umityanの日記
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2005年07月31日(日) 第10番惑星の名前は?。

太陽系の10番目の惑星が発見されたようだ。いやああ、地球も友達が出来て、さぞかし嬉しいだろう。学生の頃、九つの惑星を太陽に近い順に覚えたものだ。水・金・地・火・木・土・天・海・冥。実に覚えやすい名前がついている。これで、100点いただきだーーーー!!。

夏目漱石の「我輩は猫である。まだ、名前は無い」にあやかって、僕がなずけ親になってみよう。もち、採用されることはないが、僕なら、こう名付けよう。

  10番目の惑星  命名    ―祺星 (じゅんのうせい)
                ◆ヾ王星 (きおうせい)
                 夢王星 (むおうせい)
                ぁ]族星 (わおうせい)
                ァ‖垈星 (たいおうせい)

挙げればきりがない。平凡な名前になってしまった。それぞれに、独断と偏見で解説を加えてみよう。純王星ーーーーーなんと言っても、ピュアな惑星であって欲しい。と、同時に僕の名前の一字を採用した。希王星ーーーー将来への希望を抱かせる惑星であって欲しい。11番惑星発見への希望を込めている。夢王星ーーーーーこれも、希望と同じ考えだが、生命体発見、宇宙解明への夢をはらんだ惑星であって欲しい。和王星−−−−全人類の願いである平和をイメージした名前である。最後に待王星ーーーー待ちに待った惑星の発見である。いやああ、実に長かった。

どうも、いまいちって感じだ。発想の貧弱さを物語っている。それはそれとして、僕が一番好きな名前はやはり純王星である。我が名前が入っていることも一つの理由であるが、これは結構、覚えやすい。何となれば、王星がつくのは、天王星、海王星、冥王星である。その後に、純王星が来る。略して、天・海・冥・純(てん・かい・めい・じゅん)となる。楽勝だぜ。

第10番惑星の発見は、火星の氷と同じくらい、僕にインパクトを与えた。新聞によると、表面はメタンで覆われているらしい。また、地球に比べて、軌道面は45度、傾いているそうだ。太陽の周りを560年で回ると言うから、いかに遠いかがわかる。惑星かあーーーーー?。ワクワクするぜ。

宇宙科学の進展には目を見張るものがある。宇宙飛行士、野口聡一さんも、今、宇宙空間で活躍している。喜ばしいことだ。無事に帰還されんことを祈りたい。いかんせん、僕の寿命では、未来宇宙の動向をみることは出来ない。残念である。宇宙塵となった僕が、たとえ、エイリアンであってもよい。再生される機会を持ちたいものだ。今はそう願うしかないか?。







2005年07月30日(土) 気の置ける友人。

昨日は実質上の月末。懸案の商品(書類)を納品(手渡)し、客に喜ばれて気分爽快。プロたるもの、当然といえば当然だ。夕方六時。お天道様はまだ、西の空にとどまっている。この時間になると、妙に胸がうずく。「今日はちょっくら寄るか、寄るまいか?。帰ったがましか?。山の神が待っている。そうするか?。いや、まてよ。今日という日は二度と来ない。懐もまあまあだ。のりちゃんも電話すれば来るかも知れない。じゃあ寄るか。寄ろう。寄るぜーー。」と、車の中で自問自答だ。

ひとしきりの葛藤があって、例のごとく、ここ数年行きつけの小料理屋の暖簾をくぐった。な、な、なんと、そこには二週間以上、会っていなかった、「のりちゃん先生」が、一等席に陣取り、にんまりと座っていた。開口一番、「今、君の話をしていたんだ」という。失礼な奴だと思った。普通なら、連絡を取り合って同行する仲なのだが、最近、彼は僕を避けるようになっていた。その理由は、定かではないが、どうも僕のわがままにあるらしい。

僕のわがままって何だろう?。考えてみた。彼の言によると、僕はすぐ、場を仕切るのだそうだ。要するに、世界のなかの中心人物になりたがる。新しい客(もちろん顔見知りが多い)が入ってくると、のりちゃん、そっぽのけで、その客達と愉快に話を始める。のりちゃんとしては、当然、面白くない。そういうケースが僕には多いと言うわけだ。しからば、一緒に同行する必要もない。単独で来ればいい。これが彼の言い分。

他には、僕はすぐ、電話して知人を呼ぶらしい。女性のこともある。彼の了解を得ていない。これがどうも彼の堪忍袋の緒を切ったようだ。「君は残っていればいい。僕は先に帰るから」と、のりちゃんは冷ややかに言う。それを引き止める僕と、また言い合いだ。

致命的な出来事があった。彼は本来、「カラオケ」が好きでない。それは僕も承知している。そうであるのに、カラオケのある店で、執拗に「歌え、歌え」と、僕が催促するらしい。それがきわめて不快らしい。おまけに、カラオケ点数の動向にとらわれている僕に、愛想が尽きたと言うわけだ。「こんなじゃーー、一緒に同行できないなーーー」と彼は言う。

