umityanの日記
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2004年12月31日(金) 今年の総反省だ。

いよいよ今年も大詰め。僕の備忘録も今年最後の記述になる。考えてみれば飽きもせず、せっせと書いたものよ。時々、過去のものを読み返してみると、「そうだったっけ」と、懐かしくなる。と同時に、ちっとも、進歩していない自分に気がつく。文章には誤字、脱字も多い。要するに推敲が足りないわけだ。恥ずかしい限りである。まあ、恥もほんの一時のことと思って図太く構えてはいるが。

それにしても今年は内外をはじめとして、まさに激動の年。僕自身にもいろんなことがあった。今日はまさに、その総反省の日である。結論から言えば、すべからく生きてこれたということを評価し、一応、可を与えても良いだろう。おっと、ちょっと甘すぎるかな?まあいいか。

最近つくずく思うが、人はやはり、一人では生きられないのだと。いつも、人との交わりの中において、喜び、笑い、泣き、悲しむ。この世に自分一人しか存在しなかったら喜怒哀楽も必要ないだろう。そう考えたとき、今年も、例年以上に新しい人たちに出会えたことが嬉しい。ビジネスがらみもあり、私的な面でもある。会話を通じて心を探る。心を探りながら会話をする。会話と心が一致したとき、知り合いになるわけだ。
そうやって知り合うと、意外と交際が長く続く。そこに、アルコールが介在すると、なおさらである。そんな友人達が今年もたくさん増えた。

おっと、来客だ。ちょっくら中断しよう。


2004年12月29日(水) 人類は宇宙の中の稀有な存在。

いやはや、もう29日だ。寒い朝を迎えた。まあ、これが本来の姿。今までは異常気象だったのだろう。僕が一番ゆっくりできる正月は目の前だ。早く来い来い、お正月。お正月には、ゆっくり寝て、焼酎飲んで楽しみましょう。といっても、僕は家では飲まないのだが。・・・・・。

おっと、そんなのんきなことを言ってはおれなかった。僕の副業は既に休暇中。今は本業で大童だ。これは宿命みたいなもの。仕方がない。僕はせっせと野良仕事。庭の清掃だ。寒い朝の清掃は気持が良い。体を動かすことにより、ポッカポッカと温かくなる。

こんなとき、愛犬でもいればなーーと思う。数年前までは「エル」という愛犬がいた。今日みたいに寒い朝、掃き寄せた木の葉っぱに火をつけて、芋を放り込み、愛犬エルと戯れながら、芋が焼きあがるのを待っていたものだ。こんな空間は僕にとって、まさに至福の時。今はそれが出来ない。残念!!!。

身代わりといってはなんだが、、今は子猫の「モコちゃん」がいる。ほかほかと温かい居間で、大の字になって寝そべっている。やっと、信頼関係が築けたからだろう。僕より、もっぱら山の神の方にご執心である。
外に興味を示しているが、まだ怖いと見える。窓に鼻をこすりつけ、僕の行動を眺めている。こちとらは働いているのに、現金なものよと思う。これまた仕方がないか。残念!!!。

庭を掃きながら、今年の出来事を追った。一文字であらわせば、まさに「災」の年。いまだかって、こんなに災害が集中した年は無かっただろう。
堕落と戦争に明け暮れている人間にたいする、自然の警鐘かもしれない。自然の脅威の前にあっては、人間が長い年月かかって、こしらえたものなんて、砂糖菓子でこしらえたピラミッドのようなもの。崩れるのはあっけない。それでも、人間は数十億年もの間、つむいできた英知で、何度も何度も復活と進化を遂げてきた。今年の地球規模の災害だって、世界中が一致協力して英知を出し合い、助け合うシステムが確立していれば、少しは防げたかもしれないと誰かが言っていた。戦争や欲に身をやつすことに奔走していては、生きとし生きている「尊い生命」に申し訳ない気がする。

思えば、宇宙誕生が150億年前。地球は46億年前。生命体らしきものが生じて30数億年前。今日まで進化を遂げてきた。我々の祖先らしき人類が、現れて、まだ幾ばくも無い。ほんの刹那だ。能力を持った我々人類は、この宇宙の中でも稀有な存在かもしれない。貴重で尊い存在なのだ。

だからこそ、生をいとおしみ、生を全うし、貴重な経験を次世代に紡いでいかなければならない。来年は災害撲滅年としたいものだ。なんか、そう思える今年一年だった。


2004年12月24日(金) クリスマスケーキと経済効果。

もういくつ寝るとクリスマスと、首を長くして待っていたのは、遠い昔のこと。今では、さぞかし今日はケーキが売れるんだろうなーーーと、現実的なことばかりを考えている。まあ、物が売れることは良いことだ。すこしでも、消費が伸びると、経済の活発化に貢献できると思うからだ。

それにしても、今年も、昨年同様、不景気だった。失業率は相変わらず高いし、一部の業種を除いて、大半がアップアップしている。国だってそうだ。税収が落ち込み、国の借金が膨らんでいる。ちなみに来年の国家予算が82兆円。国民一人当たりの借金が600万円にもなると言う。「へーーーそうなの?」と、皆、一応に驚くが、「横断歩道、皆でわたれば怖くない」という変な連帯感というか、他人事というような風潮があり、あまり関心がないようだ。というのも、直接、借用書を突きつけられて、返済を迫られると言うことがないからだ。そこが問題である。もっと、真摯な目で、この数字の重大さを考えて欲しい。

