umityanの日記
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2004年09月26日(日) |
運動会から夢の話まで |
運動会から夢の話まで at 2004 09/26 17:44 編集
9月最後の日曜日だ。今日はあちこちの小学校で、運動会をやっているようだ。僕にはもう遠い世界のこと・・・・。思いでのみしかない。が、今は、まさにスポーツの秋。食欲の秋、さらに言えば人恋しくなる秋である・・・・。この秋の到来を、僕はどんなに首を長くして待っていたことか。
スポーツといえば、野球で一郎選手が大記録を打ち立てようとしている。柔道会ではやわらちゃんこと、谷選手が金メダルを取り、他にもオリンピックで活躍した日本人がたくさんいた。いまや、日本もスポーツ大国の仲間入りをしようとしている。すばらしいことだ。スポーツはなんといっても、人と人の心を結ぶ架け橋であり、世界平和構築の一番の近道でもある。
子供達に聞くと、皆、一郎選手や、やわらちゃんみたいな一流選手の名をあげて、「そうなりたい」と言う。今の子らに夢なんてないのではないかと案じていたが、そうではなくて良かった。
やはり、「夢」をもつことなんだよなーーーー。夢に向かって邁進している姿。その姿は、対象がなんであれ、頼もしく、美しく、尊敬の念さえ禁じえない。
卓球の「愛ちゃん」なんか、まさにそうだ。彼女の小さい頃からの姿を見ていると、泣き虫愛ちゃんが少女となり、今は美しい乙女となっている。その右手にはいつもラケットがあった。卓球で世界一のプレーヤーになること。これが愛ちゃんの夢だろう。夢が幻に終わることもあるだろう。それでも、かなう夢もたくさんある。愛ちゃんには是非、その夢をかなえてもらいたいものだ。
やがて、静かにわが人生を振り返る時期が来たとき、夢一途に生きてきた人達にとっては、人生に対する後悔は何もないだろう。
僕の小さい頃の夢・・・・・。それを話すことは非常におこがましく、恥ずかしいが、なんと、夢は名探偵、明智小五郎や、金田一耕介、シャロックホームズみたいになることだった。中学生の頃、江戸川乱歩さんやコナンドイルさんの小説を薄暗がりの部屋で読み漁った。おかげで、ずいぶん視力も落ちた。あの、スカッとさわやかな推理は見事なもの。ぞくぞくしながら、次を読むのが楽しみだった。「よし、俺もあんな名探偵になってやるぞ」と、真剣に思ったものだ。人から、「将来、何になるの?」と聞かれると、臆せず、名探偵と答えた。
今はすっかり畑違いの仕事をしている。名探偵どころか、迷探偵にさえなれていない。それでも当時の友人達には年賀状などで、相変わらず昔のニックネームで出しているからおかしい。僕が小五郎で、友人には大五郎と、中五郎がいるわけだ。
運動会が夢の話へ飛んでしまった。子供であれ、大人であれ、夢だけはいつまでも持って欲しいと思う。かなうにせよ、かなわないにせよだ。僕なんか墓場まで夢を持って行きたいくらいだ。たとえ、かなわなくても、あの世でまた、夢を実現できるかもしれないではないか?。
2004年09月20日(月) |
盆が終わって、台風が過ぎて、お彼岸だ。 |
盆が終わって、台風が過ぎて、お彼岸だ。
今日は彼岸の入り。つい先日までお盆の名残があったが、台風騒ぎに気を取られているまに、お彼岸とあいなった。いまさら、言うまでもないが、時の流れの何と速いことか・・・。天気も上々。きっと、ご先祖様への、お墓参りも多いことだろう。一体、墓前のまえで、人は何を語っているのだろうか?。きっと、それぞれの心の思いを、告げているに違いない。
我々は、ほんの短い単位でしか、物事を考えないが、思いをはせれば、生命体の遺伝子は35億年と言う無限に近い時を生きながらえ、進化してきたわけだ。考える能力をもち、手足を器用に操りながら、日々、生きている今日の我々。生命体の元祖、大先祖様に、こういうすばらしい生を与えてくれたことに感謝、感謝しても、感謝したらないだろう。
