umityanの日記
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2006年06月30日(金) 六月の終わりを迎えて。

いよいよ六月も末日。今日も雨。梅雨だから何の不思議もないが。この時節は好きである。青葉が生き生きとした姿で僕にほほえむ。こんな自然の息吹に乾杯。僕の肌も、みずみずしくしっとり。やはり、「水」は最高だ。これなくしちゃーーー生きていけない。ほっぺをたたき、僕の頬に乾杯。

庭に縄のように横たわった蛇を見つけた。踏みつけなくてよかった。蛇は方向転換して茂みへと去っていった。彼か彼女かしらないが、懸命に生きているわけだ。願わくば、僕の目に触れず、そっと生きて欲しいものよ。蛇と雷は大の苦手。とはいえ、一応乾杯だ。

振り返れば六月も先月と同様忙しかった。その合間をぬって、ボス(大先輩)の病気見舞いに行った。体から管がすっかりはずされ回復しているようだった。明日は転院せねばならないと、疲れた顔に笑みを浮かべ、奥方が僕に告げた。「そうなんだ。よかったよかった」と僕は安心して病院を後にした。

翌朝、奥方から電話あり。山の神が受けた。僕はすでに、労働に赴いていた。ボスの容体が急変して、心臓が止まったとのこと。「ええつ何でまた?」と僕はびっくり仰天。遠出の仕事を片つけて、病院へ急いた。すでにボスの子供や親戚筋が集まっていた。ボスは集中治療室に移されていた。心臓マッサージで再び心臓が動き出したとのこと。今は自力で鼓動しているとのこと。良かった。治療室にボスは痛々しく横たわっていた。声をかけると、目玉を開き、首をもたげようとする。僕が来ていると分かっているのだろう。僕は、「そのままで、そのままで。大丈夫。大丈夫。まだくたばっちゃいけませんよ」と声をかけ、そっと部屋を出た。

なんでも、僕が見舞いに行き、帰った後、ボスは自分で用を足したいと思い、ごそごそとベッドから起きあがり、無理をしたらしい。その時、容体が急変したそうだ。転院して早く元気になりたいという一念が、自分の体に鞭を打ったのだろう。ボスらしいと思った。

それにしても、ボスはタフだ。もう何回、危篤状態を脱したのだろう?。いつも不死鳥のようによみがえる。以後、何の連絡もないということは、今回も危機を脱したに違いない。まだ予断を許さないと思うが、とりあえず乾杯だ。

乾杯と言えば、昨夜は相棒の「のりちゃん先生」からテルがあり、そそくさと、小料理屋の暖簾をくぐった。彼は1‐2ヶ月前まで、体調が悪かった。耳の三半規管の調子が悪かったとのことで、ふらふらや立ちくらみがあったよし。僕にはどういうものか定かには理解できないが、手っ取り早く言えば自律神経何とかという奴なんだろうか?。電車に乗るのもいけないらしく、奥方の待つ巣へも帰らずじまいの日々。奥方が様子を見に来たかどうかは知らない。いずれにしても、「おめでとう」と言ってやった。てなわけで、芋焼酎を仲良く飲んで、とぐろを巻いた。まだ、80パーセントの治りということで、深酒は禁物。頃の良い時間に仲良く代行車で帰還とあいなった。

世の中、色々と不思議な事件ばかり起きているが、一体どうなっているのだろう?。人間は、いかにあれ、自分の生命や他人の生命をなおざりにしてはいけない。ちょっとでもいい。自分への思いやり、他人への思いやりを持って、骨太く生きなくちゃ。ボスやのりちゃんや、世の中の事件を見て、そう思った。







2006年06月17日(土) 心地よい朝の一時に思うこと。

小雨交じりの土曜日。少し蒸し暑いが、気持ちの良い朝を迎えた。昨夜は外泊したらしい猫の「もこ君」が珍しく、僕を起こしに来た。山の神はすでに起床し、階下でごそごそとやっていた。もこ君は山の神に制止されたにも関わらず、二階までトントントンと駆け上がり、僕を起こしにきたらしい。「ニャン、ニャン」とふた叫びをして、去っていった。

なるほど。この心は如何に?。一応、僕が、いや、僕を嫌っているとはいえ、この家の重要人物として、マークしているのだろう。僕としても嬉しくないはずがない。嬉しい。今日は少々のことには目をつぶり、怒らないことにしよう。

