umityanの日記
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2015年10月31日(土) |
とっちゃん坊や達の旅(11)恐怖のベッドインタイム。 |
最後に、ネズミ男君が、「ジュリアーノ。ハートブレイク」をツイスト混じりで歌った。これが、様になっているんだよなあーー。初老の紳士とその連れらしき未亡人風の女性が、いたく感心しながら、彼の歌に拍手を送っていた。我々にとっては、「またかあーー」という感じで、珍しくもない。点数は、いつものごとく70点代に甘んじた。
歌い疲れと、酔いの勢いで、我々は這々の体で店を後にした。ホテルに戻った。いよいよ、今宵の最大イベント、いびきの競演がはじまるか。早く、寝に落ちた方が賢明だ。とは言いながらも、これが出来ないんだよなーー。
以前書いたが、のび太君、その隣にねずみ男君、またその隣にスネオ君。スネオ君の隣に、僕ジャイアンである。そうそう、紳士、のび太君は、耳栓を持参してきたと言う。それをはめていれば何の心配もないか?
寝苦しい夜が始まった。僕、ジャイアンは午前4時頃だったか、一度、トイレに立った。後の三人は、それに気付く様子もなく寝込んでいるようだ。いびきや歯ぎしりらしき音は、ほとんど聞こえない。皆、「気を遣っているんだなあーー」といたく感心した。
僕、ジャイアンは、その後、眠れなかった。程なくして、隣のスネオ君が、「幽霊みたいに「すーーーっ」と起き上がり、僕、ジャイアンの横の障子を開いて、椅子が置かれているベランダへ行くではないか。「たばこ」を吸いに出たのだろう。僕は、知らぬふりをして、寝返りを打った。
朝食は午前7時から用意されている。僕は、その後、眠ったのだろうか?。目を覚ましたのは午前5時半だ。皆、まだ寝ていた。即、洗面を済ませた。ネズミ男君、のび太君、スネオ君の純に起きた。
「のび太ちゃんよ、昨夜は誰も、いびきをかかなかっただろう?」と、ジャイアンが問うと、彼は「全然、わかんなかった」と応えた。それも、そうだろう。耳栓があるからなあーーー。と、その時、ネズミ男君が言うではないか。僕、ジャイアンに向かって、「あんたの、いびきが一番うるさかったぜ」と。僕には身に覚えがない。「そ、そ、そうなの。」と、僕は顔を背けた。僕には、スネオ君のいびきが若干、気になっていたが、そのことには触れなかった。まあ、いびきのことで、人を責めるのはやめよう。
いびき騒動が終わり、とっちゃん坊や達は午前7時に、揃って食堂へ赴いた。座席は昨夜と同じ場所。既に、配膳がなされていた。横を見ると、いるではないか。昨夜のひげのお姉さん。にこにこ笑いながら、「おはようございます。昨夜は楽しかったわ」と、挨拶を受けた。とっちゃん坊や達は、照れながら、朝食をぱくついた。もちろん、その時は、ひげの仮装はない。嘘みたいに皆、まともな顔をしていた。
2015年10月30日(金) |
とっちゃん坊や達の旅(19)ソフトクリームの味に舌鼓を打つ。 |
いよいよ道後温泉地ともお別れだ。午前9時、定刻にバスは広島駅を目指して出発だ。じつちゃん、ばっちゃん達もいたって元気そう。このエネルギーは一体どこから生じているのか。そうそう、三日目のとっちゃん坊や達の座席は一番前。一日目は中間。二日目が後部座席だった。一番前は、フロントガラスから前方が見えて快適だ。ガイドさんも一番最後に、我々とっちゃん坊や達に花を咲かせてくれたか。
バスはこれから、いくつもの橋を渡って本州に入る。物覚えの悪いとっちゃん坊や達は橋の名前等、覚えていない。要するに、橋から瀬戸内海を見ながら「しまなみ海道」と称する高速道路等をひたすら走るわけだ。
今回の旅は晴天に恵まれ、波も穏やかで最高の旅日より。ガイドさんが、こういう日々も珍しいと、いたく強調していた。バスは来島海峡を渡り、最初に太山祇神社(おおやまずみじんじゃ)という所へ駐車した。まだ愛媛県だ。ここの神社は歴史も古く、山と海を守る神を祭っているという。大きな神木もあった。口の達者な(当然と言えば当然か)男のガイドさんが我々を案内してくれた。我々の心は巧みにあやつられていく。
神社の出口には土産品店があった。「私は店の回し者ではないが、そこのソフトクリームは、そこいらにあるものとは違う。是非食べてみてください。ほっぺたが落ちます」という。「ええーーーつ、うそーーーつ、ほんとーーー?」と言いながら、我々はまんまと口車に乗った。のび太君、僕ジャイアンが、即、購入。ネズミ男君とスネオ君はいたって慎重で食せず。「うんんんんーーーまあまあの味だ」。特にほっぺたは落ちなかったが。
まあ、せっかくだから、ここで、土産として、めかぶのお茶を買った。スネオ君は、何を思ったのか、箱入りのうどん麺を大量に買い込んでいた。「そんなに買ってどうすんの」と、聞くと、「わしの非常食たい」という。変わっているぜ。
見事、ガイドさんにあやつられて、ここを後にした。のび太君やネズミ男君はまじめに写真を撮っていた。もち、僕もカメラのシャッターを切ったことはいうまでもない。あくまでも、控えめに、控えめにだ。
ここを出てバスはさらに、さらに橋の上を走って行く。ガイドさんが言った。これらの橋のサイドには自転車の通路があります。自転車の競争もあるそうな?自転車でこの長い吊り橋を走るのって、さぞかし気持ちがいいだろうなあーー。なんでも、外国人もこの自転車道を、気に入っているらしい。
もう、いくつ橋を渡ったのか定かではない。ガイドさんがしきりに説明してくれるが、「橋の名前とて、わかんなあーーーーい」である。さて、さて、次にどこへ行くやら?。
2015年10月29日(木) |
とっちゃん坊や達の旅(10)高知の夜。 |
ホテルのロビーに鼻ひげをつけた仲居さんが待っていた。今から我々とっちゃん坊や達をカラオケ店へ案内するというのだ。我々も鼻ひげを着けたまま、仲居さんの後ろに従って、ホテルをでた。ここは町の外れと見えて、まわりは暗く、店も少なかった。我々と出会う人も、ほとんどいなかった。