まずは、来年以降、実行されるであろう増税。これは要するに借金を、税というかたちで、返済してくれということである。太古から、組織が出来ると、その運営のために、皆が何かを拠出した。いわゆる、これが税である。
皆のために使われるものだ。そう考えるから、一人当たり600万円という借金も、頭を掠めて通り過ぎるだけかもしれない。その大きさが実感できないのだ。借金の返済はいろんな表現で、形を変えて我々に迫ってくる。一番身近な例は消費税だろう。今は5パーセントだが、これがアップすると、我々の生活もアップ・アップすることになる。ゆゆしいおとだ。税がアップしないためには、やはり、経済の活性化が必要である。

ちょっと大袈裟かもしれないが、人間の細胞には既に「税という遺伝子」が刻まれているような気がする。直接の借金は返したくない。税なら仕方がないという考えが定着している。種を保存して、国家が存続することが至上命題であるとすれば、生活がアップ・アップすることも仕方がないということで、うなずけるわけか?。

ケーキの話が飛んだところへ行ってしまった。クリスマス商戦に踊らされているわけではないが、おいしいケーキを食べて、経済効果に、一役買ってくださいな。僕も食べよーーーーーっと。


2004年12月23日(木) 昨夜は野となれ山となれの大騒ぎ。

ようやく寒が戻ってきた。冬はこうでなくちゃ。とは言え、今、寒さに震えながら誰も来ない事務所で、ビタミンCの菓子を咬み咬みしながら、この備忘録をしたためている。体調はまだ、絶好調ではない。やることは一杯あるのだが、乗り気がしない。

昨夜は楽しかった。友、遠方より来るで、飲み騒いだ。友人は女性の友達を同伴。うらやましいぜ。なかなかの才女だ。僕たちは彼が所望していた小料理屋で気勢をあげた。なんと、その女性は小料理屋のママの高校の先輩で同じ町内に住んでいた。驚いた。さらに、彼女の名前を聞いたとき、以前、どかかで聞いたことがあるようなーーー?と思ったら、やはりそうだった。幾ばくかの情報を僕も知っていたわけだ。重なった二つの偶然。いやいや、それだけではない。何故に、僕の友人がその女性と知り合ったのか、これまた、偶然のことだろう。まるで、最初からそのストーリーが出来ていたみたいだ。これは必然だったのか・・・・・・?。

僕たちは意気投合した。二次会は僕の案内だ。再び行きつけの小料理屋へ乗り込んだ。例によって「奈美ちゃん」という、美人スタッフがいるところだ。な・な・ななんんと、そこには、顔見知りの二人が既にいた。一人は、のりちゃん。まさか彼が今日もここにいるとは夢にも思わなかった。彼曰く。「僕が来ると思っていた」と。いやはや、彼のいつものせりふだ。僕にとっても、嬉しくないことはない。美女と酒と友は、まさに、癒しの原点なのかもしれない。皆、求めているわけだ。ふと、そう思った。

さらに驚いたことに、大学の同級生が・・・。彼は「誠ちゃん」と言うが、同僚を二人引き連れてやってきていた。誠ちゃんとは、何ヶ月ぶりの再会だろう?。定かには思い出せない。すべての顔見知りである僕が中をとりもって、各人を紹介した。こうなれば、もう、場は皆、親戚の隣保班みたいなもの。歌えや、だべれの大騒ぎだ。誠ちゃんが、ここ10年来歌っている」ダイアナ」という曲を、ちんぷんかんぷんの音程でおらんだ。お見事。90点の高得点だ。ここが不思議なんだよなーー。下手でも高得点とは、これいかに?。僕も三曲ばかり披露した。山口百恵さんの「コスモス」、加山雄三さんの、「君といつまでも」、さらには、クリスマスの前、前夜際ということで、「きよしこの夜」。得点については言及すまい。おっと、忘れていた。のりちゃんとデュエットで、郷ひろみさんの「哀愁のカサブランカ」を歌ったっけ。まあまあの出来だった。お互いに照れていては、高得点も期待は出来ないものだ。

僕も友人も焼酎で、相当に酩酊。時間も随分と過ぎたということで、友人の同伴女性がタクシーで帰っていった。僕たちのこの大騒ぎが、彼女の目にどう映ったかは分からない。ただ、不愉快に思わなかったことだけは、間違いないことにしておこう。

かくして、今日を迎えたわけだ。もう三時だ。そろそろ、備忘録を閉じよう。


2004年12月22日(水) 今日のスケジュールは?。

小春日和のいい天気である。今、何をしようかと思案中。やることは一杯ある。その順番を検討中。夜は友人が来訪予定。一献やる予定だ。ちなみに、目的はこちらにいる知人(女性)と会って懇親を深めたいそうな。僕は一応保護者ということになるのか?。同い年の保護者か。一体どうなってんの?。

ま、それもいいだろう。友人は山の神と別居中。もう、2年以上になるか?。何がどうというわけではない。たまたま夫婦ともども、同じ仕事(専門職)をやっていて、そりが合わないのだろう。互いのプライドがそうさせるのか、よく分からない。友人は、過去、山ノ神側の両親に、たいそう世話になってきた。そのことに対する負い目があり、かつ、山の神への愛情が冷めてしまったとなれば、いかんともしがたい。

一度尋ねたことがある。「結婚は打算だったのか?」って。彼曰く。「最初はお互いにそうだったかもしれない」と。同業の職種を持ち、山の神の両親やらの援助があり、そりゃああ、滑り出しは順風満帆の勢いだった。借金もすべて返済し、いつぞやの年賀状に、「金はいいから暇をくれ」とかなんとか書いてあった。僕もその当時は、「いやはや、たいしたものだ。うらやましいぜ」と、驚いたものだ。
ただ、家庭内事情は必ずしも順風満帆とはいかなかったようだ。年月と共に互いの仮面がはげてきたのか、身を固めた発端が不純だったからなのかは分からない。

