umityanの日記
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2016年10月23日(日) 軍艦島上陸(8)

船は島に接近したり、離れたりしながら巡回した。やがて上陸の機会がやってきた。岸壁へぶつかりそうになりながら船が横向きになった。直径数十センチはありそうな大きなロープが島の杭に巻き付けられた。船が固定された。桟橋がもうけられ、我々は恐る恐る橋を渡った。上陸だあーーーー。

なにやらトンネルみたいな所をくぐり抜けると、そこが集合場所だった。案内人のお兄さんが、我々を引率し、なれた口調で、眼前に見える遺産について説明してくれた。案内のコースには柵が設けられているので、建造物の近くまでは行けない。と言うより、おびただしい岩石やら、瓦礫類があちこちに散在しており、中に入ることは危ない。かろうじて建っている建造物は今にも崩れそうなたたずまいを呈していた。あな、恐ろしやである。

案内人のお兄さんが言う。「これらの建造物は、当時の最先端の技術で作られたもので、風雪、荒波に耐えて今日まで残っている。だが、しかし、ばっと、もう修復は出来ないらしく、後は自然に崩壊するのを待つだけ。従って、軍艦島に上陸できなくなる日も近いかもしれない」と。我々は「うんんんん、さもありなん」と首を縦に振った。

数カ所の見学地点を案内され、のび太君やネズミ男君は、われ一番乗りと廃墟となった建造物をカメラに収めた。もち、この僕ジャイアンもだ。一抹の寂しさを覚えた。「おごれるもの久しからず。ひとえに風の前の塵におなじ」。平家物語だったか?。そんな文章があったっけ。

ひととおり、コースを巡り、戻りかけていると、違う船に乗船してきたらしい、見学者の一行と出会った。案内人が言う。「あちらのコースの人たちに紛れてはいけませんよ。はい、一列になって私の後について来てください」と。思わず笑ってしまった。旅に出ると、必ず違う旅行者の団体と出会う。従って、迷子にならないように、胸に「仲間の一行ですよ」という目印のワッペンをつけるようになっているし、かつ、案内人が旗を持って先導する。

そうこうしながら元の集合場所に戻ってきた。ここで、写真撮影があった。60名の者が横一列に並び、「はい、チーズ」でぱちりだ。料金は無料。写真はネットで見れるとのこと。

上陸時間は数十分だったか?。再び船に戻った。今度は早く船に乗り込んだので、階下ではなく、5名が1階部分に陣取った。船内で、世界文化遺産「軍艦島上陸記念証明書」という確定日付入りの書類が渡された。なるほど。これはまさに水戸黄門の印籠を彷彿とさせた。「この証明書が目に入らないか。ひかえおろと、言ってみたいぜ」と、ネズミ男が言った。「は、は、はあーーーつ。恐れ入ります」と、これを見た人が地面にひれ伏すやも。「あっはっはあーーーー。ありえない。ありえない」と、とっちゃん坊や達は爆笑だ。

船は波しぶきを上げながら、高速で船着き場へ戻った。幸い天気は小康状態で、ラッキーな軍艦島上陸となった。とりもなおさず、「百聞は一見に如かず」である。




2016年10月22日(土) 船が軍艦島(大仏島)を目指した。(7)

先を急ごう。我々とっちゃん坊や達は、のび太君の華麗なる運転で、一路、港を目指した。曲がりくねった山道を下るには、ドライバーテクニックを要する。対向車線を上ってくる車があるからだ。無事に平地へ出た。とりあえず、港近くの駐車場を探さねばならない。

のび太君はなんなく駐車場をゲット。そこから歩き、乗船券を購入だ。乗り場へと急いだ。「あれーーつ。乗り場がない」と、窓口に尋ねると、歩くにはちょっと、遠いところが乗り場だった。時計を見た。乗船時間の10時が迫っていた。仕方ない。タクシー二台で乗り場へ急いだ。

道すがら港に目をやると、大型観光船や帆船が停泊していた。「いやああーーーー、かっこいいぜ。一度はあんな船に乗って世界一周をしたいぜ」と、ネズミ男君がカメラを向けながら言う。皆、笑いながら首を縦にふった。飛行機は何度も乗ったが、観光船に乗った人はほとんどいない。