ちょこちょこと数分歩いたところに、ネオンのついた小さな店が見えた。「えええつ、ここ?」と、若干、いぶかしながら店に入ると、なんと、そこはスナックだ。専門のカラオケ店ではなく、スナックにカラオケが設置してある普通の店だった。店内には、ママさんと、そのだんならしき男性がいた。ママさんと仲居さんは知己の仲のようだった。店内に入るなり、ママさんとその男性は大いに笑い転げた。未だかってない奇人変人の登場に、度肝を抜かしたようだ。
ここしかないのなら仕方がないと、我々はボックス席に陣取った。飲んで、一人3千円で値段の交渉を行った。カラオケ代は「ただ」とのこと。「それいけワンワン」で、ネズミ男君が真っ先にマイクを握った。出し物は、彼の得意中の得意の歌、中村雅俊さんの「ふれあい」という曲。「寂しさに出会うたび、あの人を思い出す・・・・・」。まさに、今宵はふれあいのタイムである。
身振り手振りを交えて、ネズミ男君が熱唱した。点数は、な、なんと、87点。「ほおーーー、なるほどねえーーー」。会場からは拍手喝采だ。と言っても数人しかいないんだが。高知は点数が甘いぜ。
次に、僕ジャイアンが井上あずみさんが歌う「君をのせて」というジブリの歌を披露した。「父さんが残した熱い思い、母さんがくれたあのまなざし、地球は回る、君を乗せて・・・・」。こんな歌詞だったっけ?。今、正確には覚えていない。はい、願いましては、それいけ87点。ネズミ男君と並んだぜ。ネズミ男君は「にたーーっ」と、不気味な笑みを浮かべた。
さあ、次はのび太君の番。彼はもっぱらムード曲専門の紳士。今宵の出し物は、「いい日、旅立ち」だったかなあーー?。思い出せない。点数だけは覚えている。またもや87点。「一体ここのカラオケは、どうなってんの。87点が限度でとめてあるんかあーー」と、ネズミ男君が首をかしげた。
スネオ君は、過去、現在、いまだかって歌を披露したことがない。今宵も、焼酎をすすりながら、僕たちの愚行を眺めて、「ニタニタ」と笑っていた。ネズミ男君が再びマイクを握った。山口百恵さんの「秋桜」で泣こうというわけだ。歌の最後に彼は「かあーーーちゃーーーーん」と叫ぶ。これが特徴だ。「いやああ、泣かせるぜえーーー」と思ったが、誰も泣いていない。仲居さんだけが偽りの涙を見せながら、一人、ほくそえんでいた。
まあ、こんあ塩梅で、高知の夜は更けたのでした。その後も、さんざん歌い、疲れてホテルへ戻った次第である。仲居さんはいつの間にか消えていた。
2015年10月27日(火) |
とっちゃん坊や達の旅(20)道の駅で小休憩。 |
海の神、山の神の神社に詣でて、バスは次なる地点へと向かう。その途中に「道の駅」なるショッピングセンターがあり、そこで昼食をとり、小休憩するとのこと。いい加減、バスには乗りくたびれた。
とっちゃん坊や達は、ビールを飲み、弁当をついばんだ。うんんん、まずくはないが今ひとつって感じだ。そうそうに、店を出た。と、店を出たところに、「牡蠣(かき)」を焼いて食べさせる店が有り、スネオ君が一皿(三匹くらい殻つきの牡蠣が盛ってある)注文していた。僕ジャイアンに1ヶ、食べないかと勧めてくれた。焼きガキを食べるのは、何年ぶりか。「おなかに大丈夫か?」と、ちょっくら心配したが、「なんとかなるさあーー」で、おいしく牡蠣を喉に流し込んだ。うんんん、これはうまかった。
まだ時間が40分以上残っていた。牡蠣を売ってっていた主人に、「この辺にどこか見るところはない」と、スネオ君が聞くと、なんと、すぐ近くの高台に、宝物館があるという。ただし有料だ。内には靴を脱いで入る。
なるほど、バスツアー会社も考えたものだ。ここで小休憩をとると、ツアー客達は勝手に宝物館を見学するだろうとの計らいだ。僕らとっちゃん坊や達は、見事その計画に乗った。他のツアー客達は誰も来なかった。ちょっくら、 きつい坂があるからなあーーー。ガイドさんは教えてくれなかったのか?。
ところで、一体何が展示してある宝物館かと思ったら、国宝級の鎧、刀等の大小の武器が展示してあるそうな。中でも、お姫さんが身につけたという、かわいい鎧が人気だそうな。また、さやが極端に長く、まるで長刀のような刀があった。ネズミ男君がジャイアンに聞いた。「あんな長いさやをどうやって抜くんだべ?。戦いの時にこまるでえーーー」と。僕ジャイアンは笑いながら言ってやった。「あんたさあーー、戦いの前に、既にさやは抜いてあるんだよおーーーー」って。ネズミ男君は分かったような分からないような顔をして、「ふ−−ん」と、つぶやいた。
そうこうするうちに、時間となりました。我々は急ぎ足で、バスに戻った。さあ、休憩も取った。我々はこれからどこへ運ばれるのか?。
2015年10月26日(月) |
とっちゃん坊や達の旅(9)ホテルにて。 |
ホテルの部屋に着いた。すでに布団が4枚敷かれていた。さあーーー、問題はこれからだ。場所の争奪戦が始まった。僕ジャイアンは、迷惑をかけないように、一番奥の端っこを選択。残りの三つは、のび太君、ネズミ男君、スネオ君の三人でじゃんけんで場所を決めた。
じゃんけんにはめっぽう強いのび太君が一番勝ち。二番勝ちはネズミ男君。最後はスネオ君だった。てなわけで、ジャイアンより一番遠い端っこに、のび太君、その横にネズミ男君、僕、ジャイアンの横に、スネオ君が寝ることになった。一件落着。要は人より先に寝ることだ。なかなかこれが出来ないんだよなあーー。枕が変わると、寝返りばかり打って、目がさえてくる。結果は翌朝の楽しみだ。
もう風呂に入る時間がなかった。食事の支度が出来ているとのこと。とっちゃん坊や達は、ホテルの浴衣に着替えをせず、そのままの姿で会場に赴くことにした。「そうそう、ここで、ハプニングを演じよう」と、ジャイアンが提案した。ジャイアンが密かに持参していた各種の鼻ひげ。「それぞれ、これを付けて食事会場に赴こうぜ」という事になった。
スネオ君はアフロヘアをずっと、かぶってきたが、頭がかゆくなったと、かぶることを放棄。「じゃあ、僕ジャイアンがかぶろう」と頭に乗せた。各人、気に入った鼻ひげを着けて会場へ乱入。じっちゃん、ばっちゃんたちは、あっけにとられて呆然。しばらくして、奇妙な笑いが渦巻いた。きっと、「馬鹿な連中だぜ。」とでも思ったのかもしれない。
