umityanの日記
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2004年08月31日(火) 台風の後始末。

台風が何事もなかったかのように去った。まことしなやか現金なものである。まあ、エイリアンならば仕方がないか。万全の体制で、動向を見守るしかなかった。幸い、これといった被害もない。良かった。ただ、被災されたかたがたには、心からお見舞い申し上げます。

朝起きて庭を見ると一面、緑のじゅうたん。よくぞここまで、散り並べたものよと感心した。「わおーーーつ」とダイビングして、寝そべりたい衝動に駆られたが、まさか、下が砂地じゃあ、我がボディーが、葉っぱと砂でまみれしまうぜ。ということで、止めにして、せっせと、長ほうきで掃き集め、大木の根元に置いた。昔なら、一網打尽にして燃やしてしまうところだが、ばあ様によく言われたものだ。「木の葉っぱも肥料になるから、全部、燃やさないで、少しは木の根元においときんしゃい」と。若かった僕は、「うるさいばあさんだぜ」と思いながらも、「はい。分かりました。」と、素直に応じたものである。

今も、その言葉が忘れられずに、葉っぱを掃き寄せては木々の根元に置いている。ばあ様の言いつけはきちんと守っておかないと、夜な夜な、「うらめしやーーー」と出てきてもらっては困るからだ。

台風の後の、一働きは重労働である。閉めていた雨戸をオープン。小屋に放り込んでいた諸々の道具類や、植木鉢を、へぴり腰で抱えて、元の位置に戻す。
一仕事終われば、さらに追い討ちをかけるように、山ノ神の命令が飛んでくる。「はい、こっちよ。」、「はい、あっちよ。」と、「はい、次はこちら」。いやはや、御養子様はつらいぜ・・・・・。

御養子様で思い出したが、僕の友人には養子らしき男が多い。ちなみに、よく小料理屋で会う「安さん」や、「いぐちゃん」、二人ともそうである。「僕は違うぞ」と、吹聴しているが他人はそう思ってくれない。まああ、どうでもいいことだ。三人に共通しているところ、真面目、アルコール好き、働き者、それに、なんと言っても、歌がうまいことだ。おっと、これは僕のみは例外ではあるが。安さんも、いぐちゃんも、カラオケで100点満点中98点をたたき出している。僕はまだ94点。それでも三人は大の仲良し。
恐らくは、それぞれ、家の中にあっては、馬車馬のごとく、こき使われているんだろう。その、発散がまさか、カラオケの高得点に・・・・・・。これはちょっと、考えすぎか。とにもかくも、御養子様は働き者。婿にもらうなら、最高ですたい。若干のしいたげはあるやもしれないが。

おっと、仕事だ、仕事だ。背中になにやら視線を感じた。ここいらで、軌道修正して、本来の僕に戻ろう。

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2004年08月30日(月) 台風はエイリアンだぜ。

まさに今、台風の直撃を受けている。九州列島を縦断して、四国やら本州に向かいそうだ。由々しいことだ。備えあれば憂いなし。昨夜は雨戸という雨戸を全部閉め切った。雨戸のないところは、しっかりと鍵をかけた。「さあ、来るならこい」と、まるで、エイリアンとの戦いに備えるかのようだ。
あの、映画のエイリアンでさえ、頑丈な囲いを突破して、人間を餌食にしたわけだ。いかなる、囲いでも安心は出来ない。僕の心臓は高鳴っている。

今、昨日の同窓会の友人から電話があった。台風見舞い兼、土産のお礼だ。
土産と言えば、かなり高級なプリンを二箱持って行ったが、別の友人に渡すタイミングがなかったので、電話の主に二箱ともやったわけである。早速、食したそうだ。開口一番、「おいしかった」と、言ってくれた。「そりゃあ、そうだろう。高かったんだぜ」と僕は言ったが、実はもらい物の回しである。まあ、食べてくれる人がいれば、プリンも本望だろう。

友人の方の風は幾分、治まったそうだ。こちらは午後がピークになりそうだ。僕は締め切られた雨戸のなかの事務室で、電気を光々と灯して、この文章を書いている。パートさんからは今朝早く、「お休みします」と連絡があった。官公庁は仕事らしいが、民間は結構、休みにしているところも多い。僕も開店休業。時々思うが、こういう日の休みって、なんだか一日、得したような気になる。本来なら仕事なのに、それを忘れてゆっくり出来るからだ。

実は、先ほど、ばあ様の初盆に使用した小物道具類を整理した。一応の片付け出来ていたのだが、延び延びとなっていた。丁度、今日がグッドタイミングだった。
そういえば、昨日は友人の母の葬式。電話の主は出席したそうだ。僕は、香典のみ渡しておいたから、まああいいだろう。それはそうと、僕のページへよく訪れてくれる人の父上がなくなられて、今日、お見送りのとのこと。
心からお悔やみ申し上げます。

訪問主は気丈で優しい人のようだ。きっと、たくさんの良い思い出を抱かれて、父親は旅立たれたことだろう。なんと言っても、身近な人の死ほど悲しいことはない。義理のばあ様の死のときだって、僕に涙はないと思っていたが、感極まって泣いてしまった。悲しみは時が解決してくれる。亡くなった人の魂は、わが胸にやどり、これからのわが生きる道の「道しるべ」となってくれるはずだ。そう考えると固体の死はあっても、心の死はないわけだ。

どうも、今日みたいに閉鎖された空間で、字を書いていると不思議な気持になる。世間の束縛と、喧騒から開放され、自由に思考できる。風の音だって聞こえない。「やはり、こもるなら静かな山の中だぜ」と、ふと、考えてしまう。ただ、そう考えても、すぐ、脳裏で否定してしまう。なんとなれば、小心者で、さびしがりやの僕のことだ。三日、山にこもれば、一目散に山を駆け下ること間違いない。「ネオン」のない生活なんて・・・・・僕の辞書にない。とまああ、これは本音であるが、あえて、別の理由をあげれば、一人っきりの暗闇が怖いからである。山の中に一人っきりとなれば、深夜の森のざわめき、遠くか近くか知らないが、物の怪の気配。狼やら動物達の奇妙な叫び声・・・。蛇やら虫やら得体のしれない生き物達の侵入・・・・。考えたら怖いものばかり。

とまああ、こんな調子だから、喧騒の都会もいいが、ほどほどの田舎が僕には似合っているようだ。
廊下に出てみた。窓越しに外を見ると、風足が幾分か強くなっている。グリーンの米苗が横倒しになり、風雨に耐えている。めげることなく立ち上がり、やがては見事な稲穂に成長する。僕も、たたかれ強い稲穂のごとく、精進しなくちゃなるまい。


2004年08月29日(日) 僕の同窓会が終わった。

今年の同窓会が終わった。ホテルの大広間を借りて550名の参加。会費6000円だ。うんんん、締めて330万円か。僕のボーナスの何年分だ?。すぐ、こういう計算ばかりしたがるのは、小心者のかんぐりか?。

550名も集まると、大広間は、ウサギ小屋みたいなものだ。人、人がひしめき合って、動き回ることもママならない。僕達数名の同級生は、テーブルの一角に席が割り当てられていた。周りを見回すと、立派なおじん、おばん達が既に座っていた。「えらく、老けた者達が集まった席だぜ」と、隣近所に座った者の名札を見てみると、なんと、僕らより3級後輩の連中ばかり。「「えええつ」と、わが目を疑った。要するに、僕達は、見た目には若いってことだ。悪く言えば、「とっちゃん坊や」、「母ちゃん少女」ってことになるのか。これは嬉しいことなのか?悲しいことなのか?。やはり、嬉しいことになるか?。

