HOME ≪ 前日へ 航海日誌一覧 最新の日誌 翌日へ ≫

Ship


Sail ho!
Tohko HAYAMA
ご連絡は下記へ
郵便船

  



Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
仕事おさめ

私は本日が仕事納めです。
今年はPCトラブルで後半たいへんご迷惑をおかけしました。申し訳ございませんでした。

昨日修理完了の連絡があって、カリプソ号は明日29日、おそらく真っ白になって帰ってくる予定です。
もう一度接続設定やりなおさなければならないのですが、問題は接続トラブルが生じても、もうサポートセンターは年末休み…ということなんです。
なので、いちおう今日のうちに皆様にご挨拶しておこうかと思います。

今年も一年間いろいろとありがとうございました。
映画が終わって1年以上たちますが、何のかのとお伝えするニュースがなくならないことに管理人も驚いております。
今年はトラファルガー200周年だった…ということもありますが、この世界が好きな人たちってずっと続いていくんですね。
来年もまだほそぼそと続けていきますので、よろしくお願いいたします。
1月の半ば頃には、2代目アケイティーズ号(PC)+やっとADSLで本格復活できる見込みです。

去年のお正月は「ホーンブロワー」の再放送に気もそぞろでしたが、今年の再放送は「コナン・ドイルの事件簿」だそうですね。
本放送の時にDVD録画しましたが、これもなかなかおすすめのドラマです。
でもこのお正月のドラマと言ったらやはり、NHK新撰組の続編、「土方歳三最後の日」でしょう。
直接に海に関係するわけではありませんが、幕府海軍総裁の榎本は出てきますし。私は歴史上の人物として榎本が好きなので、放映がまちきれません。

年末年始の映画はまだチェックしきれていません。
それより何よりたまった録画DVDを見る方が先かしら。
お正月はのんびりと過ごしたいと思っています。

今年にお世話になった皆様に、ありがとうございました。
新しい年もまたよろしくお願い申し上げます。
みなさまも良いお年をお迎えくださいますよう。


2005年12月28日(水)
ラッキー・ジャックと不運な3隻の艦(後編)

PCトラブルですっかり後編が遅くなってしまいましたが、年は越しません。
「ラッキー・ジャックと不運な3隻の艦」後編まいります。
前編でジャワ号をとりあげましたので、後編ではシャノン号とラ・フレシュ号を。

まずはシャノン号、38門フリゲート艦。
艦の履歴が1806年から始まり、最初の艦長がブルックなので、彼は6巻の時点ですでに6年間同一の艦を指揮してきたということになるのでしょう。乗組員たちのチームワークがよいのも当たり前です。

艦長のフィリップ・ブルック、フルネームはSir Philip Bowes Vere BROKEは1776年9月9日イングランド東部イプスウィッチ近郊のブルック・ホールに生まれる。
ジャックは1770年生まれなのでフィリップは6歳年下ということになります。一緒に遊ぶのはちょっと苦しいか…というつっこむと先に進まないので、それはちょっと置いておいて、
むしろここは建設的に、アーサー・ランサムのファンとして一言。ブルック・ホールって…、気づかれました?皆さん?
ジャックの言によれば(6巻下P.123〜)、ブルックホールはサフォーク州の由緒正しいお屋敷で、その地所の南側境界線はオーウェル川で、先端はハリッジのストゥール川まで達している。フィリップとジャックは泥遊びをしながら川を下る船を見て過ごし、後に平底舟を手に入れて川遊びをした。
あの…これって…、

オーウェル川とストゥール川(Stour)の合流点の地名と、近代になってそこに何が建設されたか、覚えていらっしゃいます?
はからずも8月19日の日記でこの土地の写真をご紹介したのですが。

地名はショットリーで、第二次大戦まではそこに海軍基地がありました。
アーサー・ランサムのシリーズに登場するウォーカー家のお父さん(テッド・ウォーカー中佐)の勤務地であり、ダグラス・リーマンの第二次大戦作品の舞台。
そして、地図によれば、ショットリーからオーウェル川をイプスウィッチにさかのぼる途中にあるのがピン・ミル。ランサムの物語の中でウォーカー一家が泊まっていたアルマ荘のあるところです。

