umityanの日記
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2004年11月27日(土) 今日は清掃日和だ。

いやはや、月曜日から金曜日まで、毎夜、出っぱなしだった。ほぼ、午前様ばかり。これじゃあ、体ももたない。今日は久しぶりに、何もない土曜日。ゆっくり、ごろごろ過ごしたいと思っていた。しかるに、すっかり貧乏性に慣れ親しんできた僕には、じっとしていることが耐えられないようだ。

あまりの良き秋晴れに、布団干しを思いついた。二階のベランダに、かけ布団やら毛布を広げた。おっと、もう日が落ちたが、まだ取り込んでいなかったっけ。この辺が僕のやりっぱなしで、能天気なところ。まあ、この日記を書いてからでいいか?。布団干しの次は床の清掃。掃除機をかけて、濡れ雑巾で、さっさっと拭きあげた。次に洗面所、トイレの掃除。見事にピカピカだ。さらに、階段の清掃。掃除機をかけて、再び雑巾で・・・・。それにしても、マメな僕である。

ところで山の神はといえば???。な、な、なんと、平然と茶の間でテレビを観戦中。いやあ、ご立派。僕はなにも言及はしなかったが、まあ、日ごろの罪滅ぼしと思えば、何のことはない。それでも、見かねたのか、おもむろに階下の清掃に乗り出した。無言の実行はそれなりに効果があるのかもしれない。

実は、僕がめったにしない清掃を思いついたのには理由がある。先日だったか、テレビで、滅茶苦茶に清掃好きな芸能人の奥さん(松井・・・何とかという人だった)の実演があっていた。お見事。割り箸みたいなものに、布を巻きつけて、障子の桟やら、あちこちの隅々まで、「ホイ、ホイ」と、撫で回していた。気付かない場所は、結構汚れているものだ。その手さばき、身のこなし僕はうっとり。「いやあああ、嫁にもらうなら最高の女性だぜ」と思ったが、さすがに、山の神の前では口をつぐんだ。もし、何かを言っていたとしたら、返ってくる言葉が想像できたからだ。「いいのよ。ああいう女性を求めているのなら、出ていって構わないのよ。ご自由にどうぞ・・」とかなんとか。
うんんん、まさか、そこまでは言わないか?。これは失言だ。

てなわけで、午前中は家屋内。午後からは外回りの清掃。まずは縦横無尽に散りおちた葉っぱを掃き寄せ、木々の根元へ。これが良き肥料となるわけだ。次は、日ごろ、手入れをしていなかったので、手当たり次第に伸びた不要枝木を、なたで伐採した。これは結構、力がいる。きれいになった。正月前の一足早い垢落としだ。まだ、僕自身の垢は落としていない。これからぼちぼちやることにしよう。反省と懺悔にまみれた今年の垢は完璧に落ちることやら?。南無・・・・・。


2004年11月21日(日) 天高く馬肥ゆる秋。

天高く馬肥ゆる秋。今日はまさにそんな日だった。ぽかぽか陽気が、僕を遠出へと誘う。さあ、出陣だと思っていたら、あいにくの来客。次から次へと来客だ。人は時を選ばない。もっぱら、応対は山の神にまかせて、僕は、スニーカーを履き、庭の清掃だ。これは僕の逃げなのかもしれない。それでも結構、葉っぱが散っていて一労働なのだ。しからば、外出は午後からということで、高く昇ったお天道様を背に、ドライブがてら、山間にある農産物直売所まで一走りした。

途中に、ミニ動物ランドというか、憩いの広場みたいな所がある。駐車場には家族連れの車が所狭しと停まっていた。今日は日曜日。、家族サービスデイか?。さぞかし父親も嬉し、悲しで大変だろう。泣けるぜ。僕も、昔はそうだったのかなーーーと苦笑しながら、紅葉に染まった山道を走った。

