diary
DiaryINDEX|past|will
2004年05月30日(日) |
心地良い疲労と心地悪い疲労 |
よく働いた日曜日。 *洗濯 *布団干し(担当:あやぽん) *拭き掃除 *買い物 *夏用の花の苗に植え替え *ベランダの掃除 *外の階段のタイルを洗う
以上の労働の後、思い立って 数年来気になったいたタイルの錆にまで手を出してしまい (花のコンテナの金属部分が、わっか模様の錆になって幾重にもついていた) 研磨剤を使ってごしごし。下を向いてごしごし。 だんだん動きが鈍くなってもごしごし。 鈍い動作で働く自分の姿が「時間ですよ」の浜さんとだぶる。 終わった時には疲れ果てて脱力。 腰も痛くなっていた。
美味しいと評判のゴディ○のチョコアイスを買ったので よく働いたご褒美に食す。 清水の舞台から飛び下りた勢いで、三種類も買ってしまったのに それが、大した味ではなかったので、かなりがっかり。
よく働き、よく食べ、気持ちのいい風が吹く部屋で寛ぐ夜。 夕食はいらないと言っていたかずぴーが、空腹のまま8時頃に帰宅。 試合に負けた彼は、疲労のせいもあって機嫌が悪い。 コンビニに食べ物を買いに行きたいと言うので好きにさせたら なかなか帰って来なくて気を揉んだ。 夜だし、物騒だし、余計な心配はさせないでおくれよ、と言いたかったが 「遅いから心配したよ」にとどめる。 ちょっと進歩。
2004年05月29日(土) |
からたちの花も枯れるよ。 |
かずぴーのテストが続々返却。 言いたいことを飲み込んで、頭が痛くなってきた。
あれもこれひどいけど、一体、『白原北秋』って誰よ? 思わず先生も○をつけてしまったほどに(上からちゃんと×がついていた) 惜しい!ようにも見えるけど これって、勉強してないor(and)授業を聞いていないのが はっきりわかる解答だし。 だいたい、なんて読むわけ?シロハラホクシュウ? そんな名前、聞いたことある? ああだこうだと 自分の言いたいことに、自分自身が飲み込まれそうになる。
こんなものは序の口だ。 でも、もう忘れよう。忘れた方がいい。忘れなければ。 本人が、喉元過ぎて忘れかけている問題に 私ひとりで格闘しても意味がない。
日傘を買った。 先輩の助言にしたがって、晴雨兼用のものにした。 けっこう気に入ったものが買えて満足。
無駄な授業料を払うより、自分に投資した方がずっと楽しい。 か? ・・・・・ 私も、まだまだ、だ。
2004年05月28日(金) |
ロッド・スチュアートに乗せられて |
今日はエアロに成果あり。
なんだか動きがスムーズになり、顔には汗が浮かんだ。 やはり、今までの動きはインチキだったらしい。 発汗どころか、まったく楽ちんだったのだから。 心なしか、車から降りる時の股関節の痛みが和らいだような。
*呼吸を意識しながら動きましょう* と言われているせいで、みなさんラマーズ法の呼吸のように フーフーと息をしているのが、顔を見ただけでわかる。 リズムに合わせて軽快なつもりで動いているフグみたい とか思ってしまうと、もういけない。 自分のことを棚に上げて、笑いをこらえるのに必死だ。 あやふやな動きをしながらニヤニヤしているおばさん などという、怪しさの最上級をいってしまう。
今日、プールサイドの鏡を見るだけの余裕ができて 自分の姿も、かなりのものだと実感させられた。 あれは、すごい。。。誰よりも、凄い。。 リズムに乗れば乗るほど、滑稽さが増して行くよう。
己の姿を知ったからと言って 他の人の様子が可笑しくなくなるわけじゃない。 『目く○鼻○そを笑う』どころか 『く○』そのものがその他を笑うようなものなのに。
せめて、水面から出た肩の「むっちり」がなくなれば それと、キャップのせいで丸出しになった顔の「ぽってり」がなくなれば それから、水面下のお腹の・・・・・切りがない。 インストラクターのような動きを想像しても、虚しくなるばかりだ。 目標設定からやり直そう。
