umityanの日記
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2016年09月21日(水) |
咲きました。月下美人の花が。 |
時、至れリ。咲きました。咲きました。月下美人の花が。朝、いつものごとく、蕾に目をやると、なんと、虹色のごとき輝きを呈して、蕾が大きく膨らんでいた。うんんん、今晩が山だ。直感的にそう感じた。
午前、午後と、数時間おきに足を運び、蕾の状況を観察。その度に蕾の膨らみが大きくなっていくのが分かった。6時に夕飯を済ませ、机上の仕事を片付け、「そろそろかな?」と、午後9時ちょうど、廊下の明かりをつけ、見に行った。「わおーーーつ」。咲いていました。咲いていました。いや、咲いているでは表現がふさわしくない。「ツルが羽を広げたように、純白の花びらが大きく開き、輝いていた」と、言うべきか。さらに言えば、「純白のドレスを着た天女様がにっこりほほえみ、その後ろから幾重もの後光が射しています」と言うべきか。まぶしい。僕の汚れた心が浄化されていくような。
四個の蕾の内、開いていたのは三個。残りの一個は、まだ蕾のまま。日光を十分浴びれない場所にいたので、開花が少し遅れるのだろう。たぶん、明日の夜かもしれない。
いずれにせよ、月下美人の花びらは一夜にしてしぼんでしまう。なんとはかない命だろう。翌朝は、鎌首をもたげたように開いていた花びらが、「だらりーーん」と、しおれて、うなだれる。美人薄命とはよく言ったものよ。
誰かが、この月下美人の花を、「天ぷらにして食ったらうまい」とか言っていたが、不謹慎、甚だしい。たとえ、しおれた花びらでも、僕にとってはいつまでもいとおしい存在なのだ。
世界中に花はあまたとあれど、僕にとっては月下美人の花が最高だ。友人からもらった葉っぱ(うんんん、これは茎か?)一枚から、育ててきた。というより、鉢に射し込んでいたら、ひとりでに、成長してきた。もう、10年以上になるか。「来年のことを言うと鬼が笑う」とか言うが、来年はもっと、たくさん花を咲かせて欲しいものだ。そう願っている。
2016年09月18日(日) |
願いを込めたバイオリンの音が空高く響いた。 |
台風の影響だろう。断続的に雨が降っている。激しい雨かと思えば、いつの間にか、チョロチョロ、パッパに変わっている。恐らく雨雲が流れ動ているからだろう。僕の一番嫌いな遠雷も聞こえる。「やめてよーーーー」と叫びたくなる。
たまの雨なら、風情もあって歓迎したくもなるが、こんな、煮え切らない雨は嫌いだ。この雨の原因の一つは秋雨前線もさながら、迷走する台風の影響大である。今にも、西日本を第16号が襲いかかろうとしている。「来たるなら来たれ」と叫びたいが、今度のやつはやばそうだ。ごめんこうむりたい。
苦しいときの神頼みではないが、今朝、折もよく、雨が小康状態になったので、先祖様の墓前で1時間ばかりバイオリンを奏でた初老の男性がいた。先祖様に感謝の気持ちを伝え、「被害がありませんように、幸せになりますように」と、祈願したのだろう。僕は、いまにも降り出しそうな空に吸い込まれるように響くバイオリンの音を聞きながら、その人の姿に心打たれた。デジカメに収め、則、印刷して写真を手渡した。たいそう喜んでくれて、「良い記念になりました」と、言ってくれた。
とにもかくも、今年は例年にもまして異常な年だ。だれかが地球滅亡論について言及していたが、あながち、その考えを否定できないだろう。自然の驚異は全生命体の存亡にかかわる。特に高度な知性を持った人類にとってはゆゆしい問題である。
人類は有史以来、幾度となくこのゆゆしい自然の驚異と戦ってきた。なんとか克服してきた。自然にまだ、復元力が残っていたからだ。だがしかしばっと、もはや、人類の英知を持ってしても、来たるべく自然の驚異からは逃れられないような気がする。なんとなれば、あまりにも、人類が無頓着だからである。自然を破壊するだけ破壊し、環境を復元するどころか、金の亡者となって、欲を増長させ、醜い争いを続けている。これでいいだべか?。
