umityanの日記
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2010年01月27日(水) |
旅日記のプロローグ。 |
僕たち5人の旅立ちが迫ってきた。主催者どらえもん君を筆頭に、のび太君、そして僕こと、ジャイアン、さらにネズミ男君、初老の紳士、夜泣き爺といったメンバーである。当日30日は、僕の居所を集合地として、朝6時に出発する。乗り物はどらえもん君がお腹のポケットから取り出した乗用車で、といきたいところだが、なにせ、この不景気。ポッケにはへそのゴマしか入っていない。
となれば、貴公子たる、のび太君にお願いするしかない。彼は快く僕たちの要請を受諾。かくして、彼の高級車に便乗して国際線の駐車場まで行くことに決定。もちろん、数泊分の駐車料金は便乗した我々で割り勘だ。
僕たちの旅はいつも、失敗だらけの、はちゃめちゃな旅になる。だからこそ面白いし、思い出として残る。いずれ書くことになると思うが、今日は旅日記のプロローグ。序章だ。
それぞれの自己紹介をしておかなくてはなるまい。まずは、どらえもん君・・・・・。今度の旅のリーダー格である。ニックネームのとおり体はでかくて、どらえもんそっくりの丸顔。僕と同業の仲間でもある。いつも冷静沈着で、頼りがいのある男である。お腹の中は宝の山と行きたいが、がれきの山と言った方が正しいか?。食は相当にいける。自らも台所にたつから、たいしたものだ。頭にタオルを巻き、よだれかけをしている姿はまさにどらえもんである。それでも、優秀な頭脳で、てきぱきと我々をリードしてくれるから有り難い。目を大きくして豪快に笑うところがかわいい。貴公子たるのび太君にはなくてはならぬ存在だろう。誕生日まで一緒というから、これまた奇遇だぜ。
次にのび太君・・・・・・僕の仕事仲間であり、弟みたいな存在でもある。やや、気が弱そうに見えるが、実は多才な芸の持ち主だ。僕の知る限りでは、水彩画、書道、写真、ハングライダー、空手、色んな会の役職を兼任、5種ルぐらいの国家資格を取得済み。まだあるやも知れぬ。じつにお人良しで、頼まれたら断れない性格。まさにのび太君だ。先日、とある小料理屋で5人集まり、壮行会をやったが、部屋の壁にB5サイズくらいの水彩画が掲げられていた。なんと、のび太君製作の「たまねぎ」の絵だった。定価一万五千円。微妙な彩りのタマネギが用紙の真ん中にぽつんと1個描かれている。 彼に言わせると、ほんの30分くらいで書いた絵らしい。「一万五千円は高くないかい?」と聞いたところ、額が半分以上はするという。なるほどねーーーー。いまだ買い手は見つからないが、良い絵だと思う。そうそう、まだ「しずかちゃん」候補は見つかっていない。
さてさて、次は僕の番か?。人のことをことさら書き立てて、自分の事を美化して書くことは潔しとしない。僕はジャイアン。結構、意地悪である。のび太君やどらえもん君に迷惑をかけていること多少。独りよがりのわがまま。大言壮語を吐くが、意外と気弱。「笑うセールスマン」タイプで、人の心の中に忍び込むのが得意。口癖は、「なるほどねー」「だから言ったじゃないの」「まだ君の心が読めないなあーー」「それは罪なことか?」「冗談じゃないぜ」「とんでもない」「不愉快だ。帰る」とかいう言葉をよく使う。僕が言うかも知れないと察した人から先にその言葉を言われてしまうこと多々。「情けないぜ」。ジャイアンの事はこれくらいにしておこう。
