umityanの日記
DiaryINDEX|past|will
2010年03月29日(月) |
僕たちの旅(エピローグ) |
僕たちの旅も終わりを迎えた。どんよりと曇った空を眺めた。空はどこまでも続いている。その空の下で色んな人たちが働いている。旅とはそんな人たちの姿を垣間見れることも一つの目的である。華やかさの中に陰もあり。楽しみの中に悲しみもあり。それを僕たちは共有するわけだ。かくして故郷を思う。いみじくも、ネズミ男君がよく口に出す言葉がある。山頭火の歌らしい。
雨降る故郷、はだしで歩く。
これだ、これで決まりだ。我々はいつも心のどこかに故郷を思っている。故郷があるから旅が出来るわけだ。故郷万歳ーーーーー。
おばん諸氏はどこへ行ったか分からない。別れの挨拶もしないまま、散っていった。恐らく二度と会うこともないだろう。だが、しかし、バット、したたかなるかなジャイアン。例の五つ星に泊まった2人ずれの美女に、僕のメールアドレスを手渡す。数日後、写真入りでメールが届いたことは言うまでもない。僕もすかさず返信。縁とは異なもの、奇なもの。
僕たちは飛行場を後にした。皆の顔はすでに、現実に戻っていた。明日から再び労働にいそしまねばならない。新たなる旅に向けて「こつこつ」貯金が始まる。
独断と偏見で長々と書きつづったが、誤字、脱字が顕著だ。時と共に記憶も定かでなくなる。間違いだらけの旅日記だ。あえて、この備忘録を仲間達、おばん諸氏、そして、美しき2人の女性に捧げよう。おっと、忘れていた。なんと言っても、「アオザイ」だ。ごこの誰かは知らねど、最後に、その人の姿を違う紙面に載せておこう。
「アオザイは、かくも我が心を、みだすかな」 (完)
僕たちの旅もいよいよ終焉を迎えようとしている。ただ、現地を飛び立つには数時間待たねばならない。これがつらいんだよなあーーー。僕たちは椅子に腰掛け、周りを観察していた。あれよあれよという間に、他の客達が搭乗口のなかへ消えていく。0時を過ぎた頃には売店のシャッターが降りた。がらんとした待合室はまさに空虚。僕たちの目も空ろになってきた。おばん諸氏はどこへ行ったったやら姿が見えじ。やつれた顔を殿方の前にさらすのは失礼と思ったのだろうか?。さすがに女性だ。
僕たちは搭乗入り口付近の椅子に移動した。何の動きもない。いつになったら、係員があらわれるのか?。僕たちはそれぞれ、椅子に寝そべった。まさか、こんな場所ではしゃぐ訳にもいくまい。ドラえもん君は、腕組みをしながら一点を見つめている。何を思っているのだろうか?。日本へ戻り、再び始まる娑婆世界での格闘に思いをはせているのだろう。このジャイアンも同じ気持ちだ。
かたや、夜泣き爺さんは、さすが長老。これしきの苦痛は何度も経験済み。疲れも見せず、椅子と一体となっている。ネズミ男君は、やつれた顔に、さらに目を細めながら、今回の旅のスケジュールに不満を述べた。「行きも待たされ、帰りも待たされる。待たされの連続じゃ、たまらんばい」と。しかりだ。
貴公子、のび太君は、さすがに兵。「郷に入っては郷にに従え」と言うことだろう?。淡々とカメラや荷物の手入れをしている。どれくらい時間がたったのだろう。「カタン」という音がして、ゲートの鎖が外された。「いよいよかあーーー」。僕たちは搭乗口へ急いだ。な、な、なんと、搭乗口に立っていたのは、荷物検査をした、あの美女。「あっと驚く為五郎」とはこのことだ。ジャイアンは思わず床にチケットを落としてしまった。クールなまなざしで、女性がそのチケットを拾ってくれた。僕、ジャイアンは照れながら、頭を「ぺこん」と下げた。
苦い経験をしたドラえもん君は、「知らぬ存ぜず」で、そっぽを向きながらゲートを通過。やれやれだぜ。機内へ乗り込んだ。午前2時。日本は4時頃か。3時間のフライトで午前7時頃到着する。僕、ジャイアンはひたすら、スリープモードに終始した。朝食らしきものが運ばれてきたが、僕はキャンセル。ただ、じっと目を閉じて、到着を待った。薄明かりの中にエアポートが見えた。 帰ってきたのだ。僕たち数名が日本にいなくても、日本丸はちゃんと活動している。我々のちっぽけさを感じた。
さああ、最後のコース。税関の門をくぐらねばならない。あらかじめしたためておいたカードを差し出す。他の4人は難なく通過。僕の番だ。女性係員がバッグの中を見たいという。えええつ?。何故?why?、と思ったが仕方がない。オープン・ザ・バッグで、開くと、係員が、白魚のような手で、土産品等をあさりだした。問題なし。やれやれだ。皆がニヤニヤしながらロビーで待っていた。
日本だ!!。どこまでも続く青い空。この空は、昨日いたところの空とつながっているんだ。何という不思議。変な感覚に取られながら、のび太君の高級車を目指して、我々急いだ。皆の心は既に家にありか?。
フランス料理を食べながらの雑談もなかなか味がある。「初めての経験」ってやつだ。僕たちは慣れない手つきでフォークやナイフを操りながら出された料理をついばんだ。小さな四角いパンにバターを塗り、口に運んだ。うんんん、なかなか旨い。今宵が現地での最後の食事かと思えば感慨もひとしおだ。食事の光景をデジカメに収めておこうと、ジャイアンはカメラに手を伸ばした。その時だ。こともあろうに、ビールのグラスに触れ、貴重な液体をこぼしてしまった。「しまった」と思ったが後の祭り。ジーパンがびしょびしょだ。「まああ、これも愛嬌だぜ」とジャイアンは苦笑い。ここで一句だ。
旅に酔い、ビールまでもが、寂しそう。
和やかな内に食事が終わった。最後の行程は飛行場へ連行されることのみである。我々は重い足取りでバスに乗り込んだ。数名の者がもう一泊することになっている。彼らをホテルまで送り届けた。「別れる事はつらいのねえーーー」という歌があったが、まさに今そのときだ。バスに残った者は皆、窓越しに手を振った。奇妙な連帯感を生み出す一瞬。「こういう事は、頻繁には遭遇したくないあーー」と思う。なんとなれば、涙がいくらあっても足りないからだ。とはいえ、涙の在庫量はそれほど、多くはないが−。
僕たちは無言のまま、バスに揺られて帰途への道をまっしぐらだ。時折、ネオンの光が窓を照らす。さすがにバイクの通行量も少なくなった。時計を見た。夜の9時。と言うことは日本時間で11時。どこかのスナックで、下手な歌をおらんでいる時間帯。もう既に心は日本か?
