umityanの日記
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2004年01月30日(金) 最近の新しい病気蔓延の原因は一体何だ?。

最近の新しい病気蔓延の原因は一体何だ?。
at 2004 01/30 11:38 編集

最近、鳥インフルエンザや、狂牛病、サーズといった、今まで、ほとんど知られていなかった新しい病気が発生している。世界中がその対策に奔走している。まだこれと言った特効薬はないのだろう。まずは、病原拡大を防止すべく、関係ありそうな、鳥類や動物や魚類を大量に処分している。彼らにとっては迷惑なことだろう。

何故、最近、こういった病気が蔓延しだしたのだろうか?。はなはだ疑問である。
やはり、人間が豊かさを求めるあまり、自然を破壊し続け、さらには自然界にないものを大量にこしらえ続けた、そのつけが今、現れているのかもしれない。由々しいことだ。

もしかしたら、今起きている現象は、ほんの序章であり、人類の存亡を左右する大事態がこれから先、待っているやもしれない。単なる危惧であって欲しいと願うだけだ。

そういえば、最近、人間自身もおかしいようだ。人間関係は、ますます希薄になり、個の一人一人がいつも何かに踊らされているような気がする。その正体が何?なのかは分からない。精神的にゆとりがもてず、何かに追われ、その不安を打ち消すかのごとく、奇妙な連帯感の中に埋没しているかのようだ。

うがった見方かもしれないが、人間は、その深層心理のなかに、人間社会が極めて危ない状況にあることを見抜いているのかもしれない。その発現が、社会現象として、時々現れるのだろう。
分からない。僕もすっかり、その社会に慣らされているのかもしれない。ただ、すくなくとも、冷静に見る目だけは失わないでおこう。





2004年01月27日(火) つつがなく終わる一日。それもひとつの幸せだ。

つつがなく終わる一日。それもひとつの幸せだ。
at 2004 01/27 21:30 編集

あれよ、あれよと言うまに、一月も今週を残すばかりとなった。光陰矢のごとしとは、よく言ったものだ。僕の一月の成績。可もなく、不可もなし。あえて目を見張るものがあったとすれば、大雪に見舞われたことだろう。何年ぶりだったのか、定かではない。

今日、山間部を車で走った。日陰や、山の頂には名残雪があった。雪もまだ頑張っていたんだ。もうしばらくすれば、雪もすっかり消えて、木々がいっせいに芽吹く。春、春はもう間近。その後に、五月、六月の青葉、若葉の季節がやってくる。僕の肌も、みずみずしく、かつ、搗き立ての餅のごとく、弾力ではずむことだろう。自然が与えてくれるこの恩恵に感謝だ。まだ先のことだが、待ち遠しい。

雪で思い出したが、火星の南極に膨大な量の氷が見つかったそうだ。以前から氷の存在が指摘されていた。まさに、今回、それが実証されたわけだ。氷があれば、生命体も存在しているのでは?。地球は宇宙の中の孤独星かもしれないと、ずっと、思ってきた。火星に生命体が発見されれば、それを契機として、次から次へと、新しい命が見つかるかもしれない。今から楽しみである。

10本足の火星の美女に惚れられて、体をぐるぐる巻きにされ、「おーーーー、のーーーー、もっと強くーーーー」って、叫んでみたいものだ。こういう空想の世界に浸れるのは、とりもなおさず、暇だからである。
仕事に追われていると、とてもとても、こんなことは考えられない。

かくして、明日は水曜日。とくに急ぎの用もない。つつがなく一日が終わることだろう。それも一つの幸せに違いない。




2004年01月25日(日) 坂本直子さん、マラソン優勝、おめでとう。

坂本直子さん、マラソン優勝、おめでとう。
at 2004 01/25 16:20 編集

雪に見舞われて四日目の午後。太陽が顔をだしていれども、雪もちらちら。上空では暖気団と寒気団が勢力争いで、しのぎをけずっているのだろう。平地で、その姿を眺めている人間様にとっては、なんとも、もどかしい。「どひゃーーーっつ」と降って、「すかーーーーつ」とやんで欲しいものだ。雪をめでていた僕も、こう、だらだらじゃあ、雪のイメージが狂ってしまうし、風邪まで再発してしまいそうだ。

じのぎをけずっていると書いたが、今日の大阪国際女子マラソンのしのぎあいは圧巻だった。氷点下になりはしまいかという寒空のなかで、ランニング姿の若い乙女達の42.195キロメートルへの挑戦。選手の皆々様、ご苦労様でした。

坂本直子選手が優勝した。おめでとう。2位に千葉真子選手。やはり、大きな夢と、よきライバルがいるからこそ、頑張れるんだなあーーと、つくづく思う。

そういえば、変なことに気がついた。坂本選手が「直子」さんで、高橋選手も「尚子」さん。おまけにと言っては失礼かもしれないが、千葉さんは「真子」さん。なんだか、皆、名前がよく似ているなあ・・・・・という感じである。惚れやすい僕はいっぺんで、「なおこ」と言う名前が好きになってしまった。こう、思うのは僕だけではないだろう。

それにしても、マラソンは過酷なスポーツである。努力と体力と気力。その三拍子がそろっていないと、完走はできないだろう。テレビを見ながら、走っている一人一人の顔が美しかった。又、それ以上に完走した後の顔が素敵であった。疲れてはいるが、完走した喜びで、目が輝いていた。確かに、順位とタイムも大事かもしれないが、何かを成し遂げたという喜びがもっと大きいのではないだろうか。

日本人の悪い癖は、「結果がすべてである」という価値観にとらわれ過ぎているところだ。もちろん、結果を否定するつもりはない。ただ、それ以上に大事なことは、その人、それぞれが織り成したドラマである。人生の一ページを飾るそれぞれのドラマ。そのドラマこそ、価値があり大切なものだ。選手の一人一人のドラマに乾杯だ。

僕も今までに、何人かの女子マラソン選手のことを書いてきた。記憶に新しい所では、有森裕子さんのこと、高橋尚子さんのこと。そして、今度は坂本直子さんだ。その度に、「お嫁さん候補ナンバーワン」と、言ってきたが、「あんた、妻帯者でしょ。顔を洗って出なおしてきな。パチパチ。」と、ほっぺたを、ひっぱたかれそう。とういうわけで、これ以上、言及すまい。

坂本直子さん。本当におめでとう。これからの活躍を期待しています。もちろん、高橋尚子さん、千葉真子さんも頑張ってください


2004年01月24日(土) ばあ様の仕上げの法要と、飛び石の雪。

ばあ様の仕上げの法要と、飛び石の雪。

ばあ様の仕上げの法要が終わった。静寂のなかで聞く読経もいいものだ。幾人かの坊さんが、低音を響かせながら「観音経」を読んだ。僕も後ろからついて読んだ。膨大な宇宙の真理。果たして、ばあ様は今頃、安住の地に楽座しているんだろうか?。