時々思うが、夫婦と言っても所詮は他人同士。他人どうしであれば、そう簡単に、うまくいくわけがない。ただ、愛情と子供が出来れば別だろう。そこに、血脈という絆ができる。いわゆる、他人同士が力をあわせて製造した分身である。最近、アバターとかいう漫画チックな分身があるが、それとは比較にならない。二人の遺伝子を宿した、まさに、正真正銘の分身。それが子である。子はかすがい。柱と柱を固くつなぐ、重要な存在なのである。少なくとも、夫婦が別れないで済むのは、この「かすがい」があるからとも言える。

ただ、いかんせん。愛情なき結婚だってありえる。子が出きても、愛情が冷めることもある。我々は考える動物である。夫婦であっても利害損得もあるし、打算も、欲望もある。その調節が効かなくなったとき、おのずと、別離の道を選択することもあるわけだ。

他人の真意は定かには分からないが、面白いことに友人は、いまだに、同じ屋根の下(職場)で、共通の仕事をしている。それぞれがクライアントを受け持って。生活のタメと言えばそれまでだが、冷めたもの同士が、一つ屋根のしたで、仕事が出来るんだろうか?。どういう顔をして?。ここが不思議なところだ。まだ、未練があるのだろうか?。他人にはわからないところだ。

その友人が今宵は新しい異性と会う。要するにデートということだ。僕も初めて紹介されるわけだから、少なからず興味がある。さてさてどうなることやら。

おと、これは今日最後のスケジュールだった。まずは、そこに至るまでのスケジュールを消化しなくてはならなかった。さてと・・・・・・・。








2004年12月19日(日) 雑草刈りで正月の準備だ。

今日は久々に雑草刈で汗を出した。エイリアンと戦う戦士見たいな格好で、草刈機械をぶんぶん振り回す。歯は替えたばかり。切れ味抜群だ。セーラー服と機関銃の薬師丸博子さんの言葉ではないが、「快感」って感じなんだよなあーーー。人様は危ない男だと警戒して、遠回りしながら、横を通っていく。

冬場は夏と違い、草は枯れていて勢いがないが、もう既に、雑草の下には青々とした若草が春を待ちわびて立ち上がろうとしている。「やめてくれー」と叫びたくなるが、彼らの見事な生命力に脱帽だ。

幸い今の時期は蛇もいないので、雑草の中を思い切り進んでいける。正味一時間半ばかりで雑草を一網打尽。ついでに、路上のガードレールの横に寝そべっている草まで刈った。まあ、これはサービスである。我が家へ通ずる道でもあるから、感謝こそされても、誰もとがめる人はいない。

久々の肉体労働は疲れたが、終わったあとはスカッとして気持が良い。こんなとき、缶ビールでも「ごくっ」とやれば、最高。と言いたいところだが、僕は我が家でアルコールをたしなむ習慣が無い。夏でも冬でもしかり。なんでも、世の中にはそういう人も多いそうな。その代わりと言ってはなんだが、外では仕事みたいに、アルコールをたしなむから不思議だ。

「なんでだろう?なんでだろう?」。僕にとっては、味よりも、雰囲気が大事。心地よけりゃあ、そのついでにアルコールを所望するわけだ。もちろん、その逆もある。アルコールを所望するから心地良くなる。僕は一体どっちなんだ?。どっちでもいいか。たいした問題じゃない。せわしい師走にそういうことを論ずる必要もない。

てなわけで、僕の雑草刈が終わったのでした。それにしても、日が暮れるのが早いぜ。時々思う。昔もこんなんだったっけと。多分同じだろう。特に田舎は、まわりに、怪しきネオンもなく、真っ暗。人様の影も見えない。眠らない町、都会とは違うのだ。高齢化が進み若者がいない。日が早く暮れるとうのも、うなずけると言うもの。夕飯も食った。後は風呂に入り、テレビとやらを、チラッとみて寝るだけだ、その前にこの備忘録をしたためている。

まだ、クリスマスも正月も着ていないのに、僕の心はすでに、春へ飛んでいる。今日見る夢は、恐らく、春のぽかぽか陽気の中で、雑草刈りにいそしんでいる僕の姿かもしれない。「春の雑草はしぶといぜ」とかなんとかつぶやきながら・・・・・。



2004年12月18日(土) 今年を振り返れば・・・・。

僕の今年の仕事もほぼ一段落。後は残務整理をするだけとなった。可もなく不可もなく働いてきた両手をじっと見た。節くれだった指が異様に短く感じられる。「俺って、こんなに指が短かったっけ」と思わず苦笑だ。それでも、脳の指令を受けて、ちゃんと仕事をしてきたんだという自信が伺われる。誰かの言葉ではないが、「自分で自分をほめてやりたい」。誰も褒めてくれないから、そうするしかない。

思えば、今年もいろんなことがあった。昨年の今頃、ばあ様の死を皮切りに、あわただしい正月を送ったことを思い出す。もう、一年が経った。何かとうるさい、ばあ様だったが、僕にとっては幾多の経験を伝授してくれた師匠みたいな存在だった。未熟者の僕のことだ。先代との比較において僕の所業に、もの足りなさを感じていたのだろう。これは仕方がないこと。僕は僕のカラーで行くしかない。「そうじゃ、ありませんか?」と言いたいが、もういない。

