umityanの日記
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2005年01月31日(月) 昨夜から仕事で午前様だ。

日曜日、午後、ボスがやってきた。揃っていなかった書類を持参していた。おまけに、新たなる仕事の追加依頼。もう終わったと思っていたのに、追加とはこれ如何に?。ボスの頼みとあらば断ることも出来ないし、最近は体調も良くないらしいので、頑張って引き受けることにした。

かくして、今0時25分。ようやく、今日提出の書類がほぼ出来上がった。よかったぜ。まああ、最後の勝負は夜があけてからだ。そんなわけで、今日は一歩も外へ出ずじまい。娑婆世界はどうなっているのだろう?。

僕の身の回りでは、来客はボスのみで誰も来なかった。山の神は?と言えば、午後から美容院とやらへ出かけた。帰りにデパートに寄るそうな。なんでも、今月中に使わないと期限切れになる割引チケットを持っているとのこと。結構なことで。こちとらは、汗水流して労働にいそしんでいると言うのに、手伝いもなく、現金なものよと思っていたが、さすがに気が引けたのだろう。お土産で、黒っぽいセーターというか、シャツの上から着る遊び着みたいな服を買ってきた。値札見ると、バーゲンではなさそうだ。早々に試着。決まったぜ・・・・・・。自分で言うのもなんだが、なかなか似合っている。通称、喪黒福蔵の異名をとる僕も、着飾れば立派な紳士だ。誰も言わないので、自ら言ってしまった。

されど、山の神もさるもの、引っかくものだ。自らの衣装は、ちゃんと二着もご購入。値札は見る暇が無かったが、そこそこのものだろう。

仕事の合間の話で、脱線したが、仕事との戦いも、月末の今日を持ってなんとか一段落だ。二月は逃げる月。短い期間の間で、更なる試練が待っているだろう。もちろん、迎え撃つつもりだ。こんな調子で、恐らく今年も過ぎていくのだろう。まずは健康第一。とはいいながら、今日の夜は、相棒、のりちゃんからの誘いの予感がする。断らないのが」僕の主義・・・・。はたしてどうなることやら。




2005年01月30日(日) 深夜のたわごと。

一月も残り二日で終わりか。「光陰、矢のごとし。歳月、人を待たず」とは、よく言ったものだ。

今、僕はボスに頼まれた仕事をこなさなくてはならない。締め切りが迫っている。幸い、今日の日曜日は、身も心も自由である。依頼の仕事に邁進できるわけだ。昼頃、ボスがやってくるそうな。僕との二人三脚でクライアントのニーズに応えなくてはならない。仕事を放棄すれば、お飯の食い上げになってしまう。

僕たちの仕事も因果な商売だ。クライアントからは責められるし、書類はそろわないし、土、日は行政機関が休みだし、踏んだり蹴ったりである。もともと、早めの手当てを行わなかった我々にも責任があり、外様のみを責めるわけにもいかない。二人とも結構、楽天的で、のんびりムードだからなあーーー。これがいけないのか?。

ただ、僕自身は、期日が迫ると、面倒でも、納得がいくまで、こつこつというか、ひたすらというか、熱中して事に当たる性格のようだ。典型的A型と人は言う。意外と徹夜も平気である。一人、夜な夜な原稿を書き、コピーをとり、製品を仕上げていく。この作業が、たまらなくいい。「俺はやはり専門の事務屋だぜ」と思い、ほくそえんでいるからおかしい。自信過剰もここまでくると、病的か?。

一方、ボスはO型らしい。そういえば、のりちゃん先生もO型だった。先日、のりちゃんとは、小料理屋で血液型の相性について語ったが、どうも、A型とO型は相性がいいらしい。僕の友人たちは結構、O型が多いから、あながち、その説を否定はできない。

とはいうものの、つい最近、テレビで言っていたが、ABO式の血液型のみで、人の性格を分類するのは、的を得ているとは言いがたいと。血液型なんて、何種類もあるそうな。画一的にABO式のみでの性格判断なんて、遊びとしては」面白いかもしれないが、所詮、その域を出ないのではないかとも思える。

おっと、夜も深まったようだ。一応、仕事のめどがついたので、つい夜更かししてしまった。もう、数時間で夜も明けそうだ。そろそろ寝に付こう。




2005年01月26日(水) 宇宙への移住計画

今日もつつがなく終わりそうだ。まあ、何事も無く過ぎることは良いことかもしれない。感謝、感謝である。ただ、世の中は、事件やら事故が頻発し、人心も荒廃の一途をたどっているような気がする。ゆとりある教育とは一体何なのだ?。考えさせられてしまう。本当に21世紀は大丈夫なのか?と、心配に思っているのは、僕だけではないだろう。

そういえば最近見たテレビで、人間が地表に住めなくなった時、海中に住めるか?という質問を学者にしていた。結論は十分、住めるとのこと。もともと、生命体は海から生じたわけであるから、海に住むと言うことは、故郷に帰ったのと同じことだろう。住めないわけがない。まあ、いろんな面での工夫は必要かもしれないが。

