Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
ダブリン大学トリニティ・カレッジ〔Ireland4〕
スティーブン・マチュリンはトリニティ・カレッジの出身と紹介されていますが、彼の卒業したトリニティ・カレッジは、正確にはダブリン大学トリニティ・カレッジ。 英国系の大学は、学部ではなく学寮(カレッジ)から構成される制度のため、トリニティという名称のカレッジは他の大学、例えばケンブリッジやオクスフォードにも存在します。
ダブリン大学トリニティ・カレッジ:キャンパス全体図と正面入口から入ったところ。
ダブリン大学トリニティ・カレッジは1592年創立の名門大学、ダブリンの市中心部に位置していますが、この大学が観光名所ともなっているのは、その図書館が所蔵する「ケルズの書」ゆえ。 古来最高の装飾写本と言われる「ケルズの書」は、9世紀初めにケルズの僧院で製作された聖書の写本。 ラテン語新約聖書の4つの福音書をアンシャル書体という独特の草書体で書写し、ほぼ全ての頁に色彩装飾を施したものです。
「ケルズの書」と図書館は写真撮影厳禁なのでこれはそのパンフレット。 世界各国からの観光客用に各国語が用意され、もちろん日本語パンフもあるのですが、繁体字中国語の方が何やら重々しくて似合いなのでこちらをご紹介。 凱爾思聖書=ケルズの書、都柏林學院圖書館=トリニティ・カレッジ図書館、です。
パンフレット右側の写真が図書館のロングルーム、ここも見学が可能です。 本好きの方であれば、ここは是非一度訪れてみられるべき場所かと。 写真の通り見渡す限り天井まで本が並んでいるのですが、この写真だけではどうにも伝わらない、その場に入ってみないと体感できない、独特の雰囲気がありまして。 古びた革装の本の独特の香りと、静寂と、見上げているとまるで叡智の水底にいるような不思議な感覚。
むかし東京の御茶ノ水に、背の高い本棚に専門書のみを取り扱った静かで落ち着いた雰囲気の本屋さんがあり、学生時代の友人がこの本屋さんを評して「ここに居ると、本の海の魚になったような気分になれるから好き」と言っていました。 このロングルームで突如、この古い記憶がいきなり蘇って、あの友人をここに連れてきたらきっと「深海魚になった気分」って言うだろうと。 この天井の高い高い本の海には、エリザベス朝の昔からの500年の叡智がたゆたっている。
例えば古い教会とか、日本でも古刹と呼ばれるような寺院には、独特の荘重な空気の重さがあると思うのですが、同じような質感と重量感がこの図書館にもあるように思います。
この図書館は1732年の建造ですから、マチュリンの時代には築50年ほどだったことになりますね。
この建物もマチュリンの時代からあったとされるもの。今でも十分に現役です。
もちろん今でもここは、アイルランドで一番の名門大学、日々現代の学生さんたちがキャンパスライフを送っているわけですが、
こういうのを見てしまうと親近感というか、学生部の掲示板って何処の国でも何時の時代でも変わらないのねぇと思います。このキタナさが(苦笑)。
2006年11月23日(木)
ハヤカワNV新刊は11月22日(水)発売
さぁて、皆さま> 今週末は待ちに待ったオブライアン8巻「封鎖艦、イオニア海へ」の発売でございます。 通常のNV発売日25日…は土曜日なので、 どうなるの?1日前倒しして24日?と思っていましたら、何と早川書房、有り難いことに2日前倒しの 11月22日(水)発売 となりました。訳は高津幸枝氏です。 思わず、23日の勤労感謝の日に感謝!ですわ。いやこれは、日頃の私たち働きバチへの勤労感謝のご褒美かも、ありがたく頂戴させていただきます。
イオニア海は、現在のイタリアとギリシャの間、アドリア海の南、シチリアの東、クレタの北西あたりの地中海のこと。 冬寒の近づいた日本を離れて、青い海と豊かな太陽に思いを馳せられるのはいかがでしょう? ウィークエンドの良い気分転換になることは確実かと。
ところで、このHPに直接の関係はないのですが、海外の映画ニュースを見ていたら、「おやおや?」というニュースがありました。 「シャドウ・ダイバー」という潜水艦サルベージを扱ったノンフィクション作品の映画化が以前から計画されていたのですが、この話、むかしこのHPでも一度触れたことがあるので、覚えていらっしゃる方があるかもしれません。
