diary
DiaryINDEXpastwill


2004年06月30日(水) 空も心もどんより

来週から、期末テストのかずぴー&あやぽん。
あやぽんは、さすがに危機感を募らせ
中間テストの汚名返上のために頑張っているが
かずぴーは・・・
とうとう、家庭教師さんが「う〜ん・・・」と唸った。

先日、かずぴーのお友達のお父さまが急逝された。
尋常ではない亡くなり方だったので
周囲も動揺・心配風のおせっかい等々
不謹慎にも、いわば「色めきたっている」状態だ。
静かに見守ろう、と先生に促されたらしい。
御家族は、一家の主を亡くされた悲しみや衝撃ばかりでなく
そんな周囲の喧騒にも悩まされるのかと思うと、胸が痛む。

期末テストがどうしたこうした、なんてことは
いかに些細な問題なのかという気にさせられる。

勉強ができないのは、いけないことなのだろうか。
・・・そんなはずはない。
かずぴーは勉強が嫌いだが、知恵はあるように見える。
生きて行く上で必要なものは、知識よりは知恵だと考えられるのに
では、何が問題なのか?

このまま行けば、どうにか高校までは進めるはずだが
その先、留年、悪くすれば退学
上手く行っても、大学進学は厳しくなるだろう。
順調に、とりあえず大学まで進むことが『無難な道』だと思うから
『このままではまずい』と思うのだ。
なんだ、そうか。

いつもいつも、同じようなことに気づくのに
少しも気が楽にならないのは、私が未練たらしく
自分の考えに固執しているからに違いない。



2004年06月27日(日) 父親は「いない」ことになるらしい

あやぽんの学資保険が満期を迎えたので
入院保障がメインの保険に新たに加入することにした。
その申込書に記入をしていたら。

<被保険者が22歳未満でかつ未婚の場合>
父・母が「いる・いない」いずれかに○を
さらに父・母の「名前と生年月日」を書く欄がある。

父母が「いる・いない」? 存命かそうではないかってこと?
生物学的には、どちらもいないなんてことはあり得ないし
多分、戸籍上の父母のことだとは思ったが
戸籍上の父母でも、うちのように離婚している場合はどうなのか
そもそも、何のための記入欄なのか
いまひとつ、よくわからないので電話で問い合わせた。

やはり、戸籍上の父母の名前を書くのだという。
戸籍上の父親(生物学的にも父親だが)ならいるが
今は離婚していて、同居もしていない場合はどうなのかと聞くと
それでも、父親の名前と生年月日を書けと言う。
書くのはいいが、何のために記入するのか?と重ねて聞くと
お子さまの場合は保護者の同意が云々。
あやぽんは18歳だが、22歳未満ということは21歳でもお子さまなのか?

もし、質問の主旨が法的な権利義務の問題であるならば
うちの場合は、離婚した時から親権者は私だけなのだ(父親には何の権限もない)
と言うと、それなら私一人の名前と生年月日でいいと言う。
そして。
父親の欄には「いない」方に○をするようにと言われた。
いない・・・のか?
さっき書けと言われた『戸籍上の父』なら、いるけど.....。

父母がいるとかいないとか、戸籍上のそれがなんとかって
結局、知りたいのは法的な権利義務関係?

それならば「未成年者については親権者の署名捺印が必要」とか
そういう項目の方がわかりやすいのではないか。
離婚家庭では、どちらか一方だけが親権者であるのが当たり前だが
親権者でない方は、父あるいは母として「いない」ことになってしまうのか。
もしかしたら、外資系の保険会社であるために
申込書の形式および文言が、日本向けに整っていないのではないか。