飛行場に着いた。荷物を引きずりながら、案内人の後ろに従った。1階のロビーでは荷物検査をやっているようだ。リーダー、ドラえもん君は、「ここは俺の出番」とばかり、仕切られているロープの合間をくぐって、検査カウンターの様子を調べに行った。あわてずとも、案内人の指示に従っていれば良いと思ったが、意外や意外、ロビーは混雑していた。そういうこともあり、ドラえもん君は、「竹コプター」に乗った気分で、行動を取ったのだろう。
程なくして、ドラえもん君が戻ってきた。「○○番の番号の所に並べばいいよ」と言い、我々を引率し、彼が先頭に並んだ。荷物検査の係員は若い現地の女性。かなりの美人だ。言葉が通じなく、ジェスチャーで、「ここへ 荷物を置きなさい」と指を差し出す。重さを量っているのだろうか?。体重計の親分のような台があり、そこへ荷物を載せるわけだ。
ドラえもん君はすべてを理解していたらしく、係員が指示する前に、荷物を台に乗せた。それがいけなかったのだろう、係員の心証を害したようだ。見事、はねのけられた。「駄目」と首を横に振った。彼は、しぶしぶ最後尾へ・・・。
僕たちは早く済ませたい一心でおとなしく並んでいた。僕、ジャイアンの番がやってきた。例によって、「にこっつ」と笑ってみたが反応なし。ただ、クールな目がオッケーのサインを出していた。やれやれだぜ。滞りなく、4人の検査が済んだ。僕たちは入場口付近で。まだやってこないドラえもん君を待った。「待てど暮らせど、こぬ人よ」と、僕、ジャイアンが様子を見に行くと、やっと、最後の1人、ドラえもん君が検査に及んでいる所だった。何故に、かかる事態が生じたのか分からない。言葉が通じないことが、一つの要因だろう、と、同時に、これはひいき目の考えだが、ドラえもん君の凛凛しい姿に係員が、ぞっこん惚れてしまった。「あなた!、離さないわよ」と言うことか?。うんんん、これはあり得ないなあーーー?。
とりあえず、2階へ上がり、待合室で搭乗時間まで待機することになった。ここで、案内人とお別れだ。数日を共にした案内人へ、懇ろな感謝の弁を述べて、幾ばくかの「ドン」の残金をお礼として手渡した。おばん諸氏には別の案内人がいたようだ。
2階へ上がると、椅子を取り囲むように、売店が軒を並べている。僕たちはやっと空いていた椅子に陣取った。と、そこへ数人のおばん諸氏がやってきて、荷物を預け、買い物に出かけた。うんん、女は強しだ。飽くなき執念。僕たちはなすすべもなく、椅子に腰掛けて、出発時間を待った。時計は現地時間午後11時。出発時間は午前2時。まだ3時間もある。「待つのはもうこりごりだぜ」と思えど仕方がない。999のメーテルを待つのなら、無制限一本勝負で待つのだが・・・・・。
ホアンキエム湖で若い人たちの、「いちゃつき」に、さんざん当てられながら、我々は先へ進んだ。とある場所に橋がかかっていて、外国人観光客の往来で、ごったがえしていた。その橋の向こうには、社みたいな建物がたたずんでいる。ここは一体、何が有名なのか?分からなかったが、中に到着して、その理由が理解できた。要するに、ここは風光明媚な市民の憩いの場。誰でも自由に出入りできるらしい。土俵のような高台に「やぐら」が組んであり、そこでは、現地の人たちが将棋を指して楽しんでいた。目を遠くへやると、美しい湖が広がっている。なるほど、ここはバイクの騒音も聞こえないし、まさに、別天地だ。
僕たちは社の中へ足を運んだ。薄暗い部屋の奥には大仏ならぬ大きな仏像が安置されていた。手を合わせて通り過ぎると、その横には土産品店が。なんと、既に、のび太君が何かを物色している。さすがは貴公子。目が早いぜ。何かは知らねど、小さな物体を購入したよし。店内を見ているうち、例の折りたたみ式木製手鏡を見つけた。ところで、値段は?。安い。やったぜ。のび太君が、怪しげな夜店で買った同じ手鏡より、安価だった。僕の食指が動かないわけがない。5個購入。勝ったぜ・・・・・・。のび太君と競っても何の意味もないが僕、ジャイアンはにんまり。のび太君は苦笑い。
待合場所まで戻り、いよいよ最後の見学地へと足を運ぶ。現地で高い評価を受けているという「水上人形劇」を観劇することになる。場所が繁華街にあるため、通路は外国人客であふれていた。迷子にならぬよう案内人の指示に従った。各自に切符が渡され、座る場所が指定されていた。
ホールの中は一階の前部に小さなプールがあり、二階席の左手には、伴奏を行う音楽隊が5〜6名、陣取っていた。観客席は段階式に椅子が並べられていた。恐らく数百名は入るだろう。僕たちにあてがわれた席は真ん中より後部の座席。いよいよ音楽の伴奏と共に、水上劇が始まった。
「劇」と言うからには、あらすじがあるのだろう。メニュー表にはそれらしきタイトルが項目別に書いてある。伴奏が鳴り出すと、左右の隙間から、滑稽な表情をした人形達が現れ、水中に潜ったり、とんぼ返りをしたり、なにやら演じている。その様がおもしろいのだ。最初は、この人形達の動作を操る仕組みが分からなくて興味津々だった。ただ、前列に座っている外国人観光客が、カメラをプールに向けて「ぱちぱち」とやり出した。これが観劇の妨げになるんだよなあーーー。僕たちは体を前後左右に振りながらの観劇だ。なんでも、特別料金を払った人は、観劇の撮影が許可されるとのこと。これはあんまりだぜ。