まあ、そういうことは気にしないで、僕達は次第に打ち解けた。変化した故郷の町並みや、友人達の近況等に花を咲かせたわけだ。ふと、出席予定の友人が来ていなかったので、その理由を尋ねると、なんと、友人の母親がなくなったとのことで、今日が通夜らしい。人は時を待ってくれないものだ。僕達は、急遽、会場で香典を包んだ。まさか、酔っ払って通夜に行くわけにもいかず、その場は、アルコールを飲まない女性に香典を託して、僕達は二次会で待つことにした。

最愛の母をなくした友人の気持は痛いほど分かる。心から冥福を祈りたい。いずれ、我々もたどる道とはいえ、身近な者の死であればあるほど、その死を肯定できないもの。今の僕もそうである。たとえ、肉体が灰と化しても、亡くなった人の魂は、いつも自分の心にあるからだ。こう、考えると死というものはないことになる。ただ、肉体が魂に形を変えたに過ぎない。僕の心には、なお、父、祖父母、義母、叔母の心が宿っている。その心は事あるごとに、僕の道しるべとなってくれているのだ。

通夜にいった友人達と二次会で合流した。場所は、もう何度も行ったことがある友人の友人が経営するスナック。30人程度は入れる。最初は僕達6名だったが、後から、後輩の者達が、どやどやと20名ばかりやってきた。
綾小路君麻呂さんの言葉ではないが、「いやはや、今日はおじん、おばんの産卵場だぜ」と思い、つい笑ってしまったことだ。

「おまえはスタンドプレーが過ぎるよ」と、いつも友人達に言われている僕だが、またしても、僕が、場のイニシアチブを取ってしまった。後輩達を眼前にすえ、得意のラブソング、「ある愛の歌」や、「メリジェーン」、ちと気が早かったが、クリスマスソングの「きよしこの夜」なんか歌ってしまった、そりゃあ、拍手喝さいがあったことは言うまでもない。僕はご満悦。ちなみに、点数は1000点満点の700点代に甘んじてしまった。まあ、これはちと、不快ではあったが。

かくして、僕の同窓会も終わった。ホテルで仮眠を取って、先ほど高速を走らせて帰還した。台風の心配がなければ、もうちょっと、羽を伸ばす予定だったが、自然の脅威の前では、常々叫んでいる予防が大事。激しく揺れ動いている朝顔の葉っぱに目をやりながら、おそるおそる昨夜の思い出をしたためた。今、完了だ。


2004年08月28日(土) 台風の脅威

台風の脅威

大型の台風が近ついている。今までは、なんとか、進路がそれてきたが、今度はどうもやばそうだ。

台風で思い出すのは、もう7−8年前、風速50メートル級の超大型に見舞われた時のことである。
雨戸のない、窓のサッシが弓なりになり、その隙間から雨が打ち込む。僕は必死になって雨戸を押さえ続けた。これは、今思うと、非常に危ない行動だったかもしれない。また、瓦が縦横無尽に地面へ落下。天井からの雨漏り。植樹がなぎ倒された。
怖いものしらずだった僕は、初めて、自然の驚異に体が震えた。

一夜明けて、外を見れば、あまりにも無残。目の前が真っ暗になった。台風ではないが、神戸の大震災も同じ状況だっただろう。今年は台風の当たり年のようだ。僕の知らぬ土地、場所での被害状況がテレビ等で知らされると、なんとも、いたたまれなくなる。

自然の災害をいかに食い止めるか。これは、やはり、予防対策しか手がないかもしれない。行政側の対応、日ごろからの訓練、地域共同体の連携、いろんな面での、予防対策が、いまのところ、災害を最小にくい止める最善の方法のようだ。

自然は、あるときは優しく、また、あるときは過酷なまでに、鬼となる。優しいばかりでは人間は、のぼせ、たかぶり、驕ってしまう。時々、そのことに対して、警鐘をならしているのだろう。もっと、謙虚な気持で、自然と調和して生きる術を、人間が持ち合わせていたならば、地球という環境は大きく変わっていたに違いない。もちろん、自然の現象は皆無とはならない。
今となっては、かなり、地球環境は重症である。が、まだ、手立てはあるだろう。21世紀を子らが生き抜くための手立てを、今を生きる大人は示すべき義務を背負っているように思う。

僕は今日、この台風を尻目に、県外の同窓会へ赴こうとしている。状況しだいでは、すぐ、とんぼ返りだ。願わくば、台風の早い消滅がもたらされんことを祈りつつ。






2004年08月27日(金) 隣の晩ご飯

良い考えが浮かばないとき、気分転換で、テレビを見る。何の番組か知らないが、「隣の晩ご飯」とか何とかで、レポーター(芸能人)が、しゃもじを持って、突然、夕飯時の家庭を訪問するという番組を見た。ずかずかと、レポーターは玄関を上がり、食卓や台所を物色するわけだ。

突然の訪問に、家族の者達は一瞬、うろたえるが、そのうち、笑顔で料理の説明、味見となる。日ごろ、よそ様の食卓なんて、何の興味もなかった。ただ、こうやって、テレビと言う媒体を通して覗くと、いろいろと興味深い。どこの家庭も、母親や、ばあ様たちが、せっせと料理をこしらえていた。どこの家にも家庭の味がある。愛情のある料理は、そりゃあああ、おいしいこと間違いなしだ。

レポーターは、廻る家々で、屈託なく味見をしながら、料理製作者、家族の者の意見を問う。答えは言わずもがな、グッド」である。

思うに、迷惑ながらも、行く先々で歓迎される、このレポーターは、その人柄に好感をもたれているようだ。と、同時に、家庭というものの原点は、やはり食卓なのだと言うことを、テレビは、あまねく映し出していた。

最近、食卓の賑わいを失った家庭も多いという。核家族化、少子化のなかでは、どうしても食卓を全員で囲む機会も少ない。ある意味では残念なことである。

漫談で、綾小路君麻呂さんが言っていた。
「女性の方達よ。どうぞ、お願いします。子供を生んでください。簡単ですよ。眠ってても出来ますよ」とかなんとか。
大笑いしながら、聞いていたが、日本の将来を考えるとき、笑って済まされる問題ではない。

僕も叫ぼう。「どうぞ、子供を生んでください。僕でよければいつでも手伝います」と。



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2004年08月26日(木) 弟の力を借りて、難題をクリアだーー。

弟の力を借りて、難題をクリアだーー。
at 2004 08/26 15:54 編集

昨日は、「やれば出来るんだ」と書いた。書いたはいいが、まさに今、仕事の分野で、僕の手に負えない領域に遭遇した。うんんんん、これは「やれば出来るんだ」というわけには行かない。

はたと困ったが、餅屋は餅屋に任せろで、幸い、僕の弟(仕事仲間)が、そちらの分野のプロである。昨夜、遅く(、多分、彼はベッドにはいっていただろう。)電話して、頼み込んだところ一発返事で了解を得た。寝ぼけ眼のようではあったが。やはり、持つべきは友である。都合のいいときばかり、友扱いにするから、僕も現金な男だ。

今日、昼ごろ、さっそく彼がやってきた。内容の説明を聞き、「こりゃあ、時間がかかるよ。」と言う。そこを何とか、すばやく、やってくれるように懇願し、彼も了承してくれた。弟に差し出したお土産のビール一箱が項を奏したかな?。よかった。よかった。

実は、この仕事、クライアントに対してもそうだが、提出先に対しても、「見事なできばえ」という評価を得たいという、僕の野心がこめられている。他人がこしらえる書類よりも、格段に優秀なものにしたいわけである。あるいは、赤字になるかもしれない。弟にも支払わなくちゃいけないし・・・・・。それでも、僕は僕のプライドをかけて、この仕事を完遂しなければならない。プロとはそういうものだろう。