ただ、如何せん。考える能力は、「欲」という感情を創造した。好ましい欲、好ましからぬ欲、いろんな欲が渦巻く現代社会。協調、輪、和、正義、愛・・・・・。これらの好ましい感情の隙間に、「悪」という、好ましからぬ欲が忍び込むのだ。哲学とか、倫理とか道徳の時間に習った。「性善説」、「性悪説」とかいう考え方がある。僕は、前者の立場。本質的には、皆、善であると思う。いろんな環境因子が、後天的に、善を悪へ導くことがある。世に言われる犯罪や罪は、その類ではないだろうか?。心の奥底には、「欲」という悪が潜んでいるように思える。
「しからばどうせいと言うのか」と、問われそうだ。「悪」という欲を抑える特効薬などはない。ただ、悪と言う欲が入り込むスペースを作らないこと。これが最善の方法かもしれない。まずは、個々人の周りを好ましい欲で満たし、悪のいり込む余地を与えない。ひいては家族、地域共同体、国家、世界へと、広げていく。なかなかこれができないんだよなーーーー。好ましいや、好ましからぬに関わらず、欲は際限なく娑婆世界に混在している。法律で悪を規制しても、悪という感情や行動は、なくならない。何かの宣伝ではないが、「根源を絶たなくちゃ」。これである。
「根源・・・・・・」。うんんん、悪という欲を生み出す根源・・・・。何だろう?。僕は、「家族環境のあり方」が、根源であるような気がする。個の集まり、まずは家族である。家族単位で好ましい欲が満たされなければ、どんなに大きな組織となっても、悪という欲は消えないだろう。
今は、個々ばらばらの時代だ。誰もが個の追求で、せわしく生きている。それがいけない訳ではない。ただ、少なくとも、家族、家庭という環境のなかに、好ましい欲を満たすことへの努力を払うべきだ。
最近、幼い子供が、あやめられるという事件があった。この悲劇をどう語っていいのか分からない。個や家族に「悪」という欲を払拭する環境が成熟していなかったのだ。そう思える。悲しい事件である。
太陽は真東から出て真西に沈む。この神秘を与えてくれた絶対神・・・宇宙。宇宙の落とし子として、地球が生まれた。地球は母なる大地として、生命体を今日まで、延々と紡いできた。我々は今、ここにいる。考えると言う能力をもって、今ここに存在しているわけだ。そして、今日からお彼岸だ。少なくとも数世代前の先祖に感謝の念をささげてもいいだろう。「生を紡いでくれてありがとう」と。
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2004年09月19日(日) |
やはり、持つべきは良き友人である。 |
やはり、持つべきは良き友人である。 at 2004 09/19 00:39 編集
最近、かかりっきりだった仕事が90パーセント終わった。仕事って不思議なものでだ。時間に余裕ができると、欲がでてくる。もうひとつ満足できなかった書類を新たに作り直したいという欲望というか、欲求がでてくるのだ。安易に妥協しない。まあ、ここが僕のいいところかもしれない。
てなわけで、この週末も、先ほどまで、書類の手直しに明け暮れていた。廃棄した用紙、うん百枚。そのうちの半分はカラーコピーである。僕の場合は一枚30円の経費がかかる。日ごろにない出費過多である。それでも、なんとか自分の満足のいく、納得のいく商品が出来上がったときは、嬉しいものだ。疲れよりも満足感で満たされる。今の僕の状態が、そうである。