問題は、せっかく陸に上がったのに、何故、海に住まなければならないかということである。言わずもがな、人間が地表をあまねく汚染して、住めない環境を造りだしてしまったからである。オゾンホールが超拡大し、紫外線の影響は、色んな動植物に多大な悪い影響を与えるだろう。

これは単なるSFの世界ではない。その危機が迫っていると考えても、間違いではないだろう。悲しいことだ。こんなに美しい星、地球は宇宙のどこを探しても見当たらないというのに。最近、火星の衛星、タイタンにメタンの海があると、報じられていた。タイタンは原始地球の姿を彷彿とさせる惑星と言われている。いつかは、地球みたいに、生命体が生じるかもしれない。

そう期待はしても、既に僕はいない。宇宙の塵となって、宇宙空間のどこかをさまよっているだろう。願わくば、永遠不滅の心を持った塵であったら、タイタンに生じる生命体を観察できるかもしれないのだが・・・・。これこそ、まさにSFの世界だ。

そういえば、もう一つ興味深い話があった。地球に住めなくなったら、よその星に移住するという話しだ。既に進行しているそうな。よくよく、考えてみると、地球をあまねく汚した責任も取らないで、よその星に住めばいいじゃないか?という考えは、あまりにの身勝手過ぎるような気がする。一体、宇宙のどこに地球みたいな美しい星があると言うのだ。そんな星が見つかるまでに、一体、何百年かかるか分かりゃしないじゃないか。いやいや、ひょっとすれば百年も経たないうちに、そういう星が見つかるかもしれない。
もうそこまで、科学は進歩しているともいえる。

ただ、最初にそんな星に移住できるのは、ほんの選ばれた人たちのみかもしれない。政治家、金持ち、有名人・・・・・・・。そう考えると、なんだか嫌になる。この地球を汚した責任はどうなるのか?。移住できない人間は、汚染とともに滅びよということなのか?。考えただけでもぞっとする。

地球上の大半の人たちは、この地球が再び美しい水の惑星として、復活することを心から願っているはずだ。早めの手当てで、美しい地球を取り戻そう。そう、心から叫びたい。

今日は、思わぬところに話が展開した。吠えても仕方がないが、ただただ、この美しい地球の復活に思いを馳せている一人として書かせてもらった。





2005年01月24日(月) あとで、再度

どんよりとした曇り空。やや寒い。まああ、この程度の寒さなら、寒いとはいわないのかもしれない。ただ、南国育ちの僕としては、どうも、寒さが苦手になってきた。二十歳代のピチピチの頃には、寒さなんてなんのその。冬でも素足だったので人に驚かれたものだが。「強かですねーーー」と言われると、「そりゃああ、若いですけん」と、ひそかに、ほくそえんだものだ。最近は、寒さに対する僕の抵抗力も、減退したとあって、それなりに、靴下やら徳利のセーターなんかをまとっている。笑うセールスマンの喪黒さんみたいに短い首をしているが、結構、この徳利セーターが似合うんだよなあーーーー。自ら褒めても仕方がないが・・・。

てなわけで、今日も黒の徳利セーターに背広を羽織っている。もうしばらくして、外出だ。その前に来客あり。おっと、中断だ。



2005年01月22日(土) 今日はバラの枝木を植えた。

今日は仕事が何もない土曜日。といっても、5時から新年会らしきものがあり、行かなくてはならない。それまでの間、久しぶりにゆっくりしようと思っていたところ、バラの館の住人(先輩の奥さんで、庭をバラの花園に改造している)から、電話があった。なんでも、バラの枝木が増えすぎたので、引越し先を探していたと言う。僕の家に白羽の矢が立ったわけである。

本来、雑草にはめっきり強いが、花には縁遠い僕としては、そく、山の神の判断を仰いだ。曰く。「いいんじゃなあーーーい。変わった種類なら少々とげがあってもきれいだから」と。「ごもっともです」と、早速、車で先輩の家までひとっ走りした。

さすがに花好きの人は違う。既にもんぺ姿&麦藁帽子。園芸用の手袋をはめ、花バサミを器用に操りながら、「バラは今が移し替ええの時期なのよ」と言って、不要な根を、ジョキ、ジョキと切って、マルマルと育ったバラの枝木を大きな袋に入れてくれた。「こんな花が咲くのよ」と言って、見本を持たせてくれた。ピンク色の大輪だ。

僕は、「わーーーーー大きいですね。きれいですね」と言って、笑顔で受領し帰宅。車の中で、僕の顔はやや、引きつってはいたが。さああ大変。どこに植えるっか?ということで、再度、山の神のご意見を仰いだ。とりあえず、ばあ様の墓がある、後ろの敷地に植えることに決定。僕も野良姿に変身だ。スコップと鍬とバケツと箒とを一輪車にのせて、「よいこら、よいこら」と出かけた。