かくて、肩の荷をひとつ下ろした。何の危惧なく故郷に戻り、同窓会に参加できることになる。めでたし。めでたし。

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2004年08月25日(水) 「やれば出来るんだ。

オリンピックも佳境を過ぎて、中だるみの状況。それでも、開幕以来、今日まで、日本人選手達の活躍は目を見張るものがあった。選手の皆さんに心からおめでとう、お疲れ様という言葉を捧げたい。

今日、テレビで面白いことを言っていた。日本人で、メダルを取った人たちのほとんどが個人で、団体の競技では、メダル獲得が少ないそうな。このことは何を物語っているか?。個々人の力は格段に伸びているが、団体戦となると、まだまだ、戦力のアップや、勝利の方程式みたいに、勝つための研究が必要と言うことかもしれない。
ま、何はともあれ、観戦者たる我々に、いろんな場面で、「やれば出来るんだ」という希望や夢を与えてくれた功績と、世界平和への一翼を担ったという功績は大きいだろう。

スポーツのみならず、「やれば出来るんだ」と言う考えは、いろんな面で通用する。仕事もしかり。遊びもしかり、恋もしかりである。おっと、恋はあきらめも肝心な場合もある。執拗に追い求めると、ストーカーみたいになって、自己を見失うことがあるからだ。その点、僕は単純明快、臆病者。「去る者、追わず、来る者、拒まず」である。かっこいいことを言っているが、本当は、これじゃあ、いつまでたっても本質をつかめない。得られるものまで、つかみ損なってしまうことも多い。僕は一体、何度、絶世の美女、運命の美女の愛を逃してきたのだろうか??。後悔先に立たずだ・・・・。「えええつ、そんなこと、あったの?」という、疑問の声が聞こえそうだ。

やはり、納得のいくまで、本質を追い求めることは大切なことである。やれば出来るんだ。かないそうでない愛や恋だって、成就することもあるんだ。そう、思って努力せねばなるまい。要は、結果が出ても、後悔と遺恨を残さず、新たなる旅立ちに、心をいち早く切り替えることが肝要だろう。これが出来そうで、なかなか出来ないんだよなーーー。僕は単細胞で、あきらめも早く、結果が出る前に、すべてが終わってきたような。もちろん、愛や恋にかぎってのことではあるが・・・・・。弁解はいらないなーーー。これじゃあー、いけないよなーーーー。

話がちょっと、ずれてしまうが、昔、亀井勝一郎先生が言っていた言葉を思い出す。「まさかの友こそ本当の友であり、まさかの愛こそ本当の愛」であると。うんんん、これこそ愛の本質を突いた言葉だろう。ただ、「まさか」が、いつ何時なのか分からないことがある。また、「まさか」が多すぎても、体が持たないだろう。「まさか」とは、構えて待つものではなく、突然やってくることが多い。その前兆がある場合もある。そんな時、どう自分が行動に出るか、どう考えるかが問われるのだろう。

生死をかけた、まさかのとき、母親が子供をかばうのは、本能的行動である。当然と言えば当然。しからば、一般的に、二者択一、三者択一などのまさかの場合に、自分を犠牲にして相手をかばえるか?。これが問題だよなあ・・・・。これも、出来そうでできないんだよなーーー。

友人や恋人を置き去りにして、とっとと、尻尾を巻いて逃げ出す者。言葉の上では「卑怯者」、「人間の風上にも置けない奴」ということになるかも知れないが、わが身の生存欲もまた本能なのだ。どう、行動するかは、まさにケースバイケース。その場の咄嗟の判断なのだ。

時間があれば、恐らくは、理性と本能が戦うことになるのだろう。時間がなければ咄嗟に行動する。咄嗟の行動ともなれば、その場面に遭遇しなければ、誰も、なんとも言えないだろう。結論的には、身を挺した行動こそ、「真のもの、真の愛」と言うことになるのか?。いまだ、そういう経験に僕は遭遇していない。なんとも言えない。

願わくば、悪い面での、「まさか」という事態には遭遇したくないものだ。誰でも、そうであると思うが、未来のことは分からない。僕にとっては、平々凡々、飄々と生きることが性に合っているようだ。ただ、「やれば出来るんだ」と言う気持は決して失ってはいけないだろう。「去る者、追わず」ではなくて、やればできるんだ。少しは追ってみることにしよう。





2004年08月24日(火) 今年も同窓会がやってくる。

今年も同窓会がやってくる。
at 2004 08/24 20:25 編集

今週末に、同窓会がある。毎年やっている。近年は欠かさず出席している。幸い、新しい仕事も入っていない。未処理の仕事は結構残っている。やや、気にはなるが、盆に故郷へ帰っていない。丁度いい機会だ。行くことにした。

離婚騒動で人騒がせな友人も行くとのこと。ここ数年、奥方と平行線をたどってきた彼も、いよいよ、新たな決断をすべき時がきたのだろうか?。電話で話しても、至って元気な様子。どうも、もう一つピーント来ない。それもそうだ。夫婦の問題は、当人同士が十分、話し合って解決すべきこと。他人がはいって、「わあーーわーー」言っても、埒あかぬこと。見守るしかないだろう。

同窓会は、200名以上は来るだろう。知っている人は、ほんの一握りだ。それでも、毎年、元気な姿を互いに見せ合うことは、それなりに意義があること。

僕たちは、恐らく、丸テーブルの一角に陣取って、料理をついばみながら、あれこれと談笑することになるだろう。互いに、風前の灯火となった髪をまじまじと見ながら。さすがに、女性人は、それなりに「きりっ」とした身だしなみはしているが、如何せん。寄る年波はすっかり体型をくずして、立派な体格とあいなっている。僕は思わず言うだろう。「いやあああ、去年とちっとも、変わっていないねー。相変わらず儲かってますねー」と。すると、返ってくる返事が憎い。「あらーーつ、あなたと一緒よ・・・」だって。うんん、これはどういう意味だ・・・?。まあ、ぼちぼちということだろう。深く考えない。考えない。

それはそうと、僕も人のことばかり言えない。短足、胴長のたれ目。ガリバーのはくみたいな靴に、カバン、黒のハットに黒のブレザーとくれば、まさに、喪黒腹造さん。「あなたの心の隙間に忍び込みますよ・・・うおっほっほー」と笑えば、笑うセールスマンそのものだ。「だから言ったじゃないですか。欲はほどほどに・・」、とかなんとか言って、場を茶化すに違いない。刹那の一時を終えて、僕たちは、気のあったもの同士(多分同級生同士)、二次会へ繰り出すだろう。いつもの決まったパターンだ。男同士は「君」とかをつけて呼び合わないですむから楽だ。話がはずむというもの。女性には、さすがに呼び捨てにはできない。やはり、「さん」をつけてしまう。もう、昔の姓ではないし。

かくて、僕の同窓会も終了するだろう。後は、故郷のにおいをかぎながら、鼻ちょうちんを膨らますことになる。楽しかった一日を思い出に・・・・・。




2004年08月22日(日) 心のひずみはどうしたら埋められるのか?