一時間ばかり走ると目的地に着いた。いつもながら、繁盛している丸太造りの即売所。取立ての野菜類が山のように積んである。山の神はいざ知らず、僕の目的は、野菜ではない。ここ、ずーーーっと、こだわり続けているある物を買うことが僕の目的。ちょっと、大袈裟になったが、ある物とは「十二穀米」という米である。まあ、五穀米や十穀米なら、どこでも売っているかもしれない。数が多けりゃいいというものでもないが、僕は欲張り。十二穀米にこだわっているわけだ。少々値は張るが、おいしくて長寿に貢献するという代物。となりゃあー、買ってみる価値はありそうだ。幸い、在庫も切れたということで、今日の買出しになったわけである。味は、いわずもがな良しである。

帰りに山の神がスーパーへよると言う。何を買うのかしら?と思ったら、なんと、「なまこ」があったそうだ。「なまこ」は、今年になっていつ食べたことがあったのか、思い出せない。多分、去年の暮れや正月に食べて以来かもしれない。これを、料理屋で食べると量が少ないうえに、結構高い。
いやあ、児湯は久しぶりにご馳走にありつけそうだ。

  ネコ缶に、勝るご馳走、秋晴れの、よだれもしたる、初なまこかな。

なんのこっちゃ?。お粗末でした。


2004年11月20日(土) ぼくもようやく衣替えだ。

いよいよ秋らしくなった。つい最近まで、夏服で通していたが、どうやら、それも限界のようだ。昨年しまいこんだ秋、冬物をだして試着してみる。昨年は気に入って、よく着ていたものでも、今年になると、なんとなく袖を通すのがはばかれる。「今更、流行を追ってなんになる?」と自問自答するが、やはり、新しいものに越したしたことはしたことはないだろう。僕も、見栄が強い人間のようだ。

衣類をあさりながら、気がつくことがある。クリーニング屋さんの目印というのか、名札と言うのか、正式名称は分からないが、橙色のラベル、そうラベルだ。ラベルがホッチキスで止めてある。あわてて着替え、ラベルをはずさないで外出したことが何度かあった。さすがに恥ずかしいものだ。特にかしこまった席についているときなどは、見た目に悪い。他人のそれに気がついていても、指摘しようにも席がはなれていて出来ない。ただ、妙に気になるものだ。「他人の振り見てわが振りなおせ」というが、おやおや、ぼくも同じむじなだ。何気なく、そく撤去。あとは知らぬ存ぜずとはこれいかに?。

「笑うセールスマン」風に、ピシャッと決めたとき、うんんん、笑うセールスマンはちょっとセンスがわるいか?。例のラベルが背広の襟などから覗いていたりすると、いかにも生活感がにじみ出ているなーという気がして、ほほえましくなる。まあ、かしこまらない席などでは、それも愛嬌である。

そういえば、最近、ネットでも、「アバター」とかいって、自分の分身を漫画チックに表現して登場させることがはやっている。当初はまったく興味がなかった。今でも気持はそうだが、それじゃあ、センスがない。ということで、僕もさる分野で、ハンサムボーヤ、いや、ハンサムボーイの姿を登場させた。ただ、いかんせん、短パンにランニング姿。もてようにも、もてようがない。今冬のクリスマスや正月だってのりこせないぞ?と、思っていた。

見るに見かねたのか、世の中には親切な人がいて、無料で上着やらパンツを提供しているコーナーを教えてくれた。さっそく飛んで着せてみた。うんんん、やっと、裸の原人が三枚目らしきスターに変身だ。それは良かったが、どうも、色合いが時節はずれ。やはり、無料となれば贅沢もいえまい。要はなんとか冬が越せればそれでいいとしなくちゃ。
てなわけで、ぼくの分身も若干の不満はあれど、喜んでいるわけだ。分身はあくまで分身。要は、現実社会でアバターより、ぼくが優れていればいいことである。

それはそうと、今日はぼくの母の誕生日だった。ここまで育ててくれたことに、感謝してペンを置こう。くれぐれも、ぼくのアバターを覗かない様に言っておこう。その心配はないか。もう80歳近くになる。


2004年11月18日(木) 昨夜は酩酊。今宵はパーティー。大丈夫かえー?