一番喜んで、腹を抱えて笑ったのは、このホテルの賄いさんというか、仲居さんというか、人なっこい顔をした中年のお姉さんだ。テーブルの側から離れず、あれこれとサービスも過剰。「それじゃあーーーー、お礼に」と言うことで、余分に持ってきていた鼻ひげを彼女の鼻の下に、「ペタン」とくっつけてやった。
何を思ったのか、彼女は、志村けんさんがやる踊り、足踏みしながら、両手を下げたり、あげたりする動作をして、ツアー客達を喜ばせた。これには、トッちゃん坊や達も脱帽だ。
食事はバイキングではなく一人一人にお膳が出されていた。まず生ビールで乾杯をして、お膳をすっかり平らげた。おいしい食事だった。もちろん、「かつおのたたき」食卓にが出たことは言うまでもない。ひとしきり、食事を終え、「さあーーーー、今から何をしようか?」と、言おうとしたとき、ネズミ男君が「カラオケに行こうや」という。
ジャイアンが、さきほどの鼻ひげ(これは彼女に差し上げた)のお姉さんに、カラオケ店の有無と所在を訪ねると、案内してくれるという。とりあえず、部屋に戻り、約束の時間に一階ののフロントへ降りた。
2015年10月25日(日) |
とっちゃん坊や達の旅(8)高知市内へ入る。 |
おつとっとー、忘れていた。かずら橋を渡った後、ガイドさんが、「すぐ近くに小さな滝がありますよ」と言う。せっかく来たから滝を見に行くことになった。ほんの数分歩くと、あった、あった。なるほどねえーー。まあまあの滝だ。とっちゃん坊や達は滝をバックに記念写真を撮った。これも一つの思い出になるだろう。
そうそう、もう一つ忘れていたこと。この地、祖谷の地区は平家落人の部落があったところらしい。四国は至る所に平家の部落があるようだ。扇の的を射た那須与一。平家も源氏も、これを見て、こぞって褒めたたえた。場所はどこか知らないが、歴史を感じるぜ。
ツアーバスは秘境の地を後にした。これから今晩の宿泊場所がある高知市内まで走る。ホテルまでは結構、時間がかかるようだ。午後7時前にホテルに到着する予定だったが、実際は30分以上遅れた。
午後6時を過ぎるとあたりは暗くなる。僕たちは暗くなった山道を抜けて、やっと高知市内へ入った。市内の明かりを見ると、ほっとする。高知駅の前に、維新の立役者、坂本龍馬等の立像があるという。残念ながら暗くて見えなかった。
もう、そろそろホテルかなと、窓の外に目をこらすと、のび太君が変なことを言う。「おい、見て、バスはホテルの方角へ行っていないよ。逆に走っているよ」と。「その根拠は?」と問うと、なにやら、GPS機能のあるタブレットかなにか知らないが、ディスプレーの画面に表示されたホテルの位置と、走っているバスのポイントとの距離が、遠ざかっているではないか。
のび太君が言う。「僕が運転手さんに、ホテルの場所を告げてくるよ」って。ネズミ男君と僕、ジャイアンは、「待って、待って、もうちょっと待って。運転手さんもプライドがあるぜ」と言って、席を立とうとする、のび太君を制した。しばらくすると、バスの運転手さんも気づき、進路の軌道修正をした。やれやれだ。
ホテル到着だ。バスの中であらかじめ部屋の番号が渡されていた。706号室。「いい番号だぜ」と、ネズミ男君が言う。「さあ、いこうぜ」とエレベーターに乗った。誰かが押すと思ったのか、誰も行き先の階のボタンを押さない。従って、エレベーターは動かない。よくあることだ。「ありゃ」と言いながら、僕ジャイアンが押したっけ。
エレベーターを降りた、なんと、部屋はエレベーターのすぐ側だった。
2015年10月24日(土) |
とっちゃん坊や達の旅(7)秘境の地巡り。 |
ツアーバスは香川県から既に徳島県に入っていた。バスには 添乗員さん以外にバスガイドさんが乗っていた。添乗員さんの役目は人員確認と、集合時間、見学時間等の確認。いわゆるスケジュールの管理である。バスガイドさんはその名の通り、観光ガイドオンリー。ガイドさんの出番の時は、添乗員さんは居眠りしている時も多々有り。それも仕方がないことだろう。仕事をちゃんとやればいいわけだから。
ガイドさんはあれこれと、車窓の風景やら道すがらの名所旧跡等について敦っぽく語ってくれた。まあ、四国はなんと言っても真言密教の開祖、空海さんや、八十八カ所の巡礼札所の事ばかりである。旅の最初から最後まで、ガイドさんは面白おかしく、色んな逸話を話してくれた。逸話には結構、おひれもついているがまあ、それもいだろう。
前ページでも述べたが、僕たちはまず、秘境と銘打った大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)という所を訪れた。切り立った珍しい岩肌が川面に沿って延々と続いている。その川を船で下ることも出来るそうだ。僕たち、とっちゃん坊や達は最初、展望台から川面を眺めていたが、もう一つ物足りない。「ちょっくら下まで降りるか」ということになり、岩に足を取られないように慎重に、中間まで降りた。のび太君、ネズミ男君。ジャイアンの三人が一緒だった。
と、その時、例によって、ジャイアンがバランスを崩した。「あっ、危ない」と、ネズミ男君が体を支えてくれた。僕としては心配には及ばなかったのだが、 過去、クリーク(農業用水の川)に落ちた経緯があり、「不器用なジャイアン」というレッテルを貼られていたのだ。有り難かったことは言うまでもない。これからは、「あんたは不器用だから、注意せんといかんばい」という言葉が、彼の語りぐさになりそうだ。
再びバスに乗り、次なる秘境の地へ向かった。なんでも「祖谷のかずら橋」と言って、歩くたびに揺れてスリル満点の橋があるそうな。僕たちは「ふ−−−ん、どんな橋かい?」と興味津々だった。行けども行けども、まだ目的地に着かない。くたびれかけた頃、やっと、それらしき雰囲気の場所に着いた。