今でも時々考える。寝つかれないベッドの中で、「一体、人間は死んだら、どこへ行くのだろう?」って。霊魂って宇宙をさまようのだろうか?。分からない。死ねばそれでおしまいみたいな気もする。「生者必滅、会者定離」。このことは分かっていても、その先が分からない。分からないからいいのかもしれない。

反面、死後の世界が分かっていれば便利だと思う。この世で溜めた金は死後の世界で、そちらの貨幣と換金できるとしたら、現世での相続争いもなくなるだろう。
もともと、稼いだ金は葬式代くらい残して、使い切って死んだがいいのではないかと常々、思う。

仕事柄、相続の問題に遭遇する機会も多い。不労所得なら誰でも、一円でも欲しいわけだ。話し合いがつかず、相続人が、骨肉の争いをする。他人が介入すれば、「あんたには関係ない」と一蹴されてしまう。
「どうぞ、好き勝手にして」と言いたくなる。兄弟は他人の始まりとは、よく言ったものだ。

話がそれてしまった。今日は僕の願いもむなしく、雪は平地には積もらなかった。時折、お日様が顔を出して、にこっと笑っている。
ばあ様に雪をみせてあげられなかったことは残念だ。それでも、第二の寒波が今宵からやってきて、明日の日曜日は、再び大雪になりそうな気配。飛び石の雪ってわけか。まあ、それもいいだろう。トリプルにはならなかったが、当地にとっては、歴史に残る寒波だ。

僕は、先程まで、坊さん達と、焼酎のお湯割を飲んで、世間話に花を咲かせた。我が家では滅多に飲むことがないのに、今日は昼間から飲んだ。一つの区切りがついて、安堵感がそうさせたのだろう。めまいを感じる。くらくらくら・・・・。

時が過ぎて、もう、坊さんも親戚も大半が帰ってしまった。今残っているのは、近所の人たちだ。食事を振舞っている。田舎ではまだ、こういう習慣がある。もちつもたれつの世界。人間、死があるのなら、食事でもしながら、いろいろと語るのも、いいことだ。ばあ様も、ずっと、そうしてきたわけだ。

僕はといえば、昼酔いしたことを理由に、別室で、この備忘録をしたためているわけだ。主なしとて、場は盛り上がるから心配はない。もうしばらくして、後片付けが待っている。こちらは僕の範疇。そこで、すっかり酔いも冷めるだろう。
とりあえず、この辺でペンを置こう。
明日の銀世界に夢を馳せて・・・・。




2004年01月23日(金) トリプルの雪も悦なものだ。

トリプルの雪も悦なものだ。
at 2004 01/23 18:53 編集

連日の大雪だ。明日もどうやら、雪になるらしい。トリプルともなれば、歴史に残る異常気象ということになるのだろうか?。僕の心は、少年のように、はしゃいでいる。

思えば、昔は結構、雪が降っていた。ランドセルしょって、長靴はいて、時折、道端の雪を丸めて、「ポーン」と放りながら、学校を行きかえりしたものだ。温暖化、温暖化で、ついぞ忘れていた雪を懐かしがるなんて、僕も齢を重ねたものよ。

ただ、南国人は雪の日の対処に慣れていないのだろう。こちらでも数百件の車の事故があり、幾人もの人が怪我にあっている。用心、用心だ。

僕も事故を警戒して、昨日は終日、外出しなかった。ただ、じっとしておれない僕の性分が、ちぢに心を乱す。雪が解けて、アスファルトの路面が顔を出したとき、ちょっくら出かけることにした。一面、雪野原だった我が家の周囲も、田んぼと道がはっきりと分離した。要はスリップしないように、おそるおそる進むだけだ。

何をしに出かけたかと言えば、「水」を買いに言ったわけだ。この程度の雪では水も大丈夫だろうと、高をくくっていたのが、大間違い。朝になると蛇口から水が出ないのだ。ポリバケツに汲み溜めしておけばよかったと後悔した。とりあえず、買い置きのペットボトルの飲料水を洗顔に使った。貧乏性の僕は、「もったいないぜ」ということで、洗いながら、思わず水が口の中に。「いやあああ、やっぱり水道水とはちがうなああ。うまいぜ。」ということになった。

それにしても、僕も僕だ。日ごろ、水を買いに行くこともなかったせいか、水によく似た清涼飲料水を三本も買ってきてしまった。純粋の水はラベルの違う、ただの一本だけ。「あんた、どないしなはるの?」と、山の神の小言。まあ、いいだろう。要は、明日に備えて、水を溜め置きしとけば済むことだ。何も、あせって、買出しに行く事もなかったか?。本音は雪の町並みを見たかっただけだ。そういうことにしておこう。

それはそうと、明日は、ばあさまの6・7日。親戚が集まって法要をすることになっている。午前中、大雪になれば、集まりも鈍くなるかもしれない。仕方がない。ばあさまも、「久々に降った雪を見ながら読経を聞けるなんて、果報者だ。人の数じゃああないんだ」。そう言っているような気がする。

さあ、水がでるうちに、風呂にでも入って、明日の雪景色を楽しみに待つことにしよう。


2004年01月22日(木) 雪んこちゃん、大いに歓迎だ。

雪んこちゃん、大いに歓迎だ。
at 2004 01/22 13:44 編集

「わおーーーーつ」、雪だああ・・・・。朝起きたら、一面の銀世界。「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」という小説ではないが、カーテンを開けると、一つの町が全部雪に覆われていた。南国の田舎ではめったに見られない風景。北国の人にとっては、うらめしい雪かもしれない。僕にとっては、新鮮で美しく感じられるのだ。

今日はパートさんもお休み。この雪じゃあ、どこまでが道で、どこまでが田んぼかわからない。万一、田んぼに落ち込んだら誰が保障してくれる?。ゆっくり休んで、明日への鋭気を養って欲しい。僕も、こんなときは、じっと部屋にこもって、日ごろやっていないことをやろうと思う。

と言うわけで、電話も鳴らない事務所で書棚の点検だ。今、切手シートのファイルを探していた。十数年来、集めてきたお年玉年賀ハガキの切手シート。毎年、一枚は当たるから、十数年分がたまっているわけだ。一つずつ紐解いていくと懐かしい。おっと、古いアルバムも出てきた。いやああ、昔は僕もハンサムで若かったなあーーー。ちょっと、何かが頼りないが・・・。
何かとは何か?考えてみた。おそらく、貫禄、自信といったものかもしれない。とは言っても、あまり若い頃から、貫禄や自信にあふれていたら、「とっちゃん坊や」みたいである。それ相応に、なにかが足りないぐらいがいいのだろう。自己弁護だ。