次はネズミ男君だ。彼は二十数年来の友人。すでに頭髪が風前の灯火に近い状態につき「ネズミ男君」と命名した。未だに嫁さんおらず。友人達が見合いを設定すること度々。その都度はかなく散ってきた。「えり好みもほどほどにせい」と言いたいが、彼の言い分はこうだ。「おいらは、めっぽう気の優しい女性でないとダメ」と。今どき、三つ指ついて、「おかえりなさいませ。行ってらっしゃいませ。お風呂になさいますか?お食事になさいますか?」とか何なんとか言う女性が、この世のどこにいるもんねと、彼を説得するが、聞く耳を持たない。その割に、彼が自慢する話がある。「おいらは武田鉄矢さんの101回のプロポーズをとっくに追い抜いたぜ」と。なんでも、130回以上は見合いをした由。これには僕たちも脱帽だ。嫁さんをあてがうのも、もう限界に近いぜ。もう一つ、彼の欠点というべきか?長所というべきか?、酒を飲んで、よくもどしてしまう。飲み屋さんで数回。僕の家で1〜2回。強くもないのに調子に乗るところは僕に似ている。これも愛嬌だぜ。
最後に、紳士たる長老の「夜泣き爺」。ちょっと、失礼に当たる名前かと思ったが、奥さんを亡くし独り身。子供もいないそうで、僕の脳裏に、パッと、そのニックネームが浮かんだ。今はどらえもん君が後見人になっている。そして、僕事、ジャイアンが立会人。「夜泣き爺」が、おいおいと泣くような事があれば、ジャイアンの目が光る。僕たち3人は一蓮托生。いわゆる三位一体だ。ホテルも部屋割りは、夜泣き爺さんと、どらえもん君の2人が同部屋。まあ、親子みたいなものだからなあーーー。残りの3人が同部屋とあいなった。いずれにせよ、長老がいることは心強い。我々生半可な中年男達では、まだ人生経験が浅いからだ。はちゃめちゃな旅を「ぐっ」と引き締めてくれるのは長老しかいまい。
プロローグが長くなった。数日後に旅立つ。結果が良ければ全てよしだ。 旅を終えてから、後日談を書くことにしよう。
2010年01月23日(土) |
少々の酩酊が僕に何かを言わせる。 |
今日は32名を集めての新年会。僕は一応幹事だ。1人6千円出しの宴会。金を集めるのも一苦労だぜ。遅ればせながらの「あけましておめでとう」の挨拶をして、司会進行。会長さんの挨拶があり、乾杯の音頭があり、やれやれだ。後はご自由にどうぞと、僕はひたすら焼酎と料理をついばんだ。酩酊すること少々。午後6時に始まり8時半にお開き。万歳三唱で締めくくりだ。
締めくくったはいいが、客達がばらばらと帰ったため、一ハプニング有り。 よくあることだが、靴のはき間違え。残った客はプンプンだ。仕方なく店の下駄を履いて帰った由。一つだけ紳士用の黒い靴が残った。果たしていかなる人がはき違えたぞ?。僕は知るよしも無し。そこまで幹事は責任をもてないよなあーーー。
かくして、ハプニングはあったが、僕は少々の酩酊でご帰還。こうしてパソコンの活字を打てると言うことは、ほぼ正常に近いということか?。思うに人生は健康で飲めるうちが最高だぜ。飲み放題だったので、酒が飛ぶようにうれた。だが、しかし、バット、僕は焼酎のみ。7対3のごく薄め。これで酔ったら、僕もおしまいだ。
今、静かに娑婆世界に思いを馳せてみると、昨今は政治と金の問題で混乱状態。古今東西、いにしえより、この問題はいつもつきまとってきた。たかが80年しか生きれない人間は、何故に欲に執着するんだろうか?。もちろん、この僕もその例外ではないだろう。なくて七癖、あって五欲だ。
ところで、僕の癖は?。うんんん、思い当たらない。人から指摘されなければ自分では分からない。五欲はどうか?。これは全部ありそうだ。食欲、睡眠欲、名誉欲、性欲、金銭欲。
今年の僕は「風のように生きる」が、モットー。その五欲を「風と共にさらば」といきたいところだ。かなわぬとは思うが、冷静、沈着、有言実行で前に進むのみだ。少々の酩酊はまだ、僕の判断力を狂わせてはいないようだ。
