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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
マルタ(3)1813〜15年

さて、次に海洋小説にマルタが登場するのは、1813年すなわちオーブリー&マチュリンの9巻です。
町の様子など、占領当初と比べるとかなり落ち着いてきていますね。
オブライアンは当時の町を活き活きと描くのが上手いので、このマルタは読んでいてとても楽しい。

【現在のマルタ中心部】


9巻を読んでいると、当時の中心地はグランドハーバーであり、この湾を中心に旧市街バレッタと対岸(スリーシティ)の港湾施設が広がっていたように思われます。
騎士団時代のマルタの中心地は城塞都市バレッタだったのですが、英国海軍がこの島を重用視した理由は、何と言っても天然の良港グランドハーバーですから、町の中心はこの港を中心に移動したのでしょう。

バレッタの反対側の港マルサムシェット・ハーバーが開けるのは、もう少し後の時代のよう。
現代の地中海リゾートとしてのマルタの中心は、このマルサムシェット・ハーバーと対岸のスリーマ地区、ここにはオーシャンビュー(正確には地中海はoceanじゃないけど、まいいでしょ)の高級リゾートホテル群が立ち並んでいます。
もっともアリステア・マクリーンの「女王陛下のユリシーズ号」の中には、ブルックス軍医中佐がマルタ勤務時代のスリーマでの思い出を語るエピソードがありますから、第二次大戦前にはすでに、スリーマ地区はリゾート開発されていたようです。

話を1813年に戻しましょう。
9巻を読みながら地図と付き合わせてみるのですが、当時とは地名の変わっているところもあります。
サプライズ号が係留されていたのはスリーシティの何処なのでしょう?
アドミラルティ・クリークとあるのですが、現在その地名は見当たらず。ドックヤード(工廠)・クリークはありますが、ここがドックヤードになったのは実は19世紀半ばのことなので。

ただ9巻表紙の挿画に聖アンジェロ砦が描かれていること、このアンジェロ砦が当時のアドミラルティ(海軍司令部)だったことから、カルカーラ・クリークかドックヤード・クリークのいずれかが、当時アドミラルティ・クリークと呼ばれており、サプライズ号はここに停泊していたのではと思われます。

【聖アンジェロ砦とカルカーラ・クリーク】



ジャックとスティーブンはバレッタのホテル住まいだったと書かれています。
城塞都市バレッタは、町ぐるみ世界遺産に指定され、今も騎士団時代のひいてはジャック達が訪れていた頃の姿を見せています。
しかし第二次大戦時に軍港グランドハーバーはイタリア軍の猛爆を受け、この町も無傷ではいられませんでした。
破壊された建物の多くは戦後もと通りに復元されましたが、オペラハウスだけは復元されず、史跡として無惨な姿を後世に残しています。

【バレッタ地図】


ジャックとスティーブンの宿泊していたサールズ・ホテルはどのあたりでしょうか?
9巻上P.17からはアッパーバラッカ・ガーデン(地図◆砲らほど近いことがわかり、P.52からは、ホテルがカスティーリャのオーベルジュ(カスティーリャ出身騎士の館:地図ぁ砲茲蠎蠢阿砲△襪海箸わかります。
ホテルで耳栓をして寝ていたところを叩き起こされたスティーブンは、7分以内に身支度を調えて総督公邸(地図 砲冒っていって間に合いました。
地図あたりの一画にあったのでは?と思われます。

【港よりアッパーバラッカ・ガーデンを見上げる】水際の建物はカスタムハウス(昔の税関)。


実は私、偶然この一画のホテルに泊まってたんですけど、でもバスなし(シャワーのみ)1泊朝食つき10.00ML(3900円)という安ホテルで、今はとても勅任艦長クラスが泊まるようなところではありませんね。
前にも書いた通り、現代の高級ホテルは対岸のスリーマに移動してしまい、バレッタの城壁内にあるのは、部屋数10〜20の個人経営のプチホテルばかりです。
最近はマルタに行く団体旅行のツァーもありますが、団体だとスリーマのホテルにまわされてしまって、なかなか城壁内には泊まれないようです。
バレッタの旧市街の味わいある古ホテルに泊まりたかったら、個人旅行になるのかもしれません。
んーでも、古いホテルには不便もあって。私の泊まっていたホテルはお湯が出なかったんですよ。真冬の12月にこれはちょっと辛かったです。
旧市街の風情とグランドハーバーの眺望はすばらしかったのですけれども。

【ホテルの部屋よりグランドハーバー】ジャックたちが見ていたのとほぼ同じ光景だと思います。



物語に登場する場所を探してみましょう。
当時とは名称が変わっているところもあり、探しても見当たらないものもありました(おそらくオブライアンが架空の名称を当てたのでしょう)。