先程、母に電話してみた。やはり雪らしい。一応元気な様子。良かった。今から風呂に行くとのこと。温泉町っていいものだ。好きなときに温かい温泉につかれる。僕も小さい頃は、爺さんにつれられて、温泉によく行っていた。そのせいか、脂ぎった生意気小僧の時代になっても、「にきび」と称するものが出来なかった。今でもよく、スナックのママさんや、小料理屋のママさんに言われる。「たるちゃんは、お肌がきれいね」って。「タルチャン」とは、もう一つの僕の愛称。そんな時、僕はこう答える。「そう言ってくれるのは、ママちゃんだけよ」。「うんんん、実はねえ・・・・・、温泉町で育ち、温泉を産湯に使ったからねえ・・・・・・」と。「うふふ・・・」と、笑いがあって、ただ、それだけのことだ。

今は、故郷に帰ったときだけ、温泉につかる。地元の、おっちゃん、おばちゃんも、すっかり年をとって、僕に気がつかない。
ちょと、不思議そうな目で一瞥を投げる。が、そこまでだ。僕もあえて、しゃべることもない。
時が経つと、僕もよそもの。まあ、これは仕方がないことだ。

「ちらっつ、ちらっつ」と、外の雪を眺めながら、僕の手は書棚をあさっている。いろんな物が出てくる。僕って、やはり貧乏性なんだろうか。なんでも大事にしまいこんでいる。もらったものでも、使えばいいのに、しまいこんで、挙句の果ては、よごれて、価値が減少だ。ばあさんも同じだった。今、やっと、ばあさんの気持ちがわかったような・・・?。
文鎮が出てきた。見事なやつ。使おう。今まで、筆で物を書かねばならないとき、手元になかった。色んなものをおもしに使っていた。これじゃああ、良い書が書ける訳もない。今度からはおきものも探す手間が省けたと言うものだ。準備周到に越したことはない。

書棚を探索すれども、「へそくり」だけは出てこなかった。どうも、へそくりは僕の性に合わないようだ。堂々と使おう。それが僕の趣味。こそこそ使おうなんて、了見の狭いやつ。まあ、これは人、それぞれの物の考え方だから、とやかくほえる必要もないか。本当はそう言っているやつが一番、へそくっているのかもしれない。この話は、これ以上、言及はすまい。

今も、雪は断続的に降っている。今週は、ずっと、この調子らしい。いいいではないか。めったにあることではなし。大雪で困っている人には恐縮であるが、雪、雪、雪んこちゃん、大いに歓迎だ。






2004年01月21日(水) みぞれ日のなかでの回想。

みぞれ日のなかでの回想。
at 2004 01/21 19:13 編集

寒い一日となった。雨混じりの雪が降った。久々の「みぞれ」だ。明日も50−60%の確率で、雪になるらしい。冬になれば夏がいいと思うし、夏になれば冬がいいと思う。人間って、現金な動物だ。
とかなんとか言いながら、やはり、春と秋が季節の王様だ。身も心も充実する。今や遅しと、僕の心は春をまっている。

今の時期は、黙々と寒さに耐えながら仕事に邁進するしかない。少ない仕事量ながら、「正確、早い、美しい」をモットーに商品をこしらえているわけだ。
今朝から、クライアントとの打ち合わせ。午後からは、別のクライアントの所へ出向いた。書類に押印してもらった。成功だ。「これから、どうしまっか?」と、自らに問うた。うんんんん、これと言った妙案はなかった。となれば、帰還だ。

家に帰ると、まだ未処理の案件があった。例によって、昨年の精算が待っていた。法定調書と、源泉徴収票を市町村へ提出しなければならない。「わお000−−−つ、今年も住民税が高いだろうなーーーー」と思うと、ぐっと身が引き締まる思いだ。
いつもは、ぎりぎりにならないと出さない書類だ。今回は余裕を持って書き上げた。
自らをほめてやりたい。

そうこうしていると、外国人を妻にめとっている友人からメールが入った。「夜の誘いかなあ?」と思ったら、さにあらず。
妻が里帰りしたのだそうな。それもそうだ。今、中国では春節のお祝いで、民族大移動があっている。彼の妻も、ごたぶんにもれず、その仲間入りと言うわけだ。彼も淋しいに違いないが、まあ、これは 宿命みたいなもの。

僕は何故か、中国やモンゴルという国が好きである。いつだったか、縁日で、易者から、見事なモンゴル人種とかなんとか言われたことがあった。その時は、ちょっと腹が立ったが、さもありなん。どう見ても、僕はヨーロッピアンではない。てなわけで、日本人そっくりな、モンゴル人や中国人が好きになったのだろう。

思えば、ボス、弟と僕の三人で、中国を旅したときは、実に楽しかった。一歩、路地に入ると、あたかも、僕が小さかった頃の日本の風景。リヤカーが走っている。歩道には洗濯物がわんさと干してある。大人たちが、昼日中から、縁台でゲームに興じていた。笑顔があった。力強く生きているという生活感がみなぎっていた。この活力が今の中国の発展を促しているのだろう。
なんだか、日本も昔の日本に戻ったがいいような気さえする。今からではもう遅すぎるのかも知れないが。

今日は、やや回顧的になってしまった。
雪の降る日は、それもいいだろう。
「雪の明かりで、読書に浸ろうかなあーーー」と、ちらっつと思ったが、とてもとても、その環境にない。今宵はその気持ちだけにとどめておこう。


2004年01月18日(日) たまには山の神のご機嫌伺いだ!!。

たまには山の神のご機嫌伺いだ!!。
at 2004 01/18 16:49 編集

今日は午前中、まあまあの天気。午後からは、再び雨に転じた。「女心と秋の空」ではないが、ころころと、よく天気が変わるものだ。雨は僕にとって、苦にならない。「雨、雨、降れ降れ、もっと降れ」という心境である。

天気に関係なく、今日は朝から来客が多かった。、やっと、自由時間が持てた。サービス業は、人との接触がメインの仕事だから、結構、気を使うので疲れる。おまんまのためだ。愚痴を言ってはおれないか。

先程、年賀ハガキの、お年玉抽選番号を見た。喪中につき、未提出のはがき200枚。知らず送られてきたハガキ100数十枚。あわせて、300枚を超えていたので、あわや、一等賞が?と期待したが、もろくも、その野望は崩れ去りにけり。
切手シート6枚の平凡な結果に終わってしまった。まああ、これは仕方がない。
喪中だったことのせいにしておこう。

それにしても、僕はよくよく、くじ運が悪いようだ。ビンゴゲームなんか、一度も当たったことがない。要するに滑り出し好調。後は尻すぼみだ。最後の的がはずれっぱなしで、「はい終了」。運に見放された男って僕のことか?。

それにしても、神様はよく見ているものだ。本来、努力もしないで、「濡れ手に粟、棚からぼた餅」なんて、さもしい根性を持っている輩に、福の神なんてやってくるはずもない。貧乏神が寄り付かないだけでも幸せである。やはり、果報は寝て待てということだろう。