人生とはゆっくりしたいときに出来なくて、ゆっくりしたくないときに暇が出来る。なんだか、ちぐはぐだなーーーーとかなんとか思いながら、僕は、久々の野良仕事に精出したのでした。

穴を掘る前に、無造作に生い茂った枯れ草やら、雑草の根っこなんかを、堀りおこし、一応、見かけ良く土をならした。山の神が、のっそり、のっそりと、バケツに水を汲んで登場。開口一番、「あんた、そこには、母が植えた球根が一杯あるのよ。球根まで掘り起こしてどうすんのよ」。本来、花とは縁が無い僕としては、「球根は、かずらの根じゃないのかなーーー」と思い、めちゃめちゃに掘り起こしていたようだ。

山の神は「ぶつぶつ」言いながら、球根を植えなおしていた。僕は、「ごめん、ごめん」と言って、球根のなさそうなところに穴を掘って、バラの枝木を4−5本植え込んだ。いやああ、園芸も重労働だぜ。それでも、春になると、美しいバラの花の香りを、おいしくいただくことになるのだ。今から楽しみである。少々、腰が痛かったが、まああ、これも修行だ。べつに花師になるつもりはないが・・・・・・。

てなわけで、この時刻に至っている。この辺で備忘録を閉じて、出立の準備をしよう。帰りは9時ごろになるだろう。


2005年01月20日(木) 先輩が病に倒れた。

いつも可愛がってもらっている、人生の先輩が入院したと聞いた。今日、見舞いに行った。見るに耐えない先輩の姿に唖然とした。なんで、先輩が?。ただただ、人生の悲しさを感ぜずにはいられない。

彼は当地では名誉市民として名を連ねているガラス工芸の一人者である。何年も前から彼の作品をなんとか手に入れたいと、口うるさく彼に、おねだりしていたところ、昨年だったか、それが実現した。無理に拝み倒していた僕の熱意が功を奏したのだろう。彼は自ら製作したボトルとワイングラスをプレゼントとして、贈呈してくれた。「金を払います」と言ったところ、「金をもらうぐらいなら、お前にはやらない」と先輩が言った。僕は嬉しくて、嬉しくて仕方がなかった。今は僕の宝物として、おごそかに、陳列ケースの中に納まっている。

彼は酔っ払った時、「おれは、おまめが好きだ。作品は、もうちょっと待たんかい。必ずやるから・・・・」といつも言っていた。僕は冗談で、「生きているうちにお願いしますよ」とかなんとか答えたものだ。その彼が今、重症の病で伏している。声が聞こえるものなら、「また、元気になって、飲みましょうや」と、叫んでやりたい。今はただ、彼の回復を信じて待つしかない。お返しも何にも済んでいない、きっと、元気で帰ってきて欲しい。

彼といっては失礼なので、先輩と言わせてもらおう。先輩との、なり染めは、ある小料理屋で同席したときから始まった。意気投合し、二次会への誘いを受けた。若輩の僕は、一発返事で、「へいこらへいこら」と付いて行ったわけだ。その二次会で、大きな ガラスのボトルがカウンターへ置かれた。両手にとって触れてみると、なんともあったかくて、やわらかくて、思わず胸の中へ抱きしめたくなるような感覚。なんと、製作者は先輩だった。僕は、「これがが欲しい。売ってくれないか」と、店のママに言ったところ、「オーーーノーーー」、軽くあしらわれた。今までに、三個しか作っていないものの一つだと言う。その日から僕の、おねだりが始まったわけだ。顔をあわせるたびに、「作品はまだですか?,まだですか?」と、執拗に僕のおねだり攻勢に先輩は、ほとほと閉口していたのだろう。苦節何年のおねだりだったか忘れたが、先ほど書いたように、昨年それが実現したあけだ。

このことはいつぞやの備忘録にもしたためてある。先輩の回復を心から祈ろう。



2005年01月16日(日) 先輩と友人が来訪。いそがしい日曜日だぜ。

どんよりした曇り空。外は寒い。静かな日曜日だと思っていたら、午前中に来客あり。昔、机を並べて、仕事をしたことがある先輩だった。昨年五月に退職して以来、暇をもてあましているようだ。先輩の山の神といえば、せっせと庭の改造にいそしんでいるそうな。無類のバラ好き。日本式庭園が、今ではすっかりバラの花園に様変わり。先輩も、細い体で、穴掘りやら草むしりやらに担ぎ出されていた。「夫婦水入らずで、庭いじりとは結構なことで」と思っていたが、さにあらず。先輩は昨年末、腰を痛めて、しばらく入院したそうだ。暇があるのも考え物だ。