家族が少なくなったことは、やはり淋しい。山の神から見れば、大山の神と言うことになるが、その寂しさは僕以上のものだろう。されど、女は強し。その気丈さは、やはり、大山の神ゆずりに違いない。

例によって、夜な夜な遅く帰宅すると、大山の神の部屋の明かりが光々と灯っていて、障子の破れ目から、片目が覗いていたときなどは、そりゃああ、おっかなびっくり。さすがの僕も鳥肌がたったものだ。その後、しばらくは品行方正に努めた。今では、ばあ様の部屋は立派に整理がついて、コタツなど置いて、ごろ寝の間になっているが、夜を一人静かに過ごすには、僕には荷が重すぎる。というより、まだ、あの片目の恐怖感がわすれられずに、いたたまれなくなるのだ。こちらの方言で言えば「ひいたれの僕ちゃん」である。さすがに、山の神には、大山の神みたいな素質はないのだろう。僕が遅く帰宅しても、開かずの間となっているか、もしくは、雷鳴のような高いびきが迎えてくれるのがおちである。

やがて春を迎かえ、いい陽気になったと思いきや、梅雨に突入。梅雨らしき梅雨もなく、そうこうするうちに地獄の猛暑襲来だ。そんな中で、ばあ様の初盆を迎えた。やれやれと思ったら、猛暑の後は台風の猛攻だ。三度も殴り込みをかけられ、不安が頂点に。20メートルのフェンスがブロックもろともなぎ倒された。先日やっと、修理が終わったばかりだ。ご和算で願いましては○○円なり。恨みますぜえーー台風さん。

我が家ばかりではなく、あちこちで同じ状況が続発したそうな。まああ、これはいいほうだろう。見渡せば日本列島が災害で縦断された。地震、台風、雷、家事。枚挙にいとまがない。なんといっても、地震で被災された方々が一番、苦労を抱えられた。心からお見舞い申し上げます。

秋も深まり、日本列島も平静をとりもどしたかに見えたが、内外の情勢は予断を許さない。不景気と財政難にあえぐ国内では増税が、いまや遅しと攻撃の隙をうかがっている。対外的にはイラク戦争、北朝鮮の問題。一体、世界はどういう方向へ向かおうとしているのか定かに見えない。

20世紀もそうだったかもしれないが、21世紀も混沌と不確定性の時代様相を呈している。由々しいことだ。やはり、「人類皆兄弟」という平和構築が一日を早く実現することを、来年の夢、いや、来年の課題にしたいものだ。師走も半ばを過ぎた。大雑把な今年の雑感だ。



2004年12月17日(金) 豊かさと子供

最近、とみに感じるが、世の中がめまぐるしいスピードで変化している。
「一体どうなっているの?」と思うことばかりだ。仕事上でも、電子化の波が押し寄せてきて、年を食えば食うほど新しいシステムについていけない。書類はその大半がペーパーレス化し、コピーされたペーパーは形式化され、味気ない活字が羅列されているだけ。見た目はきれいだが、どうも、書類に塗りこめられた作者の心情とか心意気とか、熱い息吹みたいなものが伝わってこない。ビジネス文書にはそういうものは、不要と言えば不要かもしれないが・・・・。その点、昔は、「誰が書いたのだろう?、作成者は誰かしら?」と思わせるような達筆な文字で書類がしたためられていたり、字は下手だが丁寧に書かれていたり、はたまた乱暴な字で、見るのも嫌だというような書類もあった。
見るほうは大変だが、なんだか書類が生きているという実感があった。
しかるに今は、冷たく凍っている活字だけが目に飛び込んでくる。

国の方針は機動力に飛んだ身軽な国家経営体質への転身ということにある。電子化はその流れの一環をなすものだ。世界の水準に遅れをとってはなるまいと、急ピッチで、あらゆる分野での21世紀型先端技術を追い続けているわけだ。確かにその方針は間違っていないだろう。なぜならば、後10年か20年すると、おびただしい高齢者が巷にあふれ、若手の労働人口が激減する。働けない老人が増えて、働く若者が少ないとなれば、当然、世の中の推進力を補うものとしての電子化は重要な問題である。代替労働力として、ロボットの役割も大きくなるだろう。

いやはや、えらい時代に生を紡いでいることよ。ともあれ、巷にあふれた高齢者達はいかに往くべきだろうか?。大半が高層ビルの中に設けられた老人ホームや介護施設で愉快に楽しく生きることになるのだろうか?。うんんんん・・・・どうもそれは否ではないだろうか。幾ばくかの年金を頼りに、再び「ウサギ小屋」のような狭い空間で、アップ、アップしながら生きていくのが関の山かもしれない?。断じてそういう往き方は嫌だが、どうなることやら?。

悲観的なことを書いた。この責任はやはり自らに帰すべきかも知れない。豊かさを享受する代償として、20世紀後半から文明圏では子供を生まなくなった。子供をたくさん生めば、豊かさを犠牲にしなければいけなくなった。お金もかかり、自分の欲や快楽や行動が制限されてしまう。そうなることを拒否したわけだ。僕とて大きいことをいえる立場ではない。子供が一人しかいないからだ。たとえ、子供が好きで、「お腹、大きくなあれ・・・」と、想像妊娠らしきことは出来ても、最終的には自らの腹を痛めて、「おぎゃー」とベイビーを産むことなんて出来ないからだ。悲しいぜ。

