umityanの日記
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2004年02月26日(木) 遺品整理も、ハプニングがあって面白い。

遺品整理も、ハプニングがあって面白い。
at 2004 02/26 12:32 編集

ここ一週間、日記から遠ざかっていた。とりとめて理由はない。あえて言えば、世の中、暗い話、暗いことばかりで、愉快に何かを語る気が起きなかったからだ。

最近の僕といえば、もっぱら、屋内外の作業に明け暮れていた。作業と言うのは、仕事ではなくて(仕事は閑古鳥が鳴いている)、亡くなったばあ様の荷物の整理である。

ばあ様専用の部屋に入ると、所狭しと荷物の山。整理ダンス、洋服ダンス、衣類ケース、エトセトラ。なおかつ、押入れもびっしりと、なにか怪しげな荷物で一杯だ。90年もの長きにわたる人生の思い出。そう簡単に、踏み込めないように、バリケードが張ってあるみたいだ。「まだ、おまえらの、手にはふれさせない」と言っているようだ。もうそろそろ、その呪縛から解放されてもいいだろう。

まずは部屋の中の身近な所からせめて、奥の間へ突き進むことに決定。山の神は、さすがに、おお山の神の子。いかにも感慨深げに、時折、手を止めて、品々に見入っていた。まああ、これもしかたがない。

でてくるわ、でてくるわ。ガラクタと古着と、昔の便利商品と・・・・、ありとあらゆるものが。あげれば枚挙にいとまがない。二度と使わないようなものでも、大事にしまいこんである。如何せん、どんなに新品のものでも、時がそれを朽ちさせてしまうものだ。今となっては、「もったいない、もったいない」では片がつかない。思い切って、不用品のコーナーへ。

ふと、思ったが、男と女は一体、どちらが思いっきりがいいのだろうかって。うんんんん、これは難しいテーマだ。要するにケースバイケースってところか。不用品コーナーへと思ったものが、保存コーナーへ。
僕にとっては残しておいてよさそうなものでも、山の神は、惜しげもなく、不用品コーナーへ投げ入れる。まあ、相続権のない僕は黙って従うだけだ。僕は呆然としながら、たまっていく不用品を眺めては、外へ運び出す役目。「よいこら、よいこら・・」。ご養子様はつらいぜ・・・・。

ま、嘆いても仕方がないが、昔の物を整理することは楽しい一面もある、なななんんと、昔のお札とか小銭が、あちこちから出没するのだ。ばあ様も考えたことよ。ひと所に置いていたら、危うしと考えたのか、あちこちの片隅から、袋や財布に入った小銭が出てきたのだ。おっと、ここにもあった。あっつ、ここにも。あたかも、ばあ様は荷物を片つける喜びを教えてくれているかのようだ。ただ、ばあ様は晩年になると、それをどこにしまいこんだかも忘れてしまっていたようだ。時々、押入れのあちこちを散策していたことがあった。

五円、十円、百円、五百円硬貨に混じって。寛永通宝やら大昔の古銭まででてきた。なおかつ、昔の百円札やら十円札。「わおーーーーーーつ、珍しいぜ」と僕は大喜び。

ここで、一言、太っ腹の山ノ神曰く。「これらは、皆、あんたにあげる」。「うそーーーー、本当ーーーー?。うええええええーーーーーん。涙がちょちょぎれるぜー」。僕はにんまり笑って、山の神が後悔の念をおこすまえに、そそくさと、ビニール袋へしまいこんで、我が書斎へ運んだ。

僕もさるものひっかくものだ。僕の脳裏には既に、あるよからぬ計画が。まずは、使えそうな小銭を袋に詰めて、暇なときに我が預金通帳にいれこんでしまおうという、小心者の考えだ。見事、先日それを実行するから僕も偉いもの。三万円近くのこずかいに預かることが出来た。たまには、先祖の大掃除もすべきだぜ。