彼の言い分のみを書いたが、僕の言い分はこうだ。知り合いが来れば、挨拶して、わいわいやるのが好きな僕である。僕の気持としては、のりちゃんにも、その中に加わって欲しい。女性のゲストを招くのは、僕のためでもあるが、場を楽しく盛り上げたいと言う配慮もある。当然ながら盛り上がる。カラオケに至ってもしかり。点数が何点であれ、本来、一向に構わないのだが、うまいという評価は、他人のカラオケ意欲を喚起する。必ずしも悪い気はしない。と、同時に点数が悪いと、大袈裟に悔しがり、更なる挑戦へと、僕を駆り立てる。これも、場を盛り上げることになる。少なからず、僕は三枚目を演じている。

時々思う。僕はピエロなんだろうかって?。いや、そうではない。要するに、僕の本質は、おめでたい人間ってわけだ。結構、人間が好きなんだろう。人は誰でも、自分に無い何かを持っている。そんな「何か」に触れたとき、いたく感動するし、あこがれさえ抱くのだ。「単細胞のお人よしで、あんぽんたんのふーーけもん。ちと、知的」。まあ、これが僕にぴったしの言葉かもしれない。

色々と書いたが、昨夜は、雪解け水のように、のりちゃんとの断絶が縮まったようだ。同じ焼酎を飲み、つまみは仲良く半分ずつ。うなぎの蒲焼、小エビのてんぷら、野菜炒め、たこのぶつ切りを煮たもの。スパゲティーサラダ。肉じゃがみたいなもの。お腹一杯だぜ。単身赴任の彼は、朝食用に、海苔がそそり立ち、砦みたいなおにぎり二個。新たに、特上の焼酎のキープ。願いましては16,000円。8,000円ずつの割り勘だ。お帰りは、僕の代行車で彼のアパートを経由した。いつもはチャリンコかタクシーだが、早い時間での帰還とあいなったので、僕の車に便乗したのだろう。

最後に、ママの言を記しておこう。ママ曰く。「二人とも本当に仲がいいのね。こちらから見ていて、ほれぼれする」と。この言は確かに当たっているかもしれない。時々、僕もぞっとしながら思うことがある。「まさか彼は、男たるこの僕に愛を抱いているのではないだろうか?」って。考えすぎか?。残念ながら僕にその趣味はない。ただ、彼は意外と友人も少なそうだ。この、ちゃらんぽらんたる僕を、気の置ける友人の一人と思ってくれているのかもしれない。僕は気が多い人間だ。誰も、僕の欠点を、とがめてくれる人はいない。そういう意味では彼の存在は大きい。ぼくも反省すべきはすみやかに反省すべきだろう。










2005年07月28日(木) 今日はほろ酔いです。

久しぶりのドランカーです。ただいま帰りました。小料理屋へ行きました。焼酎を飲みました。小いわしと、サラダと、刺身と、ゴーヤチャンプルを食べました。おいしかった。豚肉ではなくひれ肉でした。よく区別もつきませんけど。一見客と話しました。人生って色々ですね。皆、懸命に生きています。僕もです。暑さに負けず。

最近、世の中はどうなっているのでしょうか?。六カ国協議、地震、台風、自爆テロ。ちっとも良いニュースがありませんね。悲しいですね。

そうそう、いいニュースもあったっけ。スペースシャトルが宇宙に飛んだっけ。日本人のだれでしたっけ?。酔っ払って名前を忘れました。宇宙でラーメンを食べたいとのこと。素晴らしい。宇宙でのラーメンの味ってどんなものでしょう?。興味があります。味噌味、しょうゆ味、とんこつ味。

宇宙かあーーーーーー。あまりにも広大で想像がつきません。いつかは僕も宇宙人ではなく宇宙塵になります。意識をもっていたらいいにのと思いますが、恐らく、それは無理でしょうね。

久しぶりに酩酊。とは言え、日記が書けるから、本酔いではなく、ほろ酔いでしょうか?。夜もふけました。そろそろ寝に就きます。おやすみなさい。


2005年07月24日(日) 草花は僕の恋人だ。

この頃、僕の日課と言えば、夕方、玄関横の草花達に水をやることだ。草花は、山の神が育てている。まだ、ばあ様が生きているころは口がすっぱくなるほど、目を三角にして、「水をやったかい?」と、山の神に言っていた。山の神は言われるままに、水をやっていた。習慣とは恐ろしいものだ。ばあ様の死後、山の神が見事に後継ぎをしている。僕には遠慮があったのだろう。一度も言われたことが無かった。僕も優しさが足りなかったようだ。頼まれないから水をやったことがない。