そんな先輩が、ひょっこり来訪。手には、家に植えていると言う、「アケビ」というか、「うんべ」というか、定かではないが、種を持参していた。
僕も小さいころ、その木の実をもとめて、故郷の山深くまで探索に出かけたものだ。赤く熟れたその実を割ると、バナナのような実の中に黒い種がわんさと詰まっている。口に含んで、種を放り出す。最高のおやつになった。
今、どこにその種を植えようか思案中である。あああ、早く食べたいぜ。

先輩の用件は、過去の経歴を、さる機関へ登録して、中小の企業の良きアドバイザーとして、やっていくかどうかと言うものだった。もちろん、先輩の腹はすでに決まっていた。僕の意見を聞いたうえでの後押しが欲しかったのだろう。僕は、すかさず、「そりゃああ、やったらいいですよ。先輩の経験を生かさないこととは社会の損失ですよ」と、更なる決意を促した次第である。後は雑談で、小一時間ばかり過ごした。

さあ、僕も昼飯でも食って、のんびりするかーーーーと思っていたら、二人目の来客が。今度は親しき友人。昨年から保育所というか、ちびっ子を預かり面倒をみるという大変な仕事をはじめた。個人事業主の先輩としての僕に、経理面の記帳の仕方等を聞きにきたわけである。ノートパソコン持参だ。僕が貸したソフトを立ち上げて、仕訳帳を開いた。打ち込んである科目やら、仕訳の妥当性やらを検討。二人でパソコンの画面を見ながら、修正を施す。時折、作業をやめて雑談。思い出したように続行。いやああ、実に面白い。
僕の勉強にも大いになる。昔は手作業だったが、今は良いソフトがあり、仕訳さえきちんと入力できれば、すべてを機械がやってくれる。便利だぜ・・・・・。仕訳さえ出来れば、簿記の知識はさほど必要ではない。
おっと、僕も他人のあれこればかり世話している場合ではなかった。自分のものを処理しなくてはならなかった。まああ、一応は出来ているので、そう気を揉む必要もないが。

2時間ばかり、二人で悪戦苦闘して友人は帰っていった。次回はすべてのデータを打ち込んで来訪すると言う。「待ってるぜーーーーー。」と、僕は叫んで、彼を見送った。これも人助だ。帰り間際に友人曰く。「こんど、ふぐでも食べにいきましょうや」と。「おいおい、俺はまだ死にたくはないぜ」と、冗談を飛ばし、「いつになるのかなーーーー」とそれを期待している僕の心の汚さよ・・・・・・。まああ、時期が来れば、それは実現するだろう。あせらず待つか?。

てなわけで、ゆっくり休日をすごそうという僕の狙いは見事に裏切られた。人は、お構いなしに僕の時間を割いてしまう。もちつもたれつの世の中だ。仕方がない。人に頼られるのも、これも、幸せというものだろう。


2005年01月14日(金) 一月も中旬だ。

一月も中旬とあいなった。我が身の回りは、つつがなく過ぎている。過ぎてはいるが、何か変である。「さああ今年もやったるでーーーー」と、最初は意気込んでいたが、今ひとつ盛り上がらないのだ。「何でだろう????。何でだろう????」と、考えてみた。

思い当たる節といえば、何と言っても世の中が混沌としていて、災害や事件が多発している。こんな状況が、社会や人心を暗くしているのだろう。そして、また僕の心も・・・。

そんな中で、今日もテレビで行っていたが、コンプライアンスと言う言葉。法令順守、基本に忠実。道理、理念守るということなのだろう。行政、民間、個々人が一丸となって、このコンプライアンスに徹した社会を構築に邁進しなければならない。でなければ、これからの健全な社会の発展はありえないと言う。

もっともである。今更、言うまでもない。とうの昔から当たり前のことであった。当たり前のことを、当たり前になし、当たり前に生活する。これこそ、まさに基本である。

その当たり前のことが出来ていなかった、いつからかは、分からないが、コンプライアンスも形骸化してしまった。人間の飽くなきおごり高ぶりで、行政も、民間も人心も、皆、荒廃してしまった。かくして膿が蓄積された。今、やっと、この膿のもたらす弊害、害毒に気がついた。遅すぎたのか?、仕方がなかったのかは分からない。この膿をきれいさっぱりと、葬り去るには幾ばくかの時間が必要だろう。まさに、今は、その過程のなかにある。

このコンプライアンスが確立された社会が出来れば、世の中は住みよい社会であるに違いない。早く、その到来に期待したい。



2005年01月11日(火) 助け合うという精神

今日から本格的な仕事だ。早速、昨年の成績を確定すべき銀行へ。期待に胸膨らませながら、記帳された残高を見た。入るべきものが入っていない。がっくりだ。昨年はクライアントも結構厳しかったと見える。大方、予想はしていた。入金があろうと無かろうと、僕にとっては昨年の売り上げだ。未集金が増えただけだ。まああ、体さえ健康なら、僕が飢え死にすることもないから、しばらく様子見ることにしよう。