おっと、我が愚行を書くこともなかったか。そろそろ、午後の外出の準備をしなくてはならない。いずれ、この結末をかくことにしよう。まだ、整理が終わってはいないからだ。


2004年02月20日(金) 宇宙は巨大コンピューターだ。

宇宙は巨大コンピューターだ。
at 2004 02/20 21:51 編集

2月も残すところ10日弱。あれよあれよと日々が過ぎていく。時は過ぎれど、我が身には、とりとめた変化なし。どうしたものだろう?。

とりあえず、最近、興味深かったことと言えば、火星探査機、オポチュニティーが、火星の地面に穴を掘ったこと。130億光年彼方の銀河が発見されたこと。ブラックホールに接近した星が、重力の影響で、バラバラになる様子がエックス線による観測でとらえられたこと。宇宙の分野に限って言えば、こういうことになるか。

それにしても、火星の地面に穴を開けるとはすごい。地表より地下の状況を調べることによって、新たな発見が期待できるからだ。ゾウリムシみたいな微生物がうようよしていれば面白いんだが。果たして・・・・・。

又、宇宙創生後間近の銀河の光を望遠鏡が捉えた。これまた画期的なことである。宇宙の年齢が140−150億光年だから、宇宙年齢で言えば、赤ちゃんの頃である。「おぎゃーーー」と生まれて間もない頃。
まさに、できたての新鮮な光と言うことになる。きっと、不純物も少ないことだろう。

さらに、さらに、ブラックホールの驚異をまざまざと見せ付けられた。星が変形し、砕けて、ある物はホールの中へ。ある物は、宇宙空間へ飛び散る。きっと、すさまじい光景に違いない。僕が時空の旅人であったとしても、そういう場所には近寄りたくないものだ。

宇宙の織り成す現象は、まさに驚異で満ち満ちしていて、筆舌しがたい。一体、宇宙の創造主は誰なんだろう?。人間みたいに、能力を持っているんだろうか?。能力と言うより、宇宙自体が巨大なコンピューターかもしれない。すべての星がこの巨大コンピューターによって制御されている。星自体はどうあがいても、その制御から離れることは出来ない。すべてがプログラム化されたとおりに実行されているわけだ。

しからば、この地球という星にいる生命体は、一体なんなのか・・・・・?。あえて言えば、巨大コンピューターに巣くったバイキン、もしくは細菌なのかもしれない。いずれは邪魔な存在として葬り去られる運命にある。でなければ、繁殖したバイキンが宇宙というコンピューターを乗っ取って、しまうかもしれないからだ。

まあ、これはSFの世界でのこと。僕が心配する必要もない。今の僕に与えられた役割は、進化の担い手として、日々是好日を邁進することなのだろう。

おっと、いけない、いけない。余計なことを考えないで、明日から食らう飯の種を探さなくちゃ・・・・・。



2004年02月16日(月) 汗、汗をかかなくちゃ。

汗、汗をかかなくちゃ。
at 2004 02/16 12:47 編集

二月も中旬を過ぎた。まだまだ肌寒い。天気は上々。こういう日を小春日和というのだろうか?。おっと、この表現は当たっていなかった。10月や11月の春のように暖かい日の言葉だった。やけに寒くて、天気が良いと、すぐこの言葉が出てくるのは、首を長くして春を待っているせいかもしれない。

仕事は相変わらずだ。机に向かって電話待ちに終始しているようでは、商売はあがったり。今の、僕はどうも、どうも、それに近い。昔、サラリーマンンをしていた時、トップが訓示をたれた。「能力のある者は能力を出せ。能力のないものは汗を出せ。能力も汗も出さないものは黙って去れ」。なかなか、含蓄のある言葉だ。

僕は、大いに汗を出すことにしよう。これと言った能力を持ち合わせていないからだ。そういえば、最近、汗らしきものを、ほとんどかいていないようだ。元来の怠け癖が、すぐ僕を夜の巷にいざなうのだ。