スティーブンが単旋聖歌を聴きに行き、ローラ・フィールディングがルシュウールからの指令を受けていた聖シモン修道院教会は、現代のバレッタには存在しないようです。200年の間になくなってしまったのか、それともオブライアンの創作か。
けれどもバレッタの市内にはカトリックの美しい教会が数多くあり、クリスチャン以外の観光客でもミサの見学は可能です。
私はちょうど12月8日の無原罪の祝日(聖母マリアが懐妊した日とされる)に居合わせたため、バレッタの聖ヨハネ大聖堂の記念ミサを見学してきましたが、カトリックのミサというのは聖歌も含めて儀式として壮麗なので、良い経験ができたと思っています。

スティーブンが呼び出された総督公邸は現在の大統領官邸です。
上記地図の,これに当たります。聖ヨハネ騎士団時代の団長宮殿を英国統治時代は総督公邸にしていて、独立後は大統領官邸とした…という流れですが。

9巻でバレッタの目抜き通りとされている「国王通り」も今はありません(女王通りもありません)。
バレッタ一の目抜き通りは今は「共和国通り(Republic St.)」と言います。マルタ共和国ですから。おそらくこれが元の国王通りなのではと推測しますが、
上記地図で黄色っぽく塗ってあるところ(総督公邸=大統領官邸)の前の通りです。

【リパブリック・ストリート】ここを大型犬ポントが突進してくるわけですね。クリスマス前なので商店街のイルミネーションが綺麗です。


【路地裏の小道】ローラの家の行く途中はこんな感じ?


ローラ・フィールディングの家…はちょっと手がかりが少なくて探せそうにはありません。
バレッタ市内にあったことは確かのようですが、
替わりに、市内および近郊に今も残る邸宅の写真を、少しはイメージがつかめるでしょうか?













【ウィルヘーナ邸】騎士団の有力者だったウィルヘーナの邸宅。


【国立美術館の中庭】




邸宅に中庭…というスタイルは地中海地方では一般的なスタイルなのかもしれません。
国立美術館は、19世紀半ば以降、聖アンジェロ砦から海軍司令部が移転した建物。
中庭…というと、私としてはリチャード・ボライソーとキャサリン・サマビルのロマンチックな逢瀬の舞台というイメージで。


2007年05月27日(日)
カティサーク炎上

「THE SHIP THAT DEFINED AN AGE」――ひとつの時代そのものである船
英国3大新聞の一つであるThe Independent紙は、本日6月22日の一面全面を、この言葉と快速帆船の海洋画で飾りました。
本日のうちならば、下記アドレスでこの紙面がご覧になれると思います。

http://www.independent.co.uk/
「THE SHIP THAT DEFINED AN AGE」

ロンドン郊外グリニッジの海事博物館に屋外展示されていた19世紀の快速帆船カティサーク号が、6月21日未明、不審火で多大な損傷を受けました。
このニュース、Japan Timesは一面トップ、朝日新聞も一面で驚きました。
でも日本の新聞だけではあまり詳しいことがわからなかったので、英国のサイトに行って、情報収集してきました。
損傷がどの程度が心配で、私もちょっと、いてもたってもいられませんでしたので。
以下、英国3大新聞22日朝刊記事+BBCサイトの合体要約です。

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グリニッジ在住のサンデギー君(18)は、5月21日(月)午前5時頃、雷のような音で目を覚ました。
それは嵐ではなく、カティサーク号甲板の厚板が熱ではじける音だった。
窓のカーテンを開けたサンデギー君が目にしたのは、船体中央部から吹き上げる橙黄色の炎だった。
グリニッジ博物館の夜警は4:46AMに通報、4分後には消防隊が到着したが、タールの塗られた船体に火はまたたく間にまわり、消防隊になすすべはなかった。

ようやく鎮火にこぎつけた時、カティサークの露天甲板(weather deck)と、中甲板(tween deck)は修復不可能なまでに焼け落ちていた。
火炎は1,000度に達したと推測され、この快速帆船の鉄製の船殻に、修復不能な損傷をもたらしたのではないかと憂慮されているが、カティサーク・トラストの専門コンサルタントはこれを否定している。

損傷箇所については下記BBCサイトの最下部の図を参照
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/london/6675381.stm

不幸中の幸いだが、カティサークは6ヶ月前から修復工事中だったため、マスト、リギン、船長室の内装、舵輪、雑用艇、そしてかの有名な船首像は、取り外されチャタムの造船所(historic dockyard)に保管されており、難を逃れた。

だがカティサーク・トラストのダウティ理事長は、「建造当時の素材を失うことは、建造時の職人の手触りを失うこと、すなわち歴史そのものを失うことである。カティサーク号を特徴づけているのは、かつて実際に南シナ海を航走したその厚板であり船殻だ」と述べた。

ジョウェル文化相は、「打ちのめされた思いだ。この船はグリニッジのみならず世界の憧憬を集めていた。世界中の人々に愛された船だ。悲劇という言葉ではとても言い表せない」とコメントしている。
52年前、カティサーク号を乾ドックに引き上げる作業にも携わったエジンバラ公フィリップ殿下は、22日の午後に早速、現場を訪れる。