心のひずみはどうしたら埋められるのか?
at 2004 08/22 01:17 編集

人生とは人が生きること。この生きることが易しいようで、意外と難しい。この小さな日本列島にも、一億三千万人弱の人間が、ひしめき合って生きている。それぞれに、「考える」という能力を持ってだ。当然、考えがぶつかることもあり、次第に、そこにひずみが生じる。喜び、悲しみ、愛、憎しみ、その他、もろもろの感情は、そのひずみに忍び込むわけだ。おおかた、ひずみは修復可能だが、そうでないひずみもあるわけだ。
特に、長年連れそった夫婦の心のひずみは深刻である。

今日、友人から長い一通の長いメールをもらった。離婚の危機にありながら離婚できないでいる。財産分与の問題、子供の問題、もろもろの問題がある。そんな中で、突き詰めて考えると、夫婦間の心の問題がその根本要因にあるように思えた。

友人は離婚して出直したいと言う。相手は離婚はしないという。友人が財産を放棄しても、相手は離婚には応じないという。一体、その心理は何だろう?。どちらに非があるのか定かではない。一般的には男に非があるように思われがちだが、友人の場合はそうでもなさそうである。あえて、あると言えば、夫婦生活が、もうずっとなかったことかもしれない。愛情がさめてしまった男側の非。これを罪と言うならば、そうかもしれない。
相手にはまだ、未練というか、愛の片鱗が残っているのだろうか?。そのことが、離婚に応じない理由なのか?。わからない。少なくともいえることは、金だけの問題ではないことだ。

一瞬思った。これは復讐なのかもしれないと。「あなたの身勝手ばかりを許せない。私の苦しみをあなたにも、味わってもらう」ということなんだろうか?。もし、そうなら、人間の心って怖いものである。

当初は仲むつましく、二人の子を儲け、今は二人とも成長し、ひとり立ちの一歩手前だ。何の不足もない。ただ、いつしか、夫婦のなかに生じたひずみは、癒されることなく、ますます亀裂を深めてしまった。
ここまでに至るプロセスが、他人にはわからないところだ。

夫婦喧嘩は犬も喰わぬというが、「心の冷め」は、もう、夫婦喧嘩の範疇ではない。
アドバイスを求められたが、如何せん。経験のないことに、的確に答えうる能力も自信もなかった。

僕にいえたのは、「何度も何度も心を割って話しあうこと」という言葉である。恐らくは、もう、その段階を超えているかもしれないのだが・・・・・・。


2004年08月20日(金) 団扇の思い出

団扇の思い出
at 2004 08/20 16:30 編集

長年、使い慣れたクーラーが、突然、故障した。とういうより、もう寿命だろう?。最近、冷房にしていても、生ぬるい風しかでてこない状態だった。中のフィルターを清掃したが効果なし。

というわけで、今朝は9時から、クーラーを交換した。前のクーラーは、よくぞ、今まで、がんばってくれたものだ。感謝、感謝である。ようやく、工事も終了し、快適空間の中で、この文章をしたためている。

考えてみれば、昔はクーラーなんてなし。せいぜい、扇風機か団扇だった。もちろん、今でも扇風機は使っているが、どことなく、お荷物状態。団扇は?といえば、戸棚のすみに、埃をかぶって出番を待っていたが、今年は活躍の場もなかった。

団扇には結構、思い出がある。小さい頃、よく縁側に陣取って、夜空を眺めながら、パタパタと扇いでいた。時折、蚊が丸刈りの頭にとまると、団扇で「バシッ」とやる。見事、逃げられて、何度も悔しい思いをした。また、遊び道具として、飛行機みたいに、飛ばしたこともあった。障子なんか破って、母に怒られたこともたびたび。

団扇が最高に輝きを増すというか、似合うのは、なんと言っても、浴衣とセットになったときである。庭先での花火、河川敷での花火大会、盆踊り、祭り等、団扇があると、妙に様になる。いわゆる、日本独特の風情ということになるか。

ただ、男にとって団扇は、ファッション性より、むしろ、すててこを穿いた、下町のおっさんに、相応しいというイメージがあるが、女性が持つと、これは立派なファッションである。じゃじゃ馬娘も、浴衣に団扇となれば、しとやかなお嬢さんに変身するから不思議である。角隠し的効果があるのか?。いまだ、なぞである。

僕が団扇に抱くあこがれのイメージは、よからぬ考えかもしれないが、どこか、庭つき料亭の一角で、美しい和服姿の女性に、後ろからそっと、団扇であおいでもらいながら、「○○さああーーーん。今宵も月がきれいねーーー」とかなんとか言われながら談笑し、グラスを傾けるときかもしれない。これに勝る至福の時はないだろう。

僕は思わず、悪魔の手を彼女にむけると、「あら、駄目よ・・・・」と、軽くいなされてしまう。もしくは、団扇で「ぽん」と、手をたたかれてしまう。まさか、「待ってました」という人はいないだろう。僕は素直である。「あっ、そうだよね。ごめん、ごめん・・・」とかなんとか言って、その場をとりつくろうしかない。それでも、こういう状況は男にとって、最高に幸せなときでである。団扇のとりもつ縁も、捨てたものではない。

長年、夢見ているが、まだ、こういう状況に遭遇したことはない。誰かにこの話をすると、「あんた、ロマンティックねーーー。いまどき、そんな女性なんていないわよ」とか言われてしまう。僕は、「そんなことはない」と、真顔で反論する。

昨今の、索漠とした世情にあっては、こういう、のんびりした一時に、身を投じるのもいいだろう。たとえ、刹那ではあっても・・・・。




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2004年08月19日(木) 今宵もママに敗北だ。

今宵もママに敗北だ。
at 2004 08/19 18:05 編集

昨夜は久しぶりに友人と一献傾けた。盆休みだった小料理屋が一週間ぶりに開いた。
僕たちは、生ビールで乾杯し、一週間の出来事をしゃべりまくった。カウンターレディーの奈美ちゃんも久々の出勤。いやああ、いつ見ても美人だ。背中の真ん中くらいまである黒髪を器用に束ねて、後頭部におさめている。額はオールバックにしていて、よく見ると、前頭部に田んぼのあぜ道みたいに頭皮が、いく筋も走っていた。

「あれ、どうしたの?毛がないじゃない?」と言うと、なんでも、流行っているおしゃれらしい。自分であしらえたそうな。いやはや、涼しそうでお見事。女性って大変だと思う。そういう僕なんか、いまや、髪は風前のともし火。どこまでが額で、どこまでが顔かわからない。こう書くと、いかにも、僕が「はげちゃびん」みたいに思われそうだが、否である。額の広さは理性のシンボル。まあ、そう言うことにして、自分を納得させているわけだ。

髪の話はここまでだ。僕たちは、酔いもまわり、また、兄貴分たる「安さん」もパチンコ玉のように目を丸くして登場した。こういうときは決まって、パチンコに負けたというサインのようだ。場は佳境へ。

ほどなくカラオケタイムとなった。ママはにこにこ顔で、僕たちに歌を所望する。それもそのはずだ。数曲しかない持ち歌で、なんとママは97点という高得点をたたき出しているからだ。鼻息が荒くなるのも当然か。ちなみに、友人と安さんは、この店の最高得点98点をとっているから、ママの挑発にも平常心。僕はと言えば、まだ、ソロで、94点がいいところだ。

僕も男。「燃えたぜーーーーー」ということで、昔、何度も聞いて、涙したこともある、アンディ・ウイリアムスさんの、「ラブ・ストーリー」、日本名では「ある愛の歌」、この歌をイングリッシュで、浪々とおらんだ。98点は無理でも97点のママに点数が並んだかと、一人ほくそえんで見たが、ななななんんんと、リズム83点、音程100点、声量100点、平均して94点。うんんんん、またしても敗北だ。僕はいつも、リズムが悪い。「誰か教えてくんなませ。リズムをよくするには、どうしたらよかっぺ?」。そう問うと、返ってくる言葉は、「そりゃああ、曲にのればいいんだよ。波乗りみたいにね」と言う。それが出来ないから聞いているわけじゃない・・・。これじゃああ、拉致があかないぜ。

友人と安さんも果敢に99点を目指して挑戦したが、今宵の最高は安さんの97点だった。ママも、ほっとしたことだろう。なんとなれば、この店、99点を出せば、その人の飲み代はロハとなるからだ。まあ、本来、99点なんて不可能に近い点かもしれない。奇跡が起きれば別だが。それを知ってか知らずか、百円玉二枚のような目を持ったママは、動かざること山の如しだ。

