umityanの日記
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2007年04月27日(金) 四月が終わる。

四月もあと数日で終わろうとしている。嬉しくもあり、嬉しくもなし。一体、どっちなんだあ?。いや、やはり嬉しい。何となれば、大きな行事が一つ終わるからだ。年中行事とはいえ、この行事のために、四月は精魂を傾けねばならない。それが終わるということは、精神的に解放される。

も、一つ嬉しい面を書いておこう。風薫る五月がすぐそばにあるということである。五月といえば連休。連休があるから嬉しいわけではない。人様はどうか知らないが、僕にとって連休はただの日々の連続にしかすぎない。うんんん、こう言うのは、仕事をわんさと抱えた僕の言い訳か?。

とりもなおさず、僕が嬉しく思うのはこの五月という季節である。夏でもなく春でもない。この微妙な季節の架け橋・・・・。青葉若葉が、「これでもか」と言わんばかりに緑を演出する。ホースで水をまくと、葉っぱの上で太陽に照らされた水が「きらっつ」と輝く。その瞬間、大いなる生命の息吹を感じるのだ。地中に埋もれていた球根から若々しい芽が出て、瞬く間に成長する。これを如実に感じるのも五月。

時は刻一刻と流れ、気温がますにつれて、体がけだるさを感じるようになる。じっとりと汗ばんだ体は不快であるが、シャワーでさっと流し、すかっとさわやかだ。よく世間では春の憂鬱とか、五月病とか言う。おそらく人の心が、この新鮮でみずみずしい季節感についていけないことへのジレンマが、心の病を生んでいるのかもしれない。

幸い、僕はそんなこともなく、至って元気だ。早く来い来い、五月さんである。かくして、元気いっぱいに五月が終わると、またまた僕の好きな六月という季節がやってくる。六月は水無月とか言うが、水はたっぷりある。湿度が高く、じめじめした日々が多い。それを好んでかしらずか、カタツムリは気持ちよさそうにあじさいの葉っぱをはい回る。こんな光景がみれるこの時期がまた好きである。

さあ、今から買い物だ。四月最後の行事のために買い出し。これも四月を終える為の準備。心してことに当たろう。


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