思うに、子供の数と豊かさを天秤にかけることが、そもそも間違っているような気がする。本来ならば、子供の数が多ければ多いほど、世の中は豊かになっていかなければならない。なぜなら、未来により多くの夢を託せるからだ。夢の実現だって、どんどんかなう。社会が豊かにならないわけが無い。子供の心だって、兄弟姉妹の間ではぐくまれる。一人っ子では、多産の動物達のように、じゃれあうことも出来ない。あの、じゃれあいが、心を成長させるのでは。ただ、気付くのが遅かったのかもしれない。誰も少子化が自分達の首を絞めることになるとは思っていなかったのだろう。僕もまったく考えていなかった。

子供が少ないという付けが、まもなくやってくる。電子化しかり。ウサギ小屋しかり。心の荒廃化しかり。ゆゆしいことだ。だが、まだ遅くは無いだろう。「どうぞ、未来を担う少年少女たちよ。子供を生んでくださいな」。
「おれ、おれ、私、私」で、高齢者から金をせびるのではなく、「出来ちゃった。また出来ちゃった」で、子供を育てたほうが、はるかに未来が明るいような気がする。僕だって、老骨に鞭打って、あと、一人や二人、いや、もっともっと、と子供が欲しいと思うこのごろである。


2004年12月16日(木) 雑感

12月とは思えない温かい日が続いている。嬉しくもあり嬉しくもなしだ。嬉しい面で言えば、寒さで身を心も縮む思いをしないですむ。要するに、仕事がしやすいし、分厚い服で身を包む必要もなく行動がしやすくなる。これはいいことだ。嬉しくないと言えば、温かいせいで、気分が「だらーーーーつ」となりがち。緊張感が今ひとつない。夏の余韻を残したまま、けだるささえ感じてしまう。やはり、素直に季節が変わっていくのが自然体で一番良いようだ。

正月が近まった。「もういくつ寝るとお正月・・・・」、小さいころはそんな童謡を歌って、その日の到来を心待ちにしたものだ。何よりも前夜遅くまで起きていられることが嬉しかった。夜9時ごろになると、「もう寝なさい」という小言を言われることもないからだ。お年玉の夢でも見ながら、朝も遅くまで寝ていられた。最近の子供達はどうなんだろう?。日ごろより、遅くまで勉強したりゲームに熱中して遊んでいるのから、取り留めて、正月が楽しいということもないかもしれない。今と昔はそこが違うのかなーー?。

そういえば、「もちつき」なんかもやっていた。今ではあまり、目にすることも少なくなったが、うすときねで器用にもちをこしらえる。つきあがった「もち」を、もみじのような手で丸めたものだ。これはちょっと、オーバーだ。いちょうの葉っぱのような手で丸めた。出来立ては、赤ちゃんのほっぺたみたいに、やわらかくて、おいしいんだよなーーーー。

最近、知人が「夢を持って生きたい」と言っていた。ほんにそうなたー。僕も同感だ。今は夢のもてない時代、不確定性の時代だ。巷では不景気風にあおられて、身も細るばかり。太るのは借金ばかり。おまけに、来年以降は増税の嵐が吹きそうだ。「これじゃああ、あんまりだ。一体、住みやすい世の中って、どこにあるんですかい」。そう言いたい気がする。見る夢も、悪夢ばかり。

悲観的なことばかり書いたが、真実だから仕方がない。来年こそは何か明るいニュースで包まれたいものよ。個人的には今のところない。まあ、「果報は寝て待て」というから、そうすることにしよう。おっと、来客だ。今日はじめてのお客さんだ。丁重におもてなしをせねば。



2004年12月14日(火) 今日は弟(仕事仲間)の事務所の忘年会

今日は弟(仕事仲間)の事務所の忘年会に招待を受けている。昨年もそうだった。弟の魂胆は、二次会を僕と二人で気楽に過ごし、一年の笑いおさめをしようと言う訳だ。僕としても望むところだ。今年は弟にも随分と世話になった。まああ、持ちつ持たれつで、よいこら、ほいこらとやってきたわけだが。

それはそうと、実は昨夜も、のりちゃんと一献傾けた。ボスがあとから合流。連日の酒びたりだ。歌って飲んで大騒ぎ。いやああ、歌はいいものだ。酔いも歌で、幾分かはさめてくるからだ。ところで、自慢ではないが、僕は先週の木曜日から今日に至って、6日間連続の午前様ということになる。ただ、不思議なことに、いたって元気。翌朝に、ほとんどアルコール分が残っていない。品行方正な飲み方?をしているからだろうか?。多分、そうに違いない。でなければ、体がくたくたのはずだ。

体は健康でも、やはり、怖いのは山の神。ボスも、しょっちゅう小言を言われているそうな。僕たちは家庭内規則破りの常習犯だ。「今日中に帰ってきてよ。でなけりゃ、鍵をかけとくわよ」とくる。規則を守ろうと努力はするが、代行車が遅かったり、引き止められたりで、0時をオーバーすることがたびたびだ。お互いに、相手の所為にして、責任転嫁をしているが、いつまでも、同じ手は通用しない。「まことに申し訳ありません」と、僕が三つ指ついて、お詫びを請わねばならない。この辺が、養子くずれみたいな立場のつらいとこなんだよなーーーーー。甘えは許されないぜ。

合鍵を持っているときは心配ないが、そうでないときは車の中で一晩明かすことになる。てなわけで、最近は二人とも合鍵を持っていることが多い。のりちゃんみたいに単身赴任なら、時間にいとめをつけなくていいわけだが、僕たちの場合はそうは行かない。
いずれにしても、今年も大いに反省、反省である。来年こそはもっと、ましな人間に脱皮しようと、誓いを立てるが、はたしてどうなることやら。