朝起きると外は一面、銀世界。久しぶりの本格的降雪だ。フトンをはねのけて身震い。こんな日は、タヒチ島の丸丸と太った女性の大きな腕に抱かれて、すやすやと眠れていたら最高なのにと、あらぬ思いが頭をよぎった。夏になれば又、白魚のような雪女の細い腕に抱かれて・・・・・と、くだらないことを考えて僕の心ははしゃぐ。
ネコは電気の入っていないコタツで丸くなっている。情けないやつだ。だが、ネコのことばかりは言えない。僕の体も寒さでおののいている。小学校も臨時休校となった由。こんな日は仕事もしたくないなあーーーと、思うが、クライアントはそれを許さない。
暖房のスイッチを入れ、気が進まない椅子にどっかと座った。目は窓硝子の外に釘付け。「冬来たりなば春遠からじ」と言うが、まさに今は冬。この時期を過ぎればポッカポッカ陽気の春がやってくる。昔は冬という季節が好きだった。身も心も引き締まる時節と思っていたからである、今は春が好きだ。この変化は多分、冬の厳しさに打ち勝つ気力が低下し、身も心も軟弱になったせいだろう。
先日、滅多に巻くことがなかったマフラーをして、夜の町へ出かけた。雪でも降りそうな気配だったからである。それがどうしたわけか?、マフラーを無くしてしまった。「行きはよいよい、帰りは恐い」とまさにこのことだ。心当たりを訊ねたが発見に至らず。恐らく、道を歩いているときに首から滑らしてしまったのだろう。酔いとは恐いものである。日頃慣れないことをすると、この有様だ。
てなわけで、何を思ったのか今日、ネットでマフラーを注文してしまった。今日の寒さが、マフラーを買い物かごへ誘ったのだ。アクリル70,毛30、だから上等ではないが、僕の首に巻くには丁度良いだろう。決め手の一つはデザインだ。笑うセールスマンには格好の晴れ着だぜ。
午後、役場まで書類を提出するため出かけた。道路は充分走れた。車のフロントガラスに雪ん子たちが縦横無尽に降りかかり、後方へと飛び散っていく。南国の地では滅多に味わえない光景だ。僕はこの光景が好きだ。まるで、雪ん子達が空中で芸術作品を描いているような、そんな気さえする。信号で車が止まると、雪ん子達は優しくフロントガラスに舞い落ちる。ガラスに穴が空いていれば僕は口を大きく開き、雪ん子達をのど元へ誘うだろう。
自宅へ戻り、ぼけーっと外を眺めながら、ブルガリアから来ている友人の事を思い出した。彼は めっぽう歌が苦手らしく、歌える曲と言えば「キツネやコンコン」と、ビートルズの「レッ・イッ・ビー」くらいである。特にキツネやコンコンを、スナックで歌うと、皆、拍手喝采。「コンコン」という意味が分かるかい?」と、訊ねると、もちろん知らないと答える。そういう僕も知らないのだ。「コンコン」と言えば「雪やコンコン」という曲もある。
『コンコン」を辞書で調べるてみた。キツネの鳴き声、雪やあられが、しきりに降る様とある。なるほど。これで納得。一つ勉強した。
今日は、雪にまつわる話しに終始した。
2010年01月11日(月) |
成人の日に思うこと。 |
今日は全国的に成人の日。二十歳かあ・・・・。選挙権が付与され、大人の仲間入りか。127万の人が成人となったようだ。次世代を担う人たちである。ただただ、よりよい地球を創造すべく生きて欲しいと思う。
思えば、ぼくも遠い昔、二十歳になった。激動の中で何を考えていたか忘れてしまった。のほほんと「ノンポリ」で過ごしていたような?。今、齢を重ねて思うことは、幾多の人たちと出会い、幾多の人たちと別れを告げてきたことである。喜びあり、悲しみ有り、その思いは様々。また、これからも同じ事が続くのだろう。迎えが来れば「待ってくれ」という訳にもいくまい。とすれば、悔いのない生き方をと思うこの頃である。
