umityanの日記
DiaryINDEXpastwill


2012年06月25日(月) 秘境への旅。その2。

平家の里を後にし、吊り橋を車内から見た。うっそうとした森の中に、雨に打たれ、いまにも、壊れそうな吊り橋がゆらゆらと揺れていた。天気が良くても僕には到底渡れそうにない。他にも見学できそうな所があったが、皆、「もうごちそうさん」といった感じで、早くホテルへ帰りたいそぶり。長老は無言のまま、事の成り行きを見守っている。さすが、人生を達観した人ある。

再び、幾多のS字カーブを器用に運転しながら、車は山道を下っていく。時折、道にはみ出した木の枝がフロントガラスに接触する。僕たちは、「わおーーーつ」と奇声をあげる。

おっと、初めての対向車だ。地元の人らしいおじさんが乗っていた。小型車だが当然、離合できない。かかる場合は登り優先か?。バスは、道幅がひろくなっている所までバックだ。いやああ、これが怖いのなんのって。一歩間違えば、谷底へ転落だ。皆、無言のまま、運転手のドライバーテクニックを見守った。数メートルバックして、何とか離合できた。ほっと、胸をなで下ろす。

雨は相変わらず強く降っている。ときどき、山の上方から、滝となって山道に水がこぼれ落ちてくる。これまた恐怖心をあおる。「あああつ、仏様、神様、山が崩れませんように」と、僕たちは念じながら、一時も早いホテルへの到着を願った。ホテルまでは2時間ちょっとかかるようだ。後は、運を天に任せるだけだ。

やっと、車が秘境の地から離れ、広い道に出た。車内に安堵感が漂う。皆、冷蔵庫にあるお茶を「ぐいっつ」と飲み込んだ。

時々思う。世界をはじめ、日本列島の各地に秘境の地と呼ばれる所は多々あると思うが、何処へ行っても、舗装され、ガードレールが施されている。人手が入り、観光地化されているところが多い。まあ、これも善し悪しだ。行くのに便利になったが、そのままの自然が損なわれてしまう。これは仕方の無いことか?。

最年少の仲間が言う。「僕はこういう所には三日も住めないなあーーー」と。
同感だ。美しい雪女との二人暮らしなら、考えてみないこともないが、、、。あり得ない。あり得ない。やはり、ネオン街を求めて、さまよっている方が性に合っているか?。














2012年06月23日(土) 秘境への旅。その1。

老若男児、総勢10名。一泊二日の旅が始まった。最年長86歳、最年少38歳。みな、仕事仲間たちである。毎年1回、催されているが、近場はほとんど行ったところばかり。てなわけで、今回はさる秘境の地を訪れることになった。

行きは雨。雨足が強い。30名近く乗れるマイクロバスに、めいめいワンシートに着座。後部座席は5­‐6名座れるボックスになっている。ボックスに4名が陣取った。話好きの仲間たちだ。男の添乗員さんが同乗した。運転手さんの居眠り防止のためには必須である。

とあるデイリーストアーで、お茶、缶ビール、酒、焼酎、ワイン、つまみ等をしこたま購入。わいわい言いながら飲んでいくのは楽しいものだ。長老は酒。僕はワイン。他の者はビールや焼酎を飲んで気勢をあげること常のごとし。

車は高速を降りて、一路、山のほうへ進んでいく。最初のころは道幅も広く、快適だったが、だんだん道幅が狭くなり、車の離合ができなくなった。めったに対向車が来ないからよかったものの、山道はS字カーブのオンパレード。右手のほうをご覧ください。断崖絶壁です。雲海が立ち込め、その下には深い谷が・・・・。おおおっ怖い。仲間たちはカーブを曲がるたびに「わおーーーつ」と絶叫する。左手のほうを見れば。土砂崩れ防止のコンクリートやネットが張られている。雨で緩んだ地盤が崩れれば、僕たちは昇天すること間違いなし。