再び、友人のお見舞いに行った。 相変わらず、元気そうな様子でいたが 目の下のくまが目立ち、免疫機能が低下しているとのこと。 ・・・ 「今を楽しく生きないと損よ」という言葉が身にしみた。
そんなことはよくわかっていても 先のことを心配して、今を楽しむことを忘れてしまう。 「眉間にしわができてないから、まだ大丈夫よ」 と、今日も慰められて帰って来た。
夜になって電話が来て お見舞いに持って行った梅干しのお礼を言われたが 何から何まで、お礼を言うのはこちらです。。。
かずぴーのテスト返却が始まった。 どういうわけで、どうしたら、一体何が起きたのだ と疑問符ばかりが頭に浮かぶが、今日の私は少し違う。
テストの点数が、彼の人生にどれだけの意味を持つのか。 何点であったかということより、それをどうしていくかは彼次第。 テストに不向きな人もいるのだと悟ったような気になった。
感謝の気持ちは、人を幸せにするらしい。 ありがとうと、心から思えることは幸せだ。
今日は、中級者向けの水中エアロに参加。 『アクアリフレッシュに慣れた方にお勧めです』というご案内に 内心びびりながらも「なぁに、たかがエアロじゃないか」とたかをくくり そのくせ、プールサイドにいたインストラクターに質問しちゃったりと 往生際悪くじたばたしながら、どうにか参加。
案の定、今まで以上に混乱したが 水の中で動いたことは間違いない。 どこかの筋肉を鍛えるのに、少しは役立っただろう。
水から上がると、自分の体重の重さをずしりと感じる。 こんなに重いものを絶えず移動させているのだから 膝やその他の関節が痛くなるのも無理はない。 筋力アップに励まなければ。
私は私の道を行くのだ! 誰のためでもない、私のために生きるのだ! と、唐突に決意表明しても、いまひとつ志気が上がらない満腹の夜。 食べ過ぎに注意。
2004年05月24日(月) |
Happy Birthday♪ |
あやぽんが、18歳になった。 とても歳をとったような気にさせられる。
自分の娘が18歳。 私自身が、ついこの間18歳だった気分なのに。。 昔々、奥さまだって18歳だったのに。。。by岡崎由紀
バースデイ・ケーキの写真を撮りたいというので それをじっと待っている間に ろうそくのことをすっかり忘れ ろうそくを吹き消す大イベントをスキップしてしまった。 家族三人、誰も気付かず。
一口食べてから思い出し 慌てて元に戻すも、私が食べた一口分は欠けたまま。 それでも、ピースを寄せ集めて元の形らしく整え ろうそくを立て、ハッピーバースデイを歌って祝う。 毎年思うのだが、あの歌を歌うのが少し恥ずかしい。
子ども達が小さかった頃、歌えるのが私だけだったので 私一人で足りない分を補おうとばかりに 馬鹿でかい声を張り上げて歌う習慣ができてしまったのだ。 そろそろ、止めてもいいかもしれない。
歌も歌い、ろうそくの火も吹き消した後で ろうそくの数が一本多かったことに気がついた。 何から何まで、ちょっとずれてしまったことが申し訳ない。
かずぴーに翻弄される。 好き好んで翻弄される。 なので 翻弄される状態から、自分を解放することに決めた。
いろいろな出来事があった。 泣けば気が済むかと思い、大泣きをしてみたら頭が痛くなった。 紆余曲折があったけど 結局は、ひとつの決心で片のつくことだった。
あやぽんの予備校のお友達が 課外授業で、裁判の傍聴にいったらしい。
あやぽんからの、また聞きによると。
過去に三回逮捕歴のある窃盗未遂の人(23歳)の裁判で 生い立ちを遡れば 将来有望と目され、野球に励んでいた高校生の頃に 自分には全く過失のないひき逃げ事故に遭遇して野球を断念 以来、人生が狂い始めた云々。。
