly, giant, able, pleasantなどなど、Tにとっては難読語続出。
fallとfell, やmay, my, any, manyやwas, were, day, allこのへんも、読めるときと読めないときがあって、調子よくつるつるいっているときは読めるのだけれど、難しい言葉が多くて全体にがたがたしていると、このへんもよめなくなる。
文脈にもよるのだろうが、もちろん。
学校に行っているわけではないので「少しを確実に」よりも「広く浅くたくさん触れる。そのうちの一部が徐々に定着していけばいい」の方向でやっていくつもりで、こういう読ませ方をしているのだけれど、今日のようにがたがたとなると、フラッシュカードで基礎固めしたほうがいいか、などとゆれたりもする。いやいや、もう少しはこれで行くけど。
あ、でも、今日よかったのは、Thatとthatのように、同じ語でも、大きいTのことがあることに気がついたこと。そこで、. のあとは大きい字で始める、ということを話した。
夫が子供に本を読んでやるのを聞いていると、これで大丈夫か?と思うことがときどきある。
夫はとにかく、早口でどんどん読む。見せ場とか、声色とかあまりおかまいなしに、どんどん読む。
以前から割合、長いものを読んでやっているので、ゆっくり読んでいたらいつまでたっても終わらない、というのがあるのだろうが。
早口すぎて、私には聞き取れないところがあるほど。
これって、私がノンネイティブだからってだけではないと思う。だって、朗読もののビデオとか、オーディオブックとか、あんなに早口でびゅんびゅん読まないよー。
とはいうものの。
まあ、こういうのもあっていいんでしょう。私は日本語にしても英語にしてもゆっくりめに読んでいるので。いろいろな読み方に触れてもらいましょう。
それに子供は文句を言っていないのだー。きっと、こういうのも、ありなんだろう。
Tに英語を読ませていると、しゃきしゃきはきはき読まないなあ、発音明晰でないなあというのが気になる。発音が悪い、というのとも違って、明瞭でない、というかんじ。
このあいだ夫母に、「日ごろの成果」を披露したときも、照れくさいのかふにゃふにゃしながらもごもご読んだもので、I know you can read better.と言われる始末。
ところが、今日、TとSと三人で「のりものカルタ」をしていて、Tが全部よんでくれたのだけれど、その日本語の読みも、けっこうもごもごしていて、まだまだ不明瞭な部分も多く、はきはき読んでいる、とはいえないのであった。
普段は、英語は読めるかどうか音読させるけれど、日本語のほうは、まとめて音読させたことはないので気がつかなかった。日本語のほうは、日常的に、身の回りの印刷物をTが声に出して読んでいるのを聞くことが多い。そしてそういうときは、かなりはっきりと読んでいるのであった。
長いもの、まとまったものを人に聞かせるために音読するのって、難しいのだ、とあらためて気がついたことであった。
・・・19世紀イギリスの視学官が、労働者階級の子供たちの「音読のひどさ」に向ける目の、厳しさ、根底にある無理解と偏見が気になっていたけど。実は、自分も、子供の音読に厳しい目を向けている。
『なぞなぞライオン』佐々木マキ著という本をTに買ってきました。
書店(ブックオフですが!)であれこれ見ていたときに、目に留まったのです。
Tに絵本や図鑑以外の本と接する機会を与えたほうがいいな、という気がしていました。字中心の本、それもおもしろい物語を、と思ったのです。というのも、このごろ、私がTと本を持って接するときには、Tが自分で音読できるレベルの簡単な英語の本を読んでやったり、読ませたりすることが中心になっていて、お話を純粋に楽しむ世界の開拓をしてやっていないことに気がついたので。
『きょうのおはなしなあに』シリーズは、お話の世界開拓、という要素はありますが、あれは、字が小さくて、がんばれば読めるかも、という気持ちをおこさせることにはあまりならないように思います。
というわけで、『なぞなぞライオン』、佐々木マキ。
佐々木マキ=村上春樹の挿画、という条件反射がありますが、文章も非常にセンスがよかった。
「課題図書」の銀の丸いシールがありました。
