Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
東京「M&C」+「バイレーツ・オブ・カリビアン」再映「トロイ」付き
5月に「M&C」を再映してくれた東京・池袋の文芸座で、再び映画の再映があります。 今度は10月2日(土)3本立てオールナイトですが、このラインナップが泣けます。
「マスター・アンド・コマンダー」+「パイレーツ・オブ・カリビアン」+「トロイ」
題して「コスプレ活劇ナイト」(詳細はここをクリック)だそうです。
でもコスプレ…って、どういう意味??? 英語のコスチューム・プレイ(costume play)は、「歴史ドラマ」という意味なので、正しくこの3本の映画の特徴を紹介しているとは思うのですが…。
コスチュームという英語は本来「衣装」という意味です。 そこから「普段(現代)の洋服ではなく、特別な衣装を着る演劇=コスチュームプレイ=時代劇」という単語は来ているのですが、 一方、ハロウィンの時に子供達が着る衣装もコスチュームなので、コスチュームには仮装という意味もあるのです。
日本語のコスプレ…は仮装をするという意味だから、微妙にちょっと意味がねじまがってしまってますね。 大丈夫かなぁ、映画見に来る人、ちゃんとわかってるかなぁ。 軍服着たり、ヨロイ着た人が来ちゃったり…しないでしょうね? いや、それはまたそれで楽しいとは思うのですが(ちょっと見てみたい気もします)。
でもあの映画館、座席がスロープにはなっていないので、カブトや三角帽、帽子に羽根をつけるのは禁止にしていただきたいですね。それから上映中にしゃべり出すと困るから、オウムは連れてこない方がいいかもしれません。
2004年08月28日(土)
カノン・カトラス・カタロニア(2)こちらは世界各国情報
先々週ご紹介したデイリーテレグラフの記事「カノン・カトラス・カタロニア」には続きがあります。 ただし紀行文ではなく、オーブリー&マチュリン巡礼案内です。 巡礼…原文ではpilgrimageですが、物語の舞台を訪ねて歩く旅に、英語では「巡礼」という単語を使うとは初めて知りました。 どこの国にも物好きはいるものですが、そうですか巡礼ですか、これからは日本語でもこの用語、使わせていただこうと思います。
さてこの記事でバナーマン記者は巡礼先として八十八…ではなく8カ所を挙げているのですが、3カ所目から先は5巻以降…すなわち未訳部分に入るため、ねたばれになってしまいます。これを避けるために詳しく紹介するのは最初の2カ所、3カ所目以降はねたばれ部分をのぞいた簡単な紹介になります。 というか…このバナーマンさんという方、スティーブン級の皮肉屋さんのようで、ポートマオンの紹介を読んでもわかる通り、「なんだか意味よくわからないんだけど…これって皮肉?」…という感じの文章が多い。 私自身も読んでいない11巻以降は、英語はわかるんだけど意味がよくわからない…という部分があったりするので、間違いのないところだけさらっと紹介させていただきました。
1.ポート・マオン(メノルカ島:北緯40度東経4度)1巻「新鋭艦長、戦乱の海へ」 オーブリーとマチュリンの出会いの舞台は、ポート・マオンの総督邸である。 18世紀この地は、船乗り相手の酒場や娼館でにぎわう港町だった。今日なお町中では、英語やカタロニア語を耳にすることが多いが、これらはクルーズ船から降り立ったばかりの乗客たちか、埠頭に停泊したレジャーボートやヨットから繰り出す日焼けした連中にすぎない。 旧コリングウッド提督邸は、最新の注意を払って修復され、「Hotel del Almirante(ホテル提督亭…という感じですか?)」に生まれ変わった。Es Castellの軍事博物館には立派な大砲が展示されている。
2.モーリシャス(南緯20度15分、東経57度30分)4巻「攻略せよ、要衝モーリシャス」 モーリシャスをフランスの手から取り返し、新しい総督を据えるべく、オーブリーはこの地へ派遣された。 ポート・サウス・イーストを見下ろすマヘブール(Mahebourg)村には、歴史博物館が建設されている。 首都のポート・ルイスにある自然史博物館には、現在では唯一現存する、ドードー鳥の骨格が、保存・展示されている。あと100年早く生まれてきていたら、マチュリンはこの鳥を見ることができただろう。
3.エルシノア(デンマーク:北緯56度東経12度30分)7巻「The Surgeon's Mate」 マチュリンはバルト海で、巧妙な立ち回りを要求される任務を遂行することになり、オーブリーは彼を乗せてエアソン海峡を通過するはめになった。北海からバルト海への入り口に位置する狭い海峡は、友好国スウェーデンと敵対国デンマークにはさまれていた。エルシノア要塞からの間断ない砲撃を避けながら、ハムレットの墓所とケワタガモが話題に上る。 エルシノア城は現在、デンマーク国立海事博物館となっている。海峡を挟んだ二つの港(デンマーク側のエルシノアとスウェーデン側のヘルシンボリ)では毎年8月、バルト海帆船フェスティバルが開催され、ヨーロッパ各国から横帆船が集合、帆船の一般公開も行われている。
4.スンダ諸島(インドネシア:北緯0度30分、東経104度15分)13巻「The Thirteen Gun Salute」 オーブリーとマチュリンの任務は外交使節を南シナ海のPulo Prabang島に運び、フランスに先んじてスルタンの協力をとりつけることである。マチュリンは山の僧院で、仏教僧になついたオランウータンに出会う。 Pulo Prabang島を現代の地図の上に見いだすことは出来ないが、数えきれないほどあるスンダ諸島の一つであると思われる。これらの島々の多くはいまだに人跡未踏だが、オランウータンの運命はそれほど幸運なものではなかった。今や彼らはボルネオ島とスマトラ島の自然保護区にわずかに守られているのみである。
5.シドニー港(オーストラリア:南緯34度東経151度15分)14巻「The Nutmeg of Consolation」 初めての流刑囚が掘立小屋を建て、同じくらい不運な陸軍兵士たちが彼らを守るためにこの地に派遣された頃に比べれば、シドニーはずいぶんと変わった。 流刑囚の生活を知りたい方は、Hyde Park Barracksを訪れると良い、当時のRocks地方の生活臭に触れることができるだろう。
6.アンデス山脈(ペルー:南緯16度西経70度)16巻「The Wine-Dark Sea」 チチカカ湖のほとりでは、今なおUros族の人々が浮島に暮らしている。観光客は浮島に宿泊することもできる。 (短いのですが、この物語は背景を説明してしまうとねたばれになるので、これでご勘弁を)。
7.ウイダー(ベナン:北緯6度15分東経2度)17巻「The Commodore」 かつて西アフリカの奴隷貿易の中心地だったウイダーでは、数多くの悲劇の歴史の記録を知ることができる。歴史博物館はまたブードゥー博物館としても知られており、現在もこの地に残る数々の風俗習慣などを知ることができる。
8.ウェスト・コーク(アイルランド:北緯51度30分、西経9度45分 フランスの遠征軍を追跡したオーブリーは、アイルランドの南西端にたどりつく。実際に戦闘が行われた場所が何処か特定するのは難しいが、長年の間英国海軍の基地だったCastletown Berehavenか、最南端のClear Islandの名前が挙がっている。 バントリ(Bantry)には1796年のフランス軍侵入に関する博物館があり、ミズン岬(Mizen Head)の灯台跡には海軍関係の品が数多く集められている。
***補足情報*** 以前オフ会の時に「グリニッチ・ポーツマス巡礼には行きたいけれど、普通の観光客がイギリスで行くところではないから、同行者捜しにこまる」という話しが出たことがありました。 今回ご紹介の「巡礼地」もなかなか同行者選びに窮するところが多いですが、一カ所だけそのような悩みと無縁のところがあります。 3.の「エルシノア城」、日本では「クロンボー城」と呼ばれることの方が多いと思いますが、ここはシェイクスピアのハムレットで有名なお城、日本人旅行者が数多く押し寄せる観光名所です。
デンマークの首都コペンハーゲンからは、中央駅からヘルシングーア(Helsingor)行きの列車で55分、または近郊列車エストー(S-tog)C線のクランペンボー(Klampenborg)駅から388番のバスで1時間。 ヘルシンボリ鉄道駅はフェリーターミナルに隣接しており、前方にはクロンボー城(エルシノア城)、海に目をやると目の前が、海洋小説には何度も登場するエアソン海峡の最狭部、5km先に見える対岸はスウェーデンのヘルシンボリ。 デンマーク側のヘルシングーアとスウェーデン側の町ヘルシンボリ(Helsingborg)との間には20分間隔でフェリーが運航しており、海洋小説の主人公たちが何度となく通過したこの海の難所を、海上からながめることができるのです。
「ちょっと、スウェーデンに行ってみない?」と同行の方を誘ってみてください。20分フェリーに乗るだけで異国に行ける…というのは、なかなか魅力的なお誘いの筈。 私は母と一緒に行きましたが、スウェーデンにも行ってみる…という提案は母にも魅力的だったらしく、計画に乗ってくれました。 かくして私は、エアソン海峡を船で渡れることに! 「私の訪れた外国」の中にはスウェーデンもちゃっかり入っていますが、それって実はこの時に、対岸のヘルシンボリにわずか1時間滞在しただけのことなのです。