アルコールがいつの間にか抜け、僕たちの顔は真っ青。よりによって最悪のコンディションだ。「幾山川超え去りゆかば、さびしさのはてなん国ぞ、今日も旅ゆく」。そんな悠長なことを考えている場合ではない。目的地まであと数キロのところまでやってきた。「早く車を降りたい」と目をつぶって耐えた。

やがて、案内小屋みたいな建物があり、その横に車が留まった。雨足は相変わらず強い。添乗員さんが小屋に向かい、傘を数本借りてきた。目的地までは歩いて行かねばならない。木の門があり、そこをくぐって上へ向かった。だだっ広いところに、古民家風の建物が数棟建っていた。

ここだ。ここが平家の里。人を容易に寄せ付けない神秘の里。かや葺の民家が雨に打たれて、幽玄な雰囲気を醸し出している。人はまったく見かけない。それもそうだろう。コンディションが悪い、こんな日に、命がけでここを訪れる人は、まずいないだろう。奇人変人の我々ぐらいのものだ。まあ、当初からの計画だから仕方あるまい。

ただ、僕の想像していた世界とはちょっと違っていた。古民家から黒髪をふり乱した雪女のごとき美しい女性が、「いらっしゃーーーーーーい」と、手招きしながら出迎えてくれるかと思っていたが、さにあらず。誰も来ない。雨を避けて飛び込んだ一軒の食堂に、山姥風(おっと、失礼か?)の痩せた老女と、その娘らしき、小太りの女性がいた。にっこり笑いながら部屋へ案内された。まあ、なにはともあれ笑顔が一番だ。昼間では幽霊もでまい。

ここでの昼食。僕たちは、そばとヤマメの塩焼きを食した。そばは麺が太く、こしがあり、実においしかった。食事を済ませ、平家一門の盛衰を記した館に赴き、展示品を見た。「平家にあらずば人に非ず」と繁栄を極めた姿がまざまざと描かれていた。驕れるもの久しからず。まさに、平家の里は落人の隠れ場。日本の未来を象徴しているようだ。

自然現象が僕たち数名を呼んでいた。女将に尋ねると、外のちょっと離れたところにあるという。やむなく、僕たちは大きな立木の根元に放物線を描くことにした。雨と混合し、良き肥料になるやもしれぬ。功徳を施したと思えば罰も当たるまい。

一時間ばかりとどまり、山を下ることになった。行きは怖い怖い。帰りも怖い怖いだ。S字カーブに奇声をあげながら、次の目的地へ。「えーーーーっと、どこだったっけ?」。そうか。吊り橋を何か所か眺めるんだったっけ。こんな悪天候では吊り橋は渡れない。バスから眺めただけだ。とにもかくも、今日は早くホテルへたどり着きたい心境。




2012年06月18日(月) 梅雨の間のひととき。

久しぶりに雨らしい雨が降っている。まさに梅雨だ。朝顔もアジサイも嬉しそうだ。僕も水を与えなくて済む。田んぼに、なみなみと水が張られた。水面が風に揺れ、いつでもどうぞ」と早苗の到着を待っている。毎年見る田園風景。目に優しい。

そんな風景を横目に、雨の土曜日、日曜日は外出する気になれず、終日、家にいた。することは山ほどある。ひとしきり思案の後、梅焼酎を造ることにした。今年は豊作で一本の木からバケツ6杯分の梅がとれた。落下したものを入れると、相当の量になるだろう。先日、ねずみ男君に梅ちぎりを手伝ってもらったので、あとは梅干しにするか?、梅焼酎にするか?のどちらかだったが、なにせ、ちぎってしばらく放置していたので、黄色く熟れてしまった。

山の神曰く。「あんた、そんなに黄色くなったら、梅はつけられんとよ。青くてカリカリの時じゃないとあかんとよ」と。僕はそんなこと知る由もなし。ちぎれば、いつでも梅干しがつけられると思っていた。かくして梅焼酎をつくることになったわけだ。

