umityanの日記
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四日連投。今宵も、のりちゃん先生と盃を交わす。寂しい男が僕を呼んだ。僕は至って元気。あしたの仕事が少々気にはなっているが・・・。でも楽しかった。人生は無限ではない。かぎられた命を楽しく過ごすのも、これまた良し。
のりちゃんが、僕以外の人間と飲んでいる姿を見たことがない。彼に言わせれば、警察官と僕と飲んでいるときが一番安全だという。要するに身を保護されて、安心して飲めるかららしい。別に僕は彼を保護しているわけではない。
要するに、僕はただ、人間が好きなだけだ。あの、笑うセールスマンみたいに、人の心に忍び込み、幸せをかなえてあげたいだけだ。ただ、いかんせん、欲を出しすぎると、幸せもつかの間。「だから言ったじゃないですか。欲もほどほどに」と言いたくなる。おっと、酔いが回ってきた。
さああ、今日はこの辺でベットインだ。あしたは月末。八月ともお別れだ。ご苦労さま。八月さんよ。来年もよろしく。
「ただいま帰りました。」鍵のかかった扉を「コンコン」とたたくと、「珍しく早かったのねえー」とは、山の神の第一声。怪訝そうに僕の顔を覗き込む。
なにせ、今日で三連投の夜勤だ。夜勤といっても、友とのアルコール三昧。一夜目、近県で働いている友人との久しぶりの再会。例によって小料理屋「梓」で舌鼓。二次会はスナックでカラオケに興じる。僕がたたきだした88点のぞろ目賞の景品を彼の土産として持たせた。女房のことを慮ってか、女性用の靴下を選択。泣けるぜ・・・。
東京がえり、いや違ったか?。小さい頃、東京にいたというママが僕に挑戦。「人形の家」を歌った。これまた88点のぞろ目。「いったいここの機械はどうなってんの?」と思えど、「わかんなーーーーい」である。ママは、景品を彼にプレゼント。彼は、またもや、女性用の髪留めを入手。顔を洗うとき便利だそうだ。なるほどねーーー。上海育ちの美人妻に相当、気を使っているようだ。僕とは大違いだぜ。てなわけで、気分よく一夜が終わった。帰宅は午前様に至らず。
第二夜目の昨夜。のび太君(友人)より、軽く飲みたいと誘いあり。今日は二人にとって良いことがあった。何かといえば、彼が車を新調し、いままで 乗っていた彼の車を僕が購入。彼は5年おきに車を新調する。今度は流行のハイブリッドカーだ。うらやましいぜ。今まで乗っていた彼の車は僕の車の上位車種。格安で譲ってくれたが車検なし。まあ、これは仕方がない。即、車検に出した。あとは18万キロ乗ったわが車の処分だ。惜しくもあるが2台は必要ない。
てなわけで、夜、お祝いで盃を交わした。のび太君は来月初旬、旅をするリーダーだ。ほかにメンバーは、ねずみ男君、スネ夫君、一休さん、それにジャイアンの僕。総勢5人の旅。あああーつ、どうなるか先が読めない。当たって砕けろの旅になるだろう。
第三夜目の今日。のりちゃん先生(同年の友人)より、テルあり。風呂に入っていたので、電話に気が付かなかったが、上がって携帯を見ると青いランプが点滅。山の神が「あんた、また誘いじゃないの。たまにや断らないと、体悪くするわよ」という。確かに。ごもっともです。
すでに夕飯はすませていたので、飲みたい気分ではなかったが、「僕を求めている友あらば、行かなくちゃ」と、そそくさと支度をして車で向かった。またもや、小料理屋「梓」だ。のりちゃんは、ママさんと二人で、談笑しながら、生ビールを飲んでいた。暖簾をくぐると開口一番、「早かったね」と言う。