さて、このエアソン海峡、幅わずか5kmの狭い海峡を、デンマーク側からの砲撃を避けながら航行しなければならないのですから、司令官や艦長さんたちは大変です。 ホーンブロワーの「決戦バルト海」、ボライソーの「提督ボライソーの初陣」「最後の勝利者」など、エアソン海峡通過の緊迫感を描いた小説は幾つかありますが、なにせ状況が状況なので、誰も…古典にはかなり詳しいホーンブロワーでさえ、エルシノア城塞が実はハムレットのお城だ…などとは教えてくれませんでした。
私なんてデンマーク旅行のためにガイドブックを買って初めて、「えっ? あのエルシノア城塞が実はハムレットのクロンボー城?」と知ったのです…が、 ところがオーブリー&マチュリン7巻「The Surgeon's Mate」で初めて、この要塞とお城の同一性を指摘してくださる方が現れました。 我等がマチュリン先生です。 潮と風とデンマーク側からの砲撃に全神経をとがらせているジャックの横で、ハムレットと鳥の話しを持ち出してはしゃいているのですよ、さすがパトリック・オブライアン。 ジャックもある程度まではスティーブンの話にのっているのですが、途中で艦の間切りを変えなければならなくなり、いきなり言葉を切って操舵命令を叫び始める…と、甲板は慌ただしくなりハムレットはどこかに飛んでいってしまう…というエピソードが笑えます。
明日(24日)夜10時BS-i(BSデジタル)で放映の「北欧クルーズ・スローライフ」は、エルシノア城が登場するようです。 BSデジタルご覧になれる方は是非!おすすめです。
エルシノア城塞(クロンボー城)の砲台からエアソン海峡を見る
2004年08月23日(月)
エーゲ海の熾烈なスロー(?)バトル
ここ一週間、世間さまはオリンピック一色ですね。 夏が苦手な私は、どうも夏のオリンピックは苦手で、「この暑いのに、暑そうな映像を見るなんて…」とぶつぶつ。 水泳だって、熱が入っちゃうとアナウンサーも熱くなってしまって、見ていてもちっとも涼しくなりません。
ヨットってやらないの〜? ヨット中継あったら見てもいいわ。私、エーゲ海が見たいのよ〜。 とずっと言っていたのですが、銅メダルが確定したおかげで、本日やっと見ることができました。 ヨット競技と言うと、アメリカズ・カップは以前に見たことがあるのですが、オリンピックは殆どありません。少なくとも日本では。 実は以前にオリンピック中にイギリスを旅行していたことがあるのですが、その時にちょっというか大量に見せられました。 イギリスのオリンピック中継ってヨットとボートばかりなんですよね。やっぱりお家芸だからでしょうか?
今回も金メダル争いはイギリスとアメリカの一騎打ちで、日本はスウェーデンと3位争いをしていました。 一昨日、船上生活をスローライフと書きましたが、ヨット競技もさすが海の上、熾烈なスロー(失礼!)バトルです。 全くわからない人が見たら、これが世界一をかけた勝負だとは思えないんじゃないでしょうか? のろのろと海面を進んでいるようにしか見えませんもの。 この熾烈さはきっと、見る人が見ないとわからないものなのでしょう。
私自身は乗る機会にはめぐまれず来てしまいましたので、ヨットのことはわかりません。 だから見てもわからない人のうちに入るとは思いますが、でも帆船映画を見る時の習慣で、ついつい風向きチェックはしてしまう。 そうすると、素人ながらにある程度は見えてきて、ここは風上に向かうから間切なきゃいけないんだな…とか、ひょっとしてあの2艇は風上とり争いをしているのかな?…とか、 どこが熾烈なのかはわからないけど、とりあえず必死に争っているらしいことはわかります。 きっと実際にヨットに乗る方たちが見たらもっと面白いのでしょう。
でも各国旗の描かれたスピンネーカー一杯に風をはらませて、20を超える数のヨットが縦列帆走している図…というのは、それだけでもため息ものでして、今朝は本当に素敵なものを見せていたただきました。 ヨット470級、銅メダル獲得、おめでとうございます。
2004年08月22日(日)
米ヨットマン、P.オブライアンの思い出を語る
英国のBBCニュースにパトリック・オブライアンの記事が載っています。 いわく、「ナポレオン戦争時代の海上生活と海軍の様子をあそこまで活き活きと正確に描いていた小説家は、現代のヨットでの実際の帆走については殆ど知識がなかったようである」
BBCニュースによれば、現在発売中のアメリカのヨット雑誌「Yatching World」にトム・パーキンス氏というアメリカ人の実業家でヨットマンが寄稿したパトリック・オブライアンの記事が掲載されているが、その中でパーキンス氏はオブライアンから受けた印象を、上記のように記している…とのこと。
オブライアンの熱烈なファンである裕福なベンチャーキャピタリスト、パーキンス氏は、1995年の夏に自らのスーパーヨット・アンドロメダ号の地中海クルーズにオブライアンを招待したが、19世紀の帆船の細部にはあれほどまでに詳しい筈のオブライアンが、現代のヨットの速度と1日の航海可能距離については現実的な知識を全く有していない…ということがわかった。
パーキンス氏は「オブライアン氏は現代よりも19世紀に詳しい人物であるように思われた」とし、 「ある朝の朝食の席で、パトリックは尋ねた。『トム、こんなことを訊いたら君は当惑するかもしれないのだが、それは、私が最近の世の中を全くわかっていないということが、あからさまにわかってしまうからなのだが、つまり、ソフトウェアとはいったい何のことだね?』」 パーキンス氏はこの質問に対してこう答えた。 『ピアノはハードウェアで、譜面に書かれた曲はソフトウェアです』
原文はこちら:Nautical novelist couldn't even sail
この記事を読んで、でも私はそれほどは驚きませんでした。 役作りについてポール・ベタニーが言ってましたよね?「いちばん参考になったのは、パトリック・オブライアン自身のインタビュー映像だった」って。 マチュリン先生の、現実とズレたところは、オブライアン自身にかぶる部分が多かったのではないでしょうか? もっともスティーブンが現代に生きていたら、コンピュータにハマって、訳のわからないオリジナルソフトウェアの1つや2つは作っていたと思うのですが。
海に関する知識にしても、ありえる話しだろうと思っています。 オブライアンは、キャプテン・クックの航海に同乗した自然科学者サー・ジョセフ・バンクスの伝記を執筆しており、このために当時の記録を読み込んだことで、帆船と海に関するかなりの知識を得ていたでしょう。 実体験がなければ小説は書けない…ということはありません。 でもやっぱり、どうしても及ばないものはある…それは、空気の重さや風の当たりや日差しのきつさ…といった体感的なもの。 その点ではどうしても、他の海洋小説に比べると、オブライアンには限界があるように思います。
読んでいて最も海を「感じる」ことが出来るのはダドリ・ポープ、それからアレクサンダー・ケント。 それはやはり、作者自身の体験の反映なのかな…と。 ポープとケントは自身のヨットで、舞台となる海を取材していると聞きました。 ダドリ・ポープのラミジ3巻「ちぎれ雲」でトライトン号初めて大西洋を横断するくだりがあります。 南へ西へ進むにしたがって、海も空も雲も少しずつ色と形を変えていく、その様が実に丁寧に描き出されていて見事です。実際に大西洋を渡り、北の海から南に海へと航海したくなってきてしまいます。
オブライアンについては、私、実はもう一つ感じていることがあるのです。 ジャック・オーブリーというキャラクターは、英国士官にしてはちょっとはじけすぎて、少々規格外の性格をした艦長さんではないか…と。
冒険小説に登場する英国士官って一種独特のパターンがあるような気が私はするのですが、いかがでしょう? これは海軍さんに限らず陸軍さんでも空軍さんでも同じ、また19世紀でも現代でも、時代を問わず言えること。 常に自己抑制が行き届いていて、あまりハメをはずさない。 ホーンブロワーしかり、「サハラに舞う羽根」の主人公たちしかり、ギャビン・ライアル描くハリー・マクシム少佐まで。 それは「士官たるもの紳士たるべし」という独特の伝統からきているのかもしれませんが、そこが同じ冒険小説の主人公でもアメリカ人士官と異なるところであり、また一種独特の魅力にもなっている。 そしてたぶん、女王陛下の007シリーズがこれほど長く続く理由の一つで、世間がジェームズ・ボンドに見ている夢の一部でもある…かもしれません。
18〜19世紀を舞台にした海洋歴史小説を読んでいて、この英国士官パターンにはまならい、毛色が違うかな?と私が思う主人公は2人いると思います(ここでは下士官から出世したタイプという意味ではありません)。 ジャックとアラン・リューリー(デューイ・ラムディンの描く主人公:徳間文庫)、この2人は英国士官にしては珍しく、その性格が明るくはじけているんですよね。 アランの作者は実はアメリカ人だから、しょうがないかなぁとも思うのですが、オブライアンの描くジャックは珍しいパターンだと思います。 これもやはり作者の経験なのでしょうか? というか、この場合は経験しなかったことが逆に異色のキャラクターを生み出しているのかもしれません。
人生のどこかで従軍経験を持ってしまった英国人作家(職業軍人に限らず、第二次大戦などで従軍せざるをえなかった場合も含む)の描く主人公には、どうしてもハメをはずせない自己抑制の枠がかかってしまうような気がしてなりません。 オブライアンは、病弱ゆえに第二次大戦中も戦場に出ることはなく、代わりにその語学力を活かして情報省でヨーロッパ向けの翻訳などを担当していたと聞きます。 その経験が良くも悪しくも、同じ情報省にいながら従軍記者のような形で実際に軍艦に同乗していたフォレスターや、戦時中ゆえにハイスクール卒業と同時に海に出て行ったケントやポープと異なる、海洋小説や主人公を生み出したのではないかと、 こんな私見はいかがでしょうか?