まあ、こういう状態で、昨夜は暮れてしまった。楽しい一夜であった。とりあえず、午前様にはいたらず、皆、無事に帰還した。今朝の目覚めは、かならずしもよくはなかったが・・・・・。



2004年08月18日(水) オリンピックを見て思うこと。

オリンピックを見て思うこと。
at 2004 08/18 13:07 編集

連日連夜、世界中が、アテネオリンピックの息詰まる熱戦に沸いている。僕もその例外ではない。柔道、水泳、卓球、野球等、選手の皆さんの活躍に心から拍手を送ろう。

ただ、僕がいつも心配に思うことは、過激なスポーツにはいつも、怪我が付きまとっていることだ。昨夜見た柔道がそうだった。宙に浮き、仰向けに倒されないように、畳に手を付く。如何せん、投げの衝撃で肩を脱臼したり、腕を痛めてしまう。
昨夜は連続で、選手がタンカーで運ばれた。メダル争奪の戦いにはいつも、危険が隣り合わせなのだ。選手たちは日ごろの鍛錬で、その危険を最小限に抑えるべく術を持ってはいるが、それでも怪我は起きる。

もちろん、怪我が少ない競技もある。卓球なんか、その部類かもしれない。昨夜も、福原愛さんの熱戦振りを見た。いやあああ、あの小柄な体から繰り出すスマッシュは鋭い。電光石化の如しである。・・・・。「決まったぜえ・・・・」と、僕はニヒルな笑いを浮かべてほくそえんだ。僕が笑ってどうするんだ?。

スポーツをやっている人達について、いつも思うことだが、共通して、皆、その体型が美しい。なんと言っていいのか、そのスポーツに相応しい体型をしている。均整がとれている。水泳の選手の体型を見ていると、惚れ惚れとしてしまう。引き締まった下半身に、見事に発達した胸、上半身。いやああああ、昔は僕もあんな体にあこがれたものだ。そして、中年となった今でも、ため息をつきながら、「シュワちゃん」の映画なんか見ている。

今は、「笑うセールスマン」の喪黒服造さんタイプに甘んじているが、その昔、友人に、社交ダンスのレッスンに連れて行かれたとき、先生から、「均整のとれた体をしているね」と言われた。すくなからず、嬉しかったことを覚えている。しばらくダンスに熱中したが、椅子に腰掛けている女性に、「お願いします」と言って、手を差し出せど、返ってくる返事は、「オーーーーノーーー。うまく踊れません」という言葉ばかり。

それもそうだ。血走って、脂ぎった僕の顔と手を見れば、恐怖のあまり、踊る気なんか起きなかったのだろう。以後、すっかりダンスとは遠縁となった。

おっと、オリンピックの話がとんだところへ、脱線してしまった。まだまだ、熱戦が続く。くれぐれも、怪我のない楽しいスポーツを、見せてほしいとおもう。
この、スポーツこそが、まさに、世界平和への引き金であることに相違ないと思うからだ。



2004年08月16日(月) 僕の夏が終わった。

僕の夏が終わった。
at 2004 08/16 11:09 編集

僕の夏が終わった。といっても、すでに、暦の上では秋。とりたてて大袈裟に言う必要もないが、盆の終わりが僕にとっては夏の終わりなのだ。

朝顔が相変わらず、せっせと、可憐な花を咲かせ続けている。いやああ、お見事。欠かさず世話している僕への恩返しなのだろう。世話とは言っても、ただ水をやるだけのことなんだが。これが、彼ら、彼女らの最高のご馳走なのだ。

幾分か柔らいだ朝日の窓辺から、僕は今、外を眺めている。娑婆世界は人一人、歩いていない。時々、車が、けだるそうに走っている。まだ、子供らは夏休み。残り少なくなった休日を、いとおしむがごとく、どこかで遊びに夢中なのだろうか?。我が家では、初盆帰りをした、ばあさまが、安堵の念を抱いて、第二の棲家、お墓へ帰還したことだろう。南無・・・・。たくさんの人がお参りに来てくれた。ありがたいことである。せわしく過ぎた僕の夏と盆。

昨夜は、疲れた眼で、オリンピックの競技を見ていた。柔道もさることながら、卓球の福原愛さんの健闘ぶりは、圧巻だった。
初戦突破、おめでとうございます。最年少15歳の右腕から飛び出す球は、どういう変化をするのか、テレビの画面からはよくわからないが、きっと魔法の玉に違いない。最初は2セット落としたので、はらはらしながら見ていたが、3セット連取し、6セット目を落とし、ファイナルセットへ。「大丈夫かなーー」と、気が気ではなかったが、いやああ、さすがに愛ちゃんの集中力。厳しい表情の中に自信がみなぎっていた。相手が仕損じたとき、愛ちゃんの口から飛び出す、うぐいすのような叫び声・・・・・。なんと言っているのかわからなかった。心地よい子守唄と言いたいところだが、こちとらも力が入っていて、思わず「よしーーーつ」と叫んでいた。
これからも、更なる試練が続くだろう。ただただ、福原愛さんの健闘を祈りたい。

一夜あけて、午後から僕は仕事・・・。今はもう、僕の胸裏には、来るべきクリスマスと正月のことしかない。ちと、気が早いが。その前に、たらふく働いて、いくばくかの、交際費を捻出しなくちゃ。男から、仕事と遊びを取ったら、何も残らない。悲しい嵯峨といえば嵯峨である。

さあ、秋に向けて出陣だ・・・・・。



2004年08月12日(木) いよいよお盆だ。なぜか敬虔な気持に・・。

いよいよお盆だ。なぜか敬虔な気持に・・。
at 2004 08/12 08:29 編集

いよいよお盆入りの前日となった。わが零細事務所も、例外に漏れず16日までを休みにしている。僕が個人事業主となる前までは、この盆休みを利用してふるさとへ帰っていた。「故郷は遠くにありて思うもの。そして悲しくう歌うもの。よしやうらぶれて、異土のかたいとなるとても、帰るところにあるまじや」。誰のせりふだったか忘れたが、まさにしかりである。

分散してそれぞれに、生を営んでいる兄弟姉妹が集まる。こぞって里帰りするわけだ。年毎に老いていく母の姿に、そっと涙が流れる。いつまでも元気であれと願うと同時に、ほとんど、知らない先祖と称される人たちに、感謝の念を告げ、先に逝ったじいさまや、ばあさまや父に、近況報告だ。

こういう習慣って確かにいい。都会の荒波に揉まれ、疲れ果てた体を癒す最良の方法は、故郷へ帰ることかもしれない。見る山、見る川、田舎の風景。おさななじみとの再会。姿や形は変われど、なぜか温かい空気で、体を包んでくれるのだ。

脱サラとなり、この地へ来てからは、故郷帰りがままならぬようになった。盆に帰れないので、今では機会を見つけては帰っている。まあ、兄弟が一同に会しなくても、これは仕方がない。
今日はちょっと、センチメンタルになったが、今年も、盆が終わってから、のんびりと帰ろうと思っている。

そういえば、まさに、おさななじみから仕事の発注があった。遠いとはいえ、人肌脱がなくてはならないだろう。おさななじみの家は実家の隣保班。歩いて、30秒のところにある。打ち合わせもあることだし、里帰りとあいまって好都合である。