時計は4時半を回った。「今日の夕飯は何だろう?」と、台所を覗いた。「ありゃ、火の気がない」。どうも、山の神は、外食をもくろんでいるようだ。ばあ様がなくなって、ひと月が過ぎた。こもっていることに、疲れたのだろう。たまには、山ノ神のおもりでもするか。やがて、僕の友人が仕事の依頼で来るので、一緒に夕飯を食いに出かけよう。今日はすべて、山ノ神のおごりだ。不足はない。

何だか、パスタが食いたい。焼きなすとミートがのっかって、ピリリッと胡椒の利いたパスタ。よだれがでそうだぜ。
さあ、今日は、このへんでお開きにしよう。


2004年01月17日(土) ゴミ処分と、モグラ君。

ゴミ処分と、モグラ君。
at 2004 01/17 15:07 編集

都会は雪だそうな。こちらは、昨日とは、うって変わった好天気。狭い日本でも、こんなにも天気が違うのかと新ためて感じ入る。

今日は、土曜日。パートさんも休みだ。仕事もこれといってない。となれば、裏庭の片隅にショベルカーで掘ってもらった穴で、正月以来のごみ処分だ。それにしてもたまるものだ。何かをなせばなすほど、ごみはたまる。何もなさなくても、ゴミはたまる。これいかに!!!・・・。いわゆる一般廃棄物と称するもの。収集車に出せども、いたちの追いかけごっこ。少しは自ら処分しなくてはと、立ち上がった次第だ。
ま、マメな僕にとっては、ゴミ処分は趣味みたいなものだ。

時々思う。原始時代には、こんなに、ごみがあったっけ?と。いまや、どんどん文明が発展して、豊かになって、消耗品が増えた。形あるものは壊れる。自然と、ごみと化すわけだ。以前、日記にも書いたことがあったが、「ゴミを制するものが、地球を制するんではないか?」と。となると、これは人間ではなく、別の動植物かもしれない。
ひょっとしたら、「モグラ君」かもしれない。そう思ったとき、思わず笑いが・・・・。

そういえば、つい先日、テレビで、「モグラ打ち」と称する、伝統行事をやっている光景を見た。
町内の子供達が、竹ざおの先に藁を巻いて、各家庭の庭を訪れ、竹ざおを地面に打ち付けて、「正月0000のモグラ打ち」とオラブのである。モグラはびっくりこいて、どこかへ退散するのだろうか?。

ゴミを処分、分解してくれる「モグラ君」を追っ払うなんて、罪深いことだと思わないでもないが、まだまだ、人間様の天下だ。その地位を「モグラ君」に明け渡すわけにも行くまい。

となれば、ゴミ処理に、多大な力を注いでくれる、立派な為政者が出て欲しいものだ。

ゴミ処理が「モグラ君」の話になってしまった。僕はせっせと、ゴミを穴に運ぶ。
思わず、自らが穴にこけそうになりながら。まああ、これも、僕の欠かせない楽しみの一つだ。田舎であればこそ、こういうことが出来るわけだ。

今日も、幸せを与えてくれた神に感謝しよう・・・・・・・。アーメン。



2004年01月16日(金) 今日の僕はにんまり顔のえびす顔。

今日の僕はにんまり顔のえびす顔。
at 2004 01/16 19:28 編集

今日は久々に、終日、雨だった。たまに降る雨もいいものだ。午前中は、昨夜の酩酊がたたって、頭がぼーーーっつとしていた。恐らくボスもそうに違いない。

午後から、アポイントしてあったクライアントの所へ。見事な書類のできばえに、クライアントは満足。そく、報酬を支払ってくれた。「わおーーーつ、満足だぜーーーー」。なんといっても、この時が一番嬉しいんだよなーーー。手造りの領収書をしたためるとき、思わず筆圧が強くなった。

ホクホク顔でクライアントの所を出た。次に向かったところは、車会社。愛車のバッテリーがやや弱っていると指摘されていた。この際だから交換したわけだ。そのついでではないが、1998年製のナビゲータも変えることにした。5年も経つと、地形がかなり変わってしまう。時々、田んぼの中を車が走っていて、「ありゃ?」と何度も思った。道なき道を走っていたわけだ。僕の後ろに道はない。僕の前に道は出来る。こりゃ、ちょっと脱線だ。

今度のナビゲーターは1993年製の最新版だ。お見事。今までなかったところに道が出来ていた。女房と畳は新しいほうがいいと言うが、ナビもそうだよなーーー。

と、そこへ、未亡人兼美人の奈美ちゃんから、イーメールが入った。奈美ちゃんは、行きつけの小料理屋に勤める、カウンターレディー。何事かと思ったら、最近。店が暇だそうな。そういえば、昨夜はボスと酩酊して、その小料理屋へ行ったが、奈美ちゃんは非番の日。「しまった。今日、行けばよかった」と、思ったが、後の祭りだ。さすがに僕も連ちゃんは、体にこたえる。
近々、ボスと行くことにしよう。

さらに、奈美ちゃんから、嬉しいニュースがあった。なんと、念願のパソコンを自宅に新調したそうな。「わおーーーーーーつ、おめでとう」。インターネットにつないだので、僕の日記を見たいと言ってくれた。そう言ってくれるのは奈美ちゃんだけ!!。涙がでるぜ・・・・!!。

ということで、今日は奈美ちゃんへの感謝の念を、この日記にしたためたわけだ。
いつ、この日記を読んでくれるのか分からないが、今度、会ったとき、奈美ちゃんはこう言うに違いない。
「駄目よ。私のことをかいちゃ。誰だか、すぐばれるじゃないの」ってね。
僕はすかさず言うだろう。「大丈夫。奈美ちゃんって、世の中には一杯いるから」とね。と、また奈美ちゃんが、「うんんん、だめだめ。みるんみるんさんを知っている人なら、皆、気付くわよおーーー」と。
僕はまた、言うだろう。「大丈夫、大丈夫・・・・・・」。

これじゃああ、いつまでたっても、押し問答だ。
いずれにしても、おめでとう。頑張ってネットしてください。
にんまり顔の僕でした。



2004年01月15日(木) 火星と宇宙と僕

火星と宇宙と僕
at 2004 01/15 15:04 編集

火星のパノラマ写真を見た。いやああ、圧巻だ。赤茶けた石ころの大平原が、果てしなく続いているように見える。今から、走るロボット、「スピリット君」が、縦横無尽に台地を駆け回るのだそうだ。「石ころにつまずいて、こけたらあかんでーーーー」。
今、そんな気持ちで、僕の心は一喜一憂している。

とりあえずはクレーターの観察だ。そこには恐らく、水かあったであろうという、確かな証拠をつかむやもしれない。あるいは、生命体の痕跡?。今から、わくわくしている。ただ、残念なことは、スピリット君の寿命は三ヶ月らしい。その間に、画期的な発見を期待したい。スピリット君、頑張ってくれ。君は我が愛犬ロボット、ミルミルみたいなものだ。目に入れても痛くない。