2004年08月21日(土)
船上のスローライフ
東京の連続猛暑は40日でやっと止まりました。 15日の明け方に強い雨が降って一挙に気温が下がって、「風が涼しい」というだけのことでこれほど幸福になれるとは…。 ドルドラムの後、雨に狂喜していた水兵さんたちの気持ちも、今はわかろうというものです。
7月末からの猛暑の1ヶ月、私の憩いはBSデジタル火曜日夜の紀行番組でした。 午後10時からBS-iで放映の「北欧スローライフ・クルーズ」 日本の豪華客船の、ヨーロッパ海の旅を紹介する1時間番組で、第一回が何時だったのかわからないのですが、私が初めて見たのは7月末のアムステルダム出航の回、船と一緒にカメラも旅するので、番組も船の速度でしか進みません。…ゆえにスローライフ。
猛暑の中を忙しくキィキィ言いながら仕事していた身には、北海クルーズでスローライフなんて、ほとんどファンタジーのような別世界。 この番組を1時間見ていると心がなごみ、暑さもカリカリもどこかにとんでいく。相手のゆったりペースに巻き込まれるというか…。 8月の第1週なんて、キール運河を抜けるだけで1回終わってしまったのですよ。今どきこんな悠長な番組…BSでもなければとてもではないけど放映できないでしょう。
8月第2週から船はバルト海に入り、ヘルシンキ、サンクト・ペテルブルグをまわって来週24日放映がコペンハーゲン、おそらくその日にうちか若しくは31日放映分でエアソン海峡を抜けて、再び北海に出るでしょう。 バルト海はホーンブロワー(決戦、バルト海)や、ボライソー(提督ボライソーの初陣、最後の勝利者)、オークショット(バルト海の猛き艦長)の舞台なので、ここ3回はいろいろ妄想にふけりながら、楽しく見ていました。
本当に船上生活はスローライフ、そして思うに、帆船時代の船の速度は、今見ている豪華客船のこの速度より、もっと遅かったのですよね。 嵐の中で記録したサプライズ号の最大船速12ノットも、時速にしたら20km強にすぎません。自転車よりちょっと速いくらいです。
船があの速度ですから、実際の海戦はたいへんゆっくり進みます。 M&C冒頭の最初の遭遇線とて、朝7時から始まって、舵のこわれたサプライズ号をボートで曳航していた連中が漕ぐのを止めた時には夜になってましたから、実際はまる1日がかりです。
夜明けとともにアケロン号に追われていることに気づいたサプライズ号が、総帆を張って逃げるシーン、正午にプリングスが艦長に「射程に入るまで、5時間ですかね?6時間ですかね?」と尋ねていますが、これってつまり1日中追われてるってことなんですよね、しかも相手はじりじりっと距離を詰めてきている。 当時の物語を読んでいて常に感嘆するのは、彼ら船乗りの持つ強靱な神経…というか粘り強さ。 最後の囮作戦だって、圧倒的に強力な敵艦が迫ってくるのを、じーっと息を殺して待ってるんですよ。砲列甲板なんて艦尾の窓ごしにじりじり近づいてくる相手がずっと見えてるんです。 怖いだろうと思うんです。でもそれを押し殺して待っていなければならないわけでしょう?
「いつも思うんですが、この時間がいちばん神経にこたえますね」 …というセリフが突然、脈絡もなくポコンと思い浮かぶのですが、出典はボライソーで、大砲を突き出した敵艦が迫ってきて血みどろ必至といった状況で、こちらにはどうしようもなく相手が迫ってくるのをただ見ていなければならないような状況に出てきたセリフ、これ何巻の何処でしたっけ? リチャードに対してこんなセリフを言えるのは、ヘリックかキーンかインチぐらいだろうけれども。
私はせっかちな性分だし、訳のわからない状況でただ待っていることに耐えられないので(台風が来るとインターネットの台風針路情報を1時間おきにのぞくタイプ)下甲板待機…なんて絶対にイヤだ!とか思ってしまいます。 気の利いた艦長だと、そう思う部下の気持ちをよくわかっていて、頻繁に候補生を走らせて下甲板の指揮官に状況を中継していますが(私が艦長としてのバレンタイン・キーンが好きな理由の一つはこれだったりする)、ジャックもスティーブンのそんな気持ちをわかっていて、初弾の射程距離ギリギリまで甲板に同席させてたりしますね。そろそろ弾が当たりそうだな…と思うと「ドクター、下に降りる時間だよ」と、毎回くりかえされるこのエピソードというか開戦の儀式(?)が私はけっこう好きだったりします。
2004年08月20日(金)
dot the i (ねたばれ無し)
ガエル・ガルシア・ベルナル、ナタリア・ヴェルニケ & ジェームズ・ダーシー 「dot the i 」を見てきました。 う〜〜ん、やられた! 久々に映画を見て「やられた!」と思いました。
まだ今年は4ヶ月残っているから、この時点で言うのは早いかもしれないけど、私的にはこの映画、今年のベストかも。 最高級の映像ミステリー。 ミニシアター作品独特の、良い意味での「毒」がある。 ただし、映画の構成とか作りとしてね。感動したからベストというわけではないの。
この映画にはいろいろな仕掛けがあって、予告編やキャッチコピーもその一つ。 良い意味でいろいろと裏切られました。 だから、これからご覧になる方には、何をどう…とは私の口からは言えない、口が裂けても言えませんが、 映画鑑賞中は、自分も一緒になって謎を解くつもりで、考えながら見てください。味わいながら、推理小説のページを繰るように。 それから役者さんたちの演技を丁寧に見て記憶に残しておいてくださいな。そこに真実が隠されているから。
ジェームズ・ダーシー、…上手い。 これだけの幅と深さと複雑さを兼ね備えた俳優さんを、サプライズ号一の常識人プリングスにしておくには勿体ないと思ってしまいました。 もっとも、艦長と先生のみならず、個性的な航海長やら二等海尉やらの中にあって、きちんと存在感を主張していたところがさすがなのか。
一部ではダーシーに食われたと評されているガエル・ガルシア・ベルナルですが、役としては彼の演じるキットの方が難しいと思う、彼のきめ細かな演技があってこそ、最後に真実が見えてくるので。これを見落とすと、最後にあれ?っと思うでしょう。だから推理小説を読むように丁寧に見てね…というお願いなんです。