その水まきが僕の日課となった。理由はいかに?。何のことはない。山ノ神が一泊二日の小旅行で出かけたとき、夕方には、水をやるようにと、くれぐれも頼まれたからだ。いくら、不調法で能天気、ふうけもんの僕も、そこまで頼まれるのなら、いたし方が無いということで、きちんと水を与えた。

雑草刈はしても、花を育てる水まきには、とんと縁がなかった僕も、この炎天下だ。花のみならず、ついでに庭にもと、ホースを長く伸ばして噴水のごとくまき散らした。やってみると、これが気持いいんだよなーー。おまけだーーーーと言うことで、我が頭から水をかぶる始末。そんなことがあって、今はすっかり僕の仕事とあいなった。ほんまに習慣って恐ろしいものよ。

毎日、水をやって気がついたことがある。花も正直だ。精一杯、僕の方を向いて、水をおいしく飲む。朝になると、ぴんぴんとして、その可憐な姿を見せてくれる。生き物って可愛いぜ。その反面、猫の「もこ」ときたら、山の神にのみ、べったりとくっついて、僕の寵愛を受けようとしない。山の神に聞いたところ、「そりゃああ、ご飯を食べさせてくれる人が一番好きなのよ」と言う。

そんな「もこ」に、山の神の留守中、「えさ」を与えたところ、僕の足に擦り寄ってくるようになった。僕も幾ばくかの信頼関係を築いたかと思ったが、山の神が帰ってくると、僕の寵愛は必要なさそうだ。また以前と同じような状況に逆もどり。やはり、猫も知っているようだ。「ご主人様はわての事を嫌いなようだ」と。「わてのご主人様は山の神である」と。現金なやつだと思うが仕方がない。草花も同じなんだろう。可愛がってくれる人にみ、最高の美を演出してくれるのだ。

今は、すっかり草花が僕のいとしい恋人だ。何かの拍子に、心変わりが生じなければいいのだが・・・・。「花と叔父さん」という歌があった。まさに、僕は今、その叔父さんだ。


2005年07月23日(土) 尼僧さんの言葉。

連日の猛暑。ひとたび、部屋を出ると、もう、目まいがするほどの暑さ。気候が変わった。昔は、もっとましだったと思う。やはり、地球は病んでいるんだろうか?。ある友人が言っていた。こんなに暑けりゃ、熱中症になる前に、脳がやられてしまうと。然りだ。「どうしたらよかんべー」と考えるが、考えることすら、うつろになる。

「頭寒足熱」という言葉がある。これだ。これを実行すれば、少しは脳を健全に保てるかもしれない。そう思って、昨夜はネットで恐怖映画も見た。いやああ、怖かった。以前みた、「リング」や「ラセン」という映画と類似したものだった。昔の恐怖映画とは違い、機械文明がかもし出す恐怖。この種の映画は何故か、真実味を帯びて脳細胞を刺激するんだよなーー。

ただ、如何せん。この恐怖は、かえって興奮を招き、頭はカッカ、体は冷え冷えという「頭熱足寒」という逆現象を生んでしまった。これじゃあああ、ちぐはぐだぜーーー。おかげで、今日もまた、涼を探している。

うつろな頭で、一仕事を終え、何気なくテレビのスイッチを入れた。一人の尼僧さんが映し出されていた。女優の国生さんがインタビューしていた。尼僧さんの印象深い言葉がいくつかあった。戒律をやぶり、25歳年上の坊さんに恋をしたという。尼僧さんは悩んだが、その情熱のたぎりは80歳を過ぎた今でも、鮮やかに胸を焦がしていると言う。「嘘をつかず正直に生きなはれ」。含蓄のある言葉だ。ステーキでもとんかつでも、ばくばく食べるからすごい。

また、精魂込めてこしらえる、ゴマ豆腐は絶品だそうな。素晴らしい。もう一つ興味深い言葉があった。「寺の中ではお経を読まない。何故って、本尊さんは人間がこしらえた像である。仏さんは私達自身であるから」と。うんんん、人生を達観した人でないといえない言葉だ。なんだか、頭の中が「すーーつ」としたような。これぞまさに「涼」か?。

おっと、山の神が呼んでいる。買い物につき合わされそうだ。しかたがない。行くか。うんんん、僕は正直に「生きていないなーーーー。


2005年07月20日(水) 心頭滅却すれば・・何とかだ。

いてつくようなこの暑さはなんだべ?。恐らく35度を超えているだろう。僕の頑張りも徐々に失速だ。テレビを見ると、涼を求めてレポーターが奔走している。この暑さに嫌な顔をみせずに、終始笑顔だ。大変なお仕事、ご苦労様である。世の中が変わり、人も変わり、季節も変わった。願わくば、「よかれ」と変わって欲しいものだ。

「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言うが、心も頭も、かっか、かっかと燃えたぎり滅却どころではない。こんな時は静かに座禅でも組めばいいと、ある坊さんが言っていた。それも、一つの方法かもしれない。