だから、つまり、ジャックとフィリップが平底舟に乗って遊んでいたところって、ランサムの7巻でジョンたちがボートを漕いでいて鬼号に出会ったところと同じ場所なんですよね。
このあたりの川は、ランサムによれば、潮の満ち引きが激しくて大変らしいけど、無鉄砲なジャックにしてはよく、平底舟でオランダまで流されなかったものだと。

フィリップ・ブルックは、オブライアンが注に記している通り、実在の人物であり、彼の名を有名にしたのは、この6巻で描かれているシャノン号とチェサピーク号との戦闘。
1813年6月1日に、火力ではシャノン号を上回る米海軍コンスティテューション号を、砲術の工夫と乗組員の練度を武器に打ち破ったブルック艦長の功績は高く評価されました。
ブルック自身はしかし、この戦闘で重傷を負い、一命はとりとめたものの再び海に出ることはなく本国で陸上勤務となりました。
自身の経験を生かし、砲術の改良と指導に当たり、最終的には海軍少将まで昇進、1841年1月2日に65才でその生涯を閉じます。
というわけで、とりあえずご安心ください。6巻の最後はあんな形で終わっていますが、フィリップは還暦を越えて、当時としては十分長生きをしますので。もっとも怪我の後遺症には一生悩まされたようですが。

Sir Philip Bowes Vere BROKEについて
http://en.wikipedia.org/wiki/Philip_Broke

ところで、このフィリップが育った、そしてジャックも子供の頃に預けられたことになっているブルックホールですが、現在も存在し、そしてなんと高級B&Bとして一般客の宿泊も可能だということ。

B&Bのホームページ
http://www.buttermans.com/index.shtml

1泊朝食付きで£60.00または£90.00(12,500円〜19,000円)。
B&Bとしては高級の部類に入りますが、歴史あるお屋敷をそのままに保存してあるのですから、このお値段は妥当なものでしょう。
おそらく文化財保護という観点からか宿泊客は禁煙厳守。また14才以下の子供の宿泊は認めらていません。

英国にM&Cツァーに行かれる方>ジャックになった気分で1泊限りの贅沢はいかがでしょう?
せっかく英国のお屋敷に泊まるのなら、やはり物語に由来のところが素敵です。


6巻に登場するもう一隻の不運な艦、それは火災で炎上してしまったヨーク艦長のラ・フレシュ号です。
このヨーク艦長(Capt. Charles Yorke)はとても好感のもてる人物で、その後どうなったのかとても気になるところなのですが、
彼がどうなったのかは、はっきり言ってわかりません。
ラ・フレシュ号は他の2艦と異なり、実在する艦ではないので(オブライアンの創作です)、歴史を調べても答えは出てこないのです。

ヨーク艦長のその後を案じるのは別に私ひとりではないようで、パトリック・オブライアンのファンフォーラム「Gun Room」にも「チャールズ・ヨーク艦長のその後はいったいどうなったのですか?」という質問を寄せられた方があるのですが、それに対する英米ファンの方の回答も「残念ながらわかりません」というものでした。
私も11巻以降は読んでいないのですが、この答えから察するところ、その後の巻で再びチャールズ・ヨークが登場する機会はなさそうです。

でもこの回答の中に一つ面白いのがあったんですよね。
「チャールズ・ヨークの消息はわかりませんが、ヨーク家というのはダドリ・ポープの小説の中で、本家、分家とも20世紀までちゃんと存続していますよ」
というもの。

なかなかシャレた回答なので、以下フォローさせていただきます。

ラミジ・シリーズを書いたダドリ・ポープは、海軍士官ニコラス・ラミジを主人公としたシリーズの他に、ヨーク家という海にゆかりのある一族の300年にわたる物語も書いています。
ヨーク家の初代は「ヨーク物語:カリブの盟約」(至誠堂)等の主人公で、清教徒革命で英国を追われた第六代アイレックス(Ilex)伯爵家の次男エドワード・ヨーク(Edward Yorke)。
伯爵家を継いだ兄ジョージとは別に、エドワードの家は分家として続いていきます。