昨日は、成人式とお年玉のことを書いたが、お年玉をもらいたいのは、成人たる僕のほうだ。そう言って、山の神にせがんでみた。なんと、もらったのは大目玉ばかり。「あんた、もっと、稼いできんしゃい」ときた。これじゃあ、やってられませんぜよ。とほほ。

昨年、一緒に酒を飲んだ先輩が言っていた。「人生どう生きても、一生は一生。こつこつと、働いて、自分のささやかな楽しみが享受出来ればそれでいいさ」と。「欲は必要だが、それもそこそこでいい」と。うんんん、出来た先輩だ。僕も今はそんな心境である。健康で働いて、時たま、友人達と場末の酒場で、わいわいやりながら飲んでだべる。仕事を語らい、家庭を語らい、健康を語らい、歌を語らい、女を語る。この日常のさりげないあれこれが、至福の喜びだ。

世間を眺めてみると、昨年は災害の一言に尽きる年。本当に、人間の明日って分からないものだ。運、不運もある。まさに、不確定性の時代。だからこそ、人間は協力して、色んな「災」と戦わなければならない。戦争に明け暮れている場合ではないだろう。全人類が一丸となって、地球防衛網を構築すべきだ。ひょっとすると、地球の弱体化をエイリアンが今や遅しと、侵略の機を伺っているかもしれない。

話が飛躍したが、スマトラ沖津波によって壊滅的災害を受けた国に対して、すばやい救援の手を差し伸べたことは、評価に値するだろう。日本だっていつ、大きな災害が再発するかもしれない。やはり、人類はすべからく助け合うという精神で、この地球と共存して行かねばならない。そんな気がする。



2005年01月10日(月) 中年を祝う日。

今日は成人の日。少子化の中で、成人となられた方々に、「おめでとう」という言葉を言いたい。僕も、昔を思い出した。二十歳になって、周りから、お祝いされることがなんとなく照れくさかった。「二十歳は二十歳だ。単なる時の流れで、どうということもない」と、吠えたものだ。ただ、選挙権が与えられ、大人として、社会の中で、一人前の責任を負わなければならない。そういう意味では人生における一つのけじめだったと思う。

考えてみると、「おぎゃーーー」と生まれてから、墓場へ行くまでの間に、人は何度も、「けじめ」をつけなければならない情況に遭遇する。けじめも人によってさまざまだが、一般的に言うと、入学と卒業、成人式、就職、結婚、子育て、子の独立、定年、墓場ということになるのか?。その中で、行政が大きく関与するのは、やはり、成人式だろう。選挙人名簿に名前が記載され、いっぱしの大人として社会が迎えるわけだ。要するに、親権者の同意なくして、法律行為が出来るわけだ。責任と義務が、「どどーーーつ」と、双肩にのしかかってくる。大人になるのも大変だぜ!!。今はそう思うが、当時はなんと言うことはなかった。当たり前に過ごし、当たり前に生きることしか頭に無かった。恐らく、皆、そんな気持だろう。

僕に言わせれば、成人とは、お年だまをあげるようになったときと説く。従って、二十歳と言うように年齢を限定する必要も無い。二十歳以前から働いて、働いて、幾ばくかでも、お年玉をあげているような人は、とっくに成人なのだ。二十歳を過ぎても、お年玉の寵愛を受けている人は、成人ではない。まあ、これは僕の定義だから、誰も怒る人はいないだろう。ちなみに僕も二十三歳を過ぎてから、やっと大人になった。今は、お年玉が、どんどん出て行くばかり。回収はゼロ。あえて、回収出来ることと言えば、墓場に入るときの香典代くらいだろう。その額がいくらになるのかも知らずに死んでいくわけだ。そう考えると、香典は生きているときにもらったほうがいいのかもしれない。歳出・歳入の収支計算が出来るからだ。

ただし、僕の場合は生前に香典をいただいたら、飲み代に転化されそうだ。死んだとき、香典ゼロで、争議費用等すべてを手出しするだけの資力があるのやら、ないのやら。おやおや、成人式の時に、こんなめめしいことを言っている場合ではなかった。

僕が言いたいのは、成人式は、未来を託す若者達への温かいエール。しからば、既に大人たる我々は、もっと、彼らに良い大人としての見本を示してあげねばと言うことである。さらにもう一つ。願わくば、中年を祝う祝日を法制化してもらいたいということである。人生80年として、その中間である40歳もしくは50歳の時に、中年を祝う日を設け、行政側より、式典なんか催してもらいたいものよ。さすれば、中年の頑張りももっと増すのではないか?。60歳の還暦は遠慮したい。まだ、子供に戻る歳じゃない。
僕が吠えても仕方がないが、そうなると、世の中も少しは変わるんじゃないかと、実現しそうも無い提案を一つ掲げて、今日の備忘録を閉じよう。



2005年01月08日(土) 正月明けの三連休。僕は何を?