人形達の動作表現が何十種類あるのか知らないが、遠くからの観劇だったことと、今ひとつ、ストーリーが理解できなくて、だんだん退屈になってきた。 僕、ジャイアンは後半になると、半ば居眠り状態で、音楽の優しい調べだけが耳に響いた。中国風の情緒豊かな音楽を聞きに来たかと思う始末だ。ほぼ一時間程度の観劇だっただろうか?。劇が終わった。と、今まで気づかなかったが、プールを仕切っていた奥のカーテンが開き、5〜6人の人形使い達が姿を現した。「なああんだ。そうだったのか?」と改めて、このからくりに気がついた。要するに、カーテンの後ろで、長い棒にくっつけた人形を操っていたわけだ。棒が見えないから、あたかも人形が一人で芝居をしているように見えたわけだ。
仕掛けの単純さに驚いたが、それを操る人たちの苦労は並大抵のことではないそうだ。寒い冬でも、冷たい水に腰までつかり、必死に人形を動かす。思わず、森昌子さんの歌、「越冬ツバメ」を思い出した。「・・・・・にうたれりゃ寒かろにーー、ヒュルリー、ヒュルリーララー」。あんまり関係ないか?。僕たちはコンサート帰りのような気分でホールを後にした。
あああーーーっ、僕たちの旅もこれで終わる。旅行社の最後のはからいが「フランス料理」での会食だ。これを食べたら、現地に残る数名を除いて、飛行場へと連行される手はずになっている。寂しくもあり、寂しくもなし。いや、やはり寂しい。ともあれ、まずはフランス料理に舌鼓を打つだけだ。
こぎれいな料理店の二階に案内された。久しぶりに見る真っ白なテーブルクロス。ナイフとフォークとスプーンとよだれかけ?が置いてある。僕たち5人とツアー客の男性一人が同席し、今や遅しと料理の出現を待った。と、その前に我々は特別注文を・・。もち、ドラえもん君がワインとビールを注文。おきまりのコースだ。メイドさんが一人一人にワインを注ぎ始めたが、「これじゃーーあばかんでー」と、メイドさんからボトルを受け取り、ドラえもん君が注ぎ始めた。「待ってました」と、僕たちはグラスを差し出し、乾杯・・・・。
ワインの香りが、旅の思い出を走馬燈のようによみがえらせた。
僕たちは何度か危険な横断を繰り返しながら、観光スポットを見て歩く。沼の中に一本の大きな柱が立ち、その上に寺が建立されている。いわゆる「一柱寺」というやつだ。沼の周りを一周し、外観を観察した。なるほど、うまく出来ている。コンクリートの階段を上り、本堂の正面に至る。なかには仏像が安置され、我々を伺っている。「こりゃあーー賽銭ををあげなくちゃなるまいて」と、皆、幾ばくかの小銭を放り込んだようだ。いかなる利益があるやはしらねど、皆、神仏におねだりするのが好きなようだ。
バスで先に到着していた日本人客と再会した。「にこっ」と笑顔で挨拶したが、この笑顔の意味するところはなんだろう?と、妙におかしく思えた。「同国のよしみ」ってやつか?。僕たちはただひたすら案内人の後について迷子にならぬよう気を配った。
次のスポットへ向かった。「文廟」や「大教会」を訪れた。ここで一事件が。夫婦で来ていたツアー仲間の一人の男性が、カメラをひったくられた。油断があったのかどうかは知らないが、残念なことだ。これを聞いて、のび太君も、ネズミ男君も、ぐっと、かぶとの緒を締めたようだ。さもありなん。彼らのは10万円をくだらない高級カメラだからなーー。その点、僕、ジャイアンのは安物のデジカメ。なかば、ほころび掛けている。まああ、使えりゃあ、それでいい。案内人から、再度、注意を促され、僕達はそこを後にした。もちろん、大教会の前で、記念写真を撮ったことは言うまでもない。「チーズ」した横顔が妙にひきつっていた。
そうそう、アオザイの専門店にも行ったっけ。ここはさすがに高級アオザイの製造販売所。目もくらむような上質のアオザイが掲げられていた。なるほど、アオザイもピンからキリまでか。1000円のアオザイとは大違いだぜ。ネズミ男君に姪への土産として勧めたが、腕組みした彼の手は伸びなかった。僕は小用を済ませ、店の外に出た。通りの様子を観察したかったからだ。自転車に農産物や小物の商品をのせた農婦さんが僕の姿を見て、立ち止まり、「商品を買って欲しい」ような視線を投げた。そのときだ。アオザイの専門店の中から、売り子さんが出てきて、「あっちへいきなさい」と、指で追いやった。こういう光景を見ると、なんとなく悲しくなる。
そうこうしていると、やせた少女が近づいてきた。手提げバックの中には、キーホルダーがわんさと入っている。それを買ってくれと言いたいのだろう。言葉が通じない。少女はキーホルダーの一つを取りだして、僕の腰のベルトに当てた、「ここにつけるんだよ」と、しぐさで示した。少女の真剣で、透き通ったまなざしは、僕の心を打たないわけはない。僕は一個だけ購入した。いくらだったかは覚えていない。少女はうれしそうに駆けて去った。ちょっと、いいことをしたような気分になった。いけない、いけない。気の緩みは厳禁だ。
店を出て、歩道を歩いていると、今度はまたまた奇妙な光景に出会った。何かと言えば、おばあさんらしき人が赤ん坊を脇腹にかかえて、車道の端っこを走りながら、我々を追いかけてくる。これを見た、のび太くんが曰く。「誰か赤ん坊を置き去りにしたので、置いた人を探しているよ」と。さすが、貴公子、のび太君の発想だ。僕、ジャイアンは笑いながら答えた。「何、言ってんの。赤ん坊を置き忘れるわけはないじゃん。赤ん坊がお腹を空かしているから、お金を恵んでくれと訴えているのさ」と。貧困は人をいろんな行動に駆り立てる。社会のひずみというものか?。考えさせられる局面だった。
