umityanの日記
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2015年11月11日(水) とっちゃん坊や達の旅(22)絵画とお好み焼きを堪能した。

塩工場を出て、バスはいよいよ広島県に入ったようだ。いくつも橋を渡ったので、何が何だかわかりませーーーんである。広島駅に着く前に、平山郁夫画伯の美術館を見学するようだ。僕達とっちゃん坊や達は、のび太君を除いて他の者は全くと言っていいほど、美術というか絵画に憧憬なし。のび太君は写真をはじめ、水彩画、油絵等を描くことに卓越した技量を持っている。時々、写真展などで入賞したり、市立図書館などで個展を開いている。

その点、他のとっちゃん坊や達は、個展等があると、ただ、「ぽかーん」と作品を眺めながら通り過ぎるだけ。平山画伯の美術館でもそうだった。のび太君は単独行動で、真剣に館内の作品を見て回ったよし。我々と一緒では気が散るのだろう。他のとっちゃん坊や達は相変わらずだ。それでも、「はっ」と目を引く作品に出会った時は一瞬、心が騒いだ。「シルクロード」の大作だ。何頭ものラクダが行列をなして砂漠を歩いている。圧巻だ。

ある客は展示してある絵の前方の椅子に腰掛けて、「じーーーつ」とこの大作を見つめ長時間座っていた。その姿が印象的だった。のび太君を除いて、とっちゃん坊や達は一通り観賞した後、出口近くの喫茶店に入った。ジャイアンと、ネズミ男君はアイスコーヒー、スネオ君は、なんとアイスクリームをなめるではないか。さすが食通のスネオ君である。

かくかくしかじかで、平山郁夫美術館を後にした。後は広島駅に着くだけ。ここで、我々の旅が終わる。新幹線に揺られて故郷へ戻るだけだ。広島駅に着いた。広島駅に降りるのは初めてだ。バスガイドさんがお別れの挨拶をした。皆、拍手で彼女の仕事ぶりをたたえた。もう、会うこともないかもしれない。まさに「一期一会」の縁かもしれない。

最後にガイドさんが言った。広島に来たからには、「広島風お好み焼きを食べて帰ってください」と。「広島風お好み焼きねえーーー」。どうも関西風お好み焼きとはその料理の仕方が違うらしい。まあ、とっちゃん坊や達にとっては、うまけりゃあーー、何風でもかまわない。

新幹線に乗るまでにはまだ十分時間があった。駅構内を散策して、食堂街の一店舗にはいった。即、お好み焼きをメニューを見て注文。もち、ビール同伴だ。な、な、な、なんと、ネズミ男君がビールを辞退した。なんとなれば、故郷の駅に着けば、ジャイアンの家から我が家までは車で帰らねばならない。そのことがあってビールを辞退したわけだ。

我々は気の毒に思って、ノンアルコールのビールを勧めた。彼は喉が渇いていたようで、飲むことと、飲むこと。我々はあっけにとられた。お好み焼きが運ばれてきた。ありゃ、自分たちで焼くのではない。すでに焼き上がったものが皿に盛られて出てきた。それを見てビックル。皿からはみ出さんばかりに大きく、また、分厚かった。「うまーーーーーい」。確かにうまかった。おかわりするには、さすがに量が多すぎた。関西風のお好み焼きは、いかがなものか知らないが、両者とも甲乙つけがたい味かも知れない。ツアー客の何人かが同じ店にやってきた。ビールを飲み、よく食べること。恐れいりました。

食後も時間があったので、椅子に腰掛けて、新幹線搭乗まで待機した。






2015年11月10日(火) とっちゃん坊や達の旅(6)頭は既に呆け状態。

時が経つにつれて記憶が薄れていく。まだ、旅は始まったばかりだ。先を急ごう。そうそう、今、金比羅さんの事を書いていたっけ。やっとこさで石段を登り切り、拝殿の前で、二礼二拍一礼をして、お賽銭をあげたっけ。僕は百円玉。ネズミ男君は10円玉だったかなあ?。「勝ったぜえーー」。カラオケの点数じゃあーないんだから、勝ち負けもないか。

途中で白、黒の馬二頭と出くわした。「えええええつ、何故、神社に馬が?」。馬たちに二礼した。「ヒヒーーン」と、鳴くかと思ったが、さにあらず。顔を背けていた。これらの馬たちは「神馬」で、ありがたーーーい馬たちである、僕、ジャイアンは白馬の前で、写真を撮ってほしいと所望した。ネズミ男君がシャッターを切った。撮り終えた写真を見ると、な、な、なんと、僕ジャイアンの顔はぼけて、馬にピントがあっているではないか。優しそうな顔の馬だったので、まああ、よしとするか。

