umityanの日記
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2006年12月31日(日) 今年の日記を閉じよう。

嘘みたいに晴れ渡った大晦日の今日。こういう穏やかな年末は何年ぶりだろう。他県の状況は定かではないが、まずは自然に感謝だ。今日の僕のスケジュールは?。これがまだあるんだよなーーー。副業の仕事はとっくに納めたが、本業の仕事が夕方まで残っている。まさに仕事に暮れた一年だった。都会で労働にいそしんでいる人たちは、土産袋をわんさと携え、すでに、故郷の地を踏んでいることだろう?。結構なことで・・・。僕にはそれが出来ない。おっと、今年の締めくくりだ。ひがまない、ひがまない。

僕は明けて4〜5日に、ちょっくら父や、祖父母達の墓参りに行くことになるだろう。弟も遠方から来ている由。兄を交えて兄弟三人がそろうことになる。正月ならではの風景。母も嬉しいに違いない。互いの健康を祝し、料理でもついばみながら、今後の事を話し合うことになるだろう。

今後の事といえば、まずは母のことになる。兄が近くにいるが、未だに一人で暮らしている。最近は膝小僧が痛いらしく、歩くのもままならぬ様子。老いとは怖いものだ。意識は明瞭なれど、体が言うことをきかない。これほど、歯がゆいことはないだろう。医術も功を奏せず。仕方がないと言えば仕方がないのだが・・・・・。

僕は母をめとり・・・、おっと、めとりではなかった。母を我が家へ迎え、共に暮らしてもかまわないと思い何度か、そう言ったことがあった。世間はそううまくはいかないんだなー。母は兄や兄嫁に何かと世話になっている為、遠慮があり、兄も「墓や先祖を守っているのはこの俺だ」という長男の自負いがある。兄によほど社会的失態がない限り、母が僕や弟を選択することは出来ないだろう。世の中とは、皮肉なものだ。本当の幸せとは一体何なのだろう。

何はともあれ、今はただ、兄弟三人が協力して、母が幸せなる人生を全うできるように模索せねばなるまい。

泣いても笑っても明日は新年。今日は靜に年越しそばをすすりながら、今年一年に別れを告げよう。そして、今年の日記を閉じよう。来年は新たな気持でスタートだ。










2006年12月30日(土) 思い出を残して今年が去る。

色んな思い出を残して今年が去ろうとしている。良しにつけ悪しきにつけ、思い出の多くは人との関係のなかから構築される。クライアントとの関わり、先輩、友人、親兄弟、そして、たまたま袖を触れあった幾多の人達。現実とネットを介したバーチャルの世界が奇妙に入り組んだ今年であった。そんな世界に翻弄されながらも、つつがなく今日までこれた。まずはそのことに感謝せねばなるまい。本当に有り難うございました。

今年を表す一文字が「命」に決まった。昨年が「愛」だった。天秤にかけたら、命も愛も重さは同じである。そういう言葉が選ばれる背景には、象徴的な出来事がたくさんあった事を物語っている。「命」でいえば、皇室に男児が誕生するというおめでたいニュース。逆にいじめを苦にして、自ら命を絶つた若い人たちや、よからぬ事故・事件にまきこまれて、尊い命を落とした人達も少なくなかった。

目を世界に向けると、戦争、核開発、ミサイル発射、拉致問題、異常気象等、人類の存続を危惧させるような事柄が多発。我々人類が、どんな方向へ向かっているのかさえ分からないような状況を醸し出している。滅亡ではなく、協調とと平和であって欲しい。

自らのことは冒頭に少し述べたが、相変わらず能天気で、あんぽんたんのふーけもんと言う言葉が僕にお似合いだろう。それにしても、「のりちゃん先生」共々、よく焼酎を飲んだ。表彰状をもらってもよさそうだ。「貴殿達は芋でこしらえた液体を、一升瓶にして云百本、一年間に消化されました。その功績をたたえ、魔王1トンを贈呈します」てなことにはならないよなーーーー 。魔王で悪魔になっちゃうぜ。

