umityanの日記
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2012年05月28日(月) 金のジュータン。

五月二十八日。快晴。風なし。蒸し暑い。朝起きて、庭、ベランダ、通路など敷地内を観察。「わおーーーつ」、昨日の麦わらが、あちこちに散在している。おまけに、キンモクセイの葉っぱも一緒になり、まさに麦わらと、葉っぱのジュータンだ。

この原因は?。思い浮かぶのは竜巻だ。きっと、小竜巻が起こり、麦わらを巻き込み、敷地内に落下。屋根を見た。あるある。麦わらが。ついぞ経験したことがない風景。

先日、ネットのサイエンス番組で見たが、電波を発しているパルサーという星。残念ながら電波の正体は、地球外生命体ではなかった。なんでも、高速回転しながら陽子に中性子がどんどんくっつき、パルサー星が誕生か?宇宙には、こんな星が無数にあるそうだ。パルサー星同士が、引き合い合体する。かくして大爆発が起こるそうな。なんと、その時、まき散らされる物質が、「金」。「ええーーつ、そうなの」と我が目と耳を疑った。おびただしい金が宇宙空間にまき散らされる。僕は宇宙遊泳しながら、それを集める。てなことにはならないよなあーーー。

麦わらと葉っぱを掃き寄せながら思った事よ。これらが全部「金」だったら、どんなにか嬉しいかと。たちまち億万長者だ。僕の血走った目が見えるようで怖いぜ。止めよう、あり得ない話に思いを馳せる余裕はない。とにもかくも、清掃が第一。つい先ほど清掃終了。びっしり汗をかいた。

最近、全国的に竜巻が発生している由。日本では少ない気象現象かと思っていたが、そうでもなさそうだ。我が家を襲うくらいだから。小竜巻でよかったぜ。昨日は風が強いことは分かっていたが、体は家の中。仕事疲れで放心状態だった。ふと見た窓の外の風景に、疲れ倍増。まさにダブルパンチの昨日。

災難は忘れた頃にやってくる。まさにしかりだ。人間は一人では生きられない。いつも自然と共存の関係にある。時には自然をいたわり、時には自然を叱責する。自然も同じように人間に接してくれる。しかるに、最近は自然をしかるどころか、自然に対してむごい仕打ちをしているのが人間だ。自然も黙ってはいない。自然のしっぺ返しは人間に多大な被害を与えている。「自然さんよ。もっとおだやかに」と言っても、怒り心頭の自然は聞いてくれない。

何か良い手だてはないものか?。自然の保護。防災訓練。危機管理。科学の進展による未来の予知。もちろんこれらは大切である。さらに、忘れてはならない大事なこと。それは人間の意識改革だろう。頼らず。自分で出来ることはまず自分でやる。これが意識改革の第一歩だろう。さらに、自然をもっといたわるべきだろう。その方法には色々と違いはあれども。


2012年05月27日(日) 今日はダブルパンチだ。

五月最後の日曜日。天気は晴れ。蒸し暑い。風強し。朝から午後にかけて仕事。全力投球。無事に完了。報酬袋を得る。軽い。開けてびっくり玉手箱。どっと疲れが出る。気を取り直して、明日の仕事の段取り。1カ所ミス有り。修正液で修正。オッケーだ。「おーい、お茶」と銘打った緑茶を飲む。

席を立ち窓の外を見る。な・な・なんと、庭やベランダに、大量のわらが積もっている。麦を刈った後のわらくずが、北風にあおられて、舞い降りたようだ。自然現象のなせるわざ。誰に文句をいう術もない。僕はあっけにとられる。今、掃き寄せても元の木阿弥。とりあえず明日まで放置することにした。いやーーー、今日は ダブルパンチだぜ。

まあ、これも考えようだ。明日の仕事が出来た。庭掃きも、結構な運動になる。その後、紫陽花に水というご飯をたっぷりと与える。今年は去年よりも紫陽花が早く開花した。温暖化の影響か?。理由は定かではない。

