Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
本年もありがとうございました
今年も当サイトをご訪問いただきありがとうございました。 M&C放映の2004年、トラファルガー200年の2005年も終わり、今年2006年は落ち着きを取り戻した年になったかと思います。 それでも見回せば、新たにこのサイトをご訪問いただいた方もあり、2004-05年の一山を越した後も、海洋小説好きの方の数はM&C公開前の2003年より増えて定着しているのが、私もファンの一人ではありますが、嬉しかったりします。
今年を振り返って、翻訳小説ファンとして大変残念なことは、菊池光氏、浅羽莢子氏という、品格のある美しい日本語をお持ちだった翻訳者お二人が鬼籍に入られたことです。 菊池氏は、海洋小説ファンにとってはホーンブロワーの翻訳者ですが、ディック・フランシスやロバート・B・パーカーのファンの方もこの方なくしては考えられないと仰ることでしょう。 個人的には、私は菊池氏の文体を端正な日本語だと感じていました。隙の無い、流れるようでいて堅さの失われない文体が、英国紳士や士官の品格を象徴しているようで。 浅羽氏は数多くのミステリー作品も訳していらっしゃいますが、私にとってはやはりファンタジー翻訳の印象が深く刻まれています。 タニス・リーの美麗な世界を、ここまで日本語で端麗に再現できるのだと、形容詞の豊かさにため息をついておりました。 翻訳というのは職人芸なのだと、つくづく思う次第です。
さて、年が変わりますと、銀座伊東屋の帆船模型展、1月5日からミステリ・チャンネルで「シャープ」の新作(昨年英国で放映されたもの)放映とイベントが続きます。 これら詳細は年が改まりましてから。
本年もいろいろとお世話になりましてありがとうございました。 新しい年もよろしくお願い申し上げます。
2006年12月31日(日)
麦の穂を揺らす風
秋以降なかなか時間がとれなくて、良い映画を次々と見送っているのですが、これだけは何とか時間の都合つけて行こうと思ってました。 無理矢理でも行って良かった。さすが今年のカンヌ映画祭のパルムドール。 もう12月もこの時期ですから、これを2006年のベスト映画と評しても良いでしょう。 夏にアイルランドに行ったばかりだから興味があった、というのもありますが、この映画は誰もが指摘する通り、アイルランドと英国の問題ではなく、世界中のあらゆる国のあらゆる人々に、おそらくはイラクで今なお血を流し続ける人々にも当て嵌まる、普遍的な問題提起なのだと思います。
公開後3週間以上たっているので、以下多少のねたばれを致します。
見終わったあと絶望感に突き落とされるとか、けっこう打ちのめされるとかいうレビューを読んでいたので、週始めの月曜に行くのはどうか?と思っていましたが、私感としては「後味は悪くない」ラストだったと思います。 確かに遺された家族がこれから抱えていく心の傷を思えば、やりきれない気持ちになるのですが、でも、人間の尊厳と愛は、確としたものが最後に残るでしょう?
最後の最後まで彼ら兄弟はお互いを思い合っていたし完全に理解しあっていたのだと思います。 兄も弟も、最後まで信念を曲げることはなく責任からも逃げない、その価値観と性格は本当に兄弟良く似ていますし、仮に二人の立場が逆だったとしても全く同じ選択をすることは、お互いに良くわかっていたでしょう。 この映画は悲劇かもしれないけれども、それでも最後の最後まで家族愛や兄弟愛は裏切られない…だからこその悲劇で、やりきれない気持ちになる方も多いとは思います。 それでも、物語のその先まで続いて行く家族愛を思うとき、人間に絶望することだけは無い。それがある意味での「救い」であると私は思うのですが、いかがでしょうか?