おっと、金比羅さんに登る前に、山の案内人がカメラ店に連れて行ってくれた。とりあえず安そうなデジカメを購入。即、写せる状態にしたが、いかんせん、充電不足。やんなっちゃうぜ。とりあえず、充電できる所を探さねばならなかった。金比羅さんを下った集合場所に、「うどん」を試食させてくれる店があった。二階が食堂で、一階が土産品店。

僕、ジャイアンはのび太君や、ネズミ男君より一足先に山を下り食堂に着いた。二階に上がったところ、な、な、なんと既にスネオ君が椅子に腰掛け、一杯目のうどんを食していた。「早かったねえー」と言うと、「腹がすいていた」という。「そう」と、僕は言って、彼と同じうどんを注文した。な、な、なんと、スネオ君は一杯目を食べ終え、さらに追加のうどんを注文するではないか。「うんんん、痩せの大食いとはこのことか」と、思わず笑ってしまった。

幸い、この店にコンセントがあった。デジカメの充電を申し出たところ、快く承諾してくれた。そうこうするうちに、のび太君とネズミ男君が到着。「えらい早く下ったなあーー。探したぜ」と、怪訝そうな顔。彼らもうどんに舌鼓を打っていた。

ところで、「秘境の地は、一体、どこどこ?」。パンフレットを見た。どうやらバスに乗り、今から行くようだ。吉野川渓谷に広がる絶景の地らしい。大歩危、小歩危(おおぼけ、こぼけ)とかいう名前がついている。なにやら危ない場所のようだ。大きく歩くと危険、しからば小さく歩けばいかん?。これまた危険。「どうすりゃあーーいいいんだ。おっかさん」。

そこで、僕、ジャイアンは考えた。大きく歩かない、小さくも歩かない。ということは、中くらいで歩けばいいのだ。「決まりだあーーー」と、単細胞の僕は、一人よがりの考えに、ほくそえんだ。それにしても、大歩危、小歩危の地に到着するまでのバス乗車時間が長い事よ。金比羅さんでくたびれ、長時間のバス乗車にくたびれ、ダブルパンチだぜ。僕たちの頭は、すでに、おお呆け、こ呆け状態だ。


2015年11月09日(月) とっちゃん坊や達の旅(21)心が真っ白い塩で洗われた。

とっちゃん坊や達を乗せたツアーバスは次の目的地「伯方の塩工場」見学へ向けて出発した。最初、「伯方」という漢字を、どう読むのか分からなかった。「はくほう」、「はくかた」かなと思ったが、さにあらず。「はかた」と読むらしい。「へえーーーーっ、はかたねえーーー」。テレビでも紹介されて、有名な塩工場らしい。

とっちゃん坊や達のなかで、のび太君とネズミ男君は知っていたようだ。「この塩は、あちこちのスーパーで売っているよ」と、のび太君が言った。知らないのはスネオ君と僕、ジャイアンだった。「僕達二人は、おぼっちゃまだからねえーー」と、笑った事よ。

まあ、それはいいとして、まだ愛媛県内である。広島までは、もうやがてらしい。塩工場へ到着した。ガイドさんが、「入り口の前にあるチャイムをたたいて中にお入りください」と言う。何事かと思ったら、のど自慢でたたくような鐘がぶら下げてある。棒で順番にたたくと、「は・か・た・の・塩」と聞こえるらしい。先行したツアー客の一人がたたいた。ちょっと強くたたきすぎて、耳に優しいメロディーにはならなかった。

そこで登場したのが、僕、ジャイアン。「日頃のカラオケの実力をみせてやるぜ」と、気負いながら棒を持った。人は釣り鐘の真ん中あたりを叩いているが、ジャイアンは上部の方を優しく、そっと、軽く叩いた。大成功だ。伯方の塩が「ジャイアン様歓迎」と聞こえたような。おっと、これは耳の錯覚か?。

とりもなおさず、順路に従って、工場内を見学した。かって、塩の製造工程なんて見たことがなかったので、興味津々だった。うずたかく積まれた真っ白な塩が、ベルトコンベアにのり、流れていく。車の荷台に塩がのせられ、次の工程へと向かう。ほとんどが機械による流れ作業だ。日本の技術力の高さに、感動せざるをえない。

「あの真っ白い塩の山にダイビングして飛び込んだら、さぞ、気持ちがいいだろう」と、ふと、あらぬことを考えた。いやいや、雪じゃないんだから、ざらざらして、気持ちが悪いか?。「人生の垢を、あの真っ白い塩で洗い流してみたいぜ」と、ネズミ男君が、珍しく真面目な顔をして言う。とっちゃん坊や達の返事は「どうぞ、後自由に」である。「冷たいなあーー」と彼は反論した。

