日英双語育児日記
DiaryINDEX|past|will
給食の献立に使われている食材について、保育園のTの組では、「赤のグループ」「黄色のグループ」「緑のグループ」に分けて、説明をしてくれるらしい。廊下には、給食掲示板があって、その日に使われた野菜や芋、米飯などの写真が、それぞれのグループごとに固めて示してある。
そんなわけで、家でも「にんじんは、みどりのグループ」とTが言うと、Sが「ちがうで〜、にんじんは、おれんじやで〜」とSがまじめにつっこんだりすることになる。
ところで、赤のグループの話をするときに、肉について、保育園では「チヤ肉」を食べている、とTがいう。チヤニク?チヤニク?ちゃいろのおにくのこと?ちがうー。ちやにく。
なんだかネコニク店のマシューって感じで、よくわからなかった。
が、過日、その給食掲示板を見ていると、赤のグループのところに「ちやにくになるもの」と書いてあって、ああ、血や肉、か、とやっとわかったのであった。
女は骨だ!といって赤いスーツを着た山口智子が会談を駆け上がるCMが一昔前、ありました。
その、骨。これまで、無傷でやってきたのに、右足の親指の骨にひびが入ってしまいました。
子どもと一緒に公園で鉄棒をしていて、逆上がりをしようとして、失敗。蹴上がったものの、体を持ち上げるに至らず、足を地面に打ちつけてしまいました。そのときは、痛い〜と思ったものの、まさか骨までとは思わず、鉄棒続行。
ただ、その日の夕方になっても痛みがとれず、翌朝も痛かったので、整形外科にいったところ、レントゲン写真には骨に斜めの線が入っていました。
あ〜。絶句。一応、右足、かかとをつけて歩けるので、大きなスリッパを履いてずるずる歩いています。かたつむりになったおかあさん。
昨日の話ですが。
家の周りでのんびりすごしていました。それで、袋物に取り掛かるまえの午後の数時間は宮部みゆき『火車』を読んでいました。
十年以上まえに最初に読んで、数年に一度読み返しているように思います。この間読み返したのは、三年くらいまえで、家を買ったところだったので、住宅ローンや家のことに反応して読んでいました。
今回は、主人公の男性の年齢に反応してしまいました。42歳ですよ!んまー。今の私と差不多、ほとんどかわりません。
いやあ、最初に読んだときから、一貫して「中年男性」として読んできたわけですが。42歳だったのですね。いや、そうです、立派な中年なんですが。
何度も読み返すのは、情報過多社会への嫌悪をベースにした倫理的なトーンが小気味いいのと、それから、ある小説家の出世作として、手持ちの札もかき集めてきた札も全部全部並べつくしたという惜しみのなさ、若さ、後の無さが感じられるからです。
Tの保育園の上靴入れ袋を作る。週末持ち帰るときに使うだけなのだが、たしかしばらく前から使うことになっていたはず。なんとなく、ビニール袋でごまかしていたのだが、他の子どもたちはみな上靴袋を使っているようなので、観念したのであった。
キルティングの生地と、持ち手のテープと、名前のワッペンを数日前に買っていたので、今日は、夕方から作った。
ミシンを買ったのは、子どもが生まれてからで、使うのは、こうした保育園の袋物を作るときくらいだ。裁縫箱も、ボタン付けや、帽子やズボンのゴム替えくらいにしか使わない。
ミシンを出すのは年に数回(2、3)なので、本当にそのたびに、よいしょ、というかんじになって、糸を通したり、上糸をかけたり、ボビンに下糸をまきとったりするのに、いちいち、おおごとという気がする。
今日は、そういえば、教室で、辞書で単語をひいてと言ったときに、紙辞書であれ電子辞書であれ、ものすごくぎこちない手つきで引く受講生のひとがときどきいるが、私のミシンもまあ、そんなかんじだなあ、などと思いながらセッティング。
端ミシンをかけて、袋にして、それから持ち手はテープを使う。他のお子たちの上履き袋を見ていると、持ち手は片一方は短くして、小さなわっかを縫いつけて、もう一方は長くして、そのわっかをくぐらせるようなデザインが多いので、それにする。輪は買っていなかったのだが、夫が、カーテンをつけたときの直径五センチくらいの木の輪の余りを見つけてきてくれて、Tもそれがいいというので、使うことにする。
手で縫いつける作業のときに、糸を針の穴に通す様子を見ていたTが、なんで食べてんの?針たべたら、あぶないよ、と言う。いや、食べてるんじゃなくて、つばつけて、糸が針の穴に通りやすいようにしてんの、などと説明。
そうそう。結局のところ、裁縫する姿を子どもに見せておきたい、という自己満足的な気持ちが主たる理由なんだよなあ。。というわけで、まあ、袋物ひとつ(Sのも来年用に一緒につくったので、ふたつなんだけれど)で、大騒ぎ、だけれど、なんとなくわくわくした。