正月明けの三連休だ。やっと正月気分が抜けて、「いっちょうやったるか」と張り切っていたのに、気勢をそぐわれた感じだ。そう思っていたが、あにはからず、その心配は無くなった、三連休とも、二つ三つの仕事が飛び込んできた。人様は短かった正月のやり直しで、のんびりするだろうが、僕は、寒さで、がじゅがんだ両手をじっと見ながら、仕事に邁進することになるのだろう。これも宿命か?。

てなわけで、今日は夜の7時に仕事がはいっている。これを神様は哀れと思ったのか、先ほど、仕事仲間の一人からボーリング大会の誘いと、懇親会の誘いを授けてくれた。時間が出来るのは午後8時過ぎになるだろう。「行かなーくちゃ、行かなーくちゃ。君のところへ行かなくちゃ・・・・・冷たい雨が・・・・」。なんか、井上揚水さんの「傘がない」という歌が脳裏に浮かんだ。今宵は寒いだろうが、傘の必要はなさそうだ。

話がちょっと、飛躍しすぎたか?。なんでも、ボスも出席すると言う。今年初めての謁見となる。昨年はボスともども、手を取り合って、よく仕事をしたものだ。恐らく今年もそうなりそうだ。ただ、一つ気がかりなことは、ボスが体に爆弾をかかえていることだ。動脈瘤とか言っていたが、破裂すれば、いっかんの終わり。かかりつけの医者がいるから、一応安心ではあるが、近いうちに手術をせねばなるまい。

恐らく、二次会で会うことになるだろう。例によって例の小料理屋へ赴き、歌をおらぶ事になると想像することは容易だ。ボスの機嫌をとるわけではないが、久々に「演歌兄弟」をデュエットするか?。それでえええんんか?。えええんんだ。えええんだ。これはどこの方言だったっけ?。まあいいか。演歌兄弟の後は、すかさず、ボスは歌うだろう。得意中の得意の歌。「やすらぎ」を。癒しにも似たこの歌で、僕は涙を・・・・・・。うんんん、まだ出ない。まずは、聞いてからにしよう。

ところで、この僕は?。いわずもがな、マイクを持つだろう。「ある愛の歌」をイングリッシュバージョンでおらぶ事にしよう。もう、カウンターレディーも、ママさんも、耳にたこが出来るくらいに、この歌を聴かされているから、涙の「な」の字もでないだろう。まあ、正月だ。お絞りを目じりに当てるくらいはしてくれるだろう。「そげなことはなかばい。十中、八九は」。そんな声も聞こえる。まあ、それでもいいか。おっと、また僕の悪い癖が始まったようだ。人を感動で泣かせようとする悪い癖が・・・・。自己満日記もこの辺で止めておこう。

世界も、日本も、今、本当に悲惨な状況にある。皆が早く、元気を取り戻して、平穏な日常を迎えて欲しいと思う。そのための努力を僕も幾ばくかでもせねばなるまい。


2005年01月07日(金) 猫談義

今日は、いつもより寒い。寒さに強いのが自慢だった僕も、今日は暖房の部屋が必要だ。子猫の「もこちやん」が僕の席を占領していた。動かすのも可愛そうだが、座布団ごと抱えて、隣の席へ移動した。安心からか、微動だにしない。寝顔がいい。確かに癒し系の様相を呈している。優しいご主人様に飼われて幸せと思っているのだろう?。ふと、そう思った。

ちょっと、いたずらしたくなった。細紐みたいなものを鼻に近つけて、くすぐると、うっすらと目を開けて、伸びをしながら、紐を襲うチャンスを伺っている。うんん、動物の習性だ。たまには、こういうことをして鍛えてやらないと、ネズミやゴキブリにも無関心で自堕落な猫になってしまう。

最近、テレビでも、ペットが登場することが多いが、どの猫も、たらふくまんまで野性味が無い。過保護に育てられているからだろう。愛玩動物だから「それでいい」と言えばそれまでだが、どちらかと言えば、僕は、野性味たっぷり、のりりしい猫が好きである。

おっと、今日は猫談義をするつもりはなかった。ひとしきり暖房であったまって、いざ出陣だ。客がやってきた。さあ、「モコちゃん」の為にも、おまんまを稼がなくちゃ。扶養家族が増えると、責任も重くなるぜ。



2005年01月06日(木) 本格的な仕事始め。

いよいよ今日から本格的な仕事始め。パートさんもやって来た。正月が何ごとも無かったかのように去っていった。僕はいつものように起きて、仕事に向かう。といっても、会社に出勤するわけではない。我が家のオフィスへほんの十数歩、歩いていくだけ。エアコンのスイッチをいれ、机に向かう。いつもの風景だ。

さすがに、まだ電話がならない。娑婆世界はどうなっているのだろう。午後に予約の仕事が一件ある。それをこなせば、どうやら今日は開店休業かもしれない。おっと、人の仕事ばかりしている場合ではなかった。わが身の仕事をしなくてはならなかった。まだ、昨年の成績をまとめいていなかった。