そういえば、昔サラリーマンをしていたころ、会社の研修で座禅を組まねばならなかった。とある道場から先生がやって来ていた。広い部屋に横一文字に研修生が座布とかいう丸い敷物に尻をのっけ、足を組み、姿勢を正し、瞑想にふけるわけだ。姿勢が乱れると、いつの間にか、先生が後方にいて、背中を棒(警策とかいう)みたいなもので叩く。心や姿勢の乱れを制するわけだ。「パシッ」という音の場合は、痛くは無いが、「がしっ」という音の場合は、どうやら肩甲骨に当たったみたいで、痛いのなんのって・・・・。涙がちょちょぎれる。

そんな研修のある時、誰かが、叩かれたみたいで、その音が、「がしっ」というか、「ぼくっ」というか?、鈍く響いた。「ありゃ、痛かったばい」と、思わず僕は笑ってしまった。これがいけなかった。すかさず先生が飛んできて、僕の背中を、数回、力を込めて叩いた。な・なんと、棒が折れて天井へ舞った。さすがの僕もこれには驚いた。じっと痛みをこらえて、なんとかその場をしのいだ思い出がある。恐らく会社の上司に、報告は言ったと思うが、おとがめは無かった。当時は僕も世間知らずのあまちゃんだったわけだ。

以来、月日が流れて、あいかわらず、変わらない僕がいる。世の中が変わり、人様も変わり、気候まで変わったが、僕はこれでいいいんだべか?。「うんんんんん・・・・」と、汗拭き拭き考えている。


2005年07月16日(土) 雑草刈りと時代劇。

連休の初日が何事もなく過ぎた。天候は良からず悪からず。ままあまあってところだ。午前中はのんびりと過ごし、午後からは雑草刈りにいそしんだ。久々に腰振りダンスだ。前回は機械のロープが右肩に食い込んで、ずっと痛みが残ったので、今日は左肩に掛けることにした。

それにしても、雑草の成長が早いこと。先日刈ったと思ったら、もう伸び放題。おまけに、背高泡立ち草が、生意気に僕の背丈より高くなっている。うんん、ちょございな。一網打尽にしてやるぞ。ここで、はたと僕は考えた。まともに、端っこから刈ったのでは面白くない。周囲を刈り込んで、まん中へ攻め込んでいこう。今日はこの手で行くことに決定。最後に残るのは、お化けのQちゃんではないが、真ん中に毛が三本みたいな状況になる。そこを、「恨みますぜーーーー」と、一気に伐採だ。

あああ、疲れた。おっと、オイルが切れたので小休憩だ。ぐっしょり濡れたシャツとパンツを着替えて、麦茶を飲みながら、テレビのスイッチをオン。時代劇専門チャンネルに接続だ。ここは僕だけの領域。チャンチャン・バラバラの世界だ。いやああ、刀のよく切れること。ばっさ、ばっさと小気味よく悪人を倒していく。時代劇は勧善懲悪の世界。見ていて気持が良い。雑草も刈ると綺麗になる。なんか通じるものがある。

僕の好きな映画は、SF映画と時代劇。時代劇が好きなのには理由がある。ストーリーもさることながら、もっと興味を引くのは、鬘をかぶった女優さんたちの美しさだ。髪を結い、かんざしをつけて着物を着ている姿は、メイクしているとは言え、惚れ惚れとする。歯が真っ黒だと、化け猫みたいで、「ぞっ」とするが、やはり、白い歯がいいなあーー。侍の女房を演じると、かいがいしく、りりしく夫に仕え、三つ指ついて送迎する姿など、理想的な女房像かと思われる。

と言うことは、現実に対する不満が頭をもたげているのだろうか?。ちなみに我が家では午前0時をすぎると、茶碗や枕は飛んでこないが、頑丈な錠前が下ろされて、開かずの間となる。こんな時、「ああああ、侍の女房だったらいいのに」と思わないでもない。時代劇の世界では、「お帰りなさいませ。お疲れでございましたね。お召しかえください。お風呂が沸いていますよ」と言って、女房が正装の姿で出迎える。そんな言葉を聞き、姿を見ると、感動のあまり涙がちょちょぎれる思いだ。

時代は変わった。今は自らの身は自ら処しなくてはならない。開かずの間となるのは自業自得。錠前が下りるのは反省の機会を与えられているわけだ。これくらいならまだいい。永遠に開かずの間となったら、一貫の終わり。勝手に成仏してくださいということだろう。

ぼくも時代劇の女房にあこがれるよりは、もっと、現実を直視して、自らの何たるかを知らねばならない。それが肝心のようだ。おっと、時代劇にはまりすぎたようだ。さあ、雑草刈りの第2ラウンド開始だ。

てなわけで、午後7時まで野外作業に奔走した今日であった。




2005年07月15日(金) 海の日か。昔を思い出すぜ。

いよいよ雨が上がった。夏、夏、夏だ。暦を見たら、月曜日が休みになっている。何の日かと思ったら「海の日」だ。もう、僕ちゃんには、あまり関係の無い日。最近では、海は遠くになりにけりだ。好天に恵まれれば、老若男女で海は賑わうことだろう。幸いなるかな。島国・・日本。