ただ、僕は猫より犬が好きである。数年前、十五六年生きてきた、愛犬の「エル」が靜かに息を引き取った。墓地の一角に埋葬してやった。「エル」は 夜遅く帰ってくると、心配していたと言わんばかりに僕にすり寄り、顔をぺろぺろとなめてくれた。そんな「エル」が愛おしくてたまらなかった。愛しきエルよ!!今いずこ?。まだ、新たな犬に目を向けるほどの心の余裕ができていない。

今日はいつもの土曜日よりは周りがにぎやかだ。田んぼは麦刈りの後、田植えの準備で、畑地がすっかり水田に早変わり。時折、蛙たちが、嬉しそうに合唱をする。昔ほどにはうるさくない。自然環境がすっかり変わったためだろう。全滅に至っていないだけでも幸いだ。

また、近所の幼稚園で行事があるのだろう?。駐車場を貸して欲しいとの要請があった。いつものように快諾した。子供と手をつないだ親たちが、三々五々と集まり、散っていく。少子化の中で子供がすくすくと育っている姿はほほえましく思える。

最近、子供を巻き込んだ事件が多発している。なんとも痛ましい限りだ。どこに、原因があるのか?。それを述べることは難しい。ただ、思うに、人間同士の信頼関係というか、絆が昔より希薄になっているような気がする。自己欲のために他人を犠牲にする。ほんのちょっとの他人への思いやりがあれば・・・・。一歩立ち止まって考えれば、自分がやろうとしていることに、「はっ」と気がつくはずだ。そういうことで防げる事件や事故も多いのではと思う。

事件や事があると、行政はその防御策を講じる。当然と言えば当然だ。放置しておくわけにはいかない。ただ、根本的な解決策ではないだろう。管理がどんどん強化されていく。人間同士の信頼関係もうすれていく。強固なセキュリティーで管理されたなかで本当の自由ってあるのだろうか?。のびのびとした社会の中での自由こそ本当の自由だ。

おっと、ピアノの調教師さんが来たようだ。ここで、止めておこう。



2006年06月15日(木) 旧友来訪の後始末。

先日は4人の友の来訪を受け、嵐のような一夜を過ごした。ネオン街へ繰り出し、帰ったのは午前2時。それから又、30畳の部屋の一角に円陣を組み、友の一人が持参した焼酎を飲み始めたのだ。これにはさすがの僕も驚いたが、延々と5時頃まで飲み、だべりまくった。同じ釜の飯を食った友達との語らいには門限などない。電流が通ったリングの中で闘うプロレスのデスマッチと違う所は、バリアのない無制限一本勝負であるという事だ?。「ご自由にどうぞ」ってわけか。

その後、彼らは、各々、好きな場所に布団を敷き寝たらしい。僕もいつの間にか、二階の寝室で寝ていた。皆、朝の何時ころに起きたのか知らない。昼近くになって、階下から、「皆さん、待っているわよ」という山の神の声が聞こえた。僕はまだ二日酔いの状態で、うつろ眼で洗面をすませ、彼らと対面した。彼らも、相当に疲れている様子だったが、何と、すでに朝の迎え酒ということで、冷蔵庫の缶ビールを一本ずつ飲み、かつ、朝食を済ませたとのこと。たらふくまんまのトドの群れ。そんな様子を呈していた。しぶしぶと四人の宿泊を受け入れてくれた山の神だったが、引き受けた以上、それなりの務めを果たしてくれたわけだ。これには感謝だ。「この後が怖いぜ!!」という気持ちが、「ちらっ」と頭をよぎった。

僕たちは昼から午後三時まで、酔い覚ましということもあり、別室にて、たわいもない話で時間を過ごした。半年前に離婚した友人に、新しい彼女ができたとのこと。時々会っている由。彼女はまだ未婚で、彼と知り合ったのはネットだったとのこと。なるほど、今ばやりのネット恋愛か?。そこまでの話は良かったが、友の一人が、「もう、仕込んだのか?」と聞くと、彼は嬉しそうに「そうだ。子種を宿しているかもしれない。」と悪びれもなく応えた。いやはや、「時代は進んでいるぜ」と、僕たちはあきれ顔。後悔のない付き合いならば、「ご自由にどうぞ」ってところだ。

午後三時。彼らは、山の神が用意していた手土産をもち、車で散っていった。おっと、パートさんが来た。続はあとで。

パートさんが帰った。忘れないうちに続きを書いておこう。彼らが帰った後、寝泊まりした部屋をのぞいたら、誰がどこに寝たのか分からないが、三人はきちんと、布団がたたんであり、一人は敷きっぱなしだった。「変だなー」とは思ったが、「まあいいか」ということで、しばらく日光に当てるべく、放置していた。