ナポレオン戦争時代のヨーク分家の当主は、ニコラス・ラミジの親友でもある商船船長のシドニー・ヨーク(Sydney Yorke)、彼はラミジとほぼ同年…ということは1775年前後の生まれで、5年ほど早く生まれているジャックや、ラ・フレシュ号のチャールズ・ヨークともほぼ同世代と言って良いでしょう。シドニーには妹が一人いるだけの二人兄妹なので、チャールズ・ヨークのヨーク家がラミジに登場するヨーク家であるとは言えません。
だからもしこの時代に可能性があるとしたら、シドニーのヨーク分家ではなく、ヨーク本家つまりアイレックス伯爵家かまたは途中に発生した新たな分家(あれば)の方なんでしょうけれども。

そこで私はちょっと悪戯心を起こして、アイレックス伯爵家が実在するのか調べてみようとしたんです。
答えはNoで、これは完全にダドリ・ポープの創作でした。
ところが、この過程で思わぬ発見をしてしまいました。
確かにアイレックス伯爵家は創作だったんですけど、実はファミリーネームがヨークで、海軍士官を輩出した伯爵家というのは、この時代に実在しました。

このヨーク家はハードウィック(Hardwicke)伯爵家。この時代に海軍で活躍した人物は、サー・ジョセフ・シドニー・ヨーク(Sir Joseph Sydney Yorke : 1768-1830)、1768年生まれですからジャックの2才年上で、この方、最終的には提督まで出世しています。
ただしこの時代のハードウィック伯爵家の当主はサー・ジョセフではなく、彼の長兄のフィリップ。第3代ハードウィック伯爵フィリップ・ヨークはホイッグ党の政治家で、アディントン内閣の戦争大臣を務めた後、1810〜12の2年間は第一海軍卿の地位にありました。
フィリップには息子が一人いましたが、24才で病死したため跡継ぎがなく、最終的に爵位は弟であるサー・ジョセフの長子(フィリップの甥)が継ぐことになりました。
そしてこの爵位を継いだ1799年生まれの息子の名前が、チャールズ・フィリップ・ヨーク(Charles Philip Yorke)というのでした。彼は父の後を追って1813年に14才で候補生として海軍に入り、1819年20才で海尉任官試験に合格し、1822年23才で海尉艦長、1825年26才で艦長とほぼ最短コースの出世をしています。
実はこのチャールズ、1815年にペリュー提督(エクスマス卿)の旗艦クイーン・シャルロット号の候補生としてアルジェリアに行ったとか。
これってアダム・ボライソーの物語に通じますよね。

パトリック・オブライアンも、ダドリ・ポープも、それからアレクサンダー・ケントも、このあたりの史実はふまえた上で創作の筆を走らせたのでしょうか?
そう考えると、ラ・フレシュ号のチャールズ・ヨーク艦長もその後は救助されて順調に軍歴を重ねていった…と考えてもよさそうです。
ちなみに、ダドリ・ポープによれば、彼の創作した本家と分家のヨーク家は20世紀まで存続し、分家の当主エドワード・ヨークは第二次対戦当時の海軍士官で、ドイツ軍の暗号解明に活躍しています。
これはまた至誠堂から別の物語として出版されています。


2005年12月27日(火)
ネルソン国葬200周年記念式典(1月9日)

ホーンブロワー4巻「トルコ沖の砲煙」をお読みになった方ならご存じの通り、1805年10月21日にスペイン・トラファルガー沖の海戦で戦死したネルソン提督の国葬は、翌1806年1月9日にロンドンで執り行われました。

かくして2006年1月9日、葬儀から200周年のこの日、ロンドン聖ポール大聖堂では記念式典が執り行われるとのことです。

記念ミサは午後5時から大聖堂で、その後6時15分から、海軍博物館館長のコリン・ホワイト博士による「ネルソンとその信仰」と題した後援会が開かれるとのこと。

このニュースの詳細は下記。
http://www.seabritain2005.com/server.php?show=ConWebDoc.1048


また昨年、再現が行われたTrafalgar Dispatchすなわち、海戦の勝利と提督の死を伝えた英国への至急報の行程を記録したDVDが下記にて発売されるとのことです。
このDVDには旧海軍省の建物で昨年9月9日に行われた再現セレモニーが記録されています。