時間的余裕が出来た僕は、昨夜は仕事仲間の弟(他人だが、他人と思えない友人)と、グラスを傾けた。実は、今回の僕の仕事には彼が大きくかかわっている。正直言えば、彼の存在なしでは、僕の仕事もこんなにはかどらなかっただろう。僕は言ってやった。「なんと言っても、持つべきは良き弟だぜ。・・・・」とかなんとか。自分の都合のいいときばかり、「弟」呼ばわりするのは、彼にとっては迷惑かもしれないが、「今日は僕のおごりだ。許しちゃってよ」ということで、仲むつましく飲んだわけである。
そうそう、「弟」という言葉で思い出したが、あの、内藤やすこさんの歌だったっけ?。「弟よ」という名曲がある。この歌を、僕の大、大先輩、ボスがよく歌う。ボスのじゃがれ声が、なんとなく、内藤やすこさんの、声とあいまって、思わず涙を誘われてしまう。と、同時に笑いも出るわけだが。
歌の中で、何回か「弟よ」と、おらぶ箇所がある。ボスは、その聞かせどころで、「弟よ」と言わずに、「おととよ」、「おととよ」と歌うわけだ。僕達は思わず笑ってしまうが、ボスも、数年前、弟さんをなくしている。なんとなく気持が分かる。この歌は、僕の好きな曲の一つである。
弟の話が、ボスの話に飛んでしまった。軌道修正だ。行きつけの小料理屋で、小一時間ばかり過ごし、「よし、今日は若い子ちゃんのいいるところへ行こう」と、そく、話がまとまり、僕達は勇んで出かけた。いわずもがな、「しゃなりのママの店」である。あいにくと満席。「よくもまあ、はやるものよ・・」。「これじゃあ、しかたなかっぺ----」ということで、しゃなりの姉が経営する、「おしゃなりの店」へ行くことにした。
いやあああ、まじかに見る20歳前後の女性達の美しいことよ・・・・・。「ピチピチ」という言葉はまさに、彼女達に相応しい。僕達は長くもない鼻を伸ばして、恋愛感やら、恋人のことやら、出身地のことやらを、尋ねあさった。ま、この辺が中年と言われる輩のいやらしさかもしれない。 あわよくば、共通点を見つけて、さらに話を飛躍させようという魂胆か?。一般的にはそうかもしれないが、さすがに我々は紳士。 つつがなく、楽しい時を過ごしてお開きだ。そういうことにしておこう。
さすがに、昨夜の酩酊がたたって、週末の今朝は早く起きれなかった。連日の深夜労働が疲れを倍増させたに違いない。今日こそは早く寝ようと・・時計を見たら既に0時を回った。およよ・・・・。いつものパターンだ。仕方がない。今からでも遅くはない。さあ、たらふく睡眠をとって、願わくば、心地よい夢の世界に浸りたいものよ。
2004年09月12日(日) |
「早めの手当て」、三題。 |
台風が去って、平穏な日々が戻ってきた。幸いである。巷では、瓦工事屋さんが急がしいようだ。例外にもれず、我が家にも数枚飛んだ瓦の修理に来てくれた。いやああ、お見事である。瓦の上をすいすいと、飛ぶように歩いていく。地面には落ちなかったが、屋根の上にとどまっていた破損瓦もあったようだ。高所恐怖症の僕には、屋根の上のことなんか、てんで分からない。雨漏りがして初めて、「瓦前線に異常あり」と気付くわけだ。早めに手当てができてよかった。
瓦は良かったが、今日も僕は仕事に明け暮れた。明日やっても良かったが、やはり、早めの手当だ。明日になれば、また、否応なく、人とのかかわりあいが生じる。やりたいこともやれなくなる可能性がある。となれば、誰も来ない静かな日曜日は、原稿やら、商品を仕上げるにはもってこいと言うわけだ。本音を言うと、遅れていた分を取り戻しただけなんだが、まあいいか。 というわけで、仕事で使っていたパソコンを娯楽というか、プライベートゾーンへ切り替えた。
世界情勢をみわたすと、北朝鮮で大爆発があったようだ。きのこ雲が出来ていたと言う。ただ、核爆発ではないと報じられていたが、真相はまだ、分かっていないようだ。いずれにしても、きな臭い出来事で、由々しいことである。嬉しいニュースでは、安打製造マシンの一郎選手が記録更新へ向けて、活躍している。なんとか実現して欲しいものだ。