平和ボケしていると言われる日本人の一人として育った私には、世の中わからないことが沢山あります。 たとえば先日のコトルの記事で触れたユーゴスラビアの内戦もそうですが、90年代のアフガニスタンも、わかりませんでしたね。 第二次大戦後の日本の雰囲気で言えば、戦争を経験した人々は「もう戦争なんてこりごり」になるものではないかと思ってましたので、「せっかくソ連軍を追い出したというのに今度は自分たちで内戦を始めるなんて、いったいどうして」と。
英国からの独立をめざして武力蜂起し、イギリス・アイルランド条約によって不完全ながら自治領としての自由と自立を勝ち取ったアイルランド。 けれどもその後、完全なる独立を求める条約反対派と、第一歩としての現状を確保しようとする条約賛成派の間の対立は、武力衝突・内戦へと突入します。 その過程をこの映画は、南部の港町コークの義勇軍とその中心的存在だった兄弟を主人公に描いているのですが、 彼らのやりとりを、メンバー一人一人の発言や言動を丹念に聞いていくと、あの悲惨な独立蜂起の戦いの後に、なぜまた今度は仲間同士で内戦を戦わなければならないことになったのか、主義実現の手段として武力(戦争)を選んでしまうのか、を納得する形で理解することができます。 仲間の命を犠牲にして勝ち得た自由だからこそ、完全な形をめざしたい、もしくは今えた現状の自由を守りたい、どちらもその理由は、この自由には仲間の命という重い価値が伴っていることをよく承知しているから。
これは戦後日本に育った女性の「感想」として聞いていただきたいのですが、 結局、血であがなった自由は、血を求めてしまうのではないか? 失われた命の価値をかけて、さらなる自由を求め、もしくは自由を守ろうとするものは、それゆえに次の命の代償を呼び込む。 彼ら兄弟とて、失った仲間たちのことを自分たちの払った犠牲のことを思わなければ、あそこまで次の自由にこだわり、後に引けず、追いつめられることもなかったのではないかと。 …これがこの映画の伝えるメッセージの、正しい受け取り方なのかどうか、私には自信がありませんが。
彼らの仲間うちにリリーという女性判事がいるのですが、私はリリーのあり方、武力ではなくあくまで法の遵守でものごとを解決しようという彼女の主張に一番共感できます。 その選択は独立を遅らせ、回り道になる手段かもしれないけれども。 結論として、「武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」という日本の憲法は正しいのではないか? 国際紛争だけではなく、このアイルランド内戦に様な場合でも、これは言えるのではないか? という自己肯定の結論になるところが、所詮は私も日本人なのか?
この映画、映像がとてもとても綺麗です。 曇天のアイルランドのやわらかい幽玄な光と美しい自然、 「麦の穂を揺らす風」というのは、アイルランドの古謡からとられています。 あの1798年反乱に武器を手に加わった一人の若者の心を歌った歌だそうです。
2006年12月28日(木)
イオニア海にクタリを探して(後編)…は実はアドリア海
コトルは、現在のモンテネグロに位置するアドリア海の港町です。 英語表記はKotor、イタリア語でCottaro。
実はこの町を旅行された方があって、表記について教えていただくとともに、旅行記にリンク許可をいただきました。 かおるさん>ありがとうございます。
コトルというのはこのような町です。旅行記ご参照ください。 http://tabitora.3.pro.tok2.com/tabinikki/adriatic/adriatic6.htm かおるさんのHP「旅はとらぶる・トラバーユ」トップページはこちら http://tabitora.3.pro.tok2.com/
