umityanの日記
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2012年09月30日(日) 続、旅日記(11)

新館ホテルロビーに、メンバーたちが集まってきた。顔が見えないのは、スネ夫君と一休さん。毎度のことだ。放っておいて良いが、ちと心配である。丸一日が経つと、ほかのメンバー達とも気軽に話すようになった。

昔、この地に住んでいたという老夫婦。懐かしさを求めての旅だろう。母と娘の二人。娘は歯医者になると、昨今、猛勉強中とのこと。母はそんな娘と思い出作りの旅を計画したのだろう。泣けるぜえ・・。若い男女一組。どうも夫婦ではなさそうだ。会話がぎこちない。おそらく、婚前旅行としゃれこんだに違いない。「親の了解は得てきたの?」と言いたいところだが、はなもち関与せず。うらやましいぜ。もう一人は初老の男性。なんでも、妻を亡くし今は一人暮らし。旅行が楽しみで、あちこち出かけているそうだ。それも良いだろう。旅が取り持つ縁で、新たな人生が開けるやもしれぬ。頑張ってちょ。能天気で、おっちょこちょいの風来坊は僕たち、とっちゃん坊や、5人衆だ。

バスへ乗り込む時間が迫ってきた。案の定まだ、スネ夫君と一休さんの姿が見えない。「長靴をはき忘れたか?。首に巻くタオルが見つからないのか?。」と、気をもんでいると、定刻に姿を現わした。ぎりぎりセーフだ。やれやれだぜ。

さてと、旅二日目は当地を離れて隣の都市へ行くようだ。車で、ほぼ2時間の行程。ちょっとした遠足って気分だ。車は都会の雑踏を抜けて、田舎っぽい道を走った。道路の左右には大きなビルディングはもうない。日本の風景とよく似ている。それでも、のび太君は愛用のカメラで、窓越しに風景を撮影していた。さすが、セミプロだ。ねずみ男君と僕、ジャイアンは朝飯を食い過ぎたか?、鼻提灯をふくらませてお寝んねの時間。一休さんは、一人掛けの椅子で、その横の二人掛けの椅子に座った母娘となにやら話しているようだ。話好きの変わり者だ。一番後部座席の、だだっ広いところに、首にタオルをかけたスネ夫君が、快適といわんばかりに大股広げて陣取っていた。

車は目的の都市に入り、山道を登っていく。どこへ行くのか?。一応、わかってはいるが、あまり気乗りしない場所だ。なんとなれば、我々は、観光化された戦争の跡地を見学に行くわけだ。山の斜面をくりぬいて、壁を施した長いトンネル。壁には無数の銃弾の跡が。石碑も建っていた。ここで、幾万人の人たちが亡くなったのだろう。また、50‐60段はあろうかと思える石の階段を登ると頂上には赤さびた大砲が据えてあった。僕たちは「はあーーはあーー」と息を弾ませながら、大砲の横で記念撮影だ。一休さんは大砲の銃身にまたがり、天を仰いでいた。何をか思わん。この大砲は、何人の人たちを吹き飛ばしたのだろう。考えると「ぞーーーつ」とする。

観光地と化した戦争の爪跡を見て皆は、何を思っただろうか?。戦争を知らない子供たちは、「ひゃーーー、すごいなあーー」と、驚嘆の声を上げるだけかもしれない。我々、とっちゃん坊や達も同類だ。ただ、こういう戦争の爪跡を解放しているのは、「二度と悲惨な戦争を起こしてはいけない」という警鐘の意味があるのだ。そのことを感じ取ってもらえば、この見学も大いに意義があると言える。

あちこち見学して、数時間が過ぎた。もう結構と思っていた頃、当地での昼飯の時間となった。石段も登り、足はくたくた。おまけに腹はすいてきた。グッドタイミングだ。例によって丸テーブルに12人腰かけ、当地の自慢メニューで腹ごしらえだ。おっと、その前に、ビールを注文。今回は、初老の男性や母娘、恋人もどき二人ずれもグラスを満たした。戦争の爪跡を見たからにゃ、飲まずにはおられないぜ。皆、一気に飲み干した。料理の名前は忘れたが、おいしかった。

午後からは、日本のさる県が姉妹都市ということで、建造された、つり橋を渡った。つり橋の横壁には無数のらくがきが。ハートのマーク有り、矢が刺さっていた。英語で書かれた文句もあった。判読できず。これらの落書きは、平和の象徴だ。眼下には海が広がり、おだやかな様を呈していた。この海は、どこまでもどこまでも続いている。世界、皆の共有なのだ。しからば、戦争なんて愚の骨頂。皆で仲良く暮らせれば良い。ふと、そんなことを考えた。

腹も満腹となり、これから、土産品店等に寄りながら、再び、根拠地まで戻ることになる。






2012年09月29日(土) 続、旅日記(10)

旅一日目の夜。のび太君は則、寝に落ちたようだ。ねずみ男君と僕、ジャイアンは、寝付かれず悶々としていたが、しばらくすると始まった。「グオーッ、グオーツ。フーーー。ムニャムニャ」と、得体のしれない音が。「やられた」と思ったが既に遅し。棒、ジャイアンは、それからひとしきり物思いにふけることによって、その害を追い払った。

旅、旅とは人生だ。旅に出て色んな人たちの人生を垣間見る。我が人生と照らし合わせて深く共鳴する。喜び。涙、出会い、別れ。数え切れない人たちとの遭遇。その全てが人生なのだ。異境の地から故郷に思いが及び。亡父、老いた母、兄弟、家族・・・・・。今を生きている、いや、生かされている自分を幸せに思う。乾杯ーーーー。とかなんとか思っているうちに、僕の意識も朦朧となり、後は存ぜず知らずだ。

朝、五時半に目が覚めた。後の二人も目が覚めているようだ。さあ、今日が旅、二日目のスタート。身支度をした。まずは六時半から朝食だ。隣室の二人はまだ船を漕いでいる由。三人で二階の食堂へ向かった。定番のバイキング方式。まだ空いていた。料理コーナーへ赴いたが、「あれっつ、お盆がない」ぜ、ねずみ男君が言う。確かにそうだ。大中小の皿だけがあった。田舎者の僕たちは、お盆に皿をのせて、テーブルに運ぶ習慣がある。