火災原因については、不審火(公共物破壊行為:vandalism)との見方が濃厚で、現場近辺の防犯カメラ映像を中心に、警察が捜査を開始した。
損傷については今後の詳細調査が待たれるが、この修復に要する費用は500万〜1,000万ポンド(12億〜24億円)かかるものと推測される。

原文は以下参照
THE TIMES
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/article1821591.ece
The Guardian
http://arts.guardian.co.uk/art/heritage/story/0,,2085263,00.html
The Independent
http://news.independent.co.uk/uk/crime/article2567981.ece

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公共物破壊行為(vandalism)って、英国では時々あるそうです。
たいがいは道路や鉄道の標識・案内板など、多くの人々が利用して目につく公共物を、憂さ晴らしに壊す反社会行為なんですけど、
まさかカティサーク号が標的になってしまうとは、

でも、今回の事件が英国と世界に与えた衝撃を考えれば、道路標識とは異なりその効果は絶大、確かにカティサーク号は、海洋国家イギリスの誇りを象徴する建造物だったわけで。
こうなるともう一つの木造帆船、ビクトリー号が心配ですが、あの艦は海軍基地内の乾ドックにあるので、まだアクセス・コントロールがなされているでしょうか?

しかし、The Independent紙の一面扱いといい、英国人にとって海と帆船というのは、その存在の大きさが違う…とあらためて納得。
カティサークのカティサークである由縁は、実際に南シナ海の塩水を知っているその厚板である、というカティサーク財団理事長の言葉に、私ちょっと感動してしまいました。
海と船への愛情がこぼれ落ちそうな言葉で。こういうセリフってやはり英国人ならではだと思いませんか?

アメリカのオブライアン・フォーラムにも早速書き込みがあり、レスがついて、アメリカの海洋小説ファンも損傷状態を心配しているようです。
私もこの一報はアーサー・ランサム・クラブの方からいただきました。やっぱり海洋小説ファンには衝撃でしょう。
日頃は時代の外に置かれているような帆船ですが、海洋小説ファンのみならず、一般の人々の心をも、これほど騒がせる存在なのだということに驚き、日本でまで一面記事になるとは思いませんでした。

【カティサーク号の甲板】1989年の写真です。



この舵輪が無事でよかった。
このおじさん見ず知らずのイタリア人観光客なんですけど(たぶん、イタリア語しゃべってたから)、なんだか海賊みたいですよね。

日本丸、海洋丸をはじめ、チリのエスメラルダ号、スペインのエル・カノ号、メキシコの号、英国のビクトリー号と、私も多くの帆船の写真を撮る機会にめぐまれましたが、カティサーク号の写真を撮ろうとしてびっくりしたことは、甲板最後尾に立って広角レンズで写真を撮ろうとした時に、帆桁がファインダーにおさまらなかったことなんです。
ヤードが長すぎてファイダーの外にはみ出してしまうんですよ。こんな船はじめて!他の帆船は全て、帆桁が広角レンズにおさまるのに。
さすがに世界最速の帆船なのだなぁと感心したことを覚えています。

甲板は張り直しになるのでしょうけれど、何とか再び優美な姿を取り戻してくれることを祈ります。


2007年05月22日(火)
アーサー・ランサム企画展「海とキャンプと冒険と」

6月に東京・銀座の児童書店:教文館書店ナルニア国で、アーサー・ランサム企画展が開催されます。
6月10日にはこのシリーズの翻訳者である神宮輝夫先生の講演会も開催されます。

「海とキャンプと冒険と」アーサー・ランサムの世界
 物語の舞台となるイギリス各地の写真パネル、物語に登場する道具などを展示します。
日時:2007年6月2日(土)〜17日(日)10:00〜20:00(最終日は17:00まで)
場所:教文館ナルニア国 東京都中央区銀座4−5−1 TEL:03-3563-0730

神宮輝夫氏講演会「アーサー・ランサムと物語の世界――幸せな子ども文学の時代
日時:2007年6月10日(日)午後2時〜3時半
場所:教文館9Fウェンライトホール
定員:100名、参加費1,000円
往復葉書にて5月28日(必着)迄に申込み、多数の場合は抽選。
申し込み方法の詳細はこちらをご参照ください。

講演会終了後、ウェンライトホールにてランサム読者の懇親会が予定されているとのこと(午後5時頃終了予定)。
また6月3日、17日の日曜日には、恵泉銀座センター(ナルニア国のとなり)にて、13時半〜16時半にお茶会も開催されるとのこと。
懇親会、お茶会の詳細は、こちらをご参照ください。