いやああ、昨夜は、深酒してしまった。のりチャンからの誘いに、一発返事でオッケー。いつもの店で、だべりながら焼酎に舌鼓を打った。やがて、時が流れてボジョレー・ヌーボーの解禁。即、僕達も所望した。さすがに、ママ。既に極上のやつが仕入れてあった。客は僕とのりちゃんのみ。ママ、奈美ちゃんをいれて、四人で乾杯した。いやああ、おししかった。僕達はボトルを二本もあけて、ほろ酔い気分。

さあ会計だ。ところで、「ワインは一本、いくらなの?」とママに聞くと、なななんと、一本4500円とのこと。僕達は、「ええええっつ」と、わが目を疑い、いっぺんに酔いがさめたような。覆水、盆にかえらずだ。それでも、おいしいワインにありつけたわけだ。何の不足があろう。

すっかり0時を回ってしまった。僕達は頭がぐるぐる。目もぐるぐるだ。自宅へ帰り着くまでは、取り乱してはなるまいと、気丈に振舞った。かくして、なんとか自宅へ着いたはよかったが、翌日(今日)はグロッキー状態。お天道様がどこまで、昇ったかもしらず、爆睡だ。幸い、雨模様。客も来ないし幸いだった。午後からようやく平常に戻った。さあ、仕事だということで、今に至っている。

ところで、今日は夕方6時から、再びパーティーへ出席だ。ある、知人が本を出版したということで、その祝賀会がある。弟(仕事仲間)も招待されている。弟とあいまみえるのも、久しぶり。今日は、昨夜の二の舞いにならないようセーブしなくちゃと、思っている。
そろそろ、風呂も沸いたようだ。まずは、身だしなみの整えだ。今日は、日ごろしないネクタイで首を閉めることになる。仕方がない。
とっちゃン坊やも、びしっと決めると、孫にも衣装で、様になる。誰も言わないので、自ら言っておこう。




2004年11月16日(火) 何もなさそうな日の雑感

今日は秋晴れの良い天気だ。あの猛暑の夏がうそみたいだ。喉元と過ぎれば暑さを忘れるというが、まさにそんな感じだ。昨夜はぐっすり眠った。今朝は、すこぶる快調だ。日々がこういう状態であったならいいと思うが、なかなかそう行かないところが人生。色んな、しがらみと戦いながら、悶々とするわけだ。

そういえば、最近、日記を毎日書くようになった。仕事が一段落したという安堵感がそうさせているのだろう。ただ、身の回りにたいした変化がないときは題材に苦しむことがある。恐らく今日もそうかもしれない。まだ、昼間。一日が終わるには、たっぷりと時間はあるが、どうも、つつがなく終わりそうな気がする。

毎日があわただしく過ぎる方が、刺激があっていいのかもしれない。生きていると言う実感をより強く感じられそうだからだ。とは言え、人間って現金なものだと思う。忙しけりゃ、暇が欲しくなるし、暇が続くと、忙しさを求めてしまう。それじゃああ、中庸がいいのかというと、これまた、どうしたものか?。適当に忙しく適当に暇。いずれにも片寄らず変わらない。なんか、面白みがないようだ。やはり、人生は小波、中波があって、それに立ち向かっていくところに、生きることの妙味があるのだろう。かといって、大波は困る。大波は生きることの妙味どころか、生そのものを破壊してしまうからだ。

このたびの、震災はまさに大波。自然の驚異の前では、人間はあまりにも無力。何人もの尊い生命が奪われた。ただただ、心から冥福を祈らずにはいられない。一つの救いは、ボランティアの奉仕活動をはじめ、皆が力をあわせて復興に向かっていることだ。個人主義的な傾向が強くなったと言われる昨今だが、人間の内面に脈々と培っている共に助け合うという精神が、まだ宿っている限り、人間の未来も明るいと言える。