一方、目を転じて我が家に向けると、一つだけ由々しいことがある。何かと言えば、子ねずみ君が、どこからか侵入し、台所にある冷蔵庫の裏にひそんで、電気コードやら、木製扉の隅っこを、かじり始めたのだ。朝起きてみると、おがくずが落ちている。「こりゃなんだ?ネズミか?」ということになった。うんんんん、いかがしたものか?。
山ノ神に言わせれば、「ネコ」を飼ったら、ねずみはいなくなると言う。経験がそう言わせるのだろう。確かに、ネコがねずみを捕らえた光景を見たことがある。それは昔のことだ。今時の美食におぼれ、たらふくまんまとなったネコが、果たして、ねずみを捕らえるものなんだろうか?。「ねずみ君、ご自由にどうぞ」と、無視しているのが関の山ではないか?。それよりは、「ゴキブリほいほい」みたいに、「ネズミ、こっちだべ、こっちだべ」という器具を設置したが、よほどましかもしれない。
僕としては、その両方ともに手を染めたくない気持である。かと言って、山ノ神には逆らえず、今日は仕事の合間をぬって、ネコ用ゲージと、ねずみ用おまんまを買ってきた。そうそうに、ネコを調達する気らしい。その前に、おまんまを食べていただこうというわけだ。気のりしないが、まあ、仕方がないか。ネコが来る前に、ネズミ君が速やかに、我が家を脱出してくれれば、それが最良なんだが。
よくよく、考えてみると、子ネズミがいるということは、どこぞやに、母ネズミがいるということだ。扉のかじりは、恐らくは通路確保ということだろう。まさか、母を呼ぼうというわけではあるまいか?。通路が貫通すれば自由に出入りが出来て、格好のご馳走調達場となってしまう。子ネズミが新たに、わんさと生まれることになる。これまた由々しいこと。ネズミ君には悪いが、やはり早めの手当てが必要のようだ。まあ、これは山の神の仕事だから、罰はあたるまい。
2004年09月11日(土) |
今日はボスと久しぶりに懇親を持った。 |
今日も0時を過ぎてしまった。いつものことだから、特に言及する必要もないか。8時頃まで仕事をしていたら、ボス(仕事仲間の大先輩)からテル。久しぶりに歌でも歌って人生を謳歌したいとの事。僕に異論があるはずもなし。そそくさと出かけた。
行く先は決まっている。百円玉のママがいて、美貌の奈美ちゃんがいる店。僕たちは、気もそぞろに、暖簾をくぐった。なななんんと、客は誰もいない。ボスと僕だけだ。ママは、ボスとの再会にえらく声を荒げて、「あーーら、たーーさん、どうしていたの?。心配していたのよ」と、手を差し出して、にっこり握手だ。奈美ちゃんは腰まである黒髪をゆらゆらさせながら、前頭部のあぜ道ヘアに、さらなる磨きをかけていた。いつものように、にっこりと笑い、恥じらいながら僕たちを迎えてくれた。ボスもまんざら悪いきはしない。まああ、これはサービス業の常套手段なのかどうか?。心のうちまでは分からない。少なくとも僕達は常連の「かも」である。付けもない。これに勝る上客はいないだろう。ママがこびるのもうなずけるというもの。
僕達は、マンツーマンみたいな感じで話に興じた。その後は、いわずもがな、カラオケである。ボスは以前、ここで、黒沢年男さんの「やすらぎ」という歌で94点という高得点をたたき出している。当然、それ以上を狙っての再挑戦だ。いやあああああ、ボスの歌は、なんと言っていいのか、味がある。じっと、聞いていると涙をそそわれる。声量があり、音程もしっかりしている。問題はリズムである。これは僕も同様。声高々に、おらぶだけでは機械は反応してくれないのだ。それでも今宵は、最高のレベル設定になっていたような?。ボスを配慮してのことなのか?。えらく、「キーキー」とハウリングがおきるのだ。ボスは死ってか知らずか、無頓着な様子。見事、92点の高得点をたたき出した。次第に鼻息が荒くなったことは言うまでもない。