僕、ジャイアンが、ねずみ男君へ言ってやった。「あんた、ネズミだから盆までかじっちゃうから、置いてないんだよ」と。「それもそうだぜーー」と、彼は変に感心。ただ、皿を持って、料理をのせ、一度テーブルに戻る。それを何度も繰り返すのは面倒だ。料理の見張り番みたいな人が「じーっ」と観察している。僕たちは何度も席を立つので、「あいつらは良く食う客だ」と思われたに違いない。

料理にちょっと、塩気が足りない。のび太君が女給さんを手招きして、「胡椒か塩はないかなーーー」と聞いた。彼女は変な顔をして笑ったが通じない。そこで、僕、ジャイアンの出番だ。「salt. salt. do you understand?」と、流暢な英語で話すと、「オー・マイー・ゴッド」。やはり通じない。彼女は、上司に聞きに行って、ようやく塩らしき物がやってきた。「わおーっ」、確かに塩。皆、適当にふりかけ、「いただきまーーーす」だ。僕、ジャイアンは、おかゆに卵を落とし、二杯食べたっけ。オレンジジュースを飲み、最後はコーヒーで締めくくった。もち、その間、皿を運ぶこと数回。

朝食が終わり、集合時間まで部屋でくつろぐことになった。僕たちはめいめい、今日の旅立ちの為に、念入りに化粧だ。皆、風前の灯火となった頭髪を、風になびかないように、かき上げた。また、一日で伸びた、権兵衛さんや熊五郎さんみたいに、口の周りにはびこった粗ひげを、「つーつらつー」に剃りあげた。かくして美男子三人が誕生した。どこに出ても恥ずかしくないだろう。

隣室の変人、二人はどうしているのか皆目、分からない。朝食を食べて集合時間に間に合えば良いのだが・・・。なにせ、長靴おじさんと、タオルおじさんは単独行動が多い。人畜無害だから放し飼いにしていた方が良い。

いよいよ集合時間が迫った。我々は旧館フロアーにエレベーターで降りた。新館とつながった通路を行こうかと思ったが、例の、肝っ玉姉さんに遭遇するのが怖くて、そっと、旧館フロアーから外に出て、新館正面へ赴いた。

さあ、二日目の旅が始まる。今日は遠方の町まで行くらしい。期待とと不安が脳裏をめぐった。


2012年09月28日(金) 続、旅日記(9)

屋台の散策を終えて、バスは僕たちをホテルまで運んだ。明日の朝食の時間と、集合時間等の説明があり、ここで解散。僕たちは部屋へ戻った。時計を見ると、まだ午後8時半。寝るには早い。「とりあえずマッサージでも頼むか」と言うことになり、のび太君、ねずみ男君、ジャイアンの三人が挑戦した。案内人を通して頼み、1時間後に、部屋まで来るという。僕たちの胸は期待でふくらんた。

それまで、皆で一杯やるかと言うことになり、一休さんがホテルの前にあるコンビニエンス・ストアまで、ビールやら、つまみを買いに出かけた。スネ夫君も同行したようだ。待てど暮らせど、彼らは戻ってこない。しびれを切らした頃、ようやく戻ってきた。なんでも道路の横断に手を焼いたそうだ。こんな時間でも車の往来が激しいのだ。

僕たちはのび太君のベッドに陣取り、缶ビールやスネ夫君が買ってきた白酒やウイスキーを原液で飲み始めた。旅の安全を祈願して乾杯だ。そうそう、部屋のことで、もう一つ気になっていることがあった。何かと言えば、部屋の明かりが暗いのだ。それぞれのベッド横に二つのスタンド、聖書やパンフレットがある机のスタンド、くつろぎ用丸テーブルの横にスタンド。洗面所を除き、計4個の電気スタンドが置かれていた。全部つけて、照度を最大にしても、まだ暗い。「部屋全体を照らすメイン照明はないのか?」とあちこち、スイッチを捜すが見当たらない。部屋は寝るところだ。そんなに明るくなくても良いのだろう。僕たちは薄暗がりの中で、酒をあおり、滑稽話に花を咲かせた。

そうこうするうちに、ドアをノックする音が。いいよいよマッサージタイムだ。スネ夫君と一休さんは、「また後で来るよ」と言って部屋を出て行った。三人のマッサージ師が登場だ。最初に入ってきたのは、目鼻立ちの整ったかわいい女の子。ねずみ男君が「わおーーーつ」と吠えた。その後から入ってきたのは、体格がでっかい山男風の男性二人。皆、目を白黒させながら「ええええーーつ」と、つぶやいた。

さてさて、人選を如何にすべきか迷っていると、紳士、のび太君が、「ジャイアンが手配したので、ジャイアンが女性にしたら」と言う。僕は一発返事で了承した。三人が後ろ向きにベッドに横たわり、もみ合戦が始まった。ジャイアンの筋肉質の背中を、カモシカのような細い手、おっと違ったか?。白魚の様な細い指が走る。女性の手だから確かに、もみは強くない。僕は、効いているようなそぶりをし、時折「うんんんん、うんんんん」と唸った。

かたや、紳士、のび太君は、一言も声を発せず、山男の分厚い手の動きに同調しているようだ。効いているのか、いないのか?、全く判断がつかない。なされるがままの自然体だ。もう一人の、ねずみ男君は、「いたたたあーーーー、いたたたあーーーーー」と、奇声を発している。「強く揉んで」と、催促でもしたのだろう。

後で、感想を聞くと、「どうも山男達は、アルバイトじゃないの。全然、ツボを押していないぜ」と、ねずみ男君は、ふてくされながら言う。また、左右の眉の毛をつまんで、揉まれたそうだ。「薄い眉の毛がますます薄くなったぜ」と憤慨していた。これには笑った事よ。僕一人が天女のような魔法の指で、やさしく頬をなでてもらった。二人には悪かったが、いたく感激だぜえーーーー。

そう言えば、ねずみ男君とは、いつぞやの旅で、二人して、マッサージをしたことがあった。その時は二人とも女性だった。何を勘違いしたのか、ねずみ男君は、派手派手なパンツまで下ろそうとした。「オー・ノー。それはいいの」と差し止められた。笑ったぜ。二人してベッドに横たわっていると、妙なオイルをべたべたと、背中に塗られ、マッサージが始まった。背中を叩く音が、「パカパン、パカパン、パかパンパン」と、双方の音が、はもりあい、まるで音楽を奏でているように聞こえた。うんんん、これが手なのか?。僕たちは瞬く間に、眠りの境地へ。最後に「パーン。パーン」と二回叩かれて、はい、終了だ。どこを、揉んでもらったのか、さっぱり分からじ。夢心地でホテルまで戻った事よ。マッサージとしては、その時より、今回がましだ。特に僕に取っては・・・・。