等々の疑問を抱えつつ
大した額の保険でもなし、そうムキになることもないとは思いながらも
なんだかとっても、すっきりしないまま、父親は「いない」に○をつけた。




2004年06月26日(土) 両足が痛い

先日、爪を割ったのは右足だが
このたび、左足も負傷することと相成った。

テレビを見ながら、なんとなく足をいじっていたら
かかとの皮の硬い部分が少し剥け
剥いてしまうと、剥いていない部分との境目が気になり出し
さらにどんどんと剥いていき、このままじゃ全身脱皮しないと
境目はなくならないのかも、などと馬鹿なことを考える一方で
いい加減に止めないと、どこかで痛いことになるぞ
と頭の中では、黄色信号が発せられていたのに
やっぱり、痛い所に至るまで剥いてしまった。
痛い思いをしないとわからない、というのは正にこのことだ。
足の裏なので、歩くたびに痛い。

そんな馬鹿な母の息子が、夕食時に
「取り返しのつかないことをしてしまった」と切り出す。
その言葉を聞いた瞬間
胃のあたりが、鉛を飲み込んだようにずしりと重くなり不安が広った。
私が聞かなければならない話か?
思わず、聞いても無駄なことを聞いてしまった。

何のことはない、ガラスを割ってしまっただけだった。
そんなことは、取りかえしのつかないことでもなんでもない。

かつて、彼のクラスの一人が
講堂の入り口のドアの、立派なガラスを割ってしまい
10万円近くを弁償したことがあったので
それを思って心配したらしい。
教室の備品のガラスなので、そんなことにはならないだろう。

「僕の人生にヒビが入った」とシャレのつもりで言ったのかは不明だが
そう言う彼を見ながら
そんなことより、もっともっと心配なことが山ほどあるよ
と言いたかったが黙っておいた。

とりあえず
誰もケガをしなかったようなので、良かった。



2004年06月23日(水) 痛いよ

スーパーの階段でつまづいた。
それほど、大袈裟に転んだわけではないが
両手に持った買い物袋をがしゃがしゃいわせながら
前のめりに倒れて階段に手をついた。
下りじゃなくて良かった。

『人目についてないといいけど・・・』と思いながら
何食わぬ顔で立ち上がり、さっそうと階段を上りきった時
足の親指の爪が割れ、血が出ているのに気づく。

それを見て、痛さが倍増。

それまでも、痛かったような気はするが
割れた爪と流れる血を見た途端に、耐えられないぐらいの痛みとなる。
ほんとにほんとに、痛い。
どうにか車に辿り着き、運転席に乗り込むやいなや
しばらくの間、割れてはがれそうになっている爪を
冷や汗をかきながら、ぎゅーーーっと押さえ付けた。

運転中も
ブレーキを踏むたびに、爪が疼く。
見なければ、これほどまでに痛くはなかったのか?
と、虚しい思考を巡らせても、何の助けにもならない。

家に戻って『痛い!!!痛い〜!』と叫べば
どこからともなく優しい手が現れて
真綿でくるむような手当ての後に
痛みが去って安堵が訪れる。。。はずもなく
再び冷や汗をかきながら、できるだけ短く爪を切った。
もともと伸びていたわけではないので、切る部分は少なかったが
それでも、被害を最小限にとどめるべく
爪の下半分をきつく押さえながら、切れるだけ切った。
「えらかったね」とか「つよいつよい」などと言ってくれる人はいない。

・・・何を言ってるんだか。
きっと、痛みのせいで、すっかり弱気になっているんだ。
そうに違いない。

こども達が小さかった頃は、こんな出来事でも大騒ぎになり
『ママ、大丈夫?』の声に支えられて、いつの間にか痛みを忘れたりもした。
今は昔。
一人きりの家の中で、終始無言で爪を切り終え、救急箱をしまい
夕食の支度に取りかかる。

痛いよ。。。




2004年06月21日(月) 保護者会

今日は、かずぴーの部活の保護者会。

昨日の午前中
部活仲間のお母さまからお電話を頂いた。
「あのぉ、明日、テニス部の保護者会があるのをご存じですか?」
と、少し言いづらそうにおっしゃる。

先日の日記にも書いたように
かずぴーは、学校からの手紙を渡さず
そのせいで、私が困る事が多々ある。
件のお母さまは
ひょんなことから、かずぴーのそんな様子を知ったらしく
私が保護者会のことを知らなかったらいけないと思ったらしい。
たしかに、欠席、それも無断欠席はかなりまずい雰囲気の部なのだ。