一通り見学して、僕ジャイアンは、スーパー等で売っていない、ここだけで販売している塩を二袋、購入した。どうも、買ったのは僕、ジャイアンだけのようだ。

見学を終え、外へ出た。ふと、建屋の横に目をやると、大きな狸の置物があった。えらく腹がでかい。失礼にも、ネズミ男君が僕ジャイアンに向かって、「あんた、そっくりじゃなーーい}と言う。「まああ、愛嬌愛嬌」と言うことで、僕ジャイアンは怒りもせず、笑ってカメラに収まった次第である。

塩工場を跡にした、バスは一路、広島県へと突き進んだ。


2015年11月08日(日) とっちゃん坊や達の旅(18)道後の朝はネズミと犬の出会いから始まった。

とっちゃん坊や達の旅。この道後温泉が旅最後の宿泊だ。目が覚めると、バスは帰途への道をたどる。道後の夜は静かに暮れた。ということは 皆、品行方正、まじめに布団に滑り込み、いびきの被害もなく、真剣に眠りに就いたのでありました。僕、ジャイアンもすっかり熟睡したようだ。

その結果、目覚めは順調。朝6時には皆、洗面を済ませた。「さあ、いかん。ホテルでの最後の朝食バイキングへ」。皆、よく食べた。僕、ジャイアンはお粥を3杯おかわりだ。スネオ君は例によって、大盛りの皿を、せっせとテーブルに運んでいた。

いつもより、静かに朝食を終えた。今日のバスの出発はごぜん9時。時間がそうとうあったので、ホテルの近辺を散歩に行くことになった。ホテルを出て、歩いていると、前方から、かわいい子犬をつれた娘さんが通りかかった。ネズミ男君は、その犬に向かって、「おいでおいで」と手招きすると、犬がしっぽを振りながら、ネズミ男に近づいて行くではないか?。娘さんは笑いながら困ったような顔をしていた。ネズミと犬は相性が良かったっけ?。変わった犬だぜ。

いやああ、そこまではよかったんだが、なんと、ネズミ男君がカメラを犬に向けると、犬はネズミ男君の「チンチン」あたりに両足をかけ、「クンクン」と臭いをかぎ始めるではないか。よほど、おいしい臭いがしたのだろう。僕はその場面をすかさずカメラに収めた。皆、ゲラゲラ笑った事よ。

犬騒動の後、ちょつくら坂道を登った。その上に、神社があった。宮司さんらしき人が清掃をしていた。我々は、神社に参拝し、道後の町を見下ろした。町は静かにたたずんでいた。つくずく平和のありがたさを思った。

我ら、とっちゃん坊や達は、名前を知らないいくつかの橋をわたり、どこかへ立ち寄って、広島駅まで行くことになる。後は新幹線で故郷まで直行だ。長かったようで短い旅。二日間の記憶が走馬燈のようによみがえった。



2015年11月07日(土) とっちゃん坊や達の旅(13) 沈下橋(ちんかばし)を渡る。

とっちゃん坊や達は、後ろ髪を引かれるような思いで、ホテルを後にした。懸命に手を振る、ひげのお姉さんが印象に残った。さああ、我々はこれからどこへ行くのか?。

スケジュールを見ると、「沈下橋(ちんかばし)を歩いて渡る」。自然がそのまま残った日本最後の清流、「四万十川遊覧」とある。「これはおもしろそうだぜ」と、ネズミ男君が言う。とっちゃん坊や達にとっては初めての経験だ。スネオ君はあまり関心がなさそう。

ええええつ、なになに、「沈下橋(ちんげばし)を渡るって」と、ジャイアンが茶化して言うと、「あんた、なんて不謹慎なことを言ってんの」と、のび太君に肩をたたかれ、たしなめられた。「わかってますよ。冗談、冗談」と、僕ジャイアンは苦笑いだ。

てなわけで、ガイドさんは休むことなく、解説を加えながら我々を山奥へ導いていく。いい加減、バスに乗っていることにくたびれてきた。車窓から外を見ると、木々ばかりで、家の一軒も見えない。だあれもいない。川だって見えない。

しびれを切らしたネズミ男君が「沈下橋はどこ、どこどこ。どこなの。出てらっしゃい」と、コマーシャルにあるような台詞を言った。ツアー客の仲間達はどう思っているか知らないが、無言のままだ。果報は寝て待てということか。