働けど働けど楽にならざりき。じっと手を見るって心境だ。塵も積もれば山となると言うが、その塵だって、どこにあるのやら?。昨年は「塵」まで、きれいさっぱりと外部へ放出。景気回復へ幾ばくかは貢献したわけだ。
よしとしなくちゃ。

それはそうと、日本のみならず、世界中が正月明けの今、災害の後始末で大童。由々しいことである。何度も書いたが、「災害は人を待たず」。自然は人の善悪、好悪にかかわりなく猛威を振るう。人間の英知と自然の脅威は、永遠に戦い続けていくのだろうか?。いつかは、人間の英知が自然の脅威を克服するときが来るかもしれない。もうその時は、僕はこの世に存在していないかもしれないが。

ただ、なんとしても、今年は災害ゼロの良い年にしたいものである。そう期待しながら僕も今年を走ろう。






2005年01月05日(水) 今年の夢。

世の中が動き出したようだ。僕も例外ではない。昨日、今日と、仕事が入った。明日も予約済み。嬉しい悲鳴とまでは行かないが、出だし好調か?。

本当は、今日、5日まで、ゆっくりしていたかった。ボケーッと、空を眺めながら、コーヒーをすする。無造作に置かれた机上のあれこれを片つける。本を手に取り、ぱらぱらとめくる。年賀状を読み直す。短くなった鉛筆の芯を削る。混在している筆記用具を種類ごとに整理する。こういった、たわいも無いことに時間を費やすのが好きである。誰にも邪魔されずに・・・。

やはり、男には書斎が似合っている。ある先生に言われたことがある。「男たるもの書斎を持て」と。そこだけが自分の唯一の空間である。いろんな発想が浮かぶのも、思い出に浸るのもそんな場所が良い。書斎だ。書斎だ。昔、テレビドラマのなかに出てくる書斎のシーンにあこがれたものだ。広い部屋の奥まった窓辺のところに、2m近い長さの重厚な木製の机が、デーーンとすえてあり、左右の壁にはガラス戸の書棚がある。机の上に「呼び鈴」が置かれ、ボタンを押すと、メイドさんが、「ご主人様、およびでしょうか?」とやってくる。「コーヒーが飲みたいなあ」と言うと、「かしこまりました」と言ってさがる。いやあああああ、あこがれるぜ。そんな生活がしてみたいものよ。

以来、書斎を持つことが、僕の夢だった。苦節○○年の後、一応、かなったかに見える。メイドさんは山の神だが仕方がない。呼び鈴もなく、ドア越しに「あんた、コーヒーが入ったわよ」と、大声で呼ばれる。これも仕方がないか。いまや我が書斎は、ネコやら、山の神やら、はたまた、ネズミまでが出入りする雑居居間になってしまった。机だけはなんとか、2m級の木製を手に入れた。これだけが僕の唯一の宝物だ。書棚はガラス戸どころか、ベニヤ貼りの作りつけ。狭いながらも、一応、格好だけはついている。ドラマのシーンみたいにはいかないものよ。

僕の今年の夢。書斎の大改造だ。かなわないまでも、夢見ることはただである。いつぞやきっと・・・・・・。


2005年01月03日(月) 正月三日目の朝風景

早正月三日目。どんよりした空。やや肌寒い。あたりはシンとしてしる。外を見れど誰もいない。車も通らず。正月なのだ。テレビを見た。バラエティー番組が軒を並べている。恒例の駅伝もやっていた。

今朝は僕が一番に起床。といっても、いつもより遅い起床だ。誰も来ないからこれが許される。カーテンをあけ、玄関やら裏木戸の鍵を開けた。新聞と冷めたい風を部屋に取り込んだ。紙面はまだ見ず。お湯を沸かし、モーニングコーヒーで、体をあっためた。一人で、ゆったりと飲むコーヒーもまたいいものよ。

既に、始まっているのだ、2005年が。といっても実感が無い。単なる時の流れに身を任せているだけだから。ひとつ、違うところは、一年で一番、ゆっくり出来ることだ。

ただ、人間って、わがままなものよ。暇になると忙しさを恋しがり、忙しいと、暇が欲しくなる。たっぷり寝ようと思っても、体がひとりでにおき出す。年のせいとは言いたくないが、困ったものだ。

十数枚の年賀状が届いた。目新しき人なし。つつがなく過ごしているよし。それが何よりだ。さあ、今日は、買い物だ。特に欲しいものはないが、動き出した娑婆世界を眺めるのもいいだろう。

明日からは御用始となるよし。零細個人事業たる僕にとっては、御用始などと、日を限定する必要は無い。流れの中で、自然と僕の御用がはじまるのだ。そこがいいところでもあるし、けじめがつかないところが悪いところか?。