「ご存じだったんですね。なんだか、余計なことをしてしまってすみません。」
と、恐縮なさっていたが
いえいえ、そのお気持ちは、大変ありがたく存じます。

もし、同じクラスのお母さまの中に
そんな方がいたとしたら
先日、行われたらしい授業参観を知らずにはいなかっただろう。

私が知らない間に、授業参観が行われ
私が知らない間に、懇親会も終わっていた。

別に行きたかったわけではないのだけれど
正直に言うと
本当は、ぜんぜん行きたくはないのだけれど
知らずにいたことは、少しまずいような気がしている。

大事な連絡をもらすといけないので
私独自のネットワークを構築しないといけないかもしれない。






2004年06月20日(日) 警告

私が5年以上、愛用している踏み台である。





背が低いので、何かと重宝している。
高さが足りない時でも
最上部には、乗ってはいけないと知っていたので
乗ったことはない。

が。


こんなに厳しく、命令されていたとは知らなかった。






これを読んだ瞬間、少しだけムッとした。
もう少し、言い方ってものがあるだろうが。

でも。
5年も使っていながら
何故、今までこの表示に気づかなかったのだろうか。

事故に注意。



2004年06月17日(木) ボキャ貧と馬○の境界は?

かずぴーが、腹痛に見舞われた。
痛い個所を聞いても、胃なのか腸なのかいまひとつはっきりしなかったが
体をかがめるほど痛いというので、病院に連れて行くことにした。

授業が早く終わる日だったので、放課後に
学校近くの校医さんの病院へ連れて行こうと思ったのに
放課後は友達となんたらかんたらで用事があるので
朝、病院に行って、学校に遅刻して行く方がいいと言う。
んー。。。
と思ったが、ま、それぐらいは『あり』かなと思って、彼の希望どおりにした。

というのも。
私はもとより、あやぽんも、中学生の頃から胃痛に悩まされている。
疲れていたり、悩んでいたり、心身共に弱った時などだ。
なので
彼なりに、何かと疲れているのかもしれないと思い、彼の希望を尊重した。

しかし。
病院の先生は、はなから風邪を疑っているようで
『熱は?』(ないです)
『喉は痛くない?』(痛くありません)
『下痢はしている?』(昨日はしました)
『何回ぐらい?』(んー、二回かな)
などのやり取りの後で、整腸剤を下さり、様子を見ましょうということに。

下痢をしていたとは知らなかったので
じゃ、やっぱり風邪なのかな、と私も思い
ほっとしたような、でもなんだか釈然としないような感じで病院を出た。

再び彼を車に乗せて、学校まで送る途中のこと。
私:下痢してたんだ?
か:下痢?下痢って?
私:さっき、先生に『してる』って言ってたじゃん。お腹がゆるくなることだよ。
か:なんだ、そうか。それなら、してないよ。
私:えー???だって・・・さっき・・・『下痢』って何のことだと思ってたの?
か:ふつうのうんち(排便)のことだと思ってた。

彼は今、中学二年生である。こんなことでいいのだろうか。

呆れ驚き
それなら薬が違うんじゃないか、とか、もう一回、受診した方がいいかも、とか
私がうるさく言い始めた途端に「あ、下痢も、一回ぐらいしたかも」などと言い出す。

・・・ビオフェル●ンなので、3〜4日飲んでも害はないだろう。
今の彼には、口喧しい母親の方が有害に違いないと思い
彼の動向を、静観することにした。



2004年06月14日(月) やじろべえ

最近、かずぴーとの間の空気がまた悪くなってきた。
一時は良くなりつつあったのに。

反抗期と言うほどシンプルでもなく
お互いが、信頼感を感じ合えないとでも言うのか
気持ちが通じ合わない手ごたえ十分。

彼のすべてを肯定して
抱きしめて、頬ずりして、可愛がっていられた頃が懐かしい。

ミルクから離乳食に移行するように
オムツをはずしてトイレトレーニングをするように
してはいけないことを教え、しなくてはいけないことを教え
その範囲は、彼の活動範囲とともに広がり
いつの間にか、口うるさい母親になっていた。