今、夕飯前の一時を利用して、この備忘録をしたためている。山の神から声がかかった。「今日は中華丼とサンマ丼のどちらがいい?」と。サンマ丼なんてあったのか?。初めて聞く名前だ。サンマ丼を所望した。

我が家は早いときは五時半。遅くても六時半に夕食だ。その後は寝るまでは間食はしない。まあ、これが健康の秘訣なのかも知れない。朝起きると、結構、お腹が空いている。もともと、僕は食事は二食でよい。朝、昼、晩と三食は、食い過ぎだ。長生きの秘訣は空腹にあるらしい。それを狙っているわけではないが、習慣がそうさせている。

おっと、今、声がかかった。そく食堂に赴かないと、山の神のご機嫌が悪くなる。今日はこの辺で備忘録を閉じよう。


2012年05月24日(木) たわいない話。

金環日食の当日は、朝早く起きたが、全く見えず。厚い雲が空を覆っていたからだ。観測はあきらめて、テレビ放映を見たが、自然が醸し出す美にうっとりだ。「金環ねえーーー、金の輪か」。皆、指輪を連想したに違いない。僕もそうだ。カモシカのような???、おっと違った。白魚のような白い細い指を持った天女にはめてもらったら、最高に素敵なんだが、それはかなわぬ夢というもの。僕のごつごつした指には不似合いだ。

何はともあれ、天文ショーは人間や動物たちの心を乱し、宇宙の神秘にあらためて畏敬の念を起こさせる。そういえば、随分前のことだが、ハレー彗星が地球に近づいたとき、それを見んと、反射望遠鏡を買った。口径は12センチ位あったか?。結局はハレー彗星は見ずじまいで、月やら火星やら木星等を眺めただけだった。今では引っ越しの時や、部屋の配置換えで、置き場所に苦慮している。ほとんど見ることがないからだ。もったいない。

目新しい事には、だぼはぜみたいに、すぐ食らいつくが、体裁だけで成果なし。それでも、自分が今、宇宙の一員であることを嬉しく思っている。「おっかさんよ、よくぞ僕を生んでくれた」と感謝の気持で一杯だ。

過ぎ去った金環日食の話は止めよう。今日は午前中に仕事を終えた。夕方から、ねずみ男君と一献傾ける予定。曇り空で蒸し暑くなった今日。ビールと焼酎の水割りでも飲んで、おらびたい心境だ。彼の口癖ではないが、「人生とはなんぞや?。愛とはなんぞや?。今日もいこうぜーーーー」と、おらびたい。かくして、カラオケで、ぞろ目の点数をだし、景品を頂戴して気分良く帰りたいぜ。

景品と言えば、僕(ジャイアン)より、ねずみ男君の方が、もらった回数が多い。景品の中味は主に、靴下、トランクス、女性用のパンティー、他である。いつぞや、ねずみ男君がもらったトランクスは、小さすぎて入らなかったそうな。笑ったぜ。女性用のパンティーは同伴者がいればプレゼントだ。

おっと、時間が迫っている。今日はこの辺で指を置こう。














していたが、最近、当地は雨が少ない。


2012年05月20日(日) 旅の計画は楽しい。

今日は久しぶりに曇り空の日曜日。暑くないので幸いだ。何をしようかと考えた。机上の仕事がいくつかある。どうも気分が乗らない。無理して仕事をしてもミスをするのが落ちだ。

そうそう、明日は車をを車検に出さなくてはならない。もっか、17万5千キロ走行。気に入っている車なので、20万キロ以上は走りたいと思っている。そこで、滅多に清掃したことがない車を、恥ずかしくない程度に清掃することにした。

電動高圧噴水器で、まずボディーの汚れを洗い落とす。おもしろいように汚れが落ちる。次に車内の足乗せシートを取り出し、たわしで擦りながら噴水器で、砂や泥を一網打尽だ。まあ、この位で良いだろうと作業を止める。後は乾くまで放置。

