umityanの日記
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2007年03月24日(土) 卒業式あれこれ。

雨だ。土曜日の雨もよい。見るからに冷たそうな雨だ。濡れたら間違いなく風邪引きになる。昔は傘をささず、雨に打たれながら歩くのも悪くはないと、強ぶっていたが、今はとてもとても・・・・。僕も弱くなりやしたぜ。

そういえば昨日はあちこちで卒業式が。今日の雨はまさに新たな旅立ちへの涙雨か?。僕もいくつか卒業式を経験してきた。そのどれもに思い出が残っている。小学校のときは、下級生とやさしき先生達に見送られながら、手に卒業証書を持ち、校門を後にした。嬉しくもあり、悲しくもあり、照れくさくもあった。涙だけは流すまいと、必死にこらえた。

中学生のときは、生意気に鼻ひげをうっすらとはやし、「もう俺たちは大人なんだ」と、いきまいて、肩をゆすりながら校門をでた。道すがら、悪がき等数人で話し合った。こっぴどく目をつけられた先公(先生)に恩返しならぬ、仕返しをしようじゃないか?という相談だ。講堂というか、体育館の横に呼び出して、一発なぐろうか?と、話はまとまったが、結局は不発で、いまでは同窓会の話の種になっている。おっかない先公ではあっても、後になると、「それが愛情だったんだ」と気がつく。愛とはそういうものだろう。

高校になると、卒業式も様変わり。今にも倒れそうな青びょうたんの男達が、猫背スタイルで起立している。その姿は異様以外の何者でもない。女性たちはすっかり大人びて、「もう私も一人前のレディよ」と言わんばかりの風格。これは仕方がないんだよなーーーー。成長は女性のほうが早いからなーー。昔のかわいかった面影は今いずこ?。思わずこう言いたくなる。

大学になると、またまた様変わり。どこかよその会場を借りて、数千名が一同に会する。学長が演台にのぼり、「あっ」と言って終了。僕達は「ええっつ」と言って目を白黒。ほんの数十秒か数分か?。あっけにとられ学生達は三々五合と散っていく。僕達のときはそうだった。いたずらに、演説を長くすればいいというものでもないが、あまり短いのもどうかなーーー?。

卒業式やら入学式のときは歌なども歌った。定番は「君が代」と「仰げば尊し」である。昨今はこの歌を「歌う、歌わない」で世の中がゆれているが、そんなに大きな問題なのか?。歌ったらいいじゃないか、と僕は思う。

歌かあーー・・・・。そういえば最近、はまっている歌がある。どういうんだろう。僕は愛に満ち満ちた悲しい歌が好きである。たとえば「会いたい」と言う歌。歌手の名前は忘れた。この歌の詩がいいんだよなーーー。「今年も海に行くと言って・・映画もたくさん見ると言って約束したじゃない・・・・約束したじゃない・・・。会いたい・・・・」。約束した人が突然死んでしまうわけだ。実に悲しい愛に満ち満ちた歌である。こういう歌を聴くと泣けてくる。

もうひとつ。相棒の安さんが時々、歌ってくれるが、門倉有希さんの曲だったっけ?。「J」(じぇい)という歌。これもいい歌なんだよなあーーーー。僕が「ジュン」だから、カウンターレディの女性に歌ってもらうとき、「ジュン」と言って欲しいとせがんだりしている。これが効けるんだよなーーーー。結局、「そろそろ帰ろうか」ということになる。

雨が小康状態になった。この辺で筆を止めよう。


2007年03月21日(水) あれこれ雑感。

東京では桜の開花宣言がなされたそうな。こちらは、まだそんな兆候が見えない。本来なら南から北上する桜前線も、今はお構いなく、「お先に失礼します」と、自由に咲いては散る。順番などあったものではない。身勝手と言えば身勝手だが、こういう現象をかもし出したそもそもの原因は、人間にあるから始末が悪い。とりもなおさず、咲くまで静かに待つか?。

それはそうと最近、町を歩いたり、車で信号待ちをしていると、面白い光景が目につく。何かと言えば一人歩きの若い女性や、学生。はたまた自転車に乗っている女性たちのほとんどが、片手に携帯電話を持ち、画面を見つめながら歩いたり、走ったりしていることである。男性より女性が多い。人が歩いているのか、携帯電話が歩いているのか?と、おかしくなる。まあ、僕も時々は歩きながら携帯電話で話すことがあるから、大きなことは言えないのだが・・・・・。

時々、その心理を探ってみたくなる。もちろん、仕事がらみの携帯電話はしかたがないが、それ以外に、片時も電話を離さずに握っている心理とはいったい何なのか?。思いつくことが二つある。ひとつは、パチンコ屋でパチンコをやっているときの心境。要するに一人きりの世界にひたれるわけだ。誰にも邪魔されず。煩わしさから逃れて。携帯電話のディスプレーがパチンコのディスプレーと同じなのだ。もうひとつは、まったくの反対で、寂しさや孤独を癒してくれる格好の相手が携帯電話である。覗けば何でも見えるし、退屈しない。いつも、友人やら友達やらだれか相手が一緒にいるみたいな気になれる。

それにしても、昔と今はずいぶんと変わったことよ。上を向いて歩こうから、まっすぐ向いて歩こう。そして今は下を向いて歩こうである。人にぶつかりそうで、ぶつからないところが、これまた面白い。、僕はとりあえず、まっすぐ向いて歩くの部類にまだ入っているか?。顔で勝負だぜ・・。