久しぶりに固い文章になった。幾分か僕も緊張しているからだろうか?。多分、そうに違いない。この緊張を抜けると、再び、能天気で、あんぽんたんの僕にもどっていくわけだ。出陣にはまだ早い。「鳴くまで待とう。ホトトギス」ってところだ。


2005年01月02日(日) 僕の正月風景。

とうとう明けて、早二日目。とりいそぎ、「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」。昨年来、この、つたない日記というか、備忘録に目を通してくれた人たちに大いに感謝し、今年も飽きずにきてほしいという願望を込めて、新年の挨拶とします。

ところで、昨年末、僕の総反省をかいていたら来客があり、まともな反省が出来なかった。今更、さかのぼって反省するのもおこがましい。すべての罪をを水に流して再出発である。面舵いっぱいーーーーー。右へ行くのか左へいくのか、真っ直ぐ行くのか、まだ行く先は未定ではあるが。

昨日、元旦は10時半頃に起きて、まずお天道様をおがんだ。完璧な晴れとはいかないが、心地良い元旦の朝だ。周りは人、一人っ子いなくて静寂そのもの。やはり、お正月は皆、家でゆったりとしているんだろうか?。昔ゆかしき、おとそに、おせち料理なんかついばんで、親戚が本家にあつまり、わいわいやっているのだろう。せちがない世の中にあって、こういう正月の風景だけは永遠に残してもらいたいものだ。

僕も、例外に漏れず、居間のテーブルに陣取って、山の神に、三つ指突いて、「おめでとうございます」とつぶやいた。ちらっと、山の神の顔を見ると、「にこっ」と、ニヒルな笑いを浮かべて、「おめでとう」と言った。この、笑顔というか、笑いが何を意味しているのか、定かには理解できないが、まあ、「今年もよろしく、おてやらわかに」とかなんとか言っているのだろう。新年そうそう、背筋に氷柱が立ったように、「ぞーーーつ」としたが、一昨年までいた、ばあ様がいないので、ちょっと拍子抜け。昔は、ばあ様のすわった目にでくわすと、僕いの身も心もいてついたものだ。僕の緊張感も、「ふっ」と掻き消えた。

今年は、「おとそ」なしだ。買い忘れたとの事。その代わり、昨年だったか、当地のガラス工芸の第一人者、「高ちゃん」からもらったワイングラスで乾杯した。うんん、なかなかうまいぜ。大好物の「なまこ」をえさに、一息に飲み干した。

年賀状が届いた。昨年は喪中で、出さなかったせいもあり、今年は枚数が少ない。一人一人の賀状をめくりながら、気ついたことがある。ほとんどが、アプリケーションソフトで作成された見事な筆文字。うんんん、直筆ならこんなにうまくは書けないなあーーーと、感心するばかりだ。パソコンがあまねく、世の中に行き渡っているのだろう。文明の利器に脱帽!!。
おっと、人事のように言っているが、その実は僕もパートさん経由で賀状を作成。表も裏もである。情けないと言えば情けないか?。4−5年前までは、手書きで書いていたが、僕もすっかり、文明の利器のとりこ。いいじゃなーーーーーい。残念!!。一体どっちなんだ?。

几帳面な僕は、出し漏れがないかどうか、すかさず、データベースといっては大袈裟だが、一覧表とのチェック。結構、もれもあるものだ。と、同時に、早く来て欲しい人からの賀状が来ていない。こちとらが出せば出すと言うわけか。まあ、それも、効率的でいいか?。

そうこうしながら、のんびりと過ごしていると、山の神の親戚、二家族が来訪。あらかじめ、用意してあったお年玉を子供らに手渡す。これは山の神の仕事。僕は別室で、「あああ、僕も、お年玉をもらいたいぜ」と思っても、僕がもらうのは、大目玉だけだ。悲しいぜ。

まあ、それはいいとして、夕方、僕の友人夫妻と焼き鳥やへ行くことになっていた。昨年も行った。今年は酉年だから、鳥でもついばもうと言うわけだ。山の神は親戚筋とわいわいやっている。僕はすかさず、人気のない町まで、友人の女房(上海生まれの美人妻)の運転で出かけた。イルミネーションだけが光々と灯り、人影もない。田舎の町とはこういうものだろう。眠らない町とは違うのだ。あいにくと今年は、名物焼鳥店が閉まっていた。しからばということで、その近くで開ていた、大衆酒場へ繰り出した。いやあああ、ここには 人がいた。元旦から同窓会でもあるまいが、若い人たちが気勢を挙げていた。今年の景気もこうあって欲しいぜ。

新年早々、午前様というわけにもいくまい。ということで、午後10時半帰宅。後は良い初夢を見ることに専念するだけだ。おやすみなさい。

てなわけで、正月二日目の今日を迎えたわけだが、初夢を見たのか見ないのか分からない。残念!!!!。夢は今日の夜にとっておこう。




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