2007年05月20日(日)
マルタ(2)1798〜1803年

マルタの史跡は、騎士団関係のものを中心に多々ありますが(この小さな島に世界遺産が3つ)、今回はグランドハーバーと英国海軍に焦点を絞ります。参考資料は現地で買い求めたピーター・エリオット著「The Cross and the Ensign」マルタ英国海軍史。発行はハーパーコリンズ社(英国でオーブリー&マチュリン及びシャープシリーズ等を出している出版社)。

英国海軍がグランドハーバーと関わりを持つのはナポレオンのエジプト遠征がきっかけである。
1798年5月19日ツーロンを出港したナポレオンのエジプト遠征船団は、6月11日マルタ沖にその威容を現した。
あらかじめフランス系の聖ヨハネ騎士団員に根回しをしておいたナポレオンは、ヴァレッタを無血開城し、島を占領した。
騎士団は3日以内の退去を求められ、彼らが去るとナポレオン自身も7日後には、ボーヴォワ将軍と三千の兵を残しエジプトに向けて出港する。

マルタ人も最初は無抵抗にこの新しい侵入者を受け入れたが、フランス軍がカトリック教会から宝物、タペストリー、絵画などをごっそり持ち去ったことが、彼らの怒りに火をつけた。
またフランス駐屯軍が重税を課したことにも、住民は強い反発をいだいていた。


この時代の海洋小説に一番最初に登場するマルタは、この1798年で、ボライソーの11巻「白昼の近接戦」
戦隊司令官になったばかりで、ライサンダー号でこの地中海にやってきたリチャード・ボライソーは、司令官でありながら商船の船長に化けて占領直前のヴァレッタに潜入…をしたものの、熱病がぶりかえしてひっくりかえり、艇長のオールデーに大変な心配をかけたりして、読み返すと相変わらず頭痛がするような行動ばかり。…困ったものです。

この時期、英国海軍は全地中海でナポレオンの船団を探し回っていました。
ホレイショ・ネルソン提督も彼の艦隊を率いて東奔西走、エリオットの「The Cross and the Ensign」を読んでもこのあたりの追跡戦は実に面白いのだけれども、解説しているといくらページがあっても足りないのではしょらせていただき、

結論から言うとナポレオンは無事アレキサンドリアにたどり着き軍勢を降ろしたものの、ネルソンはアブキール湾に錨を降ろすフランス大艦隊に対し8月1日の海戦で大勝利を収めた。これがナイルの海戦である。

これにはボライソーのライサンダー号も一役かったことになっています。
9巻(上)P.203でジャックが回想するのも、この時のことですね。

さてマルタに話しを戻すと、
前述の通り、マルタの島民たちは日に日にフランス軍に対して反感を強めていた。そこへナイルの海戦で損傷を受けたフランスの戦列艦3隻が入港する。
1798年9月3日、教会の財宝が競売にかけられたのをきっかけに、後にマルタの大司教となったザビエル・カルノバを指導者としてマルタ島民は蜂起した。対するフランス軍は3,000とは言え、堅固な城塞都市ヴァレッタに立てこもる。

マルタの島民は沖を通過した英国艦オリオン号に救援を求めた。ナイルの海戦の拿捕艦を回航中だったオリオン号のソマレズ艦長は、今すぐに救援はできないが、ジプラルタルの司令官ヴィンセント伯爵に通報することを約束し、マスケット銃1,200丁を島民に譲った。
その一方でマルタ島民はシチリアとナポリの王にも救援要請を送っていた。

ナイルの海戦で艦に損傷を受けたネルソンは、補給と修理(とおそらくはハミルトン夫人)のためにナポリに寄港しこの知らせを受け取った。
彼はただちに74門艦アレクサンダー号ほか戦列艦3隻をマルタ沖に派遣したが、艦隊をまかされたアレクサンダー・ボール艦長*は、堅固な要塞ヴァレッタに正面攻撃をかける危険をおかさなかった。
守りの弱いゴゾ島に海兵隊を派遣してこれを押さえ、グランドハーバーを海上封鎖すると同時に、アレクサンダー号の備砲の一部を島の西側の聖パウロ湾から陸揚げして島民たちに提供した。

*注)このボール艦長は、9巻(上)P.81で、ジャックがゴゾ島のモチェーゴ亭で会食していたあのボール艦長と思われます。

【ゴゾ島イムジャール港】A.J.クイネルのクリーシィ・シリーズ(新潮文庫)の舞台でもあります。


グランドハーバーの封鎖は1年以上に及んだ。
翌年の12月には陸軍が到着し、陸上からもヴァレッタを包囲した。それでもボーヴォワ将軍は断乎降伏を拒否した。ヴァレッタの食糧は枯渇した。
翌1800年9月3日、ボーヴォワ将軍はついに旗を降ろした。2年と2日にわたる大包囲戦だった。
そしてグランドハーバーは地中海における英国海軍の要衝となる。