川面から10数メートルの高さに、かずらで編んだ橋が架かっていた。足を置くところは、かずらで編んだ横板で、ところどころ痛み、腐っていた。隙間から勢いよく流れる川が見える。子供の足だったら板の隙間にすっぽり足が入り込むだろう。あな、おそろしや。
こういう場所ではネズミ男君がめっぽう元気がよい。一番先に「ホイコラ、ホイコラ、ホイホイ」と渡りだした。のび太君と僕ジャイアンは、手すりにつかまりながら、恐る恐る足を運んだ。極力、下を見ないように。じっちゃん、ばっちゃん達も腰をかがめながら、気丈に渡っていた。スネオ君はいつ渡ったのか、我がことに気を取られていて確認できなかった。
渡ってみると何のことはない。一応、「なるほどねえーーー」と、関心だけは示した。後で、ガイドさんに話を聞いてみると、なんと、かずらの間にはワイヤーが通されているそうな。そうだったのか。早く知っていれば、興ざめしたに違いない。
かく状況にて、秘境と称する所を二カ所まわった。あああーーーー、早く冷たいビールを飲みたいぜ。これから再びバスに揺られて高知県に入る。
2015年10月23日(金) |
とっちゃん坊や達の旅(5)「金比羅さん」を征服だ。 |
そうそう、大事なことを書き忘れていた。新幹線に乗る前の集合場所で、再び、「記念写真をとろうぜ」と言うことになった。「よござんすたい」と、僕ジャイアンは愛用のデジカメに手を触れた瞬間、コンクリートの床に滑り落としてしまった。「およよ」と拾い上げると見事に破損だ。
シャッターを押したり、振ったりしたが、電源がが入らない。うんともすんとも言わない。内部が壊れたのだろう。ネズミ男君が笑いながらが言うではないか。「あんた、手が不器用だからなあーー。もう一度、床に落として見たらどうや」って。これには温厚なジャイアンも、「カチッ」ときたが、「な、な、なんと言うことを・・・」と言って、苦笑いだ。
大きいカメラをもってくればよかったと、一瞬、後悔したが仕方がない。どこかの町で購入するこに決めた。まあ、しばらくは、のび太君君とネズミ男君のカメラにお世話になることにした。
新幹線は岡山を目指して進んだ。ふと、思ったが、「なんでぜ広島で降りなくて岡山なんだ?」っと。広島で降りて四国へ渡った方が早いではないか。ごもっともな意見である。これには一つのカラクリあった。広島から四国を左回りに進むと、一番最後に金比羅さんの石段と出くわすことになる。旅の疲れと相まって足はくたくただ。「もう上れまっせん」と、弱音を吐くじっちゃん、ばっちゃんたちが出てくるに違いない。我々、とっちゃん坊や達だって、その仲間入りをするかもしれない。
その点、岡山から四国の香川に渡ると、まず最初に金比羅さんに参ることになる。まだ十分に元気だ。元気な内に785段あるという石段を征服しようとの、旅行業者の計らいか?。正解だあーーーーーーー。正直、驚いた。スピードの差こそあれ、誰一人脱落することなく785段の石段を登り切ったのだ。
のび太君、ネズミ男君、ジャイアンはツエを借りなかった。「まだ若いんだ」という見栄がある。じっちゃん、ばっちゃん達に遅れを取っては恥ずかしいからだ。我々は、結構、急ぎ足で石段を上った。のび太君は日頃、ゴルフで足を鍛えているから、何のことはなさそうだ。ネズミ男君は昔,各地の山を征服した山男だ。 最近はじっちゃん、ばっちゃんたちとゲートボールに興じている。従って、石段を登るのは全く、へっちゃらのようだ。
僕ジャイアンはどうか?。うんん、石段登りはあまり得意ではない。雑草刈りで体は動かすが、足を鍛えるまでには行かない。ネズミ男君が僕にアドバイスを暮れた。「階段や石段を登るときは、足を後ろに跳ね上げながら登るといいんだよ」って。「ふーーーん、そうかなあーーー」と試してみると、いや、確かにそうだった。登りやすかった。息を切らしながら、最後の石段、785段目を超えた。やれやれだ。ちょっと、大げさだが「なせばなる、何事も」だ。
おっと、話が前後してしまったが、「瀬戸大橋」からの絶景について述べていなかった。波は穏やかで天気は最高。のび太君とネズミ男君は競うようにバスの中から海の風景を激写していた。僕は「ポカーン」と、口を開けながら、その様を眺めていた。スネオ君は全く関心がなさそうで、お寝んねとしゃれこんでいた。
2015年10月22日(木) |
とっちゃん坊や達の旅(23)最終章。 |
とっちゃん坊や達の旅日記も、いよいよ最終章となった。だらだらと、誤字脱字だらけでつづってきた。内容も、記憶違い、勘違いが多々ある。要するに、独断と偏見で書いてきた。
実は、過去の旅日記もたくさんある。とっちゃん坊や達との旅ばかりである。ちなみに、今回は4名(のび太君、ネズミ男君、スネオ君、ジャイアン)での旅だったが、他にとっちゃん坊や達が3名(ドラえもん君、夜泣きじいさん、一休さん)いる。本当は、この7名が揃って旅をしたいんだが、なかなか足並みが揃わず、いつも数名が欠けてしまう。まあ、これは仕方がないだろう。
ジャイアンが旅日記を書くようになったには理由がある。もともと、書くことが好きだった。と同時に、ネズミ男君が僕ジャイアンに言った言葉が、「ジーーーン」と心に響いたからである。ネズミ男君は言った。「おいらは、あんたの旅日記を、金庫の中にしまっているんだ。おいらが死んだら、姪に、棺桶の中に一緒に入れてくれるように頼んである」と。「わおーーーーーーーん」。泣けるでーーー。彼の期待を裏切ってはなるまい。
てなわけで、僕ジャイアンは、ちょっとした空き時間を利用して、思い出し、思い出ししながら、この日記をしたためてきた。今日が最後の章になる。これをしたためたら、製本して、写真混じりで、とっちゃん坊や達に配布しようと思っている。
前置きが長くなった。新幹線をおりて、ローカル特急電車に乗り換えた。椅子を回転させ4人掛けにした。故郷の駅に到着するのは午後8時半頃か。皆の顔を見回すと、それぞれ現実の顔に戻りつつあった。車窓からは見慣れた風景が目に入る。もう、秘境の地ではないのだ。とっちゃん坊や達はまたこの地で、飲み、歌い、騒ぎ、仕事をしながら、人間関係を培っていくのだ。これが人生というものか?