さあ、パートさん休みだが、僕は仕事。いっちょう稼ぎにでかけるか?。今日も真夏日だぜ。いやになるなーーーーー。


2004年08月11日(水) 早起きしたが、さすがに眠いぜ。

早起きしたが、さすがに眠いぜ。
at 2004 08/11 17:25 編集

「早起きは三文の徳だああ」、と言うことで、今日はやたらと早く起きてしまった。と言っても、鶏と一緒ぐらいだから、自慢にもならないが。オープンザ玄関&カーテン。新聞&牛乳の取り込み、植木ちゃんにお水の食事与え、クーラーのスイッチオン、テレビのスイッチオン、冷蔵庫から冷えた麦茶を、わが専用のマグカップに注ぎ込む。やっと、テーブルへ着席。新聞に目を通す。おっと、忘れていた。もちろん、洗面洗顔はすでに終わっている。いやはや、主夫はいそがしいぜ。
程なく、山ノ神が、にんまり顔で、ゆったりと二階から降りてくる。日ごろはいつも逆なので、たまには、罪滅ぼしということで、今日のようなケースがあるわけだ。

本来、僕は家事は嫌いではない。料理について言えば、カレーライスだろうと、味噌汁だろうと作れる。飯だって適当に炊ける。レパートリーは少ないが、これは仕方がない。「なせばなる。なにごとも。なさねばならぬ。なにごとも」である。これは、ちょっと、大げさだったか?。「それくらいなら、誰だって、子供だってできるわよ」と、怪訝な顔をされそうだぜ。

ただ、なんでもそうかもしれないが、自分でこしらえて、自分で食べる料理ほどまずいものはない。何故だろう?と、考えてみた。思いつく理由がいくつかある。その一つは、料理をこしらえる過程で、味見をすることが多く、出来上がった頃にはすでに満腹になっている。これじゃああ、うまい料理も、「もう結構、ごちそうさま」ということになる。他には、まめなようで、面倒くさがりだから、手抜きが多いことだ。ダイナミックなことはよいことかもしれないが、大雑把。「さしすせそ」の順番なんて、めちゃくちゃ。これじゃあ、料理が泣きまっせ。

そうそう、一番大事なことを忘れていた。一人でこしらえて、一人で食べるのは、味はよくても、なぜか味気ない。つまりこの味気なさが、料理のうまくない最大の理由かもしれない。一人暮らしの人は否応なく、そうせざるを得ないかもしれないが、不思議なものである。習慣になってしまえば、「それもまた良し」となってしまうらしい。これを、学習効果というのだろうか?。

僕は一体、何を言っているんだ?。暑さと早起きのせいで、「のうみそ」までいかれてしまったか?。
食事以外にも、自分でやってて、ちっとも良くないことがある。一つあげれば、マッサージである。自らの手で、凝った足のふくらはぎを揉んでも、気持いいどころか、痛いばかりで、「オーーーーノーーーー。やめてくれ」と言うことになる。これが、プロのマッサージ師の手にかかると、痛いのを通り越して、「もっとーーーー、強くーーーーー」と言いいたくなるから不思議だ。やはり、プロはプロである。魔法の指ということになるか。

おっと、今日は何の話をしていたんだったっけ?。そうそう、早起きのことだった。早起きは確かに、一日の時間が長く感じられ、得したようにも感じられる。ただ、たそがれ時になると、「うつらうつら」と、眠くなるから困ったものだ。今、ここで、仮眠をしたら、逆効果。夜に眠れなくなり、朝寝坊に舞い戻ってしまう。やはり、継続は力なりで、習慣つかないと、だめなようである。今、僕はすこぶる眠い。我慢して、はちゃめちゃな、この日記をしたためているって寸法だ。

これ以上は、どうもかけそうにない。何の結論も出ないまま、この辺でお開きだ。





2004年08月10日(火) 夕立と雷と・・・。

夕立と雷と・・・。
at 2004 08/10 09:09 編集

昨日は、久々に雷を伴う夕立に見舞われた。ほんの通り雨ではあっても、この酷暑が、幾分かはやわらぐ。雨さん、大好きと言いたいが、それにしても、こんなに雨脚が強いと怖くなる。雷を伴っていればなおさらのこと。ピカッツと光るだけで、体がおののく。昨日はまさにそんな状態。

僕は小仕事を片付け、壊れたコードレスホンを修理に、車で向かっていた。その時は「雨よ降ってほしい」という願いのかけらもなかったが、修理店へ到着するやいなや、ものすごい音を立てて横殴りの雨が・・・・・・。「およよ・・」と驚くばかり。雷まで鳴り出して、雨との合唱だ。雷だけはよけいである。僕はすかさず、防御態勢へ。

音は一秒間に340メートル走る。従って光ってから音がでるまでの時間を測ると、雷雲までの距離がわかる。僕の脳裏に刻まれたこの算式が、しらず、指を折って時間を測る行動に駆り立てる。1・・2・・・3/・・。よかった。落ちなかった。
光って、即、音が鳴れば、どこかに落ちたということだろう。

こういう状況の時、うら若き女性でもいたら、きっと、僕の胸元へ飛び込んで、「怖いわ・・・」と言うに違いない。「僕は内心、「ういしっしーーー」と思いながら、その心の動揺を抑えつつ、言うだろう。「大丈夫。滅多に雷は落ちないから。ここは安全だよーー」とかなんとか。
本当は逆に、僕が女性の胸元に顔を埋めて、ふるえているかもしれないのだが。

まあ、上記のいずれかだろう。ただただ、雷だけは、僕の苦手な自然現象の一つ。もちろん、地震も、台風も火事もその範疇である。さらに生物で言えば、「蛇」ということになる。これも、みるだけで、ぞっとする。僕も否応なく、雑草刈りなんかやっているが、時折、蛇に出くわす。そんなときは、道具をかなぐり捨てて、一目散に我が家へ走り込む。

まさに臆病者の僕である。まあ、人間は皆、にたりよったりじゃないかと、自分に言い聞かせて、場を取り繕っているわけだ。そろそろ、出かけよう。今日は昨日の夕立が嘘のように晴れ渡っている。また、酷暑の嵐にさらされるのかと思うと。いやになるが、雷や蛇よりはましだ。

さあ、重い腰を上げて出陣だ・・・・・。




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2004年08月09日(月) お盆が近まった。

お盆が近まった。
at 2004 08/09 12:11 編集

いよいよお盆が近まった。正月と並んで年中行事の一つ。正月は一年の罪を懺悔し、再出発しようというけじめの日。一方、お盆は、先祖のおかげで、今、自分がこうやって幸せに暮らしていますと、感謝の念をあらわす行事である。

ちなみに、我が家は今年は初盆。ばあ様が昨年暮れに亡くなった。90歳と言う高齢だった。特に手をとることもなく、気丈に淡々と生きたばあ様。思えば、僕はいつも先代と比較され、小言ばかり言われてきたような気がする。それもそうだろう。先代は明治生まれの気骨もの。もう、17年前に亡くなったが。僕は軟弱な戦後っ子。「時代が違いまっせ」と言いたいところだが、それもかなわず、ただ、我が流で黙々と生きてきた。「はい。はい。」と従うしか術がないではないか。

自己を弁護するわけではないが、一応、僕も都会と称されるコンクリートジャングルの一角で、サラリーマン生活を送った。当時は高度成長の真っ盛り。企業戦士の端くれとして社会発展の一端を担っていたわけだ。いくたびかの挫折の末、下野し先代の後を継ぐことになった。僕にとってはこれがよかったのだろう。

先代亡き後、ばあ様に仕えた。というより、ばあ様の豊富な経験と知恵により、僕も今日があるわけだ。ばあ様に足を向けて眠れないのは当然だ。ばあ様が使っていた部屋を跡形もなく整理し、今は隠れ部屋として使っているが、どうも、その部屋では落ち着いて横になれない。まだ、ばあ様の魂が宿っていそうな気がして、実は怖いのである。

かくして、早めに座敷の一角に盆飾りを備え付けた。三段のひな壇に、お位牌やお供物や、花などを供えて、盆ちょうちんを置いた。夜にちょうちんの明かりを灯すと、きれいである。我が家に戻ってくるとき暗かったら、道に迷うかもしれないから、できるだけ明るくしたほうがいいのだろう。