おっと、午後の就業時間が既に始まっている。時は人を待たない。さああああ、出陣だあ。


2004年11月15日(月) 子猫の「もこちゃん」が家族になった。

今日一日も、つつがなく過ぎたが、秋の空はなんとなく物悲しく、心はいまいちすぐれなかった。すこぶる元気なのは、最近もらってきた子猫の「もこちゃん」くらいか?。山ノ神がつけた名前である。いまだにその名前が付いた発想の原点が分からない。まあ、いいか。やたらと、小さな歯で、手にかみついたり、足にまとわり付いたりする。要するに興味あるものには恐れを知らず、なんにでも、喰らい付いていくわけだ。「だぼはぜ」みたいだぜと言うと、山ノ神が、腹を抱えて笑った。今、成長期で、歯がかゆいのだろう。もしくは、本能的に獲物をとる訓練をしているのだろうか?。

子猫のしぐさも、人間の赤ちゃんのしぐさも、ちっとも変わらないなーと思った。遺伝子の数も、人間とたいして変わらないとすると、発達の初期段階では、皆、同じしぐさや、行動もとるのかもしれない。そちらの専門ではないので分からないが。一暴れして疲れたら、僕の胸の中に飛び込んでくる。温かい胸の中は、安心できるねぐらなのだろう。ネコもさるもの、ひっつかくものだ。最適な環境がどこであるのか良く知っているわけだ。困るのは僕。両手を使えず、まさか、この子と一緒に、昼寝と言うわけにもいかない。

仕方なく、「よしよし」と、「子守ネコの歌」を口ずさみながら、しばらく行動を共にすることになる。寝付いた頃、山ノ神を呼び、バトンタッチだ。やれやれである。人間はもちろんだが、どんな動物の子でも種類を問わず、小さい頃はかわいいものだ。

ただ、本質的には僕は「大人のネコ」がきらいである。大人になったネコは、どうも根性が悪いようだ。都合の良いとき、特におなかがすいたときは、「猫なで声」で、まとわりついてくる。こちとらが呼んでも、興味がなければ、ただ一瞥をなげるだけで、そっぽを向いている。「猫なで声」とは女性の専売特許みたいに言われているが、果たして、人間様もそうなのか?。「猫なで声」に出会うと、背筋が「ぞーっ」とする。まあ、これ以上は言及すまい。

ただ、言えることは、愛情のかけしだいで、人間も動物も、それなりに育つと言うことだ。お互いの立場を良く理解して暮らすのならば、共同生活も、うまくいくのだろう。大人のネコが僕に冷淡なのは、僕が大人のネコに対して、そんなに愛情を注いでいないということの表れなのかもしれない。
分かっちゃいるのだが・・・・・・・。
どうしても、死ぬまで主人思いの「犬」のほうに愛着を感じてしまう。犬との共同生活の方が長かったからかもしれない。

いずれにしても、我が家の一員となった、「もこちゃん」である。僕もそれなりに、愛情を注いで育てようと思っている。果たして、どんな大人ネコになるのやら。毎晩の「猫なで声」だけは勘弁してもらいたいものよ。


2004年11月14日(日) 良いニュースを二題。

今日も一日がつつがなく過ぎた。やれやれである。朝から一仕事をこなし、午後にまた一件。無事に完了だ。今にも泣きそうな空がなんとかもった。季節は秋、まさに秋たけなわである。ちらっと、テレビに目をやると、芸能人夫婦が、風光明媚な秋の里を訪れて、本場特性の料理に舌鼓をうっていた。「いやああ、うらやましぜ」と思いながら、他のチャンネルに変えると、ここでもまた、レポーターが各地を訪れて、秋の味覚を満喫している姿が・・・・。いやああ、テレビも、もっと他に映すものはないのか?と一瞬、首をかしげてしまった。

