umityanの日記
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2009年06月21日(日) 愚かな夢。

景気が底をついたと言う。となると、今からあがり調子か?。確かにそんな気がしないでもない。仕事を減らそうとしている僕に、仕事が舞い込むからだ。世の中は皮肉なものだ。欲しいときにはやってこなくて、欲しくないときにやってくる。お金ならいつでも大歓迎なんだが、これはいつも逃げていくばかり。あああーーーつ、はかない人生。

そんな事ばかりも言ってはおられない。今年は大きな行事を一つかかえている。早くそれが終わってくれないと、旅に出ることも出来ない。やはり人生は旅だ。「知らない町を歩いてみたい。どこか遠くへ行きたい。・・・・」そんな歌があった。知らない町、知らない所を旅すると、人生を再発見することができるような気がする。

知り合いの「イルカおばさん」と自称している女性が豪華客船で世界一周をしたそうだ。数百万円の金が必要とのこと。北回りと南回りの二回も行
っているからすごい。数年前だったか、記念の祝賀会があり、僕ものび太君同伴で招待された。寄港先々で撮った写真と彼女の解説を聞きながら飲む酒も格別だった。本も出版されていたので購入させてもらった。

僕の思い描く旅はそんな豪華なものではない。と言うより、資力もなく出来るはずもない。あえて言えば、かの、山頭火や、昔、ドラマで竹中直人さんが演じていたと思うが、「愛はいりませんか?」とおらびながら、全国を行脚するといった、そんな旅が好きである。

もう、10年以上も前になるか?。血気盛んなころ、愚かな夢を詩に託したことがある。

  君は旅が好きだろうか?
  頭に網代笠、わら草履を履いて
  手に鈴と応量器を持ち
  ひたすら世界を巡り
  愛を語ろう。

  疲れたらひとときの憩いを持とう
  差し入れられた握り飯をほおばり、
  荒れた御堂をねぐらにしよう。
  みなぎった僕の熱エネルギーで
  冷え切った君の体をあっためよう。

  旅の果て僕は死を迎えるだろう
  細胞の一つ一つに君の思い出を残し
  まだ閉じぬまぶたの中に
  しずくに宿った君の瞳を見るだろう
  愛と悲しみに満ち満ちた君の瞳を・・

こう書くと、いかにも美しく聞こえるが、友達に冗談で語ったことがある。「実は、裏があってね。本音は懐に1000万円ばかりしのばせて、愛人と駆け落ちならぬ旅をすることさ。僕が先に死んだらこれは全部、君のものさ。とかなんとか言ってね。旅をするわけさ。宿もホテルで、たらふくまんまさ」と。

いつだったか?、小料理屋でこの話しをすると、「今時そんな女がいるもんね。綾小路さんの漫談じゃないけど、お金は欲しい。あんたはいらねーーって女ばかりよ」と。これにはまいったぜ・・・。

いやはや愚かな夢は止めにしよう。地味で、こつこつと平凡な旅がしたい。


2009年06月19日(金) 心地よい疲れ。

今日も一日が終わろうとしている。机上の仕事はしなかった。というより、いくつか事務仕事を抱えているが、どうも、気乗りがしなくて後回しにしているだけだ。これでいいんだべか?。

てなわけで、今日は外の仕事に精出した。最近、新調した草刈り機械の切れ味を試してみたくて、体を動かすことにしたわけだ。

出で立ちはこうだ、首にタオルを巻き(日焼け止めのため)、頭からもう一枚タオルをかけ、附属品として付いていた水中メガネならぬメガネをかけ、帽子をかぶる。古くなった長袖のシャツとトレーナーに着替え、膝下まである長靴を履く。手に軍手を付け、肩に機械をのっけ、いざ、雑草場へと乗り込むわけだ。

見るからに異星人が地上に降り立った姿を彷彿とさせる。近所に住んでいるフィリピン女性と、その子供が道すがら、僕の姿を見て挨拶をする。僕も「にこっ」と笑って挨拶を返すが、いかなる印象に映っているのか知る由もない。

僕はひたすら、小気味よく切れる機械を振り回しながら、満タンにした混合油が切れるまで、せっせと雑草と格闘だ。ただただ、雑草の成長の早さに驚くのみ。

小一時間で、作業終了。シャワーを浴び、冷たい深海水をゴクッとやる。これが至福の時である。僕も欲深い男だ。次に新たなる作業にとりかかる。何かと言えば、先日来、古い機械でなぎ倒していた雑草が枯れているので、またまた、ネットで購入した火炎雑草焼きの機械で、根から焼き尽くす。これが快感なんだよなーーー。スターローンの「ランボー」という映画が頭をよぎる。かくして、緑の大地が黒い大地に早変わり。後は、草が出てこないことを祈るのみ。しかし、雑草も「さるもの、ひっかくもの」だ。忘れずにちゃんと芽を出し、僕に仕事を与えてくれる。