1時間半ぐらいバスは走ったか?。ガイドさんが、「もうすぐ沈下橋が見えます」という。確かに左手前方に橋が見えた。浅そうな川に高さ2メートルはあるだろうか、木造の支柱に幅3メートルくらいの橋がかかっていた。「ここを渡るのか?。楽勝だぜ」と、とっちゃん坊や達は、気負いながら渡り始めた。川に目をこらすと。鯉みたいな魚が悠々と泳いでいた。

ガイドさんが言う。「ここは 生活道路としての橋で、車も通ります。浅いところは水深が1メートルくらいしかありません。決して飛び込まないように。怪我をしますから。大雨が降ると、水かさが橋の上まで来ます。大水で、橋が沈下します。それはそれは想像に絶する光景です」と言う。「なるほどねえーーー、それで沈下橋なのか?。わかんなーーーーい」である。こういう天気の良い日に渡っても実感がつかめない。

沈下橋で、外のおいしい空気を吸ったので、やおら元気が出てきた。ただ、民家もなく、我々以外に誰もいないのが薄気味悪い。要するにここは山林に囲まれた山奥というわけだ?。

沈下橋に別れをつげ、バスは四万十川を目指して進んだ。進めど進めど川が見えてこない。木立が邪魔をしてバスの走路からは川が見えないのだ。30分以上は走っただろう。やっと、船乗り場がある広場へ到着した。屋根付きの船が数隻停泊していた。ここから遊覧するわけだ。

ツアー客達は船乗り場まで急いだ。じっちゃん、ばっちゃんたちは、相変わらず元気だ。誰一人落伍者はいなかった。



2015年11月06日(金) とっちゃん坊や達の旅(17)坊ちゃんの湯は熱かったぜ。

のび太君とジャイアンは坂を下り、町中へやってきた。町の中心には道後温泉の本館がある。別名を「坊ちゃんの湯」と言うらしい。残念ながら「とっちゃんの湯」ではなかった。

のび太君は本館建物をしきりにカメラに収めていた。この建物は歴史的にも価値のある建築物で、國の重要文化財になっているよし。僕ジャイアンも負けじとカメラを向けたが、なにせ、安物のカメラ。出来映えに期待が持てそうにないが、仕方がない。

撮影が終わり、「さあ、一風呂浴びるか」と言うことで、本館の中に入った。いくつかのコースがあったようだが、一番安いチケットを購入。タオルはどうしたんだったか忘れた。たぶん借りたのだろう。脱衣場で裸になり、小さな一物をタオルで覆い、浴槽へ向かった。

古めかしい変な浴槽だった。仁王様のような像が有り、そこから湯が流れ出ていた。タオルは浴槽につけてはだめなので、頭に乗せた。恐る恐る湯船に体を落としたが、えええっ、深いのなんのって。湯船の底に尻を落として座ろうと、腰を落としたが、そうすると、胴長のジャイアンの顔まで、湯に浸かってしまう。つ「何で?、わーーーい?、どうしてこんなに深いの」と、不思議に思った。

その疑問は翌日、ガイドさんの説明により解決した。要するに、尻まで落として湯船に浸かると客が長湯するので、わざと、深くして客の回転率を上げようという魂胆だ。湯の底に尻が座れないように深くしてあるとのこと。ちなみに深さは70センチはあるようだ。

「営利のためか?せこいぜ」と思ったが、どうすることも、あい。きゃん、のっと。カラスの行水で、ジャイアンは湯船から脱出。ボディーシャンプーで体を洗い、這々の体で脱衣場へ逆戻り。紳士、のび太君は、かなりゆっくりだ。彼が言った。「あんた、上がるのが、えらい早いね」って。僕は言ってやった。「僕の体は猫舌ですから」と。

湯から上がり、2階にあるという「坊ちゃんの部屋」を見学した。階段が垂直に近いほど急だった。手すりにつかまりながら恐る恐る上がった。祖谷のかずら橋より恐いぜ。三畳か・四畳半程度の部屋に、夏目漱石をはじめ、知らない人達の顔写真が壁に掛けられていた。のび太君がカメラに収めたことは言うまでもない。「なるほどねえーー、夏目漱石はいい男だ」。これが僕、ジャイアンの印象だ。

ひとしきり、見学して階段を下った。おっと、その前に2階の手すりから、外の景色を眺めると、本館のすぐ近くに提灯がさげられた居酒屋風の店が目にはいった。のび太君が、「あそこに行っててみよう」と言う。僕ジャイアンに異論なし。