のび太君が言った。「今日は軍艦島まで、観光船に乗れるよ」と。「そうだなあーー」と、期待を弾ませながら言っているうちに、乗り場に着いた。船に目をやると、「ありゃあーーー」と驚くような、小型船が停泊していた。この船に予約済みの60名程度が乗るようだ。

船の中は上下の二段に分かれていて、我々5名は下段の席をあてがわれた。バスならバスガイドさん、添乗員さんとか言うんだろうが、船の場合はなんと言うんだろうか?。案内係の男性がマイクを片手に窓から見えるあちこちの島や建造物について説明してくれた。その都度、首を左右に振った。船は、水しぶきを上げながら高速で島に向かった。

片道ほぼ30分の船旅である。船が軍艦島(大仏島)に近づいていく。案内係の男性の声が、やわら大きくなった。皆が一斉に島を望んだ。近くから見ると、残念だあーーー。全然、大仏島には見えない。まるで、古びた廃墟だ。当時は国内初の鉄筋コンクリートのアパートが建築され、全盛期には5000人以上の人が住んでいたとのこと。病院、学校、寺、パチンコ店、映画館、他、娯楽施設も整っていたという。要するに、一つの町だ。

生活も豊かだったらしい。そりゃあーそうだろう。旦那は地下深くもぐり、石炭をせっせと掘っていた。危険な仕事である。地上で待つ女房や子供達は、心配で仕方がなかっただろう。給料が安く、生活が苦しかったら、誰も、そんな仕事に従事しなかっただろう。

思えば、そんな人たちの力で、日本の産業革命が成し遂げられたわけである。以後、石炭から石油へとエネルギーが移ったことで、1974年(昭和49年)閉山にいたり、無人島になったようだ。

僕らを乗せた船は、しばらく島の周囲を旋回した。東西南北から島が見えた。どの方角から見ても、島は廃墟にしか見えない。奥の細道、「夏草や兵どもが夢の跡」。まさにその情景である。

なかなか上陸しないので、我々は、焦りながらその機会を待った。


2016年10月20日(木) 別荘を後にする。(6)

とっちゃん坊や達の旅も明日はいよいよ、本命の軍艦島(大仏島ージャイアンが命名)へ渡る。宴会も滞りなく終了した。それぞれに90点以上の高得点をカラオケでたたき出して、皆、気分が悪いはずもない。「町中の店では、こうはいかないなあーー」と、ネズミ音君が感心したようにつぶやいた。朝食は午前7時ということに決定。

頃もよく、皆、ベッドインタイムとなった。のび太君、ネズミ男君、ジャイアンの三人が同部屋。残りの二人は隣の部屋。僕たちの部屋では、ネズミ男君と僕ジャイアンが、二つあるベッドの左右に。のび太君は向かい側のベッドに一人で寝ることになった。まあ、これがいつものパターンだ。三人で寝るときはのび太君が真ん中、その左右にネズミ男君と僕ジャイアンが陣取る。これが最高のいびき対策である。要するにのび太君が緩衝剤となる。のび太君は僕たちのいびきに全く無関心で、微動だにしないで寝る。寝るときもまさに紳士だ。

だが、しかし、ばっと、今回はジャイアンとネズミ男君と隣り合わせだ。最悪のパターンだ。二人とも声を交わすことなく、素早くベッドに潜り込んだ。しばらくは何事もなく沈黙が続いた。いつの間にか、僕ジャイアンは眠りに落ちたようだ。目が覚めるまで、その間の記憶が全くない。ということは熟睡したのだろう。

どうもネズミ男も、そのようだ。目覚めて時計を見ると、ちょうど6時前。一番先に起きた。ベランダに出て外を眺めると、今にも降り出しそうな空模様。「雨が降っても島に渡れるのかな?」と、考えていたとき、ネズミ男が起きてきた。開口一番、「昨夜は、あんたのいびきがうるさくなかったよ」という。「そう、あんたも、そうだったぜ」と互いに顔を見合わせて、ほほえんだ。

さて、洗面でも済ませるかと、まず、ジャイアンがトイレにはいった。しばらくすると、ネズミ男が「まだなの。早く出てよ」という。僕が「待ってよ」というと、「あ、あ、あ、ああーーーつ」と、奇妙な声が聞こえた。「どうしたんだ?」と、声をかけると、な、な、なんと、「おいら、たいかびったぜ」と言う。「あんた、のび太君の部屋の横にも、洗面所があるじゃん」と、僕ジャイアンが言うと、どうも、間に合わなかったらしい。