僕も恐らく明日くらいまでが、娑婆世界との格闘。しかる後の二週間は、内部世界との格闘になる。家の外回りの清掃をはじめ、部屋の内部を清掃し、積もった一年の垢を落とさなくてはならない。もちろん、僕自身の垢もだ。

はあやく来い来い、お正月。正月だけが一年中で一番ゆっくり出来る。おっと、忘れていた。クリスマス前に友人の一人が来訪することになっていた。それが最後の懇親会ということになろう。

まああ、先のことはいいとして、今日も品行方正な僕ちゃんでいよう。



2004年12月11日(土) ボスも昨夜は絶好調。

ボスも昨夜は絶好調。
昨夜は今年最後の異業種交流会があった。久しぶりにボスと出席した。ここ、数ヶ月は所用で二人とも出ずじまい。名誉挽回のためと、ビンゴゲームに勝利して、景品獲得の美酒を味わいたいとの二人の目論見。見事外れたぜーーーーー。誰かの言葉ではないが、残念っ・・・・。

読み上げられる数字に、歓喜と落胆を繰り返しながら、なんとかリーチまでたどりついた。今年こそはと、ボスともども意気込んだが、後は鳴かず飛ばず。来年は酉年だというのに、「さいさきが悪いぜ」と、二人とも意気消沈。それでも、残念賞で、皆に袋入りの土産があった。まあ、仕方がない。

残念賞は残念ながらいつも、我が家に届いたことは無い。寄り道先の土産となってしまうからだ。昨夜も、ボスと僕の残念賞がなじみの小料理屋のカウンターへ置かれた。「ママと、奈美ちゃんへのお土産だよ」というと、二人とも嬉しそうにほくそえんだ。これで、お足も安くなりゃあ最高なんだが、これと、それは別ということらしい。ごもっともだ。ビジネスに私情は禁物だ。

そうこうしていると、相棒の「のりちゃん」がひょっこり登場。「ありゃあ、新幹線に乗って、山の神の待つお城へ帰らなかったの?」ときくと、どうも、会議とかがあって、帰れなかったらしい。いや、自ら帰らなかったのかもしれない。本来なら僕への誘いのテルがあるはずだが、「単独行動とはこれいかに?」と問うと、「多分、僕が来ると思っていた」という。うんんん、なかなかうまい表現で逃げたものよ。

実は僕もそうだが、彼も密かに美人カウンターレディー、奈美ちゃんのご寵愛を独り占めにしたいと思っていたのだろう。僕たちが先にいて、きっと、残念だったに違いない。残念・・・・・・。またの機会にどうぞ。

残念と言えば、もう一人の友人、「安さん」も、ちらっと顔をだした。僕の車が駐車場にあったので、挨拶に寄ったという。そそくさと彼は出て行った。彼の行き先は決まっている。指の運動である。いわずもがな、パチンコ。最近、しこたま勝ったらしく、昨夜もその恩恵に預かりたかったようだ。「勝ってきたら、俺のおごりだ」と大言壮語していた。

僕たちは首を長くして待ってはいなかったが、10時を過ぎた頃、彼は戻ってきた。顔は真っ青。苦闘のあとが伺われる。誰も負けたことについて言及するものなし。僕は言ってやりたかった。「だから言わないことじゃない。柳の下にいつもどじょうはいないのよ。欲もほどほどにせにゃーーー」と。安さんもどうやら分かっていたようだ。自ら切り出した。「いやああ、公務員さんにボーナスがでたっけ。それで、釘が締まっていたわけよ」と。なるほど、娑婆世界とはそういうものかもしれない。

気を取り直して僕たちは歌に挑戦。なんと、ボスが得意中の得意の歌。「やすらぎ」をおらんだ。91点。声はうるさいが、確かに、やすらげるぜーー。なけるぜーーーー。安さんの食指が動いた。安さんは98点という前人未到の高得点をたたき出した男。挑戦本能が首をもたげた。ただ、いかんせん。昨夜は歌も湿りがち。うんんん、返す言葉がない。○○ブラザーズという、異名をもらっている、安さんと僕も、さすがに、「白いブランコ」のデュエットを唄うまでには至らなかった。一人ほくそえんで鼻息が荒かったのはボスばかりだ。

めったに歌わない、のりちゃんが僕とのデュエットを所望。「ええっ、」と、一瞬、僕はたじろいだが、「まあああいいか」ということで、「哀愁のカサブランカ」を二人でおらんだ。いやああ驚いた。90点の高得点が・・。魔術師みたいな、ママの白い手による機械の微調整が功を奏したのだろうか?。僕たちは言ってやったね。「ママ、僕たちにエコーはいらないよ。不愉快だーーー。やり直しだーーーー」ということで、再度歌った。なんとも、エコー、ゼロの歌は、味気なく、一本調子。もう、皆大笑いだ。それでも、同じくらいの得点が出るから、不・思・議。「なんでだろう?−−なんでだろう?」。この機械は一体どうなってんの?