山の神の手伝いは一切なし。あるとすれば、お叱りの黄色い声が時折、聞こえるだけ。「あんた、なにやってんの。そぎゃんじゃなか。もっと、かわかさんばー。私がおらんごなったらどうすんの。なんでも一人でできるようにしとかんばーー」と。先ごろ、数日、検査入院したことがあり、その節は、飯の炊き方から、洗濯機の使い方まで仕込まれた。「おいどんは、なんでもできるバイ」と言いたかったが、怒らせてはまずい。素直に従った次第だ。

大きな空瓶が二個あり、まず、きれいに洗って乾燥させた。梅のへそをとり、水洗いして、これまた水分が乾くまで籠に入れてしばらく放置。さてと、まず、氷砂糖を瓶のそこに適当に入れ、梅を適当に入れ、また氷砂糖を入れ、梅を入れ・・・・。これを何回か繰り返し、程よい量になったとき、買っておいたホワイトリカーを流し込み瓶に満たす。一瓶が完成だ。人に聞いた話によると、梅1キログラムに、氷砂糖1キログラム。ホワイトリカー1リットル。要するに1対1対1。これでよかったっけ?。梅焼酎2瓶が完成だ。あとは暗所に置いとけばよい。

飲める時期が来たら、まず、ねずみ男君に味見してもらおう。「うまい、もう一杯」ということになれば、僕も飲むことにしよう。なにせ、数年前に山の神がこしらえた梅酒がまだ残っている。ウイスキー色に染まった液体は、だれ、も飲む人がいなくて、さびしそうに台所の端っこに置かれている。

しかるに、僕自らが手がけた梅酒なら、愛着があり、時期が来れば瞬く間に、空き瓶になること間違いなしだ。今はそう思っている。僕が植えた朝顔と同様。毎朝、顔を拝見するのが楽しみである。






2012年06月15日(金) しとしと雨が昔へ僕を誘う。

しとしとと雨が降っている。台風も近づいている由。それでも、今日の雨は優しい雨。窓を開けて庭を眺めながら、あれこれと思いにふけった。午前中に一仕事を済ませる。書類を提出し成功裏に終了。幾ばくかの報酬請求権を獲得、気分が良い。

それはさておき、最近、某大学の先生(のりちゃん先生と言っておこう)と、懇親を重ねる機会が増えた。今週は既に連続三回(火・水・木)。彼とは十数年のつきあいになるが、ここ一、二年、ぷっつりと連絡が途絶えていた。要職にあり多忙を極めていたとのこと。又、体もそう強くはないようだ。思い出したように彼から、連日、誘いを受けている。山の神曰く。「あんたたち、おかしいんじゃないの?。よく話すことがあるわねえーーーー」と。うんんん、この辺が男と女の考え方の違いか?。

思い起こせば、彼と付き合い始めた頃、とある小料理屋で、よくだべり、よく飲んだものだ。そんなある日、ママと口論になった。ママも、彼も、僕も、偶然、同い年。同世代だから話も弾み、いつしか親しくなりすぎた。互いにわがままが出てきた。これがいけなかったのか?。「親しき仲にも礼儀あり」というが、礼儀を一歩踏み外して、僕たちはママ批判を始めた。これが、ママの逆鱗に触れ、僕たちは勘当されるという憂き目を味わった。もちろんママを批判するには、それなりの理由もあったわけだが、今述べても、水掛け論にしかなるまい。

「あんたたち、もう来んでいいよ」。「わかたよ。もう二度と来んから」と捨て台詞を残して僕たちは店を出た。それ以来、のりちゃん先生は一度も足を運んでいない。僕はどうかと言えば、数年後、「どうしているかなあーー」と思い、のれんをくぐった。この辺が僕の甘さか?。それでも、昔の事が嘘だったかのように、ママは僕を迎え入れてくれた。たた、会話は、ぎこちないものだったが。