僕は海と山に囲まれた小さな町で生まれた。小学生の頃、夏休みになると、よく近くの海へ泳ぎに行けた。いでたちはこうだ。頭に麦藁帽子。手に水中眼鏡。お毛毛のない、ちんちんには、幽霊さんが頭にかぶっている三角頭巾みたいなものーー、いわゆる「へこ」という真っ黒い水着をかぶせていた。はみ出すほどの大きい一物を持ってもいないのに、その「へこ」をつけると、一端の大人になった気分で鼻高々だった。足にはゴム草履だ。ほぼ、真っ裸の状態で、目的地まで、テクテク歩いていった。町の人の目も優しかった。

今の子等は上品で派手ないでたちの水着をまとっている。うらやましく思えるが、海水浴は何と言っても、裸で泳ぐのが最高。海が体の全身を優しく包み込んでくれる。とても気持が良い。恐らくは、赤ちゃんが母親の胎内で羊水に浸かっているみたいなものかもしれない。ただ、海の場合は、くらげに注意しなくてはいけない。大事なチンチンを射されたら大事だ。何度も痛い経験した。

家に戻ると、背中や手足がまっかっか。しばらくすると皮がはげてくる。友達と皮の剥ぎくらべをしたっけ。破れないように広く剥いだほうが勝ち。剥がれた薄い皮を見たとき、一瞬、不思議な感覚にとらわれた。なんだか、自分の分身がなくなったような・・・・。

時間が経つのが遅かった。思う存分遊んで、家に帰ると母が食事の支度をして待っていた。どこにでもあった家庭の風景。今も昔も変わりはしないだろうが、昔あった海では、もう泳げない。泳げる場所が、どんどん遠くへ行ってしまった。近い将来には、すべての海水浴場が地球から消えるかもしれなし。泳げる時に泳いでいたほうがいいだろう。「海で泳げなくても、プールがあるでよ」なんて言っても、海とプールでは大違いだ。海は母であり、生命体の源だ。だからこそ、ある時は厳しく、またある時は優しくつつんでくれるのだ。

部屋から一歩でた。じわーっつと汗がにじんでくる。部屋に入ると、ひんやりとして汗が引っ込む。これじゃああ体に悪い。すべての文明の利器を消して、「へこ」のみつけて、裸で過ごせたら最高かもしれない。あの原始時代のように。出来ないことは言わないほうがいいか?。


2005年07月12日(火) 蝉、赤とんぼ、猫、カラス達。

今朝、初めて蝉の声を聞いた。もすぐ梅雨があがる。赤とんぼが威勢よく庭を飛び回っている。昔もそうだったかなーーー?。季節は移り変われど、記憶はいまいちだ。赤とんぼって秋じゃなかったっけ?.

最近、身の回りで変わったことといえば、オス猫の「もこ」ちゃんが、すっかり大人になったことだ。時々、外ブラをする。近くに、眉間に険しい筋というか、皺をもった、大ドラ猫みたいなのがいる。見るからに、飼い猫じゃあないようだ。モコちゃんを威嚇している。いつぞや、取っ組み合いの喧嘩をして、見事、モコちゃんが敗退。片足を引きずって帰ってきた。以来、大ドラの姿を見るや否や、家の中へ駆け込んでくる。僕としては、「情けない」としか言いようが無い。「やっつけてこい」と言いたいが、まだ、未熟者。いかんともしがたい。

まあ、こちとらは飼い猫で、食事もたらふくまんま。過保護に育てられて、野性味にかけている。あちとらは、百戦練磨の兵。おのずと勝負は見えている。とはいえ、人間様たる僕の姿を見ると、尻尾をまいて逃げていく。そりゃあそうだろう。僕はモコの親だ。いじめられたら、僕がだまっちゃいない。動物愛護家には悪いが、一度だけ、竹ざおで追っ払ったことがあった。以来、僕を見ると逃げていく。僕の行動も大人気ないといえば大人気ないか?。

それはそうと、恐らく猫の社会にも、上下関係があり、テリトリーがあるのだろう。外ブラをするようになったモコちゃんに縄バリを奪われはしまいかと、大ドラも必死なんだろう。猫の社会には猫のしきたりみたいなのがあるのだろう。人間社会とちっとも変わらないわけか?。

もう一つ、身の回りで変わったことといえば、カラスの大群が押し寄せてきて、いたずらをすることだ。時々、屋根瓦から石ころが転がりおちる。人が石を投げたという気配は無い。何とカラスが石ころを転がしているのだ。電線には無数の真っ黒いカラスが、帯のように止まっていて、じっと下をうかがっている。僕が野良仕事をしている時もそうだ。恐らく、草刈や土を掘り返した後に、出てくる虫などを狙っているのだろう。頭は抜群によさそうだ。