さ、今からお出かけだ。固いお役所と、クライアントの所と、郵便局まで足を運ぶことにしよう。後は、野となれ山となれだ。
時間が僕を、導いてくれるだろう。

「一体、いつ汗をかくんだ?」と、良心が叫んでいる。「まあ、待て」と、悪心がささやき返している。どっちが本当の心なんだ?。恐らく両方だろう・・・・。


2004年02月15日(日) 春一番に乾杯だ。

春一番に乾杯だ。
at 2004 02/15 17:19 編集

昨日は、全国的に春一番が吹き荒れた。我が家の庭も例外にもれず、見渡す限り葉っぱのジュウタンだった。「わおーーーつ、掃除が大変だあーーー」と、思っていたら、何のことはない。なすに任せていたところ、風がくるくる舞って、葉っぱを巻き込み、一所に集塵してくれた。僕がそこを見逃すはずもない。すかさず、ちりとりで一網打尽。ほとんど、労力を使わず、庭の清掃が終わった。春一番も、さるもの、ひっかくものだ。

それにしても、自然は正直だ。今年は、春一番の来訪が少し早かったらしいが、毎年、忘れずにやってくる。律儀なものだ。
人間もこのくらい律儀であってもいいのかもしれない。いつも、裏切ったり裏切られたり。

誰かが歌っていた。「もうすぐ春ですねーーー。なんんとか、なんんとか」ってね。
若かりし頃(今も若いつもりだが)、春はなんとなく嫌いだった。世の中があわただしく、人は皆、歌のように浮かれ気味。彼女もいず、灰色の青春だった僕にとっては、春がやってきても、「一体どこがそんなに面白いのか?」と、やや厭世的になったものだ。物憂くて、けだるくて、悶悶としていた日々。
まあ、今思えば、にきびと同じく、それが青春のシンボルだったのかもしれないが。

しかるに、齢を重ねて、娑婆世界にどっぷりと浸かってしまうと、巡り、巡ってくる春が待ち遠しくなる。身も心もリフレッシュする時期が春なんだと思う。こう、思えるようになったのは人生に対する諦念の気持ちが強くなったからなんだろうか?。

確かに、一面ではそうかもしれない。もう、後戻りは出来ないわけだ。時々思うが、今の状態で、二十歳前後だったらさぞかしいいだろうなああと。それはかなわぬ夢。逆立ちしたって、そういうことにはならない。気持ちは二十歳前後でも、いかんんせん、体は中高年真っ盛り。したがって、諦念ということになるか。

と、同時に、最近、日々の時間がえらく短く感じられる。友人達と杯を交わしているときなんか、あっと言う間に6時間や7時間が過ぎてしまう。「えええっつ、もうこんな時間・・・?」と、しぶしぶ重い腰を上げるわけだ。子供の頃は、時間が経つのがあまりに遅く、「いつになったら、大人になれるんだろうか?」と、気がせいたものだ。
大人になってみると、「ああああつ、子供の頃に戻りたい」と思う。人間って、なんと現金な動物なんだろう。

とりもなおさず、借金がないだけでもましか。今年も春一番が吹いて、巡りめぐって春が来る。春に乾杯だ。花見にはちょっと早いが。


2004年02月14日(土) 今宵も開かずの門の試練が待っている。


今宵も開かずの門の試練が待っている。
at 2004 02/14 19:05 編集

昨夜はボス(仕事仲間の大先輩)と異業種交流会へ参加。弟(仕事仲間の後輩)も誘ったが、車でクライアントのところへ、移動中とのこと。ご苦労様である。やはり、稼げるときに稼いでおかなくちゃ、お飯の食い上げだ。ボスと僕はさしたる用もなし。そそくさと、1時間、2000円の、異業種交流ビール飲み放題へと出かけたわけだ。