今日は。
先週、渡されていたはずの部活の合宿の手紙を出してきて
明日までに4万円を持って行かなければならないと言う。
今日の明日で4万円、って、出せないことだってあるのだから
「お手紙ぐらい、渡されたらすぐに出しなさいよ」!!
たったそれだけのことを言うだけで
お互いに「あぁ、またか」という気分になる。
私の言葉に『怒』が含まれているせいか。
しかし、こんな場合に穏やかに言うだけの許容量を持ち合わせもせず。
面倒な思いをし、ふて腐れた顔をされ、お金まで出すのか
あーあー、なんだか、いやだなぁ、と思うばかり。

何を言っても、今の彼に『聞く耳』はなく
しかし、私の方は、言いたいことが山積みで
それを飲み込むたびに、お互いの間にイヤな空気が流れる。
口には出さなくても、お互いに相手の醸し出す空気には敏感だ。
なにしろ、彼と私はタイプが似ている。

幼かった彼を懐かしく思い、切なくなる一方で
早く彼が成長して、私が手も口も出せないほどの大人になって欲しいとも思う。
もう、その時期にさしかかっているのかもしれない。
ただ、自立と依存の兼ね合いが、まだまだ非常にアンバランスで
私まで転倒しそうになってしまう。

もう、十分に大人なのだから
少なくとも彼より『親』である分だけ歳を重ねているのだから
ぐらぐら揺れてばかりもいられない。



2004年06月13日(日) サバイバーはるみ

気持ちが停滞期に突入。
停滞しているだけならいいのに
イライラもするので、困ったもんだ。

仕事がとても忙しく
どんなに忙しくても、収入が増えるわけではないので張り合いもなく
気が付けば6月も半ばになり、また子ども達のテストが近付く。

いつの間にか、風化してしまったかのような昨年来の問題は
根本は全く変わっておらず
いつもいつも背中に乗っているせいで
その存在を感じなくなってしまった重荷のように
知らない間に、私の体力を消耗させている。
なのに、体重は減らない。

減らないどころか、そんな問題から生じるストレスが
私の体を防御体制に入らせ、体力気力温存のために
栄養を貯えるのみの体にしているようだ。

弱りたくもないけれど
そんなにタフじゃなくてもいいのに。

どうやら、私には「生きる力」があるらしい。
愚痴り、嘆き、泣きながらも
サバイバルを生き抜くタイプなのかもしれない。

いいこと、なんだろうな。



2004年06月11日(金) おかみさーん!は、どうしているのか。

ちょうど一週間ぐらい前
あやぽんが、学校から帰ってくるなり
「森光子と、東山紀之が結婚したって知ってる?」と
鼻息あらく言っていたが。

私:そんなこと、あるわけない
あ:いや! 本当に、そういう新聞の見出しを電車内で見たのだ!
私:あるとしても親子の養子縁組だろう
あ:いーや! たしかに「結婚」と書いてあった
などの会話の後、あやぽんはパソコンで検索までしていたが
それらしいニュースは全く見あたらず。

その後も、なんの報道もないまま時が経ち
あやぽんが見たと言っていた新聞(の見出し)は
幻だったかもしれないというところに落ち着きそうになっていたが
本日、テレビのワイドショーを見ていて
・そういうニュースがたしかにあったこと
・意外と知られていなかったこと
・結局、真相は不明であるということ
が、明らかになった。

