diary
DiaryINDEX|past|will
2004年11月29日(月) |
息子の問題も片付かないうちに |
母の入所先を探す。
グループホームという所が、今の母の症状には一番良いという ケアマネージャーさんの助言に従い いくつかパンフレットを取り寄せて そのうちのひとつを、今日の午前中見学した。
とても明るく、感じの良い所で 担当の方々は 辛抱強く親身になって話を聞いてくれるタイプの方々だった。
私が行った時は、ちょうど、お歌の時間で クリアファイルに入れられた、大きな文字の歌詞カードを見ながら みなさんで仲良く歌っていた。 じ〜んせい、らっくぅあーりゃ、く〜もあ〜るさぁ〜♪
私も同席させてもらったが 隣の席のおばあさんが、途中で私に囁いた。 「まいにちまいにち、歌わされるからね、声がガラガラになっちゃったの。 ね?ガラガラでしょ?」 少しもガラガラではなかった。 歌いたくない人は、自室にいてもいいとのことだし。 うちの母に限らず、お年寄りは何かと文句を言いたいものらしい。
ただの文句なら、まだいい。
キャッシュカードも保険証も なくなったのが私の仕業だと言われるよりはずっといい。 一緒に住んでもいないのに かつ 足りないと言われるたびにお金を渡してもいたのに 一体いつ、何のために、私が持って行ったと思ったのだろう。
再発行の手続きに奔走しても ご迷惑をかけたご近所の方々に頭を下げ続けても 要求されたお小遣いを再三渡しても 母の不満と妄想は治まらない。 もう、ふつうではないのだから、と自分に言い聞かせても 「あ〜あ〜情けない。苦労して育ててこんな思いをするなんて」 と、大声で嘆かれると そして、私の説明がまったく耳に入らない様子を見ていると いい加減にして欲しいと思ってしまう。
プロの手が必要だ。 ほんの少しの余裕と笑顔で 驚くほど、諸々の関係が改善されるものだと実感している。
今日、見学に行った所に、早く入所できればいいなと思う。 それまで、まだまだ山あり谷あり。 少しずつ、私も学習しないと身が持たない。
午前中、母を病院に連れて行く。 痴呆の症状がある上、極端に耳が遠くなっているので 病院の中を移動させるのも大変だ。 有無を言わさず、ひっぱって歩く訳にもいかないし。
いくつかの検査に行ったのだが 「どうしてもおしっこが出ない!」「困ったぁ〜!」と 廊下中に響くような声で窮状を訴えるので 見かねた看護士さんに 自宅に戻って取って来てはどうでしょうと言われる。
言われたとおり、家に戻って数分後 コップを片手にトイレに入り、無事にゲット。 それを持って、私は再び病院へ。
その後、かずぴーの保護者会に行った。 行かなきゃ良かった。 やっぱり、だ。 ここ数日、母のことですっかり疲れ果てているところへ この追い打ちはきつい。
が。 保護者会が終わった頃、心優しいモモコさんが お茶に付き合ってくれた。
あとどれだけ、一体いつまで・・・(続くのか) と思っていることが 気がついたら、いつのまにか・・・(終わっている) ものだと教えられたのは新米ママの頃。 夜泣きやトイレトレーニングなどの話であるが 基本は今も同じかもしれない。
どんどん時は経つものだ。 良くも悪くも、そして、多分、そのどちらでもないのだろう。
とにかく今は、とても疲れている。 疲れ過ぎて、記憶が抜け落ちる。 何度も聞いた話を、初めてのように聞いてしまう。 母のことを言っている場合じゃないかもしれない。
今週末にかずぴーのクラスの保護者会がある。
行きたくない。 あれこれ言われたせいもあるし これ以上聞きたくないせいもあるし 聞くような話がないせいもあるし とにかく行きたくない。
例によって かずぴーがお手紙を出さなかったので 「余計なことかもしれないけど、おたくのクラス27日の土曜日保護者会だよ」 というナツヨさんからのメールで初めて知った。 出欠のお返事の提出期限ぎりぎりであった。
ナツヨさんは、保護者会に行けと言う。 私は行きたくないと言った。 無理強いはできないけど行った方がいい、とナツヨさん。 用事もあるし、今回は行かない、と私。
そもそも、保護者会で実のある話を聞いた事がない。 あやぽんの時だって、行かないことは何度かあった。 でも。 今度のような理由で行きたくないと思った事はなかった。
なんだか後ろめたくて、友人のモモコさんに相談。 やはり「行け」と言われた。 さんざん電話で話した後に 「残念だね。 私に『行かなくていいよ』って言ってもらいたかったのにね。 『行け』って言われちゃったね。」 とモモコさんに言われた。 その通り。 行きたくないとダダをこねる子どものように 電話の途中で涙が出た。