毎月一回やっている。今日の成績は、ボスが中ジョッキ2杯。僕が3杯。いやはや、すっかりほろ酔い気分だ。前後左右の仲間達も、ほぼ、同レベル。ただ、中には、5杯、6杯と、グラスをあげる兵もいる。元金はとっくに取り戻しているわけだ。
お見事。

昨夜は珍しく、僕の隣に、フリーの女性ライター、S嬢が座った。競争が厳しいから、ほとんど、隣に座ることもないのだが、昨夜は奇遇。彼女は世界一周旅行をはじめ、あちこちと海外を訪れている。最近はロシアへ行ってきたそうだ。僕達は、ビールを胃袋に落としながら、彼女の話に聞き入った。「へーーーー、へーーー」と、うなずくばかり。うらやましいいーーぜ。

ロシアといっても、僕はほとんど知識を持ち合わせていない。ただ、学生時代に聞いたロシア民謡だけが、いまでも、耳に焼き付いている。悶悶としながら、四畳半一間の間借りで、ロシア民謡のレコードを聴いていた。「トロイカ、ボルガの舟歌、赤いサラファン、カチュウシャ、ステンカラージン、二つのギター、黒い瞳 etc」。どれもこれもが、深く胸をえぐった。と、同時に深いため息を連発したものだ。

このため息には色んな意味が含まれていた。いわゆる青春のため息である。果てしない未知の世界へのあこがれ。夢。まだ見ぬ乙女への深い思い。漠然として先が見えない将来への不安。・・・・・。

他に、「これぞ、男よ」というロシアのダンスに心が引かれた。コサックダンスというのだろうか?。しゃがんで器用に足を前に突き出して踊る。音楽にあわせて踊るわけだから、相当に疲れるはずだ。足の短い僕は、足を出す前に、しりもちをついているだろう。ぺったりんこ。音だけはいい。
ウォッカをぐいと一飲みにして、肩を組んで踊る様は、まさに、男、男に満ちている。
最近、コマーシャルで、それらしきことをやっているが、何だか奇妙な心持にさせられる。

話が飛んでしまったが、ボスと僕は千鳥足で、二次会の小料理屋へと消えた。まさか、ボスと二人で、通りで肩を組んで、コサックダンスをしながら、店へ・・・・・というわけにもいくまい。
小料理屋では、例によって、ボスの、ど演歌と、僕のフォークソングで場を盛り上げたことは言うまでもない。
おまけに、午前様とはこれいかに?。「今宵も、開かずの門の試練に耐えなければならないか」と、ボスと二人で顔を見合わせて、笑った次第である。







2004年02月13日(金) 火星のブルーベリーを食べたいぜ。

火星のブルーベリーを食べたいぜ。
at 2004 02/13 15:56 編集

火星探査機オポチュニティーが、木の実のブルーベリーに似た、丸い物体の写真撮影に成功した。よく見ると、おしそうなブルーベリーが無数に転がっている。思わずつまもうとしたが、如何せん、写真である。何でも、最大のもので、直径5ミリていどとのこと。5ミリじゃあ、腹の足しにもならないが、画期的な発見である。

これからの観察で、この球状物体が岩石なのか、違った物質なのか分かるだろう。今から楽しみである。食べ物だったら、種を地球にまいて育てたいものよ。

宇宙では、こういう夢が追い求められているのに、地球上では、テロ、テロで、たくさんの人が命を落としている。人間、種族や、信条が違っても、地球に生存する、能力を持った唯一の生命体である。話し合って、譲り合って、分かち合って、助け合って・・・・・。そういうことが出来ないはずがない。

一体、何がそうすることを妨げているんだろうか?。世界がたどってきた歴史。人間のよこしまな欲望。分からない。ただ言えることは、たかが、百年も生きれない人類が、その生を楽しくまっとうするには、時間があまりないじゃないか。争っている場合じゃない。「こんにちは、こんにちは、世界の窓から・・・・」でありたいものだ。