そんななかで、心温まるニュースが。紀宮様のご結婚内定の報道だ。いやああ良かった。心から「おめでとうございます」と叫びたい。恐らく、日本国中の誰もが祝福のエールを送っていることだろう。いまや日本列島は幾多の自然災害を被り、生々しい傷跡のなかで夢や希望をうしないつつあるが、礼宮様の観音様にも似た慈愛のお姿に接したとき、あらたな勇気が脈々と湧き上がってくるから不思議である。
なんといっても、日本の皇室は世界のどこと比較しても、クリーンで質素で気品に満ちている。日本国民の象徴として誇れる存在である。
礼宮様のご相手の男性も、なかなかの好青年という印象を受けた。きっと、幸せなご家庭を築かれることと思う。

コーヒーをすすりながら、さらにテレビに目をやると、な、な、なんと、ミスユニバースの世界大会の模様を報じていた。日本と中国が共同で開催したとのこと。僕の目は思わず釘付けに。世界の美女を刹那に一望できるとは、こんなに素晴らしいことはないからだ。それにしても、民族衣装に身を包んだ各国の代表は皆、美しかった。心までは見えないのは残念だが・・・・。
僕も審査員と同じ気持になって審査を試みたが、はずれ。うんんんんん、これは仕方がない。田で喰う虫も好き好きということだろう。また、顔だけの問題ではない。すべてのバランスと言うことだろう。残念ながら、そこまではテレビでは見えない。

誇大妄想に陥りやすい僕は、すぐ、こう考えてしまう。あの、美女達の誰でもいいから一人と恋に落ちたら、キスシーンは、僕が10センチ以上はある台に乗らなくちゃ、彼女の美しい唇まで届かないぜ。もしくは僕が抱っこちゃんみたいに飛びついてキスしなくちゃいけないんかってね。成就することが無限に不可能な確率であっても、まあ、想像することは自由だ。

それはそうと、何故女性だけ、「ミスユニバース」大会があって、「ミスターユニバース」大会はないのか?。今流に言えば、これも、男性に対するセクハラではないのか?。一応、こう書いたが僕の心は別のところにあるようだ。万に一つも、ノミネートされる可能性はない。しからば、吠えても仕方がないじゃあないかという諦めだ。諦念も男の美学と思わなくちゃ。
これ以上の言及はすまい。

とりもなおさず、今日はぐっすりと眠れそうな気がする。良いことが二つもあったからだ。あらためて、紀宮様おめでとう。






2004年11月13日(土) ぼくはやはり臆病者なんだろうか?。

僕は、からっきしの臆病者。実は、昨日から山ノ神が一泊どまりの小旅行。日ごろの罪滅ぼしで、「行っちゃーー駄目よ」とは言えない僕。まあ、こころよく、送り出したわけだ。送り出したはよかったが、しからば夕飯は?。これはまったく心配ない。自ら、やってのける自信はたっぷりある。来客の応対もなんのその。僕の得意とする分野である。しからば、何が臆病かと言えば???・・・・。

いやはや、お恥ずかしい。僕は広い屋敷の中で、あたりは真っ暗。しーーーーんとしている夜。田んぼに囲まれていて、近くには寺の墓地もある。そんな夜、一人で寝ることが、まさに怖いのである。「大の男が情けない。チンチンは持っているの??」とかなんとか、よく言われる。僕は、「それとは関係ない」と口をにごしているが、実は、昨年暮れに亡くなった、ばあ様の怨念が、今でも屋敷の中をうろうろしているみたいで、なんとも、おっかなくて落ち着かないわけだ。従って、そく寝つくために、少々、アルコールを入れておこう決断。昨晩も出かけた。山の神も結構楽しくやっているのなら、この僕も、夕食がてら、一杯やるのも罪にはならないだろう。