まあ、そんな訳で、マッサージ終了後は、再びベッドの上で、酒をあおったことは言うまでも無い。いつしか、皆ベッドインした。皆、今日一日の疲れで、ぐっすり寝るだろう。ただ、早く寝に落ちた方が賢明だ。雷のような、いびきは聞きたくない。紳士、のび太君はすでに、寝息一つ立てず、ベッドに横たわっている。ジャイアンとねずみ男君は、何度も寝返りを打ちながら、悶々としていた。






2012年09月25日(火) 続、旅日記(8)

我々を乗せた車は屋根のないアーケード風入り口付近に停車した。ここで、自由散策の時間となった。両端には商店が建ち並び、色彩豊かな商品を所狭しと並べている。又、通路の真ん中には屋台が延々と続いていた。人、人でごった返している。とっちゃん坊や達は、迷子になってはいけないと、互いに寄り添いながら、目を「ぱちくり、ぱちくり」と左右に動かしながら商品群を眺めて歩いた。

屋台で売られている商品は、何処へ行っても似たり寄ったりだ。ただ、これだけ大勢の人たちが集まるには理由がある。値が安いのだ。もち、まがい品が多いと思うが、そんなことはどうでも良い。自分が気に入るか、気に入らないかの問題である。

旅で、ジャイアンがいつも求める物。それは皆がよく腕にはめている腕輪だ。高級な物は、ブレスレットというのかどうか知らないが、要するに伸び縮みするゴムみたいな物を通した腕輪である。いつぞや、旅をしたとき、アメジスト風の腕輪を買った。専門店だから間違いは無いだろうと三万円近くを払った。紫色の光沢が実にきれいで深みがある。また、アメジストは悪酔いを防ぎ解毒作用があるという。酒飲みにはもってこいだぜ。僕は則、装着。

その日、今回と同じように屋台を散策した。アメジスト風の紫の腕輪が、な・なんと、千円で売られていた。ねずみ男君が「あんたが、さっき買った物より、上等だぜ」という。そ・そ・そんな馬鹿なあ・・・・。僕は千円で購入し比較してみた。「なに、言ってんの。光沢が違うぜ、光沢がーー。誰の目にも一目瞭然だぜ」とジャイアンは反論。不愉快だあーーーーーーー。結局、千円の奴を、ねずみ男君へプレゼントだ。最近は二人して、同じような腕輪をはめて、スナックの門をくぐることがある。「あら、お二人は兄弟?。おそろいの腕輪で・・」とママから冷やかされる。僕たちは則、腕輪を外して、ママに鑑定を依頼するが、結論は「わかんなあーーーい」である。ジャイアンとしては不愉快きわまりない。

まああ、それは良いとして、屋台を散策していると、僕の目にとまった物があった。もちろん、腕輪である。直径1センチメートルはあるかと思える、紫、緑、橙色をした大粒の腕輪。手に持ってみた。ずっしりと重い。「おにいさんこれなんぼ?」と聞くと、な、な、なんと、五万円はするかと思ったその腕輪が650円。ジャイアンの触手がすぐ動いた。ちなみに、小粒の奴は300円。これには驚いた。指をくわえ物欲しそうに、この様子を眺めていた、ねずみ男君へ、300円の奴をプレゼントした。「日本へ帰ったら三千円はしたと言っとけば良いよ」と言うと、彼は「にんまり」と笑った。帰り際、屋台のお兄ちゃんが、「ありがとう」と日本語で言ってくれた。この言葉は嬉しかった。

のび太君と、スネ夫君に、この腕輪を見せると、言うことが、しゃくに障る。「あんた、これガラスじゃあーないの?。すぐ割れるぜ」とかなんとか。
まああ、いいか。ところで、のび太君の買い物と言えば、これまた娘思いだぜ。娘が麻雀に興味を持っているらしく、麻雀パイを買って帰るというのだ。それらしき店に入ると、あった。あった。これまた驚いたが、一式、千八百円。「えええつ、うそーーーつ、本当ーーー」と、手で触ってみると、れっきとした麻雀パイだ。彼が則、札を切ったことは言うまでも無い。重い買い物、ご苦労さんだ。他の仲間達は財布の紐が緩む気配がない。まあ、それも正解かも知れない。

日本に帰り、その腕輪をしていると、「大きいわねえー。高かったでしょ」と良く聞かれる。そんな時、僕、ジャイアンは「五万円だったよ」と。ねずみ男君は「三千円だった」と答えている由。先ほども書いたが、要は、値段なんてどうでも良いわけだ。気に入るか入らないかの問題である。

問題と言えば、のび太君が買った麻雀パイには点棒がついていなかった。紳士、のび太君が、珍しく悩んでいたが、「日本で買えばいいじゃん」と言うことで、一件落着。屋台での買い物は、危険もあるかも知れないが、楽しさもまたひとしおだ。生きとし生けるもの達が、皆、精一杯の姿で生きている。それが尊いのだ。僕たちは散策を終え、ホテルへ戻ることになった。




2012年09月23日(日) 続、旅日記(7)

ホテルの中央ロビーに集まった。オプションの参加メンバーは我々5人と、恋人らしき若い二人、母娘の二人、中年の男性一人、計10名である。再び、夜景観賞と銘打った恐怖のドライブが始まった。曲がりくねった山道をバスは器用に登っていく。僕たちは車とすれ違う度に「わおーーーつ。わおーーつ」と、おらぶ。しょんべん洩らしそうだぜ。道中、テクテクと徒歩で登っている人や、くだっている人々を見かけた。なんと彼らは、散歩がてらの夜景見物だそうな。ほとんど現地の人たちだ。しゃれてるぜ・・・。