傍聴席では、母親とおぼしき人が泣いていて あやぽんのお友達の、そのまたお友達はもらい泣きをしていたという。 そう言うあやぽんのお友達は、そのシチュエーションが可笑しくて 笑いをこらえるのが大変だったという。 ・・・あやぽんは、きっと後者のタイプ。
「あぁ、他人事じゃない。私も、傍聴席で泣くハメになるんだろうか」 と言ったら 「そしたら、見学に来ている高校生がもらい泣きしてくれるよ」 と言われた。 そのそばで、笑いをこらえる高校生もあり、じゃないか。 いやだよ、そんなの。
でも、そこまで腹をくくれば 転ばぬ先の杖とばかりに、あれこれ気をもむ必要もないのだと思った。 何が最悪かわからないけれど、とにかく最悪の事態になっても その時に、私にできる精一杯のことをしよう という覚悟だけ持っていれば、今、口うるさく言うこともない。 言っても無駄なことを言い、どんどん悪循環にはまっていくよりはずっとマシだろう。
いきなり「見守る」体制に入るのは無理なので とりあえず「見ない」ことから始めることにした。 試練、試練。。。
かずぴーの背が伸びて来たので そろそろベッドを買い替えようということになり 机も小学校入学時に小さめのものを買ったきりなので ついでに買い替えようということになり 結局、大々的に部屋の模様替えということになった。
明日の午前中、机とベッドが届くので 今日中に部屋を整えておかなければならない。 引き取りの家具は、玄関先まで運んでおく約束になっている。
悪戦苦闘したベッドの解体作業の後 2メートルの板切れその他と化したベッドの部品を 一人で玄関先まで運ぶ。三階から玄関まで、およそ十往復。 壁にぶつけないように注意しながら、狭い階段を下りたり上がったり。 膝がぷるぷるして、汗が滝のように流れた。 早く帰るはずのかずぴーは、7時過ぎまで帰らなかった。
遅く帰ったかずぴーは、遊び疲れたのか機嫌が悪い。 来週からの中間テストに向けて、相変わらず何の準備もしていない様子で 面倒臭そうに、ため息をついたりしている。 簡単に「うざい」という言葉で片付けようと思っても それでは片付かないことぐらい、わかっているんじゃないのだろうか。
でも。 「だったら、とっとと勉強しろよ」とは、もう言わない。 徒労に終わるのみならず、親子共々不快感を味わうはめになるだけだから。
ベッドを快適にし、机を使いやすく替えても 何が変わるわけじゃない。 私の汗も筋肉痛も、結局、私自身の満足のためなのか。
なんだか虚しい。 やっぱり、何か期待していたのかな。
2004年05月18日(火) |
カラスと和解したいのだけど |
我が家のベランダに、相変わらずカラスが日参しているもよう。 コンテナの土に あの太いくちばしでえぐられたとおぼしき穴が数カ所。
穴だけならまだいいが、植えたばかりの花の苗を突いてもいるらしい。 根元がぐらぐらして、日に日にぐったりしてくる花の苗。 弱りつつある苗に、ひたすら励ましの肥料をあげてはいるが あのくちばしには勝てまい。
土に穴を掘り花の苗を突いて、一体、何がしたいのだ。 やはり、あの日のことを恨んでいるのだろうか。。。(その日の日記)
あの日、私はちゃんと謝ったのに、あんなもんじゃ許さないとでも言うのか。 『あんぱん』の恨みは、それほどまでに深かったと言いたいのか。 どうしたら、ウチのベランダから遠ざかってくれるのだ。。。
真っ赤に色付き始めたイチゴと 実になりかけたブルーベリーの行く末が案じられる。
今日もプールに行った。
今日は「水中歩行」というものに挑戦。 歩くだけなら、間違いようがないだろうと思ったのに。
歩き方にも、いろんなバージョンがあった。 アクアリフレッシュで行っているものの、歩行バージョンという感じ。 そもそも、床に足をしっかりと着地させて歩くのさえ困難だった。