コトルは、古くはローマ帝国の港町。中世においては様々な民族の支配下に置かれます。 9世紀半ばには回教徒の支配下に、1002年にはブルガリア帝国に占領され、その後セルビアに割譲。 けれども町の住民は支配者に叛旗をひるがえし、北に位置する港町ラグーサ(現在のドブロニーク)と力をあわせ、一旦は独立共和国の地位を確立しました。が、1185年にセルビア公国の支配を平和裡に受け入れ、以後商業都市として栄えました。
これはアドリア海の対岸に位置するもうひとつの商業都市ヴェネチアには脅威でした。 セルビア公国の力が衰えた14世紀末以降、庇護者を失ったコトルは、ヴェネチアの支配に屈することになります。
そのヴェネチアも1797年にナポレオンの手に落ち、カンポ・フォルミオ条約でフランスは、ヴェネチアの勢力圏をオーストリアと折半することになりました。 イオニア海のコルフ島はこの時フランス領となります。コトルはこの時点ではオーストリア側に残りましたが、1805年のプレスブルグ条約でフランスのものとなり、町にはフランス軍が駐留するようになりました。
M&C8巻だけを読んでいると、コルフ島を奪還できない英国の勢力圏は、アドリア海の入口であるイオニア海を最前線としているように思えてしまいますが、ジャックの大砲陸揚げ作戦のモデルとなったバカンティ号のホステ艦長の戦歴を読むと、英国海軍は1812年以前にもアドリア海の最深部まで艦船を派遣し、大暴れしていたことがわかります。
英国海軍の38門フリゲート艦バカンティ号の(サー)・ウィリアム・ホステ艦長は、1780年生まれ。ということはアダム・ボライソーと同い年になりますが、調べていくと似たような経歴をたどって面白い。コトル大砲陸揚げ作戦当時、ホステは32才の勅任艦長でした。 ネルソン提督と同じノーフォーク出身で、艦長時代のネルソンに候補生として仕えたことから、ホステの経歴は様々な記録に残されているようです。 もっとも有名なのは、1811年アドリア海の現在のクロアチア沖で、フリゲート4隻で7隻のフランス・ヴェネチア艦隊を撃破したリッサの海戦でしょう。
1812年、38門の新造フリゲート艦バカンティ号を与えられたホステは再び地中海に戻ります。 この時のツーロン封鎖艦隊の司令官はあのペリュー提督でした。彼の命でホステはアドリア海に派遣されることに。 アドリア海ではフリーマントル提督の艦隊がヴェネチア封鎖その他フランス軍に対して様々な破壊工作を行っていました。
翌1813年、オーストリアはフランスに宣戦布告し、これに呼応すべくアドリア海東部のクロアチア人たちも立ち上がりました。 フランス軍は追いつめられコトルとラグーサ(現ドブロニーク)の町に立てこもります。 秋10月、コトル郊外のクロアチア人が蜂起したとの報を受け、フリーマントル提督はバカンティ号とサラセン号をコトルに派遣、ホステ艦長はバカンティ号の備砲(18ポンド)砲を陸揚げし、コトルの背後の丘(高さ3,000フィートですから約100m)に据え付けます。 バカンティ号自身も沖から32ポンド砲と18ポンド砲で攻撃を開始し、1814年1月にコトルは陥落します。 これが8巻のモデルとなった実際のアドリア海での攻防です。
ジャックとサプライズ号が大砲を陸揚げした8巻のクタリと、ホステ艦長とバカンティ号が活躍した実在の町コトルとの一番の違いは、オスマン・トルコが絡んでこないところでしょうか? オブライアンの小説の場合は、このオリエンタルな味付けが、物語の魅力ともなっているのですが。
さて、1815年のウィーン会議後、コトルはオーストリア・ハンガリー帝国の一部に、第一次大戦後にセルビア・クロアチア・スロベニア王国として独立、第二次大戦後ユーゴスラビア連邦共和国の一部となりました。 ユーゴスラビア内戦後の各共和国独立後は、モンテネグロ共和国に属します。 現在のコトル住民の民族構成は、モンテネグロ人47%、セルビア人30%、クロアチア人8%。他に少数民族としてムスリム、アルバニア人、ボスニア人など。住民の78%が東方正教会、13%がカトリックとのこと。 バカンティ号活躍の時代には多数派だったクロアチア人の比率が減っていますね。どのような事情があったのかはわかりませんが。