作業しながら考えた事よ。五月、六月は出費がかさむなあーー。やってられないぜ。ガソリンは高いし、車検費用、自動車税、住民税等がやってくる。社会保険料等も料率改訂等で値上げだ。特に、住民税が高いんだよなあー。昨日、友人、ドラえもん君がやってきて、同じ事を言っていた。「納付書を見るのが怖い」と。まさにしかり。「ええええつ、何故、こんなに?」と驚嘆するばかりだ。「ふるさと納税制度」は今も生きていると思うが、故郷に納税しようかとも思ったことがあったが、骨を埋めるのは当地だ。まあ、やむなしか。泣けるぜ−。

そう言えば、友人、ねずみ男君が嘆いていた。「最近、仕事のお呼びがかからなくて、収入があがったりだぜ。食いつぶすだけだ」と。僕は言ってやった。「あんた、嫁さんをもらって働かせたらいいぜ」と。彼曰く。「それが出来れば、とっくにやっているよ」と。僕はさらに続けた。「130回、見合いをしても駄目なら無理かあーーー。ドラム缶貯金箱を小出しに使えば、当分食っていけるぜーー」と。「それだけはしたくない」と彼は言う。それなら、どうぞご自由に・・・。近々、彼には雑草刈りの手伝いを頼もうと思っている。終わった後、一献、傾けるのが楽しみだ。

楽しみと言えば、演劇公演を終えた友人、のび太君から、「旅行の計画をしたい」と再三、お呼びがかかっている。何もかも忘れ、たまった疲れを旅で癒やしたいのだろう。同感。こういう話には、ねずみ男君も、則、飛びついてくる。馬鹿の一つ覚えみたいに、「万里の長城へ行きたい。万里の長城へ行きたい」と、常日頃から懇願している。「あんた、あんな塀を見たって、一体何になるの」と、僕は言っているが、僕も見たいのは山々だ。

六月の初旬に、打ち合わせすることに決定。場所は例によって、一人、2500円で飲み放題、食い放題の居酒屋。のび太君が、早々に予約を入れた。ワインが飛ぶように売れ、店員さんから「在庫がありません」と、告げられることたびたび。心配ない。その後は焼酎に切り替えだ。

メンバーは、のび太君、ジャイアン(僕のこと)、ねずみ男君、都合がつけば、のび太君の恋人と称しているシズカちゃん、更に、スネ夫君(サンフランシスコへ行ったときの主催者)にも声をかけた。ドラえもん君と夜泣き爺さんは、今年は大層な役を引き受けているとのことで身動きが取れない、残念だ。とっちゃん坊や達五人衆の旅は今年はお預けだ。そこで僕は命名した。今回の旅の名称を、「とっちゃん中坊や達の旅」としよう。うまく話がまとまればの事だが・・・。金の話なら則、行き詰まるが、遊びの話なら永遠に続く。人間って、現金な動物だぜ。










2012年05月18日(金) なにげなく思ったこと。

最近、当地では心地よい日が続いている。今日もまさにそんな日。周囲の田んぼでは黄金色に実った麦が、風でそよいでいる。早く「ビール」になりたいとでも言っているようだ。麦畑に挟まれた農道を車で走ると気持ちが良い。脳裏に「冷えたビール」が浮かぶ。おっと、いけない。運転を注意しなくちゃあーー。

やがて麦が刈られると、水田に早変わり。田植えが始まるのだ。毎年見慣れた風景。今はたった一人で機械を操り、田植えをする。超、合理的になったが、なんだか一抹の寂しさを覚える。昔みたいに,一家総出で、腰をかがめて苗を植えている姿が、懐かしく思える。

なんとなれば、昔、僕も一度だけ、アルバイトで農作業の手伝いをしたことがあるからだ。その時は田植えではなく、い草刈り。いわゆる畳表の材料になるやつだ。慣れないカマで根元から、「ほいこら、ほいこら」とい草を刈り取る。石灰かなにか知らないが、泥水に混ぜ込み、刈ったい草をつけ込む。十分しみこむまで足で踏む。その後、田んぼぎわの農道に干して乾かす。今ではほとんどの作業を機械でやっているが、当時は手作業だ。いやあーーー、これが、きついのなんのって。坊ちゃん育ちの僕?も、一週間やって、根をあげた。引き続き田植えをしないか?と誘われたが、さすがに断った。いただいた数万円のアルバイト料は魅力的だった。母に少し渡し、友達と旅に出た。そんな思い出がある。

