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2004年12月31日(金) 大晦日

今年は、早めに買い出しに行こう
と、心に決めていたのに
早朝6時、かずぴーを駅まで送った後(テニスの試合・負けた)
どろどろの睡魔に襲われて、予定どおりにことは運ばず。

毎年毎年
「そんなにムキになって買い込まなくても・・・」
「お正月だって、お店は開いているし・・・」
「この値段、おかしくないか・・・・」
とかなんとか思いながらも
まわりの雰囲気に圧倒され乗せられ我を忘れ
金銭感覚も麻痺し、いらないものまで買ってしまう。
こういう無駄も必要なのだ、きっと。

午後
びっくりするような雪が降り、どんどん積り始め
買い物を済ませてあることに安堵しつつ雪かきの心配をし出した頃
雪は雨に変わった。
ちょっとつまらない。

そんなこんなで今年も暮れる。
いろいろなことがあった。
母のこともかずぴーのことも何も解決していない。
年明け早々には、あやぽんのセンター試験だ。
考え出すとキリがない。
でも
どれもこれも『問題登場でステップアップ』と考えれば
悪いことばかりじゃない(と、思い出をかき集める)。
無事に一年を過ごせた事に感謝。

こういう『節目気分』のためにも
買い物騒動は必要なのかもしれない。

来年もよろしくお願いします。



2004年12月28日(火) 年末の気配が好き

窓を拭いた。
シャッターも拭いた。
ほんの少しだけ、かずぴーが手伝ってくれた。

換気扇の掃除とレースのカーテンの洗濯と
そして、今日の窓拭きにて本年の大掃除は終了。

ここ数日、あやぽんの機嫌が悪くて扱いづらかったのだが
今日
「あー、やっと良くなったよ。この三日間、調子悪くてさぁ。
 ほとんど鬱状態だったんだけど、今朝起きたら良くなってた♪」
と、ご本人がおっしゃるのを聞いて、そうか。と思い、そうか?と思う。
我が子とは言え、別の人間のことはよくわからないものだ。
私だったら、彼女のようには感じそうな気がしない。

先日
母にクリスマスプレゼントを持って行った時に最近の様子を聞いたが
落ち着いたのかそうでないのか、よくわからなかった。
とりあえず
私はしばらく会わない方がいい(会いたくないもない)のだけど
明日、母の好物のカロリー○イトと週刊誌を届けるついでに
また、様子を聞いて来よう。
我が母とは言え、別の人間のことは、やっぱりよくわからない。



2004年12月26日(日) 勝負!の場もないくせに

いろいろな思いが
一日中頭の中で交錯している。

言葉にしようと思っても
どう表現したところで
今の気持ちを表すことができない気がする。

そして私はパンツを買った。

先日、モモコさんとナツヨさんが
『忘年会をしよう』と誘ってくれ渋谷で飲んだ際。
彼女達が言うところの『ビジュアル系』奥様達は
下着にも気を使っているらしいという話が出て
「私たちなんてさ、若い頃からそんなに興味なかったんじゃない?」
「下着なんて、実用的なのが一番だと思ってるじゃない?」
「やっぱりタイプが違うのよ」
というしめくくりに、わずかな抵抗を感じ
あやぽんには「色合い自体がもうダメだね」と指摘され
上下お揃い・ベージュ以外・見た目に美しい、下着を買い込んだのだ。

しっかり試着して、若いお嬢さんに半裸体をさらけ出し
あれこれ選んでいるうちに、頭が混乱してきて
よくわからないままに、ブラとパンツとインナー計17点も買ってしまった。

「これからは、毎日が勝負だ!いつでも来い!」
という勢いがあったのは売り場にいる間だけで
帰りの車を運転する頃には
「あ〜、なんて馬鹿なんだろう。あんなパンツじゃ寛げないよ。
 あんな下着着て自己満足も得られないんじゃ、ほんとに無駄じゃん」
と、すっかり後悔していた。

前に、おしゃれ下着を奮発したのは3年前だったので
今回は5年は持たそうと思い、なんとか自分を慰めた。



2004年12月21日(火) 親子って何?