その後、年に数回、足を運んだ。しばらくは順調にいっていたが、これまたある日、ママの気分を逆なでする事件が。僕の何気ない一言がママを憤慨させたようだ。かくして二回目の勘当を受く。僕にとっては「何故?,whyーーー?,
どうして?」と言いたいが、どうも、僕は人の気持ちを推し量ることが不得手なようだ。ばか正直もほどほどにせにゃーー。反省、反省だ。二回も勘当されて、僕は感動の極み。情けないぜ。

どんどん月日が流れた。行き場を失った僕は、その後、「梓」という小料理屋を友人に紹介された。今では、のりちゃん生との逢い引きの場となった。梓のママ曰く。「あなたたち、本当に仲が良いのねえーー」と。弁解するまでもないが、決して僕たちは「ほも達」ではない。要するに、気が合うのだろう。彼は単身赴任で、友人もそう多くはいないようだ。競争社会の中にあって、勝ち組となるには、それなりの成果を出さなくてはならない。先生という仕事も、ストレスがたまる職業だ。

その点、能天気で風来坊。おっちょこちょいで単細胞の僕との付き合いは、気が休まる存在なのだろう。会えば決まって、昔の勘当事件に話が及び。お互いを喧々がくがくと責め合う。のりちゃん先生曰く。「そこまで言うの。もう君とは飲めないなあー」。僕曰く。「こっちこそだぜ」。梓のママは、にっこり笑いながら、「あいかわらず、仲がいいのねーーーーー」と。

まあ、そんなわけで、来週も、恐らく、のりちゃん先生から誘いの声がかかるだろう。ところで、最初の小料理屋には、性懲りも無く、年に一、二回、足を運んでいるが、まだ三回目の勘当なし。暖簾をくぐると、「あら、いらつしゃい」と、いつもの表情。女心は分からないぜ。僕の心は如何に?。「もてた昔の時代をもう一度」とでも思っているのだろうか?。「ヤナギの下にはいつもどじょうはいない」。




2012年06月12日(火) おっかなびっくり。人生とは?。

蒸し暑い日が続いている。そんな中、僕にとっては一年中で一番暇な時期に突入だ。世間では農繁期という時期にあたり、農家が忙しくなる。麦から稲へと田んぼが様変わりする。猫の手を借りるまではないが人手がいる。そんな風景を横目に僕は鼻提灯をふくらませながら居眠りだ。これが最高に幸せ。

ところで、先日は嬉しかったことを一つ書いたが、今日は「おっかなびっくりしたこと」と、「人生ってうまくいかないもんだ」と言うことを書いておこう。

まず、びっくりしたこと。なななんと、僕が大の苦手としている蛇君が、窓ガラスの横の雨戸をよじ登っていた。体長1メートルは超していただろう。顔は小さいがお腹が異様にふくれていたので、カエルか何かを飲み込んでいたようだ。

何故に雨戸をよじ登っていたかと言えば、雨戸の上方から突き出ている瓦の隙間に雀が巣を造っていたからだろう。それを狙ったに違いない。僕は山の神の黄色い声に呼び出された。「あんた、蛇がよじ登っているよ。早く来て見んしゃい」と。

僕は、「え、ええつ、どこ?」と目をこらしたが見えない。「あんた、目まで悪いわねえーーー」と、けなされる始末。よく、目をこらすと、いた。いた。まだら色の縄のようなものが上へ向かって動いている。僕はおっかなびっくり。「どうすんべーーーー」と、山の神に言うと、放水して地面に落としんしゃい」という。「えええつ、そんな。怖い」と思ったが、素直に従うことにした。

草花に水をやる長いホースで、水圧一杯で、雨戸めがけて放水した。蛇もさるものだ。危険を察してか、そそくさと雨戸の中へ逃げ込んでしまった。こうなってはいかんともし難い。蛇は頃を見て、どこかえ逃げ出すだろう。かくして、円満の内に蛇騒動は終わった。以後、雨戸には近寄らず、遠くから草花に放水している。ほんとに、おっかなびっくりだ。