彼らが帰った数日後、山の神が、さもびっくりしたような声で僕を呼ぶ。な、な、なんと、廊下の端に設置してある布団をしまう押し入れの敷物と床が水浸しで濡れていた。「あんた、これ、尿じゃない??」と山の神が言う。確かにこんな場所が水で濡れるわけもない。きっと、夢遊病者みたいになった友人の一人が、そこで用を足したのかもしれない。「まさか、この僕が」と、一瞬思ったが、それはあり得ない。恐らくは、布団を敷きっぱなしの友人だったかもしれないが、詮索はすまい。

僕が濡れた床を拭くはめに。仕方がない。そこまでは良かったが、まだ、い草の香りがする新品の畳にも酒をこぼしたらしく変色していた。床の間の近くだったから始末に悪い。結局、これも、端っこの畳と入れ替えた。まあ、これも仕方がない。

さらに、山の神がつぶやいた。「あんた、トイレのスリッパはあちこちに散在し、窓はあけっぱなし。あんたの友達は一体どういう神経をしているの?。もう、二度と泊めたくないわ」と。確かに・・・・。ごもっともです。良識ある大人でも、思考力が欠落した状態の時は、思いがけない行動をするものだ。悪意はないが困ったものだ。

従って、僕は他人の家に寝泊まりすることは極力避けている。少々、金を払っても、ホテルの方が安心だ。僕も酩酊すれば、他人の家で、同じ事をするかもしれない。こればっかりは確信がもてない。

その後、三人の友からお礼のテルがあったが、尿事件や他の事は一切ふれなかった。うれしさのあまり羽目をはずしたということで、納めておこう。明日、羽目をはずすのは我が身かもしれないからだ。用心しなくちゃ。

ところで、今日は弟(仕事仲間)と、ビアパーティへ行くことになっている。くれぐれも、失敗しないように肝に命じておこう。(完)




2006年06月11日(日) 4人の旧友達がやってきた。

金曜日の夕方、4人の男達が我が家へやってきた。うち、二人とはちょくちょく会っているのだが、後の二人は高校卒業以来の旧友。それぞれに恰幅が良くなり、一人は頭髪を真っ黒に染めていた。妙につやのあるそのヘアーに、ちょっくら違和感を覚えたが、本人が「よし」とするならいいか?。

わが家を来訪したのは、増築したばかりの部屋を見ることと、同級生の中で一番変わったのが僕らしく、僕の人となりとやらをを観察したかったのだろう。

よくよく話を聞いてみると、二人の旧友が、我が住む地に深い縁を持っていた。何かと言えば、一人は従兄弟が当地にいて、もう一人は奥方が我が家から5〜6分程度の位置に実家があるとのこと。これには僕も驚いてしまった。灯台もと暗しとはまさにしかり。

5人の男が一堂に会すれば、選択する道は二つ。我が家で腰を落ち着けて飲むか、さもなくば、裏さびれたネオン街へ繰り出すかである。僕の腹は決まっていた。もち、後者である。山の神に余計な負担をかけたくないことと、僕のおきまりのコースを紹介するのも悪くはないと思ったからである。

まずは和服姿の似合う、かってはフォークの女王と言われたママさんのいる小料理屋で腹ごしらえをすることにした。四畳半程度の小部屋に陣取り、ビールで乾杯し、BGMのフォークソングを聴きながら、だべりにだべりまくった。同級生との会話は屈託がなくて良い。言いたい放題だ。ママも旧友達から美人とおだれられ、嬉しくないはずがない。「これサービスよ」と、一品サービスがあるかな?と思ったが、多分そうだったに違いない。よく覚えていない。

腹ごしらえが出来たところで、僕はトイレに起ち、即、二次会への予約を入れた。おきまりのコースの第二弾。和服の店からしゃなりのママさんがいる店へと転じた。幸いVIPルームが空いていたので、そこへ陣取った。20代30代の乙女達が席を割って座った。わおーーーっつ、マンツーマン体制だ。皆が皆、黒いドレスで身をまとっていた。「お通夜でもないのに、なんで黒いドレスなんだ?」と一瞬、いぶかしく思ったが、まあ、これが高級店の正装かと思えば、それで良いわけだ。完璧とは言えない音響装置のもと、皆、カラオケに興じた。と言っても、誰も聞いちゃいない。おまけのように、ぱらぱらと拍手が。だべりの方が先行していた。仕方がないといえば仕方がない。