宇宙探査は、本当に夢があっていい。僕達生命体だって、宇宙から生じ、宇宙に帰っていくわけだし、自分が今ここにいる、その原点が紐解かれるわけだ。思うに、僕は宇宙人ではなく、宇宙塵から生まれたことに間違いはない。いずれ、宇宙塵に戻るわけだ。

昨今、娑婆世界を見ると、色んな事件が多発している。この無限の宇宙を思ったとき、人間の生きている時間って、まことに些細で、刹那である。さればこそ、人間は、もっと、お互いを尊重して生きるべきだろう。

今日も、仕事は暇。今、年末調整で、我が薄っぺらな給料に、ため息をついている。それでも、何とか、人並みに生きて来れたことに感謝せねばならない。僕の仕事も、やがてエンジンがかかるだろう。春ごろになるかもしれない。そのときまで、油の注入だ。



2004年01月14日(水) 昼間の娑婆探索も結構面白いぜ。

昼間の娑婆探索も結構面白いぜ。
at 2004 01/14 00:30 編集

今日も、つつがなく終わろうとしている。
寒い一日だった。久しぶりに町に買い物にでた。その前に銀行で、資金調達だ。クライアントに送金しなければならなかった。

送金という手続をするのは 久しぶり。今は、窓口より送金手数料が安いとのことで、機械を利用したがいいと言われた。そう言われても、たくさん人が並んでいて、じっと待っているのも、面白くない。てなわけで、振込み用紙に書いて出した。窓口のカウンターレディーの、きりりとした表情と、目に入れても痛くない笑顔を眺めながら待つのも悪くはない。それにしても、銀行って、忙しいところだぜ。よく、間違わないで処理出来るなあーーーと関心しながら待つこと10分程度。

処理が終わって、買い物へ。買い物といっても、僕が買うのは文具ばかり。集計用紙と現金出納帳を数冊。最近、冠婚葬祭が多いから、お祝い袋と香典袋を数枚。更に、更に、パソコンで作れる名刺カードを、数冊。おっと、忘れていた。領収書を数冊。
まあ、文具屋ではこの程度でおさめておいた。文具に限っては、僕は結構、衝動買いをするらしい。備えあれば憂いなしで、いずれ使いそうなやつを、先走りして買ってしまうようだ。何度も買いに行くのが面倒だからである。女性の衝動買いよりはましではないか?。

文具屋から、次は郵便局へ。200枚ほど買っていた年賀ハガキが喪中で出せなくなってしまった。しからば、寒中見舞いで、年賀をくれた人に出そうと言うことである。とりあえず50枚ほど買うことした。

在庫の年賀ハガキは、今月15日過ぎに、お年玉の番号を確認後、ハガキに換えようと思っている。番号を照合するのが楽しみだ。この辺は至って、抜け目がない。

郵便局を出て、仏壇屋へ寄った。不幸ごとがあると、いろいろと、日ごろ使わない仏具を調達しなければならない。まああ、これも勉強である。南無・・・・・。

事務所にはパートさんを残しているが、呼び出しの携帯のベルもならない。要するに暇なわけだ。ちょっくらうまいコーヒーでもすすって帰ろうとういことで、行きつけの喫茶店へ立ち寄った。やはり、もちやはもちや。自分で入れるインスタントは大違いだぜ。

頃もよく、家路へ急いだ。さああ、机に向かって、年調の仕事でもすっかと思っていた矢先、先程、行った銀行からテルがあった。なんでも、送金手数料を少なく取っていたとのことで、不足分をいつでもいいから、持ってきて欲しいとのこと。

一瞬、わが耳を疑った。「取りもれは、そちらの責任。集金に来てください」と、言いたかった。ただ、そう言わないところが僕の優しさか?。「まああ、いつでもいいならいいか」と、僕も、その場は引き下がったわけだ。手数料で食っている銀行にとっては、数百円であっても大事である。僕がビップのクライアントならば、果たしてまけてくれたかしら?と、思ってしまった。

久々に昼の娑婆を探索したが、結構面白いものだ。


2004年01月12日(月) 老兵は美徳を残して、そっと去る。

老兵は美徳を残して、そっと去る。
at 2004 01/12 23:22 編集

最近、妙に涙っぽくなった。ちょっとしたことに、すぐ涙が反応してしまうのだ。他人の死であっても、その死に、何かコメントが与えられたとき、僕の心は同調してしまう。いわゆる感情移入ってやつなんだろうか?。

今日、92才で亡くなった祖母の面前で、孫が別れの言葉を述べた。孫といっても、既に社会人。祖母に心からの感謝の念を述べた、その言葉と姿が涙を誘った。朗々とした声で、周りを気にすることなく述べた言葉は光っていた。
僕はそのとき思った。「いやああ、立派な若者だぜ」と。

今日は成人式。テレビで、映し出された若者の姿は一様にまぶしかった。「大人の仲間入りをした感想は?」と聞かれたとき、ほとんどの若者が、「今まで無茶や馬鹿をやってきたので、これからは、安定した生き方をしたい」と述べていた。

模範的な返事だったので、一瞬、「えつ?」と思ったが、「本音はそうなんだろう」と、頼もしく感じられた。
これからの社会を担うのは、やはり若者だ。老兵達は社会の中での物の考え方、見方を若者に伝授して、去って行かねばならない。この伝授がスムーズに行われていけば、社会はドンドン良くなるし、発展もしていくように思える。

ただ、昨今の社会は、この老兵達がいつまでも、子供のように、だだをこねて、よからぬ欲に取り付かれてしまっているところに問題がありそうだ。若者の非がとやかく言われているが、正すべきは大人のほうかもしれない。

祖母との別れに感謝の言葉を述べた若者は、祖母からたくさんの物の見方や考え方や美徳を伝授されてきたのだろう。

今日は、成人式での若者の弁と、この青年の弁が、妙に重なって、すがすがしい気持ちになった。

「老兵は美徳を残して、そっと去る」。
この言葉を僕の座右の銘にしよう。残念ながら、僕はまだ老兵の範疇に入っていないのだが。



2004年01月11日(日) 風邪と成人式と心の問題

風邪と成人式と心の問題
at 2004 01/11 21:30 編集

世の中がようやく動き出したようだ。都会圏は景気も上り調子のように見えるが、田舎はそうは行かない。およそ、半年か一年くらい遅れて、やっと景気が上向きかなあーーーという感じだろう。
てなわけで、、僕んちは相変わらず、閑古鳥がないている。机に座って、じっと手を見るしかない。オヨヨだ。

今年になっての僕の収穫。まず第一に風邪を射止めたことを挙げねばならない。いい表現ではないが、「馬鹿は風邪を引かない」という。それを自負いしてきた僕も、風邪を、お年玉にいただいたわけだ。めでたくもあり、めでたくもなしだ。