昨今、都会では自然の脅威が取りざたされている。もちろん地方の田舎とて例外ではない。竜巻や地震、雷、大雨、さらに、これからは台風が心配である。また、先日、サイエンス番組を見て知ったが、地球上には毎日、隕石が降り注いでいるそうだ。ほとんど大気中で燃え尽きるが、砂粒やそれ以上、またそれ以下の残骸が地上に舞い落ちる。大きな隕石でないなら、人類に被害はないわけだが。6500万年前の小惑星級が地球に衝突すれば、地球上の生命体は、ほぼ全滅するだろう。あな、怖ろしや。

今の所、その心配はなさそうだが、問題は太陽を取り巻く惑星群や彗星にありそうだ。金星にしたって、火星にしたって、木星にしたって、地球の比ではない嵐が吹きまくっており、しかも灼熱地獄だったり、低温地獄だったり。生命体が住めるはずもない。何かのはずみで、惑星や彗星が暴走すれば、地球に及ぼす影響は計り知れない。太陽も燃料がつきれば膨張し、地球や惑星を飲み込むだろう。あな、あな、怖ろしや。

遠い先のことは分からないが、地球はまれに見る幸せな星だ。そんな星をもっと大切にしなくてはなるまい。もっかの脅威は地球上の天変地異だ。科学の力と人間の英知で、なんとか克服できないものか。「来たらば来たれ。いざ闘わん」。自信をもってそう言える日が待ち遠しい。。










2012年05月15日(火) ストレス。

五月が瞬く間に過ぎていく。連休があけてようやく机上の仕事にも身がはいってきた。良い傾向だ。ただ、周りを見渡すと、五月は「総会」ばやり。こちらでも「総会」、あちらでも「総会」。「そうかい、そうかい」と言いたくなる。如何せん、僕も例外に漏れず、数回、出席しなくてはならない。これが一番、退屈で嫌な行事。ストレスもたまるといもの。

僕は相当にせっかちなんだろう。どんな会議でも、一時間が限度だ。大学での授業は90分が多いようだ。この90分さえ長く感じた。なにせ、日本人は会議好きな民族だ。内容が深ければ良いが、総じて紋切り型の事案が多い。「資料に基づき説明がある。はい、賛成多数。可決しました」と承認を得る。独裁なら多数決もいらないだろうが、民主主義社会での組織は単独では動かせない。やはり、多数決による承認が必要と言うことだろう。願わくば時間短縮でやってもらいたい。

そうそう、ストレスと言えば今日見たテレビで、脳がストレス型なのか?、リラックス型なのか?という話題を取り上げていた。医者が提起した四つの問題について、人間がどう行動するかで、ある程度、脳がストレス型なのか、リラックス型なのかが分かるという。

僕は二問がストレス型、残りの二問がリラックス型。要するに半々。と言うことは、どちらにも傾く傾向にあると言うことか?。僕の独断と偏見で解釈すれば「中庸」。どちらでもない。もっと言えば、「判別できない。わかんなあーーーい」ということだ。

本来、僕は「ストレス」がない人間だと思ってきた。何がストレスなのかよく分からない。要するに、能天気で、ふうけもんの、あんぽんたんと自負いしながら生きてきたので、大概のことは意に介しなかった。

とはいえ、医は正直だ。脳波を映し出せば、ストレスとリラックスが交互に競いながら、僕の心をとらえる。いやんなっちゃうぜ。こういうことを考えるのもストレスだ。止めよう。ただひたすら、お天道様と共に生きるのみ。これが僕のスタンスだ。