ある寺の坊さんが言っていた。カラスがお墓の花立にさしてある、花を抜き取取り、あちこちに散らかしている。おまけに花ずつの中には小石がごろごろと入っている。どろころすると、墓石の天辺に、石ころが乗っている。子どものいたずらかと思っていたが、そうではないとのこと。カラスの心理は一体なんだ?。いやがらせか?、さもなくば、えさをくれというサインなのか?。

人間社会も住みずらくなったが、生き物達も生計をたてるのに必死なんだろう。皆が安心して共存できる環境が再構築されれば一番良いのだが。人間自体が、アップアップしている現状では、それもかなわないようだ。


2005年07月10日(日) 綾戸智絵さんの迫力あるコンサート。

昨夜は雷が少々。今朝は雷はいないが、終始雨模様。結構なことだ。幾分か暑さもやわらいで、クーラーなしで過ごせそうだ。人様は日曜日をいかに過ごしているのだろう?。僕はといえば、既に2件の仕事を終えた。まあまああ、満足のいくできばえだった。仕事の余韻に浸りながら、一杯のコーヒーに舌鼓を打った。さあ、今から僕の時間だ。

昨夜のことを語ろう。昨夜は、綾戸智絵さんのジャズコンサートへ行った。小柄な体から繰り出すあのエネルギーはすごい。自称、おばさんと自らのことを言っていたが、さにあらず。若さに満ち溢れたエンタテーナーだ。やはり、自分の好きなことで人を感動させる何かを持っている人は素晴らしい。綾戸さんが語った言葉が印象深い。「私を一生懸命にさせるのは皆さんです。皆さんが私を演出させるのです」と。うんん、確かにそうだ。シンガーと観客が一体となった時、会場に相乗効果がうまれ、すばらしい作品がかもし出されるわけだ。まさに、昨夜はそうだった。おかげで、ベッドの中では山の神のいびきと
、ジャズが妙にあいまって一睡もできない始末。山の神にそう言うと、「私は毎夜、あんたの雷のようないびきで、睡眠不足になっているわ」という。
知らなかった。そうだったのか?。要するに早く寝に就いたほうが勝ちと言うわけだ。

一方、目を世界に向けると。ロンドンで起きた同時多発テロには心が痛む。何の罪もない人たちが犠牲になることだけは止めて欲しいものだ。いかなる歴史的背景があるにせよ、武力での解決は、また武力を生むだけである。ある評論家が言っていた。そこに至っている根本にもっと目をむけ、その根本を、一歩一歩、打開していかなくちゃ終止符はうたれないだろうと。時間はかかるが、それが最良の解決策のように思える。先進国の首脳が集まり、いくら議論をしたところで、武力による平和の構築なんて出来ないだろう。願わくば、根本の解決にいたる方策を考えてほしいものだ .

せっかくの日曜日だ。暗い話は止めよう。







2005年07月09日(土) アマゾネス美女軍団。

強弱を交えながら、ジャージャーと雨が降っている。待ちに待った本格的な雨。嬉しい反面、降り過ぎはまたそれで、うっとうしくもある。僕は雨が好きだから苦にはならないが。人間って自分の都合ばかりで判断する現金な動物のようだ。そう言っている僕は野獣ではない。人間である。

昨夜は、恒例の異業種交流会。ボスと出かけた。七月はスタート月で、昨年の七月から今年の六月までの優秀参加者の表彰があった。異業種交流といっても、ビールの飲み放題に参加して、参加者同士の知己を温めるというもの。当然ながらビール好きの兵が集合するわけだ。

本来、ボスも僕も下戸。ビールはせいぜいジョッキ2杯程度が限度。昨夜は二人とも2杯半と頑張った。僕は調子が良い時は4杯の実績があるが、それは例外中の例外だ。いつも僕たちの前の席に座る仲間は、十年表彰と、努力賞を獲得。努力賞とは一回のみ欠席で、11回出席と言う、まさに準兵ということになる。ボスも僕も4‐5回、欠席した。300名近くの会員のうち、皆勤賞は13名。約4.3パーセント。まああそんところか?。ななんと、その皆勤賞を受賞した人のなかに、80歳を超える女性がいたから驚き。僕たちは小躍りして祝ってあげた。腰はピンと伸びて、痩せ型の婦人。ビールが好きなのか、人との交流が好きなのか?。恐らく、その両方だろう。いやはや、女性は強くて頼もしいぜ。赤ら顔で、流暢に談笑していた。