ところで、考えてみると、とっちゃん坊や達の旅の目的は、「世俗を離れ、どこか、ぞくぞくして、身の毛もよだつような秘境の地」へ行きたかったのだが、残念ながら、今回の旅では、そこまでは味わえなかった。「お化け屋敷」へ行った方が早かったか?。それでも、「大歩危、小歩危」でこけそうになったこと、「かずら橋」で揺られ、揺られ、スリルを味わったこと。まあ、これでよしとせねばなるまい。
とっちゃん坊や達は次なる秘境の地を求めて、新たなる旅の計画をしている。「マロニーちゃん、どこどこ」ではないが、「秘境の地よ、どこ、どこ?」である。「生きとし生けるもの、いかでか旅を行かん」。これがとっちゃん坊や達の人生指標である。この日記を、とっちゃん坊や達に捧げる。
2015年10月21日(水) |
とっちゃん坊や達の旅(4)久しぶりの新幹線だ。 |
のび太君を先頭に集合場所へ赴いた。女性の添乗員らしき人がいた。のび太君が我々4名が到着した旨を告げると、新幹線の指定席乗車券が渡された。「さあ、いよいよか」と、心が騒いた。
周りを見回すと、同じツアー客達だろう。じっちゃん、ばっちゃん達が数十名、群れをなしてたたずんでいた。夫婦連れあり、友達連れあり、判別不明の客あり、その構成メンバーは、ばらばらだ。我々、とっちゃん坊や達が一番、若いようだ。
スネオ君が草履を履き、アフロヘアになっていたので、じっちゃん、ばっちゃん達は「危うきに近寄らず」で、ほとんどが目を合わせることもなく、そっぽを向いていた。まあ、我々の出で立ちが奇抜だから、それは仕方がない。
新幹線に乗るには、またしても45分ばかり時間があった。「コーヒーでも飲むか」と、階段を降り、喫茶室みたいな所へ入った。スネオ君と、のび太君は腹がすいていたとみえ、なにやら、ほんわかケーキみたいな物をコーヒーと一緒に注文していた。ネズミ男君と、僕、ジャイアンは、「ふーーーーん、あとで腹をこわすぜ」と、いぶかしながら、そのケーキに一瞥を投げ、コーヒーだけを注文。いやあーーーーー、このコーヒーのまずかったこと。カップが大きく、量は多いが、ただ熱いだけで、「おいしい、もう一杯」という感覚にはとうていなれない。やはり、ケーキも一緒がよかったか?。後の祭りだ。ネズミ男君も同感のようだ。半分は飲み残してしまった。
気を取り直して、少々、早かったが二階の新幹線乗り場に赴いた。久しぶりに乗る新幹線だ。そうそう、まだ旅の行き先も言っていなかった。最初から行き先がわかっていると、「なーーーんだ」と、興ざめするかもしれないから、あえて伏せていた。とっちゃん坊や達は、昨今の索漠とした日常から逃れ、一時でもよいから、スリルとドキドキ感を満喫したいと、秘境を求めての旅に出たわけである。
そう、9月末近くだったか、のび太君が一枚のパンフレットを持ってきた。「秘境へ行く国内の旅があるぜ。しかも格安の二泊三日」。過去、何度も格安旅行を経験してきたが、いつも、痛い目にあってきた。トイレットペーパーがなく、トイレに閉じ込められたし、水洗の水が勢いよく飛び出し、穴(けつ)のつぼみを痛めてしまったし、水漏れはするし、寝布団がじめじめしているし、最悪だった。「今度もそうかな?」と思ったが、「日本国内だから大丈夫だろう。まあ、試してみるか」と、全員一致で決定だ。
さてさて、行き先は「四国一周」の旅だ。二泊三日で巡るから、相当に強行スケジュールだ。「スリルとドキドキが味わえるかしら?」と、疑心暗鬼で旅に及んだ次第である。
新幹線に乗った。到着駅は岡山だ。岡山かあーー。行ったことがないぜ。倉敷やきびだんごが有名かな。到着までほぼ2時間半の乗車だ。外の風景はトンネルばかりで全くおもしろくない。寝るか、だべるしかない。ちょっくら笑わせようと、僕ジャイアンがネズミ男君へ問題を出した。「ネズちゃんよ、豚はどこで寝るでしょうか?」。ネズ君の応え。「そりゃあーー豚小屋に決まっているじゃん」。残念。ぶーーーーー。「トンネルですたい」と、ジャイアンが応えると、あまりのばかばかしさに、ネズミ男君はあきれ顔。
まあ、そんな塩梅で、新幹線は岡山駅を目指した。座席はシートを回転させ四人がけ。スネオ君はアフロヘアのまま、座席に座っていた。
2015年10月20日(火) |
とっちゃん坊や達の旅(3)。朝ビールがうまかった。 |
のび太君を迎えに行った。彼は薄暗い電柱の横に幽霊のごとく立っていた。全身、真っ白の衣服。上半身は、高級そうな白シャツだ。街灯の光で輝いて見えた。僕、ジャイアンは、その時、ふと思った。「わおーーーーーーつ、デスノートのエルだぜえーーー」って。この間、見たドラマのヒーローの一人だ。のび太君とイメージが重なってしまった。かっこいいぜ。
そんなことを思っていると、いつの間にかタクシーは駅へ滑り込んでいた。到着時間、6時15分。電車の発車時間は6時45分。30分も時間があった。ちょっと早く着きすぎたか。「さあ、どうするべえーーー」と、ネズミ男君が言う。そこで、間髪を容れず、のび太君が「出発を記念して、一杯やろうぜ。コンビニが開いている。ビールを買おうぜ」と言った。全員、異議なし。缶ビールを調達した。
朝飯は、まだお預けだったので、空きっ腹で飲んだビールのうまかった事よ。皆、あっという間に缶を飲み干した。「朝ビール、胃袋満たし、目は真っ赤」とは、ジャイアンの一句。
ところで、「四人の記念写真を撮っておこうや」と、ネズミ男君が、首からぶら下げたカメラをいじりながら言う。腕を試したいのだろう。「そうだね」と、皆、同意した。四人をカメラに収めるには、誰か人にシャッターを押してもらわねばならない。ふと、周りを見渡すと、折りもよし、一人の中年の女性が手押し車を押しながら、我々の目の前を通りかかった。
ここは信用に厚いジャイアンの出番だ。「あのーーーつ、カメラのシャッターを押していただけますか?」と彼女を呼び止めた。振り返った彼女は、落ち着いた美しい中年の女性だった。「いいですよ」と、にこっと笑って、ネズミ男君からカメラを受け取り、シャッター位置を確認し、「ぱちり」と撮してくれた。ネズミ男君が「はい、いち、にー」と、音頭を取る。笑いを誘いたいのだろう。