しかし、何より辛かったのが前を歩いていたおやじの「毛」だ。 背中と肩の後方にもじゃもじゃの毛が渦巻いている。 私が進む水面に、その毛が浮遊しているのではないか という想像を、頭から追いやることができず 大きく呼吸をしながら歩くべきところ、呼吸も控えめになってしまった。
途中で、進行方向が変わると 今度はそのおやじが、私の後方になるわけだが 毛が視界から消えたと思ったら、今度は「息」だった。 そのおやじの呼吸ときたら、ホイッスルさながらぴゅーぴゅーという。 今にも、私の背中に熱い吐息がかかりそうで気持ちが悪かった。
そう言う私の水着姿はどうなんだ、と言われれば おやじの「毛」や「息」をとやかく言える立場じゃない。 なので、ここだけの話。
色白で、痩せて儚げな表情のお嬢さんがいて 妙に気になった。
2004年05月16日(日) |
またテストの時期が・・ |
「当り」だと思っていたかずぴーの家庭教師さんが「はずれ」だった。 先月の24日以来、一度も来ておらず(理由は何かとあるのだが) 来週から中間テストが始まるというのに かずぴーは、何も理解していない様子。。。困った。
もともと、授業をちゃんと聞いていないかずぴーが悪いのだ。 わからないところを、放っておくかずぴーが悪いのだ。 だから、誰も責めようがない、と思っていたが。
「たしかにかずぴーが、ちゃんと勉強しないのが悪いんだけどさ ちゃんとできるぐらいなら、家庭教師なんか頼まないんだからね。」 「家庭教師が悪いね。」 とあやぽんに言い切られ、家庭教師さんが悪いかどうかは別にしても 今さら、かずぴーを責めても仕方がないと思った。
返却されたテストを、親が見ないのはいけないことなのだろうか? 呼び出されて「何も知りませんでした」と言ってはいけないのだろうか? 親の責任は、どこまでなのだ?
それにしても、最近のあやぽんは過激だ。 的を得ているから、まだ良いが、言い方に柔らかさがなくなった。 来年になったら、元の彼女に戻るだろうか。。
古い知人のお見舞いに行った。
先週、突然電話があり 「急のことで、驚かないでよ」と前置きされて 肺がんが発見され、一ヶ月近く入院していることを知らされた。 「副作用もほとんどなく、元気だから心配しないで」 とも言われたが、驚きもしたし、心配もした。
今日、会ってみたら 見かけは本当に元気そうだった。 長く話し込んで、笑ったりしみじみしたり お茶やお菓子も頂いて、なんというか、楽しいひとときを過ごしたが やはり言葉の端々に、拭いきれない不安を感じているのが表れていた。 当然だろう。
その人は、結婚前の私の恋愛にまつわる重い出来事も 新たな恋に、生きるの死ぬのと大騒ぎをした事件も ある時期の私の私生活については、熟知している人だ。 結婚後に愚痴をこぼしに行った時には 「あんなに惚れ狂った男と結婚して、今さら何が不満なのよ」 と言われたこともある。 惚れ狂ったオトコ・・・だったんですね。>元夫
窓の外の六本木ヒルズや広尾のガーデンヒルズを眺めながら あのあたりに住んでいた頃の、若かった私の思い出話も出尽くして 「あなた、頑張っているわよ。よくやってきたじゃない。」と慰められ お見舞いに行ったんだか、なんなんだか。 夕食時間になって、ようやく話に区切りがつき帰ることにした。 そして、車に乗って帰途についてから お見舞い(お金)を持って行かなかったことに思い当る。
電話をもらって以来 とにかく行かなくちゃ(行くことに意味がある) 何を持って行こう(喜ばれるもの、役立つものがいい) と、そればかり考えていた。
何故だろう。 お金のことなど、まったく頭に浮かばなかった。 でも、お見舞い金を持って行かないお見舞いなんて 元夫の入院の時も、私の父の入院の時も、見たことはない。 やはり変か?