自分が成人式をむ迎えたわけでもないのに、ちょっと、センチメンタルな気分になってしまった。心はあの日に戻りたいのだろう。精神的には可能でも科学的には不可能なこと。奇しくも、かのノーベル賞をとった小柴さんが言われたらしい言葉を思い出した。アナウンサーが今度生まれたら何になりたいですか?と問うたところ、小柴さんは「芸術家、音楽家」なんかになりたいと答えたという。小柴さんの人生観がよく表れた言葉だ。本来、科学と宗教はあい入れない分野である。宇宙物理学者である小柴さんが、芸術や音楽と言った非科学的なことに言及されたことが興味深い。
僕も今度、生まれ変わったら、「バレリーナ」になりたいなあーーー。白鳥の湖なんか踊ってみたい。あの、トーシューズを履いて「タッタッタララータッタッタララー」とやってみたい。あああーーーつ、かなわぬ夢ばかりが先走る。
話しを変えよう。時々思うことがある。成人式が二十歳ならば、十歳のお祝いもあっていいだろう。そこで僕は考えた。十歳は自我に芽生えた「巣立ちの日」だ。十五歳が、「青年・乙女」の日。二十歳はまさに成人の日。二十五歳が「青春よさらば」の日。三十歳が、いわゆる「壮年」の日。三十五歳が「おじん。おばん」の日。四十歳になって、「不惑」の日。四十五歳になって「よござんすか?」の日。五十歳が、人生半ばを生きてきたので「ご苦労さん」の日だ。五十五歳が「ゴーゴーもっとやれる」日。かくして六十歳が「還暦」の日。子供に戻ってしまった。後は野となれ山となれだ。
いい加減な事を書いてきたこの僕は一体、どの範疇に該当するのか?。これはトップシークレットである。僕の欠点の一つ。人の歳は平気で聞くけど、自分の歳は言わないか、相当にサバを食っていること。これも、その歳に自信が持てない心の弱さなのか?。悲しいぜ。
書き疲れたので、ここら辺で今日の備忘録を閉じよう。
今朝は5時半に起床。すこぶる体調も良い。風邪は風とともに去ったようだ。洗面を済ませ、やかんに浄水を注ぐ。沸かしてモーニングココアを飲むためだ。その間にカーテンと玄関鍵のロックをはずす。外はまだ暗い。書斎の暖房を入れた。
今年初めての早朝仕事。と言っても8時に出かけるわけだが、まだ、1時間程度、待ち時間がある。二杯目のココアをすする。甘い。この甘さと香りが好きである。
てなわけで、書けるとき備忘録をしたためておこうと思い立ち、キーを叩いている。そうそう、今年初めての失敗談を書いておこう。
携帯にメールが届いた。新年の挨拶と、僕にとって良い年である旨の内容だった。女性からのメールとは判断できたが、アドレスが初めて見るものだったので、誰か分からない。あえて判断がつくとすれば、四桁の数字。
僕はそく思った。あああつ、これは誕生日の数字だなあっーーーて。ここで僕は大きなミステークを。さるスナックのカウンターレディーの誕生日だったような?。そう、勘違いしてしまったわけだ。返信にその人の名前を入れて、「今年も宜しく」と、送信したところ、全く違う人だった。「私は○○で、その人ではありません」と、戻されてしまった。憤慨したかしないかは不明。恐らく、僕の人格を疑われたかも知れない。
もちろん○○さんのことは知っている。しかしまさか、正月早々に○○さんからメールが届くとは夢にも思わじ。○○さんは昨年父親を亡くし喪にふくしていた。僕としては全く意表外のメールだったのだ。恐らく、喪が明けたので、今年は宜しくという挨拶だったのだろう。
僕は謝ること、ひたすら。則アドレス帳に登録した旨を送信。返事は返ってこない。さもありなん。僕みたいな八方美人には、近よらじと思ったのだろうか?。
時がその答えを出すだろう。いずれにせよ、人を間違えるとは大いなる僕の失態だ。反省、反省。