僕もひるまず挑戦だ。今日はボスとの合い競演ということで、演歌オンリーで挑戦することにした。フォークソングはお休みだ。時期はずれかもしれないが、石川さゆりさんの「風の盆、恋歌」だったかな、心をこめて歌い上げた。美声が会場にこだました。拍手喝さいとなったが、いかんせん、声量のみに機械は反応。リズムはからっきし駄目。これじゃあ泣きまっつせ。遺憾ながら90点の得点甘んじた。ボスの「いや、うまい」」という言葉と、ニヒルな笑顔が僕を自信喪失へと追いやった。まあ、仕方がないか。
僕の落胆をかばってか、奈美ちゃんが歌に挑戦した。奈美ちゃんは実に歌がうまい人である。リズムと音程はいつも90点台を出しているが、声量のみが70点台。僕はいつも言っている。「奈美ちゃん、大黄な声で、大きな声で・・・」と。奈美ちゃんも今日はそれに反応してか、いつもより、大きな声を張り上げて、「亜麻色の髪の乙女」という曲を熱唱した。いやあああ、すばらしい。実に癒しの歌だ。最高・・・・。得点も過去の記録を更新して91点の高得点をたたき出した。やはり、大きな声が物を言ったのだろう。「大きな声で・・・」、この言葉は、彼女が歌うときの「キーワード」にしよう。
ママもさるもの、ひっかくもの。僕達の歌に感化されたのか、挑戦状を投げてきた。なんと、僕が日ごろ愛唱している、井上揚水さんの、「リバーサイドホテル」を歌うと言う。僕の鼻をあかしたいつもりなのか?。困ったものだ。ママの甲高い声が、音程をはずしながらも、見事歌い上げた。なんと、89点。僕はそのとき思った。「勝ったぜーーーー」と。負けてはなるまいと、僕の声量が、そう広くない店内の隅々までとどろいた。如何せん、リズムは、もう一つだったが、見事91点で、ママを打ち負かした。僕は言ってやったね。「僕に挑戦するには10年は早いと・・・」。ボスも後半は、飲みすぎがたたってか、声が「じゃら声」に変身し、得点の更新には至らなかった。もちろん僕も同様だ。ただ、百円玉のママの目に、更なる光を与えなった僕の功績は大きいだろう。
まあ、今宵もこんな調子で、時が流れた。第三者の客到来で、僕達は店を後にした。ちなみに、今日はボスのおごり。僕は代行料金のみだ。低出費で楽しい一時を過ごしたしだいである。
2004年09月10日(金) |
良く仕事をしたと褒めてやりたい。 |
今日も0時を回ってしまった。それにしても、良く仕事をしたものだ。自分で自分をほめてやりたい。(だあれもほめてくれないから)。最近、妙に忙しくなった。少しばかり景気が戻ってきたのだろうか?。我が零細事務所にも、幾ばくかの受注残があって、今、その対応に大童だ。夜な夜な、遊んでいる場合ではなさそうだ。
そうは言いながら、僕もちゃっかりしたもの。昨夜は夜8時前、同い年の、のりちゃん先生から、再三、携帯電話での呼び出し。ちなみに、僕の携帯電話呼び出し音は、昔、オフコースというメンバーの小田和正さんが歌っていた「さよなら」という曲である。何故か、この曲が好きである。幾度となく経験した僕の別れ・・・・。「もう、終わりだね・・、君が小さく見える。僕は思わず君を抱きしめたくなる。僕が照れるから・・・・。愛したのは確かに、君だけ、そのままの君だけ・・・・・。さよなら・・・さよなら・・・さよなら・・・もうすぐ外は白い雪・・・・」
いやあ、なんとも、つまされる詩である。愛しながら別れるって、本当につらいもの。もう、ずっと、昔だが、僕も手造りのりんご箱ベッドの中で、「わんわん」というか、「おいおい」というか、布団をかぶって泣いた記憶がある。さよなら」と言う歌がすきなのは、いまだにその思いを引きずっているからかもしれない。
話が脱線してしまった。のりちゃん先生に電話で、この曲が流れたら、おそらく絶好だろう。「何がさよならだ。せっかく誘ってやっているのに」と、彼は思うに違いない。あるいは、「なんだい、その曲は?。センスがないなーーー」と、かえって、そしりを受けるかもしれない。幸い、呼び出し音は先方に聞こえないから良かったものよ。
