umityanの日記
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久しぶりに太陽が顔を覗かせた。「さあ、出かけよう。君を乗せて」。おっと、君じゃあーなくて、鞄(カバン)を乗せてだ。水、ノート、鉛筆を詰め込んでーーー。
雪もほぼt溶けて、田んぼと道路の境もはっきりしてきた。凍結も、山のほうへ行かなければ大丈夫のようだ。今日は2時にクライアントとの約束がある。それまではフリータイム。
ただ、今日の天気は長くは続かないとのこと。低気圧が近づいているらしい。やや、温かくなったが、来週になると再び寒気が戻るそうな。「地球さんよ、あんたは一体、何を考えているの。人類を滅ぼそうとしているの?」。思わずそう言ってしまいたくなる。
ところで、太陽系に第9番目の惑星が発見されたと報道されていた。昔は冥王星だったが、9番惑星から除外されて、新しいのが見つかったという。地球より10倍は大きいガス惑星らしい。
そこで、僕は考えた。9番惑星の命名者になろうと。水(水星)、金(金星)、地(地球)、火(火星)、木(木星)、土(土星)、天(天王星)、海(海王星)・・・・・・・・・。
天、海、と来れば次は何だ?。僕の名前の一字が純だから、純王星(じゅんのうせい)なんかどうだろう。いやあーーー、いいねえーーー。まだ発見されたばかりで、ガスに覆われているが、心は純粋だろう。汚れを知らない。僕の心と一緒だ。
おっと、うぬぼれるのもそこまでだ。ただ、真面目に考えて、「純王星」っていいと思う。僕一人であっても、今後はそう呼ぶことにしよう。
雪解けの世間を見回すと、各地で水道管等が破裂、破損して、断水しているようだ。水・・・・・、日頃は何の不自由もなく使っているが、ひとたび、その供給が絶たれると、人間の生活は、にっちもさっちも行かなくなる。備えあれば憂い無しと言う。日頃より、なにかにつけて、用意周到でなくてはいけないんだ。今はそういう時代なのだ。そんなことを思わせた。
ここ数日、大雪でほとんど外出していない。家にこもって窓から白銀の世界を眺めているだけ。こんな日々も珍しい。大雪になったのは何年ぶりだろう。いや、何十年ぶりかもしれない。
沖縄や鹿児島の人たちにとっては、そうかもしれないが、僕にとっても、雪は珍しく、美しい物の代名詞だった。雪国の人たちには「恨めしやあー」という存在かもしれないが。日本列島が、ほぼ全国的に雪に包まれた。こんなことも珍しいだろう。事故も起きているよし。気をつけなくてはなるまいて。
雪は23日の夜から降り出し、24日の朝は、田んぼと道路の境が見分けられないような真っ白い平野になっていた。人も車も姿は見えじ。雪の平原に独りぼっちって感じだ。「太平洋独りぼっち」て、映画か?小説か?、あったと思うが、まさにそれである。
こんな時こそ、机上の仕事をするにはもってこいの機会だと、椅子に腰掛け、書類に目を通すが、なにせ寒くてはかどらない。古びたエアコンのスイッチを入れ28度に設定した。エアコンは温風を送ったり、休止したりしながら、温度調整をしている。かしこいぜ。机が邪魔して、足下には温風が届かない。
これじゃー、「あばかんでー」と言うことで、ほとんど使っていなかったが、足下に温風をだす機械を置いた。冷え性の足が温かくなってきた。やれやれだ。24日は終日雪が舞った。25日には降ったり止んだりで、のらりくらりの状態。雪が溶ける気配は一向にない。
僕はあいかわらず、部屋の中で、コーヒーをすすったり、外に目をやったり。日頃、目を通していない書類たちを手に取った。こういう時に、新しい発見がある。いそいで処理しなければならない書類の存在に気がつく。はたまた、読んでおくべき大事な情報に気がつく。雪、さまさまである。ちょろちょろばかりしていては、こういう事に気づかない。
26日の朝を迎えた。今日である。雪はほとんど降っていないように見えるが。安心は出来ない。今日は午前9時にクライアントの所へ赴く約束をしていた。だが、いかんせん、降り積もった雪が外出を邪魔している。即、電話をいれて、後日に変更してもらった。
大雪襲来がくれた静かな日々。これに感謝すべきか否か?。僕にとっては感謝の気持ちが強いか?。さあーーーー、今日も頑張ろう。
2016年01月17日(日) |
さあ、出発だ。悲しみは今日までだ。 |
昨年末から最近まで、悲しみが心をもたげ、日記等を書く気になれなかった。母の一周忌が済み、「このままではいけない。母も悲しんでいる」と、気を取り直して、さあ、出かけよう。出発だ。
相変わらず、世間では痛ましい事故があっている。スキーバスの転落により、十数名の若者達の命が奪われた。又、世界では幼い子供達が自爆テロを強要され、悲惨な死を遂げている。あってはならないことだ。
一体、人間って何だろう?。高度な知能を持ちながら、犬畜生にも劣る動物と思えるときがある。確かに世の中は格差だらけだ。科学や文明の発達の度合いが違い、宗教の違い等が格差や差別を生んだ。地球に生命体を育んだ宇宙の絶対神は、人間がこうなると想像していただろうか?。恐らく想像はしていなかっただろう。
人間を含めた生命体は、生きていかねばならない。ただ生きるのみにあらず、種を保存して、進化して行かねばならない。生命体の絶対数が少ない内は良かったが、生命体があふれだすと、食糧が間に合わない。人間社会もそうだろう。かくして食糧の奪い合いが起こり、他を排斥するようになる。争いはエスカレートする。欲が欲を助長させ、他を顧みなくなる。ここから悲劇が始まるのだ。
人間は皆、心の中では平和を求め、人に優しくできるのだ。パスカルは言った。「人間は考える葦である」と。確かに人間は弱い存在だが、考えることが出来る特性を持っている。このことが大事である。考えることが出来るから、人間が幸せに暮らせるように考え、皆、協力して行かねばならない。
世界中の人々は皆、平和と幸せを求めている。譲歩すべきは譲歩し、助け合いの輪を世界中に広げねばならない。輪は広がっているように見えるが、現状は、いまだ武器で世界平和を構築しようとしている。武器を捨てたとき初めて平和が訪れるのだ。早く、そうなって欲しい。
最近、地球環境が、すごく悪化しているように思える。異常気象がまさにそうだ。遠からず、地球が大打撃を受けるような事態が起こりはしまいかと心配である。ネズミ男君が、しょっちゅう言っている。「おいらたちも、あと数十年も生きない。しからば、楽しく生きようぜ。人に幸せを与えながら。地球さんよ、もうすこし、大惨事を起こさないで」って。同感だ。
人間は手遅れにならないうちに、地球環境の改善に全力を注ぐべきだ。そのことが、今を生きる者の、子孫に残せる遺産なのだ。
今日は久しぶりに吠えてみた。明日が待っている。さあ、出発だ。
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