早、正月3日。時の流れは早い。正月1日、元旦は10時頃起床。遅く起きても誰も文句を言う人なし。束縛のない一日が始まった。既に配達済みの年賀状に目を通す。出し忘れをテェック。結構ある。今年はかなり手を抜いたから、さもありなん。例によって、とそを飲み、するめをかじり、つるし柿を口に頬張った。種三個。意外と少ない。以前は種を数えて、種が多いと、何故か嬉しかった。この心いかに?。元日早々、欲が心をもたげたか?。お雑煮を食べた。柔らかい丸餅が三個入っていた。今年は三に縁有りやと思わずほくそえみ。食後、出し忘れの賀状と、住所違いで舞い戻った賀状の新住所を登録。外を見やれば、薄曇りのなか田畑がさびしそうにたたずんでいる。人、一人っこ見えない。車も通らない。都会はいざしらず、田舎の正月とはこいうものだろう。
今朝テレビであっていたが、昔ながらの正月の風景は、すっかり消えてしまった。「お正月には凧あげて、コマをを回して遊びましょ。・・・・」。今はコマをまわすどころか、酒を喰らい、目を回して寝込んでいるのが現状。はたまた子供達はゲームに夢中。時の流れは、古き伝統を駆逐して、どんどん進化している。これを良しとすべきか否かは分からない。
そういう僕だって、正月の夜には数人の友人達と我が家で、ビール、酒、焼酎をあおり、残りの正月料理をついばみ、よもや話で賑わった。毎年のことだ。今度、一緒に旅に出る「のび太君」、関取の「ことおうしゅう」関を彷彿とさせる、ブルガリア出身の「にき君」、それに、お菓子屋のお姉さんがやってきた。どらえもん君に電話したところ、既に実家の義父と飲み、酩酊中。とても足を運べないとのこと。何時まで過ごしたか覚えていない。帰りに、残った料理を「にき君」に持たせた。
朝、起きると正月2日。お天道様は高く上っていた。この日も予定無し。僕は配信を待ち望んでいた韓国の歴史ドラマ「風の国」を一気に最終話まで見た。時折、涙をまじえながら感動の余韻に浸った。主人公が幼い子に語った言葉が印象に残った。「風のように生きる」。しかりだ。思い込みが早い僕は則、決定だ。今年の僕は風のように生きよう。風はやさしく頰をなで、あるときは激しく大地を吹き抜け、又、雨雲を呼び、作物を実らす。自由に空を駆け巡る。風・・・・風だぜ・・・・・。僕は元日から、少々、風邪気味だ。熱なし。新型ではない。ビタミンCを取り込み、快方へ向かっている。そう言えば、「千の風」といいう歌もあったよなあーーー。。
ただ、いつも思うことだが、ドラマは主人公と、主人公を取り巻く人々のみにスポットを当てて、それ以外は捨象されている。幾多の人たちの犠牲の上で主人公は脚光を浴びるわけだ。戦争しかり。捨象された人々の人生は一体、何だったのだろうか?。人それぞれに運命があり、運命だったと割り切ればいいことなんだろうか?。全ての人々の運命を描くことはドラマでは出来ない。ドラマの限界でもある。もちろん現実の世界でも幾多の人々の生き様を我々が知ることが出来ないことも事実だ。せいぜい、年賀状をかわす人たちの近況を知ることが精一杯だろう。たとえ、マスメディアがどんなに発展しても、ほんの一握りの人たちとしか人生を共有できない。これはこれでいいのだろう。
正月早々、僕は何が言いたいのか?。自分でも分からない。要するに人間はすべからく、人生を共有しながら生きいぇいる人たちの幸せを願いながら、悔いのない気持ちで墓場へ向かうことが肝心ということなのだろう。 はからずも、今日は知り合いの父親が亡くなり、お通夜に行かなくてはならない。 腹一杯、たらふく食べて、寝正月
という訳にもいかないようだ。
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