三十分足らずで山頂に到着した。結構人がいた。ここからも夜景が見えるが、今一つ迫力がない。さもありなん。ここまでは無料だ。すぐそばに、摩天楼を思わせるような立派な建物があった。折角来たから、屋上の展望台まで行くことになった。もち、これは有料。設備代がかかっているからなあーーーー。一側面が透明のガラス張りエレベーターに乗った。上昇している外形が見えるのはなんだか不気味である。高所恐怖症のジャイアンである。そんなことを考えているうちに屋上へ到着。ガラス張りの回廊の要所に、定番の望遠鏡がすえつけてある。ねずみ男君が、金を入れずに覗き込んだ。あわよくばと思ったのだろう。なあーーーんにも見えず。残念。

展望台に上ったは良かったが、今日はあいにくの曇り空。おまけに霧らしきものが漂っている。街中の灯りが「ぼーっ」と見える。のび太君はそれにもめげず、ポイントを定めた。愛用のカメラを取り出し、三脚まで施し、撮影にとりかかった。いかんせん、彼の優秀なカメラでも、映りは今一つだ。負けず嫌いの、ねずみ男君も、まだ使い慣れていないカメラを夜景に向けた。結果は?。「のび太君の出来に勝るとも劣らず」と言いたいところだが、ことごとく失敗だ。ジャイアンが「ねずみ君よ、カメラの値段の差だよ」というと、ふてくされた顔をして、別のポイントへ去った。

僕も愛用のデジカメで夜景にむけてシャッターを切った。結果は言うまでもない。「オー・マイ・ガッド」である。僕たちは、不満を言い始めた。「そもそも、これくらいの夜景は日本でも至るとことにあるよ」とは、ジャイアンの弁。「展望台のガラスの貼り方がおかしい。垂直に貼ってあるからいけないんだ。本来、斜めにガラスを貼ってないといけない」とは、ねずみ男君の弁。のび太君も、ねずみ男君の意見に同感のようだが。ジャイアンには「わかんなあーーーーい」である。

要するに、結論は、世界に誇れるほどの夜景ではないこと。今宵は、気象のコンディションが悪かったこと。カメラマンの腕のせいではないこと。これで落ち着きだ。僕たちは気を取り直して、次のオプションコースへ向かうことになった。屋台散策というか、夜店散策である。

いずこの国へ行っても、夜店や屋台は花盛りだ。人がごった返し、一緒に行動しないと迷子になりそう。ここで、のび太君とジャイアンは思いがけない買い物をすることになる。


2012年09月22日(土) 続、旅日記(6)

町から、ちょっと離れたホテルに案内された。大きなホテルだ。10階建て以上はあるだろう。新館と旧館があり、われ等一行は皆、旧館のほうだ。さもありなん。格安ツアーだからなあーーー。新館は無理だわい。まずは新館のフロントに集まり、案内人から、夜のオプションの話と、翌朝の集合時間等の説明があった。僕たちの部屋は旧館7階、705号室と706号室の二部屋。「部屋割りを如何にすべー?」とリーダー、のび太君が言うと、僕、ジャイアンの提案で即、決定。のび太君、ジャイアン、ねずみ男君の3名が、705号室。変わり者の、スネ夫君と、一休さんの二人が706号室だ。

僕たちの部屋にはベッドが三つ、配置してあった。ジャイアンが左端。のび太君が真ん中。ねずみ男君が右端とあいなった。このスタイルは過去数回経験済み。違和感はない。本来は二人部屋なのだろう。ねずみ男君のベッドは、急遽、あしらえたものに違いない。ちょっと小型で、ベッドの端から金具がとびだしていた。そこに足をぶつけて、おお痛い。ねずみ男君が憤慨した。怪我がなくてよかったぜ。

まあまあの部屋だ。ベッドは清潔そうで安心した。ふわふわした枕が2個重ねてある。「わーい?、何故?」と、ジャイアンが言うと、さすが紳士。のび太君が、「枕の高さを調整できるように2個、置いてあるんだよ」と言う。納得だあーー。「ジャイアンに2個の枕はいらない」と、ベッドに横たわってみた。頭が「ぐっと」沈み込み、なんか不自然だ。やはり2個が正解だぜ。

とりあえず、荷物の整理と、大・小の用をそれぞれが足した。ちょっと、食いすぎたからなあーー、腹の調子があまりよくない。ねずみ男君が、なかなか洗面所から出てこない。集合時間が迫っているのに。やっと扉が開き、理由を聞くと、「昔は、棒みたいなやつが一本、直立不動の状態で器の上に立っていたんだが、最近は、ちょろちょろ、中パツパで、小出しにするから時間がかかるんだ」という。わかる。ジャイアンも昔はそうだった。直立不動こそ健康のバロメーターなんだ。

のび太君はどうかと言えば、さすが紳士。音ひとつたてず、速やかに事の処理をしてしまう。ジャイアンのことは、はばかりがあるので、記載することはやめておこう。レストルームのただ一つの欠点を挙げておこう。水洗ではあるが、ウォッシュレットではない。すっかり、ウォッシュレットに慣れている、我々にとって、水洗だけでは苦痛だ。尻の蕾がヒリヒリしてしまう。

まあ、それはさておき、夜のオプションの集合時間がやってきた。我々は隣の二人に声をかけ、一階に降りた。殺風景な旧館のロビーから通路を通って、新館ロビーへ赴いた。途中、売店があり、小太りの肝っ玉姉さんから、「安くしとくよ。お兄さん。見て行って」と足を止められた。「ノー・サンキュウ。ウイ・ハブ・ト・ゴー」と、英語でしゃべると、通じたのか否か、わからないが。追いかけて来て、袖を引っ張られる始末。「レイター、レイター」と言って、その場を急ぎ足で去った。




2012年09月21日(金) 続、旅日記(5)

信号のない街中をマイクロバスは車線変更しながら矢のように走る。軽自動車やバイク、自転車の類はほとんど走っていない。普通乗用車、乗り合いバスやタクシーばかりである。車を所有していることは当地では中流階級以上の人たちだそうな。人口600万人を抱えたこの都会。車を所有することが一つの目標なのだ。それにしても、車が多い。経済発展を遂げている国だと、あらためて痛感した。

子供もを抱えた女性が信号のない道路の真ん中に立っている。「あれっ、どうしたのかなあーーー?危ないぜ」と思っていると、車の間隙をぬって、平然と道路を横断した。「わおーーーつ。怖いっ」。あちこち見回すと、現地の人たちは、皆、堂々と車が行きかう道路を横断しているではないか。これには驚いた。「おいどん達には出来まっせんばい」と、ねずみ男君がいう。ごもっとも。しかりだ。信号機や横断歩道のない当地では、これがルールなのだろう。日本では「横断歩道は手を挙げて渡りましょう」が常套文句。大変なところへ来たもんだ。