すぐ北に位置するクロアチアのドブロニークと異なり、調べた限りではコトルは、つい先日のユーゴスラビア内戦時、直接の戦闘には巻き込まれていないようです(確認はとれていませんが)。 が、あの当時盛んにニュースに流れたエスニック・クレンジング(民族浄化)という言葉を思い出すと、 国連という調停機能や国際世論の無かった、力だけが支配する19世紀はじめ(と言ってもM&Cの時代はたかだか200年前なのですが)、フランス、イギリス、トルコの綱引きという世界情勢の荒波に怯えながら、クタリという架空の町に暮らす人々の様子も、遠い昔の歴史ではないな…と。 一つ事あれば民族の異なる隣人が敵となる状況の背景はこういうことなのかなぁと。 クタリの町の描写を読みながら、考えこんでしまいました。
参考HPは下記の通りです。 Gunroom(ホステ艦長とバカンティ号について) http://mat.gsia.cmu.edu/POB/JUN0802/0399.html http://mat.gsia.cmu.edu/POB/DEC2804/1233.html
Ships of the Old Navy (HOME):BacchanteとAmphionの項参照 http://www.cronab.demon.co.uk/INTRO.HTM
Kotor http://en.wikipedia.org/wiki/Kotor
Corfu http://en.wikipedia.org/wiki/Corfu
ホステ艦長とバカンティ号の発音は只野さんに調べていただきました。ありがとうございます。
2006年12月24日(日)
クリスマスの当直士官
明日はクリスマス・イブですね。 今年はたまたまお休みですが、いつもであれば通常通り出勤しています。 日本はキリスト教国ではありませんし、クリスマスに大忙しなのは御菓子屋さんやレストランばかりなり…ですが、欧米ではそうも行かないようです。 泣く子もだまるNORAD(ノーラッド:北米航空宇宙防衛司令部)もこの日は朝から大忙しなのだとか。 御存じの方も多いと思いますが、
NORADサンタ追跡プログラム(日本語ページ) http://www.noradsanta.org/jp/default.php
>サンタさんが出発したのをレーダーが捉えた瞬間から、 >私たちは北米に向けて発射される恐れのあるミサイルの警告に使用するものと >同じサテライトを使い始めます。 >ロケットやミサイルが発射されるとき、サテライトがその熱を感知することができるほどの、 >ものすごい量の熱が放出されます。 >ルドルフの鼻は、ミサイルが発射されるときに放出するものに似た赤外線を放ちます。 >サテライトは、問題無くルドルフの真っ赤な鼻を感知できます。 >ノーラッドは、何年にも及ぶ経験のおかげで、北米にやってくる航空機の追跡、 >世界中で発射されるミサイルの探知、 >またルドルフのおかげでサンタさんの追跡がうまくできるようになりました。
サテライトというのは静止軌道衛星の、ルドルフというのは赤鼻のトナカイのことです。 こんなこと真面目にHPで説明されてしまうといったいどうしようかと。
つねづね感心するのは、この冗句を許してしまう欧米のユーモア感覚で。 イオニア海にオフィーリア(でしたっけ?)が必要なように、 シャイアン・マウンテン(司令部の所在地)の地下深くにもサンタさんが必要なのか? でもこんなこと、日本や中国でやろうとしたら「不真面目だ!」と非難轟々は明かですし。 HP読んでいるとどうやらジェット戦闘機まで明日はサンタ迎撃に発進するようですが、その燃料代は血税だ!と怒る人は…いないんでしょうねきっと。
2006年12月23日(土)
イオニア海にクタリを探して(前編)
11月末に発売されたオーブリー&マチュリン8巻「封鎖艦、イオニア海へ」 そろそろ皆様も読了されましたでしょうか?