少し迷った末 デパートの文具売り場に寄り、お見舞い袋を買って病院にUターン。 さも置き忘れたフリして、お見舞い金を渡して再び帰る。
気は心と言うけれど、実際、入院中にお金の心配もあることは事実である。 形式上の問題ではなく、少しでも役に立てばと思っての判断だった。 とか言うと、なんだか颯爽としているが、ほんとに間抜けな話である。
それにしても。 どうしてそのことに、思いが及ばなかったのか。 私には、こういう、ある種の先走りがよくある。 自分にできることはなんだろう、何をしようかと思うあまり 基本的なことを忘れてしまうらしい。
2004年05月12日(水) |
たかが・・・されど・・・ |
プールに行った。
前回、上手くできなかった動作のうちのひとつができるようになった。 自分の動作の間違いに気付いて上手くできるようになった・・・つもり。
しかし、相変わらず曖昧な動きが多く 水中で展開されている足の動きは、想像するだけで滑稽だ。 テンポの早い曲に合わせて、ワン・ツー...おた・おた。
間違った動きでも、効果はあるのだろうか? どうして、右足と右手が同時に出るのだろう? おかしい、何故だ、私だけ・・・
『エアロ』なんだから、呼吸さえ止めずに、とにかく体を動かせば きっと何かの足しにはなるだろうと思うことにして まわりの動きを見るのを止めたら気が楽に。
みんなと違う動きをしていたっていいんだ。 気持ちが良ければいいんだ。 誰のための運動なのだ。。。いいんだいいんだ。。。
無言で体を動かしている時の『胸中独り言』が止まらない。 無心でリラックスにはほど遠い。
いいんだいいんだ、と言いながらも いまひとつ吹っ切れないので、家に帰ってから、おさらいをした。 水の抵抗がない分、スムーズに手足が動いたが 重力がかかる分、体が重かった。膝も痛い。
おさらい・・・をする、そんな自分を可愛いとも思うが そろそろ、もっと潔く『いい加減』になることにしようと思う。
今日は母の日。
あやぽんは、休みの日に出かけるのが面倒だと言う理由で 昨日の学校帰りにケーキを買った。それが、彼女からのプレゼント。
私は昨日、朝早くからびっしりと用事があり 人前でのご挨拶もあったりして、すっかり疲れてしまい いつの間にかソファで寝ていた。なので、ケーキも頂かなかった。
今朝。 「昨日、ケーキ食べなかったんだ?」とあやぽん。 疲れて寝てしまったと答えた私に 「昨日のうちに食べないと、まずくなるよね」と不満気。 今日が母の日なんだから、今日、買えば良かったのにというようなことを 私が言ってしまったのがいけなかったらしい。
「よそのうちは、お父さんとお金を出し合ってプレゼント買ったりするんだよね」 と、ぶ然として言う。 「一緒に買えば、プレゼントもいろいろ買えるし」等々、ぶつぶつと何か言っている。 「お父さんがいたら、お金を足してもらえて良かったってこと?」と聞くと 「別にそんなこと言ってないじゃん!」と語気荒く言い 「ただ、仲が良さそうでいいなと思っただけだよ」と追い討ちをかけるように言う。 極め付けは「○○ちゃんちも、●●ちゃんちも、みんなそうだよ!」だった。 うちだけ違うと、そう言いたいのか?
・・・
今日は日曜日で、家中拭き掃除の日。 私は、家事の中で掃除が一番嫌いだけど、掃除をしないと気持ちが悪い。 そして、今日は午後から仕事。
洗濯をし、雑巾がけをしているうちに、なんだかとても悲しくなった。
ケーキを昨日のうちに食べなくて悪かったね。 お父さんが家にいなくて悪かったね。 何もかもが、期待にそえなくて悪かったね。。。
どんどん自分を「可哀想な自分」に追い込み始める。
お父さんの不在は、私のせいかもしれないけど、私だって大変なんだ。 なんだって、母の日の日曜日に 朝から洗濯をして掃除をして、仕事に行かなきゃいけないんだ。 口にはできない諸事情を抱え、胃潰瘍まで抱え この上、私にどうしろというのだ。
涙が止まらなかった。
些細なこと、ちょっとした言葉の行き違い、そんなことはわかっている。 でも、泣いても泣いても、気分なんか晴れやしない。 泣いても、言葉にしても、事実は何も変わらない。
ただ、気分が上向くのを待つのみだ。 理屈じゃない。 きっと私は、感情のままに感じ、考える、非常に単純な性格なのだろう。 今日は、悲しい気分の日なのだ。
とうとうプールに行った。 アクアリフレッシュとかいう、歯磨き粉みたいな名前のクラスにまじり 水中エアロを行う。 時間にして30分。水の中なので体重の影響をうけずに軽やかに動く。
軽やかは軽やかなのだけど なんだか私だけ、他の方々と動きが違っていた気がする。 おや?と思ったとたんに、余計に動きはちぐはぐに。 右足と右手?左足を上げて?前?・後?、右?・左?... なんか、みんなと違う方に動いていないか?