さて、次に海洋小説にマルタのグランドハーバーが登場するのは、ボライソー16巻「姿なき宿敵」の1803年。
バレンタイン・キーンを旗艦艦長に任命し、アルゴノート号に中将旗を上げていたリチャード・ボライソー提督は、甥のアダムが海尉艦長をつとめるブリッグ船ファイアフライ号がもたらした急送文書によって、グランドハーバーに召喚される。
そこで待っていたのは、かつての副長で親友でもあるトマス・ヘリックが議長をつとめる査問会で、裁かれるのは旗艦艦長のキーンの越権行為。
けれども、この査問会のため哨戒海域を離れた隙に、残してきた艦隊はフランス艦に襲われ、やはり長年の部下であったフランシス・インチはこの時の傷がもとで後に戦死する。
これがきっかけで、この16巻以降、かつて副官のオリバー・ブラウンが「我ら幸いなる少数」と呼んだボライソーファミリーに亀裂が入り、人間関係も複雑に展開していく。

長年のボライソーシリーズ・ファンの間では、16巻〜22巻はやや不評…というか、4〜7巻、13〜15巻と彼ら独特の暖かなチームワーク(オブライアンで言えば8巻のような)に馴染んできただけに、リチャードとヘリック、キーンとアダムの間に変な緊張関係が出来てしまうと、読んでる方も辛いんですよね。
でもそれが、複雑な人間関係を描いては右に出る者のないアレクサンダー・ケントの魅力でしょうし、さすが御大、最後の落とし所(23巻)はちゃんと心得ていらっしゃいます。
まぁでも、いま16巻から23巻を連続して読める方は良いのですけれども、これをリアルタイムで毎年1冊とか2年に1冊とかで読んでいた私は、ずいぶんと気を揉みました。

実は私、行きの乗換えのロンドン・ガトウィック空港で23巻の(「Cross of St. George」邦題:聖十字旗のもとに1999年12月刊)を買っていきました。
これは1814年の物語で、この中でヘリックはもう一度、リチャードとアダムの部下の軍法会議の議長を勤める巡り合わせとなります。場所はカナダのハリファックス。
ここでヘリックは実に昔の彼らしい判決を下して本国に帰って行き、アダムやジェイムズ・タイアック(キーンの昇進後、後任となった旗艦艦長)とも暖かいつながりが復活するのだけれど、あとで考えると、このハリファックスでの別れが、ボライソーとヘリックの今生の別れとなることに気づく。
そう知って読むとこのシーンは泣けます。ボライソーの小説は、活字を丹念に拾って出会うシーンにこそ感動があるのでこれ以上は申しませんが、これだけは知っていて読んだ方が感動的なので、敢えてねたバレをお許しください。

いずれにせよ、このグランドハーバーはキーンの査問会の舞台となったことで、シリーズ後半の転換点となった場所であり、そしてその亀裂が修復されるのが23巻のハリファックス。私はだから、23巻を持ってマルタに来たというわけ。
馬鹿な感傷だと笑ってください。でも私ハリファックスのこの和解シーンを、最初の亀裂の入ったこのマルタのグランドハーバーを見ながら読みたかったんです。

まったく良い年齢をして、小説の主人公たちに何を思い入れてるんだ!って笑われてしまいますね。
でもシリーズ後半の、この人間関係の軋轢の意味は、若い頃ではたぶんわからなかった…というか、一つの組織、業界に長年勤めて初めて実感としてわかるというか。
そりゃ会社勤めは海軍勤務とは違いますから、生き死には滅多にありませんけど、でも長年勤めているとこのような人間関係は…身近にもあったりしませんか? ケントの描く組織内の人間関係は、200年の時を越えてもなかなかにリアルなので、
20才台ではこれは、頭でわかっても実感としてわかりにくかっただろうなぁと思います…年齢を重ねたからこそたぶん、より思い入れてしまうのではと。

リチャードはファラロープ号で25才の時にヘリックと出会い(4巻「栄光への航海」)、共に叛乱を乗り越え、後には独航艦の艦長と副長として、太平洋で孤立して長い時を過ごします(5巻「南海に祖国の旗を」、7巻「反逆の南太平洋」)。その艦に最初は候補生として後に海尉として乗り組んでいたのがキーンで、最終的にリチャードとヘリックとの付き合いは34年、キーンとも30年になるはずです。
リチャードは常に、先頭に立って走って行って…時々コケる(重傷を負ったり行方不明になったり熱病に罹ったり)ので、彼の次席指揮官は。ボスが倒れている間の指揮代行が出来ないと務まらないという、なかなか…大変な役回りだったりしますが。
やがてヘリックもキーンも艦長に昇進して自分の艦を持つようになり、地位が上がるについて彼らの関係も、提督と旗艦艦長、艦隊司令官と次席司令官へと変わっていきます。
責任を負うものが多くなると、個人の付き合いでは譲れたものが譲れなくなったり、仕事への姿勢の違いが一艦内では留まらず艦隊規模の命運を左右するようになったり、それが軋轢の原因にもなるわけです。
その彼らの30余年の人生航路を、読者もまた毎年1冊とか2冊とか、15年、20年かけて一緒に旅してくるわけです。