なんにも出来ない僕が吠えても仕方がないが、ただただ、自然の気持ちが和らぐことを祈るだけだ。
2016年09月16日(金) |
嬉しかったこと二題。 |
最近、嬉しいことが二つあった。その一つは、月下美人に四個のつぼみがついたことだ。 朝、何気なく、垂れ下がった葉っぱ達をのぞいてみると、なななんと、細長いつぼみが四個、ぶら下がっているではないか。つぼみが大きくなると、あたかも蛇が鎌首をもたげるように、先端が上へ持ち上がる。 かくして、開花の準備を整えていくわけだ。開花したときに写真に収めよう。1〜2週間で開花するだろう。なにせ、夜、開花するから、観賞のタイミングを失してはなるまいて。今から心わくわくだ。
月下美人は年に2回は咲くようだ。4月か5月だったか、その時は1個だけ咲いた。「なんだ、たったの1個か」と、こころもち、寂しかった。今度は4個だ。嬉しいことかぎりなし。以前はさほどでもなかったが、最近は積極的に如雨露(じょうろ)で、水をやっている。その時、気がついたのだが、水を注いでいると、ひとりでに葉っぱが、小刻みに揺れるのだ。水が葉っぱにかかっているのかな?と、慎重に水を注ぎ観察したが、そうではないようだ。
そこで、僕は考えた。「きっと、月下美人が歓喜の涙を流しているんだ」と。日中はお天道様の光を浴びて、のどはからから。熱中症になるやもしれぬ。そこへ、僕が、馳走たる新鮮な水を注ぐと、、「待ってました。あ・り・が・と・う」と、感謝しているわけだ。月下美人は男性なのか?女性なのか?は知らない。願わくば女性であってほしい。さすれば、僕の愛が、もっと、もっと、深まるに違いない。「アモーレ、アモーレ」
さて、次に嬉しかったこと。このハプニングを、なんと表現していいかよく分からない。実は、「タマゴおばさん」と称している女性が、ネズミ男君や僕ジャイアンがいつも挑戦しているスナックでの点数制カラオケで、ぞろ目を2回出したのだ。「ああっつ、、えええっつ、なんで?」、僕たちは目を丸くして、縦に並んだ二つの無限大の記号(88)に見入った。1回ならず2回までも。ネズミ男君も、僕ジャイアンも果敢に挑戦したが、ことごとく、砕け散った。
「タマゴおばさん」は、「わたし下手なのにねえーー」と、ぞろ目にさほど関心がなさそうだ。僕はすかさず分析にはいった。何故、「タマゴおばさん」にぞろ目が出て、ネズミ男君や、僕ジャイアンにぞろ目が出ないのか?。分析の結果、まず、第一は、「歌が下手」ということだ。第二に、「下手な上に技巧に走りすぎる」。これが致命的な欠点に違いない。反面、「タマゴおばさん」は歌がうまいとは思わないが、素直に素朴に歌っている。要するに技巧に走っていない。これが機械に好かれる所以かもしれない。
さらに悔し紛れに言えば、今日のママさんは様子がちょっと変だった。カウンタ−の座席に座るやいなや、ママは、めがねの奥から、鋭い眼光を発しながら、「今日はぞろ目2回で、あんたたちの一番好きなキャップをあげるよ」と、言う。今までは「一日に3回ぞろ目を出さなければあげない」と言っていたのに。どういう心境の変化か?。秋の空が近いからか?。僕たちが狙っていたキャップは、「ジョージ・ワシントン」と銘が刻まれ、アメリカと日本の国旗が交錯している、金の刺繍入りキャップである。
僕たちの心が 燃えたぎったことは言うまでもない。僕たちの心とは裏腹に、初っぱなに、「タマゴおばさん」がぞろ目を出した。それじゃあーー僕たちもと意気込んだが、だめ。だめ。ぞろ目をかすめるが、本命には至らず。あきらめて、後1曲ずつ歌って帰ろう」と、言っていたとき、「タマゴおばさん」が最後の曲を歌った。そのとき、ぞろ目が出たのだ。
うんんん、まさか、ママさんが、「タマゴおばさん」が歌っているとき、「ポン」と機械の操作ボタンを押したんじゃあるまいか}と、ちょっくら疑義を感じ、笑いながらママに尋ねた。ママは怪しい笑いを見せたが、首を縦にも横にも振らなかった。まああいいか。、「タマゴおばさん」が初めてぞろ目を」出したんだ。ほめてあげなくちゃ。