のび太君が「お一人で旅行ですか?。今度の電車に乗りますか?」と尋ねると、そのようで、新幹線に乗り換えて東北まで行くらしい。東日本大震災で、放射能等で住めなくなった故郷を離れて、移住を受け入れてくれたこの地へ来ているという。今日は、一時的な里帰りだそうな。こんな遠く離れた地まで、震災の影響が、色濃く残っていることに、ただただ驚きと悲しみを覚えた。
ジャイアンが「途中まで電車が一緒ですね。よかったら一緒にカメラに映りませんか}と、言うと、彼女は快く応じてくれた。いやああああ、憂いを帯びた彼女の姿は、まさに999のメーテル、いやいや、女優の誰だったか、名前を忘れたが、その人を彷彿とさせる人だった。こっそり、ネズミ男に言ってやった。「どうや、あんたの嫁さんに?。こんなに優しい人は二人といないでえーーー」って。彼は顔を赤らめて、何も言わなかった。
電車にはジャイアン、ジャイアンの前にのび太君、ジャイアンの横に彼女、四人がけの椅子にしたが、さすがに彼女の目の前に座るのは気が引けたので、誰も座らなかった。彼女の前には荷物を置いた。ネズミ男君とスネオ君は、隣の椅子だ。
電車の中で、彼女の話を聞くと、彼女も大病を患い、手術をしたそうだ。今も定期的に病院通い。旦那は何年か前に死別したとのこと。人生とはまさに無情。ただただ、力強く生きてほしいと願うのみ。彼女との再会を期して、のび太君は名刺を彼女に渡した。僕、ジャイアンもちゃっかりしている。彼女のネームとテレホンナンバーをゲット。僕も名前を彼女の手帳に記した。
電車は滑るようにホームへ到着した。彼女も我々も乗り換えだ。再会を約して、ここで彼女と別れた、さあーーーーー、集合場所へ行こう。足取りもかるく、添乗員さんの待つところへ直行した。
2015年10月19日(月) |
とっちゃん坊や達の旅(2)一路、駅を目指す。 |
さて、旅のメンバーの最後は、この備忘録の執筆者、ジャイアンである。命名者は本人自身である。何故、ジャイアンなのか?。いくつかその要因を述べると、メンバーの中で一番小太り。態度がでかく意地悪である。特に、のび太君にはきつく当たるようだ。シズかちゃん争奪戦でいつも火花を散らしているからだ。
こう書くと、いかにも僕ジャイアンは悪ガキのように思えるが、実態はさにあらず。涙もろく小心者。皆とは仲良くコミニュケーションをとっている。サービス精神は誰よりも旺盛である。まあ、こんなところか?
ジャイアンの出で立ちは、黒のハットをハッとかぶり、黒のTシャツに黒のジャンパーを着ている。下半身は濃紺のジーパン。黒のスニーカーで決めている。だが、しかし、ばっと、いまいちだ。のび太君に言わせると、「あんた、暑いだろう。ジャンパーを脱いだら」と。確かに僕、ジャイアンもそう思ったが、「余計なお世話だぜ」と、北風と太陽ではないが、ジャンパーのボタン口を「グッ」と引き寄せた。自己紹介が長くなった。さあーーーー、本題、旅の顛末について語ろう。
旅の当日を迎えた、時はすでに午前0時を回った。悶々として眠れない。ネズミ男君が朝5時10分までに我が家へ来ることになっている。かつ、朝5時にのび太君より、「おーーーーい。起きているかい」のモーニングコールが来ることになっている。タクシーは5時20分に予約済みだ。
どうやら、うとうとしたようだ。「はっ」と驚き、時計に目をやると、午前4時半。「わおーーーーつ」と飛び起きた。危なかったぜ。急いで、階下に降り、洗面を済ませた。即、用意していた衣服に着替えた。カーテンをめくり外を眺めた。まだ外は真っ暗。駐車場に目をこらすと、なにやら黒い物体がたたずんでいた。「えええーーーつ」と、恐る恐る、その場へ近づくと、なんと、一台の車が駐車していた。中をのぞくと、あっと驚く為五郎だ。ネズミ男君が、車の中で丸くなって寝ていた。
「おい、おい」と声をかけると、「おいらは午前3時頃から、ここに来ていたよ」と言う。ネズミ男君の、人に迷惑をかけたくないというこの律儀さ、責任感の強さに乾杯だ。おっと、乾杯にははやすぎか。
二人して、門前でタクシーを待った。程なくヘッドライトを煌々と照らしながら、タクシーが到着だ。ぴたり5時20分。「さあーー出かけよう。君を乗せて」。何かの歌にあったなあーーー。そうそう、井上あずみさんの「君をのせて」という歌だ。僕のレパートリーの一つ。
おっと、そんな事を言っている場合ではない。今から、スネオ君を迎えに行かねばならない。スネオ君ちは、我が家からタクシーで5〜6分の所。彼には5時40分頃、行くからとあらかじめ伝えておいたが、なんと、5時半に到着。家の電気は真っ暗で、何の音もしない。即、携帯をいれた。数回、呼び出し音が鳴って、彼曰く、「まだ5時半じゃない。約束は45分じゃなかったっけ」と言う。「ごめん、ごめん」と誤りを言い、待つこと5〜6分。
彼は、慌てて出てきたらしく、荷物ゼロ。体一つだ。「あんたバッグは?」と、ネズミ男君が聞く。「わしにはそんなものいらない」と、スネオ君は平然と応える。足下を見ると、履き物はサンダルというか草履だ。「あはははーーーー」と、僕とネズミ男君は苦笑した。すねているわけではなかろうが、彼らしいぜ。
彼を乗せて、僕たちは最後の一人、のび太君宅へ向かった。あらかじめ何時頃家の近くに到着する旨を伝えておいた。彼は背中にリュックサックを背負い、真っ白なウエアー着た秋の幽霊のごとく姿で、信号機の近くに突っ立ていた。
さあーーー、四人そろったところで、タクシーは一路、最寄りの駅を目指した。
2015年10月18日(日) |
とっちゃん坊や達の旅(1) |
とっちゃん坊や達四人衆の旅が終わった。それぞれに、足の痛みと若干の疲れ?を残して無事に帰還だ。二泊三日の旅だった。空は、我々四人衆の心を物語るかのように、連日快晴。バスガイドさんが、こんな日々は珍しいと、我々以上に興奮していたのが印象的だった。さてさて、今回の旅の備忘録を残しておくか。