今日もいい天気だった。
午前中私と子どもふたりで車で実家に遊びに行く。昼食後帰宅。帰宅途中で、地域のお祭りをやっているのを見かけたので、あとで来ようね、と約束。
ところが、私がそのあとソファで昼寝をしてしまったりして、お祭りにでかけたのは四時ごろのこと。行ってみると、お祭りはすでに店じまいも終わりかけで、皆がテントをたたむところでした。大型のバザーというかんじのもの。
「あー、おかあさんが、おひるねしてたからおわっちゃったねー、ごめんね〜」といって、公園で遊ぶ。Tは最初、つまらなそうにしていたが、それほど楽しみにしていたわけでもなかったのか、まあ、泣き叫んだり怒ったりすることもない。そんなうちに段々あたりも暗くなってくるので、ごめんねー、お昼ねしなければよかったねー、などと繰り返しあやまったりしながら、家に向かう。
「おまつり、また、今度もやってくるからいいよ」とTが言ってくれて、おお、いいこと言うじゃないか、とちょっと感激。こういう思いがけない反応があるので、子どもは不思議だ。
そんなわけで、おひるねをしているあいだに、物事が終わってしまった話として、「うさぎとかめ」の話をしながら歩く。「うさぎとかめと、きょうそうしたの。さいしょは、うさぎがぴょーん、ぴょーん、ぴょーん、てとんでたから、すごくはやかったの。かめは、ゆっくり、あるいてたから、なかなかすすまないし、うさぎは、ちょっとおひるねすることにしたの」というふうに話すと、「そんで、どっちがかったん?」と反応してくるので、「どっちが勝ったと思う?」というと、かめのほうがかったんでしょう?というようなことをいう。よく知ってるね〜、といったりしているうちに、今度はTが、自分が知っている話を「くもとちょうちょのはなししってる?」などとし始める。
子どもと歩きながら話す。話しながら歩く。
昨日、ハイキングコースをTやSの手を引いて歩いたときに思ったのだが、TとSでは、手の大きさや柔らかさ、それから手をつなぐことになる高さもちょっと違っている。
晴れた気持ちのいい日だったので、赤目四十八滝にお弁当を持って出かけました。今日は、Sが途中から歩かなくなってしまったので、コースの半分くらいで引き返してきました。でも、Tは、がんばってずっと歩きました。Sも、三十分以上は歩いたでしょう。
TもSも、要所要所でお手洗いに行かせておいたので、粗相もなく、すごせました。
四年前に夫婦と夫両親の四人でハイキングに来たときは、Tは生後五ヶ月で、私の母にみてもらって留守番だったのですが。もう、ちょっとしたハイキングならだいじょうぶのようです。
Tはアメリカのことを、日本語では「アメリカ」というのだが、英語で話しているときは、どうもMericaといっているよう。
アクセントのない最初の母音が聞こえていないか、自分で話すときに、発話しないか。expressも「スプレス」と言っている。
メリカといえば、メリケン粉と同じだわな。
Tの五歳の、Sの三歳のお参りに、行きました。Tが三歳のときは、Sが小さかったこともあって、とても余裕がなかったので、これが初めて。で、多分、最初で最後でしょう。
順序が後先しましたが、家族四人でお祝いの昼食をとってから、お参りをし、お祓いをしてもらいました。
よくぞ、ここまで大きくなってくれました。ありがとう。
もうすぐ三歳になるSは、自分一人でパンツやズボンをはくこともできるのだが、トイレのあとなどは、私に手伝ってほしがる。
立っているSの横にかがんで、パンツやズボンを一足ずつはかせてやると、ちょうど下を向いた私の頭がTの顔の高さにくる。ので、何を思ったか、「よちよちよちよち(よしよし)」と言いながら、頭をなでてくれた。
なんだかうれしかったので、パンツをはいてからも「もういっかい、よちよちして〜」と頼むと「よちよちよちよち」。なんども、もういっかい〜、もういっかい〜と頼んでしまった。
そうすると、Sも、「Sもよちよちしてー」といって、腰をかがめ、頭を垂れる。いやいや、Sは、かがまなくても大丈夫だよー、と思いながら、よちよち、してやる。
しばらく二人でよちよちと頭をなであっていた。Tは、全く無関心でビデオに夢中。Sが「Tも、よちよちしたげよか!」と言うので、二人でTのところへ寄って行ったのだが、うるさがられた・・。
本を読んでやっているときに、「づ」おとが出てきたときに、Tが「/zu/は「つ」にてんてんと、「す」にてんてんとあるのね」と言い出す。
そうそう、よくしってるねー、おとうさんにおしえてもらったの?などと聞いたりすると「ううん、T、しってんの」という。なるほど。いろいろ、わかってきている。
いや、もちろん、もうここまでくると、知識の出所を見つけるのは、難しい。自分で見つけたのか、誰かに教えられらのかの区別は不可能。