次に向かったのはホアンキエム湖という湖を左手に見ながら遊歩道を歩いた。至る所にベンチが設けられていて、右も左もアベックのオンパレード。観光客を気にもせず、キスを「チューチュー」やっている。結婚式を終えた後なのか?、純白のドレスを着た花嫁と花婿ガ湖の畔で、たたずんでいた。これだと言わんばかりに、のび太君はカメラのシャッターを切った。なるほど、ここは恋人の憩う場所。男と女に関しては世界共通だ。僕たちはもの欲しそうに一瞥を投げ、その場を通り越したことは言うまでもない。若いってすばらしい。「あの頃に戻りたーーい、戻れない。戻りたーい、戻れない・・・」
、
、
僕たちの旅も、いよいよ最終日を迎えた。今日は市内へ戻り、一日中、ショッピングや、名所、催し物を見学することになっている。ジャイアンは寝不足がたたり、不機嫌な一日が始まった。ロビーで迎えのバスを待つ。ここでも、先客のバスが早く到着し、ツアーの日本人観光客が乗り込んだ。恐らく行くところは一緒だろう。いわゆる定番のコースってやつだ。
我々のバスが到着した。二人のVIPお嬢さん達を迎え入れ、市内へ向けて出発だ。今回も、おばん諸氏に後部座席を占領された。恐るべき「おばん」。市内までの所要時間は約3.5時間。そう言えば、今回の旅はバスでの移動時間が極端に長いように感じられた。おばん諸氏はいざ知らず、我々5人は皆そう思っているに違いない。窓の外を見やることも少なくなった。ほとんどが黙りこくって、船を漕いでいる。
僕、ジャイアンも、目を閉じては開き、閉じては開きの繰り返しだ。相変わらず田園風景が続いている。円錐形の帽子をかぶった忍者もどき農婦が、せっせと田の手入れをしている。この光景は心に不思議な安堵感を与えた。我々、日本人も農耕民族だから、そう感じるのだろう?。糧を得るための労働。機械を使わず、手作業。何故か、農婦の人たちが美しく思えた。
おっと、感傷に浸っている場合ではない。バスが市内へ入った。バイクが怒濤のごとく押し寄せてくる。僕たちは既に目が「ばっちり」と覚め、ぶつかるんじゃないかと一喜一憂だ。されど、「するり」とかわしていく。見事だ。これも、観光客をターゲットにした目玉の一つなのかもしれない。
丁度、昼頃とあいなり、最後の現地料理をついばむことになった。とあるレストランの二階へ案内された。20人ばかり座れそうな長いテーブルがある。僕たちは奥に陣取り、今や遅しと料理の出番を待った。おっと、その前に例によって、ビールとワインをオーダー。もち、これは別会計。それにしても、我々はよく飲む事よ。おばん諸氏が好奇の目で我々を眺めていた。さもありなん。五人のメンバーは変人、奇人のはげちゃびんばかりだ。変に思わない方がおかしい。
それはさておき、滞りなく胃袋を満たした。違和感のない、おいしい食事だった。腹ごしらえが済み、次に向かったところは、ホーチミン廊。真っ赤な国旗が空高く掲げられ、風になびいていた。ここでは閲兵の交代式が見られると言う。我々はグッドタイミングでその式を見学することが出来た。遠方より3名の交代要員が横に並び、足を高く舞い上がらせ歩いてくる。どこかの国で同じような光景を見たことがあるが、足を舞い上がらせ歩くのは何故なんだろう?と、不思議に思った。思うに、軍隊が統率されていることを形で表したもの、いわゆる統率の象徴であり、また観光客に披露するという一面も持っているのだろう。
のび太君と、ネズミ男君がカメラのシャッターを押したことは言うまでもない。ジャイアンも例外にもれずだ。もう、二度とみられないという思いが?、そうさせたのか、あるいは、単なる好奇心というやつかもしれない。一糸乱れぬ動作で交代式が終わった。ネズミ男君は、すかさず、歩くまねをやり出した。短い足は、上まで上がらない。他の観光客に「馬鹿なことをやっている」と嘲笑の的となった。昨夜は睡眠を十分取ったから、やんちゃになるのもうなずけはするが。僕たちは案内人に引率され、バスの待機場所まで戻ることになる。
さああて、来るときもそうだったが、結構、幅広い道路を横断しなければならない。信号などない。バイクやら車が左右、我が物顔で怒濤のごとく走っている。いかに横断するか?。それが問題だ。案内人が「私がタイミングを取りますから、その後についてきて」と言う。さすが、現地の人。こういう修羅場は幾たびと経験済みだ。「はああい、今」というかけ声と共に、我々は渡りだした。「みんなで渡れば怖くない」とはこのことだ。おばん諸氏は、ドラえもん君や、ジャイアンの横にくっくように渡りだした。いつもは距離を置いて歩いているのに、こういう時に限っては現金なものだ。「弱き者、汝は女なり」という言葉があるが、この場合がそうなのか?。
無事に渡り終え次の名所へ行くことになる。
夜泣き爺さんとジャイアンは、トドみたいに図体の大きいドラえもん君をベッドまで運んだ。いやはや一苦労だぜ。ようやく、僕たちのベッドインタイムとなった。二日目の夜だ。例によって、僕、ジャイアンが左端。中央がのび太君だ。ネズミ男君は右端。僕はなかなか眠りに落ちない。少々興奮していたようだ。
しばらくすると、右端から「ガオー、ゴロゴロ、ガオー、ゴロゴロ」と、雷鳴が聞こえだした。早々にネズミ男君が眠りに落ちたようだ。うるさいの、なんのって。一本やられたぜ。どうも、今日のネズミ男君の態度が変だった。疲れていたのは皆、同様。その割に五人で、円卓雑談をしていたときのはしゃぎようには、並々ならぬものがあった。酒のピッチも早かった。恐らく、早く寝に落ちるための作戦だったに違いない。昨夜の仕返しが現実のものになろうとは夢にも思わじ。まいったぜ。