それが、例えばラミジ・シリーズにはない、ボライソー・シリーズの、大河小説の魅力だと思います。
オブライアンの邦訳は今がちょうど中間点の10巻ですが、ジャックもスティーブンもそろそろ中年の域にさしかかり、結婚もして落ち着いて(ん???)、プリングスも昇進して去っていくし、ちょっと変わり始めましたよね。

11巻以降は私も未読なのでわかりませんが、ジャックもいずれ司令官位に上がることになるようです。
この先20巻まで、1年1冊〜2冊で何年かかるのかわかりませんが、彼らの人生航路を、読者として共に辿っていけることを、楽しみにしています。


2007年05月19日(土)
マルタ(1)まえがき

マルタは、正式にはマルタ共和国。1964年に英連邦の中で独立して主権国家となった地中海の真ん中に浮かぶ島国。
9巻(上)P.6の地図をご参照ください。位置はイタリアの南、リビアの北、チュニジアの東、北緯36度は東京とほぼ同じものの、地中海性気候のためか冬でも暖かい。
1998年12月の旅行先にマルタを選んだ理由の一つはこれです。冬でも比較的暖かく、ぼーっと海を見ていられるところ。
冬の陽の長さは日本とほぼ同じで、冬のヨーロッパではお勧めの地ですが、夏はとても暑いらしいですよ。

マルタ、ゴゾ、コミノの3島と2つの無人島から成るひとつの国家ですが、ただし一番大きいマルタ島でも大きさは淡路島とほぼ同じ。人口は約39万人。
2004年にEUに加盟。

マルタ人は人種的にはセム系で、フェニキア人の末裔と言われています。黒い髪、黒い瞳、彫りの深い美男美女揃い。
マルタ語というのもセム系言語で、今でもマルタ人とレバノン人は互いの言葉で話が通じるそうです。
ところが、実際に現代のマルタ語を聞いていると、ぽこぽこ聞いたような単語が混じることに気づく。アラビア語、イタリア語(マルタ語で「ありがとう」は「グラッツィー」)、そして英語。
1804年〜1964年まで英国の支配下にあったため、今でも英語はよく通じます。ただしマルタ人の英語は…時々ちゃんぽんで、明らかに英語ではない単語が混じったり、

このマルタ語の変遷がそのまま、マルタの支配者の変遷と言えるでしょう。
地中海の要衝に位置するこの島は、古代から何度も歴史上の大事件に立会ってきました。それはある時は占領の歴史でもあったけれど、マルタの人々はあくまでも誇り高く毅然と、ある時は占領者と戦い、またある時は進んで迎え入れ、共に繁栄を謳歌する道を選んだ。

マルタの先史時代には、ブルターニュやイギリス、アイルランドにも共通するドルメンという巨石遺跡が存在しますが、この遺跡を残した謎の民族については、アイルランド同様よくわからず。
現在のセム系マルタ人たちの住む島として、歴史書にその名が記されるのは、紀元前700年ごろから。
当時フェニキアの地中海貿易の要衝だったマルタは、続いてカルタゴの支配を受け、第二次ポエニ戦争でカルタゴがローマに破れると、ローマ帝国に併合されました。

【先史時代の遺跡:ハジャール・キム】


ローマ帝国の分裂後は東ローマ(ビザンチン)帝国に属しましたが、870年チュニジアのアグラブ朝の侵略によりアラブの支配下に入ります。
1048年に再び東ローマが島を奪還したものの、アラブ人の反乱が起こり、支配は安定しません。
1194年に神聖ローマ帝国がシチリア島とマルタ島を併合することになり、さらに1266年にはアンジュー王国(フランス)に継承され、1282年からはアラゴン王国(スペイン)の支配を受けることに。
その後1530年、スペイン国王カルロス一世(神聖ローマ皇帝でもあった)がこの島を聖ヨハネ騎士団に譲り渡したことから、この島は「マルタ騎士団」の島として世界史に名を残すことになりました。

【ムディナ大聖堂:今でも騎士団の定例集会が開催されている】

私が旅行先にマルタを選んだ理由の第二はこれ。
以前にギリシャのロードス島で聖ヨハネ騎士団の城塞を見たことがあり、騎士団がロードスを追われた後に移り住んだマルタにも行ってみたいと思ったのです。

そして第三の理由は、これは理由と言うより私を最終的にその気にさせた勢いみたいなものですが、アレクサンダー・ケントの海洋小説、ボライソー・シリーズの24巻でした。英国ではこの年1998年5月「Sword of Honour」(邦題「提督ボライソーの最期」2000年11月刊)が出版され、リチャード・ボライソーは地中海で59才の生涯を終えました。
翻訳を待ちきれない私は、新刊を原書で手に入れていて、この最終巻を英国で友人に買ってきてもらったのがこの年の9月。これを機に「姿なき宿敵」以降を読み返し、頭がもうボライソーで一杯。勢いで「地中海に行くならこの12月しかないっ!」という結論に至ってしまったという次第なのです。