ところでガエルの次作(というのかしら? 日本での公開順がどうなるかわからないのですが、ともあれ次に撮影に入る作品)は、スペインの海洋歴史モノなんですよね。以前にちらっとご紹介した、ヴィゴ・モーテンセンの「エル・カピタン・アラトリステ」。 「dot the i 」の撮影中にマストの登り方なんかもジェームズに教えてもらったりしたのかしら(笑)? ともあれこちらも楽しみです。
2004年08月13日(金)
ハリウッド内部情報(M&C続編の可能性)
オーブリー&マチュリン・シリーズをアメリカで出版しているノートン社の掲示板「パトリック・オブライアン ディスカッション・フォーラム」には全米・全世界から書き込みがありますが、この中には“ハリウッドの業界関係者でM&Cファン”という方の書き込みもみられます。 ただしこの方、業界関係者ではあるらしいのですが、20世紀FOX社の方ではないようです。
8月10日〜11日にかけて、このノートン社の掲示板で「M&C続編の可能性について」書き込みがありましたのでご紹介します。 結論から言うと、続編はすぐには決まらない…ということのようですが。
以下は業界関係者(Max Trainer氏の名で書き込み)の推測です。
映画M&CおよびそのDVDの売り上げは下記の通りである。これは20世紀FOX社に続編を決断させるのに十分な売り上げである。
「マスター・アンド・コマンダー: The Far Side of the World」 興行収入(全世界) 2億1,000万ドル
DVD売上(米国) 1億4,000万ドル DVDレンタル(米国) 3,000万ドル VHSレンタル(米国) 6,400万ドル 米国以外の国でのDVD売上、レンタル収入は現時点では不明。
ただし、近々に続編制作発表とは行かないであろう。 続編が制作されるか否かは、誰がメガホンをとるか、すなわち監督が決まらない限り進まないものと思われる。 監督選定に1年以上かかる場合もありうる。 現在、FOX社は脚本案を提示して、監督を捜している模様である(訳注:ここの英文はThe studio has commissioned なので、実際にFOX社は動いている模様)。 噂では、最有力候補は映画「トリポリ」のプロジェクトがキャンセルになり、現在は手が空いているリドリー・スコット。
最終的に、この業界関係者の結論は、 「議案は、議員提案箱に入ってるのだから、1〜2年待ってみよう」 ということで、可能性は高いものの早急に結論は出ない…ということのようです。
リドリー・スコット&ラッセル・クロウと言えば、「グラディエーター」ですが、この書き込みのあと展開されたファンの声には、「デュエリスト:決闘者」のような作品を作って欲しい…という要望がありました。これは同じくナポレオン戦争の時代を舞台にした作品です。 リドリー・スコットは「白い嵐」の監督でもありますし、海洋モノのも歴史モノも実績としては十分でしょう。
7月初旬の放映時に見逃した「アクターズ・スタジオ:ラッセル・クロウ自らを語る」のVTRを藤木さんnに貸していただいて、やっと見ることができました。 インタビューを見た印象からですが、ラッセルは「やりがい」で作品を選ぶ役者さんのようですし、彼をその気にさせるのは、チャレンジしがいのある脚本と監督…が不可欠でしょう。FOX社には是非、すばらしい監督を口説いていただきたいものです。
現時点で仮定の話などしたら、鬼に笑われてしまいますが、 「M&C」公開時に、「もしこれをピーター・ウィアーではなくリドリー・スコットが監督していたら、全然違う作品になっただろうね」、という話しをしていた記憶があります。あれは…3月のマクラウスキーさんのバックステージツァー帰りの飲み会だったでしょうか? あの時の話しでは「きっともっとアクションの派手な作品になっただろう」という結論だったと思いますが、実際にリドリー・スコットの名前が出てくるとはオドロキです。
はてさてどういうことになるのかはわかりませんが、ファンとしてはひたすら、続編の実現を祈るのみです。
2004年08月12日(木)
ナイルの海戦にもう一人(おわびと訂正)
火曜日に突然、大量の更新が現れて恐縮です。
月曜お休みを1日とって、2泊3日で車で箱根に行きました。 車なのを良いことに、PCと英語の辞書を抱えていって、昨日付け更新のカタロニア旅行案内を翻訳しupしようとたくらんでいたのですが(だからお休み届けを出さなかった)、なんと英語の辞書に無い単語(スペイン語とかフランス語とか)が出てきてしまいお手上げ状態(さすがカタロニア、マチュリン先生の故郷だわ)。 …フランス語やスペイン語のCD-Rom辞書は持ってないのよ。紙の辞書は職場に置いたまんまよ。
というわけで、結局、職場復帰した今日になって、残りの単語を調べ、ためこんだテキストを大量更新するハメになりました。 もうしわけございませぬ。
お詫びはもう一つあるのです。 8月2日のナイルの海戦の記事で、私、ひとり忘れておりました。 それも常に冷遇されている、とある海軍士官を。 忘れ去られると大暴れする可能性の高い方を。 オソロシイことをやってしまいました。どうしましょう。
大変申し訳ございません、失礼をばひらにお許しを…ジョージ・アバクロンビー・フォックス海尉殿。
フォックスはカローデン号でナイルの海戦に参加していましたが、カローデン号は海戦の初期に座礁、以後傍観者にならざるをえませんでした。…気の毒なお方。 フォックスはアダム・ハーディの海洋小説の主人公ですが、この本もドリンクウォーター同様もはや絶版。入手が大変むずかしくなっています。 実を言う私もこのシリーズは歯抜け状態で、ナイルの海戦を舞台にした2巻「全艦エジプトへ転進せよ」は入手できておりません。
海戦の傍観者にならざるを得なかったとは、フォックスの性格からして、きっと地団駄踏み抜いて大変だったのではないかと推察しますが、既読の方、いかがだったのでしょう?