DVDの発売元はMagic Wall Productions
入手ご希望の方は、E-mailにて 「Admiralty@magicwall.co.uk」 までお問い合わせください。

この情報に関する詳細は、下記をごらんください。
http://www.seabritain2005.com/server.php?show=ConWebDoc.1062


2005年12月26日(月)
クリスマス(?)プレゼント

週末はまた接続できなくなるので、ちょっと早めですが皆様にクリスマスにかこつけたプレゼント。
米国ノートン社のパトリック・オブライアン・フォーラム(掲示板)に、cdrmcさんが紹介されていました。

「パトリック・オブライアンに直接関係はないが、マチュリンのようなナチュラリストには興味のある(?)ページだろう」
とのコメントがついています。
紹介されているのは下記のページ↓、これを皆様へのプレゼントとして謹呈させていただきます。
すでに米国オブライアンフォーラムの80名以上の方がアクセスしていらっしゃるので、別に問題の発生するようなページではないと思います。

http://www.penguin-mayhem.net/gallery/albums/j-icons/aar.gif

重いページではありませんが、動くのでブロードバンドでないときついかもしれません。
うふふ。でもあまり期待されませんよーに。


さてさて、今年もまたそろそろ映画のショー・レースが始まりましたね。
今年は無縁!を決め込んでいる私ですが、ゴールデングローブ賞のノミネートを他人事のようにチェックしていたら、

ゴールデングローブ賞ノミネート一覧
英語(完全版) http://www.hfpa.org/news/id/13
日本語(映画主要のみ) http://movies.yahoo.co.jp/m2?ty=nd&id=20051221-00000001-eiga-ent

ラッセル・クロウは「シンデレラ・マン」でしっかり主演男優賞にノミネートされているんですね。
同じく「シンデレラ・マン」からはポール・ジアマッティが助演男優賞。これは密かに応援してしまいます。

ゴールデングローブ賞は映画部門の他にテレビ部門もありますが、こちらのドラマシリーズ作品賞ノミネートに、マックス・パーキス君がかかわっていた「ROME」が入っていました。
この歴史ドラマは米国のオブライアン・フォーラムでも話題になっていて、ちょっと見てみたいと思うんですけれども、日本のどこかのテレビ局(ケーブル以外希望)で放映していただけないかしらん。

あとは、コメディ部門の主演女優賞に「Pride & Prejudice」のキーラ・ナイトレイが入っています。
これってジェーン・オースティン原作の「高慢と偏見」ですよね。
コリン・ファース主演のBBCのテレビドラマ(NHKBSでその昔に放映。、「ホーンブロワー」のマライアことジュリア・サワラも出演していました)が有名ですが、200年前の英国…要するにあの時代の話しです。
この映画はたぶん、来年、日本公開になるのでしょう。ノミネートにかかわってくるからには、それなりの出来なのかな? どのような映画になったのかちょっと楽しみです。

***************************************************

本日の標題にはクリスマス(?)プレゼント、と(?)が入っています。
(?)は当初入れるつもりはなかったのですが、今日の午前中にYAHOOニュースでアメリカの「メリークリスマス問題」を流していまして、それを読んで「あ、なるほど」と思った次第です。
読まれた方ありますか? 

いやその、宗教に無頓着な日本人の典型として、私もぜんぜん気づいていなかったんですけど、「メリー・クリスマス」って言うのは本来はキリスト教徒のものなんですね。
私はキリスト教徒ではないので、べつに御祝いしなきゃならないわけではないんです。

