umityanの日記
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2015年02月10日(火) 母の死に思う。

母が亡くなり一ヶ月が過ぎた。最後に会ったのは昨年の11月か。その時は元気にしていた。車いすに座っていた。「母ちゃん、僕だよ。二男の僕だよ」と言って、母の手を握ったら、「あんた誰かい?。どこのおじさんかい?」と言う。これには僕もショックだった。ただ、兄が側にいたので、兄に気遣って、僕の事を忘れたふりをしたのかもしれない。日頃、母の近くにいるのは兄だからなあーーー。そう、思うことにした。

僕たちは男兄弟3人だ。義理の姉が一人いるが、もう十数年、会っていない。父が早くになくなったので、母は僕たち3兄弟を必死になって育ててくれた。おかげで、僕たちは、ぐれることもなく、一応、真面目に育った。一番遠くにいるのは三男だ。僕は母や兄の近県に暮らしている。車で日帰りしようと思えば出来る距離である。しかるに、年に数回しか帰らないので、90歳近くの母が僕を忘れていても仕方が無いか?。

兄弟とはようしたものだ。遠くの三男が一番親孝行。就職してからいつも母に、「何かの足しにして欲しい」と、金子を送っていた。二番目は僕か?。金子は送らないが、品物を結構、送ったものだ。僕に言わせれば兄が一番・・・・・。
うーーーんん、これは言うまい。何かにつけ母の面倒を見たのは兄家族だ。病院へ送るのも、親戚付き合いも兄の役目だった。僕は頭が痛いぜ。

そうは言うものの、母はいつも兄へお駄賃を渡していた。兄はあまり小遣い銭をもたず、母に借りたりもしていたようだ。「情けないぜ」と言いたいが、親孝行もしていない僕にそう言う資格はないか?

とりもなおさず、昨日が母の命日だった。僕はただただ、生前の母の事を思い出して、「かあちゃん ごめん」と布団の中で謝っている。

そういえば僕の高校時代の友人、だのみ君、きさわい君、いわか君、かおつま君のすべてが父・母を亡くしている。僕の母が一番最後だった。もう誰も親いない、そんな時代になったのだ。後20年もすれば、僕たちの番がやって来る。

そうそう、今日、雑草焼きで会うことになっているネズミ男君も、父・母のみならず3つ違いの姉を昨年亡くした。人生とは、はかなく悲しいものだ。

昔、僕は死が怖かった。最近までそうである。今はどうか?。なんだか、今は死を肯定できる気がしている。なぜなら、1月に逝った母に会えるし、また、僕の高校時代に亡くなった父にも会えると思えるからだ。僕があちらの世界へ行ったら、今度こそ、父・母に孝行したいと思っている。「まっててよ、母ちゃん、父ちゃん」。

日記を書くのはは今年になって二回目。これからまた書いていこう。かくして、今日はネズミ男君と雑草焼きをする。彼のために、新兵器の雑草焼き機械を仕入れた。今日が焼きはじめ。僕が使っても良いがなんだか「こ・わ・い」って感じだ。

雑草焼きが終わったら、小料理屋「梓」へ赴こう。最近、友達とハワイへ行ったようだ。ネズミ男君と二人して、お土産をいただこう。餞別金は渡していないが、その分売上に貢献すれば良いか?。二次会はカラオケが歌える店へ行こう。なんだか、泣いてみたいのだ。彼が歌う「コスモス」の曲で「かあーーちゃーーーん」と叫んでみたい。


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