不明ということが明らかになったって、結局、何もなかったということか。
・・・そうとも言えない。

もともと、大して興味があったわけでもないが
ちょっとビックリかもしれない話題に、振り回されてしまった。

それにしても、やはり森光子さんぐらいの方を相手にするとなると
マスコミも、追っかけまわして真相追求、などということはしないのだろうか。



2004年06月10日(木) 毎度御心配いたします

かずぴーの家庭教師さんが来る日。
夕食抜きで教えにいらっしゃるので
今日は、食事をお出しした。

初めての経験なので(食事出し)
家庭教師さんが召し上がっている間、どうしていたらいいのかについて
あやぽんと協議した。
「私が話し相手になって、大学受験の相談でもするよ」
というので、あやぽんにお任せした。

そのとおりの運びとなり
二人(あやぽんと家庭教師さん)の会話を聞くとはなしに聞いているうちに
私は、だんだん不安になってきた。

不安ーその1ー
『あやぽんは、本当にこんな調子で受験などして大丈夫なのか?』
不安ーその2ー
『この家庭教師さんに、かずぴーの数学をお任せして大丈夫なのか?』

そう思わせるのに十分な会話であった。

そんな私の気持ちをよそに
同じくリビングにて、所在なげに過ごしていたかずぴーは
自分の身の上に起こっている事態について、まったく関知していない様子。
それが何よりの不安である。

このままじゃ、今学期の数学の評価は最低ライン確定。
「数学」という欄に、堂々と棒が一本立つのだろう。。。
赤い色はついているのかな。





2004年06月08日(火) 組み込まれた恐怖

早朝、トイレに行き、用を足して出た途端
あり得ない、あってはいけない物体を見てしまった。

その足は、ムカデより短い分、太さは数倍で
本体(幅約1センチ・長さ約15センチ)が
ゴキブリさながら黒ぐろと光っているのに対し
無数の足は鮮やかなオレンジ色、という気味悪さ。
あれが世に言う『ゲジゲジ』だろうか?
くどいようだが
15センチもある節だらけの黒光りする本体に
無数のビビッドオレンジの足!!!なのだ。
ご存じない方は、是非、その気味悪さを想像して頂きたい。

そんな物体が、あろうことかリビングの床の上を這っていた。
まさに『這って』いた。
くどいようだが、リビングの床の上、家の中を這っていたのだ。
前代未聞、生まれて初めての経験、二度と起きてはならない
頼むからこれきりにして欲しい事態だ。

そんな時
私は「キャー!」などとは言わない。
とりあえず、内心の動揺を抱えたまま固まる。
そして、静かに動いて対応らしきことをする。
冷静なのではない。
ただ「音を立てないで何かをする」のだ。

今回は、ゴキブリ用の泡のスプレーで視界から消えてもらった。
その中身がわかっていると(おまけにチラっと見えたりすると)
泡を始末するだけでも、なかなかの勇気を要するが
本体そのものに立ち向かうよりは、ずっとマシだろう。

そして、ふと疑問に思う。
多くの人が、不快に感じるであろう害虫と呼ばれる虫たちは
どうして、あんなに気持ちが悪いのか?
どういうわけで、あれほどまでの不快感を、彼等に対して感じるのだろう?

犬や猫を見て、あのような不快感を感じる人がそう多いとは思えず
例えば、魚や鳥を気持ち悪がる人がいても、その数・程度において
ゴキブリその他の不快害虫の比ではないはず。

彼等によって
遠い遠い昔に、私達の祖先は、何か大変な目に合わされたのだろうか。
そうとしか思えないほど
DNAの奥深くに組み込まれたような恐怖に近い不快感である。



2004年06月07日(月) 頭がテレビ

朝から梅雨空。
その後、カラっと晴れ、また雨が降り
職場から帰る時には、カラっと晴れたまま雨が降っていた。
狐の嫁入り。。。じゃなかったっけ?
天気雨。

昨夜、ケーブルテレビで「羊たちの沈黙」を観た。
内容をすっかり忘れていたので、初めて観たように楽しめた。
得した気分。

つけっぱなしのテレビから
誰かが9階から落ちたとか、どこかの元大統領が亡くなったとか
早朝のニュースが耳に入り、それらとレクター博士が入り交じり
大変に気持ちの悪い、猟奇的な夢を見てしまった。