僕は午後6時半ごろ、戸締りをして、そそくさと行きつけの小料理屋へと出かけた。案の定、知り合いの一見客が数名いて、意気投合。僕が兄貴として慕っている「安さん」もいた。僕達は最近、一見客仲間達から、○○小路ブラザーズという歌手としての異名をもらっている。○○小路の小路とは、小料理屋のある町名である。ブラザーズと言うのは言うまでもないが、「やすさん」が兄で僕が弟。まさに兄弟である。

男二人のデュエットといえば、北島三郎さんと鳥羽一郎さんだったっけ。「演歌兄弟」という有名な歌がある。僕と安さんは、演歌路線ではなくて、フォーク路線でデュエットをする。点数が出るカラオケだから、僕達は結構、真剣に歌うわけだ。なんと、その曲は????・・・・・・。「白いブランコ」。昔、ビリーバンバンさんだったっけ?。歌っていたやつ。最初、兄が、「君は覚えているーーーかしら?。あのーー白いブランコーー」とやれば、僕がはもって、「ぶらんこーーー」とあいずちを入れる。そ途中の「日暮れは淋し・・・・・・」から最後までを二人ではもる。二番は僕が歌いだし、三番は再び安さんになる。自分で言うのもおこがましいが、これが実にいいんだよなーーーーーーー。ばかうけである。しかも、点数もいつぞや、97点という高得点をたたき出した。昨夜は95点に甘んじた。

僕と安さんは、上機嫌で言ったものだ。「そろそろ花の都、東京へうってでようじゃない」と。まあ、これは不可能としても、なんやかんやで、場が盛り上がって楽しいこと限りなしである。
時は止まってくれない。楽しさも永遠とは続かない。やがて0時を過ぎて、「帰りたくない、帰らねば」ということで、僕も重い腰を上げて、代行車で帰還した。

アルコールの力は、さすがにさるもの、ひっかくものである。少々酩酊し、気が大きくなった僕は、「さーーー寝るか」ということで、そくベッドへ。何の怖さがあろう?。
ということで、とりあえずテレビをつけて、電灯を、光々とつけて、布団に入った。丑三つ時過ぎまで、テレビをつけていたが、さすがに音がうるさくて消したようだ。ただ、電灯だけは、もちろん明け方までつけていたことは言うまでもない。僕の名誉のために、あえて、付け加えれば、朝6時半に起床。今に至っている。すこぶる快調だ。山ノ神、いまだ帰らず。朝食は特性のうどんにした。まあまああの出来だった。強がりではないが、たまの「独身」もいいもんだぜ。よくよく考えてみると、僕はやはり臆病者なんだろうか?。そうじゃない。いや、やはりそうなんだ。一体どっなんだ???。


2004年11月12日(金) 冬支度の風景と今年の反省。

最近、良い天気が続いている。街路樹が黄色に染まってきた。こんな並木道を車で走ると気持がいいものだ。店舗の前の舗道では、制服に身を固めた乙女達が、縦横無尽に散った葉っぱを丁寧に掃き清めている。心優しきこと。いやああああ、「日本のおっかさん」を彷彿とさせる。彼女達が、もっと齢を重ね、立派な「日本のおっかさん」に変身していくことを願ってやまない。ちと大袈裟だったが、つい、そんなふうに思ってしまった。

昔は、エプロンに、ほっかぶりで、舗装のない道を母や、おばさんたちが掃いていた。朝、学校に行くときなど、きれいに掃き清められた道を素通りすることに気が引けたものである。いちおう、朝の挨拶はしたものの、掃き清められた道を遠回りに通った。心の中では、なんかほっとした安堵感をもっていたのだが、折も良く思春期だ。恥ずかしかったのだろう。乙女達にとっては、毎日のことで大変に違いないが、枝になってしまうまでの、ほんの一時期の労働というか奉仕というか、清めである。そんな風景を残しながら季節は移ろっていく。四季折々の日本はいいものだ。ただ、被災地の方々のことを思うと、日本をめでてばかりもいられない。一日も早く、平穏な日常に戻って欲しいと思う。いよいよ冬支度だ。