ひとしきり、街中の名所、建築物等を案内人が紹介する。出窓がない高層マンションやビルが、にょきにょきと天に向かってそびえたっている。また、あちこちで建築ラッシュ。住宅事情は必ずしも良くないようだ。廃ビルになっているところも多々見かけた。思ったことよ。「僕はこんな都会には住みたくないなあーー。のんびりした田舎がお似合いだぜ。かつ、地震のないところに」と。当地はほとんど地震がないらしい。したがって、電柱がなく、電線は地中埋め込みとのこと。この点は評価できる。

街中の散策が終わり、夕食タイムだ。腹は減っていないが、まあ、仕方なかっぺ。とある飯点へ案内された。個室の扉を開くと、そこには大きな丸テーブルがあり、椅子は12個。なるほど。ここで全員、顔を見合わせながら食事か?。照れるぜえ・・・。僕たちは奥まったところに5人並んで腰かけた。

大きな皿にもられた料理が運ばれてきた。内側のテーブルを回しながら、わが皿に料理を取りわけ、順に回していく。定番の方式だ。僕たちはすかさず、当地のビールを5本所望した。これはオプションだから自腹を切らねばばならない。ほかの7人の仲間たちは、われらの様子を「じっーーと」傍観していた。グラスに注ぎ、乾杯した。「まずい。これビールなの?。アルコール分何パーセントなの?。飲めたものじゃあないなあーーー。」など、不満を述べながらも、あっというまに、5本が飲みほされた。皆、のどが渇いていたと見える。他の7人のメンバーたちは、「しらぬ、存ぜず」で、黙々と料理をついばんでいた。

ここで、太っ腹のジャイアンの出番だ。「ワインを飲もうぜ。銭は僕が出す」と言うと、皆、異論はなし。それもそうだろう。腹は痛まないからなあーー。注文してしばらくすると、倉庫の奥に寝かしてあったのか、古びたボトルが1本運ばれてきた。スネ夫君が開栓し、皆のグラスに注いだ。再び乾杯し、口に流し込んだ。「なんだ、こりやあーーー。ま、ま。まずい」。なまぬるく、表現しがたい味だった。それでも、注ぎあいながら、瞬く間に、ボトルはそこを突いた。要するに、アルコールと称すべきものを飲めりゃーーーいいわけだ。

その間、料理がどんどん運ばれてきた。皆、忘れず、わが取り分だけは器用に皿に取り分けていた。料理も終盤にかかると、不思議な現象が。いつも一個、余るのだ。のび太君が「だれか、食べていない人、いませんかあーーー」と、言うと、返事がない。ぐるっとまわりを見回すと、一休さんの取り皿がきれいなまま。「ありゃーー、あんた食べていないんじゃない?」と、ねずみ男君が言うと、「おいら断食中なんだ」と言う。「早く、言ってほしいぜ」と、スネ夫君が即、「大河の一滴」じゃあない。最後の1個を自分の口のなかへ放り込んだ。やれやれだぜ。

一夜目の食事が終わった。これからホテルへ向かい、しばらくしてから、オプションのツアーがあるという。夜景展望と屋台の散策だ。僕たち、とっちゃん坊や達は、全員参加することに決定。まずは、ホテルに到着することが先決。いかなるホテルが我々を待っているのか?。期待と不安が交錯した。不安と言えば、いつぞやのホテルでは、寝具が湿っぽいし、トイレットペーパーも予備がなく、水洗トイレの尻洗い機は、水圧が強く、栓をひねると、天井まで水が噴射し、大事な穴を痛め、腸まで水が届く始末。ちょっと、大げさだがこれは、ねずみ男君の体験話だ。






2012年09月19日(水) 続、旅日記(4)

飛行機は揺れることもなく、水平飛行を保った。我々はお腹満杯で夢うつつ。どれくらいの時間が経っただろう。機が高度を下げ始めた。その時、機内アナウンスが。「まもなく着陸態勢に入ります。座席ベルトを締めてください」。キャビンアテンダントのお姉さまたちが確認のため、席を巡回した。僕たちは互いに腰回りを見合った。もっこりしたお腹周りには、きつそうにベルトが食い込んでいた。

機は滑るように滑走路に降り立った。到着だ。みな、一斉に席を立ち、ボックスから荷物を降ろし始めた、僕たちも、「遅れをとってはなるまい」と、即、周りに見習った。ねずみ男君の素早いこと。あっという間に人の荷物まで降ろしてくれた。僕たちは一列に並び、アテンダントのお姉さまたちに笑顔を振りまきながら、つり橋をわたって出口の方面へ。

その前に入国係員とまた、にらめっこだ。みな、無事に通過した。旗を翻し、我々を待つ現地案内人のところに急いだ。総勢12名がそろった。流ちょうな日本語を話す男性の案内人がいた。「マイクロバスが待っています。今日は市内観光をして、夕食を済ませホテルへ参ります」という。飛行機の遅れで、予定の観光コースを一部省略とのこと。まああこれは仕方がない。僕たち4人はバスの前列に席を確保。スネ夫君だけが最後部座席へ陣取った。一人で広々とした座席を占領。スネ夫君らしい。ほかの者は小心者ばかり。一人でいると寂しい輩ばかりだ。

まだ同行のツアー客たちと親しく声をかけることもない。こちらは声をかけたくても、相手が警戒している由。直にこの緊張感もほぐれることになるが・・・。バスに乗ってまず驚いたこと。この街にはめっぽう信号が少ない。車が縦横無尽に走っている。車線の隙間ができたら、すいすいと割り込んでくる。見事なドライバーテクニックだが、車線変更し、隣の車とすれすれに並行する。「ぶつかりはしないか?」と、「おおおおおつ、わおーーーーつ」と奇声があがる。気の弱い僕も目を閉じたり、そっと開いたり。

おっと、仕事だ。続きはあ・と・で。


2012年09月17日(月) 続、旅日記(3)

 昨夜から今朝にかけて台風16号が猛威を振るっている。昼過ぎには通過しそうだ。早めの手当てっということで、昨夜は窓の施錠とカーテンをことごとく施した。大事には至らなかった。よかった。よかった。