次に「人生ってうまくいかないもんだ」の話。これは僕のことではない。つい先日、ねずみ男君(友人)が仕事にありついて、喜んでいたが、それもつかの間。二日で辞めたそうだ。「ええつ、どうして、何故、why?」と尋ねると、理由の一つは、めっちゃ、きつい仕事だったらしい。なんでも、二日間で体重が2キロも落ちたそうな。「体脂肪を落とすにはもってこいの仕事じゃないか?」と言ったら、「そうじゃない、具合が悪くなったんだ」という。それなら仕方がないか。体あっての労働だ。

も、一つの理由は、例によって若いお兄ちゃんや、現場監督から、「この馬鹿、うすのろ、ふうけもんが、はょうせんか」とか、怒鳴られ、つくづく嫌になったという。分かる。僕でも堪忍袋の緒が切れるだろう。人生とはうまくいかないものだ。それを我慢するのが吉なのか、どうかは分からない。ねずみ男君も今までは、がむしゃらに働いてきたわけだ。今更、無理して体を痛める仕事をしなくても良いだろう。

僕は思わず言ってやった、「無理せんでよかばい。いざとなれば、山頭火みたいに全国行脚の旅にでようぜ。いくばくかの、おまんまに預かれれば、それでいいじゃん」とかなんとか。うんんん、この発想もやましいなあーー。お天道様と共に、田畑を耕しながら、日々の糧を得、生きていくのが一番か?

てなわけで、先週の土曜日は我が家の梅ちぎりと雑草刈りの手伝いをしてもらった。3時間ばかりの労働で家の周囲がきれいになった。梅の実もバケツ6杯分が取れた。あちこちにお裾分けしたいと思っている。夜はおきまりのコースへ赴いた。その話は後日に回そう。



2012年06月04日(月) 嬉しいこと一つ。

六月四日。曇り。蒸し暑い。今にも雨が降りそうだが、なかなか降らない。近県で地震があったようだ。強くはなかったようで、こちらでは体に感じなかった。最近では地震も日常茶飯事の出来事。「またかあーーー」と思うが、実はこの慣れが怖い。備えあれば憂いなしで、日ごろの対策が肝心だ。

ところで、今日はごろ合わせで虫歯デー。虫歯かあーー。歯には自信があったが、それは昔のこと。今は、仮歯があり、本歯へ切り替えしなくてはならないが、結構、調子がよいため日延べ状態だ。歯科医院をはじめ、病院と名のつくところは大の苦手。病院へ行くより、願わくば、「山頭火」みたいに全国を行脚して、行き倒れたほうがましかな?と思ったりする。

ごろ合わせで思い出したが、七月十日が「納豆の日」。納得だ。納豆はうまい。八月八日は「母の日、もしくはパパの日」。母の日はすでに終わったので、パパの日だ。パパねえーーー。今ではスナックや小料理屋のお姉さまたちが、「あらっ、パパさん。いらっしゃい」と、冷やかし冗談で呼んでくれるだけ。あああああーーつ、はかない人生だぜ。と、思いつつも、本当は喜んでいるんだが・・・。まあ、これも、親しみと信用のあらわれだろう。ごろ合わせの日はいくつもある。枚挙にいとまがない。やめておこう。

今日は嬉しいことが一つあった。ねずみ男君(友人)に電話したら、電話に出ない。ゲートボールで忙しいんだろうと思っていたら、先ほど電話があった。な、な、なんと、仕事にお呼びがかかったそうだ。何か月振りになるか?。いつも、「仕事がない、仕事がない」と悔やんでいたが、めでたしめでたしだ。

電話口の彼の声は弾んでいた。それもそうだろう。工事現場の作業で日給いくらもらうのか知らないが、持て余した体を存分に発揮できる。現場は当市内のはずれにあるそうだ。ただ一つ我慢すべきこと。それは若い兄ちゃんや現場監督に、「あれ持ってこい。これ運べ。バカ、うすのろ。それは違うだろ」とかなんとか、命令されたり、大声で怒鳴られるても、じっと我慢の子でいることだ。