来年は、もちょっと自重しようと思っている。健康でなくちゃ人生、面白くないからなーーー。袖振り合った今年の縁を来年も大事にして生きたい。来年の一文字を予想しておこう。世界が協調路線に乗っかって欲しいという願望から「協」。若しくは平和が構築されることを願って、「築」。おまけだ。色んな人たちが好ましい方向へ導かれますようにと願い、「導」なんてどうだろう。お粗末でした。まだ、明日があるでーーー。














2006年12月28日(木) 12月の風景。

世間では今日が御用納め。例外にもれず、ぼくんちもそうである。6年いたパートさんは先週末で退職。来年からは僕一人で労働にいそしむことになる。今まで甘えていたが、来年からは甘えが許されない。これもまた楽しからずやか。

思えば12月1日に日記らしきものを書いていらい、今日で二回目の執筆となる。忙しかったと言えば聞こえは良いが、必ずしもそうではない。超スランプだったことと、世の中の喧噪が、筆を執ることを鈍らせていた。

もちろん、その間いろんなことがあった。ボスの入院もまる二年が過ぎようとしている。病状は一進一退。「もういけないかなー?」と思ったら不死鳥のごとく蘇り、よみがえったかと思うと、また危うくなる。この繰り返しだ。奥方は、気丈にボスに付き添っている。一心同体、偕老同穴とはこのことを言うのだろう。ただただ、奥方の心のこもった看病には頭が下がる。

昨年は百数十枚の年賀状の作成を依頼された。かくして今年もほぼ同じ枚数の賀状作成依頼があった。僕の二百枚分と合わせて、やっと、昨日仕上がった。この賀状には「おれはまだ生きているんだ」という、ボスの強い意志と、見舞に来てくれた人たちへの感謝の念が込められている。来年もまた頑張って欲しい。

ボスから僕へ届く賀状を自ら作成した。ちょっと変な気がしたが、間違いなく元旦に届くところに意義がある。願わくば、お年玉の番号が当たってくれれば最高なんだが・・・・。

お年玉で思い出したが、年末ジャンボの宝くじを30枚買った。オールバラバラである。僕に連番なんて必要ない。一発大穴ねらいだ。抽選があって、こっそりと番号を照らし合わせるときが至福の時。小心者の僕だぜ・・・・・。毎年、敗戦の憂き目をみている。とほほ・・。

そうそう、避けて通れない話題が今ひとつ。いわずもがな、「のりちゃん先生」との親交である。12月になって一週間に二回のペースで、のりちゃんと行きつけの小料理屋、しゃなりのママの店、ナナちゃんのいる店、美大生がいる店等を徘徊した。僕とのりちゃんの共通点は、同い年、アルコールが好き、おしゃべりが好き、互いにわがまま、女性好きだが好みが違う、結構食べることが好き、とはいっても美食家ではない。まああそんなところが共通点である?。一人で飲んでも楽しくないから、互いに相手を利用しているともいえるか?。

昨夜は延々、午前2時近くまで、しゃなりのママの店でとぐろを巻いた。のりちゃんの目的はしゃなりのママとの会話である。僕は若い娘ちゃんとの会話とカラオケ。得意の歌「白いブランコ」で僕が敗れた。僕を打ち負かした歌い手は、「さとこ君」。新人のかわいい人である。「ええつ、なんで、うそーーーー」。僕は年甲斐もなく敗戦を認めようとしなかった。往生際の悪い奴である、この僕って。もち、本気で言っているわけではない。要は場を楽しくさせるため、三枚目を演じているだけのこと。そんな状況にあっても、のりちゃん先生は、知らぬ存ぜずでママとの会話に夢中。現金な人だぜ。まああいいか。