まあ、予備のパンツを持ってきていたから、事なきを得たようだ。そうそう、読者のために、「たいかびる」という言葉を説明しておこう。「たいかびる」とは、「しかぶる。お漏らしする。下痢クーパー」という意味で使っている。要するに、食い過ぎてお腹の調子が悪くなったのだ。日頃から、ネズミ男は「おいら、お腹があまり丈夫でない」と、よく言っている。

幸いなことに僕ジャイアンはどうもなかった。しばらくして、のび太君が顔を出した。「たいかびり」の話は、そこではしなかった。彼は一日中、運転をしてきたので、疲れていたに違いない。すっかり元気を取り戻していた。隣の「部屋から二人がやってきて5人が揃った。簡単に朝食を済ませた。

さあーー、いよいよ、この別荘ともお別れだ。荷物をまとめて、車に乗り込んだ。空模様は相変わらず怪しい。雨が降らないことを願いつつ、のび太君はエンジンを吹かした。





2016年10月14日(金) 別荘での宴会の模様(5)。

五人が部屋に集合した。皆、一風呂浴びて、部屋着に着替えていた。部屋着はガウンである。旅館で着るような浴衣とは違う。なんだか、ガウンを着るだけで、ジェントルマンになった気分である。だが、しかし、ばっと、その実態は田舎からやってきた、とっちゃん坊や達。格好だけで見かけは随分と変わるものだ。

昼食は畳敷きだったが、ここでは丸テーブルに椅子である。ネズミ男君が、テーブルと椅子を見るなり、「こりゃあーー、相当に上等な家具だぜ」という。彼は、サラリーマン時代、多くの家具関係の会社と取引が有り、家具については、相当に詳しい。僕ジャイアンは、彼の紹介でダイニングテーブルを安く買わせてもらった経緯がある。有りがたや、ありがたや。今も重宝している。

おっと、話が脱線した。椅子に座るなり、のび太君と、随行者の二人が、焼き肉の準備に取りかかった。ガスコンロに鍋をかけ、肉を入れる。ネズミ男君とジャイアンは、もっぱら彼らが用意した具を、鉄板に放り込む役。時折、味見なんかして、のび太君に「おいおい、まだ早いぜ」と、しかられる。

機が熟したところで、持ち込んだ缶ビールで乾杯だ。そうそう、実はこの日の数日先が僕、ジャイアンの誕生日だ。乾杯する前に、皆で、ハッピーバースデイの歌を歌ってくれた。この歳になって、なんだか気恥ずかしい思いだ。プレゼントは、この旅が終わってからくれるらしい。うれしさで涙が、ちょちょぎれた。プレゼントの話は後日に書こう。

とっちゃん坊や達は日頃食べない上等の肉を、我が先にと、つついた。ビールの次にワインを開け、ワインの次は焼酎だ。それにしても、皆よく飲むぜ。頃もよく、カラオケタイムとなった。のび太君が自宅から持参したカラオケ器具を大型テレビに接続し、「さあーーーーーいきまっせ」と、カラオケの所有者たる、のび太君が先陣を切った。ネズミ男君やジャイアンは点数が出ないと燃えない。点数制に切り替えた。のび太君は甘いムード曲を歌いきった。なななんと、初っぱなから、99点をたたき出した。

いみじくも、ねずみ男君が言うではないか。「そういえば3月頃、のび太君の事務所横で花見をしたとき、90歳を過ぎた、おばあちゃんも90点を出したなあーーーーー。この機械、点数に甘いんじゃなあーーーい」って。うんんん、そんな気もしないではないか。

おっと、忘れていた。僕ジャイアンは変装グッズを持参していたんだっけ。早速取り出して、皆に披露。付けひげ、数種類のカツラ等がある。これを装着し、カラオケを歌う。皆、爆笑だ。おまけにカラオケの点数も皆、90点台。やはり機械がおかしいか、さもなくば、僕らが歌がうまいってことか?。ただ、一つだけ不満を言えば、得意の曲の歌詞カードがないことだ。我慢、我慢で、宴会は夜遅くまで続いた。