「早く着いて悪かったかなあー」と思ったが、僕の心意気を買ってもらいたいぜ。僕もビールの中ジョッキを飲み、あとは焼酎の水割りだ。つまみは、糸こんにゃくと、サラダをいただいたっけ。のりちゃんは、まだ夕食を済ませていなかったようだ。なにやら大物を食べて、最後に、釜揚げうどんで締めくくった。この「うどん」が実にうまい。製造元の社長はこの店の常連で、我々とも友人だ。折もよく彼もこの店へ来訪。ひとしきり、うどんを讃え、僕と、のりちゃんは早速、贈答用うどんを二箱ずつ注文。社員価格での提供だ。実に安い。次回、この店に来た時に受け取ればよいわけだ。
さすがに三連投ともなると、僕にも疲れが出る。ストレスはないが、疲れだけはいかんともしがたい。てなわけで、10時過ぎに帰宅だ。山の神が目を白黒させながら、「あんた、早く寝んと、明日がきついわよ」という。「わかっておりますたい」と言って、今この備忘録をしたためている。そろそろ、完結だ。マウスをたたくことをやめよう。11時を回った。
「明日という字は明るい日と書くのね」とかいう歌があったっけ。明日は果たして明るい日なんだろうか?。今の世情を見ると、どうもそう思えない。お日様より月が大きい。そう考えると、薄暗闇。夜明けが遠く感じられ、暗い日になりそう。明るいのは太陽さんばっかりだぜ。
今、この太陽に異変が起きているらしい。ネットで見たが、太陽の活動が減退期に向かっているそうだ。黒点の数が減少し、磁力も弱まる。この現象は地球にいかなる。影響を及ぼすか。ある学者さんによると、地球に飛び込んでくる宇宙線を磁力という太陽のバリアが防いでいたが、太陽の活動低下とともに、バリアの力が弱くなる。ということは、もろに宇宙線が地球大気に到達する。
宇宙線は水蒸気や何かと化学反応を起こし、微粒子となる。この微粒子が雲を生成するという。雲は水蒸気が冷えて出来るものだとばかり思っていたが、宇宙線の影響による微粒子の存在が不可欠だという。
このことは何を意味するか?。要するに太陽活動の低下は地球に大量の雲を生成するということだ。雲に覆われれば太陽光が遮断される。地球は寒冷化へ向かう。「やったぜ」と喜びたくなるが、手放しで喜んでいいものかどうかわからない。この傾向が何万年続くかわからない。もち、僕たちは宇宙のモズクとなっているだろうが、子孫は大変だぜ。住めなくなった地球から新たなる居住地を求めて宇宙空間を放浪することになるだろう。
最近、温暖化、温暖化と騒いでいるが、この温暖化は愚かな人類が生み出したものだ。二酸化炭素を吸収し酸素を放出するという循環システムが巣すでに狂ってきている。自然の循環システムを人間が壊したのだ。多発している異常気象の原因は自然破壊によるものだ。人間は誰もがそのことを理解しているが、生来の「なんとかなるさ」という楽観論が脳を支配している。ことが起きて初めて、あわてふためくのが常。人間はもっと、自然に対して謙虚にならなければいけないだろう。
正直、今という時代はまだ安心できる環境下にあるんだろうか?。それがわからない。太陽の活動低下による地球の寒冷化と、今の温暖化傾向がドッキングすればちょうどよい環境になりはしまいか?と、能天気な僕は考えてしまう。その考えは大きな間違いだろう。沖縄方面は未曽有の台風で大変だ。被害がないことを望みたい。
一体、地球はどこへ向かおうとしているのか?。そして又、人間はどこへ・・・・・。
先日は、泡盛で酩酊だ。帰ってきたのは午前1時過ぎ。ねずみ男君と、どこで別れたのか覚えていない。無事に帰ったは良かったが、その後がいけなかったらしい。なんでも、大声で歌い出したり、訳の分からないことを叫んでいたそうだ。近所に家がなくて幸いだ。気分が緩むと、おむつまで童心にもどってしまうから厄介だ。深ーーーく、深ーーーく、反省している今日このごろ。
話は変わるが、最近、87才の老婦人の所を訪れた。今は未亡人の一人暮らしだ。近くに娘さんがいて、時々、面倒を見ているようだ。数年前までは愛犬を連れて、散歩している姿をよく見かけたが、今は愛犬も亡くなり、自分前のことがなんとか出来るぐらいの状況らしい。