…というわけで、フォックスのことをご指摘いただきましたお二方>本当にありがとうございました。 いろいろと手落ちの多い管理人ですが、苦笑して許していただけると幸いです。
2004年08月10日(火)
カノン・カトラス・カタロニア(1)
英国のデイリーテレグラフ紙は、昨年11月、M&Cの英国公開に合わせて「Cannon, cutlasses and Catalonia」という旅行特集記事を掲載してくれました。 タイトルを日本語に訳してしまうと、最初のCが消えてしまうのですが、Cannonというのは、サプライズ号などに装備されている大砲のこと、Cutlassesは船乗りが船の上での戦闘に使う幅広の剣、Cataloniaはカタロニア、スペイン北部のマチュリン先生の故郷です。
記事内容は、マット・バナーマン(Matt Bannerman)というテレグラフ紙の記者が、オブライアンの小説の舞台を訪ねてスペインを巡る…というものでした。 以下、記事の一部を翻訳してご紹介します。
なお文中のカタロニアの地名の中には、ガイドブックで確認できないものもありました。一応スペイン語に近い読みを入れてありますが、現地での発音は異なるかもしれません。ご注意ください。
「カノン・カトラス・カタロニア」 by マット・バナーマン
「私は18世紀の目をしているんですよ」 とフランク・ポンス=マントナーニは言う。彼の瞳はメノルカ島の住民としては典型的な、しかしスペイン人にしては珍しい、深い青をしている。 「この瞳の色は、英国海軍がこの島に残していった数多くの遺産のひとつなのです」と彼は説明する。 これ以外の遺産とは、今なお島の方言に残る「please」や「bottle」と言った単語。「Victory」にまつわる名前が圧倒的に多いこと。我々が今現在、座っているこの家も、スペイン風の開き窓や鎧戸でありながら、英国風の扇型の明かり取り窓があり、玄関ポーチは柱廊と英国人好みに作られている。
メノルカ島は、オブライアン巡礼の旅の出発点としては最適の場所のように思えた。なぜならオブライアンが物語の書き出しに選んだ舞台はここ、19世紀英国占領時代のメノルカ島である。 フランクはこの巡礼の案内役として最適の人物だ。彼は書棚にオブライアン全巻を備えているだけではなく、かつてのコリングウッド提督(訳注:トラファルガー海戦時の次席指揮官として有名)の邸宅を購入し、修復した人物だからである。
にもかかわらず、彼は意気揚々とやってきた私の巡礼計画を、やんわりとたしなめた。 「私は、この国でオブライアンの小説に登場した場所を探し出そうとして、失敗しているのです。いくつかはオブライアンが作り出した架空の場所ですよ。所詮はフィクションなのです」
そんな言葉に臆したりはしない。私はミシュランの地図を広げた。フランクの指は、ジローナ(Girona)の北のあたりで止まった。フランスとスペインの国境が海にぶつかるあたりである。 「ここらへんの何処かじゃないかと思うんですが、」 フランクは言う。だが疑わしげな口調で。
シウダド・デ・バレンシア号がポート・マオンから出航すると、本場の「トラモンタナ(訳注:船乗り言葉で地中海の北風)」が吹き付けてきた。乾燥した涼風は、モラ岬の崖の方向にその指をのばし、甲板で日光浴をしていたフランスのバス・ツァー客の帽子をつまみあげた。胸に入れ墨をし、節くれ立った大きな指をポキポキ鳴らしていたスペイン人の建設作業員たちがその様子に眉をしかめる。 バルセロナ行きのフェリーは、船室にも余裕のとれる船体で、ぴりぴりと神経をとがらせた副長ならペンキについた1〜2カ所のひっかき傷が気になるかもしれない。乗客のトラック運転手たちがハム・バゲットをぱくついている船室は、艦長室というより士官候補生居住区を思わせる。 だが彼女(バレンシア号)は陽気な船で、メノルカ島の西岸をかわし一路北へ長いうねりをかきわけて進み始める頃には、乗組み士官全員とおぼしき人数の高級船員たちが染みひとつないぱりっとした服装でバーに現れ、チップスとビールを手にして談笑を始めた。
難しい操船技術が求められるような事態が発生していないのは明らかである。太陽にじりじりと照りつけられたそれからの8時間の間、私は小さな漁船一隻しか見かけなかった。私は通気筒の陰にはすに入り込み、なんとか目を覚まし続けていようと努力していた。ドクターに敬意を表して、何とかクジラを発見しようと見張っていたのだ。
オブライアンはヴォーヴォワールの詩も翻訳するなど多様な著作活動をしていたが、サー・ジョセフ・バンクス(キャプテン・クックの探検旅行に同行した自然科学研究者)の伝記を記してもいる。そしてこの小説においても、自然科学に対するマチュリンの情熱、喜々として蘭やオランウータンを追いかけ回すその様は、嵐や戦闘の合間にも常にマイルドな喜びを与えてくれる。
しばらくして私は、舷側に出ていたフランス人に起こされた。「Nous sommes pres」(もうじきですよ…という訳でいいのでしょうか?:フランス語だから自信ない)。ナント出身だという老船員は、紫にかすむピレネー山脈を指さして言った。
翌朝、私はバルセロナからフランス国境へ向かう高速道路を走っていた。このルートは古代からの幹線道路でドミータ街道と呼ばれていた。ハンニバル将軍も象を連れてこの道を進んだ。国境をはさむように位置しているカタロニアの町は、戦略上の要地にあり繁栄していた。私が昼食に立ち寄ったのは活気のあるフィゲーラス(Figueres)の町、そこで私はイカとアヒルと羊のチーズの料理を堪能した。
この町にも城塞がある。広大なサン・フェリペ城塞だ。城塞の案内人パブロは、英国に留学したこともある海事史の研究者だった。オブライアンの名を出すや彼は、小説に登場した作戦行動と、実際のカタロニア沿岸の港や砲台と関係がどうなっているかについて、次から次へと説明してくれるのだった。 マチュリンの城について尋ねると、彼は北を指さした。陽炎のたつ平原の果てに山脈がそびえたっている。
正直に言えば、アルベラス(Alberas)は山脈と言えるほどの山々ではない。ピレネー山脈が海に落ちる前にひとあがきしているだけの山にすぎない。峻険ではあるが規模は小さく、岩肌と草原という頂上付近の稜線をのぞけば、山肌は森に覆われている。北側の斜面はルウジリヨン(Rousillon)平原、南側の斜面はエンポルダ(Emporda)平原だが、野生の小麦の混じる草原はやがてブドウとオリーブの畑にとってかわり、さらに下ると、松の実をとるための松も植林されている。北の国境地帯から吹き下ろす風を防ぐために、耕作地はイトスギの防風林で大切に守られている。 風をよけるように村は高台の南側にかたまり、奇妙な景色をつくりだしている。南を見ると何もない不毛の平原が広がっているのに北に目をやると赤いタイルの屋根瓦のかたまりが点々と目に入るのである。
さらに登っていくと、平原はアスペラ(Aspera)呼ばれる暑い乾燥地帯に変わる。ほこりっぽい藪のところどころに青々とした葦や青草が点々としていて目を引く。雨水がたまり天然の貯水池となっているのだ。ところどころに先住民のメンヒルやドルメンが残っている。
この地でガイド役を務めてくれたバーソロミューは、パトリック・オブライアンの名を耳にしたことはなかった。我々はカンタロプス(Cantallops)村(カタロニア語で狼の唄の意)を後にした。トヨタ車はガタガタ揺れながら、きつい悪路をのぼっていった。標高が上がるについれコルク樫の森がブナに変わり、我々は垂直に切り立った谷の片側を登っていった。プイグ・ネウロス(Puig Neulos:地名)の脇の下の位置にあたる。フランス側のラジオ塔が木々の間にちらちらと見え始めた。
ここはかつて密輸業者が使っていた道だと、バーソロミューは私に教えてくれた。第二次大戦当時、フランスに不時着した連合軍のパイロットを密かに逃がすルートであったとも。 目的地は近いと私は確信していた。マチュリンの城について明確な記述があるのは、「勅任艦長への航海」における超現実的なエピソードのみである。マチュリンとオーブリーは虜囚の運命を逃れるために、熊踊りの一行に身をやつし、ツーロンから逃げてくる山々を越えてスペインへ自由をもとめて。
トヨタ車は身を震わせて止まった。突然さしこむ陽の光、足下には高い小さな鋸歯状のカーテンウォールのような岩山。バーソロミューはドアを開け私を、すきま風の抜ける暗い通路に導いた。そこはツバメのさえずりに満たされていた。そして突然、私たちは谷の上にそびえたつ累壁に出たのだった。