2012年05月06日(日) 連休最後の風景。

五月の空は高く、空気もすがすがしい。今日はまさにそんな日だ。ちょっと車を走らせると、清流をまたがって張られた紐に無数の鯉のぼりが泳いでいる。圧巻だ。童謡にもある。「甍(いらか)の波と雲の波。重なる波の中空を、橘(たちばな)かおる朝風に、高く泳ぐや鯉のぼり」

鯉のぼりの風習は江戸時代に始まったらしい。男児の出生と成長を願って、家の庭先に鯉に模した吹き流しを飾ったわけだ。女性が雛の節句なら男は端午の節句。こんな風習は、ずっと残って欲しい。

なんとなれば、近年、子供の数が減り続けているからだ。いつの日か、鯉のぼりも見れなくなるかも知れない。十五才未満の人口は総人口の13%くらいか?。一億弐千万人の13%といえば、壱千五百六十万人。少ないと言えば少ない。男女の数では男の方が多いそうな。「へえーーー、そうなんだ」。嬉しいぜ。娑婆世界を見回すと、女性ばかりのように思えるが・・・・。

そうか。これは高齢者の女性ばかりをを見ているせいかもしれない。女性は平均寿命が長いからなあーー。やはり男は短命で悲しい動物なんだ。「うえーーーーーん、悲しいぜ」。若い人よ、どんどん増えて欲しい。

まあ、それは仕方ないこととして、今日は部屋に篭もっているのはもったいないと思い、瞬く間に伸びた雑草を刈ることにした。そう言えば、先日、ドラえもん君が二基ある草刈り機械を借りにきた。歯を替えてやろうと思ったら、上等の機械の方のねじがすり減り、スパナが空回りだ。とりあえずもう一基の小型の奴の刃を替え、混合油を満タンにして貸した。ほんの一日の借用だから、「貸し賃はいらない」と言ったが、1000円を置いていった。この辺はさすが、ドラえもん君。手堅いぜ。

話がそれたが、今日は「何としても、すり切れた固定ねじを取り替えるぞ」と道具箱やら軍手を用意して、悪戦苦闘。努力の甲斐あって、ねじが揺るんだ。「やったぜ」。今度は新品のねじだから、長期間持つ。切れなくなっていた歯を取り替え、さっそく腰振り運動。おもしろいように草がなぎ倒されていく。ウエストが1センチは縮むか?と僕はご満悦。

周囲の田んぼには誰もいない。僕の奏でる機械音だけが響いている。のどかな五月の風景。これも今日までだ。明日からは、たまった仕事に本格的に取り組もう。


2012年05月03日(木) どこにも行けない男の戯言。

今日も一日が暮れた。どんよりとした曇り空。それほど暑くはない。関東方面では大雨が降っている。「ええっ、もう梅雨?」って感じだ。土砂災害や水害も起きている由。また高速道路での事故もあっているようだ。日々、目に飛び込んでくる災害や事故は痛ましい。

そりやあーー、70億人もの人間が地球に住んでいれば、事故も何もない平穏な一日なんてないだろう。願わくば、テレビ等のニュースで、「今日は全世界で、何も事故がない平穏な一日でした」と告げるアナウンスを聞きたいものだ。

時々思うが、365日、一年の内、たった一日でよい。「今日は全世界がノーカーの日です」という日を設けたらどうだろうか?。みんな徒歩で歩き回る。行き交う人に挨拶をする。歩けそうにない人には肩を貸す。これこそ、穏やかな平和の一歩というものだろう。そう言えば、今日は「憲法記念日」だ。憲法って、そういうことを決めるためにあるんじゃなかったっけ?。



悲しいかな。現代社会は忙しすぎる。あまりにもめまぐるしい。世界の情報だって、秒単位で変化する。良い話題ならまだしも、暗い、陰湿な話題が多い。

「タイタン」という映画で見たが、メビウスの首を持ち、全ての生命体に目を見せれば、一瞬にして、生命体が石と化す。異様な光景に違いない。とは言え、世界はどんなにか静かだろう。「おーーーい」と叫べども、誰も応えない。おっと、その前に僕も石になっていたか?。くわばら。くわばら。メビウスの目だけは見まい。