僕は用件を済ませて帰ろうとすると、突然、話したいことがあるという。「いいですよ」と話を聞くことにした。開口一番、「あなたは幽霊を信じますか?」ときた。僕はあっけにとられて、話を聞いてみると、「いつも、家に誰かいるような気配がする。それは私の主人で、愛人と一緒にこの家にいる」と言うのだ。また、「食事は、ここでは食べなくて、二人でどこかへ食べに行き、夜遅く帰ってくる。扉や窓は怖いから全部閉めているが、幽霊はどこからでも入ってこれるんですね」と。
僕は笑いながら、「へえーーー、どうして分かるんですか?」と尋ねると、「いる気配がするのよ。どこか変なのよ。他の人に話すと、皆、私の方が変だと言うのよ。私は変なのかしら?」と真剣なまなざしで、僕の顔をのぞき込む。
幽霊ーーーー。残念ながら僕は遭遇したことがないから返答に窮した。そもそも、生命体は死ぬと、個体としての入れ物は消滅するが、魂というものが存在するならば、幽霊がいても不思議ではない。要は魂の存在を認知できるかどうかだ。人間の脳はその半分も使われていないという。もし、使われていない脳の一部がスイッチオンになったら、魂を認知出来るかも知れない。
老婦人にそのことを話しても、ちんぷんかんぷんだろう。そこで、僕は更に聞いてみた。「その幽霊は悪さするんですか?」と。「悪さはしないが毎日帰ってくるのよ。怖いわ」と言う。「悪さしないなら、そっと見守って上げたらどうですか」と言って、その場を切り上げた。老婦人はきっと、寂しいのだろう。亭主との過去の思い出が走馬燈のように蘇り、幽霊という目に見えない気配が心を占拠するようになったのだろう。
ただ、僕は科学至上主義ではないが、霊魂の存在には否定的である。生命体は死に至れば、原子に分解され宇宙空間に散らばる。原子は果たして、心とも言うべき魂を持っているだろうか?。もし魂が存在するならば、宇宙空間は魂で満々しているはずだ。
大昔から、生命体は自然の脅威におののいてきた。雷、地震、津波、火山の爆発etc,.恐らく、人間の脳には恐怖という概念が。すっかりすり込まれているのだろう。オカルト映画等を見ると、恐怖でおののく。幽霊もそのたぐいだとも言える。
科学が少しずつ、恐怖という概念を取り払ってきた。それでも、「怖い」という気持ちは消えない。だが、よく考えて見ると恐怖という概念は脳が生み出した創造物なのかもしれない。従って非現実的な事が多い。「死んだ人間より生きている人間の方が怖い」と聞くが、このほうがよっぽど現実的だ。
もちろん、今の科学でも説明できない現象は多い。要は人間の脳が、物事に対してどうとらえるかだ。魂や幽霊の存在を信じるも良し、否定するも良し。それぞれの人生において、生きやすい生き方を選択すれば済むこと。
投げやりな考えになってしまったが、実は僕も、夜、トイレに入るとき、なにか物音がすると、「ぞぞ^−−−つ」と、背中が寒くなる。本来は弱虫の憶病者である。
2012年08月16日(木) |
能天気な犬の遠吠え。 |
もう、暑い、暑いと言わないことに決めた僕。確かに今日は快適ではない。快適なのは僕の気分だ。と言うのも、ねずみ男君と共に過ごした14時間の反省と慰労会を今宵(あと、3時間後か)行うことになっているからだ。
会場は、夏でも和服姿の女将、ひろ子さんが営む某、小料理屋。沖縄にいる友人から15年物の極上、泡盛が送ってきた。今宵はそれを店に持ち込んで、舌鼓をうとうという寸法である。ママさんにも一杯、あげちゃおう。