一方、のび太君は、寝ているのか、死んでいるのか?分からないほど、寝息を立てない。さすが、貴公子だ。彼の辞書には「いびき」という言葉がないのだろう。反面、ネズミ男君やジャイアンはがさつ者。いびきであれ、おならであれ、なんでもござれだ。
聞くところによると、ネズミ男君は、その昔、加藤清正とどこかの連合軍に敗れ、流浪の民となった○○一族の末裔、又、ジャイアンは、とある場所で、あぶく酒を製造し、方々にさばいていたという商人の末裔。がさつになるのもうなずけるというもの。生きるために必死だからなああーー。
いびき騒音は、過去、幾たびとなく経験してきた。その対処法の定番は、「羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹・・・・・・・」と永遠に数えることだ。ただ。これは万能ではない。限界がある。限界とは、いびきがあまりに大きく、変化に富んでいると、ついそちらに気を取られ、数を忘れてしまうことだ。何度繰り返しても同じ事。如何せん。
更なる対処法と言えば、未知の事を考えることだ。たとえば宇宙。我々、人類は一体、どこからやってきたのか?。どこへ帰っていくのか?。地球外生命体は存在するのか?。太陽の光、熱はなぜ、地球まで届くのか?。太陽がなければ、地球はどうなっていたのか?。だんだん眠くなる。だが、まだ完全ではない。
更に考える。色んな学者が色んな研究をしているが、本当は青い鳥と同じで、一番大事なことが、目の前にあることを見落としてはいないか?。僕はそれを発見するんだ。ノーベル賞、間違いなしだ。その、身近にある一番大事な事って何だ?。分からない。あああああつ、眠くなった。
おやっ、夜が明けたぜ。いびきは気にならなくなったが、考えすぎて、かえって眠れなくなった。ほとんど、眠っていない。今日の僕は不機嫌だぜ。洗面所へたって、顔を洗っていると、ネズミ男君が「おはよう」と、すがすがしい顔で入ってきた。不愉快きわまりなしだ。僕、ジャイアンは「あ、そう」と、つれなく返事をした。「だいたい、君は分かっているんね。僕が一睡も出来なかったことを」と、言ってやりたかったが、初日の夜のお返しだと思えば、少しは気も収まる。
確かにいびきは公害だ。それを知らぬは本人ばかり。「いびきより、鼻風船が、ちとましか」。いやいや、いびきと鼻風船は兄弟みたいなもの。相乗効果を生み、爆発に至ったら大変だ。幸い、今回はそこまでは至らなかった。やれやれだ。
うっすらと、今朝がやってきた。三日目の今日は、不機嫌な一日となりそうだ。
僕たちの旅も二日目の夜を迎えた。今宵はナイトマーケットへ赴き、その後、レストランで、現地の料理を味わうことになっている。僕たちはホテルの部屋で一服し、その後、ロビーで迎えのバスを待った。時至れり。バスに乗り込む。ななななんと、先に乗り込んだ、おばん諸氏が、うんも言わさず、後部座席に陣取った。僕たちの専用席と思っていたのに、おばん諸氏の身の早さに脱帽だ。そのくらいなくちゃあ、娑婆世界での生存競争に勝てるはずもない。バーゲンセールでの商品争奪戦の光景を思い出した。
我々五人は、今まで空いていた中間の座席へ追いやられた。まああ、それはそれでいいのだが、「ピーチク・パーチク」と、良くしゃべること。あげくには、「じゃんけんぽん」までやり出した。何を競っているのかは知らないが・・・・?。一句、浮かんだ。「旅の夜は、気もそぞろかな、おばん達」。
30分ほどで、マーケット会場へ着いた。薄暗い広場の中に、縦横無尽に店舗が設けられていた。色んな小物類が、所狭しとあふれている。散策する前に、案内人から説明があった。ナイトマーケットでは、結構、スリが多いとのこと。また、商品も一流品ばかりではないので、気をつけてくださいとのこと。こういう配慮は旅行者にはありがたい助言である。
我々は三々五々と散っていった。ネズミ男君がジャイアンと行動を共にした。ネズミ男君には一つのもくろみがあった。何かと言えば、姪に、アオザイを買っていきたいらしい。僕たちは店舗を見て回った。あるはある。いたる店で、色とりどりのアオザイがハンガーにぶら下げてある。値段を問えば、一式、日本円で1000円という。「これまた安い」と、生地に触れもせず、黄色と青の二着を購入。サイズは適当にMを指示したようだ。包装も至って簡単。よくたたみもせずに、袋にポン。その場で、ネズミ男君とジャイアンは、「うっしっしー」と、顔を見合わせて意味不明の笑いを浮かべた。これが、とんだ苦笑いになろうとは、その時、知る由もなし。まああ、男の分野外の買い物はこういうものだ。
その点、貴公子、のび太君の買い物は、筋金入りである。誰に渡すのか知らねど、恐らくクライアントの、おばさん達への手土産だろう。楕円形の折りたたみ式木製手鏡。荷物にもならず、女性にはもってこいのお土産である。10個購入したよし。値段も驚くほど安い。僕たちは、側で、「あはははーーー」と笑ったが、僕、ジャイアンも翌日、別の店で5個購入。考えてみると、僕の方がもっと、値段が安かったような?。人まねしていながら、値段が安かったもないなあーーー。この辺が、ジャイアンの日和見主義的な悪癖かもしれない。反省、反省だ。
一通り、店を眺めて、僕もネズミ男君も、アオザイ以外には買い物はしなかった。「さあーて、バスの待機場所まで戻るか?」と、行ってみると、すでに、おばん諸氏達は集合していた。案内人の注意言葉が耳にあったのだろう。「危うきに近寄らず」。賢明な判断である。と、同時に、胃袋が時を急がせていたのかもしれない。