このあいだもコップに書いてあったLONDONという字を見て、Tが、「これキングってかいたんの」(国王の格好をしたクマに添えられていた字なので)と私に言ったので、ロンドンだよー、と教えてやると、少したってから、Dに、ここにロンドンって書いてある、というようなことを言ったらしく、Dが、すごい!とびっくりしていた。私がさっき教えたというと、そうだろうなーちょっとできすぎと思った、などなど。
2005年11月03日(木) |
きょうのおはなしなあに・追記「石のおいも」 |
『きょうのおはなしなあに』を、子どもの頃、寝る前にいくつか読んでもらっていたのは何歳のころだっただろうか。
春夏秋冬あるなかで、秋が、自分の誕生日が入っていることもあり一番好きだった覚えがある。一日一話、民話・おとぎばなしなどが、見開き2ページにまとめられている。
私が読んでもらっていたのは、1968年の初版だったようだが、1997年に、100近く入れ替えた新らしい内容で出ていたらしい。今日、書店で、秋と冬の巻を見かけたので、頁をめくると、もう二十年以上見たこともなかったはずの絵なのに、見ると、ああ、そうそうそうと思い出すものが多い。思い出さないものは、新しく入った話なのだろう。
このごろTが急に、お話を読んで欲しがるようになってきたので、二冊とも買って帰り、残りの春と夏は帰宅後ネットで注文する。
夕食後、10話くらい、Tのリクエストに応じて立て続けに読む。(たくさん読んで疲れてきたところで、じゃあ、あと三つ、と言ったので、合計いくつだったか正確には覚えていないのだが)。
この本は今日初めて読んだが、同じような短い話を編んだ本から選んで読む、というのは最近のTの好きなスタイルのようだ。Tは頁をめくりながら、絵を見て、おもしろそうな話をリクエストするのだが、「おいしそうな食べ物の絵」や「野菜の絵」「クリスマスの絵」「保育園・幼稚園児たちの集っている絵」に惹かれるよう。めくっていきながら、私からみて「これは読んで欲しがるかな」と思っていても、「これ読んでー」といわないものもあるが、食べ物とクリスマス関係はほぼ間違いなく読んで欲しがる。
まめに読んでやっているせいか、Dがいないときには英語のリクエストも私にかかるので、あれこれ読んでいる。
大分前にイギリスから送ってもらっていたもので、以前は難しくて読んでいなかったこのテディ・ベア物語集が、おもしろく、読んでいるほうにとっても楽しい。
-----------------------------
追記
今日(11/4)は夕食後小一時間「秋」からあれこれ読む。やはり、動物と食べ物が出てくる話が人気です。
ところで「石のおいも」。みすぼらしいお坊さんに、何か食べるものをください、といわれた女の人が、かごいっぱいもっていたおいもを「このお芋は石だから食べられない」と言って断ったところ、次の年からはその女の人の畑には石の芋しか実らなかったと言う話。
子どもの読んでいた版にも入っており、絵にも見覚えがあるが、今読んでみると、なんだか後味が悪い。お坊さんは弘法大師で、嘘には厳しかった、と親向けの注がついているが・・。それにしても、女のひとだって、汗水たらして芋を作るわけでしょう。決して裕福なひとじゃあない。それなのに、一度芋をもらえなかったからって、その先ずっとずっと畑に石の芋しかできないようにするなんて。ひどすぎる・・・
って、なんだか、非常にナイーブな感想を持ってしまったことであります。でも、Tに、かわいそうだね、というと、「なんで?」。というので、こういう極端な説教民話も必要な文化の一部なのだよなーと気をとりなおして、あ、でも、嘘はいけないね、などととりつくろったり。
いつの間にか、自分も、甘口のおとぎ話に慣れてきているのかも。
朝保育園に行く途中で、夕方帰ったら○○しよう、という約束をして「おかあさん、忘れたら困るから、Tおぼえといて、おかあさんに、教えて」というと、うん、といってなんだかんだと話していたT。
そのあと記憶だの思考だのについて、自分なりにあれこれ考えていたのか、ふと、「おかあさん、T、いっつも、かんがえてるよー。オートマティックにかんがえてるよ」
思考、についての自分なりの感じ方をこのように表現するのだな、と興味深く思った。
自分が、あえて意識しなくても自動的に(オートマティック)にあれこれ物をかんがえる、ということか。
Tは四歳半。Sはあと一月で三歳。
Tについては、性格とか得手・不得手が段々はっきりしてきたかな、というかんじ。もちろんこれからどんどん変わってくるのだろうが。ああ、こういう子なんだなあ、と思う場面がちらほら。
Sは、まだまだ、本人の性格なのか、「魔の二歳児」ゆえのサルぶりなのか、ようわからん、という印象。
|