僕がいる世界 - 2002年02月21日(木) 「流れというものが出てくるのを待つのは辛いもんだ。 しかし待たねばならんときには待たねばならん。 そのあいだは死んだつもりでおればいいんだ。」 ねじまき鳥クロニクル(村上春樹著)の中にでてくる文章だ。 僕は今、すごく小さな世界で生きている。 その世界は、子供の頃に遊んだルービックキューブの内部に存在している気がする。 誰かが時々それを手にとって、無作為にいじりまわして3面は完成したのだけど、もう無理だと飽きられてまた一週間ほど放置されるのだ。 持ち主はルービックキューブの内部で繰りひろげられる人間模様にはまったく興味がない。いや、内部に世界があることすら認識していないだろう。 認識したところで持ち主になんの得もない。臨時ボーナスが入るわけでもないし、素敵な異性とデート出来るわけでもないし、まして、4面が完成するわけでもないのだ。 僕が感じる今の世界はこんな感じだ。 すごく小さな世界にいると自我が邪魔になる。 僕が持つ自我がどれほどのものかよくは知らないが、その自我はあっという間に膨らんでいき、すごく小さな世界の容量を超えようとしている。 だが、小さな世界は膨張しても縮小してもいけない。 外見はルービックキューブでなくてはならないからだ。 自我が行き場をなくして、ストレスや肉体的苦痛となって増殖に歯止めをかける。 いっそ自我がなければ、この世界に居続けることも楽になるだろう。 一方では新しいモノと接したいという思いはあるはずなのに、外部から小さな世界に入ってくるモノを激しく拒んでいる。 結局、なにがなんだかわからないくらい混み合ってしまっている。 家の近所スーパーで牛肉の不正表示があったらしい。 ... 2/20 - 2002年02月20日(水) 21歳の男と50過ぎの女性が作り出す病室内の空気は重い。 その中には生と死の臭いが漂っている。 それらは隣り合わせではなく混ざり合っていて、 僕らはたまたま生の臭いをかいでいるだけなのだ。 そして僕はベクトルを生の方へ向け、彼女は死の方を向けさせられている。 僕はとても閉塞感を感じて息苦しい。 底の見えない深い海に沈んでいく気がして、もう二度と浮き上がって来られないような気分になる。 今の状況を打破するため、手書きで日記をつけることにした。 これをweb上に公開できるかはわからないが、 この行為によって、僕の精神状態が少しでも安定してくれることを望んでいるし、考え込んでしまう時間を少しでも減らせたら・・・と思う。 田口ランディ氏の「もう消費すら快楽じゃない彼女へ」という本はおもしろかった。 「コンセント」を読んでみたいと思った。 ... 僕がいる場所と終わりのない不安 - 2002年02月13日(水) また一ヶ月も日記があいてしまった。 僕は相変わらず昼には病院へ行き、用事を済ませ、親と一緒に夕食をとり、家に帰ってぼ〜っとして寝る。 勉強なんてまったくしていないし、なにかをする気にもなれない。 一日なにもしていないのに非常にストレスを感じ、夜の街をドライブして気を紛らわせている。 ここ一週間はやっと本を読めるようになり、小説とエッセイを数冊読み終えた。 思考回路が単調になってきて、またもやセックスのことしか浮かんでこないようになった。 宗教について考えても、人が生きている理由を考えても、人を殺してはいけない理由を考えても、結局、「性」の元に返ってしまうのだ。 最近、無性に不安な気持ちになる。 社会は僕を受け入れてくれないのではないだろうか? すれ違う人々の視界にすら入れなくて、僕が男性であることも金髪であることも認識されていないんじゃないか? ・・・かなりアホくさいけど。 だいたい、元々注目されるような人間ではないのにね。アホらしい。 ひさびさの文章なので、言いたいことがちっとも言えていない。 こんな風に書く気ではなかった。 とりあえず今日はこんな感じです。 終わり。 ...
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