しばらくして、見覚えのある女性が応援でやってきた。すらりと背が高く、奈良か平安時代の貴族の娘を彷彿とさせるような顔立ち。のっぺらーとした美人。昼間の仕事は接着剤を研究する会社に務めているとのこと。僕はすかさず、ニックネームをつけてやった。「平安まろボンド」と。何のこっちゃ。大笑いしながら、商標登録したらどう?とけしかけた。

折もよし、しゃなりのママが、おごそかに登場。いやああ、いつ見ても美しい。僕は緊張した面持ちで、友人等を紹介した。ママはものに動じない落ち着いた様子で、丁寧に挨拶に応えていた。いやああ、僕の酔いもそろそろ佳境に近づいている由。峠はまだ越えていない。もう一件、立ち寄ることにした。今度はスナック。ここのママさんは異業種交流会のメンバーになっており、僕も良く知っている人である。ソファーの一角に腰を下ろし、当たりを見回すと、生まれてほどない赤ん坊をソファーの端っこで寝かしつけ、酒を飲んでいる一人の女性がいた。僕たちを見るなり、ずけずけとやってきた、「あら○○さんね」と、僕の名字を告げた。「僕の名字を何で知っているんだ?」と、一瞬困惑したが、思い当たる節があった。以前、この店で彼女に会ったことがある。その時は、彼女の娘が大学に合格したとのことで、娘とその友達と三人でこの店へ来ていた。確か、その時も赤ん坊をを連れていたような。僕は所望されて名刺をやった記憶がある。「不謹慎な女性だ」と感じた記憶がある。もち、僕は相手の名前も名字も知らない。

彼女は、その時、「○○さんは私の娘達を誘惑したのよ」と、旧友達の前で告げた。「と、と、とんでもない。人聞きの悪い」。声をかけて僕を呼んだのは、そっちじゃなかったっけ?。僕は大学合格のお祝いを述べて、ひとしきり説教したようなしなかったような・・・。覚えていない。いずれにしても、不謹慎な女性である。いかなる事情があるにせよ、赤ん坊をこんな場所へ連れてきて、寝かせるなんて、どうかしている。早々に退散することにした。ここで、止め説けば良かったのだが、峠を越した僕の脳裏には、もう一件の行き先があった。旧友達は皆、すこぶる元気。行かなくちゃ・・・行かなくちゃ」。井上陽水さんの歌を口ずさみながら、とある扉をたたいた。

もうミッドナイトを過ぎていた。この店は大学の後輩達がアルバイトをしている。後輩と言っても、おじんと娘というくらいの歳の差がある。歳の差はあれど、後輩は後輩だ。ここの店のアルバイト女性は皆、美術を専攻している。今日のバイト生は、彫塑とのこと。旧友の一人が絵描きなので、何か縁でもあればと思い、立ち寄ったわけである。ここのママさんにもニックネームをつけてやった。ママさんは外国に住む牧歌的な優しい女性を連想させた。かくして、「フランダースの犬を連れたご婦人」と言うことに決定。時々、フランダースのママと呼んだりする。ママも痛くこのニックネームが気に入っているらしく、自らもそう呼んでいるようだ。

「もう限界だーーーーーー」と言うことで、代行車を呼んで帰参することに。とっくに午前2時を過ぎていた。長くなってしまった、続はあとで書こう。



2006年06月09日(金) 梅雨の合間に思ったこと。

相変わらず忙しい毎日が続いている。体も、すこぶるとまでは行かないが好調。神・仏に感謝だ。世の中、上昇機運の景気が続いている?、こんな田舎でも動きが活発になってきた。事業家たちが、「それいけーーーワンワン」と、設備投資意欲をあらわにしている。

こちとらも、そのおこぼれに預かって、「ニャンニャン」と小さく吠えている。だが、以前も書いたが、どうも触手が動かない仕事もある。資料不足のうえ処理を急がされる。締め切り間近な事が多く、おまけに報酬をたたかれる。これじゃあ、やっとられませんぜーー。それでも引き受けなくてはならない。超零細事業主としては、一度断ると、後が続かないからである。悲しいかな---オーメーン。おっと、アーメーンか?。

それはそうと、目を転ずれば、世の中、陰惨な事件で満ち満ちている。肉親や年端もいかない子等が犠牲になっている。人間も動物だが、人間は他の動物以下だ。知能はあっても、その知能が災いして本能以外の欲が芽生えてしまった。

