大晦日の夜、僕が求めた場所。 - 2002年01月19日(土) だいぶん、時季はずれではありますが・・・。 病院の夕食時に、僕はスーツを着て弁当を持ち親の病室を訪れた。 2001の最後の食事と2002の最初の食事は親としようと前々から思っていたし、 面会時間のぎりぎりまで居座って、新年の挨拶まで済ませようと思っていたのだった。 そういう面では親孝行な息子であるようだ。 帰りの車の中で、一人で家に帰ってもやることがないし、まだスーツを脱ぎたくなかったのでちょっとドライブをしてみた。 そして、ある公園へ行くことにした。 そこは公園と言うにはなにもなさすぎるところだ。 車を30台くらい止めるスペースと、ちょっとした広さの高台(椅子が3つほどしかない)。 だけど、ちょっとした思い出のある公園なのだ。 一昨年の夏。 僕はある女性に連れられてその公園を訪れた。 二人でベンチに座って話をしていたのだけど、いきなり強い雨が降ってきて車に戻った。 車の中で僕らは見つめ合った。 「あっ、キスをするってこういうときなんだな。」 とふと思ったのだけど、 あまりにも緊張しすぎていたので、僕は彼女の方に体をもっていくことができなかった。 結局その後、部屋の中で僕は初めてのキスをしセックスをしたわけだけれど・・・。 車の中で見つめ合ったときの記憶は今でも鮮明に残っていて、僕はたまにその公園を一人で訪れたりしているのだ。 彼女が「たまに来る」と言っていた場所でもあるからかもしれない。 彼女との思い出はいい思い出しかないから、僕の中で美化されているのだろう。 そうは思ってみても、未だに「過去」の話にできない僕が居る。 2001/12/31の公園はひどく寒くて凍えそうだった。 僕は高台のベンチに座って缶コーヒーを飲みながら道路や山を見下ろしていた。 そして、親の病気のことであるとか半月後の試験のことであるとか、彼女のことであるとか、いろんなことを考えた。 なにひとつまともな考え方はできなかったし、 ここにくれば彼女と会えるのではないか?と密かに期待していたものを砕かれた気分になって、 コーヒーを飲みほしたあと、車にむかった。 あの日のように雨は降ってくれなかったし、 半袖でいれる程暖かくなかったし、 僕はセックスを知らないわけではないし、 黒髪でもないし、 助手席に座って車がうごくこともないし、 僕がふと窓の外を眺めたときになにも言わずに手を握ってくれる運転手がいるわけでもないし・・・。 あの日とはなにもかもが違うんだと思った。 家に戻ったあと、除夜の鐘がなってから親戚の家に新年のあいさつに行った。 こうやって僕の年の暮れは過ぎていったのだった。 ... 突然の出来事 - 2002年01月18日(金) お昼頃、電話が鳴った。 「○○病院ですけど、お母さんの入院が決まりました。 ○○先生(主治医)が、話があるらしいので、病院に来てください。」 僕が高校3年の春、親は初めて入院した。 その後は入退院を繰り返して、今回4度目の入院。 今回も見事センター一ヶ月前という絶妙な時期に入院してくれた。 予備校を切り上げ、実家へ向かう。 病院で寝ていた親はひどく顔色が悪く、ぐったりしていた。 主治医は「来るべき時が来た」とだけ僕に言って、それ以上あまり話したがらなかった。 そして、「退院できないだろう」と力のない言葉を発した。 いつか、この時が来ることは分かっていた。 僕が高3の時(つまり最初)の入院のときに、親の余命についてはある程度宣告され、 その後、転移したときはもう残された時間はないのだと言われた。 主治医の呼び出しを食らうたびに僕は時間を作り、約束の時間に病院に赴き、主治医と一対一でむきあって、意味の分からない医学の説明を受けながら、最後には「一人でがんばって生きていくしかない。」と言われるのだ。 それが12/19に起きた。 それから、僕は実家にいることにした。 銀行に行き病院の入院費をおろすのは僕しかいないし、親の会社にあいさつにいくのも僕しかいないし、毎日洗濯物を持ち帰り持っていくのも僕しかいないし、親のナプキンを買うのも僕しかいないのだ。 そして僕は親の世話以外のことができなくなった。 勉強は手につかないし、TVを見てもおもしろくないし、TVゲームもやる気がおきない。 明日はセンター試験であるはずなのに、全然勉強してないし、 一ヶ月前にあった根拠のない自信はどこかへ行ってしまって、 底の見えない不安だけが僕をとりまいている。 一ヶ月前に戻って、親のことを完璧に頭から排除して、 この一人暮らしの家で勉強できていたら、きっともっと点がとれる力があっただろう。と馬鹿なことを考えながら、 今日は明日へ向け、一人この部屋で最後の勉強をする気なのです。 ここ一ヶ月考えたことは、「生と死」「宗教」「親と子」・・・そんなところだ。 ...
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