ここ数日、北朝鮮との門戸開放の新たな模索がなされている。やっと、同じ土俵に乗って、それぞれが言いたいことを述べるわけだ。思うに、早く過去のことを清算して、良き隣人として21世紀を共にに歩んで行きたいものだ。

必ず出来ると信じている。でなけりゃあ、未来を生きる子孫がかわいそうである。火星からもたされるかもしれない、ブルーベリーを共にほおばろうじゃあないか。僕が生きているうちに・・・・。







2004年02月11日(水) 今日は終日、能天気でした。

今日は終日、能天気でした。
at 2004 02/11 19:47 編集

今日は良い天気だった。朝から仕事を一つこなした。その後は、車の清掃だ。二月に入って、雪が何度か降り、車は大汚れ。車体が汚れていると、なんとなく気分が良くない。

水洗い後、誰かに引っかかれた傷を修正した。世の中には心ない人がいるものだ。車体に、とがった異物で、腺が引かれていた。「わおーーーつ」と、怒ろうにも相手がいない。ただ、唇をかみ締めるだけ。

それでも、なんとか修復が終わった。久々にドライブがしたくなった。山の中でにぎわっている、新鮮野菜即売場まで行くことにした。

山道の日陰どころには、さすがに残雪があった。もう、消えたかなと思っていたのに、再び雪と遭遇して、一瞬、懐かしさを覚えた。北国の人が太陽をいとおしく思うように、南国育ちの僕にとっては、雪がいとおしいのだ。

目的地は、いつものことながら、人でごった返し。都会の喧騒を逃れて、あちこちから、ここへやってきているわけだ。近くには温泉もある。温泉地で育った僕には、珍しくもないのだが。

野菜を買おうと、店内に入った。「ありゃ、えらく、品物の数が少ないなあ」と思ったが、それもそのはず。午前中に、かなり売れているわけだ。まあ、それでも、買うに不足はない。当地生産の柚子胡椒を二瓶。一個百円の、もぎたての白大根1ヶ。サトイモ一袋。白たまねぎ一袋。紫たまねぎ一袋。白菜の漬物一袋。高なの漬物一袋。山こんにゃくと、味噌と・・・・・・。あとは覚えていない。
そうそう、観賞用の植物2000円。おやつだーーーーということで、ゴーヤをスライスにしたお菓子。目にいいとかいうお茶。甘栗一袋。後、何があったっけ。今度はまさに覚えていない。そうそう、思い出した。よもぎで作った鏡餅1ヶ。まだ、ふんわりと柔らか。これを焼いて、海苔を巻き、醤油か、なんかをつけて食べると最高にうまい。

山はいいものだ。まだ、青葉若葉とはいかないが、新芽が今や遅しと、その出番を待っている。おいしい空気を吸いながら、山を下った。

てなわけで、先程、たらふくまんまで、お腹一杯。腹八分目と言うが、今日はその腺を逸脱したようだ。まあいいか。今日は、日ごろの、おりこうさんに免じて許しちゃおう。

イラク派遣の自衛隊の皆さんが、懸命に頑張っていると言うのに、僕も能天気なことばかり言っておられない。一日も早く、目的を成就して、元気で帰ってきてもらいたい。

人間、たらふくまんまになると、眠たくなる。一風呂浴びて、船をこぐことにしよう。明日からは、再び鬼となって、娑婆世界のために生きなくちゃ。


2004年02月09日(月) 青い鳥は、やはり地球だったか?