ママは、「ジョージ・ワシントン」のキャップを、「タマゴおばさん」に差し出した。おばさんは困惑していた。そこで、僕ジャイアンは、すかさず、僕がかぶっていた「「雷(いかずち)」のキャップと交換した。ネズミ男君が悔しがること、悔しがること。「おいらが、ほしかったんだ」と言う。僕ジャイアンは冷たく言い放った。「なああ、ネズちゃんよ。おいらたちは一回もぞろ目を出していない。かつ、ここの店の代金はおいら、ジャイアンが払うんだぜ。交換の権利は、おいらにあるぜ」と、言うと、ネズミ男君は、二の句が継げなかった。僕ジャイアンも相当に意地悪だぜ。明日があるさ。ジョージアで。
2016年09月08日(木) |
やはり人生は旅だぜ。 |
今日も静かに暮れた。暑さだけは相変わらずだ。まだまだクーラーは必要。電気代がもったいないから、つけては消し、消してははつけている。悲しいかな、貧乏性だぜー。
午前中、銀行と眼科へ行った。銀行へは、一円から500円玉まで、たまっていた小銭を、袋に入れて預け入れした。ちょうど小玉スイカほど貯まっていた。結構、重いから、「焼酎、数本分くらいは買えるかな?」と、よからぬ考えが頭をもたげた。
そういえば、以前、世話になったと、ネズミ男君から、たまったドラム缶貯金箱の1円玉を、お礼にと、もらったことがある。彼が言うには、「そうとうに重いから何万円かはあるぜ」と。僕ジャイアンは、「ふーーーーーん、そうかなあ?ーーー}と、いぶかしがりながら、銀行に持って行くと。「な、な、な、んと、8000円なり」でした。彼にそう言うと、「それは、おかしい」と、首をかしげる。
僕ジャイアンは笑いながら、「逃げた魚は大きく感じるものなんだよ」と、言うが、納得していない模様。記帳の後を見せてやろうかと思ったが、そこまではしなかった。ところで、我が輩が預けた金額は、1円以外の金種もあったので、8000円はゆうに超していた。「うっしっしいーーーーーー」と思わず、「勝ったぜ」と、ほくそ笑んだことよ。
銀行を後にして、眼科病院へ行った。頼んでいた交換用のコンタクトレンズが届いたとの連絡があったのだ。本当は毎年、交換するのだが、ここ数年ほったらかしにしていた。3年目の交換になるか。診察も同時に受けると、「うんんんん、白内障の症状が少し出ていますね」と言われた。今すぐに、どうこうということはないが、いずれは、おめんめの手術をしなくてはならないだろう。いやはや、歳はとりたくないものよ。
午後から一仕事あった。「エイヤーー」と、気合いで無事に済ませた。そうこうしていると、のび太君から電話あり。延び延びとなっていた、とっちゃん坊や達の、旅の行き先が決まり、その最終打ち合わせを行いたいとのことであった。とりあえず小料理屋「梓」に予約をいれ、明日、打ち合わせることになっている。
やはり、人生は旅だぜ。僕ジャイアンは、いつもネズミ男君に言っている。「なあー、ネズちゃんよ、おいらたちは晩年には、全国、いや世界中を旅しながら、人生を終えたいなあーー。懐に数千万円ばかり抱いて、どちらかが先に倒れたときは、その金で、どこかに葬る。そいう旅がしたいなあーー」と。ネズミ男君は、まんざらでもなさそうな笑みを浮かべながら、「どうせあんたが先だろうから、おいらは構わないぜ」と言いたげだ。うんんんん、現金な奴だぜ。まあ、いいか。
気持的には、いつもそんなことを考えている。もう、父も母もいない。娑婆世界に未練を残すことなく、美しく幕を閉じたいものよ。
2016年09月02日(金) |
小中学校の同級生と会う。 |
今日は小中学校の同級生だったK君と会う。彼は先般の大地震で家屋が崩壊し、はからずも、こちらの県営住宅に期限付きで住むことになった。数ヶ月前に一度、我が家を訪ねてきたが、一番忙しい時期だったので、ゆっくり話す機会がなかった。
もうそろそろ、居住期限が切れる頃かもしれない。そこで、僕は今日、彼と会うことにしたのである。小中学校時代は同じクラスになったことはなかったように思う。それでも、同級生はみんな、隣保班みたいな存在で、知らない者はいない。