さああ、明日は、いよいよ、軍艦島(大仏島)へ上陸する。天気が心配だ。少々の雨でも上陸できるんだろうか?。そんなことを考えながら、お開きとなった。







2016年10月10日(月) 別荘に着いて。

軍艦島(大仏島)デジタルミュージアムでは、最先端の技術を使って、当時の生活風景を再現していた。スクリーンに映し出された映像は、僕ら、とっちゃん坊や達に強烈なインパクトを与えた。当時をしのばせるそんな島に明日、上陸することになる。従って、ここでは詳しくは述べまい。

さあて、我々はミュージアムを後にして、近くを散策した。道沿いにソフトクリームを売っている店があった。もち、皆1個ずつ購入。立ち食いが出来るのも、旅ならではのこと。地元で、立ち食いして歩こうものなら、変人、奇人、道徳知らず、愚か者、ならず者、あんぽんたん、あばずれ、性格悪し、と思われても仕方がない。まあ、旅の途中だから、これが許されてしまうのだ。(僕ジャイアンの解釈)

いよいよ、僕ら、とっちゃん坊や達は、のび太君が手配してくれた、ホテル、いや、いや、Villaだ。別荘ヘ赴くことになる。何でも山の上の方にあり、ゴルフ場ガ併設されている。部屋は1ユニットに4名が宿泊可能。5名につき2ユニットが申し込んであった。部屋の中央が憩いの場、団らんの間である。その左右に壁で仕切られた部屋があり、ベッドが二つずつ設けられている。団らんの間の正面には簡単な台所があしらえてある。1ユニットにトイレ2個。バスルーム2個と豪華である。また、最大の恩典は、きわめて料金が安いことだ。苦しいときは、なんと言っても「のび太君頼み」である。一人の料金が3千円を下回るようだ。

時、すでに午後3時を回っていた。のび太君の運転で、villaへ急いだ。おっと、その前に買い物だ。別荘の周囲には何もない。ゴルフ場のコースが見えるだけ。ネオンの「ネ」の字も見えない。寂しいところだ。スーパー等もないらしい。従って、大きな通りの道すがら、スーパーに立ち寄らねばならない。

何を買うかと言えば、ビールと焼酎は持参してきたが、つまみがなにもない。鍋若しくは焼き肉が出来るとのことで、ワイン、梅酒、肉、ハム、野菜類、豆腐、ネギ、たれ、チーズ、パン、牛乳、ご飯、その他、思いつく商品をいくつか購入。

車は曲がりくねった山道を上っていく。ドライバーテクニックを要する地形である。のび太君はさすが、冷静に車を操る。30分以上走っただろうか?。山道を登り切ったところに、西洋風の大きな建物が見えた。「ここだよ」と、のび太君が指さす。いやああーーー、立派な建物だ。僕らは首をもたげて見上げた。のび太君は、すかさずチェックインの手続きを済ませた。

さあ、いよいよ、部屋へ突入だ。のび太君、ねずみ男君、ジャイアンんの3名が1ユニット。随行者2名が隣の1ユニットの部屋。しばらく、くつろいで、僕らの部屋で、宴会を催すことになった。テーブルを配置し、カラオケをセットし、のび太君が鍋の準備をした。

宴会の前に一風呂浴びることになった。ネズミ男君とジャイアンは左側の部屋で隣り合わせに寝ることになり。のび太君は団らんの間を挟んで、右側の部屋のベッドに一人で寝ることに。ベッドが一つ余っているじゃん。僕ジャイアンが、ネズミ男君のいびきを避けて、のび太君の横に寝ようかと思ったが、ネズミ君に悪いと思い、それはやめた。

さあーー、風呂だ。ネズミ男君はすでに浴槽に湯をため、浸かっていた。僕がちょっと遅れて、その浴槽に入ろうとすると、彼は僕ジャイアンを避けるように、浴槽から上がってしまった。僕ジャイアンは思わず、笑ってしまった。「おいおい、僕は襲いはしないよ」と言うが、彼は照れながら、見向きもせず、いすに腰掛け体を洗い出した。恥ずかしいのだろうか?。

僕ジャイアンは温泉町で生まれ、一般大衆と一緒に浴槽に浸かることに何の抵抗もない。しかるに、家庭用風呂に慣れている人は、他人と一緒に風呂に浸かることに抵抗があるのだろう。

皆、小休憩を済ませ、5人が我々の部屋に集まった。宴会の始まりである。




2016年10月08日(土) 昼食の風景(3)