僕たちは、歩いてすぐ近くのレストランへ案内された。最初の夜に行ったレストランと雰囲気が良く似ていた。違うところと言えば、回転式の丸テーブルで、現地料理のセミフルコースってやつらしい?。通じない言葉を使う必要もない。僕たち5人と、例の五つ星に泊まっている二人の若い女性が同席となった。今までは親しく会話をしていなかったが、同席がとりもつ縁だ。色々と聞いてみると、二人は同じ職場の、先輩、後輩とのこと。有給休暇を利用しての旅らしい。二人とも、30歳前後のかわいい女性だった。おばん諸氏は別のテーブルで、妙にしんみりと座っている。バスの中での大騒ぎとは大違いだ。この身の変わり様は見事だ。
僕たちは例によって、ビールとワインがなくちゃーーー、食事が進まない。早々に、ドラえもん君がビールとワインをオーダーした。乾杯の後、大皿に盛られて運ばれた現地の料理をついばんだ。違和感なくおいしかった。アルコールが入ると、即、写真撮影。当然、二人の女性もカメラに収まった。一人の女性は固く口を結んで、二本指でピースのサイン。目は笑っていた。もう一人の女性は、「にっこり」と白い歯を見せて笑って映っている。その後、何枚か彼女等の写真を撮る機会があったが、映るときの表情はいつも同じ。二本指と白い歯である。これが彼女たちの写真写りのステータスなんだろう。
ワインとビールで僕たちは、ほろ酔い気分。食事も、そこそこお腹に収まった。いよいよ、ホテルへ戻り、魔の夜を迎えることになるのか?。今宵の悪魔は一体だれぞ?そんな事を思いながら部屋へ戻った。寝るにはまだ早すぎる。夜の町を探索するには、町自体が薄暗い。多分、電力事情がそれほど良くないのだろう。ネオンもほとんどない。「これじゃあーーーあばかんでー」と言うことで、我々三人の部屋へ、ドラえもん君と夜泣き爺さんを招き入れ、五人で、まだ残っていた焼酎を喰らい、よもや話で過ごすことになった。
焼酎を原液で、ごくごくだ。、何を血迷ったか、ネズミ男君が「おいらは、今日買ったアオザイを着て寝ようかしら?」なんて言う。袋から取り出して、体に当ててみると、いかにも安っぽく、刺繍もとってつけたような、品のないものだ。「これじゃああ、姪が泣くぜ」と、僕、ジャイアンが言う。また、のび太君が、「あんた、それを着て寝たら、明日はパンツが張り裂けているぜ」と言う。これには大笑いだ。おまけに、はげちゃびんの、ネズミ男君が着れば、気持ち悪いこと限りなしだ。
そこまでは良かったが、リーダー、ドラえもん君が、こっくり、こっくりやり出した。でかい体を揺すれば、よたれかかってくる。どうも始末に負えない。 しばらくほったらかしにして、4人で今日までにあったことを、面白おかしく話しだし、笑いのるつぼに落ちた。「パンパカパン・マッサージ」、「トイレの噴水事件」、「超高価な車エビを食ったこと」、はたまた、日本での出来事など、あげれば枚挙にいとまがない。時はどんどん過ぎていく。ドラえもん君は、どうやら本格的寝入りに入ったようだ。押せど、たたけど動かない。でかい、はげた頭だけが電灯で輝いている。まぶしいぜ。
ジャイアンと夜泣き爺さんは、ドラえもん君の両脇を抱えて、隣の部屋のベッドまで運んだ。いやあああ、力を抜いた体がこんなにも重いとは・・・・。こちとらまで、腰が痛くなった。今宵は夜泣き爺さんも一晩中、鼻の合唱に悩まされることだろう。そうこうしながら、僕たちも昨夜よりは快適さが向上したかに見えるベッドへ滑り込んだ。
一気に書き続けよう。一ヶ月以上、時が経過すると僕の記憶も定かでなくなる。僕たちを乗せた船が島の入り江に停泊した。すでに、別の海賊船、いや、観光船が停泊しており、外国人が多数乗り降りしていた。船を下り、海と山の境に舗装を施した道を案内人の先導のもと、てくてくと歩く。しばらく歩くと、上り坂となった。ここには舗装はなく、足を乗せてもいいような石が点在しているだけだ。山登りを趣味としているネズミ男君は、すいすいと上っていく。案内人さんから、「一人で行動しないように」と注意され、不満そうに帽子をかぶり直した。
しばらく上ると、洞窟の入り口に到着した。さあ、いよいよ探険の始まりだ。鍾乳洞は多々あれど、海に浮かぶ島の鍾乳洞は初めての経験。おそるおそる案内人の後に従った。洞窟の壁は、あたかも母親の乳房が垂れ下がったような乳白色を呈し、またある部分は赤茶けたまだら文様が一面に広がっている。このアンバランスな色彩は、まさに自然のなせる技、驚異と言っていいだろう。
僕たちは薄暗い洞窟を順路に従って進んだ。いろんな角度から見ると、人面や観音様が座っているように見える場所もあり、なるほど、仏教国を意識してのプロパガンダ的要素もあるかのように感じた。たとえそうであれ、今、我々は海に浮かぶ小島の中にいる。島がこのまま空を飛べば、宇宙船の中にいるのと同じだ。「さらば地球よ・・・」、そんな変なことを感じながら数十分の鍾乳洞探検は終わった。
洞窟を出ると、今度は下り坂だ。滑らないように注意しながら下っていった。中間を過ぎた頃、土産品店があった。なるほど、さすがに観光地だ。いろんな小物類が売られていたが、既に船の中で購入済み。横目で流しながら更に下った。下り終えると、コンクリートの道と眼前に海が広がっていた。岸壁には新たに到着したらしい数隻の船が見えた。外国人客とすれ違った。不思議と顔を見合わせることがない。「知らない人には注意せよ」ということか?。というより、得体の知れない、がに股の田舎風男達に、脅威を感じていたのかもしれない。