25度前後の焼酎より度数が強い(43度)から、相棒が、早々に酩酊してしまわないかと心配だ。なにせ、彼はこの店で、以前、もどしたことがある兵だ。 この店に限らず、我が家、町中の排水溝、植木の根元と、何回となく、栄養をはきだしてきた。強くもないのに、ハイピッチで飲むのが良くないのだ。今宵は僕が目を光らせているから大丈夫だろう。
いや、大丈夫でなくてはならない。なぜなら、NEXT STOREでカラオケが待っているからだ。ねずみ男君はは中村雅俊さんの「ふれあい」を歌うだろう。僕、ジャイアンは南こうせつさんの「神田川」だ。今宵は泣いてみたいぜ。
僕は歌う前にいつも、「カウンターレディーの皆さん、おしぼりをどうぞ」と言うことにしている。涙を共有したいからだ。しかるに、誰も歌を聴いていない。何故?WHY?。ピーチクパーチクと、おしゃべりばかりしている。
歌った後、「どうだった?」と聞くと、おしぼりを目に当てるふりをして、「うえーーーーん」と泣き真似をする。ここまで演技が出来ればたいしたものだ。我々はプロではない。まさに「歌う天国、聞く地獄」ってやつだろう。
まあ、なにはともかく、相棒と共々、泣ければそれで良い。あわよくば、ぞろ目の景品でもいただければ、これにまさる喜びはないのだが・・・。娑婆世界はそんなに甘くはないぜ。
おっと、あんぽんたんで能天気な事ばかり書いてしまった。少しは社会のことに目を向けよう。昨今、日本は隣国と島の領有権のことで不協和音が鳴っている。僕は時々思うが、この地球は一体誰の物なのか?。一言で言えば、生きとし生ける物、すべての者の所有物だ。あらゆる生命体の物だ。人間だけの物ではない。ただ、高度な脳細胞を持ってしまったが為に、人間の飽くなき「所有の欲望」はとどまるところを知らない。欲望の根源は何か?。僕なりに考えてみた。欲望の根源は食料にあるのではないか?。古代の民族は食料確保の為に、領地を拡大した。常に争いながら他民族との境界を引いてきた。境界が冒されると、戦いになる。食料を得、民族が生きぬいて行くためには作物を育てる領地が必要なのだ。
時が流れた。幾多の争いがあった。その反省を踏まえ、今日の独立国家は話し合いのもと、領土を持った。領土を持ったが。如何せん、立地条件、経済発展の度合い、言語の違い、国家体制の違い等から、貧困と富裕という格差が生じた。世界はその是正に向けて取り組んでいる。だが充分ではない。皆、食料が欲しいのだ。飽くなきまで食料が欲しいのだ。相変わらず紛争は後を絶たない。
隣接する国家間での島の領有権。島が生み出す食料がいかほどの物か知らないが、島も地球の一部。あえて言えば誰の物でもない。全ての生き物の物だ。共存共栄、共に発展するため、隣国間が話し合いで富を分かち合うことが出来ればそれが一番の解決策だ。世界も平和になる。高度な脳細胞を持った人間なら、それが出来るはずだ。武器に頼らず、共存共栄のために地球の資源を分かち合おう。
いずれ、地球も宇宙のもずくとなり、消滅する運命にある。しからば、今を生きている人間は何をなすべきか。武器のない世界平和構築の礎を築くことが、後生に残す遺産である。食料を分かち合い、共に生きて行かねばならない。
飲む前にちょっと吠えすぎたか?。ただただ、同じ人間同士がいがみあうことだけは避けたいものだ。
僕の夏が終わった。こう書くとちょっとオーバーかもしれないが、内心はそんな気持ちである。「猛暑か?。どんどん来たまえ。返り討ちにしてやる。残暑?。まだいたのか?。しっこいやつだなあーー」。そんな気持ちで明日から生きていける。つらかった一日を乗り越えたから、そう思えるわけだ。
先日、ねずみ男君に、一日だけのアルバイトを頼んだ。朝の5時半から夜の7時半までの仕事。昼食つきだ。報酬は2万円。昨今はゲートボールに精出すのみで、ほとんど仕事をしていない模様で、彼は二つ返事で首を立てに振った。