私はこの巻、大好きなんですよ。 海洋小説としてどうこうではなく、シリーズの1冊として一番好き! 海洋小説の出来として一番のおすすめは、5巻「囚人護送艦、流刑大陸へ」なのですけれども。
8巻はジャックが気心の知れた連中と、気心の知れた艦で航海に出る…これが長年シリーズに親しんできた読者として何より嬉しい。 プリングスは有能な副長だし、マウアットは相変わらずで、バビントンはちょっと困ったちゃんだし、キリックは艦長にガミガミ文句を言って、ボンデンは船乗りらしくないドクターに本気で怒ってしまう。
私はアレクサンダー・ケントのボライソー・シリーズも、昔の部下たちやファラロープ号が戻ってくる13,14巻や、将官としてハイペリオン号に戻る17巻が「好き」なのです。 でもこちらも、海洋小説として一番よくできているのはそれらの巻ではなく、4巻の「栄光への航海」だと思っていますが。
つまりは、単独の小説として読むには、人間関係に軋轢があり厄介な艦を扱うM&C5巻やボライソー4巻の方がドラマとして面白いけれども、シリーズもの面白さはこれとは別にあり、登場人物たちの魅力で読むキャラクター小説としては8巻などが優れているということになるのでしょうか?
私にとってM&C8巻のもう一つの魅力は、舞台となる地中海沿岸の港町です。 オブライアンは過去の土地を活き活きと描くのは本当に上手いですよね。 シリーズ登場は3回目になる筈のメノルカ島…支配者が代わり10年ひと昔となった過去と現在の違いが空気として感じとれます。 もともと地中海沿岸の港町や島々は、古代から何回となく支配者の変わる歴史の大波に襲われてきており、それはその地に住む人々にとっては大変不幸なことながら、21世紀の今その地を訪れる旅人には、魅力的な歴史のエッセンスとして働く。
地中海のマルタ島…ここはM&C9巻の舞台になるのですが…も、フェニキア、ローマ、アラブ、スペイン、フランス、イギリスと大国の支配に振り回された島ながら、それらの国々の文化の跡が残るゆえに、旅人にとっては大変魅力的なところ。 7年前にマルタを旅行して以来、私は地中海の港町に魅入られてしまいましたが、そんな私の目には、8巻のメノルカそして、イオニア海のクタリが、大変魅力的な町にうつります。
とくにクタリ。 かつてはキリスト教の独立国、今(1813年)はオスマン・トルコの辺境都市でムスリムの地方長官の統治下にありながら、キリスト教地区、アルバニア人、ヴァラキア人、ギリシャ人社会がなお独立して存在するモザイクのような港町。 翻訳者高津幸枝氏のあとがきによれば、クタリは架空の町なのだそうですが、オブライアンの筆による当時の町の描写はとても架空の町とは思えないほどリアル。 ここまでリアルに描かれているからには、架空とは言ってもモデルとなった当時の町が必ずあるに違いない! と確信した私は、「クタリ探し」を始めました。
まず第一の手がかりは、8下巻3ページ目の「イオニア地方拡大図」。 これを現在のギリシア地図と突き合わせます。
現在のイオニア海 http://www.lonelyplanet.com/mapshells/europe/ionian_islands/ionian_islands.htm
イオアニアとパルガは現在でもそのままですが、ニコポリスは現在はプレヴェザとも呼ばれているようですし、ドドナはギリシアではなく、現在はアルバニアの領土です。 クタリやマルガのある辺りには、現在はイグメニーツァという町があって、コルフ島観光の出発地になっています。
イオアニアやコルフ島は日本のガイドブックにも載っています。 イオアニアはオスマントルコの香りを残す美しい街だそうですし、コルフ島はヴェネチアの香り残る美しいリゾート、世界遺産として有名なメテオラと3点セットでゆっくりまわるプランがおすすめとか。 ジャックたちはコルフ島を取り返すために四苦八苦していますが、この島は結局、1819年以降ギリシア独立まで英国の支配するところになったのだそうですね。 パルガの町の丘の上には、ヴェネチアの要塞が残っているそうですから、ここがメセンテロンの町のモデルかもしれません。
しかし、クタリ=イグメニーツァではなさそうです。 ではクタリの町のモデルはいったい何処なのでしょう?