めでたい点は、風邪に対する注意を喚起したことだろう。僕ももう、そう若くはないんだということを自覚。めでたや、めでたやである。

めでたくもない点は、そりゃあ、風邪で、咳がでるし、寝ると寝汗をかくし、踏んだり蹴ったりだ。はやく、怨敵を退散させたい。

本来、針を刺すことの嫌いな僕は、ほとんど、注射をしたことがない。当然のことながら、僕の辞書に予防接種ということばはなかった。今後、四字熟語として、付け加えておこう。

そう言えば、当地の知事さんなんか、いちはやく、風邪の予防接種をしたそうな。僕も、素直に刹那の痛みを我慢すればよかったのかなーーーーと、今、後悔している。
後悔先に立たずだが、暇が、僕の体を癒してくれるだろう。

そういえば、明日は成人式だった。一体、何人の若者が大人の仲間入りをするのだろうか?。僕にとっては遠くになりにけりの行事である。将来を担う若者が、力強く、社会で羽ばたくことを切に願いたい。たくさん子供を産んで、子供の楽園を作って欲しい。田舎ではほとんど、若者や子供がいないのだ。じっちゃん、ばっちゃんがごろごろしている。長生きはいいことだが、やはり、健康で長生きしなくちゃ、生きていても楽しくないだろう。

あと、何十年かすれば、僕もじっちゃんの仲間入りすることになるが、少なくともホームのお世話にはなりたくないと思っている。山頭火みおたいに、あまねく世間を行脚して、気持ちよく行き倒れたい。なんだか、そんな最後を夢見ている。願わくば、999のメーテルのような女性の腕枕の中で・・・・・・・。今からせっせと夢の神様にお願いしとかなくちゃ。

成人式の話がずれてしまった。思うに、今の若者にとって、社会の環境は結構厳しいようだ。自由はあっても、金がない。働こうと思っても仕事がない。政府が打ち出す雇用対策も、これといった決め手がない。今や巷では、リストラにあった中高年と若者が、しのぎを削って、自立への道を模索している。あげくに、模索に疲れて自殺する人があとをたたない。悲しいことだ。いつの時代も、こういう状況はあったと思うが、昔が良かったと思えるのは何故なんだろう?。

少なくとも、昔は今より「心」と称するものが、もっと温かったように感じる。一様に貧しかったからかもしれない。貧しさの中に優しい気持ちが浸透していたような?。

最近、芸能人が田舎を訪ねて、「一泊とめてください」とお願いするテレビ番組があっている。何とか一夜の宿を確保し、その中で織り成される人間模様にいつも感動させられる。昔、誰もが持っていた「心」というものが、ふつふつと出ているからだ。
恐らく都会ではこうはいくまい。

おっと、ここで、精神論を述べるつもりはなかった。ただ、「成人式に臨む若者に何か一言を」とマイクを差し出されたら、僕はこういうだろう。

「若者よ!!!。産めよ、増やせよで、子供をたくさん作りましょう。温かい心で、楽しく生きましょう」と。
及ばずながら、僕もまだ現役。子つくりなら、いつでも相談にのりまっせ。
こう書くと、ちょっと、叱られそうだ。
「あんた、誰が育てるのよお?・・・」。

こうなると、もう僕の出番はなさそうだ。













2004年01月07日(水) 火星探査機の動向は、かくまでも僕の心を乱すのか。

火星探査機の動向は、かくまでも僕の心を乱すのか。
at 2004 01/07 19:50 編集

火星に着陸した探査機から送られてきた写真を見た。赤茶けた平地に無数の石ころが転がっていた。不毛の台地といった方が分かりやすい。こんなところに、果たして生命の痕跡があるのだろうか?。

もちろん、地球にも、同じような風景を探せばあるだろう。ほんの一部分を見ただけでは、まだ、生命の痕跡を論ずるには、尚早かもしれない。

全自動で動くベビーカーみたいなロボットが、この台地を縦横無尽に散策するわけだ。かなり遠くまで足を伸ばせば、なにか発見があるかもしれない。恋に落ちた青年の如く、僕の心は高鳴りを禁じえない。

そういえば、子供の頃、火星にはタコのような、生物がいると信じていた。八本足でたって歩くタコである。なんて、グロテスクな生き物かと笑いもしたが、あちらから見れば人間のほうが、もっとグロテスクと思われているかもしれない。

もっと小さい頃は、地球の衛星、月にはウサギがいて、餅をついていると思っていた。アメリカの有人ロケットが月面に着陸して、その夢は、もろくも崩れ去ったが、地球の兄弟星、火星には、まだ生命体が存在するという希望があった。いまや、その真否が確かめられようとしている。

もし、生命体の痕跡やら、現に生命体が存在していることが分かれば、これは宇宙史に刻まれる大発見である。「わおーーーーつ」と、何回叫んでも、叫びきれないだろう。

願わくば、人類に似た生命体がいて、言語を持ち、会話できるとしたら、僕は真っ先に、火星へ乗り込んでいきたい。
「はーーわーーゆーー?」とか、「ニーハオ?」とか、「グーテン・ターク?」とか、言えば、何か言葉が返ってくるかもしれない。ひょっとすれば、日本語で、「こんにちは」かもしれない。
きっと、僕は目玉を丸くして、卒倒するだろう。

やがて、僕は火星人に感化され、ミス火星人と恋に落ちるかもしれない。願わくば、メーテルみたいな人あって欲しいと思うのだが・・・・・・・?。
一目会ったその日から、恋の花咲くときもある。パンチでデートではないが、僕はその日から、あしげくミス火星人のところへ、通い詰めるだろう。、時が流れ、正気に戻ったときには、すでに地球は忘却の彼方にあり。鏡を見て我が身をうたがうだろう。メイビ、玉手箱を開けた、浦島太郎みたいになっているやもしれない。

ばあ様の49日もまだ終わらず、正月も駆け出したばかりだと言うのに、こいう愚かなことを書いている僕は、まさに愚か者だ。

分かってはいるが、火星探査機の動向が、かくまでも、僕の心を乱しているということをご理解いただき、ご容赦を請いたい。



2004年01月06日(火) 昨夜はご乱交でした。

いよいよ、仕事がはじまった。もう、正月は遠くになるにけりだ。目指すは来年の正月。後何日、寝ればいいのだろうか?。うんんん、三百五十・・・・何日。止めておこう。来年のことを言うと鬼が笑うというじゃないか。

ということで、いまや遅しと、ご主人様の出番を待ち構えている机に腰を下ろしたが、どうも気合が入らない。正月、どこにも行かずじまいで、怠惰な日々を過ごしてきた。その怠け癖がまだ、抜けきらないでいるようだ。パートさんは明日からの出勤だ。気合を入れるのは明日からにしよう。