下船した場所まで到着した。歩道と船の乗り口に至るまで、段差の大きい箇所があった。そこで、ジャイアンは何を思ったのか、後ろからやってくる、おばん諸氏のために段差の下で待機し、降りる一人一人の為に、手を差し出した。おばん諸氏はいやがる様子もなく、僕の手を握りしめ無事に乗船。この辺が、スタンドプレーに猛るジャイアンの優しさというところか?。この光景を見ていた、ネズミ男君が、「あんた、女性の手を握りたかったんじゃないの」と言う。当たらずといえども遠からじだ。ただ、いかに好色のジャイアントいえども、おばん諸氏に対して、やましい気持ちはさらさらない。
3時間程度の船旅は終わった。再び船に揺られて、帰途に就いた。僕たちは二階の展望台に上がり、写真撮影に臨んだ。ジャイアンの、「お手握り作戦」が功を奏したか、おばん諸氏達と仲良く記念撮影だ。「にっこり笑って、はい、チーズ」。おばん諸氏も、日本での色んなしがらみから解放されたのか、眉間のしわもなく、きれいな顔をしていた。開放感は、かくまで人を変えるのかと痛感。もち、我々も同様だ。
さああ、旅も佳境を過ぎた。今宵の日程は、現地の料理を食べて、ナイトマーケットを散策することになっている。ナイトマーケットか?。「パンパカパン、マッサージ」以外にまだ、夜の町を探索していなかった。皆、アオザイを着た美しい女性との遭遇を頭に描いているようだ。にやにや顔が妙にひっかかった。もちろん、ジャイアンの僕もその例外ではないが・・・。まずは二日目のホテルへ着くことが先決だ。
例によって、五つ星のお嬢さん二人を高級ホテルの前で下ろし、我々はその近くにあるらしいスタンダード・ホテルへ直行だ。最初に泊まったホテルよりはきれいで、状態も良さそうに見えた。ここなら、水が天井まで飛び出すことはないだろう。確かにその通りだった。こぎれいな部屋に荷物を置き、迎えのバスがくるまで部屋で待機した。今宵はいかなる夜になることやら?。皆の心は躍っていた。
目的地に到着した。のび太君曰く。ここが「ハローワンか?」。すかさず、ドラえもん君が「ハロン湾」じゃあないのと訂正。「まあ、どっちでもいいや」とは、ジャイアンの弁。どちらかと言えば、「ハローワン」が覚えやすい。犬に向かって、「ハロー、ワン」と覚えておけばいい。
くだらない話はやめよう。バスは海辺に面した広場に停車した。海に目をやると、赤茶で彩りされた二階建ての帆船が、ずらりと岸壁に横付けされている。どうやら1階がレストランで二階が展望台って感じだ。圧巻だ。まるで海賊船の基地みたいに思えた。この船で島を回遊するわけか。
現地案内人がメンバー、一人一人に切符を手渡した。僕たちはおそるおそる船に乗り込む。全員揃ったところで、船は静かに岸壁を離れた。この船は僕たちツアー客の貸し切りのようだ。前方行く手には大小の変てこな形をした島々が海面から突きで、緑色の樹木達で覆われていた。海の青とあいまって、見事なコントラストを描いている。美しい。一眼レフの高級カメラを手にした、のび太君と、ネズミ男君は、海上の島々をターゲットにパチリ、パチリとやり出した。ジャイアンも負けじと、デジカメでパチリだ。リーダー、ドラえもん君と夜泣き爺さんは、感動をぐっと、胸におさめているようだったが、目だけは、ぎんぎらぎんと輝いていた。
さて、昼食のタイムだ。僕たちは1階の船上レストランの椅子に腰掛け、「いまや遅し」と、シーフードの出番を待った。ウエイトレスさんが大皿に盛った数種類の料理を運んできた。ドラえもん君が、待ってましたとばかり、ビールを注文。これは別料金だ。僕たち五人は、とりあえず五本ビールを注文した。乾杯が終わると、それぞれが、あっという間に飲みあげた。結構、のども渇いていたのだ。旨かった。早い者勝ちで大皿の料理も底をついてきた。ただ、なにか、もう一つ、ピンとこない。物足りなさを感じていた頃、どこからか漁船がやってきて、この船に横付けした。人ががやがやと騒いでいるので、行ってみると、なんと、今とれたばかりの大きな車エビ、カブトガニ、名前はわからないが、ナマズのような魚が漁船のいけすで泳いでいた。購入すると、この船で、即、料理してくれるとのこと。なるほど、これも、クルージングの醍醐味という訳か?。車エビがいかにも、旨そうにはねている。
ちなみに、車エビ一匹の値段を尋ねると、日本円で1250円。一人、二匹で2500円だ。「すげー高いぜ。日本でなら500円も出せば、もっと大きな車エビが食えるぜ」と、ネズミ男君が言う。僕たちは「うんんん」と、うなった。五人で円陣を組んで、「食うべきか?否か?」について協議。結局、太っ腹のリーダー、ドラえもん君の一言で決定だ。「食おうぜ。ワインと一緒に食らえば最高さ」と。その場での塩焼きエビは最高のご馳走だった。追加注文したワインがエビに花を添えた。
だが、しかし、ばっと、酔いとは恐ろしいものだ。正常な判断が出来ない。酔いが覚め、振り返ったとき、「あのエビはえらい高かったなあーー」と反省することしきり。ただ、おいしかったので、反省も半減したわけだが。
世界遺産の島々をぬって、船はさらに進む。僕たちは酔いどれ気分で歓談していると、どこからか、再び漁船がやってきた。小さな女の子がこの船の欄干へよじ登り、開いていたガラス戸から、果物を盛ったかごを差し出してきた。「おやっ、なんだろう?」と思っていると、どうやら、果物を買って欲しいのだろう。バナナや、ミカンのような物が入っている。笑顔を見せず、真剣なまなざしで、懇願している姿を見たとき、思わず、「買っちゃおうかな」と、手が動きそうになったが、「ぐっ」とそれを押さえた。こういうビジネスは、多々見かけるが、値段がわからず、往々にしてトラブルになりやすい。僕は、手を横に振って断ると、彼女はどこかえ去っていった。