その時はリドリー・スコットがこのノンフィクションを監督するという話で、当時スコットはM&C続編の監督候補に名前が上がっていたのですが、「シャドウ・ダイバー」を手がけるのならM&Cは無理だろう…という話題の流れでこのHPでも取り上げたのでした。 ところがその後リドリー・スコットがこの作品の監督候補から消えて、代わりに浮上したのがなんと、M&Cのピーター・ウィアー。 詳しくはこちらのハリウッド・レポーター誌のニュース(英文)をご参照ください。 http://www.hollywoodreporter.com/hr/content_display/film/news/e3iPN7SZda%2BCnwMavXTUFjrgA%3D%3D
いや…いいんじゃない? むしろウィアーの方が渋くて面白い映画に仕上がると思うわ…と個人的には思いますが、 この映画って製作が20世紀FOXなんですよね。 あぁFOX、それをウィアーで製作するのなら、M&Cの続編を…ってやっぱり私などは思ってしまうんですけどね。
帆船関連と言えば、関東で土曜朝に日本テレビで放映されている「途中下車の旅」という番組をごぞんじですか? 11月11日放映の「横浜市営地下鉄沿線、途中下車の旅」で、突然、帆船模型製作では有名な白井一信氏の工房が登場しました。 と言っても実は私も、番組を見ていた母に「帆船模型やってるけど、この方知ってる?」と呼ばれまして、途中からTVを見たので実質1分ちょっとぐらいしか見ることができませんでした。 番組の詳細はこちら↓、
途中下車の旅 http://www.ntv.co.jp/burari/061111/1111housou2.html
下へスクロールして行って「上大岡」のところをご覧ください。 母いわく「番組のレポーターがペンギンを飼っている喫茶店に行くと、そこに帆船模型があって…」という流れらしいです。 ま、このあたりの出会いは演出なんでしょうけれど、でも ペンギンが走り回っていて、帆船模型のある喫茶店 …というのは、M&Cファンとしてはちょっと魅了的かも。
2006年11月19日(日)
3人のアイルランド人・後編〔Ireland3〕
アイルランド人にとっては全く不本意なことながら、ここ数十年のこの国をめぐるニュースで、海外にもっとも多く伝えられているのは、やはり一昔前の北アイルランドをめぐる争乱でしょう。 まだ海洋小説も冒険小説も知らなかった高校時代、私も、北アイルランド紛争というのは単純にカトリック(アイルランド)とプロテスタント(英国)の宗教対立なのだと思っていました。
アイルランドと英国の対立は単純に宗教の問題だけではなく、経済格差やその他複雑な事情が絡んでいる、という事を知ったのは大学に入ってから。 その他複雑な事情…については、ジャック・ヒギンズやパトリック・オブライアンなど娯楽アクションの形を借りた小説から得た知識も多いですね。 ヒギンズの「黒の狙撃者」(ハヤカワ文庫NV662)の中には、1798年反乱の指導者として処刑されたウルフ・トーンの話題が出てきますが、トーンは誰もが認める「アイルランドの偉大な愛国者」であるものの、実はプロテスタント。 エドワード・フィッツジェラルドを始めとする1798年反乱の指導者の多くは、実はプロテスタントなのです。
12世紀に英国から、ケルト人の国アイルランドに攻め込み支配階級となったフィッツジェラルド家などノルマン系移住者は、その後現地豪族(ケルト系)との婚姻などにより、急速に現地化していきます。 後を追って英国から入植したアングロ・サクソン系英国人もまた、次々とアイルランドに溶け込んで行きました。 危機感を感じた英国は、1367年にキルケニー法という法律を定め、英国からの入植者に対し「アイルランド語使用、姓名のゲール語使用、現地民族衣装着用」などを禁止しようとしましたが、実際に英国の支配権が及んでいたのは、ペイルと呼ばれた特別区や城壁に囲まれた町中のみでした。
今回の旅行で手に入れたディロン家の家系プレートによれば、ディロン家の先祖が英国からアイルランドに入植したのは約800年前の13世紀。 その後キルケニーなどを中心に現地に溶け込み、一族の勢力は次々と広がっていきました。 土着し繁栄したアングロ・サクソン系アイルランド人の代表的な一族です。
16世紀、宗教改革を断行し(その理由はともあれ)ローマ教皇と縁を切った英国国王ヘンリー八世は、これによりアイルランド王の称号をも手に入れ、英国法においてアイルランドは英国の従属国になりました。 この結果アイルランドに住む人々は、もとからのケルト系も、ノルマン系支配階級も、土着化した英国人(アングロ・アイリッシュ)も、等しく英国法に支配されることになり、アイルランド住人の英国への反逆行為は反乱と見なされることになりました。 その一方で、ローマ教皇庁の権威に反発するアイルランド領主の中には、英国国教会を設立したヘンリー八世にならいカトリックを捨てる動きもありました。