なんでも正確には、アメリカではユダヤ教徒には「ハッピー・ハヌカー」、黒人の権利にこだわる人々には「ハッピー・クワンザ」、カトリックが主流のヒスパニック系には「ハッピー・スリーキングズ・デー」と言うのが正しいのだそうで。
それでホワイトハウスからのクリスマスカードの文面はこのトラブルを回避するために「ハッピー・ホリデー・シーズン」になっているそうです。
さらに大手スーパーマーケットの中にはサービスとして、客の民族や宗教に応じて適切なあいさつをするよう従業員を指導しているところもあるそうで。
でもこれが今アメリカで問題になっていて、なんでも「メリークリスマス!」と言わないのはけしからん!とキリスト教右派が怒っているそう。
節操もなく「ジングルベール!」とか言ってプレゼントやケーキを売りまくっている日本のデパートやスーパーにしてみればオドロキ!の話しですが、

でも確かに、私も変だと思ったことはあるんです。
タイ人から「メリークリスマス」というカードをもらうと、「どうして仏教徒同士がクリスマスを祝って挨拶するんだ?」と思わないでもない。
タイの海外発送グリーティングカード用切手には、十二支の模様のがあって、そう子丑寅卯…というあれ、その年の(今年だったら来年の戌の)ところだけ色が変わっていてわかるようになっている。下に英語で「Chinese Zodiac」と十二支の説明が書いてあります。その切手でクリスマスカードが贈られたので、余計に違和感を感じてしまいました。

あーでも、Chinese Zodiacというからには星座(zodiacは西洋占星術の黄道十二宮)のことですよね、十二支って星に関係ありましたっけ?
とか思って調べたら…十二支ってもとは天の赤道を十二分して呼び名を与えたものだそうです。12の由来はバビロニアの天文学にあるそうで、それがバビロニアからギリシャに伝わって発展したのが西洋の黄道十二宮zodiacらしい。ということで、もとは同じというか全く関係のないものではないらしいです。
詳しくはWilkipediaをどうぞ→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E6%94%AF

あぁなんだか話しがそれてしまいましたが、えぇとタイから来たクリスマスカードと違和感の話し。
でもやはり十二支はアジアのものだから、アジアはアジアなりのグリーティングカード交換があってもいいのかなと。
もっともアジアもあちら(大陸)は旧正月だから、年賀状も時期がずれてしまうのか。そもそも年賀状という習慣は日本だけのものなの? アジアのものなの?

年賀状…この3連休が勝負!ということで明日から書きまくる予定ですが、大変だけど、でも良い機会だとは思うんです。
大学卒業後に地方に帰った同級生など、その後1回も会う機会がないけど、でも1年1回はがきのやりとりが出来れば互いの近況がわかりますものね。
切れてしまいそうな人の縁をつないでくれる機会…が年賀状なんだと。

だから本当は年賀状でもグリーティングカードでもメリークリスマスでもいいと思うんですよ。それはあくまで音信の機会の提供にすぎないんだから。
クリスマスだってなんだっていいじゃないですか! これをプレゼントを贈る口実だと思えば、いい機会です(まぁ、でもデパートにしてみればモノを売るいい機会だってことになるんだろうけど)。
でもそれはあくまでも機会提供なんだから、強要するものではないと思いますし、使いわけサービスをするほど気をつかうものでもない…と呑気な日本人の一人としては考えてしまうのですが。

これは昔からずっと思ってるソボクな疑問なんだけど、
キリスト教の神様って、右のほほを打たれたら左のほほをさしだせ、と言われたというほど寛大なお方ではないの?
その昔の十字軍にせよ、今回のメリークリスマス騒動にせよ、どうして熱心なキリスト教徒ほど、寛大じゃなくなってしまうのかしら?

私信失礼:Iさま>先日(といっても随分前になってしまいましたが)のお問い合わせにリターン返信でメールお返ししましたが戻ってきてしまいました。
すみません、確実なアドレスでもう一度メールお送りください。よろしく!