私自身が崩壊寸前。

母の様子は毎日違うが
・お財布にお金が少ないとき
・私の態度が優しくないとき
に、妄想がひどくなるらしい。

なくすのか使うのかはわからないが
どこに消えるともわからない財布の中身を
常時5万程度に補充しておくことも
泥棒で薄情者で自分勝手だと言われ続けながら
いつも優しくニコニコし続けることも
今の私には難しい。

近所を巻き込み、親戚を巻き込み
そのたび、私は謝るばかり。
放っておく事はできないが、私に何ができるのか。

今、この瞬間だけでもなんとかして欲しい、と
短期間だけ、有料のホームに入れる手配を整えた。
本人が、家から移る意思が全くないので
そのあたり、大ボケではない分、タチが悪い。
嘘をついて連れ出しても成功しそうになく
力づくで拉致して行くわけにもいかず。
__________
数日後。

なんとか
母を有料老人ホームに入れた。
とりあえずの暫定措置。

弟が来た。
母を心配してやって来たのかと思ったら
お金を貸してくれと言われた。

かずぴーの学校に呼び出された。
学業の面では
「このままでは進学は難しい」と言われ
素行の面では
「根本的な問題に本人が気がつかないともっと困ることになる」
と言われた。

母の姿に将来の自分を重ね
弟の姿に将来のかずぴーが重なる。

なんとしても、やりきれない。



2004年12月08日(水) 親子

この頃、毎朝、母から電話がある。
本当のところ、うんざりしている。

でも。
事態をこじらせると困るのは自分なので
なんとか付き合っている。
わけのわからない老人をなだめるのは
小さい子どもをなだめるのより、ずっと手がかかる。

夜中の見回りも相変わらず。
母が寝静まった深夜、こっそり(耳が遠いのでそんな必要もないのだけど)と
家に忍び込んでは火の点検。

12時頃に行く事が多いのだが
時々、母がまだ起きていることがあって
そんな時は、2〜3時間経ってから出直す。
ところが。
先日は、二度めの巡回(3時半頃)にもまだ起きていた。
『まだ起きていた』のか、『また起きていた』のかはわからないが
布団も敷かず、部屋の電気は消して
読書灯の下で、なにやら予定表(カレンダー)に見入っていた。

もともと、母は大変な早寝で
夜9時頃には真っ暗になる家だったのに。
昼寝でもして眠れないのか、それとも・・・。
読書灯のもとで丸くなっていた母の後ろ姿が目に焼き付いて忘れられない。

あの家で、父と母と私と弟と、4人で暮らしていた時代があった。
母が家族と共に過ごした日々は
母の都合には関係なく、少しずつ変化を遂げて
やがて母一人があの家に残ることとなったのだ。

耳もろくに聞こえず、することもなく
独りぼっちで過ごす長い夜は
どんなに辛く寂しいものだろう。

母の姿を見て、自分の将来を思う。
それでも一緒には住めないと思う心境を
よーく覚えておこうと思う。

母の入居先は、未だ決まらず。



2004年12月05日(日)

久しぶりに、ぐっすり寝たら
すごい夢を見た。

母と飛行機に乗り
大騒ぎと混乱を避けるべく、母の手をしっかり握る。
なんとかなだめようと頑張る私の横には
元パイロットの中年男性がいて
そんな私の様子を心配して
私の手をしっかり握り、励ましてくれた。
そして
場面は突然変わり
かずぴーのクラスの懇親会らしき場所で
他のお母様たちと上手くやっていこうと頑張る私と
それを影で支えるべく、電話で相談に乗ってくれる友人。
そして
昔の同級生と、受験情報を交わし
やはり、コネやその他、何かの伝手のある人は有利だと感じ
受験(自分のなのか、あやぽんのなのかは不明)に不安を感じる。

大雑把に言うと、こんな感じだ。
今の私を囲むごたごたが、すべて凝縮された夢だった。

こんなにコンパクトに、すべてを包括している夢なんて
なんだか凄いと思ったが
そんな夢を描き出しているのは、自分の脳みそなんだと気がついた。
創作力に優れているのか
夢の中でさえ忘れられぬほどに、悩みが大きいのか。
夢の中の、せめてもの希望の星は
私を支えようとする『元パイロット』なのに
なぜに、ぱっとしない中年男性だったのだ・・・?

とにかく。
母の入居先を決めないと、私の生活の崩壊しそうだ。
母を、どうにか見学に連れ出したが
「場所が気に入らない」「匂いがへんだ」などと言って怒り出す。
「自分で探す」「建て売りを買う」と言うが
ほとんど耳が聞こえず、痴呆が進んでおり、お金もないという現状を
本人はまったく自覚していない。
通帳とカードをなくして、銀行で再発行の手続きをしていても
その手続きの煩雑さを嘆き、銀行の対応に怒るばかりで
自分が通帳他をなくしたという自覚がない。
「おまえが隠すから、こんなことになるのだ!」と私を怒鳴る。
住まいについても、私のせいで
今までの生活が維持できなくなりつつあると思っているのか。

本当に疲れた。
せめて夢ぐらい、もっと自由に楽しめよ>自分



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