時間延長もあって、6時に始まり7時15分くらいまであった。雨はビールのごとく、ジャージャーと降っている。そつなく会を終えて、ボスと僕は、そく2次会へと出かけた。あいにく、行きつけの店はしまっていた。しからばということで、弟の紹介で一度行ったことがあるスナックへ。うら若い女性が経営している店だ。従業員はママをいれて6名。早い時間だったので、客はボスと僕。二人とも焼酎に切り替えた。一人、二人とカウンターレディが登場だ。いやああ、驚いたねー。そう広くもないカウンターに6名の女性が真横に立ち並んだ姿は圧巻。まさに、アマゾネスの美女軍団って感じだ。その中に、昔、僕を振った「かこ」という女性もいた。まあ、過去は過去だ。今更、現在、未来はないだろう。ボスも僕も圧倒されながら、歌の競演となった。

例のごとく、ボスの「やすらぎ」という曲がはじまった。昔は、ど・音痴だったボスも、この頃は音程を外さず、情感たっぷりに歌う。「うまい」。まさにやすらぐぜ。しょっぱなから91点の高得点。僕も負けじと最近覚えた、「地上の星」をおらんだ。この歌はいいんだよなーーーー。ちょっくら音程をはずしたが、無難にまとめて93点。「かこ」という女性は過去の目で、僕の歌を聞いているようだった。

ちらほらと客が登場し始めた。僕たちは数曲歌って店を後にした。帰り際、「かこ」という女性に、インターネットで僕の日記を見るように要請。君も登場しているからと言うと、「必ず見るわ」と言ってくれた。過去は過去だ。果たして、関心のない男の日記なんか読むのだろうか?。いや読まない。まてよ読むかもしれない?。いったいどっちなんだ?。僕に未練があるというのか?。ある。いや、ない。

まあ、こうなると、押し問答だ。すべからく時が解決してくれるだろう。
さあ、今からおでかけだ。雨の日と時を、そとで飯でも食って、何とかといった人の歌を聞きに行こう。


2005年07月06日(水) 今日は七夕の前夜祭だ。

七月もつつがなく過ぎていく。そういえば明日は七夕。どうも、この曇り空では星もみえそうにない。一年に一度しか会えない彦星と織姫。なんか泣けてくるなー。会えるだけでも幸せだ。りんご箱ベッドで泣いた失恋のことを思い出した。失恋とは、もう二度と会えないことを意味している。よほどの事態の変化が無い限りはだ。事態の変化があっても、その頃は僕の心も冷めているだろう。

昨今では、「遠距離恋愛」とかいう立場にある人も、たくさんいると思うが、愛しい人に会えない辛さは、経験した人でないと、分からないだろう。「あの人は今、何をしているのかしら?」。そう思うと心がうずくのだ。形は違うが、単身赴任の夫を思う妻や子どもの気持、戦場に我が息子を送り出した親の気持にも、相通じるものがあるだろう。

遠距離と言えば、故郷にいる母(父はもういない)のことを、よく思い出す。日々に老いていくが、何とか元気で暮らしている由。頼りにはならないが、兄も近くにいる。時折、帰省し、歴史が刻まれた母の顔を見る。苦労をかけてきたと言う自責の念が、ふつふつと沸いてくる。

このごろ、若・貴兄弟の確執がマスコミを賑わしている。兄弟は他人の始まりというが、どんなに仲たがいしても兄弟は兄弟。同じ親の血を受け継いでいる。憎しみも、いとおしさも、人一倍のものがあるはずだ。早く、仲直りの切っ掛けを見つけて欲しい。僕も兄弟げんかは何度もした。兄から、兄弟の縁を切るとまで言われた。それでも、何かのきっかけで、あの、喧嘩が嘘だったみたいに復縁している。若・貴兄弟もそうであって欲しい。兄弟とはそういうものだ。

今日は七夕の前夜祭。今、太陽の日が射してきた。気移りな天気のことだ。たとえ、星を見ることが出来なくても、明日の劇的な彦星と織姫の出会いに乾杯だ。ところで、僕とメーテルの出会いはどうなっているのか?。これこそ、まさに、会えない永遠の物語だ「メーテルよ、今いずこ?」。僕の心はうずくばかりだ。





2005年07月04日(月) 地球は回る。僕も回る。

最近のニュースといえば、暗いことばかりだ。そんな中での、ホッとする出来事と言えば、「巨人軍は永遠に不滅です」と熱く語った、あの長嶋茂雄氏が、病から見事に復活し野球観戦に来ていた。元気そうだった。ご回復おめでとうございます。又、卓球の愛ちゃんが中国で元気に活躍している姿は嬉しい。中国語も抜群だ。随分大人になったとは言え、あの愛らしい子どもの頃の顔はいまだに健在。まさに長嶋茂雄氏と同様、日本人のアイドル的存在だ。益々の活躍を期待したい。

ホッとする出来事ではないが、目を宇宙に向けると、アメリカが彗星の核に人工物を衝突というか、打ち込んで46億年前の地球誕生の謎を紐解こうとしている。これは画期的なことだ。新しい発見の期待がもてそうで、今からゾクゾクしている。