酒を飲みながら、「ほんに、はがいかばい」と彼は言う。「まあ、そこはじっと我慢せんばあー」と僕はなだめる。貯金を取り崩さず、日々のおまんまに預かれることは幸せなことだ。仕事にきれいも汚いもない。ただひたすら、やるのみだ。とはいえ、体には十分注意すべきだ。その辺は彼も十分わかっているようだ。

ちなみに、六月七日の夜には、のび太君(友人)、スネ夫君(友人)シズカちゃん(友人)、それにジャイアン(僕)、かくして、ねずみ男君(友人)が参加して、どうなるかわからない旅行の打ち合わせがある。ねずみ男君のはしゃぐ姿が見えるようだ。一言、言ってみようと思う。「今宵は、あんたのおごりでいいんだろ?」。恐らく彼は言うだろう。「やめてよおー。まだ仕事にありついたばかりだぜ。いつ、首になるかわかんなーーーい」とかなんとか。

まあ、こんな小さな幸せや喜びを感じながら、僕たち、とっちゃん坊や達は索漠とした娑婆世界を生きているわけだ。










2012年06月01日(金) 六月初日の風景。

六月が始まった。どんよりとした曇り空。やや蒸し暑い。諸会議も五月中に、ほぼ終わり、まあまあーー、のんびり出来る六月がやってきた。そんな月が好きだ。

窓の外の植え込みに水をやった。紫陽花が水を欲しがってやまない。何せ、当地は最近、雨が少ないからなおさらだ。カエルががゲロゲロと鳴いた。先日の小竜巻で庭に散った麦わらの残りを、雀が口にくわえてどこかへ運んでいる。

数年前だったか、裏出入り口の物置棚の高い所に。雀が巣を作った。せっせとわらを運び、卵を産んだ。猫が舌なめずりをしながら、捕獲の機会を覗っていたが、雀もさるものひっかくものだ。それを見越してか、猫の襲撃が及ばないところに陣取った。いつしか猫もあきらめたようだ。雀も進化したものよ。今年はどこに巣を作ったのか定かではない。

夜になると、窓ガラスに、ヤモリが「べたーーっ」と張り付いている。毎年、同じ時期に見かけるから、よほど、ここが気に入っているのだろう。子々孫々、反映だ。僕は窓越しにそっと近づき、腹やら足の吸盤を観察する。写真を撮ったことがある。気持の良い生き物ではないが、なぜか愛着を感じる。僕に吸盤があったら、スパイダーマンみたいになって、いとしきメーテルに張り付いて、宇宙を旅するんだが・・・・。

蛇は一回、見かけた。敷地を横切ってツツジの植え込みの中に消えた。以来、植え込みには近づかないようにしている。地震、雷、火事、親父と言うが、僕の場合、蛇と蜂がそれに加わるか。蛇を見ると、生きたウナギさえ蛇に思えてくる。食欲も減退だ。蜂は昔、刺された記憶があるので、危うきに近寄らずだ。そんな風景を醸し出す六月。

世間に目を向ければ、こんな自然とは裏腹に毎日のように、地震、竜巻、雷の恐怖や、遅遅として進展しない政治、経済、事件等のニュースが目に飛び込んでくる。良いニュースならともかくも、聞きたくない、あって欲しくない、目を覆いたくなるような内容が多い。これが現実というものか。避けては通れない。現実を直視し、そこから解決策を模索していく以外に道はないのだろうか?。

そろそろ暗くなり始めた19時19分。おっと、いくいくだ。「はあーーーい、景品です」と、プレゼントが差し出されれば、「やったぜ」と嬉しいんだが、ここはカラオケを歌う場所ではない。書斎兼事務室だ。鉄観音入りのウーロン茶を「ぐっ」と飲み込んだ。「ああああーーーつ」、明日はどんな日になるのか?。ため息一つだ。おっと、もう少し仕事をしたがいいかなあーーー。寝るには早いぜ。








umityan |MAILHomePage

My追加