まずメンバーの紹介だ。リーダーはのび太君。(ほとんどの旅がそうである)その理由。礼儀正しく紳士であることだ。気配りが上手で面倒見が最高。物腰の柔らかさは天下一品。面倒くさい手続きは、ほとんど彼に任せておけばよい。他の三人は、わがままで、我が道を押しとおすタイプばかり。これじゃあー、リーダーとしては失格だ。
さて、彼の出で立ちを記しておこう。頭には真っ白のハンチング・キャップみたいなものをかぶっている、風前の灯火となった髪を隠したいのか?。定かではないが、よく似合っている。服装は上着が白のワイシャツ。ジャンパーは羽織っていない。暑いと考えたのだろう。ズボンも白である。首から、いかにも高そうな(いや、実際、高い)カメラをぶら下げている。要するにカメラの黒色を除いて全身、真っ白。これが彼のいつものパターンだ。全身真っ白の服で統一することは、僕、ジャイアンには出来ない。何故って、ジャイアンは白が苦手だからだ。
次にネズミ男君を紹介しよう。彼は僕、ジャイアンの日記にしばしば登場する好人物。雑草刈りの担い手であり、僕とともに肉体労働に励んでいる。「今日は体重が何キロ落ちていたぜ」と言うのが彼の口癖。飲み仲間であり、点数制カラオケに異常な興奮を示す。フォークソングの歌い手である。要するに、僕、ジャイアンと点数を張り合っているわけだ。130回も見合いをした男で、二十歳の頃、彼女にふられた苦い思い出を未だに引きずっている。こう書くと、彼のプラバシーの侵害に当たるかもしれないが、最近は自らが、そう、しゃべっているから、まあーーーいいか。
ネズミ男君の今日の出で立ちは頭には白い野球帽をかぶっている。外出の時はいつもそうである。まあ、見慣れると結構、似合っているか。上着はカラーシャツ。その上に白いジャンパーをはおっていた。黒い替えズボンをはいていた。 のび太君と甲乙つけがたい高級そうな(いや、たぶん高級だろう)カメラを首からぶら下げている。カメラの腕は僕、ジャイアント同様、今ひとつか?。
さてさて、三人目はスネオ君だ。彼とはサンフランシスコへ行った仲間。のび太君もそうである。スネオ君の名づけ親は、僕ジャイアンだ。何故、スネオ君なのか。理由はいたって簡単。いつも、すねているように見えるからだ。彼はネズミ男君と同様、独り身の男である。結婚願望はなさそうだ。僕は彼のひょうひょうとした生き方が好きである。物事を意に介せず、ただひたすら流れのままに自然に即して生きている。願わくば僕もそうありたい。
今日の彼の出で立ちは、頭には何もかぶっていない。そこで、僕ジャイアンが、余興の為に用意しておいたアフロヘアの小道具を取り出し彼に渡したところ、即、頭にかぶり、旅の一日目は終始、そのスタイルで過ごした。ツアー客や、すれ違う人たちが好奇な目を注いでいた。僕たちも大いに笑った事よ。彼の服装は、シャツの上に黒のジャンパー。ネズミ男君と対照的だ。ズボンは黒。圧巻なのは、彼の履き物である。な、な、なんと、草履をはいていた。いつぞやは、自分で編んだという、わらじをはいていた。旅行に草履とはおそれいった。それにアフロヘアときたら、まさに奇人変人だ。僕、ジャイアンが心配したことは、はたして、ホテルが、そのスタイルで泊めてくれるかだった。心配には及ばなかった。なんなく通過だ。
さあ、四人目は僕、ジャイアンのことだ。僕の事は今までに何度も日記に書いてきたから省略したいが、そうもいくまいか。紙面が長くなった。ここでは述べまい。
2015年10月12日(月) |
とっちゃん坊や達の旅が近まった。 |
10月の連休も今日まで。暦を見れば今日は体育の日。全国各地で、色んな催しがあっているようだ。なんでも、最近は老齢者の体力が向上したそうな。健康志向がそうさせているのだろう。
しからば僕はどうか?。これといった運動はしていないなあーー。あえて、運動らしきことと言えば、火炎放射器や草刈り機械を振り回して、あちこちを歩き回ることか?。これは、上半身は鍛えられても、下半身は無理か?。
そういえば、先日、ネズミ男君と、スネオ君、それに僕こと、ジャイアンの三人で、夕暮れ時の町中を歩いていたとき、数十メートル先の信号が青に変わった。「渡ろうぜ」と、ネズミ男君が言い、走り出した。我々もその後ろに従った。なな、な、なんと、ネズミ男君の足の速い事よ。ちょろちょろだけではなかったか。うんん、おそらく、日々のゲートボールが足腰を鍛える要因になっているのだろう。スネオ君とジャイアンは、息をきらしながら、信号を渡った。
僕たちが急いだには理由がある。のび太君が料亭「さかなや」で、待っていたのだ。とっちゃん坊や四人衆の旅が、いよいよ始まるので、その最終打ち合わせをすることになっていた。この店はのび太君が懇意にしている店で、料理は別として2時間まで飲み放題。それいけ「ワンワン」と、飲むこと飲むこと。ビールを皮切りに、僕たちは皆、日頃、飲まないワインをたらふく飲んだ。
これがいけなかったか、二次会三次会では、すっかり酩酊。僕はネズミ男君の歌に合わせて、知らない未亡人と、ちゃっかりダンスを踊っているではないか。なかなか美しい未亡人だった。僕を嫌っている様子もなく、踊りに興じてくれた。こう書けることは、僕は、まだ正気だったといえる。まあ、そんな塩梅で、帰りは三人一緒に代行で帰ったようだが、三人とも記憶が定かではない。のび太君は先に一人でご帰還だ。
ところで、今度の旅は日本国内の秘境の地を探索するツアーで、二泊三日が計画された。久しぶりに「ドキドキ」してみたいぜ。皆、同じ気持のだ。行き先はここでは述べないが、圧巻なのは、ゆらゆら揺れる縄の吊り橋を渡ることかな?。
誰が一番、臆病なのかが判明する。おそらく、僕、ジャイアンではないと思うが、こればかりは蓋を開けてみなければわからない。まさか、「かあーーちゃーあん、助けてえーーー」なんて叫ばないだろうな。いずれ、日記に書くことにしよう。
2015年10月07日(水) |