僕は眠れない夜には宇宙のことを考えるようにしている。もう、羊さんでは効き目が無い。羊が一匹、二匹・・・。あれっつ、何匹だったっけ?。やり直し・・・。かえって、目がさえてしまう。宇宙ってどうやってできたのか?。ビッグバン、ビッグバンというが、何故ビッグバンが起こったのか?。ビッグバンの前はどうなっていたのか?。宇宙って無限と言うが、無限のものって一体あるのか?。有限だとしたら、その限界の先には何があるのか?。壁があるのか?。

こりゃ、どう考えても結論なんてありゃしない。だから、自然と眠ってしまうわけだ。あまりにもスケールがでかすぎて、考えも及ばないのが実情。しからば、もっと身近なところで、何か考えられることは無いのか?。

僕は今、「星星の自転」、とりわけ地球の自転のことを考えている。何故、地球は自転しているのか?。地球のみならず色んな星星もそうだ。自ら回転している。この回答を求めて、検索したところ、回転していない星もあるかもしれないが、宇宙が誕生して以来、回転している星星だけが残っているらしいと言う。これじゃあ回答にならないが、僕はこの「自転」や「公転」という現象が宇宙解明の大きな鍵を握っているような気がしている。

普通に考えれば、回転するには回転するための力が必要だろう。その力はどこから来たのか?。又コマをまわせばいつかは首を振りながら止まるだろう。
地球も自転も止めることがあるのかしら?。ちなみに、自転の速度が遅くなっていることは事実らしい。海面と地面の摩擦によって、回転速度が遅くなるらしい。ということは何時かは回転を止める?。分からない。その頃、僕はとっくに宇宙塵となって、どこかを回っているだろう。意識もあるまい。

何故、星星は自ら回らねばならないか?。原子が飛び交って、くっつき合ったり、離れたりしながら、回転するることで安定するからだろうか?。ほれたはれたの男女関係みたいだ。分からない。分からないが、回転の理由を考えるほうが、宇宙の創生を考えるより、身近なような気がする。眠りながら何か発見できれば、ノーベル賞ものだ。万に一つもその可能性は無いが・・・。

おっと、月曜日。昼休みの時間も過ぎた。仕事に戻ろう。後はゆっくりベッドの中で考えることにしよう。「回る、回る。地球は回る・・・」なんかそういう歌があったなーー。


2005年07月03日(日) 七月の声。

いよいよ七月の声を聞いてしまった。蝉の声はまだ聞こえない。一足早く、赤とんぼが舞っている。「ええつ、もう秋か?」と一瞬たじろぐ。この頃は季節感があるようで、まるで無い。不思議な感覚というか、不思議な毎日。

梅雨があがれば、まさに夏に突入だ。夏で思い出すのは夏の風物詩。祭りに海水浴に浴衣に花火。スイカに団扇。幽霊でも出そうなお盆。肝試し。そういえば、「夏は来ぬ」という歌もあったっけ。子どもの頃は貧しかったが、行事目白押しで楽しかった。時がゆっくりと流れた。今は遠い思い出となりにけりだ。おっと、浮かれ気味に過去の思い出ばかりに浸ってもいられない。

今年は戦後60年となる終戦記念日を迎える。最近、テレビでは戦争にまつわるドキュメンタリーをたくさん映じている。衝撃だったのはサイパン島で終戦の頃、軍人をはじめ、日本の民間人がたくさん自決したことだ。中には、家族ごと、死のダイビングというか、崖から海中に身を投げて亡くなった人も多いと言う。知らなかった。その映像を見てショックだった。天皇・皇后両陛下がサイパン島を訪れ、崖に向かって、深々とおじぎをされている姿が印象的だった。時の流れの中での出来事で、その悲劇も風化しつつあるが、もう二度と戦争は起こしてはならないと決意と誓いを、戦後生まれの我々も肝に銘ずべきだ。

戦争のみならず、最近怖いのは地震の恐怖だろう。昨日もテレビで見たが、必ずや近いうちに大地震が起こるそうな。日本全国のあちこちに活断層が走っている。その断層の「ずれ」が地震となる。地球はたまったエネルギーを周期的に吐き出す必要がある。もうその周期がやってきているという。従って、いつ地震が起きてもおかしくない状況が整っているそうだ。

戦争のみならず、地震もたくさんの人命を奪う。我が地は大丈夫という安易な考えは捨てて、日頃からの周到な準備が望まれる。僕も、数ヶ月前、地震の恐怖を目のあたりにした。家が左右にゆれ、今にも倒れそうになった。元に戻ろうとする力が強かったためか、なんとか倒れなかった。僕はなす術もなく、柱にしがみついていた。我が地に地震が起きるなど、ついぞ考えたことがなかった。いまや違う。ちょっとした揺れや、物音、きしみなどに過剰反応をする。
わが身を守るためには、それくらいあっても丁度いいだろう。

なには ともあれ七月に突入だ。良き七月たらんことを願って、冒頭の挨拶にしよう。


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