仕方がないので、一拍お休みして流れに追い付こうとした。 休んで動いて休んで動いて、カスタネットの楽譜みたいだ。
シャワー室からロッカーまでは、バスタオル一枚で歩くのに 気張って持って行ったお洒落なバスタオルが 全体にふつうのものより小さくて、前が合わずに割れてしまい下腹部が隠れない。 割れる位置を、どうにか横に持って来て、かろうじてセーフ。 バスタオルを巻いて、前の中央にスリットが入っているんじゃ 素っ裸で歩いた方がマシだ。
何もかもが、ちぐはぐなスタートだった。 初めての場所で、おたおたどきまぎするのは毎度のことだ。 徐々に慣れるだろう。
なんだか妙に疲れた一日 夕食の支度をして子ども達の帰りを待っていると 「部活の先輩とラーメンを食べて帰る」という電話(かずぴー)。 『勉強してから帰るから、今日は遅くなる』というメール(あやぽん)。 一人ぼっちの夕食となった。。
| 私の胃袋に収めるだけではもったいないので 写真にも収めてアップ! |
2004年05月06日(木) |
夫が頼りになるとは限らないが |
うちから直線距離にして、20メートルと離れていない所に 5階建てのマンションが建つことになった。
近隣の方々を集めての説明やら何やら 行き違いがあったり、業者が不親切であったり 近隣の方々同士も、一致団結した集会のような雰囲気はなく 対応もまちまちで、個別であたるしかない様子。
ある知人から聞いた話によると きちんとした業者さんであれば 工事前に家の現状の写真を撮りに来て、何かの時の対応に備えると言う。 家屋調査というその調査を、マンションを建築する会社が 我が家に対してする気があるのかないのか。 裏のお宅(工事現場にうちより近い)は対応されている気配。 うちは、放っておかれるのか? うちだって、建築予定地と20メートルとは離れていないし 裏のお宅とは1メートルと離れていない。ここで線引きか?
基礎工事の震動で 壁が崩れたり外構のブロックにヒビが入ったりすることもあるらしい。 急に諸々のことが心配になってきた。 どうしよう。
こんな時だ。 夫がいないのを不便だと感じるのは。
連休明けの今日、私にできると思われる下準備の後 (我が家の施行業者であるハウスメーカーに電話をし、専門家の意見を聞いた) 意を決して、工事の管理会社に電話をし担当の方と話す。 紆余曲折の後、担当の方の来訪を受け、来週には家屋調査がなされることになった。
我が家の現状は、至って良好である。 そこんとこ、よーく確認して頂きたい。 今後、何も起きませんようにと祈るばかりである。 もめ事はいやだ。
ここ数年、G・Wには川崎大師に行っている。 交通安全の祈願をし、家内安全のお護摩をたいてもらい お墓参りをして帰る。
地味なイベントだけど、私は案外気に入っている。 私が生まれ育った所は、川崎大師の門前町なので 近くの商店街を歩くのも懐かしい。
今日は雨が降っていて、お参りには向いていない気もしたが 思いきって出かけてみると 10年に一度の大開帳・『赤札』を配る月間であった。 ありがたい。
赤札とは 小さなお札に赤い字で南無阿弥陀佛と書かれてあるありがたいお札だ。 一日に2回乃至3回配られると聞いているが、それが何時なのかはわからない。 朝は早朝4〜5時から 一日中、途切れることなく多くの人が赤札を待って並んでいる。
亡くなった父は子どもの頃、早朝、山門が開く前から並んだものだと言っていたが 私は、近所に住んでいた子どもの頃もその後も、一度も並んだことがない。 母や、今も近所に住む伯父が頂いたもののお裾分けにあずかったことがあるだけだ。
今日も、ほんの一瞬『並んでみようかな』と思ったが そんな根気が自分にあるとも思えず、あやぽんもその気がないというので諦めた。 しかし。 かずぴーは違った。 レアもの大好き・お利益と名のつくものに弱い・タダならなんでももらう という彼にとって、それらが三拍子全てそろった赤札は 彼の信仰心に関係なく、何時間でも待つに値するものであった。