言い訳になるが、今日も怠惰であった本当の原因は昨夜にある。のりちゃん先生からテルがあった。彼からのテルは、察するにあまりがある。「一献やろう」と言うことだ。彼も、山ノ神から解放されて単身赴任地で、新年を謳歌したかったのだろう。どーーーつと出た疲れを癒したかったのだろう。「その気持ち、よくわかるぜーーーー」といいたい。

僕は既に、軽く食事を済ませていたが、断る理由もない。「よいこらしょっと」と、いかにも、大儀そうに出かけたが、本音は、「そろそろ、娑婆見学にいきたいなあ」と、心が叫んでいた。
折もよく、のりちゃんからテルがあったわけだ。類は類を呼ぶと言うが、まさにそんな感じだ。

既に行き先は決まっていた。和服を着た美人ママが一人で、経営する小料理屋。
昨年は、二人とも、かなり世話になった。
定かには分からないが、二人で、かなりの大枚を落としてきたことになるだろう。
そのことに、何の後悔もないのは、ママさんの美貌と、おしゃべりと、手料理で、十二分に癒されてきたからに違いない。

ママ曰く。「今日は何でいきますか?」と。すかさず、のりちゃん曰く。「ワインあるかなあーーーー?」。僕もママちゃんも、「え・え・・・っつ」と、一瞬たじろいだ。僕曰く。「お酒の熱燗でいこうや」と。「そうだなああ」ということで、まずはお酒の熱燗で、のどを潤した。次第にピッチがあがり、次は、冷酒。実はこうなることが怖かった。僕達は相当に酩酊し、気も大きくなり、二次会へ。

どういう風の吹き回しか、のりちゃんが行く先を指定。な・な・な・なんんと、「しゃなりのママ」の店へ行こうというのだ。
もちろん、僕に異論はない。当地ではナンバーワンと称される、しゃれたサロンというか、ラウンジというか、クラブというか、そんな店である。20代のピチピチレディーとの会話を楽しむ店。

ここでは、無制限飲み放題の焼酎で、舌鼓を打つ予定だった。(しゃなりのママさんの特別のはからい)
あえて、この店の欠点を言えば、かなりの確率で、客同士の姿が見えることだ。のりちゃんはこれが嫌いだったし、僕も同様。
すかさず、のりちゃん曰く。「ビップルームは空いていないかなあアーーー?」と。なるほど、名案だ。こういう点では、なかなか、頭の回転が速いぜ。のりちゃんは。

運よく、僕達はビップルームを確保できた。後は、誰を気にするでもなく、飲んで、歌って、女性を口説いて・・・・・。いつものパターンだ。しばらくして、しゃなりのママさんが登場。のりちゃんも僕も大喜び。ここで、ピチピチレディーが曰く。「今日、1月5日はママさんの誕生日なのよ」と。はたと僕は気ついた。数年前、弟とやはり1月5日に、この店へ来て、誕生日祝いに、ワインを飲んだという記憶が、走馬灯の如く頭をよぎった。
安いワインならまだしも。ママの店にあるワインは相当に高級。のりちゃんは知ってか知らずか分からないが、「のほほん」とした表情でママとだべっている。

うんんんん、まあいいかと心の中でつぶやき、引き締まった顔で、僕はワインを注文。さすがに、おいしかった。あっというまに、ボトルは空に。

しばらくして、ママは別の客の所へ退散。それじゃあ、僕達も退散するかということで、会計だ。願いましては三万六千円なり。「このくらいで済んでよかったぜ」と、財布の紐を締めて店外へ。
「さあ、新年のご乱交もこれまでだ。かえりまっか」と、のりちゃんへ問えば、いつもの悪い癖。もう一軒、「フォーリン・スタッフ」の店へ行こうと彼からの誘い。

「流暢な英語でも話したいのかしら?」と、僕もしぶしぶ同意。後は、のりちゃんの一人舞台。一応僕も同行したが、程なく僕は乗りチャンをおいて帰路へ。と、思ったが、方角は別のところへ。僕も同じ穴のむじなだ。

タクシーは、二十年来の行きつけの小料理屋へ向かっていた。昔は大ママ、今は中ママが経営している、妹の小ママは又、別の店を経営している。丁度0時を過ぎたばかり。1時までやっているので、ちょっくら新年の挨拶と、代行を呼んでもらうために立ち寄ったと、言い訳をしておこう。

「えらい遅かったわね。どこで、何していたのよ?」と、お怒りの一声が。ここは、適当に言葉を濁して、1時ごろ無事に帰宅した。のりちゃんはどうなったのか、まだ、その後の経過を聞いていない。

いずれにしても、新年早々の乱交。楽しい一夜ではあったが、厳しい船出となってしまった。年末に反省するのはやめにして、今ここで、今年初の懺悔をしておこう。

「昨夜の僕の乱交を許し給え。今後慎みますゆえに。何とか神のご加護を」。
うんんん、こういう不真面目では、先が思いやられるぜ。



2004年01月04日(日) 正月四日目の雑感

正月四日目の雑感
at 2004 01/04 14:48 編集

すこぶる天気が良い。こんなすがすがしい正月も初めてだ。「ほんなら、今日はなんばすっかのう?」と、方言丸出しで、考えてみた。

まずは、故郷の母に、もらい物のたらいまわしだ。小包みを作った。家においていても、部屋のこやしにもならない。しからば、有効に活用してくれる人の元へ届けたが一番。ほぼ毎年送っている。母はいつも喜んでくれる。屋内作業はこれでおしまい。

外に出た。枯れ草に火をつけた。よく燃えた。今、当地方は、乾燥注意報がでている。僕の可憐な唇も乾燥して、がさがさだ。めったにないことだ。キスをするわけでもないから、まああいいだろう。

枯れ草の下は真緑の雑草だった。「えっつ、もう、芽吹いているのか」と、雑草の生命力に驚いた。踏まれても、焼き払っても雑草は伸びてくる。ふと、思った。僕の生命力も、この雑草見たいに、強くありたいと。

生命力で思い出したが、アメリカの宇宙探査機が火星に着陸するらしい。昔は、火星に水があったという。今も極冠には氷があるらしい。水や氷があった?、あるとすれば、恐らく火星にも生命体が存在した?、存在しているに違いない。それを今から探査するというのだ。なんだかわくわくする。強い生命力をもった何かが過去、あるいは今もいたら、素晴らしい。今から期待している。

話が火星へいってしまった。本当は今日は、故郷の実家へ帰って、父親の墓参りなぞ、したかったが、まだ、喪中たる我が家の環境がそれをゆるさない。ばあ様が「わしをほったらかして、どこへ行くとか?」と、にらみつけるに違いない。仕方がない。
じっとしておれない僕は時とともに、ひたすら体を動かすことにしよう。