2005年12月22日(木)
ボライソー28巻ほか新刊情報

1月のハヤカワ新刊はアレクサンダー・ケントのボライソー28巻だそうですね。
あらら。オブライアン7巻の方が先だと確信していたのに。

『若き獅子の凱歌』 1月下旬刊
〈海の勇士/ボライソー・シリーズ28〉
アレグザンダー・ケント/高橋泰邦訳
士官任官試験に合格し、新たなる艦で新任務へと勇躍赴く、若き日のボライソーの活躍。

これってやっぱり2005年10月英国新刊「Band of Brothers」の翻訳?
いやその、ケントの既刊で翻訳されていないのは、今は28巻のBand of Brothersだけですから、たぶんこれは10月に発売されたこの本に間違いないんでしょうけれども、今ひとつ私が不安に思っているのは、翻訳の速さもさることながら、タイトルが…、
凱歌って「勝利の歌」とか「勝ち鬨」という意味だと思うのですが、これちょっと、いえ、かなり、本の内容とかけ離れているので、本当にこの翻訳なのかと。

私は「Band of Brothers」読了したのですが、なんというかもっと、ひっそりとした、しめやかな小説でした。
およそ勇ましい凱歌とは無縁な、
もしこれを何らかの歌に例えるとしたら…、
「さとうきび畑の唄」という沖縄の歌がありますね。新垣勉氏の、ざわわ、ざわわ…というフレーズが印象的なあの歌。
28巻ってあの歌のような味わいの小説だと私は思うのですが。
表面的にはとっても爽やかに流れていくのだけれども、中をまたは歌詞をじっくり味わって読む(聴く)と、実はとても哀しい。
そしてそれが見事な味わいになっている…決してドラマティックではないからこそ胸に残る。

ホーンブロワー第二部2話の、ペリュー提督がホレイショに海尉艦長任命辞令を渡すシーンを覚えていらっしゃいますか?
昇進は祝い事には違いありませんが、あそこであの状況でホレイショに凱歌を上げる人はいないでしょう?
同じ海尉艦長任命でも、M&Cのプリングスの辞令の時とは全く状況が違う。

そういうコトです。だから私はやっぱりこの「凱歌」というのは違うと思うのですが。
なんというかこれ、2年前の今頃のM&C予告騒動の全く逆を行っているような気がします。あちらこそむしろ「凱歌!」で売るべきでしたのに…ねぇ?



さて、トラファルガー200周年の年は終わろうとしていますが、英国では新たに2冊、特筆すべき本がConway社から発売されています。

ひとつめは海図の本
「Sea Charts of the British Isles - A Voyage of Discovery Around Britain & Ireland’s Coastline 」

ロンドンとテムズ河口、英国沿岸(アイルランド含)の古海図を集めた本ということです。
ロンドンからテムズ川を海へと下っていくあたりは、おそらく近現代の開発で多少地形などが変わっているはずですから、昔の海図をみてみるのは面白いかもしれませんね。
ラミジの何巻だったかに、チャタムを出航してテムズ河口で補給を受ける話しがありましたよね。この本を片手にラミジを開いてみるのも良いかもしれません。

この本の詳細は下記URL参照。収録海図の一部もみることができます。
http://www.seabritain2005.com/server.php?show=ConWebDoc.1029


ふたつめは、
The Ships of Trafalgar - The British, French and Spanish Fleets October 1805

トラファルガー海戦に参加した、英仏西のすべての艦船を詳細に検証した世界初の本だそうです。
著者はPeter Goodwin、ビクトリー号の保存に従事している博物館学芸員として有名な方です。

この本もamazon.jpからオーダーすることができますが、本家本元英国Conway社版 6,481円のほかに、米国Naval Institute Press社版 5,804円もございます。
今はドル安だから米国版の方がちょっと安いということでしょうか?

この本に関する詳細は下記。
http://www.seabritain2005.com/server.php?show=ConWebDoc.1030


相変わらず通信環境には不自由していますが、できる範囲で少しずつ、このようなニュースはお伝えしていきたいと思っています。
1月には「ネルソン葬儀200周年」(!)のイベントもあるようなので、これもちかぢかご紹介します。


2005年12月21日(水)
踏んだり蹴ったり(事務連絡)

ご無沙汰しております。
旅行に行っていた…とお思いでした?
いいえ、いいえ。実は体調不良で旅行には行けませんでした。

その上、頼みの綱だったxpのノートパソ、カリプソ号と名前を付けている方ですが、ある晩ピピッ、ピピッと謎の警告音を発したと思ったら、突然画面が落ちて真っ暗になり、以後立ち上がらなくなってしまったのです。