続くエリザベス一世からジェイムズ一世の時代、アイルランドでは時に苛烈な英国支配に対して地元豪族の反乱が相次ぎ、もっとも頑強に抵抗した北アイルランドのアルスター6州は、反乱鎮圧後に英国王の所領として没収され、ここには新たにスコットランドから多くのプロテスタントが入植しました。 これが現在に至る北アイルランド問題の始まりなのですが、この時期以降に英国からアイルランドに入植した英国人は「ニュー・イングリッシュ」と呼ばれ、ディロン家のような以前からのアングロ・サクソン系入植者(オールド・イングリッシュ)と区別されています。
というわけで、18世紀後半マチュリンやディロンが生きた時代のアイルランドには、もとからのケルト系、土着したノルマン系、初期入植者オールド・イングリッシュ、プロテスタントのニュー・イングリッシュの大まかに言えば4種類のアイルランド人がいて、ノルマン系やオールド・イングリッシュの中にはプロテスタントもいれば昔ながらのカトリックもいるという状況。 オブライアンの1巻「新鋭艦長、戦乱の海へ」(上)P.288-89にかけてのマチュリンとディロンの会話の中で、マチュリンが、 「(ディロンの)ご家族で何人かはもちろんそう(カトリック)だと思っていたが」と言っているのは、このような状況をさしているものと思われます。
また18世紀後半は、カトリックにも少しずつ社会参加の道が開かれていく過渡期でもありました。 マチュリンは当時のアイルランド最高学府、ダブリンのトリニティ・カレッジの出身ですが、この名門大学がプロテスタント以外の学生を受け入れるようになったのは、1772年のことです。 1774年以降はカトリックにも官吏や軍の士官など公職への道が開かれましたが、これにはプロテスタント並の英国への忠誠誓約が求められました。 この宣誓文の中には、厳格なカトリックには抵抗のある一文が含まれていたようで、マチュリンがディロンに「あの宣誓のために君の立場が難しくなったことは?」と尋ね、ディロンが「それは少しもない。カトリックに関する限り、俺の心は気楽だ」と返したのを受けて「それは君自身の問題だね」と答えている背景には、このあたりの事情があるようです。
と言っても18世紀はまだ、国会議員や軍の高官などの職はプロテスタントに制限されていました。 フィッツジェラルド家が議会に席を持っていたということは、このノルマン・アイリッシュの家がこの時代までにプロテスタントになっていたことを意味します。
宗教によるこの差別が完全に廃止されたのは1829年。 ウェリントン内閣がカトリック解放令を可決し、英国からは宗教による人種差別が撤廃されました。
ディロン家の家系プレートには、紋章ととにに、モットー(家訓)も記されています。 「While I have breath, I hope.」 息をしている限り、私は希望を持ち続ける。
アイルランド各地に広がり繁栄しながらも、度重なる反乱の失敗から多くの城を失い、クロムウェルのアイルランド進攻時には激しく抵抗したディロン一族。 アメリカ独立戦争時には、独立軍を支援し指揮した将軍もいたとか。 その一族の歴史を思う時、ある意味壮絶なこの家訓は、忘れられない言葉として心に残ります。
この項はアイルランドで購入した家系プレートをメインに以下の2冊を参考文献として解説を加えました。 「アイルランド史入門」シェイマス・マコール/小野修 編、明石書店 「概説イギリス史」青山吉信、今井宏 編、有斐閣選書
2006年11月05日(日)
アイリス・マードックと、P・オブライアン
火曜日(31日) のNHK BS洋画劇場は「アイリス」でした。 2002年のアカデミー賞を「ビューティフル・マインド」と争った英国作品、言葉を操る作家でありながら認知症になり、その言葉を失っていく実在の作家アイリス・マードック(ジュディ・デンチ)と、見守り支えた夫ジョンの物語。ジョンを演じたジム・ブロードベントがアカデミー助演男優賞を受賞しています。 東京では銀座の単館上映で忙しい時期に当たったために見に行くことができず、私はこの放映を楽しみにしていたのですが、
この映画、始めに方に「あの」コクゾウムシの話が出てくるんですね。 「あの」と言うのは、ジャックがスティーブンを引っかけた「あのコクゾウムシ」ですよ。