店舗の中は、客で混んでいた。メニューが運ばれた。僕達はちょっくら喉が渇いていたので、ビールが飲みたかった。メニューに「坊ちゃんビール」というのがあった。地ビールのようだ。即注文。つまみは枝豆だ。いやあーーーー、このビールのおいしかったこと。二人とも、おかわりをして、2杯ずつ飲みあげた。

いい気分になった。もう、二人ともかなり疲れが出ていた。時計も9時半をまわっていた。結局、そろり、そろりと帰省することに。ホテルの部屋では、ネズミ男君とスネオ機運が、布団に大の字になって寝ていた。といっても、熟睡していたわけではない。いかにも、不機嫌そうな顔をして、僕らに目を向けた。「何か、土産でも」と期待していたのだろうか。なんにもなし。娑婆世界は厳しいんだぜ。

まあ、そんな具合で、道後の夜は、とりとめたハプニングもなく更けたのでありました。




2015年11月05日(木) とっちゃん坊や達の旅(17)坊ちゃんの湯は熱かったぜ。

のび太君とジャイアンは坂を下り、町中へやってきた。町の中心には道後温泉の本館がある。別名を「坊ちゃんの湯」と言うらしい。残念ながら「とっちゃんの湯」ではなかった。

のび太君は本館建物をしきりにカメラに収めていた。この建物は歴史的にも価値のある建築物で、國の重要文化財になっているよし。僕ジャイアンも負けじとカメラを向けたが、なにせ、安物のカメラ。出来映えに期待が持てそうにないが、仕方がない。

撮影が終わり、「さあ、一風呂浴びるか」と言うことで、本館の中に入った。いくつかのコースがあったようだが、一番安いチケットを購入。タオルはどうしたんだったか忘れた。たぶん借りたのだろう。脱衣場で裸になり、小さな一物をタオルで覆い、浴槽へ向かった。

古めかしい変な浴槽だった。仁王様のような像が有り、そこから湯が流れ出ていた。タオルは浴槽につけてはだめなので、頭に乗せた。恐る恐る湯船に体を落としたが、えええっ、深いのなんのって。湯船の底に尻を落として座ろうと、腰を落としたが、そうすると、胴長のジャイアンの顔まで、湯に浸かってしまう。「何で?、わーーーい?、どうしてこんなに深いの」と、不思議に思った。

その疑問は翌日、ガイドさんの説明により解決した。要するに、尻まで落として湯船に浸かると客が長湯するので、わざと、深くして客の回転率を上げようという魂胆だ。湯の底に尻が座れないように深くしてあるとのこと。ちなみに深さは70センチはあるようだ。

「営利のためか?せこいぜ」と思ったが、どうすることも、あい。きゃん、のっと。カラスの行水で、ジャイアンは湯船から脱出。ボディーシャンプーで体を洗い、這々の体で脱衣場へ逆戻り。紳士、のび太君は、かなりゆっくりだ。彼が言った。「あんた、上がるのが、えらい早いね」って。僕は言ってやった。「僕の体は猫舌ですから」と。

湯から上がり、2階にあるという「坊ちゃんの部屋」を見学した。階段が垂直に近いほど急だった。手すりにつかまりながら恐る恐る上がった。祖谷のかずら橋より恐いぜ。三畳か、四畳半程度の部屋に、夏目漱石をはじめ、知らない人達の顔写真が壁に掛けられていた。のび太君がカメラに収めたことは言うまでもない。「なるほどねえーー、夏目漱石はいい男だ」。これが僕、ジャイアンの印象だ。

ひとしきり、見学して階段を下った。おっと、その前に2階の手すりから、外の景色を眺めると、本館のすぐ近くに提灯がさげられた居酒屋風の店が目にはいった。のび太君が、「あそこに行っててみよう」と言う。僕ジャイアンに異論なし。

店舗の中は、客で混んでいた。メニューが運ばれた。僕達はちょっくら喉が渇いていたので、ビールが飲みたかった。メニューに「坊ちゃんビール」というのがあった。地ビールのようだ。即注文。つまみは枝豆だ。いやあーーーー、このビールのおいしかったこと。二人とも、おかわりをして、2杯ずつ飲みあげた。

いい気分になった。もう、二人ともかなり疲れが出ていた。時計も9時半をまわっていた。結局、そろり、そろりと帰省することに。ホテルの部屋では、ネズミ男君とスネオ君が、布団に大の字になって寝ていた。といっても、熟睡していたわけではない。いかにも、不機嫌そうな顔をして、僕らに目を向けた。「何か、土産でも」と期待していたのだろうか。なんにもなし。娑婆世界は厳しいんだぜ。