仕事に少々、不安はあったが、生来の、「なんとかなるさ」という僕の甘い考えが、彼の待つ酒場へと僕をいざなった。二人ともすきっ腹だったので、 箸を片手に、会話に花を咲かせたしだいである。彼はタイランドから帰ってきて、最初のアルコールだそうな。やはり、「アルコールは日本の物に限るぜ」とは彼のせりふ。僕も「さりなん」と思う。僕達はそれそれ別個にキープしている、薩摩白波の一升瓶を「でーーーーん」と、カウンターにおいて、互いの残量に目をやりながら飲んだわけである。まあ、これも、互いにライバル意識の現われということで、面白いじゃないか?。
そうこうしながら、宵もくれ、僕は代行車で帰還。彼はちゃりんこだ。ペーパードライバーならしかたなかっぺ。帰ってから仕事をしようと思ったが、さすがに、体はくたくた。「よし早く起きて仕事をしよう」と、自分に言い聞かせて寝てしまった。あにはからんや、目が冷めたときは、お天道様が高く昇っていた。その付けが京の仕事となったわけだ。
さあ、もう休もう。早く起きようという誓いはなしだ。きっと、誰かさんが起こしてくれるだろう・・・・。
2004年09月07日(火) |
エイリアンの再襲撃だ。 |
それにしても今日の台風はすごかった。たて続けに大きな顔をしてやってくるとは、よほど日本列島がお好きと見える。こちとらは、荒れ狂うエイリアンの侵入を防御すべく、つい最近、オープンにしたばかりの雨戸と言う雨戸を、再び固く閉ざした。幸い、二・三枚程度の瓦の損傷で事なきをえた。被害にあわれた方々に、心からお見舞い申し上げます。
僕はと言えば、おかげ様で一歩も外へ出られず、またまた、仕事がはかどってしまった。電話も鳴らず、パートさんもお休みで、一人で黙々と机に向かっていた。良い傾向である。もし、秋晴れの心地よい天気だったら、恐らく、ホイホイと外出していただろう。クライアントからの急ぎの要請に応えるには、メイビ、時間が足りなかっただろう。なんとなれば、今ようやく目途がついたからだ。ある意味では台風に感謝せねばならない。 ベッドにはいるには、まだ頭が冴え渡っているので、この日記を書くことにした。
ちなみに、最近の日本列島は、どうもおかしいようだ。大きな地震は来るし、台風がやたらと発生している。自然環境の変化が、その一番大きな原因かもしれない。異常気象、異常気象と叫ばれて久しいが、どうも、そのことに対する対応は、まだ遅れているようだ。行政側もそうだが、個々人だってしかり。「破壊された自然を元に戻そう」と、世界中の人々が叫んでいる。掛け声は聞こえてくるが、なかなか、我がこととして意識を昂揚させるまでには至らない。やはり、経済優先、豊かさ優先と言うことだろう。僕も同じ穴のむじなで、「自然を元に戻そう」なんて、偉そうなことは言えない。 ただ、なにかしら、出来ることの一歩だけは踏み出したい。
「南太平洋上に異常あり。天災駆除ロボット出動せよ」ということで、速やかにロボットの部隊が、光ファイバーにのっかって現地へとび、「台風の目」とやらを、駆除スプレーか、なにかで消滅させられたら、愉快なんだが・・・・・・。これは、アニメの世界だ。近未来には実現するかもしれない?。ポカーンと口を空けて待っていても埒が明かない。僕だって既に死んでいるかもしれない。まずは、生きているうちに、一歩を踏み出そう。
今、思いつくことは、明日の朝、風で舞い散った緑のじゅうたんを再び、掃き集め、気の根元に置いておこう。きっと、良い腐葉土となって、気がすくすく伸びるだろう。「あんた、本当は、木々の葉つぱを処分するのが億劫だから、手をぬいているんじゃない」と、悪魔の声が聞こえる。「ごもっともです。少しはその気持はあります。でも、・・・・・・」。言い訳は止めておこう。そろそろ寝るか。