今日は仕事でちょっと遠出をした。至るところで道路工事をやっている。うんんん、すこしは景気が回復してきたんだろうか?と思うが、そうとも言えないようだ。いずれにしても、娑婆世界は日々に変動し、我々人間も、時の流れの中で、日々に変化しているわけだ。

そういえば、今年も残り一ヵ月半。今年の反省をすべき時期が来たようだ。身の回りに限って言えば、義母の死を引きずりながら、今年を迎え、滞りなく一周忌まですませた。その間、兄の大手術、度重なる台風の襲来。おかげさまで、フェンスがたおれ、今、補修にとりかかっている。僕も忙しさにかまけて、今年は頻繁には雑草刈をしていない。そのため、植物の根がフェンスの基礎に忍び込み。大風とあいまってフェンスを倒してしまったのだろう。これは僕の失態ということになるか?。

あげればきりがないが、良かったことと言えば、今年もつつがなく、親しい人たちと懇親を重ねられたことだろう。ボスをはじめ、弟、仕事仲間、あちこちにいる友人達との楽しいイベント、社交に明け暮れた。とりあえず健康を害せずにこれたことに感謝せねばならない。本格的な反省は、もう少し経ってからにしよう。今日も、今から社交だぜ。金だけは、立て板に水が流れるように、どんどん消えていく。金のかからない社交ってあるのかしら?。
さあ、出陣だ・・・・。


2004年11月10日(水) 昼間の日記が、あらぬ方向へ展開してしまった。

昼間の日記が、あらぬ方向へ展開してしまった。
at 2004 11/09 22:14 編集

今日もどうやら一日が無事に終わりそうだ。良かった。まずは感謝だ。昼過ぎ仕事から帰ると、中学時代の同級生から電話があった。僕に仕事を頼むと言うのだ。嬉しい限りである。うんんん、これは一肌脱がなくちゃなるまい。

ちと、遠い仕事になるが、ついでに、母にも会えるわけだ。一石二鳥である。兄の大病以来、母はずいぶんと心労を重ねてきている。僕が故郷に帰るのも、まあ、親孝行のひとつになるだろう。自分で言うのもおこがましいが、僕も母思いの孝行息子だぜ???。わおーーーーーーん。

友人は、母と隣保班のところに住んでいる。歩いて一分もかからないところだ。日ごろからなにかと、母の手助けをしてくれているそうな。となれば、僕も仕事の成功報酬をまともには取れないことになる。これは仕方がない。それぞれ、ギブ&テイクということにしておこう。

そういえば、もう5−6年まえになるか?。中学時代の同窓会があった。僕の生まれた温泉町の旅館を利用して、百名程度が集まった。いやああ、何十年たっても、面影は残っているものだ。あの鼻たれ小僧だった奴が、いっぱしの背広に身を固めて、見事に挨拶する姿には脱帽だ。それぞれに、苦労を乗り越えて、立派な大人に変身したわけだ。もちろん、この僕だって。

大広間の畳に円座をくんで、飲みながら、あれこれと思い出や近況を話す。思わず涙さえ出てくる。やはり、こういう風景はいいものである。先公も、すっかり、スキンヘッドとなったり、ホールインワンが似合いそうな河童頭に変身していた。中学時代は、しこたま頭を殴られたので、思わず、頭を、「パチン」」と叩き返したい衝動に駆られたが、今更それも出来まいと、しげしげと眺めるのが精一杯。

かくして、同窓会も終わり、月日が流れ、同級生から、仕事の依頼が来たわけだ。
仕事が遠方より来る。楽しからずやである。

昼間書いた日記の続きが とんだ話へと脱線してしまった。
それでも、嬉しかったので書き留めておこう。








2004年11月09日(火) のりちゃんとの久々の再会

最近、やっと忙しさから開放されつつある。僕にとっては良い傾向だ。二つの仕事を持っていると、まるで着せ替え人形のように、衣服を着替えなければならない。まあ、これは仕方のないことだ。いずれの仕事も人様のお役に立つことならば、幸せ冥利につきるというもの。