こういう時こそ頼りになるのが、欧米のパトリック・オブライアン・ファンの皆様です。 このようなことに興味を持ってモデル地探しをされた方が、いらっしゃるに違いない! というわけで、オブライアン掲示板「Gunroom」の過去投稿を検索してみましたら、 ありました!
「1813年に英国のフリゲート艦BacchanteのHoste艦長は、フランス軍を追い払うために備砲を丘の上の要塞まで運び上げた」という歴史的事実を探し当てられた方がいらしたのです。 ただし、この舞台になった町は、クタリ(Kutali)ではなくコトル(Cottaro)、場所ももう少し北のアドリア海、現在はモンテネグロに属する港町です。
(長くなりますので、後編に続きます)
2006年12月17日(日)
灯台さがし
先週日曜の夜から月曜にかけて、伊豆東海岸の高台にある温泉旅館に行ってきました。 眼下に相模湾を一望、彼方にうっすら陸地が見えて、夜にはそこにピカッピカッと一定間隔で光が点滅します。 「あそこの青い光が見えるでしょう? あれが東京湾の入口の灯台だそうですよ。以前に泊まられた船に乗ってるお客さんに教えてもらってね」 と宿の人に言われて見ると、確かに中央あたりに青い光が時々光ります。白い光2回と青い光1回の組み合わせ。
あそこが東京湾の入口…とすると、その右にまだちょこちょこ見える光はひょっとして房総半島? そこには一定間隔で赤い光が、さらに右端にオレンジの光が一定間隔で光を放ち、その右(方角的には東)は真っ暗…ここがたぶん太平洋。 あの赤とオレンジはきっと灯台なのだろうけれど、いったいどこの灯台だろう? その名前がわかったらきっと、何処が見えているのかがわかる、と思って。 おぉぉ、なんだか船乗りみたいだわ私。 帰ったらネットで、灯台の発光間隔とか光の色とかを調べてみよう!
ところが、 これが思いのほか難航してしまったんです。 海上保安庁のページに行ったら簡単に見つかるだろうと思っていたのに、出てきません。 灯台ファンの方のHPは見付けたのですが、ここは灯台の写真のページで、発光間隔とか色までは載せておられず。 おぼろげながらわかってきたことは、 どうやら灯台は国(保安庁)が一括管理しているのではなく、地方自治体が管理しているものもあるようだ。 地方自治体管理のものの中には、例えば市のHPなどの中に発光間隔や色を公開しているものもあるけれど、私が知りたいと思っている三浦半島や房総半島の灯台にはそのようなページがない…らしい。
こういうのってやはり海図を買って調べるしかないのでしょうか? 海洋小説ファンで関東在住だったら、東京湾と相模湾の海図くらい持っていても良い…とも思いますし。 実は私は、イギリス海峡だのフランスのリオン湾だのオーストラリアのグレートバリアリーフだのの海図は、小説を読むためという理由で現地で購入してたりします。外国の海図を持ってるのに日本の海図を持っていない日本人、ってちょっと恥ずかしい?等とも思いまして。
ところがこの海図というのがまた、そう簡単には手に入らないんですね。 陸上の同じようなものとして、山歩きをする人などが使う国土地理院発行の五万分の一地形図があるのですが、これはちょっと大きな本屋さんに行けば簡単に購入できます。 ところが、海図って本屋さんでは手に入らない。 マリーナとか船具店とか専門のお店では扱っているらしいのですが、そういうお店はいずれも海のそばなので、週末にでも海の近くまで出かけなければなりません。
日本人に海は遠いなぁと思うのは、こういう時ですね。 私が持っているイギリス、フランス、オーストラリアの海図は、旅行中に町中のお店で普通に手に入れたものです。 土産物屋と折衷になっているようなお店で、イルカの置物とかヨットパーカーとか、海関係のものを多く扱ってはいますが、港まで行かなければならないお店ではありませんでした。 このあたりが、彼らが海洋国家と言われるゆえんで、日本よりずっと海が身近にある。 山歩き用の地図が町中で容易に手に入るには、やはりそれだけの需要がある…山歩きを趣味にする人が多い、からなのでしょう。 それに比べるとやはり、海図を必要とする人の絶対数は少ないのでしょうか。