まあ、そんな具合で、道後の夜は、とりとめたハプニングもなく更けたのでありました。





2015年11月04日(水) とっちゃん坊や達の旅(16)道後の夜はいかに?。

宇和島の真珠会館を後にした。目的の商品は一応ゲットしたので安心だ。ちなみに、参考までに真珠の商品を見たが、いやあーーーー、高いのなんのって。我々とっちゃん坊や達には、とてもとても手が出ない。ただ、指を口にくわえて、「ポカーン」と眺めて通り過ぎただけ。

さあ、これから最後の目的値「道後温泉」まで、バスはひた走りだ。到着予定は午後6時だった。バスの中で、ホテルの部屋番号が渡された、昨夜は706号。今宵は505号室。いい番号だぜ。

やっと、バスは町中を走った。薄暗くなりかけた町に、明かりが灯りだした。故郷のネオン街を思い出した。旅に出る前に、のび太君が懇意にしている「魚市場」という、料理屋で壮行会をやったっけ。「今宵も道後温泉街にさまよい出て、飲みまわり、カラオケでも歌うのだろうか?」と、思ったが、現実はさにあらず。

バスは、緩やかな坂道を登った所にあるホテルの前で止まった。結構、立派なホテルだ。部屋にはいり、再び寝床の位置について、じゃんけんが始まった。面白いことに昨夜と同じ配置になった。ジャイアンが一番奥。その隣にスネオ君、その横にネズミ男君だ。のび太君はその隣で、ジャイアント同様、端っこだ。

夕食はバイキングだ。7時からやっていた。「まずは夕食だぜ」と、揃って1階のバイキングルームへ。かなりの宿泊客がいるようだ。混雑していた。「バイキングかあーー。久しぶりだぜ」と、皆、お盆に皿を乗せ、次々と獲物を皿に取り分けていく。欲張って残しては、いけない。多種類を少々、食べるのが理想的だ。

席について、まずはビールで乾杯だ。ネズミ男君の横にのび太君。ジャイアンの横にスネオ君が座った。スネオ君の盆に乗っている皿を見て驚きだ。な、な、なんと、富士山のように高く積まれた野菜類の山。それを、ぱくつこうというわけかあー。のび太君が笑いながら「えらい、たくさん持ってきたね」と言うと、スネオ君は「わしゃー、日頃、食べていないんでねー」と応えた。みな、笑った事よ。

食事が終わり部屋に戻った。「さあ、ちょっくら道後の夜を散策しようぜ」と、のび太君が皆に声をかけた。ジャイアンはそく賛成。しかるに、しかるに、ネズミ男君と、スネオ君の返事がかんばしくない。「おいらは、昔、来たことがあるから部屋で飲んでる」と、ネズミ男君が言う。スネオ君もそうしたいようだ。結局、のび太君とジャイアンの二人で町へ下ることになった

「町へ下る」と書いたのは、ホテルが小高いところにあったからだ。従って、ほぼ30分おきに無料の送迎バスが出ていた。のび太君とジャイアンは、運動、運動と言いながら、歩いて坂を下った。僕、ジャイアンは正直、「帰りも徒歩なら大変だぜ」と思ったが、口にせず。二人して、カメラ持参で、てくてく出かけた次第である。


2015年11月03日(火) とっちゃん坊や達の旅(15)坊さん簪(かんざし)買うを見た。

四万十川で自然を堪能して、いよいよ高知とお別れだ。既に3県をまわった。最後は愛媛県だ。正直、どこが何県だったか全くわからない。学校で学んだ歴史と地理の記憶はすっかり飛んでいる。「忘却とは忘れることなり」である。

さてさて、「なにか買い物の忘れ物は、なかったかなあーー」と、ネズミ男君へ聞くと、実はあったのだ。「坊さん簪、買うを見た」という歌て思い出した。日頃行きつけの「梓」という小料理屋のママさんから「わたしお土産に簪が欲しいわ」と言われていた。簪と言えばやはり高知県か?

旅から帰るとネズミ男の誕生日がやってくる。ママさんにお土産を渡すと、お返しに誕生日祝いの美酒に預かれるのでは?というネズミ男君の浅はかな考えだ。僕ジャイアンもネズミ男に同調した。残念ながら、高知市では、そのことを二人ともすっかり忘れていたようだ。

しかるに、天は我々をまだ見捨ててはいなかった。なんと、次に訪れる場所は愛媛県の宇和島市で、ここは日本有数の真珠の産地である。知らなかったなあーー。ネズミ男君が言う。「そこには真珠の簪があるやもしれぬ」と。僕は一瞬「うーーーーーーん」とうなった。「たとえあっても、相当に高いぜ」と、ジャイアンが言うと、ネズミ男君が「あんたも半分出すだろう」と、おねだり顔で聞く。