いやはや、一見客の集いはいつもながら楽しい。てなわけで、0時を過ぎた頃、絶好調のボスともども帰還した。のりちゃんは、ちゃりんこ。安さんは、この店の隣保班。歩いてご帰還だ。まだ、数回は皆と会うチャンスがあるかもしれない。それぞれが、それぞれの道で齢を重ねながら、和気あいあいと生きていくことが最高の幸せだ。

我が幸せのみならず、生きとし生けるもの、そのすべてが幸せであって欲しいと思う。なんか、そう思えた昨夜の出来事でした。


2004年12月07日(火) クリスマスかあーーーー。

今朝は曇り空。暑くもなし寒くもなし。朝から一仕事を終えて今、事務所に帰ってきた。お昼休み時間だ。ラジオから心地良いクリスマスソングが流れている。そうか、もうすぐクリスマス。去年のことを思い出した。確か、どこかの小料理屋へ行って、ケーキを食い、シャンペンを飲んだっけ。その後は、カラオケで「きよしこの夜」の歌をおらんだような・・・・。恐らく今年もそうなりそうな予感がする。もう、若い美女とのデートもサンタさんがプレゼントとして持ってこない限り望みなさそうだ。

まああ、何はともあれ、行事にかこつけて、飲んだり騒いだりすることは楽しいものだ。これは全世界共通のこと。願わくば、こういう行事が世界の平和の一翼を担って欲しいものだ。

最近、海外で活動しているボランティアの人たちの姿をカメラが捕らえていた。ただただ、彼らの姿に頭が下がる。祖国を追われた難民の人たちを支え、貧困と飢えで暮らしている人たちを、身を粉にして励ましている。
彼らの言葉がとても印象深かった。お金や物資をあげることが彼らを救うことではない。そういうことのみをすれば、もっと、難民の人たちが増えてしまうという。大事なことは、生きるうえでの根本的なもの、事を定着させることに努力をはらうことではないかと。根本的なもの、事とは、生きるための術を自らが築いていけるような環境造りの援助をすること。たとえば農作業の技術指導を行い、自給自足できて、飢えないですむような環境造りの手伝いをするとか。もちろん、これには行政の力も必要だ。従って、短急速に出来ることではない。ある程度、時間が必要である。

そう考えたとき、日本はなんと平和で豊かなことか。ただ、飽食におぼれ、退廃的様相をかもし出している日本の現状は、必ずしもほめたものではないだろう。今、日本に必要なのは人心を豊かにする環境造りかもしれない。これは、ボランティアの人たちが言っているように、金や物資ではないような気がする。やはり、個々人が信頼され、ひとり立ちできるような、社会の温かい目が必要であろうし、そういう社会の構築が望まれるわけだ。

おやおや、きょうは 評論家みたいなことを書いてしまった。つい、ついクリスマス気分で、うかれそうになるわが心を引き締めるがごとく、固い文章を書いてしまった。おっと、30分、勤務時間に食い込んだ。今から出陣だーーーーー。


2004年12月06日(月) 忙しい今週が始まった。うれしいやら悲しい

あわただしさだけを残して今日も一日が終ろうとしている。時の流れの早いこと、早いこと。もう、やがて、お寝んねの時間だ。「ついさっき起きたのに」と思うが、何かに集中していると、時の流れにも気がつかない。これはいいことかもしれない。それだけ、充実していたと言うわけだ。

ま、そういうことにしておいて、今日を振り返ってみよう。朝から仕事の電話が鳴りっぱなし。その対応に追われながら、来客や工事やさんとの折衝。ちょっくら街中まで商用で一走り。ほぼ、2時間程度で帰ってくると、ボスが来訪していた。タクシーを待たせてある。いつもは僕が送っていくわけだが、さすがに師走。ボスも老骨にむち打って走っているわけだ。泣けるぜ・・・・。30分そこそこいて、パートさんに用事を頼み、そそくさとタクシーへ乗り込み新たなる地へと向かった。

僕は僕で、抱え込んでいる仕事に熱中。かくして、時が流れた。こういう姿も時々はある。なんとなれば、来るべき木曜日は、第二陣の忘年会。近くの温泉場で一泊することになっている。翌金曜日は、夕方から異業種交流会の忘年会。再び、ボスと再会だ。ここ、数ヶ月は都合つかず、この会に二人とも出席していなかった。今度だけは出席しなくてはなるまいと、二人とも意気込んでいる。なんとなれば、時間を延長してビンゴゲームとやらがあり、結構、景品が良い。ボスは過去に、一等賞を射止めた経緯がある。またその美酒に預かりたいと密かに思っているのだろう。「いつも、柳の下にどじょうはおりませんぞよ」と、言ってやりたいが、まさか、ボスにそんなことは言えない。片や僕は一度も味わったことがない、豪華商品という美酒を味わってみたいではないか。宝くじより、当選確率は高い。気合がはいるのも、当然と言えば当然だ。気合いだ!!。気合いだ!!。さらに、翌々日の日曜日はこれまた、料理の接待に預かっている。まさに宴会ずくしだ。これで、ええーーーんかい。面白くもない駄洒落だった。失言。失言。

かくして、僕の忙しい今週が始まった。仕事に熱がいるのもうなずけるというものだ。ただ、仕事の合間にちらっと思った。「人生ってこうやって終わっていくのかなーー?」なんて。幾多の人と知己を交えながら、人生という航路を辿っているのだろう。めでたくもあり、めでたくもなしだ。誰が詠んだか忘れたが、「門松は冥土の旅の一里塚。めでたくもあり、めでたくもなし」を思い出した。
おっと、まだ正月ではなかった。気が早いぜ。


2004年12月05日(日) 雨の日の雑感(今日は暇だぜ)

今日は久々の雨。冬のソナタではないが、冬の雨もいいものだ。都会はいざ知らず、田舎はもうすっかり真っ暗。今の時間帯でもギンギラギンと輝いていた、あの夏が嘘のようだ。外からは雨の音だけが聞こえてくる。車の音も、人の声も聞こえない。静寂そのもの。まだ、午後6時を回ったばかりだ。こんな日は、気がゆっくり落ちついていいものだ。