二人の気持ちはよくわかる。 かずぴーの行状は 周りの人がとやかく言うほどのことではないのだ。 だから、なおのこと、私は堂々としていた方がいいのだ。 隠れるつもりはなくても、保護者会に欠席すれば よけいに言いたい事を言わせることになりかねない。 私のためにもかずぴーのためにも 私は平静を装って、ふつうに保護者会に行った方がいいのだ。 そして。 「頑張れ」「負けるな」 という二人の応援の気持ちもよくわかる。
よくわかるけど。 やっぱり行きたくない。
でも。 こうなってしまっては 何があっても行かないわけにはいかない。 イヤだけど、行くしかないか。
体を動かすのはいいことだ。 体は動かさなければいけない。
ずーーーと気になっていた 秋の花を片付けて さらに、ずーーーーーーと気になっていた ツルバラを伐採した。 トゲが痛かった。
春用の苗を植えたコンテナは 日当たりのいい三階のベランダに運び 外の階段を洗い DNAの奥深くに迫り来るような害虫を駆除し とにかく、よく働いた。
お風呂に入って本を読んで好きな曲を聴いて それだけのことが、至福のひとときに思える。 労働は偉大だ。
2004年11月20日(土) |
今日はよく晴れている |
誰でも、いろいろな役割の自分を持っている。
私で言えば 母である自分と、娘である自分と、某社団法人の責任者である自分と ささやかなパートタイムジョブの従業員である自分と そして、昔からずっと付き合っている「はるみ」という自分。
ふだんは、意識してそれらの役割を演じ分けているわけではない。 状況に応じて無意識に いわゆる「母の顔」やその他の「顔」になっているのだと思う。
このところ、どの自分にも問題が山積みで そのどれもが、かなり深刻だ。
母である私には、かずぴーの素行とあやぽんの受験。 娘である私には、母の痴呆と介護の問題。 某社団法人の責任者としての私には、拠点の立ち退き問題。 「はるみ」は、古い友人を失って、人生の儚さを痛感し 自分自身の体の変調を意識しつつ、将来に不安と焦りを感じている。 唯一、今のところ好調なのが「パートの従業員」である私だ。 目が回るほど忙しいのだけど そのおかげで、問題の山に埋もれずに済んでいるように思う。
憂鬱さは、どうにも体に悪そうなので 体に良さそうな感情を、大事にありがたく温めていこうと思う。 好きな人がいるのは、いいことだ。
あやぽん、AO入試に失敗。 かずぴー、他人の自転車を無断で乗り回し、警察に補導。 私の車は、窓が壊れた。
そして。 初夏の頃から、ときどき見舞っていた友人が おととい、突然亡くなった。
何があっても 何もなくても 時間は同じように流れていく。 命にかかわることを思えば ほとんどのことが 取るに足りないことのように思える。
しかし 凡人の悩みは尽きず 大事なことを見過ごしながら日々を過ごし 今年もあと一ヶ月余り。
何を優先させて生きるか ときどき立ち止まって 思い出したてみた方がいいのかもしれない。
なんだかとても疲れて 疲れ過ぎて、思考もとまる。
感情は「感じる」という作業をやめる術がわからないのか それとも、そこまで疲れてはいないということなのか とにかく、凹みモードへのいざないには敏感で 感受性豊かに凹み続ける。 まったく困ったものだ。
あーあーと、ため息ばかりの日々を過ごしていたら 極めつけに、親類に不幸があり 明日はお通夜だ。
私が行かなくても、どうにかなりそうな気配だったので お香典だけ届けてやり過ごそうかと企んだのだが 「こういうことは、お金よりも、お焼香に行く事の方が大事なのだ」 と、あやぽんに正論をぶちかまされ ごもっとも、と行く事にした。 なんとも、不甲斐ない母である。
そんなあやぽんは、先日のAO入試の結果がいよいよダメだと確信したらしく 「諦めてくれ」と言い切った。 一次試験の結果もまだなのだが 本人がそう言うのであるから、潔く諦めようと思う。 本当は、諦める、というよりも もともとそのような「棚からボタもち」は期待していなかった。 が、そう言ってはいけないような雰囲気があるので とりあえず、諦めた様子で残念がりつつ彼女を慰めた。
何にしても疲れる。
いつの間にか 月が変わって11月。
毎年、11月の始まりの三日間は 学校の文化祭のために費やされる。 子ども達の活動とは別に 私は私で、某社団法人のバザーを開催するためだ。
もとは 某社団法人にあやぽんがお世話になっていて その関係で私も手伝う、という構図であったものが 10年の歳月を経るうちに、『手伝い』だけが独立して あたかも私個人の仕事のようになってしまった。 早く足を洗いたい。
あまりにも疲れてしまったので 今、とうとうと考えを述べるだけの気力も体力もないのだが 人の力を集めて、一つのことを成し遂げるというのは本当に大変だ。 そして 成し遂げたからと言って、わかりやすい達成感や満足感などには そうそうお目にかかれるものでもない。 どうにか「取りあえず良かった」と思われる妥協点が見つかれば まぁ、成功だったということだ。
まぁ、成功だった、ので良かった。
|