ペンギン水族館を後にして車は市内へと向かった。中華街のレストランで昼食を食べようという段取りだ。のび太君推薦の店があるという。まずは、車を駐車場に入れなければならない。昔取った杵柄ではないが、彼はいとも簡単に目的地の駐車場に直行。実のところ、この日は土曜日であり、また、この地で駐車場を探すのは簡単ではない。さすが、紳士、のび太君だ。ネズミ男君やジャイアンなら路頭に迷い、皆に迷惑をかけるのがおちだ。

車を降り、のび太君を先頭に、なにやら怪しげな提灯が天井からぶら下がっている、アーケードの中へ足を進めた。「もうすぐだよ」と、のび太君は言いながら、とあるレストラン?料亭?の前で足を止めた。ここは2階まで座席があるようだ。中に入ると、先客達がいすに腰を下ろして順番待ちをしていた。

えらく混んでいた。我々も、しばらく待機だ。十数分待ったか?。「5名様、お二階へどうぞ」と案内された。下駄箱で靴をぬぎ、奥へ進むと、中は畳敷きで、丸いテーブルがあり、そこに5人座った。仲居さんが注文を伺いに来た。我々は、めいめい、好きな料理を注文した。ちゃんぽん、皿うどん、チャーハン、麻婆豆腐、サラダ、その他、名前が分からないが、10皿ばかり注文した。

おっと、忘れていた。まずはビールだぜ。とりあえず中瓶2本を注文。な、な、なんと、ビールを飲んだのは、僕ジャイアンと、随行人の一人で、2名だけだった。のび太君は車の運転があり、じっと、我慢している模様。ネズミ男君は、「おいら、冷たい飲み物は腹に悪いんだ」と言って、舌なめずりしながら辞退。もう一人の随行員は、はなからアルコールは飲めないようだ。

ここで、あまり書くと、ひんしゅくを買いそうだが、いやあーーー、冷たいビールはうまかった。五臓六腑に染み渡った。僕、ジャイアンは随行員の一人とグラスを合わせ、互いにほくそ笑んだ。おっと、ビールの件はここまでだ。後は出てきた料理を、回し回ししながら、ついばんだ。テーブルが回転式でないのが残念だ。料理がうまくないと言えば嘘になるが、サービスはもう一つだった。

取り皿が1個しか配布されず、最初から最後まで、その1個を使って、料理を盛り、食するわけだ。のび太君が、追加の取り皿を頼むと、「いいま使っている1個のみです」と、つれない返事。もうけ主義に走り、十分な皿を用意していないのか?。ちょっと、憤慨した。まああ、しかたがない。

1時間ぐらいでこの店を退散した。ちょっくらアーケードの中を探索だ。どこの店でも、同じような商品を売っていた。うんんん、目移りがするだけで、今ひとつ、買いたいという衝動は起きなかった。

さてと、食事の後は、ホテルに行く前に明日の、軍艦島(大仏島)上陸に備えて、予備知識を得るべく、「グラバー圓」入り口近くにある軍艦島デジタルミュージアムという施設に入場した。ここで迫力あるデジタル画面を見ながら、明治、大正、昭和に栄えた当時の姿を垣間見ることになる。



2016年10月06日(木) ペンギン水族館にて(2)

車はいくつものトンネルを抜け、順調に走った。いやああ、目的地にたどり着くまでに、トンネルの多いことよ。僕ジャイアンはトンネルが苦手だ。まず、空気がよどんでいること。心配性の僕ジャイアンは壁や天井が崩落しはしまいかと、おびえていること。昼間でも、前方がよく見えないこと。あげればきりがない。出口が見えるとほっとする。

そこで、僕ジャイアンは皆の気持ち、いや、自分自身の気持ちを落ち着けるために、クイズを出した。「皆さあーーーん、豚君はどこで寝るでしょうか?」と、問うと、「何、それ?」と、この問いを馬鹿にしたような表情。

ネズミ男君が、「わかんなあーーーーーい」と、おどけて言うので、僕ジャイアンは声、高々に「トンネルでえーーーーす」と応じた。いやあ、確かに愚問だ。誰も笑わなかった。

そうこうするうちに、車の左手前方に「ペンギン水族館入り口」と言う看板が目に入った。そうそう、僕ジャイアンは間違えていた。立ち寄るのはペンギン村ではなく、ペンギン水族館だった。