宿から撮影した相模湾〜暴走半島の写真。月光が海面に映えて綺麗。 灯台の光も写っているんですが、ちょっと見にくいですね。
翌朝撮った写真はこんな感じ。 小田原から房総半島の突端、伊豆大島まで一望のもと(カメラのレンズに入り切らない)。 たとえば日本丸や海王丸が東京にやってくる日にこの高台で張っていたら、大島沖から浦賀まで帆走する様子が見られたりするのでしょうか? もっとも春〜秋は霞んでしまって、ここまで視界が良くないそうです。 ここまで見えるのは晩秋から冬をはさんで早春までの寒い季節のみなのだとか。
2006年12月16日(土)
青列車のトリビア
今週末は今日明日とも外出してしまうため、テキストを作成している時間がありません。 急ぎのニュースもありませんので、悪しからずご了承くださいませ。 代わりにもなりませんが、放映中のクリスティ・ドラマ関連のおしゃべりと、全く役に立たない知識など。
先週からNHKBS2のクリスティ・ドラマシリーズを楽しみに見ています。 芸達者な俳優さんたちの競演を堪能させていただいて、毎日が幸福。
木曜日は面白かったですね。 航海長ことロバート・パーの役は、インドで酒で失敗し除隊となった陸軍大佐ですが、彼は公爵夫人ことシェリー・ルンギ(未亡人です)に密かに心をよせ、夫人も元大佐に好意をもっている。ところが、夫人の息子…これがハモンド候補生ことクリスチャン・コウルソン…は母親の再婚が嫌で大佐を追い払いたいと思っている。 殺人に使われた銃は大佐のところから盗まれたものだが、それを警察に言うと自分の容疑は晴れても過去の不名誉が明かになる。夫人に過去を軽蔑されると思った大佐は言い出せず、そんな彼を息子はますますうさんくさく思って、犯人ではないかと疑い始める。 なんだか本筋とは別の、脇ドラマでたっぷり楽しましていただいてしまいました。 海洋ドラマファンだと1粒で2度美味しいアガサ・クリスティ…え?
冗談はさておき、 毎回ドラマの後に3分程度放映される「クリスティー紀行」。 これは以前に、NHK総合で日曜夜19:30から放映されていたアニメのクリスティ作品のために撮影されたものの再放送。 12月13日(水)放映分はプリマスです。
番組のメインはプリマスの豪邸ですが、冒頭にちらっとプリマス港が登場します。 これは、ドレイクの逸話で有名なザ・ホー(港の見える丘公園のようなところ)から撮影したもので、海洋小説ではいわゆるプリマス海峡と訳されているところですが、昔はこの海一面に戦列艦が錨を降ろしていたものでした。 撮影が夏なので、驚くほど穏やかな青い海が広がっていて綺麗ですが、季節をはずせば小説でよく登場するどんよりとした灰色の海を見ることができます。
このアニメのミス・パープルは八千草薫が声を当てていて、今回のドラマ吹き替えの岸田今日子とはずいぶん感じが違うのですが、 でも、今回のドラマについて言えば、二カ国語で元の英語を聴いていると、セリフのトーンはまさに岸田マープルの通りなのですね。 原語のトーンが見事に日本語の吹き替えに活かされていて、感心しました。
ちょっと話はずれますが、「青列車の秘密」を見ていて、最初私はこれ、何故タイトルを「寝台列車の秘密」と訳さないんだろう?って疑問に思ったんです。 青列車の原語はthe blue train、ブルトレです。実際に舞台となるのは寝台列車ですし、私はてっきり英国でも寝台列車はblue trainで、だから日本でもブルトレという言葉を寝台車の愛称として採用したんだと思っていたのですが…ちがうんですね。 英語のblue trainには何の意味もないんです。ただ列車が青いだけ。