彼の話によると、僕がここにいることを、故郷の同級生に聞いたらしい。彼が訪ねてきたとき、「おや、どちらさんですか?」と聞いてしまった。それもそうだろう。40年以上も会っていないから、風貌もすっかり変わり、面影一つも思い出せなかった。名前を聞いて、「おおおつ、そうかい」と、昔の彼の顔を思い出した。
お互いに歳をとったものよ。彼はサラリーマンを勤め上げ、地震に会い、今は奥さんと一緒に県営住宅に住むことになったわけである。なんと、彼は、ネズミ男君の故郷の地の会社で働いていたという。奥さんは、ネズミ男君と同郷の人らしい。まさに偶然である。ひょっとすると、ネズミ男君は、奥さんを知っているかもしれない。なんとなれば、彼は、故郷の地で、知らない会社はないほど、その地に精通している男だからである。田舎のネズミとはよく言ったものよ。
ネズミ男君は営業成績が抜群だったので、会社からアメリカ旅行をプレゼントされたほどの男である。笑い話だが、ラスベガスで、なれないギャンブル(スロットか?)に手をだし、小遣い銭を、すっかりすってしまったそうな。田舎のネズミのやりそうなことだぜ。。
そこで、今宵はネズミ男君にも声をかけた。「やめてよおーーーー、金がないよー」と言ったが、声が笑っていた。声が笑っているときは「了解」ということだ。したがって僕、ジャイアンが彼を迎えに行き、その後、友人Kを迎えに行くことになる。
いずれにしても、昨今。日本列島は北から南まで、かってないほどの試練を課せられている。負けてはなるまいて。今日はアルコールの力を借りて、吠えまくるか。
もういくつ寝るとお正月。早く来い来いお正月。なんでお正月を待ち焦がれているの?。そりゃあーー決まっている。何もせず、誰にも邪魔されず、終日ゆっくり寝れるからだ。これに勝る楽しみ、極楽はない。
おっと、その前に降りかかる火の粉を払わねばならない。既に台風12号が発生したようだ。どうも、九州を縦断しそうだ。やっかいなやつだ。先般は台風10号が、東北、北海道方面をおそった。まさに悪魔だ。被災された方々に心からお悔やみ申し上げます。
僕、ジャイアンに、スーパーマンのような力があれば、そく、台風の目に飛び込み、渦巻きを逆回転させ、渦巻きを平定してしまうんだが。そんな力もない。ただ吠えるだけしかできない。悲しいぜ。まずは、台風を迎え撃つための最大の準備をすることが先決だろう。「さあーーーー来たれ」と、言いたいが、心は不安でいっぱいだ。
台風が静まれば、いよいよ秋本番に突入だ。枯れ葉散る夕暮れは・・・・・、そんな歌があったっけ。涙を流しながら、そんな風景を眺めることになるだろう。これじゃあああ、心が動揺して、ゆっくり眠れそうもない。そうそう、昨日、俳句が一句浮かんだ。
「夏おわる やっと飛び交う 赤とんぼ」。
うんんんん、いま ひとつか。
かくして、秋が寂しさを呈しながら過ぎていく。僕は、日々、行事に追われ、疲れた体を、酒で癒やすことが多くなるだろう。歌うカラオケも湿っぽくなり、ぞろ目どころか、カラオケの点数も50点を割り、ネズミ男君に、「あんた、下手なんよ」と、笑われる日々が続くだろう。反発したい気はあるが、その元気もないか?。
スナックのママも、めがねの奥から、細い目を大きく見開き、「あら、最近駄目ね」と、薄ら笑いをしながら、勝ち誇ったように言うだろう。僕ジャイアンは返す言葉もない。不眠症になるぜ。
そうこうしながら、季節は冬を迎えようとしている。冬かあーーー。僕の一番好きな季節だ。身も心も引き締まる。そそくさと、年末までに降りかかる諸々の火の粉を振り払い、大晦日に、年越しそばとやらを食らい、「さあーーー、極楽タイムだ」と言って、僕は翌日の元旦を、心行くまで、謳歌するだろう。
おっと、ようやく9月になったばかりだ。悪夢を見るには、まだ早すぎるのでは。現実に立ち向かっていこうぜ。
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