まあ、日頃世話になっている店だから、「僕も、すこしは出すよ」で決着だ。相変わらずバスガイドさんの懇切丁寧な話が続く。乗車時間も結構長いようだ。いつしか、とっちゃん坊や達は眠りについたようだ。他のツアー客も同様だ。今回の旅で思ったこと。ツアー客達のマナーが良いことだ。我々みたいに無駄なおしゃべりはせずに、黙々とスケジュールをこなしている。じっちゃん、ばっちゃん達の心の中を覗いてみたいと思った事よ。

そうこうするうちに、宇和島の真珠会館という所に着いた。とっちゃん坊や達には、縁はない会館だったが、簪があるやもしれぬと、店内に入った。店内の従業員さんに聞くと、あった。あった。だが、数は少なく、種類も二種類。高い方は真珠球がついて、願いましては7千円。安い方は5千円だった。「安い方にしとこうぜ」とジャイアンが言うと、ネズミ男君は首を縦に振らない。即、従業員さんに言うではないか。「ねえーー、7000円の物を5000円に出来ないかなあーー}と。な、なんと、従業員さんは「いいですよ」と、一発返事でオッケー。

何故、オッケーになったのか分析してみた。そうそう、簪を買うとき、ネズミ男君は帽子を脱いでいた。あたかも、高僧かと思わせる容姿。これが良かったのだろう。「坊さん、簪買うをみた」。笑っちゃったぜ。結局。ネズミ男君とジャイアンが二千五百円ずつの出費だ。

ついでに後日談を書いておこう。旅から帰り、ネズミ男君とジャイアン亜h、小料理屋「梓」を訪れた。ネズミ男君は、すかさず土産をママさんに手渡した。ママは即、ケースを開け、簪を取り出した。「あら、すてきねえーー」と言って、鏡の前で装着した。たいそう気に入ったようだ。和服姿のママの黒髪によく似合っていた。そこで、僕、ジャイアンが言ってやった。「実はねえーー、ママ、これ高かったんよ。7千円したんだ。二人で割り勘したよ」って。ママはいたく感動。今度のネズミ男君へのお返しが楽しみだ。うっしっしーーー。


2015年11月02日(月) とっちゃん坊や達の旅(14)清流四万十川に心乱れる。

沈下橋を後にして、ツアーバスは一路、四万十川を目指して進んだ。日本最後の清流と言われるこの川。いかがなる川か、一度見てみたいと思っていた。僕は幼少の頃より球磨川に親しんできた。球磨川こそ最高と思ってきたんだが。

バスは船乗り場へ到着。三々五々と、船に乗り込んでいく。とっちゃん坊や達は一番最後だ。桟橋の前でビールを売っていた、我々が買わないはずがない。缶ビール4本を調達。船の中で昼食が出る。

既に食事の配膳がなされていた。四人がけのテーブルに座った。舟の先頭には、船頭さん、いやいや、ガイドさんかな?。中年のおじさんが、いろいろと説明をしてくれた。とっちゃん坊や達は、説明は上の空で、即、缶ビールの蓋を開け、乾杯。弁当をついばんだ。

湖面を見た。あたかも北海道の摩周湖みたいに水が澄んでいて、大小の川底の石が、輝いて見えた。皆の発する言葉は「なるほどねーーー、きれいな水だ。まだ、自然に人間の手が届いていない」である。確かにそうだ。湖面の両サイドを見ると、木立が一面を覆っており、民家等、一軒もない。船着き場の広場に、ちょっとした売店があるだけだ。

船頭さんが器用に舵取りをしながら舟は上流、上流へと進んでいく。この源泉はどこかな?。よほど、山奥に違いない。のび太君は愛用のカメラで、湖面や取り巻く木々を撮していた。ネズミ男君も、のび太君に負けずと劣らないカメラを湖面に向けていた。僕、ジャイアンは壊れたデジカメの代用で購入したカメラを、こそこそと、しめやかに、そっと、シャッターを切った。スネオ君は、我、感知せずで、ひょうひょうと湖面を眺めていた。

途中、別の遊覧船と出会った。いやーーー、我々以外にも観光客がいたんだと、大いに感激。むこうも手を振り、こちらも手を振った。こういう場面って、いいもんだ。お互いに、「楽しんでいますかあ?」という挨拶なんだろう。