仕事と言っても、僕の助手として車の運転をすること。僕の指示通り、車を走らせれば良いわけだ。17万7千キロ乗った僕の車もまだ捨てた物ではない。フル装備だぜ。長時間、車に乗れば疲れもするが、それを補うのが音楽。彼の大好きな曲のCDをかけながら走るので、気は楽だ。
「時代遅れ、神田川、ふれあい、いちご白書をもう一度。赤い風船、旅の宿、あなた、また会う日まで、別れの朝 等々・・・・・・」。レパートリーは広い。中でも、彼の一番のお気に入りは「ふれあい」である。中村雅俊さんの歌だったっけ。
それもそうだろう。とあるスナックで、「ふれあい」を歌い、77点のぞろ目をだした。ぞろ目賞として、男性用パンツ(トランクスと言ったがいいのか?」をもらった経験があるのだ。だが、しかし、バット、もらったパンツはサイズが小さすぎて、彼の一物が小用の穴から飛び出してしまったと言う。これには笑った事よ。「あんたのそんなんに大きかったっけ???」。彼は再度の挑戦を目論んでいるようだ。「ヤナギの下にいつも、どじょうはいないぜ」と言ってやりたかったが、彼の気分を悪くしたら、運転が危ない。
てなわけで、この際と、何回も、何回も、「ふれあい」をかけ、しかも自ら歌いながら車を走らせたっけ。これが結構、癒やしになり、僕の仕事もさばけた次第である。「寂しさに悩む日は、あの人を思い出す。こんな時、そばにいて、肩をを抱いて欲しいと。・・・・・・・・」。「僕の肩は空いています」といいたかったが、肩が広すぎて手が回らないか?。
いやあーーーー、疲れると確かに癒やしが欲しくなる。近未来の夢や目標でも良い。それがあると、困難な一日が乗り越えられる。目標達成の為に「今頑張らなくちゃあーー」という気持ちになる。
そうそう、近未来の目標といえば、「とっちゃん坊や5人衆」の旅が近々、挙行の運びとなる。僕たちの旅はいつも格安の旅なので、少々の不自由は覚悟の上。不自由といえば、部屋が個室でなく、2〜3人の共同部屋。いびき公害に悩まされる。それを避けるためには早く寝に就くことだ。そうは言いながら、これがなかなか出来ない。いびきだけなら、なんとか我慢も出来るが、寝言まで言う奴がいる。僕もその一人らしい。「○○子ちゃあーーーーん。早く会いたい。とかなんとか・・・」。目が覚めると、お互いのけなしあいが始まるのだ。まあ、こんな旅も楽しい思い出となるから良しとしなくちゃ。
さあ、67回目の終戦記念日の今日も午後11時を回った。世界平和を念じながら寝に就くか。
いよいよ八月の声を聞いた。暑さがますます増しているようだ。「心頭滅却すれば火もまた涼し」というが、なかなかそうはなれない。むしろ、「心頭加熱すれば水もまた熱し」って心境だ。風が出てきた。近づきつつある台風の影響か?。風は風でも、生ぬるい。不愉快だあ・・・・。
ちまたでは、オリンピックや高校野球等のイベントで花盛り。これまた、血圧をうなぎ登りに上昇させる。いつも思うが、オリンピックや野球の選手達の目はいつも輝いている。勝敗の結果がいかんであれ、彼らの目は「精一杯やった。悔いは無し」という満足感であふれている。また、テレビの画面に映し出される彼らの表情はとても美しい。目標を掲げ、ひたすら努力してきた過去が走馬燈のように蘇り、「終わった」という一つのけじめが彼らの姿を美しくさせているのだろう。思わず涙を誘ってしまう。
ただ、残念なことはスポーツ審判団の不公平さと、勝負にこだわりすぎる外野の姿には、もうひとつなじめない。昔、クーベルタンが「オリンピックは参加することに意義がある」と言ったが、今や、「勝つことに意義がある」と、変わってきた。もちろん勝つことは名誉であり、同国民なら喜ばない者はいない。ただ、忘れてならないのは、オリンピックはまさに世界平和の象徴であり、異国間が武器を捨てて、相集う祭典であると言うことだ。すべての民族がオリンピックに参加できるようになれば「武器よさらば」も夢ではない。