おっと、旅日記の先を急ごう。どこまで行ったっけ。そうそう、僕たち5人衆は、いくつかの関門をそれぞれに突破し、ほっと胸をなでおろす。時計を見ると機内への案内時間には、30分程度しかない。僕は、とりあえず頼まれ物を免税売店で購入した。これは避けて通れない僕の義務なのだ。旅から帰った時、山の神の憤った姿を見たくない。

そそくさと買い物を済ませ、皆、機内乗り込み口に集合した。「あれっつ、もう時間なのに、メッセージもアナウンスもないぜ」とはリーダー、のび太君の弁。数年前の旅が思い出される。その時は5時間くらい待ったか?。昼を越したので、飯代として500円のチケットが配布された。「仕方なかっぺ」とめいめい、好きなものを売店で購入。ねずみ男君は400円を使用。そこまではよかったが、なんと、「おつり100円がもらえなかった」と悔やむことしきり。かかる場合は使い切ることが肝要。勉強になったぜ。

僕たちは、ただ椅子に腰かけ、案内を待つしか手立てがない。スネ夫君と一休さんは、再びどこかへ消えた。変わり者、タオルおじさんと、長靴おじさんだ。好きにさせればよい。

1時間ちょっと待っただろうか?。ようやく機内へ案内の運びとなった。「それいけ^^つ」と僕たちは前列に並ぶ。つり橋のような回廊をわたり、怖そうなフライトアテンダントの顔に一瞥を投げ、座席に到着。3人掛けの前席に二人、スネ夫君とのび太君。後部座席に3人。一休さん、ジャイアン、ねずみ男君だ。僕ジャイアンは真ん中の席。窮屈でやんなっちゃうぜ。エコノミークラスだから仕方がない。

いつぞや、ビジネスクラスに乗ったことがあったが、そりゃーーー快適だ。その時は僕一人だった。専属のごときアテンダントのお姉さまが、「こちらの通路からどうぞ」と、案内された。僕は目を白黒させながら、不安げについていった。着いた場所は竜宮城ならぬ、豪華なシート。座るるや否や、「お飲み物は?。毛布お持ちしましょうか?。新聞は?」とかなんとか、濃厚なサービスだ。田舎者の僕には、いまだかってない出来事。思わず、「苦しゅうない。もっと近う。肩もんで」と言いたかったが、さすがにそれはやめた。

とっちゃん坊や達は疲れていたと見える。皆、こっくりこっくりやりだした。それもそうだろう。旅はまだスタートしたばかりなのに、待つこと数時間。「待ちぼうけ、待ちぼうけ」じゃ、疲れないほうがおかしい。疲れない男と言えば一休さんくらいか?。彼はなにやら、歴史書をとりだし、読んでいる様子。たいしたものだ。

眠りが佳境にいろうとするとき、「しとしとピッちゃん、しとピッちゃん。がたごと、がたごと」と、荷車の音が。弁当が運ばれてきたようだ。「ええっつ、こんな時間に」。昼飯を食って、まだ数時間。お腹はすいていないが、「ノー・サンキュウー」と言えない僕たち。とりあえず受け取り食した。別腹とはよく言ったものだ。食えば入るから、これまた不思議。ねずみ男君が常時持参の「正露丸」を3粒くれた。オレンジジュースとともに、のどに流し込んだ。

この食事が夕食に多大な影響をもたらすとは、その時はまだ知らず。僕たちは出っ張ったお腹にシートベルトを締めて、再び、夢の境へ・・・・・。




2012年09月14日(金) 続、旅日記(2)

カウンターで航空券が発行された。荷物預け入れは、のび太君一人。体の半分近くはあろうかと思われるトランクを預入れ。ほかの四人は持ち込みオッケーだ。ガラガラと荷物を引きずりながら手荷物検査、人物検査に及ぼうと思ったが、まだ中に入れない。掲示板に手続き開始のサインが出ていないし、アナウンスもない。「とりあえず昼飯でも食おうや」ということになった。

上階にレストランがあった。見覚えがある。僕たちはテーブルの一角に陣取った。めいめいが好きなものを注文。まずはビールで乾杯だ。スネ夫君が音頭をとった。「乾杯ーー」と、めいめいがグラスを触れあった。小気味よい音が響いた。いやああ、のどが渇いていたので、おいしかったことよ。中ジョッキを「グイ」と飲みほした。料理が来た。よほど、腹がすいていたようだ。ぱくつくこと常のごとし。ここで、のび太君とねずみ男君が、自慢のカメラを取り出し、記念のシャッターを押した。ねずみ男君が「はい、チーズ」といったが、誰も口を開く者はいない。ただ、目だけが笑っていた。

腹ごしらえも済んだので、階下へ降りたが、まだ搭乗の案内がない。「こりゃあーー、一体どうなってんの」。僕たちは椅子に腰かけて案内を待った。「待てど暮らせど来ぬ人よ」。まさにそんな感じだ。しびれを切らして、スネ夫君と、一休さんが散歩へ出かけた。本来、放浪癖のある二人。放っておいてよい。

イライラ感が加速度的に上昇し始めたころ、やっと、手続開始のアナウンスが・・・。やれやれだぜ。僕たちはパスポートと手荷物をもって、現場へ赴く。最初の関所だ。体から所有している付属品を取り出しかごに入れ、手荷物のバッグとともに、暗らーーーいトンネルへくぐらせた。同時に、閻魔大王が待ち構えるゲートを通り抜けた。「ピンポン、ピンポン」という音なし。「よかったぜ」と、笑顔がこぼれたが、女性の係員みたいな人が、「この台に乗って両手を広げてください」という。「えええつ、かかし。なんでまた?」と思ったが仕方がない。係員が体の前後左右を怪しげな器具で触れ始めた。反応なし。「結構ですよ」という言葉が聞こえた。ちんちんまで触られなくてよかったぜ。