「四万十川」ねえーー。僕はいつぞや、この名前を聞いたとき、回転饅頭を連想した。「万」という字が饅頭に思えたのだ。食いしん坊だからなあーー。

舟は片道30分。帰り30分の、ほぼ1時間のコースで走った?。「夏、この湖面で泳いだら、さぞかし気持ちがいいだろうなあーー」と思ったが、誰もいなくちゃ、寂しくてやってられませんぜ。恋人と二人きりなら、彼女は言うだろう。「わたし、こんな寂しいところはきらい。早く町に戻りましょう」って。そこで、男は考えた。「女性は自然の美を理解できない動物なんだ。いやまて、この僕を愛していないんじゃないかな?」と、疑心暗鬼になる。「のび太君よ、一度、シズカちゃんを連れてきて、彼女の反応をみてみたらどうかい?」と言いたかったが、や・め・た。

ともあれ、四万十川は確かに美しい清流だった。人の手に荒らされずに、ずっとこのまま、静かにたたずんでいて欲しいと思う。とっちゃん坊や達の心は皆、同じのようだ。ネズミ男君はこの清流を見て、振られた昔の彼女の事を思い出したに違いない。やけに静かだった。

おっと、今日の旅行記は、ちと、感傷的になった。この辺で止めておこう。






2015年11月01日(日) とっちゃん坊や達の旅(12)。空と海の青が心を洗ってくれた。

旅の二日目を迎えた。午前8時にバスが出発だ。とっちゃん坊や達は早めに支度を終えて、ロビーに降りた。フロントで精算を済ませ、バスに乗り込もうとすると、鼻ひげのお姉さんと、もう一人の仲居さんが、我々を見送りに来ていた。名残惜しそうに手を振る姿が、思わず涙を誘った。僕たちも窓から手を振った。お恐らく、二度とこのホテルに泊まることはないだろう。触れあいも縁。別れも縁なのだ。

バスは二日目の最初の行き先、「桂浜」を目指した。例によってガイドさんの流ちょうな解説が車内に響き渡った。桂浜にはもう随分前に社内旅行で来たことがあった。ネズミ男君も、そうだったようだ。なにせ、昔のこと。今とは随分違っていたかもしれない。

車に、どのくらい乗っていたのか定かではない。昨夜の睡眠不足が皆を眠りの世界へ誘ったようだ。「はい、そろそろ着きます」というガイドさんの声で目が覚めた。車をおりて、やや、坂になっている所を歩いた。坂を登り切り、前方を見ると、見えた。見えた。広い海原が。波は穏やかで真っ青に澄んでいた。

ガイドさんから注意事項の説明があった。「決して波打ち際までは行かないでください」と言う。看板にもそう書いてあった。波に足を取られて、沖へ流されないようにとの配慮だろう。

ネズミ男君とジャイアンは、決まった通路を歩き、一番先端にある展望台を目指した。距離は結構あった。ところで、のび太君とスネオ君の姿が見えなかった。砂浜の方へ目をこらすと、スネオ君は波打ち際の近くまで足を進め、しゃがみ込みながら何かを拾っている様子。のび太君も砂浜の中間あたりを歩いている姿が見えた。「よほど、砂浜が恋しいのか?。彼らは童心に戻って、はしゃいでいるのだろう」と、勝手に想像してしまった。実際は貝殻を拾っていたようだ。誰にあげるのか知らないが、ロマンティストだぜ。

ジャイアンと、ネズミ男君は展望台に上り、周囲を見回した。いやあああ、海も空もきれいだ。風景が見事に調和している。感動的だ。しばらく余韻に浸った。写真を撮ったことは言うまでもない。と、その時、ネズミ男君が時計をのぞき込み、「おやっ」と叫んだ。

何かと思ったら、バスの集合時間が迫っていたのだ。つい、長居をしてしまった。「さあーー、戻るべー」と、引き返した。途中から、ネズミ男君の足が急に速くなった。「おーーーーい、待てよ」と、ジャイアンが言っても、彼は振り向きもせずに、僕を置いていく。

僕、ジャイアンは思った事よ。「なんて、冷たい奴なんだ」ってね。後で、彼にそう言うと、彼は「あんたの足が遅いんよ。バスの前で待ってたじゃん」と言う。「ごめん、ごめん」という謝りの言葉もない。てなわけで、その時、一時的に、ジャイアンとネズミ男君の人間関係が崩れたのでありました。バスに隣同士に座っても会話なし。

こういう事って長くは続かないものだ。いつの間にか仲良しに戻っていた。のび太君やスネオ君は、この経緯をしらない。彼らはそれぞれに貝殻を拾い、車内で僕達に見せてくれた。色とりどりの貝殻は、僕達を和ませてくれた。

さあーー次へ出発だ、どこだったっけ?。


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