今日の美しい天気に乾杯だ。 |
すこぶる良い天気が続いている。暑さもすっかり遠のいた。こんな日々が続くと、生きていることに幸せを感じる。加山雄三さんの歌ではないが、「幸せだなあーーー、僕はこんな天気が一番好きなんだ。僕は死ぬまで君を離さないぞ。いいだろーーー」。こんな風に叫んで見たいぜ。
加山雄三さんの歌が出たのは、先日、某スナックで「君といつまでも」を歌ったところ、点数が一番良かったので、天気にあやかったわけである。雑草の伸びも、最近は成長を忘れたかのように落ち着いている。ネズミ男君も出番がなくて、うずうずしているようだ。
そうそう、彼は最近、ゲーボール仲間のあばちゃんより、ブレスレットをもらったようだ。先日、飲みに行ったとき、「おい、おい、それどうしたんだ?}と聞くと、いつも車に乗せているおばちゃん(といっても70歳はすぎている未亡人の女性らしい)がお礼にくれたという。「おばちゃんは、あんたにほれているんじゃないの?。嫁にもらったら?」と言うと、「やめてよーー、気が強いのなんのって。ゲートボールの試合でも、いっちょん(全然)言うことを聞かっさんたい。やんなっちゃうばい」と、彼は顔をしかめながら言う。僕は「あはははーーーー」と笑った事よ。年末までは、まだまだ仕事が結構ある。近くの竹藪の伐採やら、切り倒した樹木の整理がある。おいおいやることにしよう。
ところで、最近、果物がおいしい。数日前、「無花果」を食べた。ここ、何年も、「無花果」なんて食べたことがなかった。食べ方さえ忘れて、丁寧に皮をむこうとしたら、山の神が言うではないか。「あんた、そぎゃんじゃなか。皮はそんままで、真ん中から割って、口にほおばるのよ」って。「あっ、そうーー」。上品な僕は、そんな食べ方をすっかり忘れていた。
無花果以外でも、柿や、ブドウ、バナナ、メロンなんかがおいしい。子供の頃は バナナやメロンなんて食ったことがなかった。それは病人へのお見舞いの品として、母がよく持って行ったことを思い出す。値段も高く貴重品だったのだ。「病人は、こういうものを食べて、精をつけなくちゃいけない」ということだろう。
最近は、町を歩けば「バナナ」に当たるといった塩梅で、ちょっと左右をみると、所狭しとバナナが並べられ、売られている。値段も結構安い。すっかり庶民の味になったのだ。だが、しかし、ばっと、人間も贅沢になったものよ。手が届くようになると、見向きもせず、ありがたさを感じないようだ。僕もその一人か?。
食卓テーブルには、いつもバナナが置いてある。「ちらっ」と、一瞥を投げるのみで、食指が動かない。時折、山の神がバナナを、さいころ目に切ってヨーグルトかなんかをかけて食卓に置く。僕は「ほーーーつ、うまい」と言って食べる。こうおいう食べ方もよい。丸ごとかじると、「うえーーーつ」と、喉に詰まる。
まあ、こんなそんなで、今日の美しい天気に乾杯だ。机上の仕事をする気になれない。
2015年10月04日(日) |
10月の声を聞いた。「おーーーい」。 |
10月の声を聞いた。もう四日目だ。今日は午前中、仕事。秋晴れのたんぼ道を抜けて、町まで車を走らせた。意外と町中は静かだった。いったい人はどこにいるのだろう?。そうかあー。今日は日曜日。会社関係は休日だ。どおりで。自由業をしている僕にとっては、日曜日もない。毎日が仕事で、毎日が休みみたいなもの。因果な商売だぜ。
そうそう、我が町内では、今、男衆が稲の豊作を祈願し、氏神様に感謝する祭りの準備で大わらわだ。太鼓をたたき、笛を吹き、踊りながら、各家庭に回ってくる。幾ばくかのご祝儀とお酒等を差し出す。日本の伝統的な習慣だ、良いことは、なくしてはいけないだろう。
僕に取って祭りと言えば、小さかった頃の事が思い出される。僕は温泉町で生まれた。そこには温泉神社があって、年に一回、女相撲等が催されていた。出店が立ち並び、僕たちわんぱく坊主達は、綿飴等をほっぺたにくっつけ、なめまわしながら桟敷席に陣取り、おばさん達の相撲に見入ったことを思い出す。いやあああーーー、強いのなんのって。投げ飛ばされたら恐いぜ。それでも、滑稽な姿に笑い転げた。
はたまた、温泉町には芸者さん達がたくさんいた。秋祭りの時、三味線や太鼓をたたきながら、荷車みたいなのに乗って、町をうねり歩く。母が土産品店をやっていたので、僕は店番しながら、きれいな芸者さん達に見とれた。時折、僕の方に顔を向けると、「ぽーっ」と、ほほを赤らめたことよ。
今や、実家兼店舗は取り崩され、わずかな土地だけが残った。母も今年亡くなり、僕に取って、故郷はもうないに等しい。無性に悲しくなる。今後は、同窓会等で現地に赴くことしか出来ないだろう。まあ、これも宿命。要は現在住んでいるところが都であり、故郷なのだ。
ところで、最近、世の中では考えられない事件等が頻発している。因果関係があるかどうかわからないが、気象環境の変化は、人間の心までを大きく変えてしまったのか?。毎日報道される世界各地での災害状況。戦争や事件等による多数の人々の死。正直、情報過多に辟易だ。情報過多は人間の心をマンネリ化させる。「またかあーー」と思うだけで、自らに降りかからなければ、無関心だ。ひたすら自分を守ることしか考えなくなる。
世界を救う鍵。人間の心を救う鍵。それはなんだろう?。宗教でもなく金でもない。たった一言の言葉で言えば、「愛」ではないだろうか?。ちょっとした思いやりや愛があれば、傷つく人も少なくなり、気象環境だって変えることが出来るかもしれない。生きることに希望を見いだせるだろう。
「愛」とはなにか?。これが明確にわかれば苦労はしない。五欲にしばられない自由な心。生を尊ぶ心。慈しみの心。いろんな考えがあるだろう。まずはお天道様に向かってまっすぐ進み、純な心を忘れないで生きる事が寛容だろう。
のび太君、ネズミ男君よ。かかる気持ちで生きていこうぜ。これ以上の事は、わてにはわかりまっせん。
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