踏んだり蹴ったりというか、どん底にはまだ底があるというか、あーでもなんかここまで来てしまうともう笑うしかない…というか。
それにしても…2台同時に壊れる???
バックアップを考えての2台体制だった筈なのに。
そりゃぁ以前に、冷蔵庫とクーラーが同時に壊れるという悲劇に見舞われたことはありましたが、ノートPCは購入して2年と4ヶ月、まだ若いと思うんだけれども…。

私自身の心理的ダメージもさることながら、必然的に買い換えまたは修理という形で、経済的ダメージも負うことになり、さらにっていうか、実は旅行のキャンセル料っていうのもあるんですよね…あぁ考えたくない…涙。

というようなわけで1日ほど落ち込んでいましたが、結局、まだ若いカリプソ号は修理見積に出しました。
オールド・ケイティの後継機も一応選定しました。

ただもう、ここまで来てしまったらこの際、回線も変更するか、とも考えていまして、
ネット復帰は、カイプソ号が修理から戻って来た後か、もしくはオールド・ケイティ後継機の到着と回線変更終了後、いずれか早い方になると思います。
クリスマスまでにまにあうかどうか、ちょっと自信がありません。年末までにはなんとかしたいな〜と。

また週末は音信不通になりますのでご迷惑おかけしますが宜しくお願いいたします。
ちかぢか復活できることを祈りつつ。いましばらくお待ちくださいませ。


2005年12月16日(金)
サプライズ号、修理作業志願者募集!

サンディエゴ海事博物館のサプライズ号、このたび索具類の張り替えを行うことになり、作業に従事する志願者を募集しています。
あなたも、映画のように仲間たちとサプライズ号を蘇らせませんか?
志願者は12月12日(月)にサンディエゴ海事博物館・バークレー号で行われる説明会にお越しください…って、
まぁ米国在住者でなくては出来ない相談なんですけど。

この情報は、米国のパトリック・オブライアン・フォーラム(掲示板)の書き込みにて紹介され、「このチャンスにサプライズ号の乗組員体験」に名乗りをあげるオブライアン・ファンが多いようです。
うらやまし。

サプライズ号索具張り替えボランティアに関する書き込みのURL
http://www.wwnorton.com/cgi-bin/ceilidh.exe/forums/POB/?C340cb0451RML-5813-93-30.htm

サンディエゴ海事博物館の問い合わせ先(ボランティア募集)
http://www.sdmaritime.org/contentpage.asp?ContentID=69
博物館HPのHOMEから、
HOME > Get Involved > Ship Restoration
と下りて行ってください。このボランティア募集ページでは、乗組員のボランティアも募集しています。

上記の掲示板への書き込みによると、再艤装終了後、来年春にはサプライズ号は再び海上に戻るチャンスがあるようです。
博物館のイベントなどで沖に出ることもある模様。
来年のサンディエゴ博物館のイベントは要チェックかもしれません。


さて、日本からこのニュースを指をくわえて見ていらっしゃる大多数の皆様>
帆船修復のボランティアなら、日本でも募集しています。
東京海洋大学越中島キャンパスに保存されている「明治丸」が、修復のボランティアを募集しています。

明治丸は明治6年(1874年)に日本政府の発注により英国で灯台監視船として建造された帆船で、重要文化財に指定されています。
明治丸↓(東京海洋大学(旧東京商船大学)のホームページ)
http://www.kaiyodai.ac.jp/Japanese/academics/meiji-maru.html

こちらの次回ボランティア作業は12月17日(土)午前10時より、東京海洋大学越中島キャンパス(JR京葉線越中島駅下車)にて。
この詳細は、salty friendsのホームページにて詳しく紹介されています。

saltyfriendsのホームページ
http://saltyfriends.com/

*******************************************

来週末を利用して旅行に出る予定のため、次の週末の更新はありません。
また、PCトラブルについては、相変わらず不便な状態が続いております。
お急ぎのご連絡はオフラインにてお願いいたします。
なおこのような事情から、メール返信に時間がかかる場合がありますので、引き続きよろしくお願いいたします。


2005年12月06日(火)