車は左折して、駐車場に停車した。ここから歩いて会場まで行くようだ。曲がりくねった山道をてくてく歩くこと数分。山道の両脇には木立や雑草が茂っている。「こんな所にペンギンがいるの?」と、随行者の一人が言う。そのとき、ネズミ男君が、何を思ったか、「雑草を刈りゃいいのに」と言う。同感だ。ネズミ男君や僕、ジャイアンには、日頃、振り回している草刈り機械が恋しいのだ。「旅から帰ったら、たっぷり仕事はありまっせ」と、ジャイアンが言うと、ネズミ男君は、にっこり笑った。

水族館の入り口にたどり着いた。「へえーーーーー、こんな所にペンギンがいるんだ」と、皆はいたく感動。中に入ると、ガラス張りの水槽の中で、魚類が回遊している。小イワシや、タツノオトシゴ、クラゲ、サメのごとき大型魚、金魚、メダカ、熱帯魚のような魚。何でもあれだ。一通り見て回り、「ペンギンちゃん、どこどこ?」と。奥に進んでいくと、いました。いました。フェンスで囲まれた大きな野外ステージに、あまたとペンギンがいました。泳いでいる者あり。床を歩いている者あり。歩いている様は実にかわいい。肩を左右にふりふり、足は、がに股で、チョコチョコ歩く。

ここで、ネズミ男君が失礼な一言をジャイアンに浴びせた。「あんたの歩き方にそっくりじゃん」と言う。「むかーーーつ」ときたが、ここは冷静に冷静に。


ところで、「ペンギンのしショーってかあるの?」と、いぶかしがっていると、なんと、飼育員さん達が数名、ステージの中に入り、合図をすると、ペンギンたちが一斉に集合し、彼らの口の中に飼育員さんが魚を放り込むわけだ。ペンギンたちは、うまそうに魚を飲み込む。なるほど、これがショーか?。さすがにペンギンたちはえさをやる人、飼育員さん達にはなついているようだ。

まあ、初めて見たペンギンたち。かわいいじゃないか。と、そのとき、のび太君が何を思ったのか、白魚のような?人差し指、いやいや、小イワシのような人差し指?を一匹のペンギンの頭付近に差し出した。頭でもなでたかったのだろう。そこまではよかった。その瞬間、ペンギンが彼の指をつついた。目を疑うほどの早さだ。のび太君は「あたたたあーーーー」と、声を上げ、つつかれた指をしゃぶった。大事に至らず幸いだ。僕たちは「おおおおつ、怖っ」と、その場を離れた。

まあ、こんなあんばいで、とりあえずペンギンをカメラに収め、水族館を後にした。「さあーー、昼飯を食いに行こう」と、ペンギンの食事に感化されたのか?、皆の頭の中は、ご馳走の妄想でいっぱいのようだった。車は市内へと向かった。







2016年10月04日(火) 小旅行出立の記(1)

小旅行、出立の日。さる駐車場に午前8時半に集合することになっていた。朝6時頃起きて、荷物の整理をしていると、我が家の駐車場に1台の車が滑り込んだ。時計を見ると午前7時前。一体誰かと思えば、な、なんと、ネズミ男君が僕ジャイアンを迎えに来たのだ。「あんた、まだ7時前だぜ。こんなに早く来てどうすんだ?」と言うと、「いやああ、昨夜は眠れなくて、午前2時頃から目が覚めていたんだ。善は急げでやってきた」という。

眠れなかったのは、僕ジャイアンとて同様。早すぎるが、遅れるよりはましだ。集合場所には15分程度で行ける。時間があったので、のび太君も誘って行くことにした。その旨、のび太君に電話すると、「えええつ、今何時?。早すぎるじゃん」と、怪訝そうな返事が返ってきた。僕らはお構いなしに、のび太君を迎えに言った。彼は苦虫をつぶしたような顔をして車に乗ってきた。

案の定、午前8時前に集合場所に着いた。あと、2名の随行員はまだ来ていない。実は随行員の一人から車を借りることになっていた。結構、いい車だ。運転は、のび太君がすることになっていた。紳士たる、のび太君に任せておけばまず安心だからだ。ねずみ男君はそそっかしいし、僕ジャイアンは手が器用ではない。随行員の二人は、まったく道不案内である。

皆、揃ったところで、車は駐車場を後にし、高速に乗るべく道を急いだ。皆、それぞれに、まだ見ぬ軍艦島、おっと、違う。大仏島に、思いをはせているようだ。天気は曇り。コンディションはあまり良くない。いつ雨が降ってもよさそうな空模様。日曜日だが、高速道路は空いていた。