そう言えば
「ハンニバル」は、後味の悪かったことを覚えている。
「レッドドラゴン」は、とても面白かった。
いずれも、内容はほとんど覚えていない。
わずかな余韻だけを残して、頭の中を通り過ぎて行くだけのストーリー.....
それでも、ビデオを借り続けることの不毛さよ。

世の中から『無駄』がなくなったら
ものすごく生きづらいだろう。
そんなことにならないためにも、私はせっせとビデオを借りる。

・・・なんか違う気が。

午後
昨日メールを出したエンピツサポートから返事をいただく。
今回に限らず、エンピツの迅速丁寧さは感動ものだ。
あやぽんも、以前にストーカーまがいの被害を受けそうになったときに
適切に対応しいただいて助かったことがある。
どうもありがとう。これからもよろしくです。



2004年06月05日(土) 喧嘩して泣いて、ケーキ。。

昨日。
かずぴーと喧嘩した。
殴り合いとまではいかなかったが
掴み合い・押し合い、怒鳴りあって喧嘩した。

その後、一人でリビングのソファに座り
情けなくて泣いた。
おいおい泣いているところへ、あやぽん帰宅。
誤魔化しようがなく泣いているところを見られたので
愚痴った。家出をしたいと言った。
あやぽんは
「どっか、行ってくれば?
 帰って来る保証があれば、一週間ぐらいいいよ」と言ってくれた。
しかし、本当のところ「どうぞ」と言われても
行く当てもなければ、行きたい所もない。

数時間後、そんな会話を忘れかけた頃に
「軽井沢あたりは、どぉ?」と唐突に言われ、何が軽井沢なのか?と聞くと
「ママの出かける先だよ」と言われる。
どうやら、彼女は本気らしい。

そして今日。
あやぽんが、学校帰りにケーキを買って来てくれた。
私をねぎらうのはケーキ、彼女の中ではそう決まっているのだろうか。
運の悪いことに、今夜の夕食は
「家族の関係がぎくしゃくした時には、美味しい食事が何より」
という私の信条にしたがって、すき焼きを奮発してしまった。
食い意地が張っている私には『控えめ』などという食べ方はできない。
案の定、満腹になるまで食べてしまった。

「お夜食のケーキが楽しみだわ〜」と言ってはみたが
いつまでたっても、ケーキを食べる気分にならず。
もともと、私はケーキが大好きなわけじゃない。
しかし。
今日食べないと、母の日の二の舞いになってしまう。
食べないと。。。

せっかくのケーキを、こんなふうに義務のように食べるのはもったいないが
食べないと、もっともったいない結果を招く恐れがあるので
何がなんでも今夜のうちに食べるぞ。。。



2004年06月04日(金) 疲労・・・?

エアロの時間に間に合わず
かと言って
水着を着て出かけて行ったのにそのまま帰るのは惜しいので
ふつうに泳いで帰ることにした。

特に泳ぎが得意なわけでもなく
クロールも平泳ぎも我流なのだが
『なぁにかまうものか、みんながスイマー!というわけじゃあるまい』
と自分に言い聞かせ
どうにか25メートルを泳ぎ、息切れが治まってからまた挑戦。
クロール計100メートル、平泳ぎ計50メートル泳いだところで
付近の方々の会話が聞こえて来た。

「◎◎さんは、上半身がきれい(な動き)ね」
「やわらかく動かないとダメなのよね」
「バタフライはうんぬん、クロールはかんぬん・・・」

ひえ。
息も絶えだえに泳ぐ我流の泳法など、これ以上お目にかけることはできない
と自分に言い訳をし、実は疲れきっていたので早々にプールから上がることにした。
腕の付け根が早速筋肉痛、階段を上がる足も鉛のように重い。
これって、いつものエアロが、いかに楽ちんかを如実に物語っている。
いつもはそれほど疲れないし、どこも痛くならないし。