そんなことを考えながら日が暮れていく。今日の仕事は午前から午後にかけての一仕事。無事に終了した。後片付けをして、一件落着。机上の仕事が少したまっているが、今日はすまい。なんとなれば、もう70%の仕事はやった感じだ。また、気分も乗らない。日延べしても間に合う。とりあえずは、ちょっとの仮眠と夕飯に預かることが、僕のとるべき行動か?。


2012年05月02日(水) 後悔の言葉

五月の声を聞いた。ちまたはゴールデンウィークとやらで、賑わっている由。こちとらは、それをよそ目に労働にいそしんでいる。「ああああつ、はかない人生よ」と言いたいところだが、そうも言っておれない。クライアントの要請があれば、それに応えなくてはならないからだ。クライアントが満足すれば、それは則、僕の喜びである。それが僕の人生なのだ。

最近ネットでおもしろい記事を読んだ。臨終間際の人が後悔する五つのこととして、
   1.誰かが期待する人生ではなく、自分に正直な人生を送っていれば    よかった。
   2.あんなに働かなければよかった。
   3.勇気を出して自分の気持ちを表に出せばよかった。
   4.友達ときちんと連絡を取り続けていればよかった。
   5.もっと自分の幸せを考えればよかった。

とある。いやああ、考えさせられることばかりだ。上記の後悔の裏返し、いわゆる後悔からの脱出方法として、
   1.夢をあきらめないこと
   2.働き過ぎないこと
   3.思っていることを口に出すこと
   4.友達を大事にすること
   5.幸せでいること 

とある。ところで僕はどうなのか?。夢をあきらめないこと・・・・。うんんん、夢は、とっくに捨て去ったか。かなわない夢ならある。宇宙という生命体に抱かれて、永遠に生きることだ。宇宙という生命体が美女ならば「いいこね、いいこね」と頭をなでてもらいたい。 

働き過ぎないこと・・・。これは当たっているようだ。労働にはいそしんでいるが、決して働き過ぎてはいない。そこそこの労働で対価を得て、おまんまを食べる。適当に酒を喰らい、ネオン街を闊歩する。働き過ぎては、そういうことも出来まい。

思っていることを口に出すこと・・・・。これも当たっている。あまり、はつきり言い過ぎて、人から怪訝な顔をされることがある。「口は災いの元」というが、「物言わぬは腹ふくるることなり」とも言う。要は、思っていることは言うべきだが、人を傷つけないように言葉を選ぶべきということか?。言葉を選ぶという点では随分、失敗もしてきた。

友達を大事にすること・・・。友達と言うべきかどうか分からない人もいるが、結構、人付き合いは良いほうだ。真の友はやはり学生時代に培った人間関係の中に多い。同じ釜の飯を食うと言うことが、絆を深めるのだろう。進む道は違っても、助けたり、助けられたりだ。利害がなく気が置ける。

幸せでいること・・・・。うんんん、僕自身は幸せだと思っているが、周りの人達のことは分からない。幸せの価値観も違うだろうし、人それぞれの気持ちだからだ。

さてさて、僕が臨終間際に発する言葉は何だろうか?。後悔の言葉を発するんだろうか?。今は想像だに出来ない。「無言のまま」なのか?。「オーマイゴッド」なのか?・「逝きたくない・・・」なのか?。「ありがとう」なのか?。その時にならないと分からないぜ。少なくとも、後悔の言葉だけは発したくないなあーーー。

いつぞや、小料理屋「梓」で、友人達と歓談しているとき、「辞世の句」が話題になった。その時、僕が冗談で言った言葉は、ちょっと卑猥な言葉になるが、「もっとしたかった」である。梓のママが「ぽーっつ」と顔を、赤らめ、「まあーつ、なんてことを」と言い、皆が爆笑だ。意味が理解できる人は、何を言わんとしているかは分かるだろう。

この辺で止めておこう。











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