2004年09月05日(日) |
仕事には息抜きが必要だ。 |
いやああ、それにしても、今日はよく仕事をした。おっと、過去形ではなくて、まだ、これから徹夜に近いくらい続くだろう。せっかちなクライアントから、毎日のように催促の電話。まだ、時間は十分にあると高を括っていたが、僕もちょっと心配になってきた。「善は急げ」ということで、集中業務に身を投じた次第。これは本来、僕のスタンスではない。乗りかかった船だから仕方がない。あああ、早く、美貌の持ち主、奈美ちゃんの顔でも拝みながら焼酎をあおり、カラオケで、おらびたいものだ。うんんんん、もちょっとの辛抱だ。
夕方に、会社を定年退職した大先輩が来訪。一息するには良いタイミングだった。先輩は仕事を離れて、まだ数ヶ月。どうも勝手がよくないらしい。朝から晩まで、何をしたらいいのか手持ち無沙汰とのこと。家にいると、奥方のおもりで疲れるとか言っていたが、実はその逆のようだ。奥方にとっては、朝から晩まで、腑抜け状態の亭主の面倒をみなくてはならず、これもまた、大変。「早く、遊びにいってきんしゃい」と、尻をたたかれたのだろう。
近々、静かな山間に、引っ越すらしい。もう既に、土地の手配もおわり、家の設計に取り掛かっているようだ。奥方はバラの花の育成を趣味としておられ、年中、家の庭には所狭しと、珍しいバラの花が咲き乱れているとのこと。。いつぞや、大輪の黄色いバラの花をいただいた。グラスにいれ、食卓に飾ったが、結構、目を楽しませてくれた。今度、引越しをすると、もっと、広い庭がとれるそうで、今から、バラの庭園構想で、心、うきうきとの事。なかなか良い趣味をお持ちで、うらやましい限りである。
折角のの来訪。久々に、囲碁のご指南を願った。二目置いて、僕の完敗。仕事の疲れが頭の回転を狂わせたか?。これは強がり。程なく夕飯時となり、先輩は帰っていった。「何か、手伝う仕事があったら言ってくれ」とのこと。嬉しい言葉だ。
ふっと、思ったが、サラリーマンには定年があるが、僕みたいな個人事業主には、それがない。ある意味では恵まれている。何歳になっても、やれば出来るわけだ。ただ、能力のアップ、開発についていければのことだが。
さあ、この辺で、この日記を閉じよう。そろそろ、消耗品たちが、僕の出番を待っているようだ。息抜きの時間は、とっくに終わっている。
2004年09月03日(金) |
小心者は小物類が好き。 |
僕は無性に文房具類が好きである。いつも、机の前に必要なものがないと、いらいらして落ち着かない。あちこちを探し回る。消しゴム、鉛筆、シャープペン、定規、ボールペン、メモ紙、クリップ、付箋紙、のり、はさみ、修正液、セロテープ、カラープリンターの補充液、はがき、便箋、封筒、切手、レポート用紙など。まあ、ざっと、小物類をあげたが、他にも色々と。さまざまな事務商品、消耗品で机を囲まれていると、ぱっと手を伸ばせば届く。事務効率がいいわけだ。特に考えをめぐらしているとき、必要なものがないと、そちらに気が向いてしまい。考えの支障になることもある。やる気まで失せてしまう。何度となく経験したことである。
よく、山の神が、ぼく愛用の、はさみなんか持ち出して、元に戻して置かないことがある。「一体、誰が使ったんだー」と、不機嫌な顔で、山ノ神にお伺いを立てると、「私よ。ほら、そこにあるじゃない」とくる。 「ちゃんと、戻しといてよ」と、言うが、それ以上は言及しない。なんとなれば、それ以上言うと、別の事柄で、二つも、三つも僕に、とばっちりがやってくるからだ。いやはや、山の神は怖いぜ・・・・。仕方なく、気を取り直して机に向かうわけだ。