楽しき時間は早く過ぎてしまう。来年も恐らく同じようなパターンで時が流れていくのだろう。健康であればそれでも良いか・・・・。










2006年12月01日(金) 師走の初日に吠えすぎたか?。

いよいよ12月に突入した。ただ12月という実感はない。何故か?。多分、暖冬のせいだろう。昔はこんなんではなかった。寒さに打ち震え、膝小僧を抱えて丸くなっていたことを思い出す。

異常気象が着実に拡大している。このままでは、遠からず地球崩壊の憂き目を見るだろう。まあ、自分の生存中は大丈夫とは思うが、後世に大きなつけを残すことになる。借金のつけなら労働にいそしみ、返す手だてもあるが。如何せん。地球崩壊という惨事を防ぐ手だてはあるのだろうか?。

楽観的に見れば、そのころの人類は地球を捨てて、新たなる惑星へ移住しているかもしれない。「さらば地球よ・・・」という宇宙戦艦大和の歌があったなーーー。ただ、残念ながら、人類が住めそうな惑星は今のところありそうでない。地球みたいに美しい惑星が他にもあるんだという幻想に駆られて、人類は、てんでばらばらに死地への旅を続けることになりはしまいか?。その時になってみないと分からないが?。いずれにせよ、母なる地球がここまで病んでいるということを、人類は謙虚な気持ちで反省すべきだろう。そして、新たなる地球再生の道を模索すべきだと思う。

話は変わるが、先日、ラジオを聞いていた時、渡辺淳一さんと言ったっけ?。著名な作家のかたが、面白い事を言っておられた。人間は歳を取るほどにお金への執着が強くなるそうだ。要するに「ため込む」ってわけだ。あの、100歳以上生きられた、「キンさん、ギンさん」姉妹に、誰かが質問した。「最近テレビに良く出ておられますが、その出演料はどうなさってるのですか?」と。答えがおもしろい。「そりゃ、老後の生活資金の為に、とっておかなくちゃ」と答えたそうだ。うんんん、キンさん、ギンさんでさえ、さらなる老後の為に蓄えておこうというわけか?。涙が出るぜ。

渡辺さんは言っておられた。「お金は使い切らなくちゃ。貯めていて何するんですか?。たかが、100年も生きないのに、ため込むだけでは、子供達の内輪げんかを招くだけ。悲しいじゃありませんか。老後になったら、楽しいことに使い切りましょうや」と。その考えには僕も同感だ。老いたらそう生きたいと思う。ただ、日常の金さえ持ち合わせていないのに、使い切るなんて夢の又夢。老後にそういう金が巡ってきたらそうすることにしよう。今は隙間だらけの手をじっと見て我慢、我慢。

もうひとつ、面白いことを言っておられた。歳を取ってくると、女性はますます元気になるのだそうだ。男は閉鎖的になりますますしぼんでいく。まさに、対照的。その差はどんどん広がっていくそうな。そうだよなーーーー。昨今の世の中を見ていたらうなずけるぜ。「とど」のごとき巨体を揺すりながら女性達は徒党を組み、それ、食事会、演劇の鑑賞、ダンス、旅行、あれこれと趣味に奔走・・・・・。かたや、男性は家でゴロゴロ、よたよた。食事も近くのラーメンや焼鳥屋が好き。とてもとても女性達のように高級料理店で舌鼓をうつ勇気なんてありません。あげくの果ては、女性から三行半を突きつけられ、おろおろするばかり。あああ、はかない人生。

男性にとって悲観的なことを書いてしまった、だからこそ、金は貯め込むのではなくて使い切りましょう。女性に退職金の半分を与え、残りの半分で男も女性軍に負けないように、おおいに、老後をエンジョイしようではありませんか。平均寿命でやがて10歳近くも差が出てくるんですよ。早く楽しまなくちゃ死んでしまいますよ。

師走の初日にちょっと吠えすぎたか?。







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