疲れていたせい、と思いたいが
その後、とても信じられないことが起きた。

路上駐車をして、クリーニング屋さんに寄り、再び車に戻った時のこと。
車に乗り込んだのはいいが、なんか変だ。
目の前にハンドルがない。

何万分の1秒かの間、混乱した後
自分が座っているのが、後部座席であると気付く。
なんでまた、後部座席に乗り込んだのだ?そんな間違いってあり?
免許をとって以来、こんなことは初めてだ。

私の後ろに駐車していた車の運転席に人影が見え
その人に一部始終を見られていたのかと思うと
車から出て運転席に座り直すのが、ものすごく恥ずかしかったが
私以外に誰も乗っていない車の中で
いつまでも後部座席に座っているわけにもいかず。。。

いやー、ほんとにどうしちゃったんでしょう。




2004年06月03日(木) ヒマなのに、したいこともなく

仕事もなく、スポーツクラブがお休みで
一日、テレビの御厄介になって過ごす。

何かしていないと、思い出したくないことを思い出し
気を揉んでも無駄なことに、気を揉んでしまう。
なので
朝からずっと、ケーブルテレビ三昧。
☆『事件記者』(1958年の映画・古さが好きなだけでストーリーはちょっと)
☆『マルコム・イン・ザ・ミドル』(アメリカのTV番組。これが、けっこう笑える)
☆『アリーmyラブ』(ビデオで観たのに...)
☆『母紅梅』(1949年の映画・古き良き時代の母の偶像「母ものシリーズ」)
☆『バースデイ・ガール』(ニコール・キッドマンが綺麗だった)

どうしても観たい、わけでもないのに
必死に番組表からピックアップして、観たい番組を探した。
以前だったら、迷うことなく寝て過ごしたのに。
いつの頃からか、寝ることに安らぎを感じなくなってしまったのだ。
寝てもイヤな夢を見るとか
目覚める寸前の夢と現実が入り交じるひとときが辛いとか
そのあたりの理由が考えられるが
「どうして私は、昼寝を好まなくなったのか?」について
何か知りたいところがあるわけじゃなし、理由はどうでもいい。

あまりにも、非生産的な一日を過ごしたような気がして
そのせいで気分が沈むのもしゃくなので
いちごの成長記と題して、画像をアップした。
なかなか美味しいいちごです。



2004年06月01日(火) 思いでは美し過ぎて

かずぴーとの会話が変だ。

「あのさ、○○が△△で、だから◎◎だよね」と言っても
「ちょっと。あれってさ、@@じゃない?」と言っても
とにかく何を言っても
「あぁー、そうだね。うんうん、そうだね」などと答える。
返事をするタイミングも、微妙に変。
「ちゃんと聞いてる?」なんて聞こうものなら
「聞いてるよ。ほ〜んっとに、そうだよね。うんうん。」と力を込めて返事をする。

もしかして
『いい加減に相づちをうっている』
と露骨に表現をしながら、いい加減な相づちをうっているつもりか?

そのくせ、何かをねだる時など、お願いごと全般を口にする時は
はずんだ声で明るく語りかけ(多少遠慮がちにという謙虚さも加えて)
それが効を奏した暁には、素直に「ありがとう」も忘れない。

もちろん、機嫌の悪い時は非常に無愛想だ。

なんだか、とっても侮られている感じがして気分が悪い。
親とか子とかを抜きにしても、いつも一緒にいる者同士なのだから
気持ちの良い会話を心がけようじゃないか、建設的な提案をしたみたが
「あー、そうだね。それがいいね。ほんとにそうだよ。」
と間髪入れずに答えやがった。

・・・ふんっ。

彼の幼き日々を、切な悲しく思い出す。
「どうして、かずちゃんはそんなに可愛いの?」と聞くと
必ず「ママから生まれたから」と、嬉しそうに答える彼であった。
あの彼は、もういない。。。



DiaryINDEXpastwill
rachel |MAIL

My追加