私とあやぽんが、商店街を散歩し、あんみつ&くず餅を食べ、ぼけぼけ過ごしている間 彼はじっと並んでいた。 そして。 待つことニ時間半、とうとう赤札を手に入れた。 彼は大変、満足気であった。その満足感は、彼をゆとりのある人にしていた。 赤札の御利益はすでにあった、と私は思った。
染髪をした。 もう長いこと、自分でやっている。
あやぽんは 原宿のなんたら言うお店のTさんと言う美容師さんご指名で きちんと定期的にカットとカラーリングをしている。 もちろん、費用は私持ち。 そして私は、カットは不定期(伸びたなぁと感じる頃・3〜6ヶ月に一度ぐらい) 染髪は家の洗面所。 なんだかなぁ。
美容院でカラーリングをしないのは、費用のことばかりではなく じっと座っているのが耐えられない、という理由もある。 窮屈なカバーにくるまって、てるてる坊主になって数十分。 大声で叫びたくなるような、圧迫感を感じてしまうのだ。
若いお嬢さんと、若くはない元お嬢さんの違いだろうか。
・・・そうではない。 現に、私のまわりにも、私と大して歳が違わないのに お洒落に対して大変マメな方々が、数多くいらっしゃる。 そして、みなさん、大変お美しい。
私も、恋でもしないとな。。。(そういう問題か?)
2004年05月02日(日) |
朝から怒鳴って、考えたこと |
かずぴーは、うそつきだ。ごまかし系のウソをつく。 理由は様々だが、詰まるところ怒られるのがイヤでウソをつく。 これまでの、私の叱り方が悪かったのか? そうかもしれない。 でも、同じように叱ってきたあやぽんは、ごまかしたりしない。 環境と本人の資質と、いろんなものの組み合わせで かずぴーはうそつきになり、あやぽんは正直者になった。
一言で言うと、かずぴーの方が気が弱く、あやぽんは度胸が座っている。 換言すると、かずぴーの方が優しいとも言えるけど。
潔く生きて欲しい。 胡散臭い奴だとか、信用できない奴だとか思われる人になって欲しくない。 そんな思いから、今まで試行錯誤を繰り返してきた。 でも。
世の中には、嘘つきもいる。 嘘つきのいない世界なんて、ほとんどファンタジー。 彼が、その一人であることを、認めなければならないのかもしれない。 嘘つきと言っては言い過ぎかもしれないが ウソとごまかしの境目はグラデーション。 どちらの色合いが濃いか、見極められないことが多い。
人を貶めたり、傷つけたり そんな種類のウソは絶対に許せないが 目先の困難を避けようとして、ついウソをついてしまう彼が 自分で問題の本質に気付くまで、待つしかないのかもしれない。 良くないことだとは、本人だってとっくにわかっているはずだから。
せいぜい、彼を追い込まないように心がけ、ごまかしは聞き逃そう。 ついつい、「どうしてそんなウソをつくのだ?」と言ってしまうが どうしてだかは、私にもよくわかっている。
君がウソをついていることはわかっているよ。 誰も何も言わなくても、みんなもわかっているよ。 そのことを、居心地悪く思う程度の正直さは、持ち合わせていて欲しいと思う。
子どもを信じるということは、その子の人間性を信じることだ。 子どもの言うことを、事実だと思うこととは違う。 そして 私は、かずぴーを信じようと思う。
連休が明けたらプールに通う決心をしたからには 水着の用意が必要だ。
クラブの一階に、体のラインが目立ちにくい水着とかが売っていたが 水着である以上、体のラインが隠せるはずもなく。 とりあえず、家にある水着を着ることにして試着。 もう二年以上着ていなかったので どんな水着を持っているのかも忘れていた。
何故だか山ほどあった水着の中から 一番無難だと思える一着を着て、鏡の前に立ち 正面・横...とチェック。 正面はどうにかごまかせても、横から見たら全くいけない。 でも。 誰が気にするわけじゃなし。
「どうよ?」とあやぽん&かずぴーに強制的に意見を求める。 「どうって?別にいいんじゃん」とあやぽん。 「いいよ(どうでも)」とかずぴー。
小さ過ぎて動けないとか 何かがはみ出てしまうというのでなければ問題はないのだ。 おばさんの水着なんて・・・
|