腹ごしらえが済むと、今度は、この地で編んでいるらしいテーブルクロスや世界遺産を題材にしたような墨絵や写真みたいな物を売りに来た。おばん諸氏を狙ってのビジネスだろう。さすがに、おばん諸氏の食指が動いた。テーブルクロスを広げて品評会だ。数人が購入したよし。な、な、なんと、おばん諸氏とすっかり仲良しになった、おじん諸氏の一人、この僕ジャイアンも、テーブルクロスを購入する羽目に。と、書けば他人行儀だ。みずから土産に、購入したと書いたが正直だろう。
船は世界遺産地域を抜けて、とある島へ向かうという。そこに上陸して、神秘的な鍾乳洞を見学するらしい。「初体験で怖いぜーーー」とは、臆病者、ジャイアンの弁。ーーーー。そんな事にお構いなしに、船は小さな入り江のなかに停泊した。我々は観光用に舗装された道を、案内人に従っててくてくと歩く。
バッチャン村を離れて、車は別のショッピング店へ立ち寄った。恐らくこの店も旅行社とタイアップしている店だろう。ある意味では、そういう店が安全なのかもしれない。ここでは陶器類をはじめ、いろんな小物類が販売されていた。これと言って欲しい物はなかった。ただ、何か土産を買わなくちゃと、店内を見回した。とある一角で、のび太君がなにやら交渉している。側へ行ってみると、「箸」を買っているようだ。竹で編んだような細長い色つきの筒に箸が差し込んである。それでワンセットらしい。のび太君は10セット購入。クライアント達への土産に最高と考えたのだろう。さすが、貴公子、のび太君だ。スマートで、そつがない。
それえを見ていた僕、ジャイアンも、「うん、これだ」と、同調。これなら荷物にもならないし、値段も安そうだ。「えい、やあーーー」と5セット購入。そこで、ジャイアン、すかさず値引き交渉。相手は、この店の看板娘のような、かわいい女性だった。何度振られても懲りないジャイアンは即、切り出した。日本では時々通用する奥の手だ。「i love you and you love me. we love each other. please price down」。通じたのか通じないのか?、彼女は「にこっ」と笑って、手をよこに振った。「oh my god!!」。見事値引き交渉は失敗だ。これを聞いていた、現地案内人が、ジャイアンの肩をたたき、「あなた、交渉うまいね!!」と言う。交渉は決裂したのに、何がうまいもんか。てなわけで、定額で購入したのでありました。ただ、帰り際、デジカメで彼女をパチリ。もう、二度と会えないとしりつつ。まあ、これも旅の記念だ。おばん諸氏は、「おばかさんね」と言わんばかりに笑い転げた。僕は「不愉快だ」と、その場を離れた。ドラえもん君、夜泣き爺さん、ネズミ男君達は冷ややかな目で、店内を見て歩き、何も購入せず。見る目があると言うべきか?ないと言うべきか?。僕には判断出来ない。
買い物騒動が終わって、いよいよ、旅のメインとも言うべき、「ハロン湾」を目指してバスはでこぼこ田舎道を走った。ハロン湾は世界遺産にも登録されている。そこで、クルーズを楽しみながらシーフードを味わうという段取りである。「今や遅し」と僕たちの気はせいた。
炭鉱のある町を過ぎ、田んぼを左右に見ながら、車は中央線のない道をひたすら走る。3.5時間の道のりらしい。相変わらず、モーターバイクが車に向かってきてはすれ違っていく。バイクに乗っている若い女性も多い。「一体、どんな顔をしているのか」と追い越しざま、車窓から振り返って見ると、ヘルメットをかぶり、マスクをしているので、定かには顔が見えない。姿勢正しく、スリムな体型の人が多い。バスの方を見上げたら、手でも振ろうかと思ったが、彼女らにそんな余裕はないだろう。目をそらせば事故になること間違いなしだ。
僕たちは途中で、「アオザイ」の専門店へ立ち寄った。トイレ休憩をかねてである。店内には色とりどりの服地が陳列してあり、それはそれはきれいであった。また、若い縫子の女性達が賢明に刺繍をしていた。店内に募金箱のようなものがあり、僕は幾ばくかの紙幣を中へ入れると、縫い子をしていた女性が「にこっ」と笑みを返してくれた。純粋無垢の笑顔は、僕の、はちゃめちゃな人生の日々に、新鮮な潤いを与えてくれたかのようだった。アオザイは世界の五本の指にはいるほどのすばらしい民族衣装。チャイナドレスも、チマチョゴリも確かに良いが、アオザイはまた格別である。パンタロンみたいなズボンが足を長くみせる。上から羽織るワンピースみたいな物の横が相当上まで割れているのだ。それなりの人が着ると、それはそれは美しいの一言だ。値段もピンからキリまであるようだ。誰が着るのか知らねど、おばん諸氏の一人が、注文したようだ。
車はどんどん走る。道すがら気づいた事だが、道路に沿って、屋台のような出店が、延々と続いていた。観光客が足を止めて、そこで土産を買うのだろう。ただ.日本人観光客よりも、中国、韓国の人たちが立ち寄ることが多いそうだ。車外風景が結構おもしろく、時間はあっという間に過ぎてしまった。現地案内人が、「まもなく到着します」という。そう言えば、田んぼの風景から海辺の風景へと変わってきた。湖か、海か判別しがたい場所へ来た。海上の遠くに島らしき物が見えた。案内人が、ここは世界遺産の場所ではないという。もう少し先らしい。漁船が停泊していた。海上生活を送っている漁民の船と言うことだ。目的地はもう、目と鼻の先。僕たちは「どんなとこだっぺ?」と期待に胸を膨らませた。
|