さあ、明日からいよいよ、御用始めだ。友人、知人、クライアント達と、新たな気持ちで再会することになる。毎年繰り返される光景。ほんの短い日々が年をまたいだだけだが、何故か心新たになる。
この心を方言で言ってみよう。

「なんか、心がうずくたい。なしてだろか?。やっぱ、正月だけんばい。けじめがあるけん、心も新鮮たい。」と、いうことになるか。

おっと、長年使い慣れないと、方言も忘れてしまいそうだ。
今度、同窓会に出席して、昔の感覚を取り戻すことにしよう。






2004年01月03日(土) 早、正月三日。もう、娑婆を恋しがっている。


早、正月三日。相変わらず小春日和の良い天気。娑婆世界は、にぎわっているのだろうか?。田舎の田んぼに囲まれた我が家からは、町の様子がてんで、分からない。人もほとんどやってこない。静かな正月だ。一年で一番ゆっくり出来る、ゴールデンタイム。誰にも邪魔されずに、快適だ。

ただ、本来、貧乏性で、まめな僕はどうも、じっとしておれない性質のようだ。あっちうろうろ、こっちうろうろ。ゴリラのように行ったり来たり。家の中を見回して、気に入らないところがあると、すぐ改善しようという衝動に駆られる。若さゆえに血が騒ぐのかもしれない??。

そいうわけで、一日から二日にかけて、わが事務所の大掃除。部分的には、パ−トさんがやってくれたが、僕の机はやはり僕自身が手をくださなくちゃ、埒が明かない。書類群を見ながら、はたと僕の手が止まる。どうも、くずかごへ放り投げられない。また、使いそうな気がして、とっておきたい衝動にかられるのだ。亡くなったばあ様の気持ちがやっと分かったような。

そういえば、ばあ様はひどかった。もう何十年も昔の古着から、はたまた、ビニール袋、新聞紙、汚れた封筒、こわれかけた家具、台所商品のあれこれと、ガラクタばかりが、あちこちの押入れを占領している。一度、整理にかかったが、「なんてことをするの。もったいない。罰があたりますよ」と、怒られる始末。

よくよく考えてみると、「どうかなあーー?」と思った物は、ほとんど、使わないことが多い。整理する人達の気持ちを考えているんだろうか?と、言いたくなる。

こう書くと、僕だけが、いい子になっているようだ。ということで、今回は思い切った。なくても何とかなりそうだと思う物は、片っ端から、くずかごへ放り投げた。
その甲斐があって、机やら本棚に、みごとな 空間が生まれた。周りがすっきりしていると、こんなにも気持ちがいいかと、あらためて感じいった。

かくして昨夜は、再びテレビに興じた。
「ものまね」合戦を遅くまでやっていた。いやああ、実に面白かった。世の中には、変わったエンターテーナーが多いことよ。
そっくりさんの一挙一動に涙しながら見入った。昨夜も山の神、他のメンバーは違うチャンネル。どうも、番組の嗜好が違うようだ。これで、平和なら言うことなしだ。

さあ。あと、二・三日もすれば、娑婆世界が動き出す。充電タイムは終わりだ。僕も再び、休暇に別れを告げて、喧騒の巷に飛び出さねばならない。
この繰り返しが人生なんだなーーと、思う。今年は、ますます健康に留意して、飲み過ぎないようにしなくちゃ。
年末になって、「反省、反省」と、言い訳することに疲れてしまった。今年こそは、反省のない一年にしたいものだ。南無・・・・・・・。




2004年01月01日(木) 素晴らしきかな、ボブサップ氏と曙関。

素晴らしきかな、ボブサップ氏と曙関。
at 2004 01/01 14:34 編集

とうとう、正月と言う今日を迎えてしまった。単なる時の流れに過ぎないが、なんだか敬虔な気持ちになる。すこぶる天気も良い。小春日和だ。日本の夜明けがいつもこんな天気で、穏やかであったら、さぞかしいいだろうと思う。

こんな気持ちとは裏腹に昨夜、大晦日は興奮しっぱなし。なんとなれば、テレビのチャンネルは世界最強と銘打った、格闘技戦放映のオンパレードだったからだ。どこも、見たいところばかり。僕もいつのまにか闘志に燃える戦士になってしまった。ここんな時、ビデオに収めておけばいいと思うが、周りは無精者ばかり。幸いテレビは四台あるので、各人一台ずつ、確保して、それぞれの部屋で見た。こんなとき、家族って、ばらばらだなーーと思う。

頭首たる僕は、だれにも邪魔されずに、離れた一角のテレビを占領し、格闘技に釘付けになった。チャンネルの一つが広告タイムに入ると、すかさず、次のチャンネルへ。又、試合のインタバルのときもすかさず別のチャンネルへ。欲張りで忙しいことよ。たまたま三つのチャンネルが広告タイムの時は、仕方がなうから、紅白歌合戦へ。こんなに気が多くては、来年も思いやられるぜと思ったが、久々のゆっくりタイムだ。誰も怒るひとはいないだろう。

なんといっても、ボブサップ氏と曙関の試合は圧巻だった。ジャンボ白熊と、ジャンボゴリラの戦いのようだった。ジャンボ白熊の突進は見事だった。ジャンボゴリラは押され気味で、ロープを背にするばかり。これは、白熊の勝ちかなと思ったが、キャリア十分のゴリラが、挽回して的確なパンチで、白熊をマットに沈めた。見事な戦いだった。

何よりも感動したのは、曙関のファイト。技術を もう少し取得していれば、おそらく、ボブサップ氏をマットにしずめていただろう。戦いが終わっても、僕はしばらく、放心状態だった。それほど、この試合は見ごたえがあり、素晴らしいものだった。せちがない世の中に夢と希望を与えてくれた二人のファイトに、心から有難うと言いたい。

これは マスコミ批判ではないが、ただ一つ、気になることがあった。それは、試合の前後を通して、曙関の奥さんや子供達の表情をカメラが追っていたことだ。もし、曙関が勝っていたら、喜びの表情を放映するのは良いが、心配そうにリングを見つめる姿や、曙関が負けた後、家族が席を立つ姿など、放映しなくてもいいのではないかと思った。ちょっと、悲しい気がした。

まあ、勝負の世界は勝ち負け。厳しいものだ。ボブサップ氏もさすがに、格闘家。試合後、曙関と抱き合って、互いの健闘をたたえあった姿と、いつもと違う控えめな態度でマイクを握っていた。この姿に好感を持った。今後とも二人の健闘を期待したい。

本当に昨夜はまれに見る良い大晦日だった。かくして、興奮冷めぬまに、ベッドに入ったが、今日は睡眠十分。いいお正月だ。

昨年は喪中だったが、今年はいいことがありますようにと願って、新しい一年のスタートとしたい。
そして、遅ればせながら、友人をはじめ、お心遣いをいただいた人たちに、新年のご挨拶を。

「今年もどうぞ、宜しくお願い申し上げます」。




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