小さな女の子が、ライオンにであってなぞなぞ対決をし、へびに出会って早口言葉対決をし、それからサイに出会ってシリトリ対決をする話です。言語オタクの母親好みの、言葉遊び満載でした。
初めは、Tが話に乗ってくるかどうか、ちょっと不安だったのですが、結構おもしろがって、サイ>ライオン>ヘビ>サイ、と読まされました。
英語のほうは、一週間ほど前から、寝る前に一日一話、Tが音読するのを私が聞いてやる、というのを続けています。今日はToad and FrogのA Listの後半を読み終わりました。(前半はずーっと前に読んでいた。ので、今日、これ読もう、というと、10ページから!と押し切られた)
Sには、ミッフィーの絵本を英語で一冊読んでやりました。
それから二人を寝室に連れて行った夫が、Mr. Menシリーズのなかから二冊読んでやっていました。
日常のひとこま。
保育園から歩いて帰る途中、50メートルくらい先を歩いていたTが、ある家の前でとまって、その家のひとが家の前の歩道(公道)に出している大きな鉢植え数鉢をのぞいていた。
そうしたら、そのいえの奥さん(といっても70歳くらいのひと)が出てきて、すごく不審げにTをじろじろ見ながら近寄ってきたので、Tはあわてて、かけだして、その横の公園に逃げ込んでしまった。
その奥さんは、それからも門のあたりからずーっとTのことをうろんげに眺めていた。
私はSといっしょにゆっくり歩いていたのだけれど、その家の門についたときに、「うちのこですが、なにかしましたか?」ときいてみた。
「いちじくとろうとしてたから」とおっしゃる。
見ると、歩道(しつこいですが公道。しかも家の塀のすぐそばではなくて、歩道と車道の間)には大きなイチジクの鉢があって、まだ緑の実がいくつかなっている。
「まえにも、とられたから」といって、Tを犯人扱い。
具合の悪いことに、Tは、保育園で作った泥団子を透明のビニール袋に入れて、手でもってきていたのだ。彼女にはそれがとったイチジクに見えたのでしょう。
「いや、あれは泥団子ですよ。うちの子は、そんなひとのうちのもの取るようなことはしませんから」と言っても、まったく信じないふうなので、公園からTを呼んで、その泥団子を見てもらう。
でも、むこうも、誤解して悪かったというわけでもなく、私のほうも、「私たちも○丁目にすんでいておうちのまえはいっつも通っていて、お花きれいだなあと見せてもらっているんです、でも、ひとのうちのものをとるなんてことありません」と言い捨てるようにして、家に帰ってしまった。
うーん。 向こうが、せめて「ごめんね、おばちゃん、いちじくかと思ったわー」とか「そやね、こんなところにあったら、気になるわね」とかTに言ってくれたら、こんないやな終わり方にはならなかったなぁ。
私も、もうちょっとさらっと誤解されたままでもいいから適当にして帰ってしまえばよかったかも。公園から子供を呼び戻したりせずに。
それにしても。 小学校の通学路で、保育園児もたくさん通る、駅から団地内を抜けるメインストリートの道のまんなかに、果樹をおいて、それが取られるからってナーバスになるのは、やっぱりちょっとおかしいんじゃないの、と思う。
私だって、Tがとろうとしていなかった、と100%確信はないです。でも、夫両親の庭の果物や野菜でも、断ってからしかとらなかったし。家でもそうだし。とろうという気はなかったと思う。見ていただけでしょう。だって、そんなところに、イチジクの木があったら、気になるよね。ちょうど1メートルくらいだし。
かなりガーデニングに手をいれているうちで、いつもほぼ満開状態のプランターや植木鉢を家の表のフェンス沿いに並べているし。あの、ガーデニングにはそこそこうるさいうちの夫父母が遊びにきたときにも、この家はすごい、と言っていたくらいだから。。
まあ、私が子供にかける手間と愛情よりも、彼女が庭や植物にかける手間と愛情のほうが大きいのかもしれません。。。
それにしても母親よりも年上の年配のような女性に向かって、けんか腰に文句を言わなくてもいいのに、と自己嫌悪でもあります。いかにも口の利き方をしらない、権利意識ばかり強い「若い母親」じゃないか。
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