もはや妨げられるものが何もないトラモンタナ(北風)は、累壁の狭間をごうごうと吹き抜けていた。どこかで牛の鈴が鳴っている。 手びさしで太陽光をさえぎって見ると、カタロニアのすべてがそこに広がっていた。キャプ・ド・クレウス(Cap de Creus)、ローズ湾(the Bay of Roses)、スティーブンが目にした光景だ。 私の後ろではバーソロミューが風に負けないように叫ぶような声で教えてくれた。これらの累壁や塔は当時のものではないこと、退屈した孤独な貴族が、エドワード7世の時代(1901-10年)に建造したものなのだと。
だが私は、2羽の金鷲が風に乗って空高く舞い上がっていくさまを目を追っていた。その話は聞かなかったことにしようと思った。 何にせよ、これはフィクションの世界の話なのだ。
バナーマン記者の旅は、このような形で終わり、結局のところ彼は「スティーブン・マチュリンの城」を見つけることができなかったわけですが、この広い世界には、そう簡単にはあきらめない方たちが大勢いらっしゃいます。 以前にちらっとご紹介した、オーブリー&マチュリンの英文フォーラム「Gun Room」のメンバーの皆様がそれです。
そして、膨大な「Gun Room」の過去ログから、マチュリンのお城に関する記事を探し出し、日本語でまとめてくださった方もいらっしゃるんです。「Dangerous Shoals」というサイトを運営していらしゃるまつもとさんです。
それではここから、スティーブンのお城に関する探求の旅は、まつもとさんのサイト(ここをクリック)にバトンタッチ! 素敵なお城の写真がたくさん紹介されています。 「pickup」というコーナーをクリック、一番上の「スペインのお城」という記事です。
なお、バナーマン記者の記事には、この他の巻の舞台について簡単な紹介記事が続きます。 これについては日を改めて、引き続きご紹介したいと思います。
2004年08月09日(月)
Deep Blue
夏です。暑いです。海に飛び込みましょう。深い深い深海へ。 …と考えている人が首都圏に山ほどいるのかどうかはわかりませんが、何故こんなに混んでいるの?と驚くような大ヒットになっているドキュメンタリー映画「ディープ・ブルー」。 なにせ先週の六本木ヒルズ、ヴァージン・シネマでは、「シュレック」「サンダーバード」「スパイダーマン2」「ハリポタ3」「キング・アーサー」を抑えて、一番大きなスクリーン7をとっていたのは、この「ディープ・ブルー」だったそうです。 私は川崎のヴァージンTOHOに行きましたが、ここも一番大きいTHXのスクリーン5が三分の二埋まる大盛況。
これは、「M&C」ファンというより、スティーブン・マチュリンご本人に是非是非ご推薦したい映画です。 なにより冒頭から50万羽のアホウドリ…なのですもの。
「ディープ・ブルー」は広大な海に生きる生物たちの生態をあますところなく記録したドキュメンタリー。 ラッセル・クロウはインタビューの中で、19世紀の海軍本部の仕事を現在のNASA(航空宇宙局)の仕事に例えていましたが、21世紀に入った現在でも、5,000メートルを超える深海を知る人間の数は、宇宙を旅した人間の数より少ないのだそうです。
スクリーンに展開される驚異の映像の数々、思わず「うわぁ」と口に手をあててしまったり、息をとめてしまったり、 映画館は暗闇だからよくわからないけれど、かなりの数の観客が、あのガラパゴス視認直後のマチュリン先生状態のキラキラ目になっていたのではないかと思われます。
M&Cファンとして思わず「うっそー!」と思ったのは、イワシの群れの争奪戦を演じるサメとイルカのただ中にダイブするカツオドリ。 カツオドリって、あのDVDの追加映像でマチュリン先生の虫眼鏡をつっつこうとしていた、あの間の抜けた顔のひょうきんな鳥ですよ。 英語でカツオドリをあらわすBoobyってブービー賞のブービーで、つまりは「あほ、まぬけ」って意味で、日本語の「あほうどり」と同じような感じなんですよ。 なのに、なのに、そのカツオドリが こ、こんなにカッコイイなんて…、 …素敵。
やっぱり未知なる世界…海って、奥が深いわ。
ただし一つご注意は、これは海の弱肉強食をもあますところなく記録したドキュメンタリーです。シャチに食べられてしまうアシカとか、可哀想な映像もありますので、その点は覚悟してご覧になってくださいますよう。
最後に、これは個人的な感想なのですが、私的にはBGMがちょっと。 音楽は「ガンジー」や「遠い夜明け」を手がけたジョージ・フェントン、演奏はベルリン・フィルで、これはこの映画の売りの一つなのですが、 私は海洋記録映画といえば、ジャック・イブ・クストーの「沈黙の世界」の印象が強い。 海中は本来、静かな世界です。 海上は風と波の音の世界。 最初から最後まで大熱演、金管楽器ばりばりのベルリン・フィルは見事ですが、自然を記録した映画なのだから、もう少し自然な音で、音楽で盛り上げるようなことをせず、ありのままを見せて、聴かせてほしかったなぁと。個人的には少々残念に思うのでした。
2004年08月08日(日)
鷲は再び舞い降りた(ウォルター少年と夏の休日)
終了直前の「ウォルター少年と夏の休日」を、滑り込みで見てきました。 夏休みに子供さんを連れて映画なら、「ハリポタ3」よりむしろ「ウォルター少年」なのでは…と思ったのですが、ウォルターは上映終了だから時すでに遅し…ですか。
どちらも、家庭愛に恵まれなかった13〜4才の少年が、様々な経験から糧を得て、最後にはひとつ成長する、という物語なのですが、ウォルター少年の方がこの道筋がわかりやすく、はっきりしているような気がします。 「ハリポタ3:アスガバンの囚人」の原作は、確かにハリーの心の軌跡が見える面白い物語なのだけれども、映画になってみたら主人公の心の動きより、あっと驚く不思議な映像が先行する作品になってしまって、魔法は見られて楽しかったのだけど物語はどこへ???
原作より映画を先に見た友人が「ハリーは、おばさんにひどい仕返しをしてもお咎めなしだし、校長先生はひいきをするし、あれでいいのかしら?」と言っていたのですが、確かに、映画だけを見るとそのように感じるかもしれません。 おばさんが風船みたいにふくらんで飛んでいってしまいました…というのは、文章で読めばユーモアですが、実写で見てしまうと、ちょっとあくどいですし(これって日本人感覚? 欧米ではそんなことないのかしら?)、原作では、やはり子供時代に温かい家庭にめぐまれなかったルーピンが、代わりにホグワーツで、一緒に動物に変身してくれる大切な友人を得た…というサイドストーリーが脇にあって、だからハリーにも、同様にロンやハーマイオニーがいるのだよとわかるような、一種の救いがあったと思うのですが、映画はどたばたと忙しくストーリーの上筋だけを消化して終わってしまったような…。 私が心配することではありませんが、この路線で「ハリポタ4」に行ったら、4はあぁいう結末の話しではあるし、いったいどうなるのかなぁと、少々心配。 ストーリーの上筋だけに終わらないのが、J.K.ローリングのファンタジー(原作)の良いところだと思うのですけれども…。
そうそう、ホラム君…じゃなかったリー・イングルビーは、ちょっとキレた過激なバスの車掌さんが見事にはまってました。 今月の「Movie Star9月号」にもちょこっと取り上げられていましたね(P.35のハリポタ特集の一部)。イングルビーの次作は欧米で12月公開の「ヘイヴン」。これはオーランド・ブルームの映画ですから、いずれ日本でも見られるのではないでしょうか?
さて、話しは戻りますが「ウォルター少年」。 これはハーレイ・ジョエル・オスメント演じる少年ウォルターが、母親の身勝手から、ひと夏を2人の大おじさん(ロバート・デュバル&マイケル・ケイン)の農場に預けられる物語です。 大おじさん2人は、近所では有名な偏屈じじぃなのですが、銃の扱いにたけていて喧嘩も強く、本人たちはむかしモロッコの外人部隊にいたからだと主張していますが、近所では実はあの2人は銀行強盗だった…という噂が流れています。 このおじいさん2人がなかなか素敵なのですよ。 (ほらまた葉山さんの爺さん好みが始まった…って? はい。本人ようく自覚しておりますので)
それはさておき、実は今回最大の大発見はパンフレットにありました。 映画パンフ掲載のインタビューの中で、マイケル・ケインが「デュバルのことは昔からよく知っているんだ。初めて一緒に仕事をしたのは1976年の『鷲は舞い降りた』だから」と答えていたのです。 「鷲は…」の主人公クルト・シュタイナを演じたのがマイケル・ケインだということは私も記憶にあったのですが、ロバート・デュバルって? …と思ってネットの映画データベースで調べてみたら、 なんと!ロバート・デュバルって、マックス・ラードル役だったんじゃありませんか!