マルタはリチャードが最後に出航した港であり、彼はそのまま帰らずスペイン沖の地中海に水葬されたことになっています。
このシリーズと私は、人生において最も長き…この時点で15年…にわたりお付き合いしていて、ここまで付き合うとさすがに、たとえフィクション小説の登場人物たちでも他人ではないような気分になってしまいまして、
私なりに、現地に行ってお別れ会のような区切りをつけたいという気持ちになりました。

…と書くと私がリチャードに惚れてたみたいに思われるでしょうけど、好きだったのは彼本人というよりボライソー・ファミリーと呼ばれる、彼を中心とした部下たちの一団です。
リチャードは、まぁ一部の女性の目には魅力的かもしれないのですが、安定志向の私から見るとちょっと危険な要素のある男で、私のタイプではないわねぇ。
上司として見る分には、リチャードはとことん現場の人で行動の人、部下思いだし、この人の下で働いたら大変だけど面白いだろうなぁと思います…ただしリチャードの「現場」は「戦場」なので…まぁちょっと、部下やってると命が足りなくなる可能性があるかもしれませんけど。

オーブリー&マチュリン・シリーズについては、1998年のこの時点ではまだ徳間からの最初の2巻しか発売されておらず(私が9巻を読んだのは2003年)、ジャック達がメノルカ島あたりをうろうろしていたのは知っていましたが、いずれマルタ島に来ることになるとは思いませんでした。
…と言っても、島に残る海軍関係の史跡はたいてい共通していますし、9巻読んでいると何処がどこだか見当はつくので、楽しませていただいています。
マルタと言えば、他にC・S・フォレスターなどが書いた第二次大戦を舞台にした小説が、当時いくつか出版されていて、これらは旅行前にひととおり目を通してから、この島にやってきました。

英国海軍はナポレオン戦争のこの時代に、それまでジプラルタルに置いていた地中海艦隊司令部をこの島に移動しました。
第一次大戦、第二次大戦を経てマルタが共和国として独立した後も、1972年までこの島は、英国海軍の基地の島であり続けました。
島内の海事博物館、戦争博物館には、海軍関係の多くの資料が展示されています。

帰国してから、「マルタ旅行記」というコピー冊子をまとめました。
今回はこの1998年マルタ旅行記から、英国海軍に関するもののみを抜粋して、一部改稿、解説の追加を含め、数回に分けてご紹介します。
カラー写真も今回は山ほど掲載できますね(昔はカラーコピーが高かったので写真は白黒でした)。
新規蔵出しの写真もありますので、以前の冊子をお持ちの方も、新たに楽しんでいただけると思います。


2007年05月18日(金)
横須賀帆船パレード

言って参りました! 横須賀帆船パレード。
観音崎の灯台下から見ていました。
良いお天気、青い海、総展帆!



思わず「出た〜」とか叫んでしまいました。最初に登場は日本丸。
岬の陰からしずしずと現れると、もうそれだけで嬉しくなってしまいまいます。
そして、


海王丸、総展帆ですよ。
今まで海上を航行する帆船は何度か見に行きましたが、総展帆で航行する姿を見たのは、生まれて初めてだったりします。
東京港、大阪港、横浜港いずれも操船海域が狭いので総展帆には出来ないという事情があって、
横須賀は東京湾の湾口に近いとは言っても浦賀水道が近いから、展帆は無理だと思っていたのですが、
これが見られるとは思いませんでした。
これが見られただけでも横須賀まで行った甲斐がありました。



大阪からはるばる「あこがれ」。



3隻ですけど、ちょっとした艦隊に見えません?
ちょっとだけジェフ・ハントの表紙挿画…これが現代の東京湾だというところが感激。
日本丸がもう帆を巻き上げているのがおわかりでしょうか?
これは猿島沖から浦賀に引き返してくる復路、これは逆風になるようです。


海王丸も横帆は全て絞ってジブとガフのみで航行しています。

往路の海王丸は、エンジンを使用せず完全に帆走していたように、観音崎からは見えましたが、実際はどうだったのでしょうか?
うーんでもやはり、帆船はスローペースですね。
途中、自衛隊の護衛艦(143 ヘリコプター護衛艦 しらね)とすれ違っていましたが、護衛艦もかなり徐行ならぬ徐航していたけれど速度が格段に違って、これが帆船時代と現代の差なのかしら…と思いました。


2007年05月12日(土)
オブライアン9巻、発売されました

パトリック・オブライアン著オーブリー&マチュリン・シリーズ9巻
「灼熱の罠、紅海遙かなり」(上)(下)ハヤカワNV1141&1142
5月10日新刊で店頭に並んでおります。
翻訳は高津幸枝氏。