「雑草よ、君は良き僕の友達だ。涙がちょちょぎれるぜ」と言いたいが、何事も永遠には続かないものだ。いつかは僕の方が先にくたばってしまうだろう。永遠なるものが欲しいなあーーー。

僕は、心地よい疲れを残したまま、何をしようかと考えた。ここ数日、頭に引っかかっていたことを思い出した。ラジオ深夜便で、ノーベル物理学賞を得られた小柴さんの対談があった。聞き手のアナウンサーが質問していた。「どんな研究をなさったのですか?」と。話しの中に、ニュートリノという言葉が出てきた。なんでも、ニュートリノという素粒子は質量があるとかないとか、地球を貫き通す程、小さいとか、超新星爆発にも関係があるとか、ちんぷんかんぷんなことばかりだった。そこで、ニュートリノを検索することにしたわけだ。検索しても、なお僕の頭では理解不能。

ただ、小柴さんがおっしゃった言葉が妙に頭にこびりついた。それは、地球に生命体がいるのは、原子のほとんど(90以上あるのかな?)を地球が取り込めたため、生命体が地球に生じたんだと。これは超新星爆発やニュートリノと関係があるのだろう。僕には分からないが、地球の生命体、万歳って、歓喜の雄叫びを上げるのが、瀬一杯ってところだ。

ともあれ、この美しき地球に生を受け、雑草と格闘出来る僕は幸せ者と言うべきか?。これ以上深入りすると眠れなくなりそう。今日の心地よい疲れをベッドまで運ぼう。






2009年06月14日(日) 六月のけだるさ。旅日記の続編。

けだるい六月の旅日記後編を書いておこう。

宴会に疲れて部屋へ戻り、歓談していると、注文していたいたマッサージの揉み手が現れた。見やると、いかにも年季が入っていそうな中年のおばさんが登場した。「これはやばい」と思ったが後の祭りだ。

案の定、「ごきごき」と、指が僕の柔肌に食い込む。僕は「うぐっ、うぐ」と
意味不明な言葉を発しながら痛みをこらえていた。「強すぎますか?」と揉み手が聞いてきた。僕は「いやあ、ちょうどいいよ」と、強がりの弁だ。

もともと、マッサージの強さ加減は人によりまちまち。僕はやや強めが好みだが、強すぎると奇声ををあげてしまう。まあ、今回はほぼ好みの強さだったというべきか?。

僕の後に、同僚がもう1人、マッサージを所望。揉み手は二連ちゃん。商売繁盛でほくほく顔だ。同僚は専ら、足裏を重点に揉んだようだ。よほど、気持ちが良かったと見えて静寂そのもの。

かくしてマッサージ騒動も終わり、ベッドインの時間となった。4人部屋なので、4枚の蒲団が敷いてあった。僕は一番端っこの蒲団へ滑り込んだ。マッサージで血行が良くなり、なかなか寝付かれない。枕が変わるといつもそうだ。

どのくらい、悶々としていたのだろう。ゴソゴソという音が聞こえた。耳を澄ませていると、中二つの蒲団を隣の部屋へ移動し始めた。どうも、僕を含めて端っこ2人の寝息といびきに絶えられなかったようだ。これなら、気兼ねせずに熟睡出来るというもの。

朝の目覚めはばっちり。同僚に聞くと、明け方のいびきがすごかったそうだ。僕は知るよしもない。むしろ、他の者のいびきが僕には気になった。

ホテルの窓から外を眺めた。さすが温泉地。至る所で。湯の煙が上がっている。空はどんよりとした曇り空。雨は大丈夫らしいと天気予報が伝えていた。

僕たちはバイキング方式の朝食へ赴いた。僕のおきまりコースは、お粥に、味噌汁に、のりに、梅干しに、卵に豆腐に、納豆に、黒豆に、すり大根に、ええい、おまけだと言うことで、ソーセージ数本と野菜を皿に盛った。ちょっと欲張りか?。お粥は大盛りでお代わりをした。どうも、昨夜は暴飲はしたが、暴食はしなかったと見えて、結構、お腹が空いていた。「今日も健康。朝食がうまい」ってところだ。

本日の予定は物産展等で買い物をして、動物を放し飼いにしている公園・・・・サファリーパークという所へ行って帰るらしい。アフリカ当たりの光景をテレビ等で目にしたことはあるが、直に見るのは初めてだ。