青い鳥は、やはり地球だったか?
at 2004 02/09 20:01 編集

最近、火星探査車ースピリットー等の動向が分からず、気をもんでいたが、どうやら、全面復旧したらしい。よがった。よがった。あらたな試みとして、前面岩石にドリルで穴を開けたそうだ。数センチも掘ったそうだ。素晴らしい。岩石の表面は塵等の不純物があるため、内部の純粋な岩石の成分を検査する必要がある。そのことによって、水の存在や生命体存在の証拠をつかもうと言うわけだ。

科学の力って、なんと素晴らしいことか。さほど、時間を置かなくして、火星移住も可能になるに違いない。万歳ーーーー。万歳ーーーーである。日本の国旗が火星地表に翻る姿を見てみたいものだ。報道アナウンサーは言うだろう。「白地に真っ赤な日の丸が、風に揺れて、たなびいています。誰が想像したでしょう。この瞬間を・・・・わおーーーーつ」。とかなんとか。そして、「君が代」の国歌が流れる。涙も流れる。
ああーああ・・・。いつになることやら?。

ただ、心しておかなければいけないことは、どこへ移住したって、新たな覇権が生じ、快く思わない人たちによって争いが生まれはしないかと言うことだ。火星の土地の利権をめぐって、人類が再び争う。歴史は繰り返すわけだ。

既に僕は宇宙塵となっているので、心配しても仕方がないことだ。ただ、未来を生きる人類にとっては、ゆゆしい問題。宇宙大戦争に発展するかもしれない。

時々思うのだが、人類の飽くなき欲望は、未来永劫にわたって続くのだろう。必ずしも、その欲を否定するつもりはない。
欲があるからこそ、科学も進展するし、宇宙の大神秘も解明されるわけだ。要は、欲が正しい方向に使われればいいわけだ。

永遠の時が流れ、宇宙のすべてが解明されたとき、極限に進化した人類は思うだろう。「ああああーーー、幸福の青い鳥は地球だったのだ」と。「後悔しても始まらないぜ。誰が地球をこんない汚したんだ....」。
僕が魂を持った宇宙塵であったら、そう言ってやりたい。

「何故、遠くばかりを求めようとするのか。本当に求めているものはすぐ、足元にあるじゃないか」。誰かがこんなことを言っていたように思う。メーテルリンクの「青い鳥」もそうだろう。

僕は今でも思っているが、宇宙で生命体を宿した、たった一つの星ーーー。それは地球ではないかと。僕のこの予想が外れてくれることを、願うだけだ。宝くじも当たったことがないから、多分、はずれるだろう。何も懸念する必要はないか。
まもなく、スピリットがその結論を出してくれるに違いない。





2004年02月06日(金) 鳥インフルエンザ。

鳥インフルエンザ。
at 2004 02/06 16:35 編集

鳥インフルエンザで、何人もの人が亡くなっている。由々しいことだ。大量に処分される鳥達にとっては迷惑な話。かといって、感染した鳥を放置すれば、人間に感染して人間の命を奪うことになる。

今のところ、効き目がありそうな少量で高価なワクチンがあるらしいが、それだけでは間に合わない。最良の手立ては、鳥達の処分ということらしい。それでも、感染の拡大をまだ、止められないでいる。早いとこ、安くて効き目のあるワクチンが開発されて欲しいものだ。いつも、人頼みばかりで、自分として、何も出来ないことがはがゆいのだが。

時々思う。何故、生命体は他の生命体を食して、命を保たねばならないように創造されているのだろうか?と。食物連鎖とか弱肉強食とかいう。要するに、自然の生体系を維持するには、一生命体が増えすぎたら困るわけだ。適当に、何かの「エサ」となって、数を減らすことにより、自然の体系が保てるように、宇宙は生命体を創造したのだろう。

僕が吠えても仕方がないが、こういう生態系を創造したことは、宇宙のミスかもしれない。発生、成長、消滅が、何かを食することなく繰り返されたら、鳥の大量処分も必要ないだろに。何かの本で読んだが、いわゆる、アポトーシス。細胞の自然死。相互に依存することなく、その個が発生、成長、消滅を繰り返して進化していけばよいわけだ。なにも、弱いものを食する必要はない。増えすぎる生命体は、自動的に消滅を早めればよい。これで、数の調整が出来れば言うことなしだ。うんんんん・・・、これは理論的に間違いだらけの愚かな考えだとは分かっている。