僕らは、ペチャクチャ、しゃべりながら目的地を目指した。一泊二日の旅である。一日目は、「ペンギン村」と言う所に立ち寄り、ペンギンのショーを見ることになっていた。「ペンギンねえ??ーーー」。皆、実物を見たことがないようだ。「イルカ」とか「オットセイ」とかがショーをするのはテレビで見たことがあるが、「ペンギン」もショーをするんだ。「どんなショーだべ?」と、ネズミ男君が頭をかしげながら言う。僕ジャイアンにも想像がつかない。至って冷静なのは、のび太君である。「行けば分かるよ」と、にやにやしながら彼は言った。

車は順調に走り、いったん料金所のあるところへ着いた。ETC専用の出口にさしかかると、「ええーーーつ、わーーーい?」。ETC専用口が故障だった。のび太君はそろりそろりと車を進めると、窓口にいた係員の女性が、「カードをお出しください」と言う。なるほど。自動開閉ではなく、係員の女性がカードを挿入し、無事に扉が開いた。やれやれだ。

高速道路の料金所にも、面白い清算の仕方がある。無人で、大きな袋というかボックスというか、そんな物がおいてあり、硬貨をボックスに投げ入れるのだ。
僕、ジャイアンは一度、大きな失敗をしたことがある。なんと、硬貨がボックスに入らなかった。「カラン、コロン」と、コンクリートの床に落ちたのだ。ドアを開き、落ちたコインを拾えば良かったが、あまりにもみっともなく思え、改めて、硬貨を投入した。後続車も待っているし、まあ、しかたのない処置だ。頭の中には、悔しいという思いが、しばらく渦巻いていた。

おっと、脱線してしまった。とりあえず出立の記は、これくらいにしておくか。


2016年10月02日(日) 小旅行のプロローグ。

10月の異称は神無月。神様が一同、どこかに集まり、会議をするらしい。そのため、あちこちで神様が不在となり、神様がいない月、「神無月」となったらしい。なるほど。おもしろい。

ところで、先月9月は長月。一説によると、夜がだんだん長くなってくる月という意味らしい。確かに日が早く落ち、夜が長くなった。それはいいとしても、今年の9月は異常気象が長引き、美しい夜空の月を眺めることもできず、暗黒の夜が無情に過ぎ去るだけだった。

ふと思い出したが、先日、ねずみ男君が、「おいらたちにとって10月は神無月じゃなくて、金無月だぜ」って言っていた。いやあああー、全く同感だ。出て行くばかりで、入ってくるのが少ない。これを出費過多という。いやんなっちまうぜ。

そんな中、僕ら、とっちゃん坊や達は、先般から計画していた小旅行を敢行した。「行けるとき行かなくちゃあー、死んでからは行けないからなあーー」。それが、とっちゃん坊や達の口癖である。

今回の旅は、のび太君をリーダーとし、ねずみ男君と僕ジャイアンが部下である。他に2名の随行者がいたが、ここでは述べまい。「さあーーて、どこに行くか?」と、何度も推敲した結果、まだ、誰も行っていないという、「世界文化遺産を見に行こう」と決定。

世界文化遺産ねえーーー?。珍しく、行き先について皆の意見が一致した。どこかと言えば「軍艦島」である。長崎港の沖合いに位置する、端島という島で、島の外観が軍艦に似ているので、「軍艦島」と異名がついたらしい。

この島の姿はテレビや写真で何度も見たことがあったが、実際に赴くのは初めて。僕ジャイアンは、なんとなく、軍艦島という名称が好きになれなかった。というのは、軍艦という名前が、戦争を連想させてしまうからだ。戦争を思い出させる島がなんで世界文化遺産なんだ。
実際は海底炭鉱の島であり、日本の産業革命に大きく貢献してきたという。

しからば、軍艦島でなくてもいいのではないか?。そう重い、写真等を見て別の名前を考えてみた。そうそう、よく見ると、大仏さんが頭を左にして寝そべっている姿によく似ている。そこで僕は命名した。軍艦島の異名は「大仏島」にしようと。決まりだ。とちゃん坊や達にはまだ言っていない。この備忘録で初めて述べた。おそらく、変な顔をして笑われるだろう。まああいいか。

とりあえず、今日は小旅行のプロローグだ。





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