かくて、よく文房具屋に足を運ぶ。不足した消耗品の補充ならびに、気に入った何かがあると、「えいやー」と衝動買い。女性の衝動買いに比べたら、消耗品の衝動買いなんて、ちっちゃい、ちっちゃい。誰も文句を言わないから楽である。
それにしても、文房具やには、いろんな便利商品があることよ。ふと思ったが、文房具屋さんごと買い取って、店内の真ん中に事務机を置いて、僕の書斎にしたら、そりゃあ、効率抜群だ。店内には整然と必要なものが全部そろっている。「スパーッ」と取り出し、「スパーッ」と、元の位置に戻せばよい。これに勝る効率はないだろう。出来上がった書類の美的要素は満点だ。後は中身が充実していれば、5万円の報酬でも、倍は請求できそうな気がする?。これはちょっと、オーバーか。
僕の机の真向かいに、美人秘書さんを雇って、疲れた時に、ふっと顔を上げると、「にっこり、にんまり」の秘書さんがいる。そんな時、僕はすかさず叫ぶだろう。「さーーーーあ、コーヒータイムだ」とか何とかね・・・・。うんんんんん、せちがない今日にあっては、これは夢、また、夢である。我が超零細企業では、100年待っても、そうはならないだろう。ただ、考えるだけはロハである。
おっと、おまんまの足しにもならないことばかり考えていた。頭を切り替えよう。その前に今日の衝動買いは、シャープペンシルの芯、三個と、カラープリンターの取替え液、カラフルな付箋紙5個。誰が使うんだーーー付箋紙ばかり。
今日の結論、「小心者は小物類が好き」と言うことかもしれない。
嵐が去って、早9月とあいなった。静かな朝である。空は今にも泣きそうにしている。あの、灼熱の夏は一体、どこへ行ったのかと首をかしげたくなる。終わったのだ。夏よさらば・・・・・。
思い起こせば、僕にとって八月はいろんなことがありすぎた。初盆、オリンピック、同窓会、台風。そのどれもが一大イベント。終わってみると、幻だったかのような錯覚を覚える。時は流れたのだ。
今朝、テレビのスイッチを入れると、オリンピック選手の解散式というか、報告会みたいなのをやっていた。小泉首相と選手が握手を交わし、写真撮影をしている光景が映し出されていた。小泉首相のコメントがよかった。「皆、意外と小さいんですね。どこに、あんな、力が込められているのか」と。まさに、「しかり」である。私服に着替えた選手達は、もう、普通の人と同じだった。安堵感のあらわれか、一様に笑顔が輝いていた。僕は思わず涙ぐみそうになった。何でだろう・・・・・?。
秋、やはり、秋のせいだ。「枯葉散る夕暮れは・・・・・・」ではないが、なんとなく、人生のたそがれ時にさしかかり、あの、はつらつとした選手達の姿を見て、自分の若かりし頃の姿に憧憬を馳せたのかもしれない。
朝からセンチメンタルな話になった、話題を変えよう。最近、僕の心を捉えたニュースがある。太陽系外の小型惑星が二個発見されたのだ。しかも、この惑星は地球の20倍程度の大きさで、大型のガス型の惑星と違い、岩石やらあるかもしれないと言う。となれば、生命体の存在も期待できる。
いやああ・・・胸がわくわくする。ひょっとすれば、こんな、小型の惑星は宇宙のあちこちに、たくさんあるかもしれない。生命体だって、わんさといるかもしれないのだ。近未来には、「こんにちは、こんにちは、宇宙の果てから・・・」とかなんとか、メッセージが届くかもしれない。僕が生存していれば、「あなたとならば、どこまでも・・・」とかなんとか、メッセージを送り、迎えを要請するだろう。999のメーテルみたいな、エイリアンとと遭遇するかもしれない。そうなれば、僕は叫ぶだろう。「あなたの餌食になるなら本望ですたい」とかなんとかね。
おっと、誇大妄想がここまで、エスカレートすれば、これは病的だ。ここいらで、水入りだ。さあ、仕事、仕事。そろそろパートさんがやってくる。
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