厳重の管理されたゲートが開き、マイクロバスは乗り込んだ。構内放送が流れた。「決してバスから外へ出ないようにしてください」。当然だ。そんな不心得者がいるんだろうか?。マイクロバスはあらかじめこしらえられた通路を低スピードで進んでいく。どこにも動物らしきものの姿が見えない。一体、どこに潜んでいるのやら?。僕たち、とっちゃん坊や達の一行は、動物の第一発見者となるべく、食い入るように窓ガラスから外を眺めた。誰かが、「いた。いた」と叫んだ。一斉に目がそちらに注ぐ。

動物たちは至って平気な様子。もう慣れっこになっていると見えて、何の警戒心もない。むしろ、怪訝そうに一瞥を投げる動物もいた。なるほど、飼い慣らされると、えさの心配がないから、動物たちも従順になるのか?。

ふと、人間社会の事を思った。いまじゃ、飼い慣らされた男達がわんさといて、山の神のご機嫌を伺いながら、日々、労働にいそしんでいる。これじゃあ、本末転倒だぜと言いたいが、いかんせん、XXの遺伝子を持つ女性達と違って、男はXYであり中途半端。いずれは、はかなく消滅していく運命に有りや否や?。恐らく、有りだろう。

又、人間の男達の精子は、あの原野で荒々しく生きている動物たちに比べて、数が減少し、元気もなくなっているそうな。これはゆゆしい問題だ。今や遅しと待ち構えている豊満に熟成した卵巣まで、元気でたどり着く、オタマジャクシがいなくなったら、男性無用論に発展してしまう。うんんんん・・・・・・。

この原因の一つとして、競争して強い子孫を残すという目的を人間社会が失ったことがあげられるだろう。競争がなければオタマジャクシも、のらりくらりで、ただ、あちこちを、さまようのみ。途中で行き倒れてしまう。悲しいぜ。

おっと、旅日記があらぬ所へ行ってしまった。事の真実は未来が明らかにしてくれるだろう。いみじくも、ある学者さんが言っていた。我々が未来に残すもの。それは「心」であると。「心」が受け継がれ、未来は益々進化していく。我々は今を生きる心の担い手だ。

弱くなった男の話は止めにしよう。六月のけだるさ。六月の憂鬱にさよならだ。








2009年06月13日(土) けだるい六月。

暦をみればもう六月も中旬。麦刈りがあっという間に終わり、今は田んぼに水が張られている。なんでも、ある地域では水不足になっているそうな。確かに、今年は雨が少ないようにも感じる。毎年見ているが、田園風景の移り変わりは、何故か心に優しい。農耕民族たるゆえんか?。

六月は僕の仕事もあがったりだ。てなわけで、仕事仲間10名程度で、研修旅行と銘打って、近県の温泉地へ出かけた。マイクロバスは貸し切りで、ゆったりした座席は快適だった。窓から見える風景は緑一色。空の青と相まって絶妙なコントラストを呈している。

僕たちは、ワイワイがやがやとだべりながら、ビール、焼酎、酒のグラスを干した。さすがに、昼間から飲むアルコールは酔いが早い。マイクロバスの揺れが、酔いに拍車をかける。それもいい。仕事を忘れての旅ほど心地よいものはない。皆、それを知っているからだ。

数時間で、最初の見学地へ着いた。ふらふらしながら見て回ったが、ガイドさんの説明は、ほぼ記憶に残らじ。その後の見学地も同じだ。「はやいとこ、ホテルへ行こうぜ」と言うことになり、予定時刻より1時間ばかり早く、チェックインした。即、部屋割りがきまり、4人、3人、3人が共同部屋。少々、体が不自由な1人が廊下でつながった別棟の個室。

翌朝、個室に寝た1人の弁が面白い。「いびきがうるさくても、一緒の部屋がいい。1人は寂しい」と。「なるほど、そうかもしれない」と笑ったことだ。

夜はおきまりのコースの宴会だ。幹事さんがコンパニオンさん2名をチャーターしていた。20代とおぼしき美形の女性が現れた。向かい酒でまさに迎い酒。酩酊すること、もちろん。僕はカラオケで、時期遅れの「春なのに」をうたった、柏原芳恵さんの歌だ。さすがに、拍手もまばら。紫陽花だけが。怪しげな彩りを見せ、僕を笑っているかのようだった。

2時間ちょっとの宴会を終えた。もう、外へ外出する気にはなれなかった。部屋へ戻り、この老いた?ボディにマッサージというメスをいれることにした。
幸い部屋は8畳二間程度有り、僕は隅に敷かれていた蒲団に、トドならぬ中肉・中背の体を横たえた。

程なくフロントに申し込んでいた「揉み師」がやってきた。おっと、2時間ばかり仕事が入った。この続は、後ほどしたためることにしよう。


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