今日は、仕事が一つあった。午前中に片つけて、午後からはのんびりタイムだった。と言っても、貧乏性の僕は、まず、じっとしておれない。雨音を魚にごろ寝するか、他に何かをやっていないと、間が持たないのだ。欲張って、両方することに決定。

まずは、パソコンに新しいソフトをインストールした。これも、僕の趣味の一つか?。新しいものを入れるプロセスが好きである。ゾクゾク、ワクワクしながら、設定をやっていく。見事成功。どうも、僕の趣味はここまでのようだ。ソフトを一旦立ち上げても、眺めるだけで、データをいれるのはずっと後になる。いつも、こんあ調子で、使わずじまいのソフトがショートカットのファイルに、ずっしりと詰まっている。情けないことよ。およよ・・・。

てなわけで、その後、数時間のお昼ねタイム。結構、高いびきで寝ていたそうな。自ら知る由もなし。最近、我が家の一員となったネコの「もこちゃん」も、足早に遠のいたようだ。

早い夕食を済ませ・・・・(ちなみに、今日は山の神も手を抜いたとあって、カレーライスにパスタという、へんな 組み合わせだった。まあ、腹がすいていりゃ、なんでもうまいわけだが)、今、この日記と言うか、備忘録をしたためている。そういえば、今朝方も書いたので、二度目の製作ということになるか?。今朝方は、アルコールの影響で、文も支離滅裂。今は大丈夫のようだ。

そういえば、今年の流行語大賞が決まった。「チョー気持いい」という、北島康介さんが言ったことばらしい。チョーという、感嘆語は、いろんな場面や状況で使えて、確かに便利である。ということは、珍しくもなんともないが、金メダリスト、北島さんが使ったところに、意義があるのだろう。僕が使ったとしたら、「あんた、あほか?」と言われるのがおちだ。

色々と、ノミネートされた流行語があった。僕は、「自己責任」という言葉が一番気になった。この言葉は、何かがないと、使われないとしても、生きている以上、いつも、付きまとってくる。他人を責める言葉としてではなくて、自らを戒める言葉として、脳裏に刻んでおきたい。

そろそろ風呂がわいたようだ。ちょっくら入るか。




2004年12月04日(土) 今日も心地良く酔ったぜ。

早、12月。されど、12月。僕は一体、何をしていたのだろうか。もう師走なのだ。考えてみると僕は暦に関係なく、人と会い、ひたすら何かを消化していたようだ。嬉しければ笑い、悲しければ自分の愚かさを嘆く日々だった。そう言いながらも、心はクリスマスや正月の方へ飛んでいた。うんんん、僕も相当に現金なものだ。ただ、そうこうやって生きていくことが人生なのかもしれない。

月末から今日にかけて、仕事がぶり返した。忙しくなると日記に目が行かない。気が散って、心情をまとめることが億劫になる。まあ、小心者の僕だから仕方がないと言えば仕方がないか。今日は既に明日に突入している。なんとなく書きたくなった。

昨日は午後4時から、仕事上、付き合いのある人たちと遊びの懇親を持った。午後10時半にお開き。長いぜ。その後、疲れた体を癒しに、いつもの小料理屋へ直行。刹那の快楽は明日の原動力となるのだ。僕のストレス解消法か?。と言っても僕には、ほとんどストレスはないんだが。

案の定、兄と称する「安さん」がいて、えらく気合の入った歌をおらんでいた。僕もかけつけ三杯で、焼酎のお湯割を、胃袋に流し込み、すかさず兄とのデュエットを所望した。カウンターには夫婦ずれらしい客がご機嫌な様子で、こちらを伺っていた。僕のスタンドプレーが始まったわけだ。

いつもの「白いブランコ」を兄と肩を寄せ合いながら歌った。み・ご・と・・・・、97点。泣けるぜーーーーー。恋人同士のように抱き合って喜ぶことひとしきり。いやあああ、世は歌につれ、歌は世につれである。持つべきは良きパートナーである。「打ってでるかーーーー?」。おやおや、僕も酔いが回っているようだ。

昨今、娑婆世界は暗い話ばかり。お役所も昔と違って、ギクシャクしている。民間も、不景気のあおりで鼻息が荒い。「世の中はどうなってんの?」と、僕が真顔で問うと、「能天気なのは あんただけよ」とつれない返事。確かに、今は昔と大きく様変わりしたようだ。人心は荒廃し、治安も悪化し、経済も低迷。今年は、あまり良くない年だったぜ。皆、心に余裕が無いのだ。余裕が持てないのだ。なんとか、精一杯生きているのが現状かもしれない。住みにくい世の中になったものだ。

何か、夢のある話は無いものかと、新聞を見たら、久しぶりに「火星」のことが書いてあった。その昔、火星には水が、たんまりとあったようだ。しからば、生命の痕跡は?。きっとあるに違いない。その発見を心待ちにしているのは僕だけではないだろう。恐らく、天文フアンは、息を潜めて、地球外生命存在の報道を待ってる。

火星の奥深くに生息している、美しい乙女に出会いたいものよ。「こんにちは。僕は地球に住む喪黒福造です」。とかなんとか自己紹介したいものだ。
「あら、お帽子がお似合いで。それにしても足が短いのですね???」とかなんとか・・・・・・、言うわけないよなーーー。僕の夢想もここまで行くとは病的か?。酔いの勢いとは言え、おそまつだぜ。寝ることにしよう。


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