それはそうと、昨夜は久しぶりに、「のりちゃん」先生と一献傾けた。体調悪し(肉体90パーセント、心10パーセントの病)ということで、しばらく会っていjなかった。彼からの久しぶりのテルがあり、「はーーーーい、行きます」といって、いつもの小料理屋の暖簾をくぐると、なんと彼が先に特等席を陣取っていた。

互いの健康を語らい、焼酎のグラスを乾すたびに、話はいろんな分野へと及んだ。中でも、少子化の話や結婚しない女性が多くなったという話題は盛り上がった。女性の社会進出と共に、結婚という形態が、まさに崩れつつある。言葉はわるいが×1という表現に代表されるように、結婚して子供を生み、旦那と別れるというケースが多い。かくて、子供を女性が一人で育てるわけだ。そういう女性の一人に聞いたことがあるが、「もう結婚はこりごり」という。理由は?と聞けば、結婚当初は相手のことが好きだったが、いつしか、好きでなくなってきたと言う。ふがいない男性の姿に、だんだん嫌気がさし、愛情がもてなくなった。そこから別れへと展開するわけだ。まあ、女性も仕事をもち、なんとか生活をやっていけるようになったことが、×1とう現象を生んでいるのだろう。そうさせている男としては情けないことだ。

僕は、いつも母の姿を見て育ってきた。学校から帰ると、母親はいつも家にいた。確かに、昔は共稼ぎという形態は少なかったので、貧しくても、母親は家にいたわけだ。父親の顔を見ずに寝ることも多かった。要するに役割分担。その分担がまさに今、崩壊している。僕がそう言うと、のりちゃんは、時代の背景が違うと言う。時代の背景が違うから、良しあしは論ぜられないという。確かにそういう一面はある。今の子供は、豊かな時代を当たり前として、そこから人生を構築するわけだ。昔の貧しい時代を起点として、話すことは現代に通じない面もあるだろう。

おっと、仕事に行かねばならない。続はあとにしよう。


2004年11月06日(土) 久々の日記

最近、日記から、すっかり遠ざかっていた。あえて、理由を言えば、仕事もさることながら、世の中のさまざまな出来事に翻弄されて、日記を書く心の余裕がなかったようだ。

たった今、シュワルツェネッガー主演の「エンド・オブ・ディズ」の映画を見た。もう、何度も見た映画だが、妙に心をとらえた。今日、この文を書こうと思ったのは、この映画を見たからかもしれない。確か、四年前、1999年は、ミレニアム(1000年紀)の最後の年ということで、大騒ぎした記憶がある。この映画もそれにあやかって作られたものだろう。コンピューターの日付が狂うとか、世紀末だから、何かが起こるとか真剣に不安を感じた。事は何事もなく過ぎた。かくて今、新しい2000年から3000年に向けての新しいミレニアムを走っているわけだ。

2000年を迎えた当初は、「いい世紀になって欲しい、いや、いい世紀にしなくちゃああーーー」と、夢・希望にあふれていたように思う。然るに、2004年を過ぎた今、何かしら不安を覚えている。世紀末と同じような昨今・・・・と言ったら、語弊があるだろうか?。見渡せば、世の中、世界情勢、地球環境が、すこぶるよくない。最近、頻発している地震、度重なる大型台風の襲撃。どこに原因があるのだろうか?。地球の内部で、何かが起きているのだろうか?。まだまだ科学の力が及ばないことがたくさんあり、原因が定かではない。

よくよく考えてみると、人間も大自然の脅威の前では無力である。誰かが言っていたが、今は自然との共生をいかにうまくやっていくかという、英知が求められているような気がする。

日ごろは能天気なことばかり書いているが、今はそんな気持にはなれない。まずは、すべからく、日々を生きねば。地震や台風の被害にあわれた方々にこころからお見舞いを申し上げます。
















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