更に思うに、宇宙は奢り高ぶり増えすぎた人間を淘汰すべく、試練を人間にあたえたのかもしれない。考える能力を持ってしまった人間は、今、それを克服すべく、創造主に対して挑戦しているわけだ。

いずれにしても、進化の旅人として生かされている人間は、もっと謙虚になり、自然とともに、共存共栄を図る新たな道を模索する必要がありそうだ。




2004年02月04日(水) はるか未来は猿の地球か?。

はるか未来は猿の地球か?。
at 2004 02/04 19:39 編集

立春。暦の上では春だ。とはいえ、今が一番寒い季節。自然は正直だ。今日も見事に寒かった。雪もちらほら。朝起きて、「わおーーーー」と、ひとおらびだ。

「おらび」はいいが、今日も暇をもてあますわけにもいかず、雑用で奔走した。町は相変わらず活気がなく眠っているようだ。都会圏は景気も上昇気味かもしれないが、田舎にその兆候なし。困ったものだ。

とにかく、最近は世の中がおかしい。自然環境の変化がいろんな形で、人間に害を及ぼしているようだ。人間にだけではない。牛も、魚も鳥も・・・・。一体どうなっているんだ。そもそもの元凶は人間自身にある。自業自得と言えばそれまでだ。僕も同じ穴のむじな。大きいことは言えないのだが。

こういった現象は創造主たる自然が天罰を下したせいかもしれない。有史以来、人間は絶え間なく争いを続けてきた。そして今なおそうだ。自然を破壊して武器に変えた。なんと、愚かなことだろう。

先日、「猿の惑星」という映画を見た。有人ロケットが着陸したところは、未来の地球。なんと、猿が世界を支配していた。逆に、人間は劣等な動物として、猿社会の奴隷に身を転じていた。こうなった原因は、原爆や水爆による、世界大戦争。一時的に人類は滅亡したわけだ。かろうじて生き残った人間は、能力を持った猿から「人間狩」の洗礼を受けている始末。、エスエフドラマとしては最高に面白かった。

18世紀か19世紀だったか忘れたが、「月世界旅行」というエスエフ小説を書いた作家がいた。それが20世紀に、まさに実現した。と言うことは、「猿の惑星---地球」となることも、あながち否定はできない。

今や、その前兆かもしれない。もちろん、僕が生きている間は大丈夫だとは思うが・・・・。将来の進化した、頭でっかちの人間が、大きな過ちを犯さないように願うだけだ。

ちなみに、今年の干支は「猿」。何の関係もないが、はるか未来に僕が再生したとき、猿の社会になっているやもしれぬ。僕の懸念があたることになるかもしれない。由々しいことだ。今のうちに、「猿だのみ」でもしておくか。


2004年02月03日(火) 昨夜は珍しく品行方正な僕でした。

昨夜は珍しく品行方正な僕でした。
at 2004 02/03 16:31 編集

今日は節分。立春の前の日らしい。豆まきをする習慣があると言う。そういえば、僕も小さい頃、豆まきをして、歳の数だけマメを食べた記憶がある。歳以上に食ったこともあったっけ。小さい頃は飢えていたからなあーーー。

季節の移り変わりのなかで織り成される、色んな習慣っていいものだ。豆まき、ひな祭り、端午の節句、七夕・・・・・・・。挙げればきりがない。その都度、僕の心は高鳴る。「まだ、俺も若いぜ・・・・」と、嬉しくなる。

季節の移ろいとは裏腹に、僕の仕事は相変わらず変化がない。やろうと思えば、色々とすることはある。ただ、日ごろの怠け癖のせいか、行き当たらないとやらない。悶々と日々を過ごしている。こりゃあ、どうしたもんだろう。