ところで、犬の遠吠えみたいに叫んでいる僕の姿はどうだ?。鰯の目のように、しょぼくれて、うつろな目で、暑い、暑いを連発しながら、部屋や廊下を歩き回る姿がみえまあーーーす。仕事に手がつかない。冷蔵庫を開けたり閉めたりしながら一日が暮れる。情けない姿だ。夜、ちまたの界隈で焼酎を飲むときばかりは目が、ぎんぎら、ぎんぎらするんだが・・・。これまた情けない。
自分を卑下することは止めよう。毎日、実行していることがある。たいしたことではない。草花に水をやることだ。朝顔がにょきにょきと、ツルを伸ばして、緑のカーテンを作ってくれた。花が咲くのも時間の問題だろう。いとしい朝顔ちゃんよ:)。また、葉っぱ(いやこれは茎かな?)一枚から育てた月下美人がやっと二個の蕾をつけた。今年は茎が部分的に枯れて、花は拝めないかな?と思っていたが、「君なしでは僕は生きていけないよ」と歯の浮くような台詞を、いつも念じているから思いが通じたのだろう。今年も裏切られなかった。良かった。良かった。
なにはともあれ、枯れ葉散る秋を早く迎えたいものだ。
いよいよ八月の声を聞いた。暑さがますます増しているようだ。「心頭滅却すれば火もまた涼し」というが、なかなかそうはなれない。むしろ、「心頭加熱すれば水もまた熱し」って心境だ。風が出てきた。近づきつつある台風の影響か?。風は風でも、生ぬるい。不愉快だあ・・・・。
ちまたでは、オリンピックや高校野球等のイベントで花盛り。これまた、血圧をうなぎ登りに上昇させる。いつも思うが、オリンピックや野球の選手達の目はいつも輝いている。勝敗の結果がいかんであれ、彼らの目は「精一杯やった。悔いは無し」という満足感であふれている。また、テレビの画面に映し出される彼らの表情はとても美しい。目標を掲げ、ひたすら努力してきた過去が走馬燈のように蘇り、「終わった」という一つのけじめが彼らの姿を美しくさせているのだろう。思わず涙を誘ってしまう。
ただ、残念なことはスポーツ審判団の不公平さと、勝負にこだわりすぎる外野の姿には、もうひとつなじめない。昔、クーベルタンが「オリンピックは参加することに意義がある」と言ったが、今や、「勝つことに意義がある」と、変わってきた。もちろん勝つことは名誉であり、同国民なら喜ばない者はいない。ただ、忘れてならないのは、オリンピックはまさに世界平和の象徴であり、異国間が武器を捨てて、相集う祭典であると言うことだ。すべての民族がオリンピックに参加できるようになれば「武器よさらば」も夢ではない。
ところで、犬の遠吠えみたいに叫んでいる僕の姿はどうだ?。鰯の目のように、しょぼくれて、うつろな目で、暑い、暑いを連発しながら、部屋や廊下を歩き回る姿がみえまあーーーす。仕事に手がつかない。冷蔵庫を開けたり閉めたりしながら一日が暮れる。情けない姿だ。夜、ちまたの界隈で焼酎を飲むときばかりは目が、ぎんぎら、ぎんぎらするんだが・・・。これまた情けない。
自分を卑下することは止めよう。毎日、実行していることがある。たいしたことではない。草花に水をやることだ。朝顔がにょきにょきと、ツルを伸ばして、緑のカーテンを作ってくれた。花が咲くのも時間の問題だろう。いとしい朝顔ちゃんよ:)。また、葉っぱ(いやこれは茎かな?)一枚から育てた月下美人がやっと二個の蕾をつけた。今年は茎が部分的に枯れて、花は拝めないかな?と思っていたが、「君なしでは僕は生きていけないよ」と歯の浮くような台詞を、いつも念じているから思いが通じたのだろう。今年も裏切られなかった。良かった。良かった。
なにはともあれ、枯れ葉散る秋を早く迎えたいものだ。
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