私もさすがにこの映画、リアルタイムでは見ていません。でも昔からタイトルだけはよく耳にしていました。少女漫画を毎月買っていたティーンエージャーの頃、「この映画が好き!」とおっしゃる漫画家の先生方が多くいらして、いったいどんな映画なんだろう?って思っていた作品だったのです。 その後原作があることを知ってこれを最初に読み、それからずいぶんたってから「東京12チャンネルの昼間の洋画」でやっと見ることができました。
これは第二次大戦末期のドイツ軍の特殊作戦を描いた、分類は戦争アクション映画になるのでしょうか? 原作はジャック・ヒギンズの冒険小説ですが、こちらはアクション以前の英独双方の動きが丹念に描かれていて、むしろミステリ小説やスパイ小説の分類に入るのだと思います。
主人公はドイツ人の父とアメリカ人の母を持つドイツ軍少佐クルト・シュタイナ(マイケル・ケイン)と、祖国アイルランドの完全独立のためにドイツ軍に加担するスパイ(どっかで聞いた設定?まぁ同じ目的でも第二次大戦中はイギリスの敵になってしまうんですね)リーアム・デブリン(ドナルド・サザーランド)。 この特殊作戦を立案するベルリンの軍情報部中佐がデュバル演じたマックス・ラードルでした。 そして今回、もう一つ発見! このラードル中佐にはカールという補佐官がいるのですが、これを演じていたのがマイケル・バイン。「ホーンブロワー」の第一話に出てくるジャスティニアン号のキーン老艦長や、「シャープ」のウェリントン麾下の2代目スパイマスター、ナリン役などを演じていた渋い役者さんです。
さきほど、デブリンの設定について「どこかで聞いた話?」とか書きましたが、 この作品は、意外と「M&C」ファンにお勧めかもしれません。 国籍も人生哲学も価値観も異なる二人の男が、ある作戦のために組まなければならなくなる。 クルト・シュタイナはジャックより更に正統派の軍人さんですが、リーアム・デブリンは…私、アイルランド人のヒネクレには一定のパターンがあるような気が…しないでもない。考えてみればデブリンは、ダブリンの名門トリニティ大学の卒業で、マチュリンの約140年後輩(笑)に当たるのでした。
でも、出来たら先に原作「鷲は舞い降りた」(ハヤカワNV834)からお読みになってくださいませ。 映画から先にご覧になった方はきっと、映画を「素晴らしい!」って仰るんだと思うんですけど、私は原作を先に読んでしまったので、「映画は原作の味をこわしてしまった」と苦く思う一人です。 ハッキリ言って、ヒロインに関してはこの映画、「キング・アーサー」と同じ失敗をしているような? こういう方がやっぱり、アメリカ人にはウケるんでしょうかねぇ?(ため息) 原作のラストの方が絶対に余韻が残るのに、残念です。
2004年08月07日(土)
ナイルの海戦
8月2日は、ジャック・オーブリーも参戦したことになっている「ナイルの海戦」の日。
ナイルとはエジプトのナイル川のこと。この海戦、正確にはナイル河口の街アレキサンドリアから14km東のアブキール湾で1798年8月2日に闘われました。
ネルソン提督を語る時に欠くことのできない海戦は四つ(サン・ビサンテ、ナイル、コペンハーゲン、トラファルガー)ありますが、ナイルの海戦はこの二番目のもので彼の名声を決定的にした海戦です。
エジプトとマルタを手中におさめインドとイギリスを結ぶルートを遮断しようと考えたナポレオンは、1798年5月、ブリュイ提督のフランス艦隊と5万の陸軍部隊を率いて海路エジプトに向かった。
これを阻止すべく出帆したネルソン率いるイギリス艦隊は当初、フランスの狙いが何処かわからず(両シチリア王国が攻撃される可能性が高いと考えられていた)、水平線の彼方に消えたフランス船団を、地中海中探し回ったが、行違いから発見できず、ナポレオンのエジプト上陸を許してしまった。
上陸したフランス軍は7月1日にアレクサンドリアを陥落させ、さらにカイロに侵攻。 この間、フランス艦隊はナイル川の河口アブキール湾に停泊していた。指揮官のブリュイ提督はイギリス艦隊の来襲を危惧していたが、ナポレオンは艦隊がナイル河口を離れることを許さなかった。 そこへイギリス艦隊が襲いかかったのである。
イギリスはこの海戦に圧倒的な勝利をおさめ、艦船を失ったフランスは、エジプトからの脱出手段を失った。 当時エジプトを支配下に置いていたオスマン・トルコ帝国は、10月、フランスに宣戦布告、翌年2月、両軍はシリアで衝突した。
ここに至りナポレオンはエジプト脱出を決意、1799年8月、軍を捨て側近だけを連れて小型艦で封鎖を突破しフランスに帰国した。 取り残されたフランス軍は2年後、完全にエジプトから追放された。
以上が、ナイルの海戦というよりは、ナポレオンのエジプト遠征の概要です。
余談ながらこの時、オスマン・トルコ軍支援に派遣されたイギリス軍を指揮していたのが、サー・シドニー・スミス提督、先日発売されたばかりのオーブリー4巻に登場するクロンファート郷は、当時このサー・シドニーの指揮下にあったという設定です。もっとも、サー・シドニーが本当にユニコーンの角を手に入れたか定かではありません。
でもここは海洋小説のHPですから、史実は横において、恒例の「この時、あの人は何処に」ナイル海戦編に行きたいと思います。
この海戦に、外縁部で関わっていたのは、同時期に同様の命令を受け、やはり地中海でフランス艦隊を探しまわっていたアレクサンダー・ケントの主人公リチャード・ボライソー(11巻「白昼の近接戦」)と、スエズ地峡の反対側(この時代まだスエズ運河はありません)の紅海にいた、リチャード・ウッドマンの主人公ナサニエル・ドリンクウォーター(3巻「紅海の決戦」)。
ニコラス・ラミジはトライトン号でカリブ海にいましたし、ホーンブロワーはまだスペインの捕虜でした(DVDボックス3巻参照)。
実際に海戦に参加していた設定になっているのは、リアンダー号の海尉だったジャック・オーブリーと、後にリチャード・ボライソーの旗艦艦長になるジェイムズ・タイアック、さらにその指揮下に入るロバート・クリスティ(後にフリゲート艦ハルシオン号艦長)、この二人が乗り組んでいたことになっていたのがマジェスティック号です。
ジャック・オーブリーは、戦列艦リアンダー号の二等海尉としてナイルの海戦に参加した設定になっており、映画での正装時に首から下げている勲章は「ナイル・メダル」、すなわちナイル海戦戦功賞です。 リアンダー号は搭載砲50門の小型戦列艦で、ナイルの海戦では(戦列艦としては)小まわりの利くその特性を活かし、僚艦の援助に活躍しました。 ただし、オブライアンの小説は1800年から始まるため、リアンダー号時代のジャックの話は、映画の中で彼が語るネルソン提督の思い出同様、すべて回想として語られるのみ。
ナイルの海戦でのネルソン提督の旗艦はヴァンガード号なので、この時ジャックは提督の艦に勤務していたわけではありません。 ジャックとプリングスが共に提督の艦に勤務していたのは、アガメムノン号時代(1793-95年)らしいという推測は、以前にも一度このHPに乗せたと思うのですが、実はプリングスがアガメムノン号でジャックと一緒だったというのは、映画のみで出てきた設定のようです。 そしてもう一つ、映画だけの設定の可能性があるのが、プリングスがボタンホールに飾っていた小さな勲章です。
あの勲章がナイルメダルだとすれば、プリングスもナイルの海戦にかかわっていたことになるのですが…。 これはいったいどういう設定なのか? こういうマニアなことを調べるには、ネット上でオブライアン・マニアの会する英文フォーラム「Gun Room」しか無いのですが、ざっと調べたところでは、欧米のマニアの知恵をもってしても、この謎は解けないようです。 ましてやジャックと一緒だったかどうかは…、 ウィアー監督か脚本のコーリー氏に、この謎を是非お伺いしてみたいものです。
ところで、ナイルの海戦をめぐる海尉と候補生の物語と言えば、やはりタイアックとクリスティでしょう。 ジェイムズ・タイアックは、ボライソー・シリーズの主人公リチャード・ボライソー提督の最後の旗艦艦長、彼には「半顔の悪魔」という異名があります。 彼はこのナイルの海戦で大やけどを負い、顔の右半分が無惨に焼けただれてしまった。無傷に残った左半分はもとの端正な面立ちを残しており、…ゆえに「半顔の悪魔」と呼ばれるのです。
マジェスティック号は、ナイルの海戦に参戦した英国艦の中では最も損傷の激しかった艦で、艦長以下多数の死傷者を出していました。ロバート・クリスティは候補生となって二ヶ月目にこの地獄絵に遭遇、恐怖のあまり我を忘れそうになった時に、下層砲列甲板を指揮していた海尉タイアックが、怯えきっていた候補生の肩をゆさぶって、クリスティにとっては一生忘れられない言葉をかけてくれたのです。
…このシーンの独特の雰囲気は、もう何としても、私の言葉では紹介しきれるものではないので、是非ケント氏の文でお読みください。…こういうシーンの静かなドラマが、アレクサンダー・ケントは本当に見事だと思うので。24巻「提督ボライソーの最期」(ハヤカワNV969)6章P.154〜157です。