「うらめしやーーーー。わたしの言いつけを守っておんしゃるかい?」とかなんとか、来る早々、言われたら、僕は腰を抜かして、「もももも、もちろんですう」と答えるしかないだろう。いやあ、実際、ばあ様の亡き後は、娑婆世界も風当たりが強くなり、そのしがらみ対策に翻弄している毎日である。ただ、お目付け役がいなくなったことで、自由を謳歌しうる時間ができたことは幸いだが。

いずれにしても、この時期は日本人、皆が一応に先祖に感謝する日。なおかつ、8月は終戦記念日、原爆投下が二つもあった月。ただただ、先人の功績に感謝すると同時に、二度と戦争を起こさない、行わないという誓いの月でもあるのだ。
いまなお世界の各地で紛争が絶え間なく続いているが、実に悲しいことである。

お盆を迎えるにあたって、正月とはまた違った気持ちで、静かに仏様に合唱しよう。
先祖への感謝と、世界の紛争の終結を願って・・・・。




2004年08月08日(日) オリンピックと戦争と。

オリンピックと戦争と。
at 2004 08/08 13:16 編集

アテネオリンピックの開幕まで、あと5日となった。オリンピックはまさに世界のスポーツ祭典。代表の選手たちが人種を超えて、競技を繰り広げる。戦いは戦いでも、スポーツの戦いは、勝者であろうと、敗者であろうと、それぞれに共感を呼び、涙を禁じえない。スポーツの原点が、やはり世界の平和であるからだ。人を殺戮する戦争とは大違いだ。

イラク戦争だって、武器を捨てて、スポーツで競ったがいいと、僕は常々、思ってきた。分かり合えることへの一番の近道であるような気がする。罪もない幾多の人達も犠牲にならないですむ。悲しいかな・・・・、現状では平和の構築って、そんなに簡単ではないようだ。

最近は、マスメディアの発達によって、即座に世界の情報が、目や耳に入る。昨夜も、テレビで、13歳の女の子が子供を生んで、育てている姿や、地下の下水溝みたいなところで、暮らしている孤児たちを見た。冬になるとマイナス何十度にもなり、凍えて死んでいく子らもたくさんいるそうな。はたまた、先祖から引きずった借金のかたに、奴隷といっては言葉が悪いが、一生、奉公の身にあまんじなければならない少女もいた。学校にも行きたいが、いくことも許されない。仕方がないとあきらめ、笑顔で過ごしている少女。戦争と貧しさが生み出した現象と言ってもよい。あまりにも、過酷で厳しい世界の中での姿・・・。

また、昨夜は日本と中国が優勝をかけて、サッカーで競った。それぞれに、持てる力を出し切って戦った。すばらしい試合だった。ただ、観客の暴言や、排他的な行動は好ましくないが、これも、愛国心のなせる所業かもしれない。方法はよくないが。双方が引きずってきた歴史の重みは、なかなか払拭されるものではないんだと、あらためて感じた。

日本も幾多の反省の中から、今日を築いてきた。まだまだ、反省すべきことは多々あるだろう。スポーツをとっても、勝つことへの執着が強すぎるようだ。日本がメダルを何個とろうと、たいしたことではないだろう。国の威信にかかることでもない。日本はこぞって、メダルを気にする。メダルの国別比較なんて、なんの意味もない。特にマスコミは、それを煽り立てる。

飢え死にしそうで、はいつくばって生きている子らがたくさんいるのに、日本人は平和ボケで有頂天になってはいないか?。国際社会で言うべきことは言わなくてはいけないが、もっと、謙虚になってもいいだろう。厳しい現実をひたすら生きている子らにこそ、平和構築のシンボルとしてメダルを首にかけてやるべきだ。

「何もできないやつが、言いたい放題のことを言っている」と、批判もあるだろう。
確かに、批判は甘んじてうけなくてはならない。今はただ、世界のいろんな現状を垣間見て、心を痛めるだけしかできないからだ。恐らく、幾多の人もそうだろう。

「世界の隅々にいたるまで、平和が蔓延し、21世紀を担う子らに幸があらんことを」。そう、切に願っている。





2004年08月06日(金) 続はあ・と・で

続はあ・と・で
at 2004 08/06 11:23 編集

過酷な真夏日が続いている。こんなに暑いのはどうも苦手だ。なんでも、コンクリートで敷き詰めた路面温度は50度にも60度にもなるそうだ。ちょっと歩くだけで、汗が吹き出る。体力が弱っていると、熱中症になるのも当然だ。

何とか、温度を下げる工夫はないものかと思っていた矢先、テレビで、簡単にできる身の回りの気温下落作戦を紹介していた。何のことはない。まずは「打ち水」だ。これは、かんかん照りの日中に行うのではなくて、朝夕に行ったがいいらしい。しかも、日陰に撒いたが効果的とのこと。常識的には、真昼の暑いときに水を撒きたがるが、これはすぐ蒸発して効果がないらしい。「なるほど」と、僕も感心するばかり。2−3度の温度の下落を見るとか。この2−3度が大切なんだよなーーーー。

「打ち水」を、効果的に利用している町をテレビが紹介していた。水代が相当にかかるだろうなーーと思いきや、ななななんんと、雨水を溜めて、それを打ち水に使っているとか。水代はただ、ロハである。たいした知恵である。中には屋根に雨水を上げて、家屋を冷やしている人もいた。お見事。

次に紹介していたことは、緑の誘致作戦。ベランダに日光を遮断し、かつ、温度を吸収すると言う植物を網の目状に張り巡らす。これは、。。。。。

おっと、来客だ。続はあ・と・で・・・・。


2004年08月05日(木) 僕の欠点。酔っているので定かではない。

僕の欠点。酔っているので定かではない。
at 2004 08/05 01:56 編集

人間の欠点って、なんだろう?。今日、いや、昨晩はそんなことを考えさせる日だった。

例によって、親愛なる「のりちゃん先生」と、一献、傾けることになった。行き先は、決まって行きつけの小料理屋である。美人カウンター女性、「奈美」ちゃんがいる。彼女が目的と言うわけでもない。少なくとも僕にとっては。これは言い訳か?。言及はやめておこう。

ついこの頃までは、のりちゃんと、一つのボトルを二人で、仲良く飲んでいた。計算がしにくいと言うことで、最近は、それぞれに焼酎のボトルをキープするようになった。まあ、これは僕たちにとっては、どうでもいいことだが。ただ、ボトルを分けると言う、この単純なことさえ、距離感を感じてしまうこともあるのだ。今日はまさに、それを感じた日だった。

僕たちは、めいめい、つまみを注文し、それぞれに、カウンター女性(工藤静香タイプ)やママとと談笑をしていた。しばらくして、知り合いの一見客がやってきた。彼は来る早々、「最近、右肩が痛い」という。ママさん曰く。「肩を寝違えたのでは?」と。

言葉にうるさい僕は、言ってやった。「ママ、首の寝違いはあるけど、肩の寝違いってないんじゃあないの?・・・」と。そのとき、のりちゃんは、すかさずママを弁護して曰く。「肩の寝違いがあったっていいじやない。寝違いは首ばかりじゃないだろう。」って。僕はかたくなに、その言動を否定。

ここから、僕とのりちゃんの波長が合わず、論議が永遠と・・・・。ボトルも分けたから、言いたい放題を言ってもいいわけだ。「二人は仲がいいのね」と、周りは言う。確かにそうかもしれない。だが、今日は違っていた。
どうも、僕にはいくつかの欠点があるらしい。のりちゃんは、見事にそれを僕に指摘したのだ。

一つ、僕がいつも、場の幹事役的存在を演出する。二つ、歌いたくないのに、人に歌を歌うことを強要する。三つ、いまだに、僕の(のりちゃんのこと)ことを理解していない。彼はそう言う。仲良し解消もいとわない感じだ。