無事通過後、ほかのメンバーを待っていたが、一休さんと、ねずみ男君が遅れて出てきた。「何か問題でも?」と尋ねると、ねずみ男君は、鼻毛切りの小さな、はさみを没収されたという。彼は「こんな小さなものは危険でも、なんでもないのに」と不満顔。かたや、一休さんは、例によって例のごとし。心配していたことが現実になった。「長靴を脱いでください」と言われたそうだ。すなおに従ったは良かったが、「その長靴を棚に乗せてください」と、追い打ちをかけられた。腹が立った彼は、「あんた、あげたら」と言いたかったそうだが、「ぐっ」と我慢したようだ。それでこそ一休さん。
女性のブーツ姿はよく見かけるが、男が長靴はいて飛行機に乗る姿は、初めて見る光景。係員も訝しく思ったのだろう。まあ^^無事にクリアで何より何よりだ。

最後に人物判定。これもまた、人によって時間がかかる人もいれば、すんなり通過する人もいる。2メートル手前の床に、両方の足跡が描かれていて、後続の人はそこを先頭に並ぶ。前の人が終わると、係員の小部屋の前まで進み、パスポート等を提示する。係員はパソコンになにやらを打ち込み、人物の評価をする。時折、顔を上げて、パスポートと目の前の人物の同一性を確認している。僕たちは作り顔をしながら、目をぱちくりぱちくり。「にこっ」と笑ってもみるが、顔はひきつった状態。10年物のパスポートなら、顔も変形し、判別つかない人もいるやもしれぬ。僕たち五人衆は、ほとんど「はげちゃびん」になっているからなあーーー。ここは皆、こともなくクリア。いよいお免税売店に到着だ。ほっと、肩をなでおろしたはよかったが、またもやハプニングが・・・・・。


2012年09月13日(木) 旅の始まり(1)

僕たち、とっちゃん坊や達の旅が始まった。五人のメンバーが、もよりの駅に集合。出で立ちは、皆、それぞれだ。中でも圧巻なのは一休さんと、スネ夫君。一休さんは、まさに探検家というか、沢登りスタイルというか、腰にいろんなバッグを巻き付け、長靴を履いていた。これには皆大笑いだ。スネ夫君は首にタオルをかけ、履物は草履だ。このほうが楽だという。まああ、まともと言えるのは、のび太君、ねずみ男君、ジャイアンってところか。

五人そろったので、一足早い電車に飛び乗った。「早く飛行場について、昼飯でも食おうや」と話していると、電車がスタートして間もなく、車内放送が・・・・。「乗客の皆様、先ほど踏切で乗用車と快速電車が衝突しました。情報が入るまで、臨時停車します」と流れた。「えええつ、うそーーーつ、ほんとーー」と、あちこちから声が飛び交う。僕たちも電車での緊急停車は初めてだ。搭乗に間に合うかと、いろいろと気をもんだが、事態の成り行きを見守るしか手立てはない。刻一刻と時間が過ぎていく。

ほぼ一時間が過ぎたころ、車内放送が。「ただいま下りの線が復旧しました。もうしばらくお待ちください」とのこと。その後、10分足らずで電車が動き出した。やれやれだ。「大丈夫だよ。間に合うよ」とは、のび太君の弁。さすがリーダーだぜ。電車はスピードを落とし、のっそりのっそりと進行した。

1時間半遅れで電車は目的の駅へ到着。「さああ、地下鉄だぜ」と、急ぎ足で歩いたが、方向は逆。あわてて逆戻り。「これじゃあーー、先が思いやられるぜ」と思ったが、僕は金魚のふん。後ろをついていくだけだ。何しろ、電車や地下鉄に乗るのは久しぶりだ。都会の駅は、見事、様変わりしていた。一人だったら、迷うに違いない。

エスカレーターで地下に下り切符を求めた。電光掲示板を確認し目的地までの料金を穴に入れる。僕の分はねずみ男君が一緒に買ってくれるという。彼の後ろで待っているが、彼は画面の前で立ち尽くして、どこのボタンを押していいかわからない様子。僕が後ろからボタンを押す始末だ。まああ、日ごろ見たことがない機械の前では誰でもたじろぐのは当たり前か。

地下鉄の電車が到着した。出入り口に並び、扉だ開くと、ねずみ男君が真っ先に入ろうとする。のび太君が「まだだよ。まだだよ」と彼の肩を抑えた。ネズミはせっかちだぜ。客が降り去った後、僕たちは席確保のため、どっとなだれ込み、空席を確保。長靴おじさんに、タオルおじさん。野球帽のおじさん二人。ハットをかぶった喪黒福蔵もどき、おじさん一人。周りの乗客が怪訝そうな目で僕たちを眺めていた。「この人たちは何者かしら?」と言わんばかりに。てなわけで、僕たちの周りには誰も腰かけない。そんなこと、「気にしない、気にしない」のが田舎者、とっちゃん坊や達である。

ほどなく、電車は空港に到着。これから再び、空港バスにのり、国際線ターミナルまで直行だ。旅は始まったばかりなのに、疲れがどどーーーーつと来た。JRの事故で、出足が鈍ったのが原因だ。まああ、これは仕方がない。

無事にターミナルへ到着。旅行社の指定した待ち合わせ時刻が迫っていた。僕たちは即、指定場所まで足を運んだ。すでに数名の先客が説明を受けていた。今回の旅は12名のツアーらしい。老夫婦が一組。母と娘が一組。恋人らしい男女が一組。初老の紳士が一人。それに、僕たちとっちゃん坊や達が五人だ。見知らぬ他人との旅は、最初は言葉も交わさないが、四日も行動を共にすると、「袖振り合うも多少の縁」とやらで、まるで、知り合いか親戚みたいに仲良くなってしまう。これも旅の面白いところかもしれない。とはいえ、最初は「変な人たちだ。近寄りたくない」と思っていたようだ。ごもっともだ、僕たちの出で立ちを見れば誰もそう思うだろう。

カウンターでパスポートを提出し、袋入りの資料を受け取り、搭乗券発行の窓口に並んだ。「ありゃーーー、ずいぶんすいているなあーー」と思ったら、その場所はヴィップ待遇(ビジネスクラス)の人が並ぶ場所だった。係のお姉さまが、「こちらに並んでください」と、別の場所を指定された。どうもおかしいと思ったんだが、誰もそれに気がつかず。まあ、旅とはこんなものだ。








2012年09月09日(日) 旅の初日に寄せて。

旅の出発日がやってきた。僕、ジャイアンは準備完了。午前9時に相棒二人がやってくる。ネズミ男君とスネ夫君だ。我が家で合流し、タクシーdr一路、駅へ向かう。のび太君と一休さんは、各々駅まで行くとのこと。