実を言えば、ジャックとタイアック、クリスティ以外にもナイルの海戦に参戦していた海洋小説の主人公がいます。それも実は最初から最後までをほとんどの特等席の目撃者として過ごした人物が。 ロバート・チャロナーの主人公、チャールズ・オークショット艦長、小説のタイトルは「ナイルの密約」(ハヤカワNV444)。
ロバート・チャロナーの小説は、海洋小説というよりむしろ時代小説なのだろうと私は思っています。 艦長を主人公と設定しているものの、作者が書きたかったのは海洋冒険よりむしろ当時の歴史冒険小説で、一つの艦に視点がとどままらず、当時の地中海全体の動き(両シチリア王国をめぐるイギリスとフランスの駆け引きなど)が俯瞰できます。 主人公はヘテロクロミア(金銀妖眼と書かないのは、青と茶の妖眼だから)の貧乏侯爵家の次男坊だし、謎の密使とか、暗殺者の美女とか、ナポリ大使サー・ウィリアム・ハミルトンにエマ夫人もご登場。胸踊る設定がてんこ盛りで、フォレスターやオブライアンやケントに比べたら、読み口は軽いですし、以前に海洋小説入門をとりあげた時に、出来ることならご紹介したかった作品でした。 …なぜご紹介できなかったかというと、この本、絶版になってしまっているのです。作者のチャロナー氏も亡くなられた今、原書も入手しにくい状態に。 もし、古本屋さんなどで見かけられましたら、迷わず手にとりレジに持っていかれることをおすすめします。
今回の参考資料は、ほとんどこの一冊でした。 「ナイルの海戦」 原書房 2000年6月初版 著者:ローラ・フォアマン、エレン・ブルー・フィリップス
この本は、1998年、ナイルの海戦から200年目にアブキール湾で行われた大規模な発掘調査、海底に沈んだフランス艦の発掘調査の結果を踏まえて書かれたドキュメンリーです。 この発掘調査は、TBSの「世界ふしぎ発見」にも採り上げられて、ネルソン提督とナイルの海戦をテーマにした回が放映されたりもしました。
ナイルの海戦を決したのは、フランス艦オリアン号の炎上、爆発、沈没でした。 フランス軍の旗艦、最強の戦列艦と言われた124門の一等級艦オリアン号は火災が火薬庫に引火して大爆発を起こし、完全に消滅してしまいました。1000人と言われるオリアン号の乗員のうち、生き残ったのはわずかに60人。 「この大爆発の後、もっと不気味なものが戦場に訪れた。それは沈黙であった」と、「ナイルの海戦」の著者フォアマンとフィリップス記しています。 その場にいた人間すべてが、フランス、イギリスを問わず、破壊の巨大さに衝撃を受け、金縛りにあってしまった。 すべての砲撃が止んだ時間は10分とも30分とも1時間とも言われています。 「オリアン号の爆発」は、当時のヨーロッパに衝撃を与え、この事件は海戦の定義を変えたと言われると同時に、当時の数多くの絵画に描かれました。
今、この本を読み返し、オリアン号のくだりを読んで、思い起こされてしまうのは9.11。 この世にあってはならない巨大な破壊を前に、声を失った人々。 ナイルの海戦の死傷者数は、英仏あわせて6000人とも言われています。
2004年08月02日(月)
Patrick O'Brian Weekend 10月1日〜3日inポーツマス
先週ご紹介した英国ハンプシャー州ポーツマスの英国海軍博物館で、今年は10月1日〜3日に、「パトリック・オブライアン・ウィークエンド」が開催されます。 プログラム内容は、オブライアンの小説にまつわる、弦楽四重奏コンサート、数々の講演、ポーツマス港VIPクルーズ、H.M.S,ビクトリー号での晩餐会など。 参加料£350(約72,000円)、宿泊ご希望の方は、ポーツマスのホテル「ホリディ・イン」に別途手配。
このプログラムの詳細は下記の通り。
10月1日(金) 19:00 受付(Reception) ポーツマスの英国海軍博物館 Sailing Navy Galleryにお越しください。
20:00 コンサートと朗読(Concert Celebration of Friendship) サブタイトルにcelebration of friendshipとあるように、これはオーブリーとマチュリンの友情にちなんだコンサート・プログラムです。 オブライアンの小説に登場する曲の数々が弦楽四重奏で奏でられるとともに、曲と曲の間には、オブライアンの小説から、オーブリーとマチュリンの友情にまつわる一文が朗読されます。 ここで朗読されるシーンは、熱心なオブライアン・ファンによるインターネット上のフォーラム「The Gunroom」によって選び出されたものです。 21:30 初日のプログラム終了。
10月2日(土) 10:30 講演「ジャック・オーブリーの時代の海軍――艦船と運用」(Jack Aubrey's Navy -- Ships and Operation) 講師:コリン・ホワイト(Colin White / 国立海事博物館・海軍博物館) 11:30 コーヒーブレイク
12:00〜14:00 ポーツマス・ハーバークルーズ(昼食付き) 海軍博物館研究員のコリン・ホワイト氏の解説付きで、ポーツマス港と海軍基地を船から見学します。 この海軍基地について、英語ではJack Aubrey's the Naval Baseって書いてあるんですけど、第二次大戦当時、軍港ゆえに空襲の激しかったポーツマスですから、ジャックの頃の基地施設…はどこまで残っているのか? おそらく現代の最新鋭英国海軍基地を見学するのではないかと。
14:15 オーブリー時代の海軍の再現(Presentation Jack Aubrey's Navy) 海事歴史保存会(The Historical Maritime Society)メンバーによる当時の再現。 historical societyとは、日本で言えば例えば火縄銃保存会のような民間ボランティア団体で、昔ながらの風俗や生活を研究し衣服や道具類を再現し、時々実演を行って保存していくことを目的とした団体です。 英国にはこのような団体が数多くあるらしく(まぁ想像はつきますね、あの国民性だし)、時々この様な団体の名前に当たります。 最初は、日本で言うところの時代行例(東京で言えば八王子千人同心パレードとか)みたいなものかと思っていたのですが、英国の再現はもっと本格的で、騎兵のsoceityなどは日頃から訓練しているみたいですし、ライフル銃兵(ショーン・ビーン演じたことで有名なライフル銃隊のsocietyもあります)のsocietyはいつでも使えるようにライフル銃を整備(!)しているとのこと、むしろ茨城県相馬市の馬追いとか火縄銃保存会とかを想像した方が良いようです。 このような保存団体はヨーロッパ大陸各国にもあって、ワーテルロー会戦の記念日には、各国の保存会がベルギーのワーテルロー古戦場に集まって当時を再現することになってるのだとか、一度見てみたいものです。
15:15 ティータイム
18:00 ビクトリー号VIPツァー VIPツァーって、通常のツァーと何処が違うのでしょうね? まさかマストに登らせてくれるとか…なんてことは無理でしょうか?
19:30 ビクトリー号にて晩餐会 晩餐会は下層砲列甲板の、32ポンド砲に囲まれたメス・テーブルで行われます。 メス・テーブルって、プライス老やネイグルたちがとぐろを巻いていたあそこです。もちろんビクトリー号は戦列艦だから、サプライズ号よりは広いですけど。 いや、でもフォーマルディナーだから、一応皆様めかしこんでいらっしゃるんですよね? 下層砲列甲板のメステーブル(平水兵さんたちのテーブルにフォーマルウェアって、なんだか…ちょっと。
10月3日(日) 10:30 海軍を舞台にした小説――作家の視点から(Naval Novels -- The Author's View) 講師:リチャード・ウッドマン(Capt. Richard Woodman)ドリンクウォーター・シリーズの作者。元商船船長。 11:30 コーヒーブレイク
12:00 海軍を舞台にした小説――画家の視点から(Naval Novels -- The Artist's View) 講師:ジェフ・ハント(Geoff Hunt, RSMA)オブライアンの表紙画を担当。
13:00 ネルソン・ギャラリー訪問、トラファルガー体験。 この「トラファルガー体験」というのは、どういうものかわかりません。
15:00 海軍博物館内の展示見学、ミュージアム・ショップにて解散
この「パトリック・オブライン・ウィークエンド」は、年1回企画されているようですが、去年のプログラムにあった「当時の医学」の講演が今年はありません。リアルすぎて不評だったのかしら? 今年のプログラムは、去年より一般向け、入門者向けになっているような気がします。 映画でこの作品を知った新しいファンをターゲットにしているのでしょうか。
どこにも注意書きはありませんが、当然、使用言語は英語です…ので、ある程度英語でコミュニケーションできることが参加条件になると思われます。 参加ご希望の方は、こちらのページから「Booking Form」をクリックし、申し込みをします。
2004年08月01日(日)
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