アイリスがまだ病に冒される前のエピソード。仲良くスーパーに買い物に行った老夫婦は、購入したシリアルからコクゾウムシが出たことから言葉遊びを始める。 「2匹いるぞ。どっちを選ぶ?」とジョンが尋ねると、 「大きい方よ」とアイリス。 「違うな、海軍の伝統では、」と言いかけるジョンを遮って、アイリスが 「パトリック・オブライアンの小説では、コクゾウムシはムシられることになっているのよ」
録画していたわけではないので、記憶ちょっと不確かかもしれませんけど、「ムシられる」の字幕だけは確か。 「ほ〜お、こう訳すわけね」と思ったので。
原語のセリフを確認しようと、オブライアン・フォーラム(Gunroom)の過去ログを検索したのですが見つけられず、 でも何故アイリスがオブライアンに詳しかったかはわかりました。
アイリス・マードックとパトリック・オブライアンは同じ仲間内のサークルに所属していて交流があったそうです。 このサークルはおそらくは文学サークルと推察しますが、であれば文芸評論家である夫のジョンも一緒だったことでしょう。
余談ながらこの映画で、アイリスの若い頃(ケイト・ウィンスレットが演じています)のジョンの恋敵モーリスを演じていたのは「ホーンブロワー」の赤海老エドリントン卿ことサミュエル・ウェストでしたが、年老いたアイリス・ジョン夫妻が再会する年老いたモーリスを演じたのは、サミュエルの実父のティモシー・ウェストだったそうです。
この年のアカデミー賞を争った「アイリス」と「ビューティフル…」は、はからずも共通のテーマを持っていました。「壊れていく連れ合いとそれを見守り支える夫(もしくは妻)」。 助演女優賞だったジェニファー・コネリーは精神を病んだ夫(ラッセル・クロウ)を支える妻役でしたし、これってこの年の助演賞のキーワードだったのでしょうか?
どちらの映画にも私は泣かされましたが、「アイリス」のそれは「ビューティフル…」とは異なり、中からしんみり湧き上がってくる涙で、感情的に揺さぶられて出てきた涙ではない。 「ビューティフル…」という映画は、いわゆるハリウッド映画の方程式からは少しはずれていると今までは思っていたのですが、 このように比較してみると、「ビューティフル…」って、 脚本上の工夫からわかりやすく出来ているし、サスペンス・タッチの娯楽作品らしさもあるし(エド・ハリスとポール・ベタニーの熱演で:笑)、最後は感情的に観客を揺さぶって泣かせるし、 やっぱりハリウッド映画なんだなぁと改めて認識した次第。
それで、ちょっと話がずれるのですが、 水曜日(1日)、いまちょっと評判の日本映画「フラガール」を見てきました。 久々に「良い映画を見たなぁ」という感想で、これは是非おすすめ。 映画の舞台は昭和40年の常磐炭坑、もはや石炭の時代は終わり、閉山は目の前、鉱夫は次々と解雇されていく…その中で、炭鉱労働者の再就職先として、豊富な温泉を活かした日本のハワイ「常磐ハワイアンセンター」を福島に建設しようという動きが。 時代の変化に揺さぶられる炭坑町と、そこに生きる様々な立場の人々の人間模様。
この映画の解説パンフに「これはアメリカ映画テイスト」の作品…とあったのですが、私はちょっと首をひねってしまって、 前日に「アイリス」を見たばかりだから余計にそう思ってしまったのかもしれませんが、これってむしろ英国映画テイスト? パンフに引用されていたのアメリカ映画は「遠い空の向こうに」。ウェストバージニアの炭坑町を舞台に、主人公の少年がまだ10台だったジェイク・ギレンホール、頑固なその父をクリス・クーパー。 私これでクリス・クーパーのファンになって、DVDも購入したんですけど、確かにアメリカ映画にしては地味な作品ではありますが、 でも「フラガール」はこの「遠い空の向こうに」というよりはむしろ、英国映画の「リトル・ダンサー」(これもやはり炭坑町が舞台)じゃないの?と、私は思うわけなんですが。
「フラガール」って、泣かせと笑いの誘導がアメリカ映画的じゃないんですよね。前日に「アイリス」を見たばかりだったからそう感じたのかもしれませんけれど、 この映画は感情を揺さぶられてストレートに泣かされたり、いかにもお笑いなやりとりで笑わされるのではなく、じわっと湧き上がってくるもので泣いてしまったり、登場人物が真剣であればあるほど、その中にある滑稽さでくすっと笑わされてしまう作品。
これをイギリス映画的であるという結論に持って行くのはちょっと飛躍しすぎな気がするので、断言はしませんが、 「フラガール」は日本映画、それも最近の日本映画にしては珍しい作りだと思います。 最近の大ヒット・メジャー日本映画はストレートな泣かせや大げさなお笑いが多いから。
2006年11月04日(土)
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