ではこのthe blue trainっていったい何かというと、これLe train bleuというフランス語の直訳。 そしてこのLe train bleuが、当時のフランスでパリと南フランスを結んでいた寝台特急列車の固有名詞だったんです。 興味をもたれた方はこちら(英語)を↓写真がのってます。 Le Train Bleu http://en.wikipedia.org/wiki/Compagnie_Internationale_des_Wagons-Lits だったらブルトレではなくトランブリュウと言えばいいのに、旧国鉄さん>
以上、青列車のトリビアでした。
2006年12月09日(土)
副長と航海長のアガサ・クリスティ:NHKBSドラマ情報
12月5日(火)からNHKBS11にて放映されるアガサ・クリスティ ドラマシリーズ。 製作は英国グラナダTV!ですから、期待はずれはありえません。 そして、海洋小説ファン…のみならず英国ドラマ・映画ファンなら踊って喜ぶ豪華キャスト。 今回も名探偵ポワロへのウェリントン公(ヒュー・フレイザー)登場はありませんが、ゲストが本当に豪華です。
NHK BS アガサ・クリスティ特集放映リスト http://www3.nhk.or.jp/kaigai/agatha/
放映第1日目の名探偵ポワロ:青列車の秘密 12月5日(火)20:00〜21:35 には、プリングス副長ことジェイムズ・ダーシーがゲストで登場。 青列車の秘密: http://www3.nhk.or.jp/kaigai/agatha/01_p_bluetrain.html
12月7日(木)20:00〜21:35 ミス・マープル:予告殺人 には、アレン航海長ことロバート・パーと、 ホーンブロワーが候補生時代にスペインで捕虜になった時に可愛がって(振り回して?)くださった公爵夫人ことシェリー・ルンギと、第3シリーズのハモンド候補生クリスチャン・コウルソン(最近はハリーポッターのトム・リドルと言った方が通りが良いかしら?)が共演します。 予告殺人: http://www3.nhk.or.jp/kaigai/agatha/04_m_announced.html
ホーンブロワー関係者では他に、レナウン号のソーヤー艦長ことディビット・ワーナーが 12月12日(火)20:00〜21:35 ミス・マープル:パディントン発4時50分 パディントン発4時50分: http://www3.nhk.or.jp/kaigai/agatha/06_m_paddington.html さらに、インディファティガブル号の最初の副長エクルストンことロバート・バサーストが 12月14日(木)20:00〜21:35 名探偵ポワロ:葬儀を終えて 葬儀を終えて: http://www3.nhk.or.jp/kaigai/agatha/08_p_funeral.html にそれぞれ登場。
そして、アレン航海長はもう一度、今度はポワロに登場。 12月13日(木)20:00〜21:25 名探偵ポワロ:ひらいたトランプ ひらいたトランプ: http://www3.nhk.or.jp/kaigai/agatha/07_p_cards.html
その他12月11日(月)ミス・マープル:書斎の死体 にはちょこっとノリントン提督(ジャック・ダベンポート)が、 12月6日(水)のミスマープル:牧師館の殺人 にはカドフェルことデレク・ジャコビが顔を出しますので、 結局、全日程見逃せないという結果になるのでした。
今回の放映は、2004年〜2005年にかけて撮影されたシリーズなのですが、ミス・マープルは今年2006年にも5作品が製作されており、「The Moving Finger」にはジェームズ・ダーシーが、「Nemesis」にはリー・イングルビー(ホラム候補生)がゲスト出演します。 今後も引き続きミスマープル・シリーズが日本で放映されるように、エールを送ろうではありませんか。
ホーンブロワー関連キャストはBlancaさんに教えていただきました。ありがとうございました。
2006年12月02日(土)
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