いみじくも、綾小路きみまろさんが、人間には三つの欲があると言った。「食欲、性欲、海水浴」。これには笑ってしまったが、最後の一つは金銭欲かもしれない。人間の貪欲な金銭欲が勝者と敗者をうみ、ひいては格差社会をうみ、それを助長させていく。今の世の中、まさにその様相を呈している。自由で健全な競争による社会の進展は好ましい。そこには少なくとも、思いやりという心が残っている。思いやりという心をなくした社会は悲惨である。我が事のみを考え、他人と比較し、日々、物欲のみで奔走する野獣社会。これじゃああ、子供も立派に育つはずもない。親が野獣なら子も野獣にならざるを得ない。

色んな事件をみて思うのだが、動機解明、動機解明と言って、個人の生い立ちをマスコミやらは追う。動機が何であれ、心底にあるものは「思いやりという心の欠如」であるような気がする。キリストが言った。「人はパンのみに生きるのみにあらず」と。含蓄のある言葉だ。パンを金銭欲とするならば、それ以外の物とは、思いやりの心に違いない。

教育現場でも、ひところ、「ゆとりある教育」というスローガンが掲げられた。ゆとりとは一体なんだ。精神的、物質的両面を狙った言葉なのかもしれないが、精神的な面が置き去りにされてきたようだ。ゆとりに奔走したのは子供達ではなく大人達ではなかったのか?。そのことがますます子供の心をゆがめ、不自由で不健全な社会を構築してしまったように思える。

偉そうな事は言えないが、やはり、「思いやりという心」をもった社会を構築するにはどうすれば良いかを真剣に考えることが必要だ。脱皮すべきはまずは大人。その見本が子々孫々伝えられれば地球という星も安泰。人間も安泰。動物も安泰。皆々、安泰だ。


2006年06月01日(木) 新しい月のスタート」に寄せて。

いよいよ六月。新しい月のスタートだ。すこぶる良い天気。まずは、朝起きて庭の掃き掃除と草花に水をやった。緑・緑とした葉っぱに水玉が転がり、日光に反射してまぶしい。この時節の緑が一番美しい。願わくば、カタツムリやナメクジが這っていたら、最高の風情なんだが・・・・。最近はナメクジもカタツムリも見ない。

そう言えば、昨日来たクライアントが話していた。ナメクジは野菜とか、果実の木とか餌になるものがないと来ないそうだ。従って、我が家には、草花しかないから、なめくじはいない。そう思えば納得も行くが。

クライアントから面白い話を聞いた。金のかからない、ナメクジ撃退法だ。ナメクジがわんさといるのに、ある部分だけは一匹もいなかったそうだ。「なんでだろう?」と観察しているとき、「ピーン」とくるものがあった。きっと、ナメクジにも天敵があるに違いない。「塩かな?」と思ったがさにあらず。ナメクジがいないところの雑草を刈り取り、ミキサーか何かにかけ、液状にしてから、ナメクジにいる場所へ振りかけたら、ナメクジが寄りつかなくなったそうだ。

「へーーー、そんなこともあるのか?」と一瞬、驚いたが、意外なところに意外なヒントが隠されていることって、結構ある。科学史上のいろんな発見もそうなのかもしれない。まずは、疑問に思うことと観察だ。

てなわけで、クライアントから桑の実で作ったというジャムをいただいた。ナメクジを撃退して作った天然100%のジャムだそうだ。そりゃあおいしいこと間違いなし。ただ、悲しいかな、「桑の実」って、どんな実だったっけ?。田舎的都会に住んでいる僕には、桑の実の実物を見たことがない。何となくブドウに似ているような?。そんな気がする。検索して調べてみよう。

さあーーーー、今日が始まった。人、一人っ子いない我が事務所で、今日の構想を思い描いた。ちょっくら、隣の市まで足を運ばねばならない。ドライブと思えば苦にはならないが、その後控えている、あまりしたくない仕事に取り組まねばならない。綾小路きみまろさんの漫談を思い出す。「私たちの仕事は呼ばれないとこれないのです。お客様を選べないのです。お金をいただいていますから」。まさにしかりだ。ちょっと違う点は、お客様を選べる事かもしれない。ただ、あまり選びすぎると、次からお客様が来なくなる。これじゃああ、おまんまの食い上げになる。なにはともあれ、良い仕事をたくさんしたいものだ。




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