昨夜は、弟の属する会が主催した講演会に顔を出した。会費2000円也。気をきかして、弟が払ってくれていた。というより、数そろえの要員となったわけだから、当然と言えば当然か?。行ってみると会場は、座れないほどの満席。予想が外れた。これじゃああ、僕が顔を出す必要もなかったか?。久々に、いい話だった。「逆転の発想」という本を思い出した。

講演が終わり、別会場で懇親会が計画されていた。僕の心は既に遠くへ飛んでいた。堅苦しく杯をかわすより、のんびらーーーと、小料理屋で腹ごしらえをしたかった。

てなわけで、細腕繁盛記を書いてもよさそうな、和服が似合うママさんの店へ。ここへ行けば必ずといっていいくらい、なじみの一見客に出会う。講演で痛めた頭を休めるには丁度良い。時たま、ママさんを冷やかすと、嬉しそうに笑いながら、決まって茶碗を割ってしまう。「おやおや、それ随分と、高かったんでしょう?」というと、「しょっちゅうだから仕方ないわ」と、あきらめている様子。うんんん、冷やかすのも考えものだ。

早く帰るつもりが、いつもの如く、午前様となった。ただし、チャンポンをせずに、酒一辺倒だったので、珍しく意識は明瞭。いつも、こうありたいものよ。
仕事は暇でも、こうやって、利害の絡まない一見客と、世間話ができることは、幸せである。
いつまでも、幸であれと望めど、人生は塞翁が馬。いつ、災難が降りかかってくるやもしれぬ。そんなときでも、じっと、めぐりめぐってくる幸のために、耐えていかねばなるまい。

昨夜は珍しく品行方正な僕でした。


2004年02月01日(日) 静かに楽しむ動画もいいものだ。

静かに楽しむ動画もいいものだ。
at 2004 02/01 00:02 編集

最近、パソコンで見る動画にはまっている。無料サイトで、宣伝もなく、ノーカット版となれば、こりゃああ、サービス最高ってところだ。好きなジャンルは、SFのアクションもの、オカルト・ミステリー、時代劇、エトセトラだ。要するに、ねちねちの恋愛物を除けば、何でもござれである。

この頃、心にいつまでも残ってやまなかった動画がある。伝説の魔少女、黒井ミサが繰り広げる、「エコエコアザラク」シリーズ。エコエコ・・・・・って、黒魔術の呪文のことなんだろうか?。意味は分からない。ただ、なんとなく開いたこの動画。いやああ、実に面白かった。怖かった。

何といっても、主演の佐伯日菜子さんの風貌が脳裏に焼きついてはなれなかった。黒のマントの中から、大きく見開いた黒眼が出てきたとき、背筋が凍るほど、「ぞーーーつ」とした。一瞬、見るのを止めようかと思った。と、その時、マントを翻して現れ出でた美少女。濃くて、三日月のような長い眉、きりりとして、神秘的な輝きを放つ瞳。セミロングの黒髪。僕が、黒井ミサのとりこになるのに、時間はかからなかった。あっと言う間に、配信された四話を、見終えた。

内容もすこぶる良かった。弱い人間の心に巣くった邪悪を黒魔術の力が、昇華させていく。黒井ミサが唱える呪文は、正義の刃である。

ここ数年、占いブームのようだ。とかく、非科学的なものを排除してきた僕も、この動画を見て以来、少なからず占い等に興味がわいてきた。ホームページに占いを載せている人がたくさんいる。時々、その人たちの占いをクリックしては、楽しんでいいる。
怖い気がするが、黒井ミサに僕の運命を占ってもらいたいものだ。

ただ、何事に対しても思い込んでしまうことは避けねばならない。どんなに不確定性の時代であっても、現実をしかと見据え、ピュアな気持ちを持って生きていくことが肝心。

おっと、これは黒魔術や占いとは関係ないことだった。秋の夜長ではないが、静かに、好きな動画を楽しむのも悦なことである。



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