うんんんん、確かにそうかもしれない。僕は20数年来の、この店の常連客。この差は当然、あってしかるべき。のりちやんはまだ5年だ。かつ、ママさんも、のりちゃんも、僕も同い年。これがいけないのかもしれない。遠慮勝手がない。わがままし放題である。そんな中で、僕のわがままが、どうも、のりちゃんの気にいらないようだ。

まあ、これは仕方がないだろう。僕は点数カラオケで歌う。のりちゃんは歌わない。・・・・・。僕一人がはしゃぐ。彼は沈着冷静。これも仕方がない。「じゃあ、なんで一緒に飲むんだ?」といわれても、どう答えていいのかわからない。
恐らく、言葉ではなんやかんやと言いながら、結構、気があっているのかもしれない。

それでも、今日は違っていた。彼は、定刻になり、料金を払ってタクシーで帰還した。僕は、居残って彼を送る。本来なら、一緒に帰ってもいいはずなんだが、今日はそうではなかった。恐らく僕も言い過ぎたのだろう。と、同時に、彼は言いいたいのだろう。「僕には僕のプライドもあり、わがままもある。それを、他人にどうせよ、こうせよと強要されるのはいやだ」と。

いやああ、今日は僕の敗北だ。僕にもっと、真摯な態度があれば、すんなりと今日の場は、収まったかもしれない。後の祭りだ。

ただ、盆が過ぎれば、何事もなかったかのごとく、僕たちは相まみえるだろう。ここが人生の不思議なところかもしれない。


2004年08月04日(水) 朝顔と夕顔。どんな関係?。

朝顔と夕顔。どんな関係?。。
at 2004 08/04 00:00 編集

今日も暑い中、一日が暮れた。どうも、昨夜の乱交がたたってか、朝から気分が優れなかった。朝顔だけが、明朗、活発、涼しげに微笑みかけてくれた。夏場だけのほんの短い命ながら、僕に十二分な癒しを与えてくれる朝顔・・・・・・。夕方には、その姿もしぼんでしまうが、また、朝になると、別の優雅な顔で僕を迎えてくれる。

最近のニュースで、女子高校生をうしろから抱きしめるという変わった青年というか、壮年男性が逮捕されていた。まああ、これは犯罪に違いないが、「朝顔のごとく君なりけり」という存在ならば、僕だって、そっと、後ろから抱きしめてやりたい衝動にかられるだろう。彼の動機は何だったのかよく分からないが。ピュアであればあるほどにだ。如何せん。朝顔は花だ。癒しの対象として、めでるしかないわけだが・・・・。

僕が何故に、朝顔が好きになったかと言えば、いくつか理由がある。一つは、小さいころ、母が二回の縁側で、懇切丁寧に朝顔を育てていた記憶があるからだ。毎日、欠かさず水をやっていた。僕たち兄弟は、朝顔の成長を楽しみにしながら、ギシギシと音がする机に向かって、悶々としながら勉強していた。その頃から、朝顔は僕の癒しの対象だったわけだ。

さらに、もう一つ理由をあげるとすれば、国語の教員だった父が、紫式部の「源氏物語」という本を持っていた。噛み砕いて書いてある本だったので、僕もなんとなく、読めば理解できた。その中に出てきた「夕顔」という、女性の名前が妙に頭に残り、朝顔とダブって清純・無垢な女性のイメージとして心に宿ってきたからだろう。僕が女の子の命名者ならば、「夕顔」と名前をつけてやりたいと、今でも思う。

やがて、僕も大人へと脱皮し、憧れの都会へ身を投じ、企業の戦士となって働いた。その頃は朝顔の「あ」という字さえ、思い出すこともなかった。企業の戦士も、世の中のしがらみに敗れて、下野したわけだが、田舎の、のどかさと、自然の美しさが再び僕に「朝顔」を思い出させてくれた。

風で花びらがなびいている様子を書斎から眺めていると、ついぞ、時間のたつのを忘れてしまう。これは、水槽の中を気持ちよく泳いでいる金魚の姿をながめているのと、同じ気持ちだろう。

思うに、娑婆世界で、すっかり穢れを知ってしまった僕は、失われつつある無垢な心に憧憬の念を抱いているのかもしれない。

もう、二度と、あの子供時代には戻れないわけだが。






2004年08月02日(月) 永遠の生を求めて。

永遠の生を求めて。
at 2004 08/02 12:24 編集

八月も二日とあいなった。相変わらず、僕の周りでは平々凡々の毎日が続いている。何か、変化はと?見回せど、これといったものはない。

そうそう、そういえば、今年は、ばあ様の初盆だった。今、座敷に盆飾りをこしらえている。なんだか不思議な感じだ。つい先日まで、この家にいたのに、今はもういない。盆には帰ってくるというが、いったいどんな顔をして、帰ってくるのやら。
「お坊ちゃまは、以前にもまして、ぐうたらになりましたねーーーー」と、小言をいわれそうで、嫌だなーーーーー。

先日は、「ふうてんのトラ」さんに出ていた、おいちゃん役の、下条さんが亡くなった。個性あふれる、温かみのある役に、好感を持っていた。いつの場合も、人の死は悲しいものだ。また、再び、あの世で再会できるという、確保たる保証でもあれば、死もまた、素直に肯定できるのだが、恐らくそうではあるまい。死はすなわち、消滅だ。

消滅があり、子孫が残り、遺伝子をつないでいくわけだ。まあ、これが、宇宙が組んだ生命体進化プログラム。以前にも、同じことを書いてきた。僕は死を怖がっているのだろう?。

死と言えば、その反対。永遠の生を描いた昨夜の洋画は面白かった。永遠の生を得られるという、聖杯を求めての冒険の旅。主人公を取り巻く人間たちが織り成す欲・欲・欲。特に女の欲のすごさに脱帽だ。聖杯を手に入れんとするがあまり、わが生まで消滅させてしまう。「欲もほどほどにせにゃーーー」という、教訓を与えてくれた。

いやああ、永遠の生が得られると言う聖杯があったとしたら、僕はすぐ飛びつくだろう。何気ない心が悪魔と化し、欲の権化となって、巷をさまようだろう・・・・・。

よかったぜ。聖杯なるものがなくて。やはり、宇宙のプログラムにそって、すべからく生きること。これが一番のようだ。


2004年08月01日(日) 酷暑と超熱帯夜

酷暑と超熱帯夜

八月に入った。蝉が最後の力を振り絞って、鳴きじゃくっている。例年変わらぬ風景である。台風が去ってよかった・当地は被害はなかったが、被災されたかたがたに心からお見舞い申し上げます。

それにしても、最近のこの暑さはまさに異常。昨夜、ラジオを聴いていたら。面白いことを言っていた。気温が30度以上になると、猛暑ということになるが、今では猛暑は珍しくない。やはり、35度以上を定義する何か言葉が必要である。ということで、酷暑(こくしょ)という言葉を言っていた。うんんん、的を得ている。酷暑の日がおおいなあ---.嫌になるぜ。

なんとなく使い勝手がいいようだ。

しからば、夜、気温が高くて寝苦しいときに使う、熱帯夜はどうなんだろう?。なんでも、夜な夜なから明け方までの気温が25度以上の日を言うらしい。この熱帯夜も、30度を越す場合の違った言葉が必要だ。ということで、超熱帯夜と言っていた。これも面白い。若い人が使う「超」という言葉は、今の時世にマッチした言葉である。超熱帯夜の時は超寝苦しいぜ・・・・・・。どないすべー?。クーラーがんがんでは、寝冷えしてしまう。

やはり、我慢の子でなくちゃあいけないか?。



早く、枯葉落ちる秋になってほしい・・・・・・・・・。





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