おっと、くだらない話はこのへんで やめておこう。今日は彼岸の中日。毎年同じことを思うが、ただただ先祖様に感謝である。いただいた「ぼたもち」を、のどに詰まらせえながら食した。お茶で流し込んで一丁あがり。やはり、母がこしらえた「ぼたもち」を食するのが最高なんだが、いまは、それもかなわじ。




2007年03月09日(金) 一人ぼっちの留守番。

今日は久々に家の留守番だ。いつも山の神に迷惑をかけているから、たまの留守番もいいだろう。一人でやりたいこともいっぱいある。そう思い、気がつく事を片っ端から実行した。たった今、ゴミくずを焼却炉へ。その後、庭に散った枯葉が気になり、ちょっくら箒で掃き集め、とりあえずゴミ箱へポンだ。部屋に戻り、人一人っ子いない外を眺めては大きなため息・・・。
一人の留守番って、やってみると、意外にさびしいぜ・・。

さて、何をしようか?。仕事は暇であがったり。確定申告書は作成済み。パソコンに向かって何かを書かなくちゃと、これまた今実行中。書く材料もさしてない。そうそう、今日は偶然といえば偶然か?、先輩の奥方、二人から電話があった。一人は入院中のボスの奥方。病状は一進一退だが、申告書に目を通してもらいたいとの依頼。「わかりました」と快く返事した。今日の夕方にでも行っててみるつもりだ。多分、山の神はその時間も不在だろう。
僕も一日中、家の中では気がめいってしまうぜ。とりあえず、戸締りして、I have to go to zhe hospital. である。

そうこうしていると、別の先輩の奥方から電話。ボスと同様に、かわいがってもらった先輩の一人である。ボスよりも年下だが、痴呆症が進んで、最近はリハビリに毎日通っているとのこと。僕はこの先輩に囲碁の手ほどきを受けた。僕は相変わらず、へぼな打ち手で、何目置いても勝たなかった。その先輩より、昨年はりっぱな碁盤と碁石をいただいた。結構、高価なものである。先輩自身は、奥方の父親が指物師というか碁盤を製作する職人だったので、それはそれは立派な碁盤をもらっていた。さすがに、それを僕にくれることは、天と地がひっくり返ったら、あるやもしれぬ。期待しないで待っておこう。

とりあえず、こちらの相談も申告のことだった。僕はさして、詳しいわけでもないが、自らのことは自らでやっているので、少しは相談に応じることができるだろう。ある程度書類がそろったら、再度電話するとの事。待つことにしよう。

それはそうと、最近、人間の「老い」について、考えることがある。我が親の老化をはじめ、かわいがってもらった先輩諸氏が、病に倒れたり、痴呆の症状が表れたりで、なんとも悲しくなる。古の英雄たちは不老不死の特効薬を求め、奔走したが、そんなものがあるはずもなく、せめて、歴史に名を残すことで面目を保った。僕たち平々凡々の人間は歴史に残す名とてない。ただただ、日々、時の流れに沿って、老いて行き、一生を終えることになるわけだ。皆が皆、その道程をたどるわけだ。

よく偉い人が、「人生にとって大事なことは、生きた長さではなく、いかに生を燃焼させたかである」とか言う。そういうことは皆、百も承知だ。そういうことよりも、人がいつも思っていることは、縁をもったいろんな人たちとの出会いと別れである。そのプロセスに悲しく涙するのだ。と、同時に、老いていくわが身にたいする諦念の気持ち。これらが、人間のいつわざらる気持ちである。

ああ、それにしても、独り身の留守番はさびしいぜ・・・・。だれか愛の手を差し伸べてくれないかしら?





2007年03月08日(木) 「やすさん」の社交界復帰に乾杯。

三月、弥生。やや肌寒い。昔はもっと寒かった。なんでも、今年は桜の開花が一週間程度早いそうだ。温暖化の影響か?。「桜に桜の花の咲く。何の不思議はなけれど」。

自然は正直である。温暖化なら温暖化の環境に合わせて、懸命に生きている。一番不正直なのは人間なのかもしれない。環境に変化をもたらしている最大の原因が人間の悪なき欲望のせいであることに気がついていながら、何の対策も講じない。いずれ、自然から大きなしっぺ返しを受けるだろう。もうすでにその前兆は始まっている。温暖化を含むもろもろの異常気象がその端的な例である。

思えば恐ろしい世の中になったものだ。自然破壊のみならず人心の荒廃も進んでいるように思えるからだ。ゆとりある社会、ゆとりある教育、美しい日本とか言うスローガンはいったい何なのか?。ただ空しく響くだけじゃないか?。おっと、あまり悲観的に考えまい。要は自らを律して生きることが肝心だ。

「響く」といえば、昨夜は一年ぶりに「やすさん」とカラオケではもった。見事に響いたぜ・・・・。「中の小路ブラザーズ」という異名をもらったわれわれは、「白いブランコ」という名曲をぶら下げて、いきつけの店店ではもり、拍手喝采をあびたものだ。その栄光からずいぶんと遠ざかっていた。

その夢をもう一度ということで、昨夜は美人カウンターレディー、奈美ちゃんのいる店で再演が実現した。よかった。一年ぶりのコンビに、声は震えがち。それでも94点という高得点をマーク。絶頂期には98点をたたきだした。そこまで至るは少々時間が必要である。まずは「やすさん」の夜の社交界復帰への乾杯をあげたところで、お開きにしよう。


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