昨日19:30の品川、駅構内のBook Gardenには見当たらず、やはり今日発売ではなかったのかしら?と思いながら、Wing高輪のくまざわ書店をのぞいたところ、あと1セットしか残っていなくて焦りました。
入荷数が少なかったのでしょうか?
Book Gardenのハヤカワ文庫新刊平積みにぽっかり空いていた穴は、やっぱりオブライアンだったの???まさかね。

9巻の表紙挿画は、夜のマルタ島グランドハーバー。
雲に隠れた月の下に位置する城塞が聖アンジェロ砦、英国海軍がマルタで一番最初に海軍司令部を置いた建物です。

左の写真の中央ですね。
この写真は1998年に撮影したものなのですが、このあたりは200年前と全く変わりません。
表紙挿画はこの写真と真逆の方向から見ていることになるのか? それとも写真左手奥から見ているのか、どちらかでしょう。

物語の冒頭の舞台となるサールズ・ホテルが対岸のどのあたりに位置するのかはわかりませんが、この写真を撮った場所からそう離れてはいない筈です。
これが、上巻P.18に言う「サファイア・ブルーのグランド・ハーバー」、9巻冒頭にジャックたちが見ていた光景です。

ねたばれ防止のためにしばらく時間を置きますが、この機会に、写真をとりまぜマルタの海軍史跡など、ご紹介させていただければと思います。

まずは9巻を思う存分、お楽しみくださいますよう。


2007年05月11日(金)
【至急訂正】13日の横須賀セイルドリル会場

先週5日にご紹介した5月12-13日横須賀の帆船イベントですが、下記HPにもう少し詳細な予定が掲載されています。
横須賀市観光オフィシャルサイト
http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/cocoyoko/event/070512kanrin/index.html

で、ここに1つ大問題が! 

13日のセイルドリル会場が「浦賀港 東岸壁」となっています。
先日ご紹介したHPでは、横須賀港東岸壁でした。
調べてみると横須賀港には東岸壁がなくて、「浦賀港」が正解のようです。
横須賀と浦賀では下車駅が全く違いますので、ご注意ください。

それで問題の「東岸壁」への行き方なのですが、
これがちょっとわかりにくくて、実は浦賀港の東岸壁は、住友重機械工業浦賀工場の敷地内に位置します。

下記の地図の,浦賀工場の浦賀ドック。東岸壁に行くには工場内に入らなければなりません。
浦賀散策マップ http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/uragaws/uragamap.html

浦賀工場内の案内図、帆船の停泊位置などは下記をご参照ください。
浦賀工場内会場マップ
このフェスタは何年か前に訪れたことがあるのですが、その時は西通勤門から工場内に入れました。東通勤門も開いているようですが、西通勤門ががメイン入口になるようです。

今回の情報検索に関しては、Kさんに大変お世話になりました。
本当にありがとうございました。


2007年05月09日(水)
ロンドン古地図

米国ノートン社のオブライアン・フォーラム(掲示板)に、ロンドンの古地図に関する書き込みがありました。
面白かったので、URLをご紹介します。
http://www.wwnorton.com/cgi-bin/ceilidh.exe/forums/POB/?C350e5a913KHc-6309-843+1e.htm

この書き込みには、当時のロンドン古地図が貼り込まれているのですが、今よりもはるかに市街地が狭いのがわかります。
現在の地下鉄環状線より外はもう町の外というか、
私は江戸の古地図なども好きなので、このようなものを見ているのが楽しいのですが、同好の方はいらっしゃるでしょうか?


2007年05月06日(日)
横須賀帆船パレード2007

ゴールデンウィークをいかがおすごしですか?
週が明けたら…木曜日10日は、オーブリー&マチュリン9巻の発売予定日です。
そして来週末は、神奈川県横須賀市で、帆船パレードが開催されます。
まだまだお楽しみは続きます。

海上を3隻もの帆船が同時に航行する機会は滅多にありませんので、私も来週は横須賀に行ってみようかと思います。
猿島か観音崎あたりに陣取ろうかと思っているのですけれども、
帆船パレードの詳細は下記の通り、

▲帆船パレード
 5月12日(土)12時〜14時30分頃(荒天のときは13日)
横須賀の海を舞台に、浦賀で建造された帆船3隻(「日本丸」、「海王丸」および
「あこがれ」)とヨットによる海上パレードを行います

場所:浦賀沖 → 観音崎 → 馬堀沖 → 猿島沖 → 浦賀沖 の往復コース
(荒天の場合は翌日順延)

▲帆船一般公開とセイルドリル(係留中に帆船の帆を広げるデモンストレーション)
 5月13日(日)一般公開は10時〜11時30分、
         セイルドリルは13時30分〜15時
場所:横須賀港東岸壁
(帆船パレードが順延のときは中止の場合あり)

詳細は下記HPをご覧ください。
http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/nagekomi/200704/n100001741.html
http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/hotline/tpx/t100021815.html


2007年05月05日(土)