くしくも、今日は曇り空。雨が降らないかぎり、旅立ちは吉日というべきか。旅に出ると。いつも不思議な感覚にとらわれる。今日中に僕たちは異国の地を踏んでいるわけだ。宇宙戦艦ヤマトの「さらば地球よ・・・」ではないが、まさに、さらば日本よって感じだ?。

故郷の大地から離れ。世間のしがらみから解放される。異なる大地は我々に何を語ってくれるだろうか?。生きとし生けるものの息ずかい、やさしさ、そしてたくましさ。見習うべきことも多いはずだ。

いけない、いけない。行く前から緊張感が走っている。文章が固くなってしまった。心配することはない。この緊張感も、メンバーがそろうと、直にほぐれ、珍道中の幕開けだ。ただ、羽目をはずして、脱線しないことを願うのみ。






2012年09月07日(金) 旅の前、前日。

いよいよ僕たちの旅が明後日と迫った。午前10時に駅へ集合し、JRと地下鉄で飛行場まで直行だ。気心の知れた仲間達との旅ほど楽しいのものはない。

な・な・なんと、のりちゃん先生も明日から10名ばかり連れだって、一週間程、学会へ出席する。訪問国は一緒だ。英語で講義をするらしい。副学長と一緒らしいから、愉快には過ごせないだろう。かわいそうに。まああ、これは仕方がない。

ただ、訪れる場所が違う。よかったぜ。あちらで杯を交わすというのも乙な計らいだが、一昨日、最後の晩餐会を催したばかりだ。帰ってから梓で土産話をするのが最良だろう。ちなみに、梓のママ、「ひろ子」さんより、「お土産はいらないからね」と言われた。うんんん、これは暗に「お土産を期待しています」と言うことかなあ。餞別はもらっていないし、考え過ぎかあーーーー。

僕たちの旅のメンバーをあらためて紹介しておこう。旅のリーダーは、のび太君(別名 観音様)。気品高く、おしゃれ。優しい顔立ちをしている。首には、いかにも高そうなニコンのカメラをぶら下げている。ポイントを見つけると、おもむろに三脚をとりだし、カメラを固定、則、レンズをのぞき込む、僕たちは口を「ポカーン」とあけ、その様子を観察。置いてきぼりにしたいが、リーダーだ。そうもゆくまい。旅の反省会で写真を見るが、なかなかのできばえ。寝るときは微動だにせず、寝息一つたてない。寝ているのか?、死んでいるのか?、「わかんなあーーーい」の状態である。さすが、「紳士」である。

二番手は、スネ夫君。(別名 帝釈天)。別に、すねている訳ではないが、旅の守り神である。いつも、ひょうひょうとしている。昨年、母を亡くした。今は一人暮らしの独身。飾らず素朴な好男子。もう、嫁さんをもらうつもりはなさそうだ。僕、ジャイアンと時々、仕事を一緒にするが、ほぼ完璧に成し遂げる。「ほぼ」と書いたのは、仕事中、居眠りをしているときがある。「はっ」と目が覚め、そつなく仕事をこなす。さすが兵だ。4〜5年前、サンフランシスコへ行ったときのリーダーでもある。

三番手は、ネズミ男君。(別名 三頭火もどき)。いつも僕の日記に登場する酒飲み仲間だ。ことあるごとに、防府の天満宮にあるらしい、三頭火の石碑に刻まれている「雨降る故郷、はだしで歩く」という歌碑をを口ずさみ涙ぐむ。いやあ、確かに良い。久しぶりに故郷に帰ったら雨だった。そんな故郷の地をはだしで歩くというのだ。懐かしい故郷に靴はいらない。はだしに伝わる、そのぬくもりがいとおしいのだ。

「故郷は遠くにありて思うもの。そして悲しく歌うもの。故郷に帰らばや」。これと同じ心境だろう。ネズミ男君にしては、なかなかのロマンチスト。僕も思わずもらい泣きだ。趣味はドラム缶貯金。たばこを止めて、小銭をドラム缶に金種別に放り込んでいたら、相当の額になっているらしい。「僕に一缶くれないか?」と言ったら、一円玉をくれた。これには僕もびっくり。言ってはみるものだなーーー。「数万円はあるぜ」と彼は言っていたが、先日銀行に持ち込んだら、7〜8千円はあっただろうか?。そう言うと、苦笑いしていた。

四番手は、じょうすい君。(別名 一休さん)。「じょうすい」と言っても上下水道ではない。れっきとした名前だ。僕たち、「とっちゃん坊や達」との旅は初参加だ。とんちがきいて、頭が良さそうなので、一休さんと名付けた。遠方から縁あって当地に嫁いだ養子さんだ。「泣く子と地頭にはかてぬ」というが、彼もそのたぐいか?。義母と妻には頭があがらぬようだ。まああ、これも時が解決するだろう。彼の趣味は歴史を紐解くこと。あれやこれやと文献をあさって、まとめている由。また、時々、講演も依頼されるようだ。まだ一度も聞いたことがないが、回を重ねれば話もうまくなるだろう。

最後に僕、ジャイアン君。(別名 お地蔵さん。喪黒腹蔵)。赤いよだれかけを、ぶらさげて、すぐ、人の物をほしがる。すぐ、人の心に忍びたがる悪るーーーい性格の持ち主。良いところは、面倒見が良くて、お人好し。おっと、これ以上、僕の事は書くまい。旅が終わり、あらためて旅日記を記載することにしよう。


2012年09月05日(水) 誘い。

暑さを引きずりながら九月に突入。夏の疲れが「どーっ」と、体にのしかかる。なんのこれしきと、労働にいそしんでいるが今一つ気分が乗らない。おまけに天候は不順。昨夜は午前3時頃から雷に見舞われた。僕は「はっ」と目が覚め、稲光の後、指を折って1,2、3数え始めた。雷雲は近づき、大きな雷鳴をとどろかせて、しばらくして去っていった。胸をなで下ろしたはよかったが、それから眠れなかった。

今年は昨年にもまして天候が不純だ。日本列島は地震や大雨による洪水等で、山が崩れ、恐らく形状をかなり変化させているだろう。日本列島、危うし。こんな見出しの記事が出るかも知れない。

おっとのりちゃんから誘いだ。ここで中断しよう。


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